とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
法の書編 迷える修道女
薄明座跡地 大ホール
廃劇場『薄明座』の跡地は学園都市からほんの3kmほど離れた場所にある。
潰れてから3週間も経っていないからか、建物には傷んだような場所は見当たらない。
それに、まだ内装の調度品は片付けられてない、掃除はしていないのでまだ埃が積もっているが、まだ『廃墟』という感じはしなかった。
きちんと掃除をして調度品を再び持ち込めば、すぐさま活気を吹き返しそうな気がする。
そうちょっと前まで廃校だったRFOのように。
インデックスとステイルは何もない舞台の上にいた。
舞台・観客席をワンセットとした、体育館ほどの広さを持つ大ホールには窓がなく、照明器具も外されている為、光源は開け放たれた5つの出入り口から差し込む夕暮れの光しかない。
薄夕闇に落ちる舞台の上で、インデックスは女の子座りしていた。
むっすー、と。彼女はほっぺたを膨らませて、
「卑怯者」
「返す言葉もないし、必要もないがな」
ステイルは少女の敵意ある視線に一瞬だけ怯みかけたが、決してそれを表には出さない。
咥え煙草の先に点いた火が、薄闇の中でゆっくりと上下する。
白い煙は揺らいで流れ、『禁煙』と書かれた壁際の表示板を撫でては消えていく。
「大体状況は分かってもらえたと思う。もう一度説明が必要か、とは問わないよ。君の記憶力を考えれば、二度繰り返す事に意味などないだろうからね」
「……イギリス清教の、正式な勅命」
インデックスはここに連れて来られてから、受けた説明をもう一度思い出す。
<法の書>。
<法の書>を解読すれば、世界バランスを崩す“天使の術式”が得られる。
<法の書>に限らず、魔導書の<原典>には多大な代償を払う代わりに、多大な恩恵が得られる。
そう人の身では余るほどの危険な力……
それをもし使いこなせる人間が現れたら。
自分は魔導書を読む力はあるが、あくまで『魔導図書館』、つまり、その本分は管理人にすぎない。
だが……自分が良く知る彼女は、おそらく魔導書の読み手足りうる力がある。
彼女なら、魔導書を使いこなせる―――いや、魔導書に愛される。
彼女なら誰にも解読できないはずの<法の書>を解読できる……そう思っていたのだが。彼女以外で読み手が現れた。
その者の名はオルソラ=アクィナス。
だが、彼女は、その<法の書>と共に日本にやってきた折に天草式十字凄教にさらわれた。
それで、今、ローマ正教の人間が<法の書>とオルソラの救出を目的に活動を始めている。
そして、元・天草式トップであり、イギリス清教に所属している<聖人>、神裂火織が行方不明になり、不穏な動きが予測されている。
なので、イギリス清教は表向きローマ正教に協力するという形で本件に関わるが、最優先事項は神裂が余計な真似を起こす前に問題を片付ける事だ。
「その正式な『お仕事』に、一般人のとうまとしいかを巻き込む訳?」
「実は僕も何で巻き込まなくちゃいけないのか少し疑問でね。まぁ、上のご指名というヤツさ」
ステイルは煙草の端をゆらゆら揺らし、
「その上、これでも僕たちは難しい立ち場にいてね。学園都市所属の上条兄妹へストレートに協力を求めると『科学サイドが魔術サイドに首を突っ込んだ』とみなされかねない。あくまで、学園都市内部で起きた問題なら『自衛』と言えば苦しい言い訳にはなっただろうけど、今回は違う。彼らが首を突っ込む為には、それ相応の動機づけが必要となった訳だ」
その為の、誘拐。
つまり、上条兄妹は<法の書>やオルソラなどとは関係なく、あくまで『さらわれたインデックスを助ける為に』学園都市の外へ出る事になり、そこで“たまたま”天草式の人間と出会ってしまい、仲間であるインデックスを助ける為に“やむなく“戦う羽目になった、というのが大義名分となる。
当然ながらインデックスは魔術サイドの人間だが、現在、学園都市とイギリス清教の間でいくつかの取り決めがされていて、彼女の身柄は一時的に学園都市が預かる事になっている。
そして、彼女の管理人である上条兄妹ならインデックスを助けてもおかしくはない。
「大体話は分かったけど、やっぱり納得はできないかも」
「そうかい?」
「うん。こんな回りくどい事しなくたって、とうまとしいかは『助けて』って言ったら助けに来てくれるもん。どんなに危ない場所でも絶対助けに来てくれるから、逆に頼みづらいんだけど」
あの2人は実に困った人だ。
困った人、という以外にちょっと表現の仕方が見つからない。
もちろん悪い人達という意味じゃない。
西に困っている人がいれば駆けつけて知恵を貸してやり、
北に捕まっている人がいれば強行突破して救出し、
東に助けを求めている人がいればすっ飛んで行って力になってやり、
南に泣いている人がいればいつの間にか側にいて慰め、
そして、生命力に充ち溢れ明るく能天気な人柄は多くの人に愛されている。
それに2人はびっくりするくらい似た者同士で、パズルのピースがぴったりはまるみたいに仲が良く、息も合っており、それゆえ、2人が揃った時の影響力は尋常なものではない。
自分もあの兄妹に救われ、好きになった者の1人である。
悪人どころか聖書に載ってもいいくらいの善人、とさえ言ってもいい。
ただ、2人とも功績に無頓着。
笑顔が報酬みたいで、こちらが恩を返そうとしてもいらないと断られてしまう。
これでは助けられた側の借金が溜まるばかりである。
「……そうかい」
ステイルは小さく笑った。
ステイルは知っている。
半月に一度、管理人の一人から送られてくる報告メールで彼女がどれだけ幸せに時を過ごしているかを。
かつて、自分と同じだったあの錬金術師が全てを捨てて求めても手に入れられなかった心底羨んだ光景を実現させている。
……正直、少し嫉妬している。
でも、自分は彼女の幸せを壊すことなんて絶対にしない。
むしろ、管理人の彼女には(もう1人の管理人には殺意を抱いているが)感謝している。
「それで、これからどうするの? <法の書>とオルソラ=アクィナスは天草式の手に落ちているんだよね。だったら、天草式の本拠地まで行くっていうの?」
少女の声に真剣味が宿る。
それは、上条当麻と上条詩歌が関わる以上、彼らの危険を少しでも軽減させる為に情報を集めておきたいという気持ちによるものだろうが。
「いや、状況は少し変わっている」
ステイルは苦そうに煙を吐いて
「つい11分前に、ローマ正教と逃亡中の天草式が激突したらしい。オルソラ救出戦だね」
インデックスは目を細める。
通信用に使っているのは煙草の煙だろう。
何度か細い煙に魔力が纏わりつくのをインデックスは見ているし、そのたびに白煙は風もないのに不自然な揺れ方をした。
狼煙は洋の東西を問わずあらゆる地域・時代で使われてきた遠隔通信手段であり、彼女の頭の中にも狼煙を使った古今東西の術式がいくつも収められている。
「それで成功したなら、私がここにいる必要はないはずなんだけど」
「その通りだ。が、明確に失敗した訳ではないよ。双方共に死者は出なかったが、どうも乱戦になったらしい。<法の書>の方は知らないが、オルソラはその隙をついて逃げ出したそうだ」
「? ローマ正教の方にも戻っていないの?」
「そういう事になるね。現在行方不明だから、再び天草式の手に落ちる危険性もある」
「……それはまずいかも」
人質が抵抗すれば暴力で黙らせるのが誘拐犯というものだ。
まして”逃亡”した後にもう一度捕まったとなれば、反抗心を削ぐために何をされるか分かったものではない。
そうなるとこんな所でじっとしている暇はない。
今もローマ正教と天草式は逃げたオルソラの捜索・争奪戦を繰り広げているはずだ。
「できれば、上条兄妹……どちらか1人でもいいから急いで欲しいものだが、今さら書き置きの命令内容を変更する事もできないしね。ローマ正教側からの協力者が来る前に彼らとは合流したかったが……」
ステイルが言った時、開けっ放しだった大ホールの出入り口の1つに、人影が現れた。
「……残念ながら、僕たちも彼らを待たずして動き始めなきゃならないみたいだ」
その人影は、ローマ正教側の人間だった。
学園都市外附近
「なんか最近、結構街の外に出てるよなー……できればのんびり見物してみたいもんだけど」
当麻は1人で学園都市の『外』の外壁沿いの道を歩いていた。
外壁の高さは5m以上と高く、幅も3mと厚い。
(しかしまぁ、<大覇星祭>の準備期間中ってやっぱ警備が甘いのかもな)
当麻は遠く離れた出入り口をチラリと振り返る。
普段は警備の厳しい学園都市だが、230万人もの人間が参加する<大覇星祭>の準備の為、街の外からも業者がたくさん出入りしなければならないので、今だけは甘くならざるを得ない。
当麻は外出用の書類を持っているのだが、そのチェックもいつもよりもぞんざいだったような気がする。
そんなこんなで、部屋の中に荷物を置いて適当に準備を済ませた当麻は街の外へ歩いていた。
時計を見ると午後6時過ぎ、約束の時間までまだ1時間近くある。
当麻が部屋を出た時には、詩歌はすでにいなくなっていたので、誰に見送られず、少しだけ淋しい想いをしたが、詩歌も詩歌なりに、インデックスの安否を考え、何か行動しているのだろうと思う。
そもそも、詩歌がじっとしているような性質とは思えない。
見た目こそは、清楚なお嬢様な詩歌だが、行動力がずば抜けて高く、スパイとして活躍できるだけの技量も持ち合わせているので、その気になれば学園都市の外壁など軽々と飛び越えてしまう奴なのだ。
実際、9月1日の『特別警戒宣言』を彼女は一瞬で大胆かつこっそりと突破してきている。
なので、詩歌の方が先に目的地に着いていても何ら不思議には思わない。
とまあ、詩歌の事はさておき、『薄明座』の場所は携帯のGPSには載っていない。
おそらく、情報更新が早過ぎて、潰れた建物の情報は消去されてしまったのだろう。
詩歌の事もそうだが、優秀過ぎると言うのも考えものだと当麻は思った。
そこで、近くのコンビニの“更新情報の遅い”東京観光ガイドブックを買う事にした。
完全記憶能力を持つインデックスや、幼い頃に情報圧縮記憶法を習得している詩歌なら購入する必要はないのだろうが……
そう考えると、その程度でお金を使ってしまった事に不幸だと思ってしまう。
(ううっ! お、俺が普通なんだよな。あいつらが非凡過ぎるだけで……)
その時、すぐ近くのバスの停留所が見えた。
待ち合わせ場所である『薄明座』跡地は1kmほど離れた地点にある。
放課後でへとへとと言う事も考えれば冷房の効いたバスに乗って行きたいが、今日はこれ以上、お金を使いたくない。
(ちっくしょー……あー、バスで行く行かないより冷房の効いたトコに入りたい)
停留所は小さく、ベンチが2つと雨除けの屋根がついているだけだった。
ただし、老朽化が進んでいるのか、プラスチックの屋根をは所々がバキバキと割れていた。
と、その停留所に誰かがいる事に気付いた。
外国人の雰囲気っぽい少女で、身長は当麻と同じくらい。
この猛暑の中、何を考えているかは分からないが、真っ黒い修道服(服の肩口やスカートの膝上20cmの所に着脱可能なファスナーがついているがフル装備)を着て、両手は白色の薄い手袋をして、頭全体を覆い隠すウィンプルまでしているので、顔以外の肌が見えなかった。
布1枚で簡単に髪を隠せると言う事は、おそらくショートカットなのだろう。
と、当麻は彼女の様子を簡単に分析しながら、
(む、シスターさんだ……まさか、インデックスの知り合いのジュノサイド修道女とかじゃあるまいな)
世界中のシスターさんが猛抗議してきそうな偏見だが、当麻はこの夏休みだけでもステイルだの土御門だのといった面々にとんでもない目に遭わされている。
まあ、最もとんでもない目に遭わされているのはジュノサイド妹だろうけど……
何にせよ、当麻としては、ヘンテコな修道女を着た女の子には警戒せよという感じなのだが、
「あのー……」
シスターさんの方から話しかけられた。
とてつもなく丁寧な日本語で語り始める。
「恐れ入りますが、学園都市に向かうためにはこのバスに乗ればよいのでしょうか?」
こちらが恐れ入るほど丁寧でヘンテコな日本語だった。
当麻は立ち止まって、改めてシスターの方を振り返った。
顔以外の全部の肌を隠しているシスターさんだが、逆に盛り上がった胸やくびれた腰が浮いている(というか見ようによってはわざと強調しているようにも見える)奇妙な人だった。
ん……そう言えば、一度詩歌がどこから学んだか分からないが、当麻でも分からない完璧な変装メイクを見せてもらった事がある。
そうなると……もしかすると、このシスターさんは
いや、似通ってはいるが詩歌と比べるとスタイルの若干ぽっちゃりしているし、背も若干高いように見えるし……やはり、別人か……? と、頭の隅で思いつつも
「いや、学園都市行きのバスはねぇよ」
「はい?」
「だから、学園都市は『外』との交通機関を切断しちまってんの。つまり、バスも電車も通ってない。乗り入れ契約しているタクシーならは入れるけど、普通に歩いて行った方が安上がりだぞ」
「そうでございますか。それであなた様は徒歩で学園都市から出てきたのでございますね」
シスターさんがすらすら言うので当麻は振り返ってみたが、ここからゲートの先は見えない。
改めてシスターさんの方を見ると、彼女は袖の中からごそごそと何かを取り出した。
安っぽいオペラグラスだ。
こちらで確認したのでございますよ、とシスターさんは笑って言う。
と、ボロボロの停留所に合わせたようなオンボロなバスがやってきた。
炭酸の抜けるような音と共に、バスの自動ドアが開く。
当麻はバスに乗る気がないので停留所から少し離れる事にした。
シスターさんの方を振り返りながら、
「とにかくバスに乗っても学園都市に行けねえから、許可証持ってるならそのまま歩いてゲートへ向かえばいいよ。多分7、8分ぐらいで着くと思うけど」
「これはこれは、お忙しい中、ご助言いただき、まことにありがとうございました」
漆黒のシスターさんはにこにこと笑いながらぺこりと頭を下げて――――
――――そのままバスに乗り込んでしまった。
「って、おい! バスに乗っちゃ駄目だっつたろ5秒前に!」
「あ、はい。そうでございましたね」
そう言ってバスから長いスカートを両手でつまんで降りてくるシスターさんに当麻は、
「だからな、学園都市は『外』との交通機関は切断してるんだよ! だからバスも電車も繋がってないの。街に入りたければ歩いてゲートに行って来い。分かったか?」
「確かに。すみません、何度も何度もご迷惑をおかけしてしまって」
苦笑いと共にシスターさんは当麻にぺこりと頭を下げつつ――――
――――彼女はそのままタラップを踏んでバスの中へと吸い込まれていく。
「こらぁ!! テメェこっちの説明を笑顔で全部聞き流してんだろ!?」
何だこれは、もしかして天然なのか!?
当麻さんのツッコミが天然ボケに通じるか試してんですか!?
「え? いえ、決してそのような事はございませんよ」
再びいそいそとバスから降りてくるシスターさん。
運転手は迷惑そうな顔のままバスの自動ドアを閉め、乱暴にバスを発進させていった。
ぽけーっとバスの後ろ姿を見送っているシスターさんを見て、当麻は猛烈に心配になってきた。
目を離したら10分で迷子になりそうな女の子なのだ。
が、シスターさんはそうした当麻の危惧など一切気付いていない様子で、
「おや、何かイライラしているように見えるのでございますね」
と、ゆっくりと顔を近づけ、
「失礼ですがあなた様はかなりの汗をかいているのでございますよ」
シスターさんは白いレースのハンカチを取り出して、当麻の額に押し当てた。
ハンカチ越しのシスターさんの指先は折れてしまいそうに繊細かつしなやか。
息がかかりそうなほど迫りくる顔を直視できず、視線を下にずらすと、丸く膨らんだ胸がある。
当麻の顔が徐々に紅潮――――
ヒュッ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当麻と頭部真横スレスレに何かが空を引き裂きながら通り過ぎて、停留所の時刻表に突き刺さった。
フォーク。
ちょっと高級そうな銀のフォークだった。
時刻表に突き刺さるほど鋭く、精密なコントロール。
当麻の脳裏にこれができそうな人物が1人浮かび上がる。
と、その時、
「当麻さぁ~ん」
背後から声が聞こえてきた。
恐る恐る首を捻ると、学園都市で待っていると思っていた……詩歌が笑顔を凍りつかせていた。
――――自発呼吸停止、心停止、瞳孔拡大、脳波平坦化。
5秒程魂が抜けた後、当麻はもう一度確認する。
うん、間違いない。
しかし……何故か彼女はメイド服のようなものを着ている。
いや、それよりも背中からどす黒いオーラを立ち昇らせて、こちらにスタスタ、とまっすぐ歩いてくる。
両手の指の間にナイフとフォークを4本ずつ、構えながら……
彼女の投擲技術は半径10mの範囲で、邪魔が入らなければ、的中率は100%。
<幻想殺し>は異能であるなら無敵の盾と言っても良いかもしれないが、それ以外ではただの右手だ。
さらに、当麻の背後にはシスターさんがいる。
今、“手が滑って”しまったら、防ぎようがない。
(くそっ!)
当麻は心の中で舌打ちをする。
まさか……いや、きっと来るだろうと思ったがこのタイミングで……
今、詩歌のいる位置からこちらを見れば、当麻とこのシスターさんが接吻しているように見えたのだろう。
最悪、無理矢理迫っているように見えたのかもしれない。
『お前の気持ちは父さんも良く分かる。私もお前のように色々と誤解を受ける事が多々あるからな……だがな、それは誤解なんだ。いいか、当麻。誠心誠意話し合えばきっと相手もその事に気付いてくれるはずだ』
父であり先達者からの重みのある言葉。
(父さん、俺やってみるよ)
その言葉を思い出し、当麻は、
「し、詩歌、落ち着け、クールになれ。そして、当麻さんの話を良く聞いてくれ」
「全く当麻さんは、『外』に出てまずやる事が女の子を引っ掛ける事なんですね」
「違う! 当麻さんはそんなナンパ野郎じゃございません事よ!」
「本当に?」
「本当でございます! だから、詩歌様、早くその指に挟んであるナイフとフォークを仕舞ってもらえないでしょうか?」
当麻はまるで父、刀夜がラッキーイベントを起こした際、母、詩菜に土下座するように、説得を試みる。
しかし、詩歌も、
『詩歌さん、心苦しいですが疑わしきは罰せよ、です』
と、母であり先達者からありがたいお言葉を貰っている。
今回も願いも空しく、当麻は散ってしまうのか……と、思ったら、
「はぁ、もしかしてお知り合いでございますか?」
シスターさんはのんびりと頬に手を当てて微笑んでいる。
どうやら、彼女は飛来してきたフォークに気付かなかったようだ。
しかし、割って入った事で、詩歌はようやくシスターさんの方へ視線をずらす。
「なっ!?」
瞬間、詩歌の両目が思い切り見開かれる。
(くっ、TFP(当麻フラグ数値)が1000…2000…4000…8000…―――キャッ!?)
計測不能、FC(フラグカウンター)が爆発。
どうやら、彼女は詩歌が今まで会ってきた女性の中で最高記録を塗り替えるほどの強敵?
いや、まだフラグは立っていないからセーフだ。
しかし、もし、第1段階(フラグ成立前)から第2段階(フラグ成立後)……さ、さらには、第3段階(カミやん病罹患)になってしまったら……
(……これは久々に本気を出さなければいけないかもしれません。やはり、来て正解でした)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(むむ、あの身のこなし……できますね。それにあの年上特有のオーラはお姉さん……ではなく、お婆さん? ―――いえ、流石にそれは年上過ぎる)
強敵? 出現……ということで、詩歌は矛先を下ろし、戦力分析に移行。
さりげなく、シスターさんの言動、動き、雰囲気に注意を払う。
(詩歌がナイフとフォークを仕舞ってくれた。……これは、もしかすると誤解だと分かってくれたのか?)
一方、当麻は当麻で、詩歌が狂戦士から立ち直ってくれたのを感じ取った。
これをチャンスだと判断し、会話でその気を完全に有耶無耶にしようと試みる。
「なあ、詩歌。色々と言いたい事や聞きたい事があるんだがいいか?」
「手短にお願いします」
分析に忙しいようだが、会話には応じてくれたようだ。
「どうして、ここにいるんだ? お前、寮の規則とか大丈夫なのか?」
「当麻さんを1人で学園都市の外へ行かすなど、盛りの付いた犬を解き放つようなものです。現に、こうやって女の子を誘蛾灯のように引きつけるのですから、全く油断できません」
「当麻さんは発情中の雄犬扱いか!?」
「ふふふ、半分冗談です。私もインデックスさんが心配だからに決まっているからじゃないですか」
半分は本気なのかよ、とツッコミたくなるが止めておく。
これ以上、妹からの評価を聞いたら立ち直れなくなりそうだ。
「それから、今の私は、おはようからおやすみまで、揺り籠から墓場まで、ご主人様をサポートする、マスター・オブ・メイドです」
そう言って、詩歌は折り目正しく綺麗に一礼をする。
今の詩歌の姿は、常盤台の制服ではなく、以前、盛夏祭で見た時と同様、濃紺のワンピースにフリル付きの白いエプロンドレスを組み合わせたエプロンドレス、そして、ホワイトブリムと呼ばれる同じく白いレース付きのカチューシャ。
まさしく、主にご奉仕することを生甲斐とするメイドのそれだ。
「以前にもお話しした事がありましたが、実は私、社会勉強の一環で去年、舞夏さんのいる繚乱家政婦女学院に体験入学した事がありましてね。そこで、色々と面倒事を解決したら、そこの先生から『100年に1人の逸材』と言われまして、体験が終わった時に特別に『エリートメイド』の称号を貰ったんですよ」
どうやら、詩歌はお嬢様でありながら、メイドのスキルも持ち合わせているらしい。
さらに、学校からの許可さえ得られれば学園都市外まで『研修』が可能なライセンスも持ち合わせており、そこで学校に情報工作を行い、『今日は体験学習の為に学園都市外へ『研修』に行く事になっていた』、としたそうだ
本当にハイスペックな奴だ。
だが、『研修』という事は、詩歌はメイド服に着なくてはならない。
「詩歌、わざわざそこまでしなくても、俺1人で……」
すると、詩歌はちょっと口を尖らせた。
「ふ~ん、当麻さん、私と一緒がイヤなんですか」
「は?」
「私と一緒にいたくないから、そんな事を言うんですね」
よよよ……と顔に手を当て泣き出す詩歌。
「い、いや、そういう事じゃなくてな。詩歌に面倒事をかけたくないと言うか……」
「前に迷惑ならいくらでも掛けても良い、と私は仰いましたよね?」
「うぐ……」
と、兄妹の諍いに決着がつきそうになった時、再びシスターさんが問い掛ける。
「あなた方はもしかするとバカップルなのでございましょうか?」
シスターさんはどうやら2人が仲睦まじく会話しているのを横から見て、恋人同士だと判断したようだ。
「え、ええ! 私達は比翼連理の―――」
両手の人差し指をちょんちょんとしてモジモジしながら、
「んなっ! ち、違ぇよ! 俺と詩歌は兄妹だ!」
詩歌が何か言う前に、当麻が真実を告げて否定した。
「だから、俺達はバカップルなんかじゃねーって。な、詩歌?」
当麻としたら100%悪気はないのだろうけど、詩歌の幻想を破壊した。
いや、そんな事は言われなくても分かっていたのだろうけど、もう少しくらい夢を見させても……
同意を求める当麻に、詩歌はにっこりと微笑みかけて、
「当麻さん、正座」
「え? な―――」
「当麻さん、正座しなさい」
「イエス・マム!」
2回目を言わせるなよ、という全身から放たれる重圧に当麻は反射的に詩歌の前で正座する。
「……」
詩歌はどこからともなく魔法瓶とティーカップを取り出すと無言で当麻の頭の上にティーカップを置き、熱々のお茶を注いだ。
「ちょ……っ、詩歌さん!?」
閑話休題
『当麻さん、姿勢が悪いので特訓です』
突如、姿勢矯正を受ける事になった当麻を他所に詩歌とシスターさんは優雅にお茶を飲みながら歓談中。
メイドスキルなのかは分からないが、ティーカップやナイフなど、ありとあらゆる状況に対応する為に色々と隠し持っている。
なので、いつでもどこでもティータイムをする事や躾をする事など造作もない。
―――で、今、先ほどの恋人発言に気を良くした詩歌は、姿勢矯正中の当麻の代わりにシスターさんの相談を対応している。
「はい、この時期は<大覇星祭>で警備が緩くなっているようですが、基本、学園都市は徒歩で行かなければ中へ入れませんね――――はい、これが学園都市の中に入る手順を簡単にまとめたモノです」
「まぁ、ありがとうございます」
当麻が対応しきれなかったお婆ちゃん思考を持つシスターさんに、言葉だけでなく地図も使い、詩歌はゆっくり懇切丁寧に分かりやすく教えていく。
「それで、許可証はお持ちですか?」
「許可証、でございますか?」
案の定、きょとんとした顔だった。
学園都市のゲートを通るには、街が発行する許可証がいる。
理由はわざわざ説明するまでもないだろう。
そう伝えると、シスターさんは困ったように頬に手を当てて、
「その許可証というのは、どこでもらえばよろしいのでございましょうか?」
「一般の方だと厳しいかと……街の関係者、もしくは、商品・資材の搬入の為の業者なら大丈夫かと思いますが……それに彼らにしたって審査があります」
「はあ。それでは、もう諦めるしかないのでございますね」
シスターさんはしょんぼりと肩を落とした。
が、しつこく食い下がる様子がない所を見ると、別に必ず学園都市へ行かなかければならないと言う事もなさそうだ。
こればっかりはどうしようもない。
それから、そろそろカップを取ってもらえませんかね。
と、当麻が罪悪感を駆られつつも視線で助けを求めるが、シスターさんはそれに気付かず(メイドさんの方は敢えて無視)、『それでは』と言って学園都市のゲートの方に歩き出し―――
「だからァああああ!! 許可証がなきゃ街に入れないって――――アチイイイイイィイッ!!」
瞬間、バランスが崩れ、熱湯コマーシャルでのリアクション芸人張りの反応を見せる当麻。
どうやら、あまりのシスターさんの天然ボケにツッコミ魂が抑えきれなかったようだ。
そして、詩歌は『本来は私がそのポジションだったのに……小奴、デキる』とシスターさんの危険度数を上昇させている。
誰も当麻の心配をしていないようだった。
「はあ。どうしましょう」
言われてみれば、という感じでシスターさんは立ち止まって振り返る。
ついさっきまでほのぼのと笑ってたくせに、シスターさんの顔がみるみる曇っていく。
何か物凄く困ったような顔をするシスターさんに、
「まあ、許可証がなくても入ろうと思えば入れますよ。今すぐは無理ですけど、友人の手を借りれば……でも、今はちょっと……」
許可証がなくても、学園都市に入れる事は入れるのだ。
実際、魔術師なんかは無礼講でポンポンと壁を飛び越えたり、業者に紛れてこっそり裏道から侵入したり……
しかし、その為にはある程度のスキルか学園都市内部の伝手が必要だ。
スキルの方はなさそうだが、伝手の方は詩歌が協力すれば何とかなりそう……
だが、詩歌も、それに当麻もインデックスの件がある以上、あまりこんな場所で無駄に時間を使っている余裕もない。
指定の時間に指定の場所へ行けなくなる事態だけは避けねばならないのだが、
「何故、あなたは学園都市に行きたいんですか?」
はぁ、とシスターさんはちょっと首を傾げて、
「実は私、追われているのでございます」
と言った。
途端に詩歌は頭のギアを切り替える。
修道女の格好をしている少女が、科学側の総本山である学園都市へ逃げ込もうとしている。
(これは………)
「…………もしかして、魔術絡みでしょうか?」
そう言うとシスターさんの顔が驚愕に変わる。
「魔術を……知っているのでございますか」
その反応に兄妹揃って溜息をつく。
「確かに、学園都市は魔術側の影響が及ばない街で、追手が魔術師ならばやりにくいかと思われますが、それでも安全とはいえません」
「ああ、気合の入ってるヤツならバンバン侵入してくるし」
インデックスと言う少女を取り巻く環境を知っている上条兄妹としては学園都市の中に逃げ込んだ程度で魔術師が引き下がらないのは嫌と言うほど理解している。
「それではどうすれば―――」
シスターさんはやや泣きそうな顔になる。
2人も魔術師と呼ばれる人々がどれだけ危険かは知っているし、このまま放っておくのは気が引けるのだが、
「―――バスの路線図を読む事ができるのでしょうか?」
それを見て詩歌も、
「ええっと、バスの路線図の読み方は―――」
「何個前の話題だよ! しかも路線図ってなんか新ワードが追加されてるし! つーか、詩歌も詩歌で教えてんじゃねーよ! 学園都市に入る入らないの話はどこ行った!?」
当麻は叫ぶ。
キョトンとした顔の、言動が巻き戻されるシスターさんと、『天丼ですか、やりますね』と、天然と計算が半分半分の妹メイドに当麻は本気で頭を抱える。
が、そろそろ決めなくてはならない。
この追われているシスターを助けるか否か、誘拐された(らしい)インデックスを迎えに行くか否か。
どっちか片方を切り捨てるなんかやりたくないし、どうすればいいんだ!!
自分よりも優秀な妹がいるが、ここは兄である自分が決断しなくてはならない。
詩歌も『ご主人様のご命令に従います』と、こちらに視線を向けている。
仕方がない。
どちらか見捨てるなんかしたくないし、妹の前では少しでも格好良い兄でいたい。
それに、餅は餅屋というし、魔術側の問題ならインデックスやステイルに相談した方が良いのかもしれない。
……ついでに、この2人、ダブルシスターズが相手だとツッコミの手が足りないし。
つづく