とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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法の書編 強奪

法の書編 強奪

 

 

 

薄明座跡地

 

 

 

ステイルとインデックスは薄明座の大ホールから出て、もとはチケット売り場だったらしきロビー跡地を歩いていた。

 

彼らの少し前を、漆黒の修道服を着た少女が先導している。

 

歳はインデックスより1,2歳幼いぐらいで、髪は赤みの強い茶髪―――所謂赤毛で、鉛筆ぐらいの太さの三つ編みがたくさんある髪型だった。

 

来ている修道服は指先が隠れるほどの長袖なのだが、それに反してスカート部分は太股が見えるほど短い。

 

見ると、スカートの縁にファスナーのようなものがついていた。

 

どうも、着脱式のパーツを外した状態にあるらしい。

 

かなり細い方に入るインデックスよりも、さらに腰の細い少女だ。

 

身長はインデックスと同じ。

 

だが、パカパカと馬みたいな足音の元を辿ると、彼女の足には30cmもの高さの厚底サンダルが履かれていた。

 

17世紀のイタリアで流行った、チョピンと言われる代物だ。

 

彼女はローマ正教のシスターで、その名を、アニェーゼ=サンクティスという。

 

 

「状況はもうメチャクチャ。情報も錯綜しちまってオルソラはどこへいったのやら、って感じですか。<法の書>の方も確保したって情報は上まで上がってきませんし、こっちもヤバめな感じですよ」

 

 

この場に日本人はいないのだが、アニェーゼは流暢な日本語で言った。

 

一応、さらわれたオルソラを輸送していた天草式への奇襲は成功し、シスター部隊の誰かがオルソラを救出したところまでは良かったが、彼女が本体に合流する前にまた天草式にさらわれ、奪い返され、

 

それでまた再び彼女を取り返したのだが、さらに天草式の別動隊にかっさらわれて……

 

 

「………ってな感じの繰り返し。索敵の包囲網を広げすぎたのが仇んなりましたね――――」

 

 

総合的な人数が多くても、索敵の範囲を広げてしまえば一部隊一部隊の人数が少なくなってしまい戦力が不足。

 

そのせいで、追っていたオルソラも消息不明となってしまったらしい。

 

と、アニェーゼは粗雑さと丁寧さが同居した敬語で説明してくれた。

 

おそらく、仕事中に実地で学んだとしたら、彼女は日本の刑事や探偵などと会話する内に言葉を覚えたのかもしれない。

 

 

「すると天草式の方でも、今、血眼になって捜している訳か」

 

 

と、ステイルは口元の煙草を揺らしながら、

 

 

「僕は日本の十字教史には疎いから良く分からないんだけど、天草式は君たちにとって、それほど手を焼くような勢力なのかな」

 

 

「そりゃあ言外に『ローマ正教は世界最大宗派のくせに』って言ってますね。いや実際、返す言葉はありませんよ。数や武装ならこちらの方が上なんですけどね。連中は地の利を生かして引っかき回しやがるのですよ。日本(ここ)はヤツらの庭ですから。数字の上で不利なはずの相手に手傷を負わされるってのは結構頭にきちまうんですかね。悔しいですが、ヤツらは強いです」

 

 

「……となると、簡単には屈しないって訳か」

 

 

ステイルの声は僅かに苦い。

 

『武力を見せつけて言葉でねじ伏せる』と言うのが最速かつ平和的な解決方法だと思ったが、相手が交渉に応じない程度の戦力を持つとなれば、後は泥沼の戦いを行うしかない。

 

天草式との戦闘が長引けば長引くだけ、神裂が横から首を突っ込んでくる危険性が高まる。

 

こうなったら半端な容赦は全て捨て、彼女に勘付かれる前に電撃戦で一気に天草式を撃破した方が、話はスムーズに進むかもしれない。

 

ローマ正教の目的は<法の書>及びオルソラ=アクィナスの救出であって、天草式の殲滅ではない。

 

目的のものさえ戻れば、ローマ正教はそこであっさり手を引くだろう。

 

後はいかにして、天草式の戦意を失わせるかだ。

 

しかし、天草式に関する情報をステイルは持っていない。

 

ステイルは今まで元・天草式の神裂と行動を共にしていたが、彼女の術式を分析しようとする気にはなれなかった。

 

何せ相手は世界で20人もいない<聖人>だ。

 

仮に解析できたところで常人である彼に利用できるものではない。

 

どんな人間でも、長さが50cmしかない定規で太陽と地球の距離を測ろうとは思わないだろう。

 

アニェーゼの方もステイルと同じだ。

 

数度の戦闘を行ってはいるが、ローマ正教は天草式が元は同じ宗派だったのだろうけど仏教や神道が混じり過ぎて最早別物と化していることしか分かっていない。

 

そこで、ステイルとアニェーゼはインデックスへ意見を求めるように、視線を移す。

 

こういう場面では、軽く常人の1万倍以上もの知識量を誇る彼女の独壇場だ。

 

純白のシスターはさも当然と言った口ぶりで、

 

 

「天草式の特徴は『隠密性』だよ」

 

 

<禁書目録>は西洋魔術だけでなく、東洋、神道はもちろん、天草式もカバーしている。

 

母体が隠れキリシタン。

 

十字教を仏教や神道と日本で広まっていた宗派によって徹底的に隠し、

 

魔術儀式と術式を挨拶や食事や作法といった決まった動作の中に隠し、

 

天草式なんて最初から存在してなかったように全ての痕跡を隠し通す。

 

だから天草式はあからさまな呪文や魔法陣は使わず、お皿や茶碗、お鍋や包丁、お風呂やお布団、鼻歌やハミング………のような一見どこにでもある物を使って魔術を行う。

 

 

「………多分、プロの魔術師でさえ天草式の儀式場を覗いた所で正体は分からないと思うよ。だって、普通の台所とかお風呂場にしか見えないはずだもん」

 

 

ステイルは口の端の煙草をゆっくりと上下させ、

 

 

「となると、偶像のスペシャリストといった所かな。ふむ、近接格闘戦よりも遠距離狙撃戦が得意そうだね。<グレゴリオの聖歌隊>のような大規模なものでない事を祈りたいけど」

 

 

「ううん。天草式は鎖国時にも諸国の文化を積極的に取り入れていて、洋の東西を問わず様々な剣術を融合させた独自の格闘術も身に付けているの。彼らは日本刀からトゥヴァイハンダーまで何でも振り回せると思う」

 

 

「……文武両道か。面倒な連中だ」

 

 

ステイルは忌々しげに吐き捨てた。

 

ちなみにいつの間に会話の輪の外に追いやられたアニェーゼは爪先で軽くロビーの床を蹴っていじけ虫になっている。

 

床を蹴るたびにいちいち短いスカートがひらひらと揺れた。

 

パカンパカン、と少し間の抜けた足音が響く。

 

煙草を咥えた神父はアニェーゼの方へ振り返り、

 

 

「それで、<法の書>及びオルソラ=アクィナスの捜索範囲はどこまでなのかな。僕たちものんびりしていられないだろう。どこを捜せば良い?」

 

 

「あ、はい。捜索はこちらで行ってんで大丈夫です」

 

 

話題の中心に戻ってこれて、アニェーゼは少し慌てたように姿勢を正し、

 

 

「人海戦術はウチの専売特許でね、今も250人体制でやってます。それに、もし天草式に出くわしても、今は後詰めで一三騎士団一部隊50人がおりますから負ける事はありません」

 

 

どうやら、つい先ほど増援が来たらしく、捜索はシスター部隊、戦闘は一三騎士団と分離制にしているらしい。

 

となると、今さらステイル達が加わってもかえって場を混乱させる恐れがある。

 

 

「……? それなら、どうして僕たちはここに呼び出された?」

 

 

ステイルが僅かに眉を顰めると、アニェーゼは口の端を吊り上げて笑い、

 

 

「簡単ですよ。ウチらに調べられないトコを調べて欲しいんです」

 

 

「例えば? 日本にイギリス清教が直接管理する教会などない。僕たちが断らなければ探索できない場所など、せいぜいイギリス大使館ぐらいのものかな」

 

 

「いいえ、学園都市ですよ」

 

 

アニェーゼはパタパタと片手を振って、

 

 

「場所柄を考えれば、ありえん話じゃないでしょ。オルソラが学園都市に逃げ込んでしまえば、天草式は彼女を追えません。いえ、追いづらい、ぐらいかもですね。だからあなた達には学園都市に連絡を入れて欲しいんですよ。ウチらローマ正教は学園都市の繋がりもないんで面倒ですし」

 

 

「確かに……しかし、それなら前もって教えてもらえると助かったかな。ちょっと昔の僕に良く言って聞かせてやりたい気分だよ」

 

 

インデックスが学園都市に預けられている事から分かる通り、学園都市とイギリス清教は細かな糸で繋がっている。

 

精々国交のようなものが『ある』か『ない』かぐらいの意味しか持たないが、全く『ない』ローマ正教よりは一応『ある』イギリス清教が連絡を入れた方が波風は立たないだろう。

 

 

「……けれど、だとすれば面倒な所に駆けこまれたもんだ」

 

 

「あくまで可能性の話なんで、我らがオルソラ嬢にそんぐらいの分別がつく心の余裕があんのを祈りましょう。で、連絡っつか確認にはどんくらいの時間がかかります?」

 

 

「ああ、電話一本……とはいかないか。一度、聖ジョージ大聖堂の方へ連絡を入れて、そこから中継して学園都市へのラインを繋がなくてはならないから……」

 

 

先日イギリス清教のシェリー=クロムウェルがインデックス、上条詩歌、風斬氷華……あと愚兄を狙って無断でテロを起こしてしまっている(その件について、あとでシェリーには個人的な『お見舞い』をしてやるつもりだ。

 

その程度で揺らぐようなパイプをあの<最大主教>が造るはずがないだろうが、魔術と科学の境界線を崩さない政治的な判断で、緊急でも、おそらく7~10分はかかるだろう。

 

それに、学園都市への侵入許可となるとさらに面倒になる。

 

技術的に忍び込むのは可能なんだが、役所的に考えるとそれは避けたい。

 

 

「とりあえず確認だけでいんで、もちっと早くしてもらえっと助かりま―――」

 

 

言いかけた所で、不意にアニェーゼの動きが止まった。

 

彼女の視線を追うと、ロビーの先には建物の出入り口がある。

 

ガラスでできた両開きのドアが5つも並んだ、大きな入場口だ。

 

 

「何だ? 一体どうし―――」

 

 

ステイルが問い質そうとした所で。やはり彼の動きが止まる。

 

 

「?」

 

 

最後にインデックスが2人の視線を目で追い駆けた。

 

ガラスの入り口のさらに向こうには、元は駐車場で使われていた、アスファルトの広場がある。

 

建物の大きさに反して、極端に小さな空間だった。

 

今では固められた地面の隙間からたくましい雑草が伸びている以外は何もないはずなのだが―――何もないはずの駐車場跡地に、何かがあった。

 

というより、誰かがいた。

 

 

「あ、とうま、と……しいか?」

 

 

インデックスは見慣れた少年と何故か見慣れぬメイド服を着ている少女の名前を告げて、

 

 

「お、るそら=アクィナス?」

 

 

アニェーゼは少年とメイドの隣に歩いている漆黒のシスターの名前を言った。

 

 

 

 

 

薄明座跡地前

 

 

 

少しだけ時間を遡る。

 

 

 

疲れた……その一言に尽きる。

 

今日は重労働でへとへとだというのに、夏場に3kmの徒歩………は、まあいい。

 

それよりも、ダブルシスターズ(ボケ)への相手(ツッコミ)……

 

いくら、当麻が体力には自信があるとはいえ肉体的にも、精神的にもきつかった。

 

汗だくボロボロの当麻は残暑厳しい9月の道を全力の連続ツッコミをしながら3km歩いて薄明座の前までやってきたのだが、

 

 

「あの……そこのシスターさんにメイドさん? あなた方はこの炎天下でそんな真っ黒な服着てるのに何でニコニコ笑顔で汗一つかいてないんですか?」

 

 

「はぁ。この肉の苦など心の痛みに比べればどういう事もございませんから」

 

 

「……何だこのマゾシスター」

 

 

で、こっちは、

 

 

「メイドですから」

 

 

こっちのシスター(妹)はあれから自分の事をご主人様扱いしてくる。

 

汚れたワイシャツの代わりに新しいワイシャツをどこからともなく出してきたり、喉が渇いたと思ったらお茶を用意してきたり、甲斐甲斐しく汗を拭いてきたりと、一生懸命ご奉仕してくる。

 

一体コイツは――――

 

 

「あまり罵られて喜ぶ趣味はございませんが、ご主人様のご寵愛さえ頂ければ、如何なる責め苦にも耐えて―――」

 

 

「待て。お前は一体何の話をしている」

 

 

「ご主人様の性癖がドSでも、心が荒んでボロボロの生活を送られても、私が誠心誠意お慰めしようと―――」

 

 

「なあ。話が妙な方向にいってないか!?」

 

 

「ご主人様が働く気力を失くされてお酒に溺れ、日夜私に八つ当たりのように暴力を振るわれる毎日でも、私は在りし日のお優しいご主人様に戻っていただけると信じて、養ってあげます、ええ、養って差し上げますとも……!」

 

 

「そんなつもりはこれっぽちもねぇよ!!」

 

 

「まあ、なんて殊勝な……」

 

 

「本気にしてんじゃねぇよっ!!」

 

 

駄目だ。

 

こいつらの相手は手に負えない。

 

当麻はぐったりとしながら薄明座跡地の敷地へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

薄明座跡地

 

 

 

建物自体は大きいが、駐車場は狭い。

 

次の買い手が決まっているのか、ガラスの破損や落書きもない。

 

入場口は両開きのガラスのドアが5つも並んだ大きな出入り口で、板や何かで塞いである様子もない。

 

廃墟というよりも休業中みたいな感じだ。

 

そして、当麻達が駐車場中央辺りに来た所でドアの1つが手前に開いた。

 

 

「ありゃ?」

 

 

当麻は思わず声を出した。

 

中から出てきたのは3人の男女、その内の2人はインデックスとステイル。

 

だが、最後の1人―――インデックスよりも幼そうな外国人の少女だけは見覚えがない。

 

着ている服は、バス停で出会った修道女と同じ黒い修道服。

 

ただし、この少女はファスナーを外してスカート部分のオプションを切り取っているのか、修道服は極端なミニスカート状態になっており、足元に視線を移すと、なんと靴底が30cmもある木のサンダルを履いていた。

 

詩歌の方へ視線を送ると、首を横に振る。

 

どうやら、初対面であるらしい。

 

 

「……………ッ!!」

 

 

「?」

 

 

そして、詩歌は一瞬ではあるが、視界の隅でシスターさんがビクッと体を震わせたのを見た。

 

『どうかしたんですか?』、と小声で訊ねようとする前に、

 

 

「ねぇ、そこのシスターさんとはどこで会ったの? もしかして、またとうまなの?」

 

 

インデックスさんは少々、ご立腹のご様子で、彼女の眼が『またかこの野郎』と語っている。

 

 

「インデックスさん、その通りです。これはもう私でも直しようがありません。長い間付き合ってきた経験から言わせれば、上手に付き合っていくしか方法がありませんね」

 

 

さすがのDr.詩歌もカミやん病の元のフラグ体質には匙を投げている。

 

どんなに防ごうと思っても少し目を離した隙にフラグを立ててしまうのだ。

 

まあ、詩歌もフラグ体質はしっかり受け継いでいるのだが。

 

 

「……お前らなぁ………というか、こっちもお前の横に突っ立てる凶悪神父に聞きたいんだけどな、何でこんな手の込んだ誘拐ごっこなんかやってんだ。そして、この炎天下ん中3kmもぐたぐたぐたと余計に歩かされた理由もぜひ問い質したい! 是非だ是非! 是か非でもと書いてな!!」

 

 

叫ぶ当麻に、ステイルは面倒臭そうな顔で、

 

 

「ああなんだ。狂言だって言うのはバレていたんだね。君達をここへ呼んだのは人探しを手伝って欲しかったからだよ。禁書目録はその為の囮に使っただけだ。ちなみに現場責任者はこちら。ローマ正教のアニェーゼ=サンクティス」

 

 

ステイルが適当に煙草の端で指すと『ど、どーもです』と厚底サンダルシスターさんは頭を下げる。

 

日本人はしょっちゅう頭を下げる、という事前情報は知っていたのだろうかが、動きが大袈裟すぎてホテルマンみたいに見える。

 

突然見ず知らずの人に矛先を変えられて、当麻は僅かに鼻白んだ。

 

現在当麻は絶賛の怒り中だが、まさか面識ゼロの人間にそれをぶつける訳にはいかない。

 

詩歌は詩歌で『また…ですか』と新たなるフラグの予感にやれやれと溜息を吐く。

 

と、ペースを崩された当麻へステイルは畳み掛けるように、

 

 

「悪いが君の世迷言に付き合っている時間はないんだ。さっきも言ったけど、君達をここへ呼んだのは人捜しが目的だ。今も250人体制で捜索しているが一向に見つからなくてね、時は一刻も争っているんだ。人の命が関わる問題だから速やかに協力して欲しい」

 

 

「世迷言って……協力を求めているくせにゲストって感じのいたわりが一切ないし! くそ、何だよもう! 人の命が関わるってどういう事だ、一からちゃんと説明しろ!」

 

 

「ああ、大丈夫大丈夫。君の隣にいるシスターをこっちに引き渡してくれればいいだけだから」

 

 

はい? と当麻は目を点にする。

 

ステイルは心底つまらなそうに煙草の煙を吐いてから、

 

 

「だから、君達の隣にいるシスターが行方不明の捜し人だよ。名前はオルソラ=アクィナス。はいお疲れ様。いやぁ良く頑張ってくれたね。もう、帰って良いよ」

 

 

「……あの。狂言誘拐(ドッキリ)かまされて、出所の怪しい学園都市の外出許可を片手に街から出てきた挙げ句、40度弱の炎天下の中を3kmも歩き続けたわたくし達の立場は?」

 

 

当麻は俯いてぶつぶつと言い出した。

 

が、

 

 

「だから、お疲れ様と言っているじゃないか。何だ、カキ氷でも奢って欲しいのかい?」

 

 

俯いて歯軋りをする当麻に、インデックスがあわわわわと顔を青くする。

 

プツン、と当麻のこめかみの辺りから面白い音が聞こえ、

 

 

「これまではさ。うまが合わないと知りながらも仲良くやっていこうとは思っていたんだ。本当だぞ。本当に思っていたんだぞ? ああ、今この瞬間まではな!!」

 

 

「じゃれてないでさっさとオルソラをアニェーゼに引き渡せ。何だ、君はもしかして構って欲しいのか。あいにくと僕は実の妹にメイド服を着せるような奴とは気持ち悪いからしたくない」

 

 

「おい、詩歌の格好は俺が要求したものじゃないぞ」

 

 

「どうせ君も土御門と同じなんだろ」

 

 

「違えええぇよっ!! これは止むを得ない事情があってな―――おい、詩歌からも何か言ってやれ。あの凶悪神父、調子に乗ってやがんぞ」

 

 

今まで事の成り行きを静かに見守っていた詩歌が『仕方ありませんね』と口の中で呟いてから一歩前に出る。

 

 

「はい、これは私が自らした事です」

 

 

と、そこで当麻に振り返り、

 

 

「……と言えば、よろしいんですね、ご主人様」

 

 

「ちょっと待て、それ―――」

 

 

「ああ、すみません、ご主人様。今日は首輪をつけてくるのを忘れていました」

 

 

と、詩歌はあたかも自分のうっかりを嘆くように額に掌を当てる。

 

 

「言ってねぇっ! そんなことひとっことも言ってねえからっ!! ―――って、うお!?」

 

 

「とうまああぁあああぁああっ!!!」

 

 

「アジアに危険人物がこんなに多いとはね」

 

 

マジギレをスルーされ、マジツッコミもスルーされ、さらにはマジで変態シスコン野郎の烙印を押された当麻は、猛犬インデックスに噛み付かれ、燃え尽きたようにその場で崩れ落ちてしまった。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「さて、冗談はここまでにして」

 

 

冤罪で身も心も傷ついた当麻を放置して話が再開される。

 

 

「ステイルさん。大凡の事は理解できました。しかし、いくつか納得できない部分があります。お手数ですが、事の内容を詳しく教えてもらってもよろしいでしょうか?」

 

 

と、笑みを含んだ柔らかい声でお願いしてくる詩歌にステイルは僅かにたじろぐ。

 

詩歌は当麻と違って、女の子であるし、理由は言わないが彼女の微笑みはどうもやりにくい。

 

だが、彼女は賢い。

 

そこにいる愚兄と違って冷静に弁える事は出来そうなものだが……

 

 

(……ん?)

 

 

そこで、詩歌の視線がさりげなく、対峙しているステイルだけにしか気づかないようにさりげなく、オルソラを指し示す。

 

ステイルはようやくオルソラが自分達を見ながら、小さく震えているのに気づく。

 

と、つまらなさそうに片目を閉じつつ、

 

 

「ふむ。不安になる必要はないさ。僕達イギリス清教は仕事が終わればさっさと撤退する。ま、その程度の警戒心は持ってしかるべきだとは思うけどさ」

 

 

人間、2人いれば争いが起き、3人集まれば、派閥ができる。

 

教会や魔術世界にも組織同士で敵対する事もある。

 

ローマ正教は世界最大宗派ではあるが、敵がいない訳ではないし、イギリス清教が必ずしもローマ正教の味方という訳ではない。

 

だが、今回は様々な思惑があり、イギリス清教はローマ正教と手を組んでいる。

 

 

「さあ、こっちへ早く―――」

 

 

と、手を差し伸べた時、

 

 

 

 

 

『いやいや。そうそう簡単に引き渡されては困るよなぁ?』

 

 

 

 

 

不意に、野太い男の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

声は不自然にも、真上から聞こえた。

 

その声につられて、当麻達が夕空を見上げると、7mぐらいの高さで、ソフトボールぐらいの大きさの紙風船がふわふわ浮いていた。

 

紙風船の薄い紙がひとりでにビリビリと振動し、先ほどの男が声を作り出す。

 

 

『オルソラ=アクィナス。それはお前が一番良く分かっているはずよな。お前はローマ正教に戻るよりも、我らと共にあった方が有意義な暮らしを送る事ができるとよ』

 

 

瞬間。

 

 

ゾフ!! という鋭い音と共に、詩歌とオルソラを遮るように地面から1本の剣の刀身が飛び出す。

 

頭上に意識を誘導させられていた当麻達にとってまさに死角からの不意打ちに近い。

 

 

ゾンギン!! さらに続けて2本、オルソラを囲うように飛び出す。

 

飛び出した3本の剣はサメの背びれが海面を引き裂くように地面を一直線に滑る。

 

地面はオルソラを中心に一辺2mの正三角形に切り抜かれた。

 

 

「あ――――ッ?」

 

 

ずず……、と重力の消える感覚にオルソラが恐怖というより戸惑いに近い声を上げる。

 

だが、それが明確な悲鳴となるより早く、正三角形に切り抜かれたアスファルトごとオルソラの体ごと暗い地下へと落下していく。

 

 

「天草式!!」

 

 

アニェーゼが叫んで手を伸ばすが、もう遅い。

 

オルソラの体は暗い闇の底へと呑み込まれ、もう見えない。

 

当麻は慌てて穴の縁へと走り、忌々しそうに舌打ちする。

 

 

「下水道かよ……ッ!」

 

 

頭上の紙風船は熱を帯びた、しかし要点を忘れない声で、

 

 

『ローマ正教の指揮官さえ追っていれば、オルソラ=アクィナスがどこへ逃げようが誰に捕まろうが、いずれはここまで連れて来られると踏んでいたのよ。まったく地下を辿って待ち構えていた甲斐があったというものよなぁ!!』

 

 

当麻には状況が全く理解できない。

 

下水道に潜んでいたのは誰なのか。

 

いきなりオルソラをさらった理由は何なのか。

 

しかし、これだけは分かる。

 

連中は、いきなり問答無用で刃物を使って人間を奪った。

 

それも話を聞く限り、突発的なものではなく、事前に計画を立てて、ずっとずっとひたすらにチャンスを待ち続けて。

 

 

「くそ!!」

 

 

当麻は正三角形に切り抜かれた穴の中を覗く。

 

暗いので遠近感は掴みづらいが、それほど高くはないと感じられた。

 

彼は飛び降りようと穴に向かって、

 

 

「ストップです、当麻さん」

 

 

「ぐえっ!?」

 

 

と、詩歌に後ろ首をむんずと掴まれた瞬間。

 

ギラリ、と。闇の中から、何十もの刃が閃いた。

 

夕日の僅かな光を照り返すのか、オレンジ色の光がギラギラヌラヌラと下水道の中を蠢いた。

 

刀身の光を浴びて、地下に潜む者達の輪郭だけがうっすらと浮かび上がる。

 

それは例えるなら錆び付いた刀や斧を構える山賊が、細い山道の脇の草むらでじっと息を殺して犠牲者が通りかかるのを待っているような光景を思わせた。

 

ぶわり、と熱風のような殺気の塊を当麻達に叩きつける。

 

 

「ちっ」

 

 

詩歌が当麻を抑え止めながら、食事用の銀のナイフで牽制しようとするが暗闇に覆われていて照準が付けられない。

 

一瞬、動きを封じられた当麻達の横でステイルがルーンを刻んだカードを取り出す。

 

4枚のカードを自分の周囲の地面へと投げて配置し、

 

 

我が手には炎(TIAFIMH)その形は剣(IHTSOTS)その役は断罪(AIHTROTC)―――ッ!」

 

 

ステイルが煙草を上に弾き、その軌跡を追って橙色のラインが出現。

 

そのラインに従うように炎の剣が手から現れた。

 

新たに生まれた強力な光源に、下水道の闇が一気に拭い去られる。

 

ステイルは炎剣を振りかぶるが………そこで動きは止まる。

 

炎剣によって照らし出された下水道の中には、誰もいなかった。

 

待ち構えていた無数の剣士も、オルソラの姿もない。

 

誰もいない。

 

ほんの一瞬でいなくなった。

 

頭上を浮いていた紙風船がゆっくりと降りて穴の中に落ちていく。

 

詩歌がそれを手にするが、

 

 

「使い捨てですか……魔力の痕跡がありません。……もうこれはただの紙風船ですね」

 

 

と、残念そうにポツリと呟く。

 

 

「ちくしょうが。何がどうなってやがんだ」

 

 

当麻は吐き捨てるように言って、

 

 

「おい。テメェ一から十まで説明する気はあんだろうな?」

 

 

「説明は、僕の方も求めたいぐらいだね」

 

 

ステイル=マグネスは踏みにじるように答えた。

 

 

 

つづく


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