とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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法の書編 最後のチャンス

法の書編 最後のチャンス

 

 

 

???

 

 

 

0時0分。

 

争いは終わった。

 

遠くから聞こえる物音はピタリと止み、ビリビリと張り詰めていた気配が消えた。

 

<法の書>こそ奪還できなかったものの、オルソラ=アクィナスは救出。

 

それと同時に天草式も一斉に逃亡。

 

双方とも死者はなく、捕らえた天草式の連中はローマ正教が連行している。

 

完全とは言えないもののローマ正教の勝利で終わった。

 

 

 

 

 

 

 

「とうま、とうま! 大丈夫、怪我とかない?」

 

 

「大丈夫だ、インデックス。どこも怪我してねぇよ……インデックスこそ無事か」

 

 

心配そうに駆け寄るインデックス。

 

それを見てから、上条当麻は夜空を見上げ、ゆっくりと両手を挙げて伸びをした。

 

体の中に溜まった疲れを自覚するのと同時に、ようやく学生寮の布団が恋しくなってきた。

 

 

「………ねぇ、しいかは?」

 

 

「詩歌は………買い物に、行ったぞ。もしかしたら、無料できるかもしれねぇ、ってな。……いくら、値切るのが上手くても流石に無理だろ。……で、ステイルの奴は新しくできたお友達とお話しているのか?」

 

 

しかし、家に帰る前にもう一仕事残っている。

 

 

「うん。向こうで一緒に、わーっと大勢の人が驚くような芸のお話をしてるよ」

 

 

そっか、と言い、当麻は立ち上がる。

 

 

「それじゃあ、そろそろ詩歌を迎えに行こうか。荷物持ちぐらいはやってやらねーとな……インデックス、向こうの奴らも呼んで……いや、いいか」

 

 

「うん! とうま、私も手伝うよ。もう、夕飯が待ちきれないんだもん」

 

 

「ああ、俺も相当腹が減っててな、もう我慢できそうにねぇんだ」

 

 

 

 

 

オルソラ教会 婚姻聖堂

 

 

 

ここはオルソラ教会

 

この教会はオルソラ=アクィナスが世界3ヶ国の異教の地で神の教えを広めた功績により、特別に自身の名前を冠する事を許され、現在、建造中の教会である。

 

野球場と同じくらいの大きさになる予定で、完成すれば日本国内でも最大規模の教会になり、場所が学園都市の眼と鼻の先にある事から、科学サイドに対する牽制という意味合いも含んでいる。

 

だが、今は建設途中で教会と呼べない、ただ広いだけの場所だった。

 

外壁はようやく築き終えた段階で、周囲には鋼鉄の足場や梯子などが放置されて、内装は何も用意されておらず、ステンドグラスがはめ込まれる窓も、パイプオルガンが設置される場所も、今は何もない空間と化している。

 

そして、説教壇の後ろの壁には、壁にかけられる予定の大十字架が無造作に立てかけられていた。

 

そんなガラス無き窓から星光でしか、照らす事が出来ない空間に200人を超す、漆黒の修道服を着たシスター達が無言で佇んでいた。

 

彼女達は輪を作るように、そしてその輪を何重にも取り囲むようにしている。

 

各々の手には剣や槍などの見て分かる武器や、巨大な歯車や鉤爪などの宗教的な儀式用具などが握られていて、それが僅かな星明りを浴びてギラギラと光を放っている。

 

その他に人の姿はない。

 

捕らえた天草式の面々は同じ敷地内の別の建物の中に、10人ほどの見張りを付けて拘束・管理している。

 

シスター達の意識は建物の外になど向いていなかった。

 

彼女達の眼はただ人の輪の中央にぽっかりと空いたスペースへ集中している。

 

そこには3人の修道女。

 

オルソラ=アクィナスと彼女をここへ連行してきたシスターと、

 

 

「ったく、手間ぁかけさせちゃあ駄目でしょう? 私も含めて皆さんお忙しいんですよ。残念ながら、あなたのお遊びになんざ付き合っている暇なんてないんです。分かってんなら大人しく処刑を待っていてくださいね」

 

 

アニェーゼ=サンクティス。

 

薄明座跡地で当麻達とあたふたと会話していた時とはまるで違う。

 

そう、まるで何かが乗り移ったみたいに彼女は嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 

そして、周囲のシスター達もそう。

 

目の色がドロドロに溶けたバターのような熱に浮かされたようになっている。

 

これこそ、ローマ正教の裏の顔―――否、真の姿ともいえる。

 

 

「それにしても、随分と頼れるお友達が少なかったみたいじゃないですか。まさか、偶々、現地で出会った天草式なんぞに協力を求めちまうとはね」

 

 

ローマ正教はオルソラを助けるために日本にやってきたのではない。

 

<法の書>を解読法を編み出してしまったオルソラを処刑する為にやってきたのだ。

 

 

「死の淵まで追い詰められといて、最後に縋ったのは小汚い国の見知らぬ東洋人どもとはね。あっ、ははは! 駄目ですよ、あんな聖典も読めない仔豚さん達はなんかに期待しちゃ。私達のルールじゃ洗礼を受けたローマ正教徒以外の人間と結婚したら獣姦罪に問われちまうって知ってんでしょうが。同じ十字教なら何でも良いと思っちまってんですか? 天草式だのイギリス清教だの、あんなのが十字教を名乗るのもおこがましいってなもんですよ」

 

 

だが、今からやるのは処刑ではない。

 

オルソラを処刑するには、まずは宗教裁判を行わなければならない。

 

だから、これから行うのは教育。

 

200人以上のシスター達が暴力でもう2度と逃げる気など起こさないようにオルソラの体と心に教え込むのだ。

 

今、こうしてアニェーゼが嘲笑っているのだって、まず最初は絶望を味あわせ、オルソラの心を折るため。

 

オルソラはこれから始まる地獄のような教育にガタガタ、と身体を震わせる。

 

逃げ場などない、神の加護などない、そして、彼女達に慈悲はない。

 

オルソラはただ邪悪な魔導書の<原典>による破滅を失くしたかっただけなのに。

 

それなのに……何故、こうなってしまったのだろう。

 

最後の最後で、彼女は救いを見たような気がするのに。

 

どうして、あの少年は自分の身柄をローマ正教に引き渡してしまったのだろう?

 

 

「あいつらは人間じゃありません、ただのブタとロバでしょ? そんなもんに大事な命を預けちまうからこんな目に遭っちまうんです。ったく、獣を騙すのって簡単ですよね。ちょっと手なずければ後は向こうが獲物を口に咥えて持ってきてくれんですから!」

 

 

ピクリ、とオルソラの肩が動いた。

 

聞き捨てならない事を聞いた、というような動きだった。

 

そして、震える唇を動かす。

 

 

「え……だま、された? あの、方は……騙、されたので、ございますか……? あなた、達に……協力……したの、では、なく…騙され、て……?」

 

 

「そんなのどっちでも良いでしょうが。どちらにしても何にしても、あなたはこうして私達に捕まったんだから。くっくっ、あはは!! あーあーそうそう愉快でしたよ愉快愉快! あいつら『悪しき天草式からオルソラ=アクィナスを必ず助けだしてやる!』みたいな事を言っちゃってさぁ!! 馬鹿みたいですよねェ!? 守るべき者をテメェがその手で敵の元へ送り返してちゃあ世話ないってなもんですよ!!」

 

 

「……そうでございますか」

 

 

彼らは、決してオルソラをローマ正教に売り渡すつもりはなかった。

 

あの笑みも、あの言葉も、1つたりとも偽りではなかった。

 

彼らは、真剣にオルソラの心配をしてくれて、自分を助けるためだけにあんな危険な戦場までやってきたのだ。

 

たとえそれが失敗に終わったとしても。

 

その努力は空回りして、逆に自分の命を脅かしてしまったのだとしても。

 

彼らは、最後の最後までオルソラの味方だったのだ。

 

 

「ナニ笑ってんですか、あなた」

 

 

「そう、ですか。私は今、笑っているのでございます、ね」

 

 

オルソラはゆっくりと、優しい声で、

 

 

「何となく……思い知らされたのでございますよ。私達、ローマ正教の本質がどういうものかを」

 

 

「あ?」

 

 

「彼らは信じる事によって行動するのでございますよ。人を信じ、想いを信じ、その気持を信じて、どこまでも駆けつけてくれるのでございましょう。それに対して、私達のなんと醜い事か。私達は騙す事でしか、行動できないのでございます。協力者の心を騙し、私を処刑する為に出来試合の裁判で民衆を騙し、それが神の定める正しい行いなのだと、自分自身さえも騙して」

 

 

「―――」

 

 

「もっとも、私にしても偉そうな事を言えた立場ではございません。私が最初から天草式の皆さんを信じていればこんな大事には発展しなかったでしょう。彼らの計画通りに私を逃がしてもらえて、天草式の方々にも危険は及ばなかったはずでございます。結局、私達のこの無様な姿こそがローマ正教の本質なのでございましょう」

 

 

オルソラは笑う。

 

ボロボロの顔で少しも面白くなさそうな表情で。

 

 

「私はもう、あなたの手から逃れる事は出来ないのでございましょう。そして、あなたの予定通り、私は、偽りの罪人として、裁かれ闇に葬られましょう。けれど、私はもうそれで良いのでございますよ……―――私は自分自身を騙せませんし、まして、私のために無償で力を貸してくれた人々を騙すなど……絶対に、絶対に……不可能でございましょう? 私はもう2度とあなたの同類などと呼ばれたくないのでございます……」

 

 

「殉教者の台詞ですね。もう列聖でもしたつもりなんですか、あなたは」

 

 

アニェーゼは苛立たせながら、

 

 

「そんなに死にたいならお好きなようにしちまってください。抵抗がない方がこっちとしてもやりやすいですしね。せいぜい、自分をこんな目に遭わせちまったあの馬鹿どもをうらみながら死に逝けばいいんですよ」

 

 

オルソラにできる抵抗などないに等しい。

 

周囲には200人もの自分の部下達が待機し、さらにこの教会の周囲には強力な結界が敷いてあるので、絶対に逃亡はできない。

 

だが、それでも彼女は、

 

 

「一体何を恨めば良いのでございましょうか?」

 

 

「な……に?」

 

 

「彼らには、元々、戦う理由などなかったのでございますよ。聞けば、あの2人はローマ正教でも、イギリス清教でもない本当に、ただの仲睦まじい兄妹だったとか。それでも、何の力も理由もなくとも、彼らは見ず知らずの私のために駆けつけてきてくれたのでございます。ほら、これ以上に、魅力的な贈り物が、この世界のどこにあるというのでございましょう。こんなにも、素晴らしい贈り物をくださった方々に、私は一体何を恨めば良いというのでございますか?」

 

 

そう、恨むものか。

 

絶対に、恨むものか。

 

何の『義務』もなく助けに来てくれた彼らを恨む理由なんてこれっぽちもない。

 

自分を助けたいという『権利』を使ってわざわざしなくても良い戦いに身を投じてくれたのだから。

 

 

「やっぱり、体の方から先に教え込んだ方が良かったです、ね!!」

 

 

アニェーゼは思い切り足を振り上げ、オルソラ目がけて――――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……何、私の邪魔しちゃってくれてんですか、テメェは!!」

 

 

アニェーゼが怒りの眼差しを向ける。

 

オルソラにではない。

 

 

「な……ぜ、あなたが……」

 

 

彼女を連行してきたシスターに対して。

 

今、オルソラを庇った部下に対して。

 

オルソラだけでなく、周囲のシスターでさえもあまりの出来事に呆然としてしまう。

 

自分達、ローマ正教シスター部隊であるアニェーゼに逆らうという事は、今からオルソラがされるように圧倒的大多数による私刑(リンチ)を受けても文句を言えないのだ。

 

だが、それでも彼女はオルソラの前から引かず、冷静にアニェーゼを見据えながら、

 

 

「お待ちください、シスター・アニェーゼ。シスター・オルソラの胸元を良くご覧になってください」

 

 

部下からの進言にアニェーゼはオルソラの胸元を見る。

 

すると、そこには鉄の十字架があった。

 

きっと土産物を作っている町工場で大量生産されているものだろう。

 

しかし、それは、

 

 

「聖ジョージの十字架………つまり、イギリス清教のものです。もし、それを誰かに掛けてもらったとするなら、シスター・オルソラはイギリス清教の庇護を得ております」

 

 

聖ジョージの十字架を誰かに掛けてもらうという行為は、そのままイギリス清教の庇護を得る―――つまり、イギリス清教の一員になるという事だ。

 

ということは、今のオルソラはローマ正教ではなく、イギリス清教の一員で、下手に手を出すと外交問題にも発展しかねない。

 

 

「テメェは馬鹿ですか!! こんなちっぽけな十字架を付けているから何だっていうんですか!!」

 

 

しかし、アニェーゼは再びシスターを蹴り飛ばす。

 

今度はオルソラではなく、彼女を狙って。

 

それでも、彼女は倒れることなく、オルソラの側から離れない。

 

 

「お聞きください、シスター・アニェーゼ。今のシスター・オルソラは非常にデリケートな立場であることは事実です。彼女がどこの勢力に所属しているかと判断すべきか、ここは時間をかけてでも審議すべきです。もし、ローマ正教の一存のみで審問にかけてしまっては、イギリス清教が黙って見過ごすとは思えません」

 

 

だが、アニェーゼは蹴るのを止めない。

 

いくらまだ幼い少女とはいえ、シスター部隊のトップ。

 

それに硬い厚底サンダルの蹴りはそれだけで凶器だ。

 

 

「だから、テメェは馬鹿だっつってんでしょうが! ちゃんと人の話を聞いてましたか! イギリス清教なんてウチらの仲間なんかじゃねーんですよ! あんな紛い物、存在するだけで忌々しい内敵なんですよ! ったく、どうやらテメェの教育も必要なようですね」

 

 

「止めてください! この方は私とは何の関係のない方でございますよ!」

 

 

「はっ、それがどうしたっていうんですか。馬鹿な発言をする部下を正してやるのも上司の役割なんですよ」

 

 

駄目だ。

 

自分1人が犠牲になるのは良かったが、わざわざ自分を庇ってくれた彼女までは見過ごす事ができない。

 

しかし、どうして彼女はあんな事を言ったのだろうか……

 

 

 

 

 

「私、小さくて可愛い子なら、“3回”までは笑って許す事にしているんです」

 

 

 

 

 

瞬間、シスターの声が変わった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「あ、あなた様は―――」

 

 

声が変わった。

 

顔が変わった。

 

雰囲気までもが変わった。

 

服装を除く全てが変わった。

 

 

「ふぅー、この服はちょっと堅苦しいですね」

 

 

そう言って、彼女はフードを投げ捨て、腰まで届く柳髪をなびかせる。

 

月光を反射し、神秘的に輝く髪が揺らめき、彼女を幻想的に見せている。

 

その白磁の陶器のように白く滑らかな肌と合わせて、まるで、御伽噺に出てくる湖畔の乙女のように、儚く、可憐で、誰もが目を離せない、かくとした存在感を放っていた。

 

 

 

 

 

「ふふふ、助けにきましたよ、オルソラさん」

 

 

 

 

 

そう、上条詩歌がそこにいた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「一体、何で…どこから……」

 

 

詩歌は後ろ手で髪を大切な髪飾りで纏めながら、当然のように、

 

 

「はい? あなた方の知っての通り、オルソラさんとここに来ましたが」

 

 

いや、それはおかしい。

 

ここにいる全員は、姿形だけでなく、その中身、魔力の質でも厳格にチェックされているはずだ。

 

現に、オルソラ=アクィナスをここに連行してくる際、彼女は何重ものチェックを受けているはず……

 

自分だって、彼女が偽物でないかどうか調べた……なのに……

 

彼女はその疑問に懐から耳穴式ヘッドホンを取り出しながら答える。

 

 

「混成、<黄金>……これは、ショチトルさん―――アステカ魔術を参考にして再現した<肉体変化>……相手の体の一部は必要ありませんが<幻想投影>を基盤に置いているので一度に30分しか使えません。……でも、触れるだけでその者に完全形態模写できます。ふふふ、以前、当麻さんに特殊メイクだと言って見せた時は今のあなた達みたいに本当に驚いた顔してくれましたよ。あ、本物はパラレルスウィーツパークでおねんねしてます」

 

 

<黄金>……それは異能だけでなく、その持ち主の姿形まで自身に投影する<肉体変化>。

 

つまり、外面だけでなく内面ですらも見抜くのはほぼ不可能。

 

魔力探知でさえも欺く。

 

 

「そうですか、そういやぁ、おかしいとは思ってたんですがね」

 

 

ようやく立ち直ったアニェーゼは、くすくすと笑みをこぼし、

 

 

「魔術師でもないヤツが、どうしてゲスト扱いで戦場へ駆り出されていたのか……理屈は分かりませんが、変装できる『何か』があると、そういう訳ですか」

 

 

それに対して、詩歌もくすくすと微笑みながら答える。

 

 

「残念ながら外れです。これは詩歌さんのビックリ芸の一つです」

 

 

「へぇ、そりゃすげぇですね―――で、こんな所まで来て何の用ですか? 今ならそのビックリ芸に免じて許してあげても構いませんよ。でも、そこにいるブタはウチらのもんです。もし連れて帰ろうってんなら……分かりますよね」

 

 

ジリジリと熱を帯びたような声。

 

まるで悪い酒にでも浸ったような愉悦。

 

 

「また外れです。私がここに来たのはあなた達に最後のチャンスを与えるためです」

 

 

だが、詩歌はいつもと変わらない微笑みを浮かべ、それを一掃するかのような凛とした清浄な空気を放つ。

 

 

「チャンス?」

 

 

「ええ、オルソラさんには悪いですけど、あなた達だけを見捨てるのは可哀そうですし。このように、“全滅するか、無傷で帰るかを選ばせてあげよう”思ったんです」

 

 

「はあ!? この状況見て分かんないんですか? 一体どっちが上でどっちが下か。まさかとは思いますが。私とあなたがおんなじ舞台に立っているかだなんて思っちゃあいませんよね? さあ、この人数相手にあなたがどういう選択を取るべきか、こっちが最後のチャンスを与えてやりますよ」

 

 

確かに、たった1人で200人以上を相手にするのはあまりに分が悪い。

 

そんな数の人間と正面から戦ったって、勝てるはずがない。

 

アニェーゼはそれが分かっているのだろう。

 

だから、何の警戒もせずに挑発する。

 

アニェーゼは絶対に、詩歌は自分を殴れないと思っている。

 

一発でも自分を殴れば、それが勝ち目のない戦闘を始めてしまう合図となるのだから。

 

 

「はぁ、残念です。まぁ、子供ですから仕方ありませんか」

 

 

―――しかし、それはあくまで普通ならの話だ。

 

 

「一度半殺しにしてからでないと、分からないみたいですね。“たかが200人”そこらで私に敵うかどうかを」

 

 

その時、ゾクッ!! とシスター達は圧倒的な本能による恐怖を感じた。

 

今、彼女が言ったのが戯言ではない、と。

 

 

「ふふふ、ちゃんと手加減してあげます。私、得意なんですよ、半殺し」

 

 

瞬間。

 

詩歌から渦巻くように焔が走り、辺り一面が火の海と化した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「チィ、やりやがりましたね!」

 

 

「シスター・アニェーゼ! お下がりください」

 

 

アニェーゼを守るようにそのすぐ後ろにいた2人の漆黒の修道女が前に出る。

 

その内の背の高い方、シスター・ルチアが背に預けている巨大な車輪を詩歌へ向ける。

 

『車輪伝説』。

 

昔から多くの聖人達は愚かな権力者達の手で、殉教―――つまり処刑されてその生涯を閉じてきたが、その拷問・処刑の歴史には『車輪』が多数出てくる。

 

これらは無数の釘や刃を突き刺した巨大車輪で聖人を八つ裂きにするために作られたが、車輪が聖人に触れた途端に爆発したという話が数多く存在する。

 

悪竜退治の聖ジョルジュや、アレクサンドラ王家の聖カテリナに至っては爆発時の車輪の破片で処刑場に集まった4000人の見物人が死亡したとも言われている。

 

これを基にしたのが今彼女が持つ<聖カテリナの車輪>。

 

木製の車輪を爆発させて散弾銃の様に数百という鋭い破片を飛ばす魔術。

 

また一度砕けてしまったとしても、破片は術者の号令一つで元の車輪に再生させる事が出来る。

 

 

「しかし、いつも思いますが当たっても最悪の気分ですね。異教の者の汚らわしい身体に自分の武器を当てる事は。戦いが終わったら洗剤で綺麗に穢れを落とさないと!」

 

 

爆発時の暴風によって木片が凄まじい速度で詩歌を襲う。

 

 

「なっ!!?」

 

 

が、しかし、詩歌は何事もなかったようにニコニコとこちらに微笑みかけている。

 

散弾銃となった木片はパラパラ、とその手前に転がっている。

 

 

「くっ―――シスター・アンジェレネ!」

 

 

ルチアは車輪を元に戻しながら、隣にいる背が低くそばかすの付いたまだ成長期のシスター、アンジェレネに声をかける。

 

 

「は、はい」

 

 

アンジェレネが舌っ足らずに答えると、腰のベルトを引き千切って4つの効果袋を頭上へ投げた。

 

途端に、バサッ!! と大きな布で空気を叩くような音と共に、袋の口からそれぞれツバメのように鋭い翼が6枚ずつ飛び出した。

 

同時に翼が袋ごとに赤、青、黄、緑の光に輝く。

 

 

きたれ(Viene)十二使徒の(Una persona)一つ(dodici apostli)徴税吏にして魔術師を(Lo schiavo)打ち滅ぼす(bassoche)卑賤なるしもべよ(rovina un)

 

 

アンジェレネが詠唱を唱え、両手を頭上へ差し出した瞬間、

 

 

キュガッ!!

 

 

硬貨袋が一斉に弾丸の如き速度で詩歌に襲いかかる。

 

硬貨袋の重さは下手をすれば砲丸よりも重い。

 

それに凄まじい速度が追加されたら、その威力は考えたくもない。

 

<十二使途マタイの硬貨袋>。

 

硬貨袋を触媒として操る魔術。

 

十二使徒マタイの伝承を基にしており、頭上に掲げた硬貨袋に翼を生やして砲弾のような速度で相手を追尾し攻撃する。

 

硬貨袋の口紐で相手を束縛する事も出来る。

 

さらに、

 

 

「逃げ場はありません。せめて少しでも痛みなく逝ける心配を」

 

 

ルチアがもう一度車輪を構える。

 

車輪の爆発による広範囲攻撃と、その死角から狙う硬貨袋を使った追尾型飛び道具による遠距離攻撃の組み合わせは相性が良い。

 

ルチアとアンジェレネの2人の連携は幾人もの異教徒を葬り去ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「な、何故……」

 

 

だが、それでも彼女には届かなかった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

200人を超えるシスター達がその手に持った剣、槍、鉤爪や巨大な十字架など各々の武器を振りかざしてくる。

 

だが、集中砲火を受けているはずなのに、全てその直前にある不可視の壁に阻まれる。

 

シスター達の顔に困惑の色が浮かぶ。

 

アニェーゼの顔から余裕が消え、必死の形相で何か喚いている。

 

だが、何も聞こえず、そよ風すらも感じない。

 

静寂。

 

あまりにも平穏すぎた。

 

 

「オルソラさん、騙す真似をしてしまってすみません。どうしても、彼女達にもチャンスを与えたくて」

 

 

オルソラは思わず、この聖域を作り出した少女の顔を見る。

 

 

「い、いえ、それよりも、これは一体何なのでございますか?」

 

 

「詩歌さんのビックリ芸の1つ。混成、<菖蒲(あやめ)>です」

 

 

と、詩歌はいつもと同じ安らかな微笑みを向けながらオルソラの問いに答える。

 

 

「これは、<空気風船(エアバック)>に結界を応用した強化版です。あー君のように相手の攻撃を反射させる事はできませんが、この空間は光を除く外界からの影響を全て遮断します。オルソラさんに分かりやすく言えば、<歩く教会>のような法王級の結界です」

 

 

「ほ、法王級の結界……」

 

 

魔術、能力を問わず多大系の異能を組み合わせる事で、より高度な力へと昇華させる。

 

そうして作り上げた防御に特化した絶対防壁の色が<菖蒲>。

 

 

「空間座標が固定されているので、発動中、私でもこの結界を出入りする事はできません。結界ではなく檻というべきですかね――――で、今、その<菖蒲>を“私の半径1mとこの部屋に二重”で張っています。お話をしている間にこっそり準備させてもらってました」

 

 

つまり、この部屋は◎の<菖蒲>――不可視の結界が張られ、内側の半径1mの○に詩歌とオルソラが、外側の部屋を覆う○にアニェーゼが率いるシスター達がいる。

 

しかし、いくら絶対防壁があるといえど、こちらからも攻撃できないというならこのままでは、その<菖蒲>が切れた瞬間に勝負が決してしまうのでは……

 

そんな心配を見抜いたように詩歌は何も心配がいらないとばかりに軽やかに告げる。

 

 

「ふふふ、まあ、このままでも大丈夫ですけど、ちょっとだけ悪戯もできますよ」

 

 

詩歌は両手を広げ、今も攻撃してくるシスター達に向けて、

 

 

「混成、<山吹(やまぶき)>」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……ッ!!?」

 

 

体全体に、どこからともなく突然沸き上がってくる“熱”の耐えがたい感覚に、アニェーゼは思わず武器を落としてしまう。

 

それは自分だけでなく他のシスター達にも―――

 

 

「キャ―――」

 

 

その時、攻撃する直前だったシスター達の手元が狂う。

 

彼女が放った極彩色の光の羽の矢が入り乱れ、羽ペンの切っ先に鏃を付けたような武器が味方に襲いかかる。

 

それがドミノ倒しにように次々と混乱を巻き起こし、やがて嵐のように包囲網を薙ぎ払っていった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「<山吹>は美琴さんのように電磁波操作ができる<発光操作>に特化した色です」

 

 

電磁波を利用する人体に最も影響が少ないと言われる非殺傷兵器『アクティブ・ディナイアル・システム(Active Denial System、ADS)』。

 

その特徴は『見えないし、聞こえない。そしてにおいもない。ただ感じるだけ』。

 

皮膚の表面から0.4mm程度までしか到達しない周波数95GHzに調整された電磁波は、相手に怪我を負わせる事なく、極度の不快感だけを与える。

 

詩歌は<山吹>を使う事でこの『ADS』を再現した。

 

<菖蒲>は法王級の高い物的防御力を誇るが、その性質上、光、つまり、電磁波は防ぐ事ができない。

 

その事を知らない敵にとっては、<菖蒲>と<山吹>を同時に扱うのは凶悪な組み合わせ。

 

聖徳太子のように8人の言葉を同時に聞き分けたという伝説のように、思考を分割し、複数の能力を同時に操る事ができる詩歌だからこそできる神業である。

 

おそらく、『制御』に関して彼女の右に出る者はいないだろう。

 

 

(まあ、<菖蒲>を広範囲に二重に張ってますし、大気操作も同時発動しているので、その分、<山吹>は悪戯程度にしか性能(パワー)が出ないんですけど、それでも使いようによっては相手を混乱させる事もできます……―――それに、そろそろですね)

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「はぁ、はぁ、メンドくせぇ結界を張ってやがりますね。はぁ、この異教の女狐が」

 

 

アニェーゼは舌打ちする。

 

どうやら、これは集団でも破れない相当強固な結界。

 

さらに、突如、生理的に耐えがたい不快感が邪魔してくる。

 

おかげで、先ほど危うく味方の攻撃で自滅しかけたし、こちらも慎重な行動しかとれなくなった。

 

しかもご丁寧に二重に張ってあり、この部屋から出られないようにしている。

 

しかし、相手はからかう事が目的なのか、時折、謎の力で場を騒がせるだけしかしてこない。

 

だから、自滅を起こさないように慎重にこの結界が無くなるのを待てば、その時に集団の暴力で一斉に攻撃を仕掛けてしまえば一瞬で蹴りがつく。

 

……だが、どうも納得がいかない。

 

このままでは負けるというのに結界の中にいる彼女は一向に余裕の表情を崩さない。

 

何故……

 

もしや、彼女は囮で別の誰かが侵入しているのか!

 

いや、今、この教会には<アエギディウスの加護>で守られているし、もし破られても一三騎士団が即座に駆けつけてくるはず。

 

しかし、それは外れだった。

 

 

「シ、シスター、はぁ、はぁ、ア、はぁ、ニェーゼ……―――」

 

 

その時、何の前触れもなく数人、いや、数十人のシスターが意識を失い倒れた。

 

 

「……かはっ……」

 

 

そして、アニェーゼは、ようやく息苦しさを自覚する。

 

 

「……はっ…はっ……」

 

 

目を見開き、脂汗を流し、空気を求め喘ぐ。

 

視界を黒い染みが犯していき、鼓膜に響く、ミシミシという不快な音。

 

そう……すぐ近くに死が迫ってくる。

 

もうこの部屋に立つ者は詩歌とオルソラの2人を除いて、誰もいない。

 

<菖蒲>は光を除く全てを遮断する。

 

つまり、“大気”も遮断してしまう。

 

“密閉”された空間で人間が生きていけるかどうか?

 

答えは否。

 

何故なら『酸素欠乏症』に陥ってしまうからだ。

 

人体は静脈血内の酸素分圧を下回る酸素濃度8%以下のガスを肺に入れると、血液から肺へ逆に酸素を吐き出してしまい重い酸素欠乏に陥る。

 

濃度6%以下なら意識を失い、死だ。

 

吸い込んだ息から酸素分子を引き抜かれては、如何に魔術師とはいえ、瞬時に窒息し、昏倒するしかない。

 

詩歌は大気操作で環境を一定に保っているが、アニェーゼ達はどうなるか?

 

いくらスペースが大きいがその分、200人以上の人間が密集している。

 

しかも、直前に酸素を貪り食う炎が展開され、さらには自滅しかけるほどのパニックを起こした。

 

それが事態を加速度的に悪化させた。

 

つまり、アニェーゼ達は知らぬ間に自分達で自分達の首を絞めてしまっていた。

 

 

「あ―――」

 

 

アニェーゼの肩に死神が肩を叩こうとした瞬間、

 

 

 

―――<菖蒲>解除、大気操作開始。

 

 

 

死から解放され、シスター達は体を折り曲げ激しく咳き込みながらも、大きく口を開け、肺一杯に新鮮な空気を吸い込む。

 

徐々に視界が明るくなり、意識が覚醒。

 

他の内臓も活動を再開し、己の生存を確認した。

 

 

「大丈夫。殺しはしません。言ったでしょう? 半殺しが得意だと」

 

 

誰も立ち上がる事ができない中、体の内面を凍らせる冷たい声だけが部屋に響き渡る。

 

その時見上げた先にある彼女の顔は変わらず屈託のない微笑みのままだが、自分達の抵抗を許さない気圧を放っている。

 

 

「さて、もう一度チャンスを挙げます。どうしますか?」

 

 

その言葉を笑う者は誰もいなかった。

 

 

 

つづく


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