とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 決死の覚悟と愚かな迷い

大覇星祭編 決死の覚悟と愚かな迷い

 

 

 

道中

 

 

 

(しつこい……ッ!)

 

 

走りながら後ろを振り返り、オリアナ=トムソンは密かに舌打ちをする。

 

先程、偶然、ツンツン頭の少年とぶつかった際、彼女の術式の1つが打ち破られた。

 

それは<表裏の騒静(サイレントコイン)>。

 

人払いの術式を応用した魔術で、術者であるオリアナと在っても背を向けた人間は、それ以降彼女への興味を失う、と言ったものだ。

 

これ発揮している間は、例えオリアナが掌から炎の塊を生み出そうが何だろうが、誰も『呼び止める気がしなくなる』。

 

<大覇星祭>中、『取り引き』を円滑に行う為に使用していたのだが……何故かいきなり使い物にならなくなってしまったのだ。

 

諸事情があって、オリアナは同じ術式は使えないので、もう1度<表裏の騒静>を再構築する事はできない。

 

これが、不幸その1。

 

そして、<表裏の騒静>がなくなり、追跡者――先程ぶつかった少年が現れた。

 

オリアナは<追跡封じ(ルートディスターブ)>。

 

魔術業界では、相手を撒く事に関しては右に出る者がいないとも言われている。

 

だが、その少年を振り切る事ができない。

 

角を曲がり、迷いやすい小道を何度も通り、こちらの姿を見失わせるように努めてきたのに、少年との間合いが開く事はない。

 

尾行がバレバレであるのから察するに素人。

 

しかし、こちらの逃走ルートが予め分かっているように迷いがない。

 

おそらく、彼も逃げる事に慣れている。

 

だからこそ、自分の動きを投影できる。

 

こちらはプロとしての経験もあるのだが、向こうにはこの学園都市と言う地理的条件がある。

 

建物の中に隠れようとも、この看板を持った塗装業者と言う格好では、ホテルにしてもデパートにしてもレストランにしても、『休憩』という言い訳が店員には通じないだろう。

 

かと言って、スタッフを装って裏口から入るにはIDや鍵が必要となる。

 

だから、外の道を走るしかない。

 

………それに、『絶対に逃がさない』、という執念染みた視線を感じる。

 

おかげで、撒く事ができないのだ。

 

これが不幸その2。

 

そして、いつの間に追跡者が1人から3人に増えていた。

 

しかも、その新手は最初の素人ではなく自分と同じプロだ。

 

向こうの仕事の精度が段違いに上がり、このままだと遅かれ早かれ捕まってしまう。

 

不幸その3だ。

 

 

(一応、学園都市も教会勢力も今の街中じゃ手は出せないって話だったはずけど、やっぱり甘くできていないわね……っと!)

 

 

オリアナの足が急ブレーキをかける。

 

前方にテレビカメラが来ているのか、異様な人混みができていた。

 

『巨大な看板』を手にしたオリアナには、あそこは通れない。

 

看板に人の壁が引っ掛かって、思うように進めなくなるのだ。

 

もちろん『看板』を捨てれば飛び込めるが、ここでそれをやっては本末転倒だ。

 

彼女は周囲を見渡す。

 

その時、最初の追跡者の少年が視界の端に映った。

 

正直、彼とはあまりやり合いたくない。

 

あの鬼気迫る勢いにはプロの魔術師である自分でも気圧される。

 

一体何が彼にそこまでさせるのだろうか?

 

が、

 

 

(多少苦しいけど、あそこを通るのが1番安全かしら……アレを送り込んだって聞いてるし)

 

 

ここで隠し玉を使うのは早過ぎるのかもしれないが、仕方がない。

 

“アレ”を使う、これが不幸その4だ。

 

思い、計算し、決断し、オリアナは横合いの別ルートへと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

土御門と当麻が並び、その後ろをステイルが続く。

 

当麻は元々走っており、今は土御門の指示に従っているため、もしかすると一番足が速いのかもしれない。

 

距離にして30mほど先を走っていたオリアナは歩道の真ん中で突然立ち止まり、周囲を見回すと、横の道へと入って行った。

 

それを見た土御門は眉を顰め、

 

 

「なんか、これまでと行動パターンがズレているにゃー……。考えが変わったのか?」

 

 

言いながらも土御門は大してスピードは落とさない。

 

彼もまた、当麻と同様に体力には自信がある。

 

そして、オリアナが立ち止まった所まで来ると、前方にカメラ、そして、ここの住人が聞けば見当違いとしか思えない説明を興奮気味に話している『外』のレポーターの姿が。

 

その周囲は画面に少しでも映ろうと多くの学生が詰めかけており、人混みが出来ていた。

 

オリアナはあれに捕まるのを恐れてルートを変更したらしい。

 

オリアナが逃げた方へ、当麻が視線を向けると、

 

 

「何だこりゃ。バスターミナルか?」

 

 

 

 

 

バスターミナル

 

 

 

周囲を完全にビルに囲まれた四角い平面。

 

<大覇星祭>に合わせて、不要な建物を丸ごと撤去して急遽平地を作った、という感じに一角。

 

横幅は30m前後、奥行きは数百mもありそうだが、所狭しにざっと50~70台の大型バス並んでいる為に、スペース的には広いのだろうが感覚的には狭い。

 

その車両のどれも皆、無人の自律バス。

 

ここは自律ユニットを組み込まれたバスのための、臨時整備場。

 

今、街中を走っている自律バスも、洗車や燃料の補給、その他のメンテナンスのためには一度持ち場を離れなければならない。

 

そういった時のために、三交代制といった対策が取られており、今、ここで整備を受けている自律バスは待機組と言う事になる。

 

この<大覇星祭>のためだけに、ここまでの設備を揃えるなんて、と当麻は改めて、このイベントのスケールの大きさを思い知らされる

 

『回送』と表示された自律バスが、ほとんど無音で当麻達の横を通って整備場に入って行く。

 

土御門は、その後ろについていく形で、それこそ音もなく整備場に一歩足を踏み入れた瞬間、

 

 

轟!! と。

 

突然、青白い爆炎が天井から真下へと降り注いできた。

 

 

不自然な色の炎は、まるで透明な筒の中でも通っているように、真っ直ぐ土御門を狙って降下する。

 

おそらく魔術による攻撃―――だが、魔術の炎と言ってもステイルのものではない。

 

となると、

 

 

「クソ、トラップでこっちの足を砕く方向に変更したのか! 伏せろカミやん!」

 

 

土御門は咄嗟に後ろに跳んで、隣にいた当麻を押し倒そうとする……が、

 

 

「何を言っているんだ。ここはこの男の出番だろう?」

 

 

その前に当麻は一歩前に出ていた。

 

土御門に入れ替わる形で当麻は先頭に立ち、青白い炎の真下へと躍り出る。

 

そして、頭上からギロチンのような勢いで迫りくる炎柱に向かって、

 

 

「―――邪魔だっ!!」

 

 

アッパーカットの要領で右拳を跳ね上げる。

 

青白い炎の柱が四方八方に飛び散り、周囲に燃え移らずに消えていく。

 

ステイルは、口の端に加えた煙草を上下に振って、

 

 

「いや、我ながら、中々のチームプレイだね。役割分担ができているというのは、分かりやすくて動きやすい」

 

 

当麻はさらに直進する。

 

 

ヒュン!! と風を切る音と共に、前方をトロトロと走っている自律バスの車体下を潜って、野球ボールぐらいの土の塊が飛んできた。

 

ジャギッ!! とボールの表面から石の刃が大量に伸びてウニのような形になると、そのまま当麻の死角を通り、急激にホップして―――

 

 

「―――邪魔だっつってんだろっ!」

 

 

手刀で叩き割る。

 

石弾は氷細工のように砕けて空気に溶けた。

 

当麻の猛烈な突撃に軽口を叩いていたステイルも少し息を呑む。

 

 

「カミやん、落ち着け!」

 

 

その様子を見かねた土御門が当麻の襟首を掴んで引っ張り、辺りに停めてある自律バスの陰に押し込む

 

ステイルもその逆側の自律バスに隠れる。

 

 

「土御門っ! 早くしねーと逃げられちまうぞ!」

 

 

「カミやんっ!」

 

 

勝手に飛び出そうとする当麻の顔面を横から思い切り殴る。

 

 

「『勇敢』と『蛮勇』は違う。冷静に状況を把握しないで勝手に前に進むな。カミやん、テメェが建てた誓いはその程度なのか?」

 

 

「ぅっ……」

 

 

右手に巻かれた包帯が視界に映る。

 

自分が怪我をすると、きっと彼女は泣く。

 

自分は絶対に彼女を泣かせないように誓った。

 

当麻は一度大きく息を吸い、肺に新しい空気を送り込み、脳を新鮮な酸素で満たす。

 

 

「落ち着いた。心配掛けてすまん、土御門」

 

 

自分は焦り過ぎていた。

 

ここは戦場、少しの焦りも禁物だ。

 

こんな所で倒れて、彼女を“また”置いて行ってしまったら死んでも死にきれない。

 

 

「よし。ステイル。お前はここでルーンのカードを貼り付けて待機してくれにゃー。こっち奥に進んで運び屋を押さえる」

 

 

「了解した。『人払い(O p i l a)』は使った方が良いかな?」

 

 

「頼むぜい。余計な魔力は撒きたくないが、ここで騒ぎが広がるのはマズイ。<禁書目録>は詩歌ちゃんが誘導しているだろうし、問題はないだろ」

 

 

土御門の指揮に、血の気が下がった当麻は疑問を抱き、

 

 

「なぁ。全員で向かった方が手っ取り早くねーか?」

 

 

「カミやん。こんだけ遮蔽物が多いと、行き違いになるのも考えられるんですたい。可能な限り、全ての出入り口を封鎖するのが追撃戦の基本だぜい」

 

 

そうか、と当麻は今さらながらに思い至る。

 

今やっているのは『倒すか倒されるか』の戦いではなく、『捕まえるか逃げられるか』の戦いだ。

 

目的が違えば対策だって変わってくる。

 

しかも、相手は逃走のエキスパート。

 

いつものように殴って終わらせるなんて戦術では通用しないのだ。

 

土御門は当麻の顔を見て、

 

 

「で、カミやんはどうする? オレとしちゃここに残ってた方が安全だと思うが……」

 

 

ステイルも当麻の顔を見てニヤリと笑い、

 

 

「良いね。僕としても残ってもらった方が安全だと思う。君ではなく僕の安全だが」

 

 

「残念だが、詩歌と約束してんだ。テメェの盾なんざやっている暇なんてねぇよ」

 

 

当麻は落ちていた空き缶をステイルに投げつけると、土御門と一緒に前に進む。

 

土御門はバスの陰から専用通路の奥を覗き、それから一気に飛び出して走る。

 

 

「カミやん、これは逃走戦だ。時間稼ぎの囮なんかをまともに対処してたら間違いなく逃げ切られちまう」

 

 

戦闘ではなく追跡を優先。

 

如何に<幻想殺し>と言う異能に対して最強の盾があるとはいえ、ここにあるトラップ全部を打ち消そうとすれば、運び屋に逃げられてしまう。

 

<幻想殺し>は無意識にでも反応する事ができるが、今はその反応が邪魔なのだ。

 

だから、ここで取るべき手は、

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『なあ、詩歌って良くあんなに避ける事ができるな。そいつも<幻想投影>の力なのか?』

 

 

妹――上条詩歌は、その類稀なる鋭敏な感知能力を用いて、相手の攻撃を回避する。

 

当麻とは違い、無意識ではなく、意識的に計算して動く。

 

 

『はい、そうですね。でも、無意識的に動くよりは疲れますよ』

 

 

『はぁー、それって俺にもできたりするのか?』

 

 

『まあ、当麻さんと私とでは、色々とタイプが違いますができますね。方向性が真逆でも突き詰めれば、同じ極地に至れるという事もありますから』

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

―――当麻さんは、もっと自分を知るべきです。

 

―――今まで、当麻さんは無意識とはいえ相手の攻撃を見切っていました。

 

―――だけど、無から有をつくっていたわけではありません。

 

―――<幻想殺し>は当麻さんの持っている力。

 

―――足が速いとか、計算が速いとか、その程度のものです。

 

 

 

 

 

 

 

(考えろ。五感を、そしてこの感覚を元にして考えるんだ)

 

 

己を己として扱う。

 

自分の機能を、できる限り把握して、使いこなす。

 

そのための詩歌の提案した当麻の能力開発は極めて単純だった。

 

ただ慣れさせる。

 

絶対に動けないよう当麻の身体を縛ったら、聴覚と視覚を封じて、10分間、ありとあらゆる異能を寸止め。

 

そして、5分休憩したら、また10分。

 

これをただ繰り返す。

 

目や耳ではなく、前兆の感知のみで異能の動きを捉える――その無意識を意識できるまで徹底的に繰り返す。

 

制御の達人で、<調色板>を持つ上条詩歌だからできた方法だ。

 

 

(考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ……この感覚を掌握しろ)

 

 

脳が過熱する。

 

加速する処理能力に、当麻の脳が悲鳴を上げている。

 

今まで無意識的に捉えていたものを意識的に捉えようとしているのだ。

 

たかだか、数日の能力開発で都合良く脳が対応し切れるはずがない。

 

だが、その代償に、当麻は掴んだ。

 

この場に渦巻く幻想の感覚を。

 

詩歌のように先読みする事も、ましてや制御し、場を支配する事など到底かなわない。

 

でも、かろうじてその上っ面だけは再現できる。

 

 

ゴッ!!

 

 

という音と共に、正面から黄色い炎の槍が真っ直ぐ襲ってきた。

 

10mほど先の、何もない空中からいきなり炎が生み出されたのだ。

 

しかし、当麻はその先にはいなかった。

 

そして、何もないはずの空間に右手を伸ばす。

 

左右のバスとバスの隙間から高圧縮の風のギロチンが襲いかかってくる。

 

でも、それは吸い込まれるように当麻の右手へ飛んでいき、そのまま霧散した。

 

天井からアドバルーン程の大きさの氷の塊が5つも降ってくる。

 

だが、当麻はすでにその場を離れており、ただ1つだけ打ち消すと前へ前へと進む。

 

背後で残りの膨大な重量の氷が砕ける轟音と震動が響き、背筋に冷たいものが走る。

 

しかし、当麻は無事に自律バスが並んでいる一角を通り抜けた。

 

これは、勘、だと言えるかもしれない。

 

よく野生動物には危険を本能で察知すると言うが、今の当麻はそれと同じで、ただ“不幸”の前兆を感知した。

 

大まかで大雑把だが、危険だと感じたら、すぐさま離れれば良い。

 

このように途中途中で変更しながら当麻は危険が最も少ないルートを選んで進んでいったのだ。

 

 

(よし、この辺りはあんまり危険な感じはしねーな)

 

 

バス用の大型洗車機が並んでいるのが見える。

 

2階建ての建物ぐらいの高さがあり、内側には車を洗う為の機材が詰め込まれている。

 

ガソリンスタンドにあるようなローラー状のブラシではなく、超音波振動を利用した、巨大で平べったいスポンジのようなものだ。

 

その陰に飛び込む形で、長い金髪が揺れるのがチラリと見えた。

 

 

「いた!!」

 

 

当麻が自律バスの陰から飛び出した所で、前兆を感知。

 

横一線に地面が大きく盛り上がり、高さ5mにも達する土の壁が津波のように雪崩れ込んでいく。

 

感知はした。

 

だが、まだまだ読みは粗く、読めても避ける事の出来ない攻撃もある。

 

土に壁は整備場の端から端まで伸びている。

 

バスの陰に隠れても押し潰されるだろうし、何より、天井を支える金属柱を壊されれば整備場を丸ごとプレスされる危険性もある。

 

 

「カミやん、頼む! ありゃエクトプラズムに似た暫定物質だ、カミやんの手なら問題なく吹っ飛ばせるぜい!!」

 

 

だが、当麻には詩歌にはない最強の盾――<幻想殺し>がある。

 

当麻は前に飛び出すと、あまりに巨大な相手に臆することなく、土砂崩れの根元まで突っ込むと、その右手を迷わず叩きこむ。

 

 

バギン!! という轟音。

 

 

ガラスが砕けるような音と共に高さ5mもの土に壁が粉々に砕け散る。

 

空気に溶けるように壁が消えた後には、何もない。

 

足元のアスファルトも元に戻っている。

 

当麻が突き出した右手を手前に引くより先に、土御門が彼の横を駆け抜け、大型洗車機の向こうへと消える。

 

当麻もその後を追って、遮蔽物の先へと一気に回り込む。

 

足が止まった。

 

オリアナの姿はない。

 

その代わりに“影”が立っていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

影……と、そう言うしかない。

 

闇よりも暗い黒の鎧で全身を覆い、長身で肩幅の広いそれは性別が男としか判らない。

 

面貌にしても兜に隠れていて見えないが、こうやって対峙しているだけで、凄まじい殺気を発散している事が分かる。

 

 

「おい、土御門! アレは一体何だ?」

 

 

人払いが終わり、異常を察知し追ってきたステイルは土御門に問う。

 

だが、プロの魔術師でありスパイの土御門であっても、この現状は理解できない。

 

彼が調べた限りで、この学園都市に侵入してきた魔術師は2人。

 

オリアナ=トムソンとリトヴィア=ロレンツェッティだけの筈だ。

 

いくら<大覇星祭>で警備が緩んでいるとはいえ、完全にこちらに気付かれる事なく、この街に侵入する事などできるはずがない。

 

だとするなら、アレは<大覇星祭>の前、少なくても夏休みが終わる前からこの学園都市に潜伏していたと言うのか!?

 

 

「分からん。だが、あれがこちらの敵だっつうことははっきりしてるにゃー」

 

 

サングラス越しから鋭い眼光が、その黒騎士を射抜く。

 

流線的なフォルムはどこか現代的な戦闘機に見られるような計算ずくな機能美があり、全身を包む鎧は多分、<騎士団>でもお馴染みの『施術鎧』だろう。

 

だが、真っ黒に染め上げられているため、騎士の誇りとする紋章などは鑑定する事はできない。

 

 

「………」

 

 

ゆるゆると。

 

ゆらゆらと。

 

影の魔力に揺れて、太陽の光ですらも受け付けず。

 

これでは騎士ではなく怨霊と言うべきではないだろうか?

 

身体に纏うは西洋鎧。

 

剛腕に携えるは、漆黒の槍。

 

 

「ッ!?」

 

 

当麻は感じた。

 

ステイルでも土御門でもなく、黒騎士の視線がこちらに向けられているのを。

 

 

「貴様は……あの時の……っ!」

 

 

強烈な念が当麻へ吹きつけられる。

 

それだけで、体中の肌が泡立った。

 

純粋に『上条当麻』個人に負の感情をぶつけてくる。

 

 

(何だ、コイツ、俺を知ってるのか?)

 

 

硬直した身体を、必死で動かそうと、神経を張り巡らせる。

 

が―――

 

 

「―――ガアアアアァァアアァッ!!」

 

 

―――遅かった。

 

 

原初の炎(T O F F)その意味は光(T M I L)―――」

 

 

ステイルが呪を紡ぎ、炎剣を生み出そうとするが、黒騎士はそれ以上の速さで3人の目の前に現れた。

 

 

(何っ!)

 

 

この重い金属を全身に付けて、この速度。

 

しかも、純粋に己の足だけで。

 

もしかすると、同僚の神裂火織――<聖人>に匹敵するかもしれない。

 

だが、<聖人>はありえない。

 

何せ今回、彼らが取り引きする物は聖人殺しの<刺突杭剣>。

 

そんな危険物の近くに態々、貴重な戦力を置く訳がない。

 

そもそも、もし<聖人>が潜伏しているのなら土御門の情報網に引っ掛からないはずがない。

 

となると、考えられるのは、

 

 

(身体強化かっ!)

 

 

昔、騎士の『施術鎧』には、魔力を通す事で装着者の運動性能を20倍にする機能もあった。

 

だが、あれは騎士自体の運動性能があまりに高すぎるため『霊装が生み出す効果以上の剛腕で暴れ回る』騎士達は、自分のパワーで、自滅する危険性が高く、今ではもう誰も使っていないはずだ。

 

しかし、この現状を見るにこれしか考えられない。

 

だとすると、コイツはまさに捨て身で―――

 

 

「逃が、さんッ!!」

 

 

3人が何か行動を起こす前に、闇を背景に、槍は黒く閃いた。

 

 

 

一息に、三回、三人に一突きずつ。

 

 

 

致命傷を避けただけでも、もはや奇跡と言ってよい。

 

当麻の右腕を血まみれに変える。

 

皮膚が裂け、筋肉が断裂し、骨の髄まで激痛が響いた。

 

煮えた鉛を流し込まれるような痛みだった。

 

 

「あ―――が――――あ―――っ」

 

 

最後に、槍は真一文字に振りかぶられた。

 

土御門は腹を突かれて、ステイルは脇を突かれており、咄嗟に防御姿勢を取る事ができない。

 

それほど黒騎士の動きが速いのだ。

 

虎が爪を振るうような、大振りの一撃。

 

このままだと3人まとめて薙ぎ払われる。

 

 

 

――――置いてかないで……お兄ちゃん。

 

 

 

その中で上条当麻だけが反応した。

 

 

「っざけんじゃねっ!!」

 

 

猛然と迫りくる漆黒の槍に対し、当麻は左手を差し出す。

 

普通ならその左手ごと吹っ飛ばされるのがオチだ。

 

だが、当麻の左手は、槍を受け止めた。

 

妹から貰ったお守り――<梅花空木>。

 

『兄妹愛』と『思い出』を意味する花の名を持つそれは、上条兄妹の絆の如く何者にも破壊する事は敵わない。

 

その最高のお守りを盾にし、そのまま軸をずらして槍を絶妙に受け流し、懐に潜り込む。

 

 

「大事な妹と<大覇星祭>を一緒に死ぬほど楽しむとか―――その幻想を全部ぶち殺してここ来てんだ! こんなトコで終われっかよ!!」

 

 

愚兄は迫る。

 

傷つき、血を噴いているのにも構わず、右の拳を全身全霊をもって振り上げる。

 

右腕から灼熱のような激痛。

 

そして、右手から衝撃が突き通り、

 

 

―――バキンッ!!

 

 

<幻想殺し>が黒騎士を覆っていた影を霧散させた。

 

鎧から元の銀光が甦り、ガクッ、と不意に全身にかかる重圧に黒騎士の身体が落ちる。

 

今、当麻が破壊したのは土御門が予測した身体強化の術式。

 

補助がなくなり、『施術鎧』はただの重りでしかなくなる。

 

そして、その隙を、

 

 

「―――優しき温もりを守り(P D A G G W A T)厳しき裁きを与える剣を(S T D A S J T M)!」

 

 

紅蓮の魔術師は見逃さない。

 

残された呪を紡ぎ終わると、その手に炎剣が生み出される。

 

これは全てを焼き、そして爆破させる剣。

 

ステイル=マグヌスは、まだ当麻が黒騎士と密着しているのにも関わらず、一切の躊躇いもなく、それを投擲した。

 

黒騎士の鎧に激突と同時に膨らみ、風船が破裂するように辺り一面へ炎を撒き散らした。

 

炎が酸素を吸い込む音が響き、摂氏3000度もの炎の地獄が渦を巻いて辺りを犯し尽くす。

 

 

「カミやん、大丈夫か?」

 

 

「ああ、助かったぜ、土御門」

 

 

一緒に巻き込まれたかと思われた当麻は間一髪の所で土御門に助けられていた。

 

それを見て、チッ、とステイルは舌打ちをするが、油断せずに爆破の中心を睨む。

 

 

ゴトッ。

 

 

施術鎧の断片か?

 

『Parsifal』と刻まれている金属片がステイルの足元まで飛んできた。

 

そして、爆炎が晴れると、そこにいたのは右腕を失くした男の姿があった。

 

外見はすらりとした体格を持つ20歳前後の青年で、肩まで伸ばした髪の色は白い。

 

そして、その鋭い目つき、灰色の瞳の色はありったけの憎悪で歪んでいる

 

ステイルの炎剣に対し、右手を盾にしたのだろうか、右肩から先は何もなく、右の脇腹からは内臓のいくつかがはみ出て、火傷からはジュージューと焼肉の様に煙を出している。

 

が、

 

 

「また…俺から…奪うのかっ!」

 

 

傷口の断面から黒い虫のような何かが這い出てくる。

 

明らかに致命傷であったのにも拘らず、数秒後には、巻き戻しのような速さでそれは腕となり、内蔵も引っ込み、細身ながらも鍛え上がった綺麗な身体がそこにあった。

 

そして、異様とも言える執念に3人は再び警戒を高めた……その時、

 

 

 

『『パルツィバル』。十分です。撤退しなさい』

 

 

 

黒騎士が持つ呪符から声が響く。

 

有無を言わさぬ、折り目正しい女性の声。

 

 

「……ッ」

 

 

黒騎士――『パルツィバル』は最後に当麻に対して一瞥し、槍を地面に叩きつけ砂塵を撒きあがらせると、それに隠れてこの場から立ち去った。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

(さてさて。上手く撒けたかしら……)

 

 

オリアナ=トムソンはちらちらと後ろを振り返りながら、表の道を歩いていた。

 

追手の姿が完全に見えなくなった時点で、彼女は走るのを止めていた。

 

相手がこちらを見失ったのなら、距離を離すよりも再発見されないようにするのが逃走戦での基本だ。

 

無闇やたらな全力疾走は、人混みの中ではとても目立ってしまう。

 

それでも、オリアナは白い布を巻いた看板を小脇に抱えながら、さらに後ろを確認する。

 

やはり、気になるのだ。

 

追跡者もそうだが、あの凶犬のような黒騎士が。

 

一度、ここに来た際、依頼主を介して、協力者である彼と対面したが、あれはもう壊れていた。

 

依頼主――リトヴィア=ロレンツェッティは、その性格面は置いておいて、能力面で非常に優秀な人材を発掘するのが得意だ。

 

だが、アレは幾らなんでも壊れ過ぎている。

 

何でも、この街に騎士としての全てを奪われ、『とある少女』に“死に場所でさえも奪われた”。

 

“死に場所を奪う”――つまり、命を救われた。

 

なのに、命の恩人としての感謝ではなく、騎士としての誇りを汚された、と彼はその少女を憎んでいる。

 

その憎悪が彼をあそこまで堕落させた。

 

復讐として、そして、“死に場所を与えてくれた”リトヴィアの恩に報いるため、この『計画』も参加している。

 

自分1人でも十分だと思うのだが、何でもこの学園都市に、『ローマ正教300人を手玉に取った兄妹』がいるらしく、その警戒として彼が護衛として付いているのだ。

 

対価としてあまり長時間の戦闘はできないのだそうが、その戦闘力は<聖人>級で頼りになる。

 

が、やはり、彼の言う騎士道と言うのは理解できない。

 

そして、その少女には同情する。

 

人の命を救うというのは人間としてとても高尚な行いに入るべきなのに、それが裏目に出てしまうなんて……

 

 

 

そう、例え彼女が望んでいなくても、心の底から本当に誰かの役に立ちたいと願っていても、それでも悲劇は起こる。

 

 

 

この世界には様々な人と思惑があり、それ故、個人の価値観の合間を零れ落ちるように、誰かのための行いは誰かを傷つけていく。

 

オリアナもそうだ。

 

予想もしなかった形で、想像も追い着かなかった姿で、オリアナもその手で守りたかった人々を地獄の底まで突き落としてしまう。

 

だから、基準点が欲しかった。

 

もう2度と迷わなくて済むような、絶対の基準点が欲しかった。

 

誰もが価値観の齟齬から生まれる悲劇に巻き込まれる心配のないような、そんな最高の必勝法に縛られた世界を創りたかった。

 

だから、オリアナ=トムソンはこの『計画』を絶対に成功させる。

 

 

(……一時的に撒いたとしても、それで終わりという訳ではないし。やはり次の手を打っておいた方が良いのかしらね、っと)

 

 

考え事をしていたオリアナは、ふと前方を歩いていた人とぶつかってしまった。

 

剥き出しのおへそに伝わる感触は、人肌ではなく、金属のものだ。

 

<大覇星祭>の運営委員が、2人の男子生徒が横に倒した玉入れに使うポール籠を運んでいた所へ、体を突っ込ませてしまったらしい。

 

 

「っとっと。あら、ごめんなさいね」

 

 

オリアナは軽く謝って、その場を立ち去った。

 

男子生徒はオリアナの胸元を見て僅かに固まると、ぎこちない言葉を返してきた。

 

若いわねぇ、と彼女はクスクスと笑いながら、

 

 

(そのための“仕込み”も頑張った訳だし、やっぱりもう少し、痛い目を見てもらおうかしら)

 

 

口の中だけで、小さく呟いた。

 

 

 

 

 

バスターミナル

 

 

 

あれから土御門とステイルは携帯電話を取り出して、どこかへ連絡した。

 

正体不明の黒騎士についてだ。

 

あの異常な再生能力もそうだが、学園都市と<必要悪の教会>の捜査網に全く引っ掛からなかった。

 

とりあえず、時は一刻も争うので、その調査は其々のサポート組に任せて、現場組は事件解決――運び屋、オリアナ=トムソンの捕獲を優先する。

 

詩歌が手渡した応急処置セットで怪我の治療をしている当麻の目の前で、土御門はある厚紙を取り出す。

 

 

「なあ。それって一体何なんだ?」

 

 

「あん? オリアナの使っている『霊装』ってヤツだにゃー」

 

 

土御門はイライラした声で言い、当麻に厚紙を見せた。

 

読みにくい筆記体で、『Soil Symbol』と青い文字で書かれている。

 

英語の成績の悪い当麻には何の意味か分からない。

 

 

「土の象徴、って意味ですたい。五大元素、RPGとかで聞き覚えがないかにゃー? 火とか水とか土とか風とかっていう、あれの事だ」

 

 

「……じゃ、これは『土のお札』って感じなのか? 良く分からんが」

 

 

「いや、“それだけじゃない”。土の属性色は『緑』だが、コイツは『青』で書かれてるだろ?」

 

 

土御門はくるくると回しながら、当麻に説明する。

 

『青』は水の属性色で、普通は土の魔術には使わない。

 

使うなら、相性の良い『緑』や『円盤(アイテム)』なんかの象徴を重ねる。

 

ステイルが赤色のカードを使って炎を操るように。

 

しかし、これは間違えたのではなく。

 

わざとずれた配色を意図的に組合わせる事で、その反発力を攻撃力に変換させる。

 

陰陽術の五行で言うなら、相克。

 

悪い相性は悪い効果を生む。

 

 

と、話しながら土御門はゴソゴソと何かを取り出し、<必要悪の教会>への連絡が終わったステイルに向かって、ヒラヒラと厚紙を振って言う。

 

 

「魔力の霊装(コール)は押さえた。オリアナが逃げながら遠隔操作で操ってたんなら、ケータイみたいに魔力の送受信が行われた可能性が高いぜい。コイツを使って逆探の術式を組みたいんだが、手伝ってくれるかにゃー?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

土御門元春は魔術を使えない体だ。

 

厳密に言えば、使うと暴走に巻き込まれる。

 

人間の体力はゲームのように数値化されていないため、何回耐えられるかは決まっておらず、4、5回保つ事があれば、1度で死ぬこともあるらしい。

 

まあ、あれから詩歌が<肉体再生>について手解きをしたらしく、最低でも2,3回は保つようになったらしい。

 

だが、それでも土御門は極力魔術を使わないようにしているらしい。

 

戦場で行動不能に陥れば、後に何が待っているかなんて決まっているからだ。

 

なので、『逆探の魔術』は土御門が使う訳ではない。

 

逆探知、といえば、詩歌の共鳴が思い浮かぶが、彼女はここにはいないし、呼ぶ訳にもいかない。

 

そして、当麻はその右手のせいで魔術は使えない。

 

だから、これを行うのは消去法でステイル=マグヌス。

 

彼の得意とするルーンは染色と脱色の魔術。

 

意味のある文字となるように刻んだ溝を、力で染色する事で術式を発動し、脱色する事で停止させる。

 

ステイルは、印刷と言う技術を使って、予め染色していたカードを使う為、術式速度が異常に速い。

 

そのカードも発動と同時に燃やされてしまう為、脱色の手間も省ける。

 

その分、術式のパターンは決まってしまうのだが。

 

しかし、下地となっている『染色と脱色』の法則さえ守れば、陰陽道にも対応が可能。

 

といっても、土御門がその厚紙から組み上げた術式(みぞ)に、その魔力を籠めて発動させるだけなのだが。

 

 

「術式の名前は<理派四陣>って言うんだにゃー。術式を右手で砕かれたら堪ったもんじゃないから、カミやんは離れてろ」

 

 

<理派四陣>。

 

折り紙を用いた探索術式。

 

陰陽道の1つで、半径3km内にいる相手の周囲を克明に描き出す事ができる。

 

土御門に言われて、ハッとしたように当麻は後ろへ下がり土御門もあれこれ地面に印をつけた後、当麻の横に並ぶように自分も身を退いた。

 

地面には直径50cmぐらいの円が、オリアナの厚紙を囲むように描かれている。

 

その360度の円を東西南北に4等分するように、90度の位置にそれぞれ青、白、赤、黒の新品の折り紙が配置してあった。

 

ステイルは、土御門の描いた円の手前で片膝をつき、両手を組む形で、祈るように目を閉じる。

 

彼の額に、ほんの一滴の汗が伝った。

 

 

「―――風を伝い(I I T I A W)しかし空気ではなく(H A I I C T)場に意思を伝える(T P I O A)

 

 

告げると同時に、4枚の折り紙が風もないのに動き始めた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

ビクン、とオリアナ=トムソンは顔を上げた。

 

白い布を巻いた看板状の物体を脇に挟み、唯一留めている第2ボタンにさらなる負荷を加えるように、大きな胸を少し反らして、頭上の空を見る。

 

青空に、ポンポンと花火の白い煙が浮かび、心地よい風と共にまだらな白い雲がゆったりと同じ方向で流れる。

 

何もかもが平穏な光景だ。

 

だが、オリアナの肌はピリピリとした緊張感を捉えていた。

 

まるで、小動物が空からハゲタカに狙いを定められた時のように。

 

オリアナ=トムソンは、自分の身に何が迫っているかを少し考え、

 

 

風を伝い(I I T I A W)しかし空気ではなく(H A I I C T)場に意思を伝える(T P I O A)――――お姉さんには筒抜けよん♪」

 

 

それから、ニヤリと笑った。

 

 

 

 

バスターミナル

 

 

 

4枚の折り紙が、オリアナの残した厚紙に接触し、パン!! と乾いた音と共に色紙は弾け、そこからオリアナ=トムソンの周囲の地図を地面に描きだした。

 

<理派四陣>の成功だ。

 

これで、後は土御門が、御使堕し事件の際、上条家を吹き飛ばした遠距離砲撃術式――<赤の式>でオリアナごと<刺突杭剣>を破壊できれば、取り引きは失敗、戦争は阻止できる。

 

後は、リトヴィアともう1人の取り引き相手、そして、あの黒騎士を取り押さえる事が出来れば、事件は解決。

 

 

 

――――のはずだったのだが、

 

 

 

「ごっ、がァああああああああああああああ――――ッ!?」

 

 

 

いきなり、ステイルがボディブローでも浴びたように体をくの字に曲げ、バギン!! という物音と共に、地面に描かれつつあった地図――<理派四陣>が全て四方八方へ散った。

 

まるで砂で描いた絵画をくしゃみで吹き飛ばしたように。

 

 

―――べきべきごきごき。

 

 

何かを砕くような音が響く

 

当麻は、一瞬、息を呑む。

 

まさか、これはステイルの骨の―――

 

 

「魔力の暴走で空間がたわんだ音―――単なるラップ音だ! カミやん、ステイルの体を殴れ! 多分それで止まると思う!!」

 

 

土御門の言葉に、当麻はハッとする。

 

一番怖いのは『何が起きているのかが分からない』事だ。

 

当麻はステイルの懐に飛び込むと、体をくの字に曲げている彼の背中を慌てて叩く。

 

早さ優先で、力の調節など考えている余裕もなかった。

 

 

バシュッ、と空気が抜けるような音が響く。

 

 

ステイルは脱力したように、地面に倒れ込んだ。

 

一応、異常は収まったらしく、変な音も聞こえない。

 

ステイルはしばらく荒い呼吸を繰り返し、落ち着くと、汗でびっしょりに濡れた長い髪を手でかき上げると、

 

 

「なん、だ。今のは……逆探知の防止術式の一種、みたいなものか……?」

 

 

だが、折り紙の1枚を手に取り、指で挟んだり、這わせたりしていくつか折り目を付けていた土御門が、

 

 

「だったら、<理派四陣>の魔法陣たるこっちにも影響がありそうだが……そんな痕跡はないぜい」

 

 

術式発動に必要だったのは、(じゅつしき)(まりょく)

 

だとするなら、消去法で、

 

 

「おそらく、ステイルの魔力が読まれてる。その上で、ステイル個人の魔力に反応して作動するような迎撃術式が組まれてんだろうさ。オリアナの野郎、突然反撃に移ったと思ったら、狙いはこれだったって訳だ。俺達に魔術を使わせて、魔力を読み取り、それを送信する為の魔法陣でも仕掛けやがったに違いにゃー」

 

 

当麻は折り紙を丹念に調べ続ける土御門の言葉に首を捻りつつ、ステイルに手を差し伸べる。

 

が、ステイルは鬱陶しそうにその手を払いのけると、己の足で立ち上がる。

 

口の中の唾を地面に吐き出し、

 

 

「僕の魔力を個人識別して封じにかかる迎撃術式か。まったく、厄介なものを組まれたものだね」

 

 

「……何だそりゃ? ようはステイル個人をピンポイント攻撃できるって事なのか?」

 

 

半分も理解できていない当麻は首を傾げる。

 

それを見て、土御門は溜息をついて、

 

 

「確かに魔力ってのは、術者の練り方次第によって質と量は変わるモンだ。……けど、それだけで完璧な迎撃条件を整えられるとは思えないんだけどにゃー」

 

 

土御門は説明しながら短パンのポケットから筆ペンのようなものを取り出す。

 

とりあえず、当麻は土御門の説明を聞きながら話をまとめる。

 

魔力と言うのは生命力と言う原油、流派や宗派と言う製油所を使って精製したガソリンのようなもの。

 

そして、例えとして、ルーン使いのステイルが、アステカの流派に従って魔力を練れば、その性質は大きく変わる。

 

同じ原油を使って、ガソリンではなく軽油や重油を精製するようなものだ。

 

天草式は、十字教の他に仏教や神道という宗派も修めており、状況に合わせて、製油所を使い分け、魔力の質と術式を自在に使い分けている。

 

なので、オリアナはステイル個人を迎撃するには、陰陽道と言う製油所で作られたのだけでなく、彼が作りだすであろう全てを把握してなければ、安心する事は出来ない。

 

何せ使おうと思えば、天草式のように魔術師は複数の製油所を扱えるのだ。

 

オリアナはまだ直接戦闘した訳ではなく、ステイルの力量を把握し切っているとは思えないので、その製油所さえ取り押さえておけば、探索術式は使えないと考えるはずはない。

 

 

「あの、じゃあオリアナは何をどうしてるんだよ?」

 

 

「そうだな……、多分、こういう事だと、思う」

 

 

ステイルは、ふらふらとした調子で、

 

 

「魔力そのものは、複数のパターンが存在する。しかし、“その前段階なら違う”」

 

 

魔力は、宗派や術式、個人の生命力によって、精製方法は異なる。

 

つまり、

 

 

『宗派や流派』×『個人の生命力』=『魔力』

 

 

だから、逆算すれば、

 

 

『魔力』÷『宗派や流派』=『個人の生命力』

 

 

元となる『生命力』を特定できる。

 

『魔力』に個性はないが、『生命力』には個性がある。

 

それをオリアナは読んだのだ。

 

先程の戦闘、ステイルは人払いと、黒騎士に対して炎剣と魔術を使っている。

 

そこから、

 

 

『炎剣や人払いの魔力』÷『ルーン』=『ステイル個人の生命力』

 

 

と、オリアナは、ステイル=マグヌスの生命力を探知・解析し、<理派四陣>を逆算、そして、応用を利かせて迎撃。

 

通常、処刑(ロンドン)塔やウィンザー城地下などの魔術師を収容する為の大規模拘束施設を利用しなければできない事なのだが、オリアナはそれを生身1つでやってのけたのだ。

 

流石は、<追跡封じ(ルートデイスターブ)>。

 

 

「じゃあ、オリアナのヤツ、逃げながらステイルの魔力だの生命力だのってヤツを解析してたって事なのか?」

 

 

上条詩歌の<幻想投影>の解析・投影・共鳴と同じような事をオリアナが出来るのだとするなら、彼女は妹にも匹敵する天才なのか?

 

と、当麻は思ったのだが、ステイルは煙草をふかしながら、

 

 

「そんな馬鹿げた事が素でできるのは、君の妹だけだ」

 

 

賢妹と違い理解力の悪い愚兄に苛立つが、今、土御門はこの現状を打破する為の作業に没頭しているため、ステイルが当麻の疑問に答える。

 

 

「オリアナの迎撃術式……つまり処刑(ロンドン)塔施術クラスの魔術となると、魔法陣、いや、それ以上の施設の設営が必須だろう。オリアナは術式だけでなく、設備丸ごと作り上げたって訳だ。超高速のコンピューターを1台用意して、そちらに解析を任せているような状態なんだろうね。それならオリアナは逃げる事だけに集中できる。しかし……」

 

 

そこで、ステイルは言い淀む。

 

彼が知る限り、この『自動処理』が可能な物に1つ心当たりがあるのだが、それでもアレを所持しているとは思えないし、アレの毒に迂闊に触れれば、それだけで自滅だ。

 

と、そこで土御門が折り紙と筆ペンを動かす手を止めて、にやりと笑う。

 

 

「いや、ステイル。俺も同じ事を思ってたトコだぜい」

 

 

「本気かい? ……確かに、アレなら逃げるオリアナが別に設置しておいても自動的に作動するのは理屈が通る。だがそうなると、ヤツは魔術師ではなく魔導師と言う事になるぞ」

 

 

「はてさて、ホントにそうかにゃー? 俺はどうもオリアナには不安定な部分があるように思える。マジで魔導師として完成してるとすりゃ、アイツにレクチャーされた魔術師が部下としてついている筈だ。どっちかってーとそれはリトヴィアの役割だと思うけどにゃー」

 

 

土御門は話をしながら、自分の折り紙に筆ペンで印をつけていく。

 

印の上に別の印を重ねていくような感じだ。

 

 

「??? アレって?」

 

 

素人の当麻は、プロの魔術師の会話に全くついていけない。

 

そんな当麻の顔を見て、土御門は小さく笑った。

 

 

「そっかそっか。カミやんは、実物を見た事はないだろうにゃー。けど、知識としては分かっている筈だぜい。魔術に関する知識を詰め込まれ、それ自体が術者の意思によらず1つの魔法陣として起動するもの。術者が魔力を与えずとも、地脈や龍脈から漏れるほんの僅かな『力』を増幅させてほぼ半永久的に活動し続けるものだよ」

 

 

土御門は笑みを深くする。

 

青いサングラスのレンズが、ギラギラと光を跳ね返す。

 

 

「まだ分かんないか。カミやんや詩歌ちゃんほどアレの近くにいる人間はいないと思うけどにゃー。何せお前の隣には、アレを10万3000種類も記憶している<禁書目録>がいるんだぜい?」

 

 

そこまで言われてようやく気付く。

 

土御門の台詞全体の意味は分からなくても、その言葉が何を指しているかは分かる。

 

 

「ま、さか」

 

 

<禁書目録>――インデックスが、その完全記憶能力で10万3000種類も記憶しているモノと言えば……

 

 

「そうだよカミやん」

 

 

思わず呟いた当麻に対して、土御門は手の中の折り紙を軽く振ると、軽い調子で、

 

 

 

「魔導書の<原典>だ」

 

 

 

魔導書。

 

魔術を記し、その文章・文節・文字が1つの魔法陣と化した本。

 

特に、<原典>になると、それ自体が強力な魔力を秘めており、使い方を間違えれば、読んだ者を狂死させるほどの悪影響を持つ危険な書物である。

 

かつて、<禁書目録>――インデックスの脳内に収められている<原典>を読み取ろうとした闇咲逢魔というプロの魔術師がいたが、彼でさえも、一文を記憶していくだけでも死にかけた。

 

だが、その性能は、処刑塔級の大型施設と同等以上である。

 

 

「じゃあ何か。オリアナのヤツは<大覇星祭>に合わせて、自動制御の迎撃術式を組み込むためだけに、わざわざ魔導書の<原典>を1冊用意したって訳か?」

 

 

ゾッとする話だった。

 

<法の書>という1冊の魔導書を巡って、イギリス清教、ローマ正教、天草式十字凄教が戦争を起こした事があった。

 

無論、魔導書にも価値やランクの違いがあるのだろうが、ただ妨害するためだけに<原典>を用意するなんて、どう考えても普通のセンスではない。

 

スケールが大きいというより、大き過ぎて無駄遣いしているようにすら感じられる。

 

が、当麻の意見にステイルは同意しなかった。

 

 

「……そんな事が、本当にできるものなのか? 錬金術師アウレオルス=イザードも魔導書の著者として知られているが、<隠秘記録官(カンセラリウス)>の中でも最速筆で知られたヤツが不眠不休で取り掛かったとしても、1冊書くのに薄くて3日、分厚い物なら1ヶ月は必要としていたんだ。僕にはどうしても、逃亡しながら魔導書の<原典>を編むなんてできるとは思えない。それとも事前に<原典>を用意しておいたのか……」

 

 

「いいや。確かに一冊の本を丸々作るとなれば、それぐらいの時間は必要だろうにゃー。でも、オリアナの目的はそうじゃないだろ」

 

 

魔導書の<原典>が『力』とする地脈などを扱う陰陽道を極めた土御門はその正体に大凡の目星はもう付けていた。

 

 

「アイツにとって重要なのは、魔法陣化した魔導書の効果だけだぜい。本の体裁なんざ気にしちゃいない。他人が読めるかなどうかも分からない、走り書きのメモみたいな感じじゃねーのかにゃー?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

速記原典(ショートハンド)>。

 

本ではなくただの走り書きの単語帳で、魔道書の持つ魔法陣としての側面に特化したもの。

 

白紙の単語帳に『五大元素』の『文字』と『色』を記す事によって即席の<原典>を生み出し、様々な魔術効果を発動させる。

 

魔導書としてハンパな代物であり、知識を伝える機能を持たないため精神汚染はなく、安定性もないため短時間で勝手に崩壊してしまう。

 

つまり、ステイルがルーンのカードを用意しているように、オリアナは使い捨ての魔導書――<速記原典>を状況に合わせて創りだす。

 

そう、オリアナ=トムソンは<原典>と魔術師の混合術式を扱う運び屋。

 

<速記原典>は出来そこないであるものの<原典>であるため、ステイルが魔術を使えるようにするには、その彼の生命力だけに対象を絞った自動迎撃術式を破壊しなければならない。

 

 

「<速記原典>を潰すのは良いが、それをやっている間にオリアナが<理派四陣>の探索範囲外へ逃げる可能性は?」

 

 

「ある。が、速攻で逃げ切る自信があるなら、わざわざ迎撃術式なんて組まないかと思わないかにゃー? あれだって、用意するのは手間がかかるだろう。ただでさえ切羽詰まった中で、わざわざ仕事量を増やす真似なんて、普通はしないぜい」

 

 

煙草を吐きながら、ステイルは納得したように腕を組む。

 

で、根本的な目的はそれで良いのだろうが、

 

 

「なぁ、その<速記原典>ってのは、結局どこにあるんだ?」

 

 

どこにあるのかは分からない。

 

おそらく、オリアナはステイルの生命力を探る為の<速記原典>をこの整備場に罠として仕掛けたはずだから、迎撃術式の方も同様に持ち歩いているのではなく、どこかへ設置している。

 

だが、オリアナがどこを通って逃げているかも分からなければ、当然、どこに迎撃の魔導書を仕掛けているのも分からない。

 

 

「それをこれから調べるんだにゃー」

 

 

だから、土御門は先程からそれを調べる為の準備をしていた。

 

そうして、全ての準備を終えた彼は、本当に小さく、一度だけ息を吐いて呼吸を整える。

 

今まで動かしていた赤い筆ペンをポケットに戻し、べったりと染まった折り紙だけを大切そうに両手で抱える。

 

そして―――言った。

 

 

 

 

 

「ステイル。何でも良いから魔術を使え。どこから妨害がやってくるか知りたい」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

オリアナはステイルの生命力を読み取った後に、迎撃用の<速記原典>を発動させている。

 

でも、その迎撃術式にも魔力は使われている。

 

その魔力の方向と距離を確かめるために<占術円陣>を使う。

 

これは、魔力に反応するリトマス紙のようなもので、ステイルの周りに設置する事で、彼を対象とした迎撃術式を捉えようと言うのが土御門の対抗法……だが、

 

 

「土御門! 迎撃に入るって、具体的に何が起こるか分かってんのか!? そんなの実行すれば、もう1度ステイルが倒れる羽目になるんだぞ!!」

 

 

当麻は慌てて土御門の肩を揺さぶる。

 

が、

 

 

「もう1度?」

 

 

土御門は不思議そうに眉を顰め、

 

 

「誰がそんな事を言った。“1度で済む筈がないだろう?” ステイルはここでリタイヤする訳じゃないぜい。最低でも、迎撃術式を破壊した後にもう1回、オリアナを捜すための<理派四陣>を使ってもらう。それ以前に、1度の<占術円陣>で迎撃術式の場所が掴めなければ、“何度でも試してもらうしかない”」

 

 

土御門の、まるで説明書を読みあげるような感情のない声に、当麻の表情が変わる。

 

 

「……、テメェ。本気で言ってんのか?」

 

 

対して、土御門も正面から向き合うように、

 

 

「カミやん。忘れているようなら1つだけ教えておく。オリアナ=トムソンが目の前にいなくても、刃や銃弾が交錯してなくても、これはやっぱり命懸けの戦いだ。それも結果によっては国や世界が傾くほどの、な」

 

 

「でも……ッ!!」

 

 

当麻は靴底で地面を蹴る。

 

今まで当麻は、自分のために誰かを犠牲にすることは忌避してきた。

 

どんな時も誰も犠牲にならない道を皆と……妹と探してきた。

 

だから―――

 

 

「ステイルが1回傷つく代わりに、絶対勝利が掴めるってんならまだ分かる。でも、なんでそこを確約しねーんだよ!? それって、コイツがどれだけダメージを負っても、何の効果も上がらない可能性だってあるって事だろ! しかも、仮に迎撃術式の発見と破壊が出来たとして、そのままボロボロになったステイルを引き連れて戦うって言うのか、ふざけんな!! そんなもん納得できる訳ねぇだろ!!」

 

 

―――誰も、ステイルに犠牲を強いる事のない道もある筈だ。

 

 

今までもそうだったんだ。

 

だから、今回もきっと――――

 

 

 

「なら、カミやん。詩歌ちゃんを現場に呼べ。彼女なら、オリアナを捜す事ができる。カミやんの望む通り、誰も傷つく事なくな」

 

 

 

「なっ――――」

 

 

その冷たい言葉は当麻の胸を抉った。

 

 

「もう1度言う。これは命懸けの戦いだ。同情なんて、いらないもんはとっとと捨てろ」

 

 

当麻は、何も言えない。

 

土御門は、傷を負いながら戦うのが嫌だから代わりにステイルに魔術を使ってもらっている。

 

だが、当麻も、詩歌に中学最後の<大覇星祭>を楽しんでもらいたいから、ここに呼んでいないのだ。

 

詩歌からは『何かあったらすぐに呼んでください。携帯は競技中も持ち歩く事にしますので』と言われている。

 

これ以上、自分のつまらない私情で誰かが犠牲になるなら―――

 

当麻は携帯電話を取り出す―――が、それを開ける事ができない。

 

 

(くそっ……っ!)

 

 

携帯電話を握り締めたままどうする事もできない。

 

誰もが笑顔で終わるようにするには、詩歌を呼ぶのがベストの選択肢だ。

 

だが、当麻はその選択肢を取る事ができない。

 

今、ここで誰よりもステイル=マグヌスに犠牲を強いているのは上条当麻だ。

 

だというのに、

 

 

「分かったよ。それで行こう」

 

 

誰がどう考えても理不尽な提案に、ステイルは答えた。

 

 

「待ってくれ、あと少しだけ時間を―――」

 

 

「必要ない。言っただろ。人手は足りている、と」

 

 

魔術師、ステイル=マグヌスは当麻に背を向けて、懐からルーンのカードを取り出す。

 

 

「だって、お前……ッ!!」

 

 

「気持ち悪いから慣れ合うなよ上条当麻。それで全部終わらせられるなら問題はない」

 

 

言って、彼は土御門を睨みつける。

 

 

「代わりに、何があっても迎撃術式の居場所を突き止めろ。そしてこの問題は、僕達だけできちんと片づける。これ以上大きな問題には、絶対に発展させない。分かったか?」

 

 

睨まれた土御門は視線を外す事なく、

 

 

「オーケー。これ以上問題をこじらせる事で、インデックスに強制帰還命令が下るような結果にはさせないぜい。『彼女の学園都市での生活は確実に守る』。それがお前の条件だったな?」

 

 

当麻は絶句する。

 

ステイルは、己がどんなに傷つこうが、とある少女の幸福しか考えていない。

 

そして、その少女はここでの幸福な世界でとても楽しそうに暮らしている。

 

その事は彼女から送られてくる報告メールで知っている。

 

それに添付された彼女達の心底幸せそうな笑みを見れば、もうそれで十分。

 

だから、ステイル=マグヌスは土御門元春の描いた朱色の円の中へ、迷わず踏み込んだ。

 

 

「僕は、君のその中途半端な覚悟が許せない」

 

 

気に喰わない。

 

何故、そんな顔をする。

 

大切なものを守るために、誰も犠牲にしたくないなんて、そんな愚かしい覚悟で誰も守れるはずがないだろう。

 

だから、そんな顔は絶対にするな。

 

 

 

「上条当麻。……君の覚悟はその程度だったのか?」

 

 

 

直後、ルーンの炎が炸裂し、同時に迎撃のための術式が発動した。

 

絶叫が響き、誰かの倒れる音が聞こえる。

 

それが、ステイル=マグヌスと言う1人の人間の生き方だった

 

 

 

つづく


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