とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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第1.5章 外伝
閑話 初めての喧嘩


閑話 初めての喧嘩

 

 

 

鬼塚組本家

 

 

鬼塚組。

 

正統派極道との誉れも高いその集団は、目先の利益ばかりを求める凡百の暴力団とは色を異にし、古き良き伝統と仁義に重きをおいて――一般大衆からも慕われていた。

 

その体勢を時代遅れと揶揄する声も多いが、面と向かって意見できる者はいない。

 

何故なら、彼の集団の上に立つ者は、本流の<鬼塚>、全てを射抜く『真眼』を持ち、一度敵に回せば、情け容赦なく全て滅ぼす最凶の鬼だからだ。

 

昔、東京に学園都市を計画した際、関東全域を支配下においていた鬼塚組は科学サイドの人間と抗争を起こした事もある。

 

と言っても、それは昔の話で、現当代、鬼塚鳳仙(ほうせん)の代からは、友好、とまでは言わないものの受け入れつつあると言っても良い。

 

鳳仙は、遊び人ではあるが、当主継承に必須の<鷹の目>は歴代最高の眼力を誇り、その実力は1対1の喧嘩は今まで一度も負けた事がなく、それにこれから先を見通せる先見の明もあった。

 

そんな彼だからこそ、長年続いた学園都市との抗争を止める事ができたのだろう。

 

その娘、鬼塚陽菜。

 

その名は、母が将来は女の子らしく『絶対佳人』となるようにと、夫が病室に持ってきた虞美人草――雛罌粟(ひなげし)からとったものだ(実は、送られた花は雛罌粟ではなく、鬼罌粟で、母の願いも空しく、『絶対佳人』ではなく、むしろ『国士無双』な娘となってしまったが)。

 

鳳仙は、娘である陽菜を、組を巻き込んで可愛がり、その結果が、今の陽菜を形成していると言っても良い。

 

そして、陽菜とは別にもう1人、鳳仙には娘と呼べる子がいた。

 

その子の名は、紫苑。

 

鳳仙がある事件によって亡くなった実弟から引き取った子である。

 

彼女の母は、彼女を産んですぐに息を引き取り、父も亡くなってしまった。

 

しかも、紫苑はまだ一歳にも達していない。

 

だから、鳳仙は弟の娘、紫苑を引き取り、実の娘として育てる事にした。

 

組にいる者は全員が大人で、幼い頃から当主となるべく英才教育を受けてきた陽菜にとって、紫苑は初めて自分と付き合う事になる年下の子だった。

 

……のだが、

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

炎だ。

 

紅蓮の灼熱に、何もかも押し潰されていた。

 

今まで自分が過ごしてきた家が、庭が、そう全てが、思い出と共に、幸せと共に、無残に焼き払われた。

 

陽菜の実家、鬼塚組本家が炎上していた。

 

大火事である、それも人為的な。

 

現当主、鬼塚鳳仙が所用で留守にしていたが、彼がいない時は親友で鬼塚組の懐刀、東条英虎が屋敷の守護者だった。

 

彼は裏社会では『虎』と恐れられる実力者。

 

 

「……おじょ…う…はや…く…逃…げ……」

 

 

だが、そんな彼が全身から血を噴き出し、片目がぐちゃぐちゃに潰れていた。

 

災害が起きた訳ではない、敵対する組織が襲ってきた訳でもない、たった1人の化物のような男によって、この地獄が作り上げられたのだ。

 

幼い陽菜は、この現状が、父を除けば最強だと信じていた男がなすすべなくやられたこの現状が理解できず、まだ赤ん坊である紫苑を抱きながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 

 

「さァて、オニが居ぬ間にお仕事お仕事」

 

 

周りの景色、刃向かった相手すらも目にも入らず、こちらに作り物めいた笑顔を向けてくる。

 

今、ここは地獄だが、その男の周囲はそれ以上に地獄絵図だった。

 

何十本という節足を持って這いずりまわるもの、蛇のようにうねるもの、複眼をもつもの。

 

動物や昆虫の特徴を持った異形の化物共が、闇の底からあぶくように男の足元から浮かび上がって際限なく現実化していく。

 

あれは一体何なのだ。

 

東条が瀕死の身体に鞭打って、四肢に喰い付かれながらもそれらと対峙しているが、その男を食い止める事は出来ない。

 

男はそのまま陽菜の前に立ち止まり、

 

 

「フム、依頼主はオニの子1人、御所望でシタっけ? えーと、<素養格付(パラメーターリスト)>では両方とも『素養』は同じでしょうシ。なら若い方が―――」

 

 

と、陽菜の腕の中にいる紫苑へ手を伸ばす。

 

陽菜はまだ小学生にもなっていないが、そこらへんの高校生なら倒せる自信がある。

 

でも、あの男は“死なない”。

 

そんな事は、東条との戦闘を見れば分かる。

 

東条が何度、頭や心臓、急所を斬ろうが、抉ろうが、撃とうが死なない。

 

自分には無理だ。

 

それに、紫苑が来てから、父は構ってくれなくなったし、母は今度こそ女の子らしく育てようと張り切っている。

 

そう、自分の居場所が奪われているのだ。

 

でも……でも、それでも、家族なのだ。

 

 

「うわああああっ!!」

 

 

陽菜は雄叫びをあげながら男に飛び掛かる。

 

紫苑を護りたい。

 

陽菜にとったら紫苑は従妹で、初めてできた自分より弱い者。

 

父、鳳仙のように、弱者を守れる任侠者になるため、陽菜は立ち向かう。

 

何の罪のない家族を、妹を―――

 

 

 

 

 

―――残念ですケド、世の中は弱肉強食。そんなに甘かねーデスヨ。

 

 

 

 

 

常盤台女子寮 詩歌と陽菜の部屋

 

 

 

「チッ、最悪な目覚めだよ」

 

 

ハッと陽菜は目が覚める。

 

最悪だ。

 

最悪な目覚めだ。

 

あれは学園都市に来る前の出来事。

 

いきなり本家にグレーのスーツの男が押し入ったかと思うと大砲のような拳銃と異形の怪物を従えて、全てを焼いた。

 

その時の生き残りは鬼塚陽菜と、片目を失う事になったが奇跡的に助かった東条英虎……そして、男に攫われた鬼塚紫苑。

 

あれから鬼塚鳳仙が組をあげて犯人及び紫苑を捜索したものの何も分からない。

 

名前も年齢も国籍も性別と顔以外何もかも不明の襲撃者。

 

関東、いや、日本最強の暴力団に喧嘩を売っておきながら写真一枚すらない人物。

 

唯一、残された手掛かりは陽菜の脳裏に刻み込まれた悪夢(きおく)だけ……

 

陽菜はその後すぐに学園都市へ行くことを決めた。

 

本来は実家に近い学校へ通う事になっていたが、大切なものを奪われたという悪夢を思い出してしまうので陽菜は実家から離れたかった。

 

それに……あの時、自分はどうしようもないほど無力感を思い知った。

 

幼い頃に武術の修練を積み、喧嘩も強かろうが所詮、その程度。

 

怪物には決して勝てないのだ。

 

だが、世の中の真理を知った。

 

弱肉強食。

 

だから、超能力と言う化物の力を求めた。

 

何時かあの男を喰ってやるために……

 

 

(ま、それで手に入れたのが<発火操作>。悪夢と同じ光景を見せる力なんて何ともまあ皮肉だねぇ……)

 

 

それでも、手に入れた力だった。

 

ここに来て得られた怪物に打ち勝つための力……だが、Level0(役立たず)

 

でも、諦めず努力した。

 

必死に鍛え、勉強もし、何度も練習した。

 

だが、それでも想像通りにはいかなかった。

 

……どんなに努力しようが自分は結局無力なままなのか……

 

そう絶望したときに出会ったのが、

 

 

「陽菜さん、おはようございます。今日も良い天気ですね」

 

 

上条詩歌だった。

 

 

 

 

 

とある小学校

 

 

 

「鬼塚さん、おはようございます。今日も良い天気ですね」

 

 

ふと、背後から声が掛かった。

 

誰のものであるかは振り返るまでもなく分かる。

 

満員のアリーナコンサートの中で聞いても判別できたであろう、持って生まれた明るさを帯びた声だ。

 

 

「チッ」

 

 

振り向かず舌打ちで返す。

 

彼女は自分のルームメイト。

 

自分と同じLevel0であるものの非凡な才能の持ち主である。

 

テストでは常に満点に近い数字を叩き出し、真綿に水を吸い込むように次々と新しい事を学習し、自分のものにしていく。

 

運動も得意で、喧嘩はあまりした事がないとか言っているがセンスがあり、おそらくそこそこできる。

 

さらには、一学年上に兄がいるらしいのだが彼の日常の衣食住を全部世話できるほどの家事能力も備えている。

 

そして、

 

 

「おはよー、詩歌」

 

「詩歌ちゃん、おはよう」

 

「し、詩歌! きょ、今日も良い天気だな」

 

 

「はい、皆さん。おはようございます」

 

 

自分を除き、誰からも愛されていた。

 

彼女は自分を除いて誰にも好かれるような魅力溢れる女の子。

 

吸い込まれそうなほど黒く、枝毛のひとつもない真っ直ぐ伸びた、艶やかな髪。

 

穏やかで優しそうな眼差し。

 

白磁の頬に差す僅かな赤みは、雪原に桜の花びらが散っているよう。

 

そして、クラスの男子どもを一目で恋に落した天使の微笑み。

 

これはきっと彼女の内側から湧き出る温かさがあるからできる。

 

たぶん……この学校で詩歌が嫌いなのはきっと自分だけだろう。

 

認めてないという訳ではない。

 

彼女は自分の才に溺れず、常に努力を重ねている。

 

その事はルームメイトであるので良く知っている。

 

だが、気に喰わない。

 

僻んでいるだけなのかもしれないが、それだけではない。

 

 

「あ、当麻さん!」

 

 

遠くにいる兄の姿を見つけて一目散に駆け寄る。

 

彼にしか向けないような満面の笑みで……

 

私はそれが気に喰わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ」

 

 

「ふぇ!?」

 

 

彼女は驚いた顔している。

 

それもそうだろう。

 

私達はルームメイトだというのに必要以上の会話は行わず、特に私からは接触も避けていたのだから…

 

 

「え、……と、鬼塚さんで? 何の用ですか?」

 

 

何故か、ちょっとだけ嬉しそうに首を傾げる。

 

私から声をかけたのが初めてだからだろうか?

 

 

「ちょっと、付き合ってよ」

 

 

 

 

 

河川敷

 

 

 

放課後、人気のない河川敷の広場へ2人の少女が対峙する。

 

 

「鬼塚さん、今日、これから用事があるので―――」

 

 

「ああ、知ってるよ。兄と買い物に行くんだろ? 知ってたから、ここへ呼んだんだ」

 

 

むぅ、と詩歌が眉を顰める。

 

それもそうだろう。

 

普段、仲の良くない子からいきなり呼び出され、それが大事な用を邪魔すると知っておきながら呼んだのだ。

 

嫌がらせだと思われても仕方がない。

 

 

「そうですか。なら、私、帰らせてもらいます。特に用事もないようですしね」

 

と、彼女はどこか裏切られたように笑みに一瞬翳りを見せ、そのまま私の前から立ち去ろうとする。

 

 

「―――いや、ある。上条に1つ聞いてみたい事があるんだ」

 

 

「聞きたい事、ですか? 勉強や能力の事じゃありませんよね?」

 

 

陽菜の呼び止めに詩歌は足を止め、再び陽菜と対峙する。

 

 

「なあ、上条―――」

 

 

陽菜は余計な前置きを置かず単刀直入に、

 

 

「―――お前って、兄の事が好きなのか?」

 

 

詩歌は両目を大きく開ける。

 

 

「……、」

 

 

誤魔化しや虚偽は一切許さない陽菜の視線が詩歌を射抜く。

 

大の大人でさえすぐに目を背ける眼光で、怯んだものの詩歌はそれを真っ向から受け止める。

 

数秒、睨み合った後、やがて、

 

 

「はい。私は当麻さんの事が好きです。誰よりも愛してます。当麻さんが傍にいてくれれば、当麻さんと一緒に暮らせれば、当麻さんと……結婚できるのなら、私は万の努力も惜しみません」

 

 

と、彼女は堂々とそう言った。

 

やはり、と陽菜は納得する。

 

そして、躊躇わず、

 

 

「間違ってる。上条、アンタのそれは間違ってる。血の繋がった兄と結婚なんて絶対に認められっこない!」

 

 

「む、常識なんて知った事ではないです。愛さえあれば良いんです。国の法律なんて、いつか私が変えてみせます!」

 

 

「は、そんなの絶対にできっこない。無理無理無理無理。血の繋がった兄妹との結婚は法律だけじゃなく、生物的に、倫理的にも許されざる、最低最悪の行為だ!」

 

 

「う……そんなの分かってます。でも私はお兄ちゃんが好きなんです!!」

 

 

陽菜の否定の言葉に詩歌の殻に徐々に罅が入っていく。

 

 

「好きだからって、そんなのは関係ない。それにどーせ―――」

 

 

そして、陽菜は、

 

 

「―――勘違いに決まってる」

 

 

乱暴にその殻をひっぺ剥がした。

 

 

「勘、違い……?」

 

 

ポツリと力なく口から声が漏れでる。

 

笑みが消え、目から焦点が消える。

 

まるで電池が抜き取られてしまった玩具のように。

 

 

「ああそうさ! 勘違い! 上条は家族への好意を勘違いしてんだよ! 自分で自分の想いに勘違いしてんだよ! ほら、『将来はお父さんのお嫁さんになる』とかのと全く同じ。だから、アンタの想いは真っ赤な嘘、贋物、紛い物、幻想みたいに消えてしまうような―――」

 

 

その発言は、

 

 

「―――違うッッ!!!」

 

 

彼女の逆鱗に触れた。

 

 

「違う! 違う! 違う! 違うッ!! この想いは幻想なんかじゃないッ!! 紛れもなく本物だッ!! 絶対に誰にも否定なんかさせないッ!」

 

 

広場を震わせるような質を持った大音量。

 

初めて見るルームメイトの怒り。

 

その憤怒の籠った視線に今度は逆に陽菜が圧倒される。

 

 

「訂正しろ! 勘違いっつったのを今すぐ訂正しろ! じゃないと、アンタをぶち殺す!」

 

 

外敵から雛を守るように、詩歌は今溢れだしているこの想いを陽菜から守る。

 

弱弱しくも大切な大切な想いを……

 

 

 

『残念ですケド、世の中は弱肉強食。そんなに甘かねーデスヨ』

 

 

 

その時、陽菜の心の瘡蓋に亀裂が走って、中に隠れていた生々しい何かが動いた。

 

 

「やだね。私は訂正しない。上条は狂っている。狂って狂って狂いまくって勘違いしている。それにさ、第一、あの男のどこが良いんだよ。知ってるよ、アイツって―――」

 

 

鬼塚陽菜が“それ”を知っているのは偶然の産物だった。

 

 

偶々、その事件の犯人が鬼塚組に壊滅された組織の一員で、

 

偶々、父と東条がその話題を娘の前で口にして、

 

偶々、その日のワイドショーが印象に残ってしまった。

 

 

 

 

 

――――疫病神なんだろ?

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その発言がきっかけとなった。

 

それは絶対に彼の耳に入っていけない禁句。

 

幸い、学園都市では“それ”を知っている人は身近には数少なく自分達が事件の当事者である事は誰も知らない……はずだった。

 

 

「はっ、威勢よく飛び出していったのは良いけど、全然なっちゃないね」

 

 

陽菜を除いて。

 

 

「訂、正……しろ」

 

 

「やだね。疫病神だか何だか知んないけど、あんたら兄妹は狂ってるよ。気持ち悪い」

 

 

“それ”は広めてはならない。

 

絶対に何があろうと。

 

 

「―――ガアアアアッ!!!」

 

 

だが、その為の力が、

 

 

「何それ。パンチのつもり? へなちょこ過ぎるよ! パンチっつうのはね、こういうもんなんだよ!」

 

 

今の詩歌にはなかった。

 

真正面から迫る詩歌を陽菜は拳で迎撃。

 

左の牽制で動きを止められ、右の正拳突きが顔面を打ち抜き、さらには追い討ちをかけるように右膝が詩歌の腹を抉った。

 

 

「―――っかは!?」

 

 

この時の陽菜と詩歌の実力差は、どんなに隙を見せてもなお埋まらないほどの差があった。

 

 

「弱い弱い弱い弱い雑魚、本当に雑魚。そんなんで私に一発入れようなんて絶対に無理」

 

 

慈悲なく、容赦なく、手加減なく、徹底的に

 

 

「世の中は弱肉強食。弱いアンタは強い私を喰えるなんてありえないだよ」

 

 

何度も何度も叩き潰される。

 

一体何時間過ぎたのだろうか?

 

明るかった空はもうすでに沈みかけている。

 

ボロボロになろうが立ち向かってくる詩歌に陽菜は付き合い続けたが、そろそろ時間だ。

 

 

「がっ……!」

 

 

倒れ込んだ詩歌の背中を陽菜は踏みつけた。

 

その幼い頃から鍛えあげた脚力が生み出す重圧に、詩歌の背骨が大きく軋む。

 

 

「その気迫と執念は認めてやるよ。でもね、肝心の力がなきゃどうしようもない。諦めて、降参しろよ。私が間違ってましたって、ね」

 

 

「い、や…だ…絶対に……するもんか―――ァッ!!」

 

 

陽菜がさらに足に力を加え、詩歌の背骨をさらに軋ませる。

 

 

「まだ、力関係が分かってないようだね。骨の1,2本折ってあげようか? そうすれば、上条も幼稚な恋心から目が――――」

 

 

轟!!

 

その時、上条詩歌の体が炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!!?」

 

 

陽菜は反射的に後ろへ引き下がる。

 

一瞬で、少女の体に火が点き、そこから河川敷が一気に火の海と化す。

 

 

(な、何なんだよ……これは!? アイツは私と同じLevel0のはずだろ!?)

 

 

火炎の壁が立ち塞がり、逃げ場を失った陽菜の前に炎に包まれた少女がゆっくりと立ち上がる。

 

 

「…………」

 

 

ゆらり、ゆらりと力なく陽菜へと歩み寄る。

 

 

(なんか様子がおかしい……ッ!? まさか!)

 

 

「あ~~~う~~~」

 

 

「上条、アンタ……意識が飛んでるね」

 

 

そう陽菜の言う通り、詩歌の意識は飛んでいた。

 

だが、しかし、白目をむいたままでも、フラフラと足取りが覚束なくても、陽菜に迫る。

 

 

「て……せぃ……ぃ…ろ……」

 

 

意識がなくなってもその闘志だけは失ってなかった。

 

 

「ッく!」

 

 

今の詩歌は炎の化物だ。

 

そう、あの男と同じ人を遥かに凌駕する怪物。

 

負ける訳にはいかない。

 

自分はその怪物に打ち勝つために学園都市に来たのだから。

 

 

「こうなったら、全力でぶちのめさないといけないね」

 

 

初めて陽菜から仕掛ける。

 

足元を爆発させるような飛び出しから一気に拳を―――

 

 

―――ヒュッ

 

 

「なっ―――!?」

 

 

詩歌の左の牽制に一瞬、身を怯ませる。

 

その一瞬の隙を突くように、

 

 

「パンチっつうのは、こういうもんなんだろ!」

 

 

ニヤリと口角を吊り上げ、

 

 

「―――ぶっ!!?」

 

 

右の突きが顔面に突き刺さった。

 

 

(まさか、学んだ、私から盗んだのか!? 要領の良いヤツだとは思ったが、この短期間で自分の技を模倣するなんて……!?)

 

 

死に体であるにもかかわらず、お手本のような突き。

 

力はなかったが、それでも陽菜を仰け反らせ鼻血を出させた。

 

そして、さらに膝を繰り出そうとした―――

 

 

 

ばたっ……

 

 

 

―――所で力なく倒れた。

 

今度こそ完全に意識を失い、周囲の火炎も消え去った。

 

力尽きたのだ。

 

最後に一発を入れたものの詩歌の体はボロボロでもう指一本も動かせるような力はない。

 

傍から見れば、勝者は明らかに陽菜で、詩歌は間違いなく敗者だ。

 

が、

 

 

(まさか、一発貰うなんて……)

 

 

陽菜の顔は勝者のそれではなかった。

 

こんな勝ちなんて認められない。

 

むしろ、自分の負けだ。

 

あれは力のない者が放つ軽い拳ではない。

 

“本物”の想いが籠った重みのある拳だ。

 

 

「はっははっ、そっかぁ……アンタ、やっぱりすごいヤツだよ」

 

 

心にできた傷口がゆっくりと癒えていく。

 

今の自分に足りないもの、必要なもの、欲しかった力を彼女の側にいれば……

 

その時、

 

 

「詩歌っ!!?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『あれは本物の『厄病神』だった』

 

 

 

かつて、世間を騒がせた不幸な少年の話に、彼はこう語る。

 

男は刺した。

 

少女を庇い、盾になった少年の右腕を。

 

錯覚ではなく、このナイフから伝わる実感で分かる。

 

まだ小学生にもなっていない子供の柔肉など斬るのは容易で、もう少し力が入れば、その骨さえも断ってしまえただろう。

 

なのに、この少年は、悲鳴もあげず、苦悶の表情も見せず、ただ無表情であった。

 

その背後に庇う少女には決して見せられない顔、見せてはいけない顔。

 

そして、心の奥深く、その暗い暗い場所から、冷たい声が這い上がってくる。

 

 

『これ以上、近づいたら、絶対に、殺す』

 

 

少年の意思とは無関係に、あるいは忠実に、右手がこちらへ伸びてくる。

 

今も深々とナイフが刺さっているその右腕。

 

激痛が走っているはずなのに、その筋肉を、神経を切ったはずなのに、その体から温かな血液が失われて行っているはずなのに、まだこれは幼い子供のはずなのに、動く。

 

首だけになろうと食らいつこうとする怪物の右手(あたま)

 

やはり、自分の目に狂いはなかった。

 

これは『疫病神』だ。

 

だが、関わってはいけない、そう、選択肢を間違った。

 

声も出せず、ナイフを引くこともできない。

 

逆恨みの狂気などすでにそれ以上の狂気に食われた。

 

人はあまりの恐怖におかしくなるというが、もう頭はやられてしまったいるかもしれない。

 

その右手が近づくたびに、生きとし生けるものならだれもが持つ動物的な死への悪寒を感じ、その血に濡れる少年の肌に異形な鱗が浮かび上がっているように見え始めている。

 

まるで大口を開けた怪物の顎のように、その五指はまるでその獲物に食らいつく牙のように、もしこれに触れてしまったら―――

 

 

『ひ、ひぃっ!? やめろ!? これ以上近づくな化物!?』

 

 

男はナイフを手放すと少年の身体を突き飛ばした。

 

少年の身体はそのまま少女に受け止められたが、見ていない。

 

あとはもう一目散に逃げ、巡回中の警察官に捕まった。

 

加害者なのに、まるで助けを求める被害者のように、その第一声は、

 

 

『助けてくれ!』

 

 

無論、刺した少年を、ではない。

 

 

『牢獄でもどこでもいいから連れて行ってくれ! ここにいたら、『疫病神』に殺される!?』

 

 

 

 

 

 

 

ツンツン頭の少年が自分の傍らでズタボロで崩れ落ちている少女を、そして、彼女の髪を纏めている自分が贈った髪飾りを見て、

 

 

「テメェが俺の妹をこんな目に遭わせたのかッ!!!」

 

 

純然たる護る為の覇気。

 

陽菜は、その少年の双眸にたった一睨みされただけで骨の髄まで恐怖が刻み込まれた。

 

数多の不幸を許容しておきながら、たった1つだけ、彼女が傷つくのだけは見過ごせない。

 

右手一本で怪物共を喰い殺す弱肉強食の頂点に立つ最強の疫病神。

 

陽菜はその疫病神の触れてはいけない逆鱗に触れてしまったと自覚する。

 

そして、一歩も動けない陽菜へ一歩ずつ近づいていく。

 

その一歩のたびに、陽菜の体の震えが大きくなっていく。

 

あと一歩の距離まで近づいて、少年はゆっくりと右手を振り上げ、

 

 

『陽菜、お前は女だ。女っつうのは生まれながらにして女だ。しかし、男は、努力しなけりゃ男になれねぇ。だけどな、テメェの女のために命張れるような一人前になった男は―――』

 

 

父、鬼塚鳳仙の言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 

『―――理屈じゃ考えられねぇくれぇに強ぇぞ』

 

 

陽菜の顔面に拳を突き出された。

 

明らかに覇気の籠った拳。

 

 

「ッ!!」

 

 

陽菜は眼を瞑った。

 

あまりの恐怖に見る事を拒否したのだ。

 

だが、その衝撃は一向に来なかった。

 

 

「え……?」

 

 

眼を、開く。

 

すると、拳が眼前までに迫っていた。

 

陽菜はその光景に力なくへたりこむ。

 

少年はその姿を見下ろしながら拳を引くと、

 

 

「……詩歌、病院に行くぞ」

 

 

意識を失った妹を背負い、そのまま去っていった。

 

そして、陽菜は呆然とその場で立ち尽くし、しばらくしてようやく自分が涙を流していた事に気がついた。

 

鬼塚陽菜の人生は、この日、“本物”に出会い大きく流れを変える事になった。

 

 

 

 

 

あすなろ園

 

 

 

(………と、まあ、その後、詩歌っちの親友になって切磋琢磨していくうちに見事、学園都市最強の火炎系能力者になったのでございます……が、)

 

 

「陽菜さん、サボってないで手伝いなさい」

 

 

「詩歌っちには逆らえなくなっちゃたんだよねぇ……うん」

 

 

ここは、あすなろ園。

 

何故ここに陽菜がいるかと言うと、今朝、詩歌に強制連行されたからである。

 

 

(ちょ~っとだけ、近々<大覇星祭>だがら、はしゃぎ過ぎて学校の設備を2,3個破壊してしまっただけなのに……ったく、あそこで変な地震が起きなければなぁ~)

 

 

その被害総額が半端じゃないのを彼女は知っているのだろうか?

 

というか、お目付け役である彼女の方が働いていて罰になるのか?

 

しかし、あの日詩歌とぶつかり合って、本当の強さを知り、彼女の親友にならなかったら、今も陽菜は強さだけを求める亡者となっていたのかもしれない。

 

だとするならば、こうして毎日が楽しめるのは彼女のおかげなのだろう。

 

 

「あれ? 先生? 紫さんは?」

 

 

ふと、詩歌が辺りを見回しながら近くにいる先生に問い掛ける。

 

 

「ああ、鳥兜紫ちゃん。あの子実はある施設から迷子になった子でねぇ。<置き去り>とは違ったんだ。半月ほど前にその施設の方がいらして引き取ってくださったよ」

 

 

「そう、ですか。残念です。あの子とは一度お話がしてみたかったんですけど」

 

 

そこで、陽菜が会話に割って入ってくる。

 

 

「ねぇねぇ、詩歌っち、その紫ちゃんって?」

 

 

「ここに以前いた子です。とても怖がりな子で一度も私には懐いてくれませんでした」

 

 

「こりゃ珍しい、詩歌っちに懐かないなんて」

 

 

「でも、気になるのはそれだけじゃないんですよ……」

 

 

そうですね、と詩歌は陽菜の顔を、その目をまじまじと見つめ、

 

 

 

「陽菜さんと目が良く似てましたね」

 

 

 

つづく


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