とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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正体不明編 幻想を護りし者達

正体不明編 幻想を護りし者達

 

 

 

地下街

 

 

 

天上から降ってきた建材は意外と軽く、当麻は建材と土砂によって封鎖された道をどうにか抉じ開けると、風斬やシェリーを追う為に通路の奥へと走り出した。

 

この辺りは多くのデパートが立ち並んでいるらしく、デパート地下同士で複雑に通路を繋げていた。

 

先ほどまでの一本道とは違い、蜘蛛の巣のように入り組んだ構造をしている。

 

 

(くそ、一体何がどうなってんだ……?)

 

 

風斬氷華の事が気にかかる。

 

あの様子を見ると、彼女は自分の身に宿る異常な部分に気付いていないようだった。

 

鏡に映る己の姿を化物のように見て、悲鳴を上げたのだ。

 

当麻には風斬が今日この日この瞬間に初めてその事実を突きつけられてパニックを引き起こしたように見えた。

 

 

(……って事は、やっぱりあれは風斬の能力じゃねぇのか? それとも、あいつ自身が自覚していない能力者なのか? 畜生、何にも分かんねぇな。そもそも、あいつはあのままで大丈夫なのか? 治療するにしても……どうすれば良い?)

 

 

そこまで考えて、当麻は思わず立ち止まってしまう。

 

風斬の、あの異様な姿が脳裏に浮かぶ。

 

彼女を助けるにしても、どういう方法で助ければ助けた事になるのか?

 

分からない。

 

自分は一体どうすればいいのか分からない。

 

自分がどうしたいのかさえも分からなくなる。

 

と、その時、

 

 

「標的発見!」

 

 

当麻は忘れていた。

 

上条当麻にとって何が最悪の天敵なのか。

 

そして、今、テロリストに狙われた方が全然マシだと思える脅威がその身に迫り来ようとしている事を。

 

 

「? この声は詩―――」

 

 

そう上条詩歌の存在を。

 

当麻は何気なく後ろを振り返―――

 

 

「―――うごぉっっ!!??」

 

 

―――えるとそこには詩歌がいた。

 

顔は笑っているが、詩歌の目は1mmも笑ってなかった。

 

ハーレム展開を察知した詩歌のその瞳は、当麻にとって獲物を前にした蜘蛛の目に見えた。

 

 

「まずは金的!」

 

 

当麻の身体が浮く。

 

 

「次も金的!」

 

 

また、当麻の身体が浮く。

 

 

「最後も金的!」

 

 

ガードする間もなく、またまた当麻の身体が浮く。

 

 

「もう1つおまけに金的!」

 

 

ガードをすり抜けて、当麻の身体が天高く舞い上がる。

 

素晴らしい、世界を狙える1発でもKOできる素晴らしい角度と破壊力満点の連続アッパーが炸裂。

 

今まで感じてきた中で5本の指に入る超激痛に声すらあげる事ができず、当麻は股間を押さえながら、崩れ落ちる。

 

あの土御門の急所を抉る猛攻に耐えきった当麻が、無残にも崩れ落ちた。

 

このえげつない不意打ちに比べたら、美琴の電撃もインデックスのかみくだくも児戯に等しい。

 

さっきとは違う理由で頭が真っ白になり、目が霞み、何にも聞こえなくなる。

 

そして、悶絶しながら、当麻は思う。

 

 

「よし、一夫多妻去勢拳、完成です! ハーレム展開なんて、そんな幻想はぶち殺す!」

 

 

やっぱり、すぐに逃げた方が良かったと。

 

 

遺書 『俺の妹が一番怖い』

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

当麻との電話を切ってから、詩歌はすぐに制服に着替え、地下街へと向かった。

 

途中、色々と障害(分厚い隔壁に、石像に、<警備員>)はあったようだが、そこは友人の力(と愛の力)で(強引に)突破したらしい。

 

いや……何となく来るような予感がしたのだが、まさか本当に来るとは……

 

それから……

 

 

「ハーレム展開+ラッキーイベント2回のお仕置きはこれで終了としときましょうか」

 

 

会って、まず最初にしたのが自分のお仕置きとは……

 

流石、詩歌、どんな時でも躾を忘れない。

 

何故詩歌が当麻のラッキーイベント数を把握しているかについては、恋する乙女の超能力と言っておこう。

 

一夫多妻去勢拳とは男の大事な急所を凸から凹にする男にとって史上最悪の一撃。

 

偶々道端で出会った知り合いに挨拶するような気軽さで、詩歌は問答無用の一夫多妻去勢拳を当麻の男としての急所に、4発も炸裂させた。

 

しかも、性質の悪い事に単純な速度の他に、意表を突くタイミングも織り込み済みである。

 

これは、当麻の男としての将来―――

 

 

「大丈夫です。ちゃんと機能を失う一歩前に微調整しましたから(じゃないと、色々と困りますし…………ぽ////)」

 

 

―――は大丈夫なようだ。

 

流石、『当麻さんの死線? そんなのは見なくても分かります。いえ、むしろ、当麻さんの死線は私が決めています』と豪語するだけの事はある。

 

 

「さて、当麻さん。現状について説明を」

 

 

未だに動けない当麻の腕を掴み、人形のように引き摺る格好で移動を始める詩歌。

 

不思議な事にその方向は風斬とシェリーが向かった方向と同じだった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

風斬氷華について分からない事が多すぎる。

 

なので、少しだけ迷ったものの、科学側の知識について当麻よりも確実に豊富で、ありとあらゆる事に精通している賢い妹、詩歌に相談する事にした。

 

小萌先生という手もあったが、当麻の不幸慣れしている詩歌の方が良と判断……というか、無理矢理吐かされた。

 

言わないと、またヤルって………ブルブル………

 

詩歌には隠し事ができない。

 

どうやら、ここに来て、当麻の耐久力VS詩歌のお仕置きのイタチごっこは妹のほうに分がでてきたようだ。

 

 

「詩歌、何か分かるか?」

 

 

詩歌に、風斬氷華と過ごした印象、姫神から聞いた霧ヶ丘女学院での噂、そして、あの非現実的な光景について説明する。

 

 

「……当麻さん、風斬さんに避けられたり、怖がられたりしませんでしたか?」

 

 

当麻の話をじっと聞いていた詩歌は、説明が終わるとすぐに問いを発する。

 

 

「ん? そういや、何故か避けられてたな……それが、どうかしたのか?」

 

 

そうですか……と、口にした後、少しだけ躊躇いがちに、

 

 

「実際に会っていませんので、100%、とは言い難いですが、おそらく、当麻さんの右手、<幻想殺し>を本能で恐れていたのでしょう。なぜなら、彼女は<天使>、ミーシャ=クロイツェフと同じ異能の塊、AIM拡散力場の集合体だからです」

 

 

ミーシャ=クロイツェフ……その言葉は記憶に新しい。

 

あれは確か<御使堕し>によって人の位に堕とされ、危うく人類を滅亡させようとした<天使>の名だ。

 

そして、<天使>とは神が操る異能の塊のような存在だ。

 

 

「どういう事だ、詩歌……?」

 

 

「当麻さん、人間を機械で測定したら、色々なデータが取れます。熱の生成・放出・吸収。光の反射・屈折・吸収。生体電気の発生と、それに伴う磁場の形成。酸素の消費と二酸化炭素の排出。もっと基本的な所なら質量や重量など、あげたらキリがありません」

 

 

いきなり、話が変わる。

 

何が言いたいのか分からないし、それは風斬について関係あるのか、とさえ思う。

 

でも、詩歌の表情はほぼ明確な解を得ているようだった。

 

 

「もし、人間のデータが全てそこに揃ったとしたら、そこに『人間』がいる事になりませんか? つまり、『人間』がいるからデータが取れるなら、データがあれば『人間』がそこにいるという事です」

 

 

「な……に?」

 

 

当麻の声が詰まった。

 

 

「読書感想文にも書いたのですが、AIM拡散力場は能力者が無意識に放つ磁場や熱量といった力場の事です」

 

 

AIM拡散力場とは能力者が発する精密機器を使わなければ人間には観測できないほど微弱で、千差万別の力や種類を持つ、現実に対する無意識の干渉であるこの力場。

 

学園都市には能力者180万人分のAIM拡散力場が満ちている。

 

 

「<幻想猛獣(AIMビースト)>、と言うものを一度だけ見た事があります。―――その正体は<幻想御手>というものでネットワークを繋いだ1万人の能力者のAIM拡散力場が、重なり合ってできた集合体。その基盤は、発火能力者のAIM拡散力場が熱を、念動力者のAIM拡散力が感触を、音波能力者のAIM拡散力場が鳴き声を、と言ったものです」

 

 

詩歌はかつて、木山事件の際、暴走した<幻想御手>から出現した<幻想猛獣>に触れ、その構造について、大まかに理解しており、消滅する際に当麻が風斬の空洞で見たものと同様の三角柱の基盤についても目撃している。

 

 

「風斬氷華……実は、私も<虚数学区>の噂については知っていました。もちろん、<風斬氷華>についても……彼女はおそらく<幻想猛獣>と似たようなものをでしょう。ただし、彼女の方が段違いに格上でしょうが……つまり、学園都市にいる全能力者のAIM拡散力場が相互干渉を重ね束ねられてしまった結果、風斬氷華を生み出したのでしょう」

 

 

つまり、人間がいたからではなく、人間が生み出すデータと同等の異能の塊があったから、当麻は風斬氷華のことを人間だと認識したという事だ。

 

それが詩歌の結論なのだろう。

 

だが、しかし、それでも当麻には腑に落ちない事があった。

 

 

「詩歌! ちょっと待てよ! 風斬自身はその事に全く気づいていないようだったぞ! あいつが本当にそんな人間以外のものだったら、おかしいじゃねぇか!?」

 

 

そう、風斬はあの時、欠けた自分の姿を見て、初めて自分の正体が人間ではないと気付いたはずだ。

 

なら―――

 

 

「おかしい、ですか? 生まれた時からずっと自分が人間だと思い込んでいれば、自分の存在に何の疑問の持ちようがないです。それから、AIM拡散力場は、その人の心、<自分だけの現実>が基盤となっておりますので、その人の強い記憶や想いが残留思念となり、僅かながらも宿っている可能性が少なからずあると私は推測しています。この街の能力者はほとんど学生。なら、彼らの残留思念が彼女という空っぽの器を満たして、自分の事を学生だと思い込んでいてもおかしいものではありません」

 

 

「な―――」

 

 

―――んだ、それは……と当麻は驚愕する。

 

詩歌の話が正しいとするならば、風斬は学園都市に住む能力者達の力の残滓の塊。

 

そこに彼女自身の意思はなく、彼女の信じる想いすらも、外部の手によって勝手に作り出されただけ。

 

 

「最初にも言いましたが、論理的に言えば風斬氷華さんは人間ではなく、異能の塊。AIM拡散力場が引き起こした物理現象の1つです」

 

 

詩歌の言葉に当麻の全身から血の気が引いた。

 

 

「ちくしょう……そんなのって、アリなのかよ。ひどすぎる」

 

 

「ひどい、ですか」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

風斬氷華は、今になってようやく焼けるような痛みを感じ始めていた。

 

 

「う、ぐうう……っ!?」

 

 

顔の半分、左腕、左の脇腹。

 

其々に灼熱で溶けた鉄を流し込まれたような激痛が襲いかかる。

 

あまりの激痛に風斬は走るどころか立っている事もできず、冷たい地面に倒れ込んだ。

 

少しでも気を紛らわせる為か、彼女は両脚を振り乱し、地面の上を転がり回る。

 

常人なら死んでもおかしくない程の痛覚情報を叩きつけられながら、死への逃避すらも許されない。

 

生き地獄とはまさにこの事だった。

 

だが、それも長くは続かない。

 

 

「あ……?」

 

 

驚くべき変化が起こる。

 

ぐじゅり、と。ゼリーが崩れるような音と共に傷口が塞がり始めたのだ。

 

まるで巻き戻しのように、人間ではありえない速度で、あっという間に開いた空洞が修復されていく。

 

発狂すると思うほどの激痛もそれに合わせて、熱が冷めるように引いていく。

 

だが、それと引き換えに冷めた思考は現実を思い起こさせる。

 

 

「あ、ああ……っ!」

 

 

風斬は何故こんなことになったのか分からなかった。

 

だが、何故自分の身体が人間ではなく、化物なのか考えない事は許されない。

 

封じた記憶の蓋がもう開きかけてしまっているのだから。

 

 

「あがっ…ぎっ! が、ぐ…ぅ、うううう!? げほっ、ぐ…ぅぇ、かっ…ぎ、ぎぎっ! ひひゅ、がっ、ご、ぐぐ…ぃ、ぎっ! い、ぃ、うう…が、ぁあああ!!」

 

 

非現実的な現実に言葉を組み立てるほどの余裕もなく、かと言って叫ばずにはいられない程の巨大な重圧が風斬氷華の心を押し潰す。

 

そして、そんな風斬の絶望に引き寄せられるように、さらなる絶望が現れる。

 

 

ズシン!! という地下全体を揺るがす振動。

 

 

まるで暴れ馬に振り落とされるように宙を舞う風斬は、それでも暗闇の先へ目を向ける。

 

そこには、鉄とコンクリートで固めた、無情の石像と、

 

 

「ひ…ぁ……っ!」

 

 

歪な笑みを浮かべる恐ろしい金髪の女が立っていた。

 

彼女の視線に込められた殺意と敵意に、風斬の身体がぶるぶると震え出す。

 

これが武者震いだったらどれだけいいだろう。

 

女は無言でオイルパステルを振るう。

 

それだけで、石像は風斬の背中を狙って拳を放つ。

 

風斬を握り潰せるほど大きい拳、それを枯れ枝でも薙ぎ払うように振るう。

 

風斬など、その威力の前ではハリボテの人形も同然。

 

風斬は咄嗟に地に伏せようとした。

 

だが、一歩遅れてなびいた長髪が石像の拳に引っ掛かる。

 

まるで頭皮を丸ごと剥がすような激痛と共に、彼女の身体は砲弾のように飛ばされる。

 

 

「げう……ッ!?」

 

 

痛い、苦しい、でも死ぬ事は許されない。

 

体はすぐに元通りになる。

 

しかし、風斬の思考が泥のように濁っていく。

 

ああ自分は此処で何をやってるんだろう。

 

こんな所で、吐いて、殴られて、潰されて何をやってるんだろう。

 

自分は精一杯生きてきた、と思う。

 

そのはずだ。

 

そのはずなんだ。

 

 

「何なのかしらねぇ、これ」

 

 

金髪の女はようやく声を発した。

 

風斬がもがき苦しむ様がおかしくておかしくて仕方がないという風に笑いながら、

 

 

「<虚数学区>の鍵とか言われてどんなものかと思ってみれば、その正体はこんなもんかよ! あは、あはは! こんなものを後生大事に抱え込むなんざホントに科学ってのは狂ってるよなぁ!!」

 

 

風斬には理解できない。

 

自分が何者なのか。

 

 

「ど、う…してっ、こんな…ひどい事……っ!」

 

 

何故、彼女は石像を使って自分の命を狙おうとしているのか。

 

 

「んー? 別に、理由なんかないけど?」

 

 

あまりと言えばあんまりな言葉に、風斬は言葉を失った。

 

 

「別にあなたでなければならない理由なんてないの。あなたじゃなくても良いの。でも、あなたが一番手っ取り早そうだったから。理由はそれだけ。な、簡単だろ?」

 

 

その言葉を理解する前に女はオイルパステルを振るい、石像に命令する。

 

『アレを壊せ』、と。

 

石像が風斬に襲いかかる。

 

だが、それでも風斬の身体は復元する。

 

また死に損なった。

 

なのに、自分を殺そうとしている女は、失敗しても表情を変えない。

 

まるで自分の生死がどうでもいいように、自分の命をおもちゃのように軽々しく扱う。

 

屈辱のあまり涙が出る。

 

悔しいと分かっていても事態を打開できない自分の弱さに腹が立つ。

 

そんな風斬の顔を見て、金髪の女は興が削がれたような顔を浮かべて、

 

 

「おいおい。何なのようその面構えは? えー、なに? ひょっとしてあなた、自分が死ぬのが怖いとか言っちゃう人かしら?」

 

 

「え……?」

 

 

「おいおいおいおい。ナニ当然ですっつー顔してんだよ。いい加減気付きなさいっての。ここまでやられてピンピンしてるテメェがまともな人間なはずがねぇだろが」

 

 

自分は生きてきた。

 

精一杯生きてきた。

 

人間として生きてきたはずなんだ。

 

 

「なーに顔を真っ青にしてんだよ。それで保護欲煽ってるつもりか、そんなんありえないでしょう。この世界からあなたの存在が消えた所で何が損失がある訳? 例えば、ほら」

 

 

女の指揮に従って、石像は真横に腕を振るう。

 

壁に直撃したその腕が真ん中から千切れ飛ぶ。

 

 

「私があなたにしている事って、この程度でしょう?」

 

 

その様は腕が欠けた時の自分と酷似していた。

 

そして、壊れた腕が再生していく様も自分と良く似ていた。

 

これが、風斬氷華の本質。

 

人の皮を剥いだ後に残る、醜い醜い本当の姿。

 

 

「これで分かったでしょう? 今のあなたはエリスと同じ化け物。あなたに逃げる事なんてできない。そもそもどこへ逃げるの? あなたみたいなのを受け入れてくれる場所ってどこかしら? わかんねェヤツだなァ! いい加減気付けよ! 化物(テメェ)の居場所なんてこの世のどこにもないって事を」

 

 

石像がゆっくりと迫り来る。

 

風斬は吹き飛ばされたまま、十字路の真ん中で、ただそれを呆然と見る。

 

動けない。

 

肉体の損傷は治っているし、精神的な恐怖という訳でもない。

 

しかし、一体、どこへ逃げれば良いのだろうか?

 

風斬は思い出す。

 

 

―――学校へ行くのは、今日が初めてだった。

 

 

だからこそ、彼女は自分が転校生だと思い込んでいた。

 

 

―――給食を食べるのも、今日が始めてだった。

 

 

だからこそ、彼女は学食レストランに入ってみたいと思ったのだ。

 

 

―――男の人と話すのも初めてだった。

 

 

だからこそ、自分はあの少年が何となく苦手だと感じていた。

 

 

―――自販機でジュースを買うのだって、今日が初めてだった。

 

 

ジュースの買い方を知っていたのに、飲んだという経験が1度もないという異常な状態を、今までどういう理屈で納得していたのか。

 

初めて。初めて。初めて、初めて、初めて、初めて、初めて始めて初めて。

 

一つ残らず、全部まとめて、片っ端から、何から何まで、全てが初めてだった。

 

どうして、その時点で気づかなかったのか。

 

じゃあ、自分は今まで一体何をしてきたのだという疑問に。

 

まるで、それまで、それまでの過去が存在しないようだという事に。

 

自分が、この存在が、たった今、霧に浮かんだだけの幻影のようなものに過ぎなかったという事実に。

 

目を逸らしても、意味はないのに。

 

傷を見ないようにした所で、痛みが消えるはずがないのに。

 

何を思った所で、もう遅い。

 

風斬には逃げ場などない。

 

隠れる所なんてない。

 

自分で自分の正体も分かっていないような、こんな醜い自分を温かく迎えてくれるような、そんな楽園はこの世界に存在しない。

 

スカートのポケットには、ある白い少女と一緒に写ったプリクラが入っている。

 

だけど、そこで楽しそうに笑っているインデックスは、知らない。

 

あの子は……この皮一枚下にある正体を知ったら……きっと…もう笑ってくれない。

 

それどころか、何も知らずに風斬へ笑みを向けていた事そのものを、忌まわしき記憶のように思うかもしれない。

 

同じく写真の中で微笑んでいる風斬氷華は、もうどこにもいないのだから。

 

ここには人の殻を破って脱皮した、醜い化物しかいないのだから。

 

風斬の瞼に、涙が浮かぶ。

 

温かい世界にいたかった。

 

誰かと一緒に笑っていたかった。

 

一分でも良い、一秒でも構わない。

 

少しでも穏やかな時間が過ごせるならば、死にもの狂いで何にでもすがりたかった。

 

けれど、結局……彼女がすがって良いものなど、何もなかった。

 

 

「泣くなよ、化け物」

 

 

金髪の女は嘲笑い、オイルパステルを振るう。

 

 

「アナタガナイテモ、キモチワルイダケナンダシ」

 

 

大木すら叩き折る事のできそうな石像の腕が、ゆっくりと迫る。

 

ああ……、と風斬氷華は絶望の中で思う。

 

確かに、自分は死にたくない、精一杯生きたい。

 

だけど、この先醜い化物として誰にも必要とされず、どこにも居場所がないというのなら、このまま―――

 

風斬はぎゅっと両目を閉じる。

 

これから襲い来るであろう、地獄のような激痛に身を固めていたが………衝撃は、来ない。

 

いつまで経っても、何の音も聞こえない。

 

しかし、不気味なはずの沈黙は、優しく風斬氷華の身体を包み込んでいた。

 

まるで暴風雨の屋外から、屋根のある温かい部屋の中へと帰ってきたかのように。

 

 

「!?」

 

 

今度は実際に何かが自分を抱きしめている。

 

その母体に包み込まれているような温かさは風斬の内面をゆっくりと満たしていく。

 

何も記憶のない風斬が初めて今包み込んでいるものが“母”だと感じた。

 

恐る恐る瞼を開けると、風斬に対して微笑んでいる少女がいた。

 

全てを知り、全てを受け入れるような、母のような微笑み。

 

 

「もう大丈夫です」

 

 

初めて聞く優しい声。

 

自分の頬をそっと撫でる、その労わるような彼女の手付きに、風斬の表情は泣き崩れそうになる。

 

そして、涙が視界を遮り、ぼんやりとした像でしか捉える事は出来ないが、彼女の背後には少年がいた。

 

少年は盾になるように石像と自分達の狭間に力強く大地を踏み締めている。

 

石像の動きが、止まっていた。

 

少年が何気なく差し出した右手が、石像の巨大な腕を掴んでいた。

 

戦車でも薙ぎ払えそうなほど巨大なその拳を、まるで掌で受け止めるように。

 

ただ、それだけで石像の動きは止まり―――あまつさえ、ビシリ、と音を立てて亀裂が走る。

 

 

「ちっ、またテメェか!」

 

 

女のうろたえる声に、少年は見向きもせずに、ただ真っ直ぐに自分の顔を見ている。

 

 

「待たせちまったみたいだな」

 

 

その声に、風斬は肩を震わせた。

 

涙でその姿は見えないが、その声には聞き覚えがあった。

 

元より、彼女の知る人物などたかが知れている。

 

その声は、力強かった。

 

その声は、温かかった。

 

その声は、頼もしかった。

 

そして、何より、その声は優しかった。

 

少年は、告げる

 

 

「だけど、もう大丈夫だ。ったく、みっともねえな。こんなつまんねえ事でいちいち泣いてんじゃねえよ」

 

 

抱きしめている少女が何も言わず、風斬の瞼から流れる涙をハンカチでそっと拭き取る。

 

涙の膜が晴れる。

 

その先に、彼はいた。

 

上条当麻は、立っていた。

 

まるで、この上ない友達に向けるような笑顔を見せて。

 

彼の背後にいた石像の全身に亀裂が走り回り、そしてガラガラと崩れていく。

 

まるで、何人たりとも通さぬ絶望の壁が突き破られるように。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ひどい、ですか」

 

 

やれやれと詩歌は溜息を吐く。

 

そして、心なしか、柔らかだった視線が鋭くなったような気がする。

 

 

「……当麻さん、放課後に3人でゲームセンターで遊んだそうですが、3D技術を使ったゲームで遊びましたか? まるでそこにいるかのように、あのモデル体験の撮影場のように質感と実感を持った『内部系』最新のバーチャルリアリティを体験しましたか?」

 

 

いきなり話題を変える詩歌に対して、戸惑いながらも当麻は頷く。

 

 

「でも、当麻さんは浮かび上がるホログラムに命が無いのは明白だとわかっているのでしょう」

 

 

「ああ、そんなのは分かっている。だが。一体何を―――」

 

 

「少し飛躍しますが、最後まで聞いてください。当麻さん、私の事を人間だと思いますか?」

 

 

「……もちろんだ」

 

 

「インデックスさんや美琴さんは?」

 

 

「もちろん」

 

 

何故こんな当たり前の事を。

 

詩歌の意図が理解できない。

 

だが、それでも詩歌は当麻に諭し掛けるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「では、何故? その根拠は?」

 

 

ますます理解できない。

 

何でそんな当たり前の事を問い掛ける。

 

 

「何故って……それは当たり前だろ?」

 

 

「考えてみてください。何故、私を人間と思うんですか? 何故、今見ているのが質感と実感を持ったホログラムだと、実体のある幻想だと思わないんですか? <幻想殺し>は抜きにして考えてください」

 

 

その言葉に、少しだけ沈黙が流れる。

 

もし、ここにいる詩歌が学園都市の最先端技術が生み出した高度なホログラムだという可能性があるというなら、何故、詩歌を人間と思うのか?

 

詩歌にあって、質感と実感のあるホログラムにないもの……

 

それは、

 

 

「詩歌に、心があるからだ」

 

 

「ふふふ、それでは、どうやって、私に心がある事を確かめたんですか?」

 

 

「それは……詩歌が笑ったり泣いたりするのを見て、感情があるって、わかったからだ」

 

 

その答えに詩歌は少しだけ口角を上げる。

 

 

「例えば私が、精密に作られたロボットだとしましょう。傷つければ血を流し、やがて、傷は癒える。楽しければ笑い、馬鹿にされたら怒り、傷ついたら目に涙を浮かべて悲しむ。人間ならこういう場合はこうすると想定されるありとあらゆるパターンに対応して反応できるロボットだとしたら、当麻さんはどうやって、私に心が無いことを見破れるんですか?」

 

 

「そりゃあ……」

 

 

「私だけではありません。インデックスさんや美琴さん、当麻さん以外の、当麻さんが人間と信じる全ての存在が作り物じゃないと、どうやったら証明できるんですか? これは私が実際に見たものですが、自分の能力で自分自身を作るのだって不可能じゃないんですよ」

 

 

自分が人間と信じるに足る反応を完璧に返す精密なロボット。

 

それを人間ではないと証明できてしまったら、自分の存在すらも疑わしくなってしまう。

 

 

「証明できねぇし、する必要もない。だって、そんなことありえないだろ?」

 

 

「分かりませんよ? 確率の話でいえば、この世界に不可能な事はありません。例えば、当麻さんが壁に思いっきり体当たりして、突き抜けてしまう事も確率的には0ではありません。量子力学的ミクロの世界では、決して電子を通さない絶縁体で遮られているのにもかかわらず電子がその物体をいつの間にか通過して別の場所に現れる事が良くあります。これはトンネル効果と言うんですが、それを踏まえれば、当麻さんの身体を構成している元素もまた元をたどれば電子と同じ粒子なのですから、同じように壁をすり抜ける事も無理じゃないんです。ただし、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)、約1/100,000,000,000,000,000,000,000ぐらいの確率ですが。でも、理屈は通っているんです」

 

 

その答えから逃げようとする当麻の退路を詩歌は屁理屈で無理矢理に閉鎖する。

 

 

「だから、当麻さんがたった1人残った人類で、高度に進んだ技術をもつ宇宙人がこの世界を作った可能性も0ではありません」

 

 

「……、」

 

 

「悪魔の照明みたいなものです。その存在を完全に否定する事は出来ない。同じように完全にその可能性が無いと証明する事はできない。つまり、ありとあらゆる可能性が有りうるってことです」

 

 

「……ああ」

 

 

言っていることの意味は分かる。

 

だが、相変わらず意図が分からない。

 

詩歌の問答の真意に到達できない。

 

 

「さて……今、当麻さんは、日常と思っていたこの世界が、実は幻想であるかもしれない可能性を知りました。そして、それを確かめる術がない事も分かりましたよね」

 

 

「ああ」

 

 

「では、私は気持ち悪いですか? 私と話していて居心地が悪いですか?」

 

 

「は?」

 

 

当麻の思考が一瞬停止する。

 

何をふざけた事を言っているんだ?

 

 

「人間じゃない。心なんてない。ただの人形。そんな可能性がある私と居て、当麻さんは居心地が悪いですか? 右手で確かめようとは思いませんか?」

 

 

詩歌と一緒にいて居心地が悪い……?

 

そんなの絶対に―――

 

 

「絶対にそんなことしねぇよ!」

 

 

――ありえるはずがない。

 

上条詩歌は上条当麻にとって、誰よりも、何よりも大切な大切な、本当に大切な掛け替えのない存在で、彼女を失ったとなれば自分の半身を失ったのも同様である。

 

そんな詩歌と一緒にいて居心地が悪いなど、たとえ何があろうと、どんな間違いが起きてもありえるはずがない。

 

強く否定する当麻に、詩歌は少し微笑む。

 

 

「ありがとです。私も、当麻さんが私と同じ人間だと思っています。これは、理性じゃなく感性。論理ではなく、これは感情で証明しているという事です。そう思いません?」

 

 

「感情、か」

 

 

「そうです。当麻さんと私は同じ。不確かだけれど、そう信じている。その感情、つまり、信念で、私達は生きているんです」

 

 

「……確かにな」

 

 

詩歌はそこで、少しだけ言葉を区切る。

 

 

「だったら、『風斬氷華』さんは論理的に見れば、人間でないっていうのは明白で、心があるかどうかなんて不確かです。でも、感情的に見れば、頭でなく心で見れば、一緒に同じ時を過ごした当麻さんは風斬さんの事をどう思います? 命も心もない儚い幻想にすぎませんでしたか?」

 

 

違う。そんな事はない。

 

当麻は思い出す。

 

インデックスと一緒にいた風斬は確かに楽しそうだった。

 

当麻の言動にいちいち怯える仕草を見せる風斬は、確かに自分の意思で何かを考えて自分の意見で考えていた。

 

 

「人間だとかそうでないとか、本物だとか偽物だとか、当麻さんはそんな事を考えてどうするつもりだったんですか? まさか、仲間外れにしてもいいような存在だとかは考えていないでしょうね?」

 

 

違う、そんな訳あるか!

 

風斬は、苦しそうだった。

 

自分も知らない正体を突きつけられて、その事実を受け入れられなくて、どうして良いかも分からずに、闇の中へ逃げるしかなかった、1人の少女に違いなかった。

 

当麻は奥歯を噛み締める。

 

彼女が見殺しにされても良い事になんか、なってたまるか。

 

たとえそれが、右手で触れれば消えてしまうような幻想に過ぎなくても、彼女が消えても良い理由になんか、なってたまるか。

 

 

「考えなくてもいい、いや、これは考えるべき問題ではない。感じるままに信じればいいんです。当麻さんの得意分野でしょう? 命の形が違っていても、風斬さんに心があると思うのなら、信じればいいんです」

 

 

問答の末、詩歌はそんな結論を述べた。

 

その病状は典型的な風邪ですねとでもいうような、深刻さの欠片も感じられないような口調だった。

 

 

「以上、詩歌先生の屁理屈でした。どうでしたか? 当麻さん」

 

 

信じればいい……

 

そうだな、それでいいんだ。

 

理屈ばっかり考えて、結局、この妹は考えるのではなく、感じる方を優先する。

 

賢者あるまじきことに、理性ではなく本能を優先する。

 

本当に………馬鹿な奴だ。

 

けど、

 

 

「すっきりした。ありがとな。でも、もうちょっとだけ分かりやすい屁理屈にしてくれ」

 

 

自分のスイッチの在処を知っている世界一の妹だ。

 

 

「それは風斬さんを仲間外れにしようとした罰です(ついでに、私に隠れてハーレム計画を建設しようとした罰でもあります。あらゆる性癖も完璧に受け止めてみせると謳っている心が広い私も3人以上は流石に許容できません。もちろん、私が正妻でなければ却下ですが)で、これからどうします?」

 

 

一瞬、ゾッとしたが、当麻は力強く宣言する。

 

 

風斬(ともだち)を助けに行く」

 

 

風斬への“色眼鏡”は外れ、もう迷いはない。

 

やるべき事は理解している。

 

どこへ行くべきかも分かっている。

 

 

「……たとえ、右手で触れれば消えてしまうような幻想に過ぎなくても、あいつが消えても良い理由なんかあってたまるか!!」

 

 

その為には、シェリーを、巨人の石像、<ゴーレム=エリス>を何とかしなければならない。

 

当麻1人で風斬を護りつつ、シェリーと石像の相手をするのはいくらなんでも無理だ。

 

しかし、今は、

 

 

「ふふふ。では行きましょう、当麻さん」

 

 

詩歌がいる。

 

 

「当麻さんとインデックスさんの友達なら、風斬さんは私の友達でもあります。それに、インデックスさんにはいつか私に自分のお友達を紹介するという約束を守ってもらわないといけませんしね」

 

 

詩歌の穏やかな声。

 

慌てた様子もなくいつも通りに微笑んでいる。

 

全くいつもそうだ。

 

上条当麻と共にある時は、決して揺るがない。

 

詩歌は当麻の右手を両手で包むと、力強い口調でこう言った。

 

 

「大丈夫。私達兄妹が力を合わせれば、きっと万事上手くいきます」

 

 

何故かその突拍子もない確信を自然に受け入れられた。

 

身体の強張りが消え、余計な気負いが抜け落ちた。

 

 

「そうだよなぁ―――」

 

 

そして、笑う。

 

己は弱い人間だ。

 

本当に弱い人間だ。

 

でも、

 

 

「―――そりゃそうだろ。そうに決まってんだろ。なあ、上条当麻」

 

 

不敵に笑って覚悟を決める。

 

己は彼女の前では強者に、最強になるという覚悟を。

 

世界一最高の妹の前では世界一強くて格好良い最高の兄となる覚悟を決める。

 

その覚悟こそが上条当麻の最強なのだ。

 

 

「それから、当麻さん―――」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「くそっ、本当に厄介な右手だな! ……エリス!」

 

 

金髪の女、シェリーは折角の楽しみを邪魔され、苛立たしそうにオイルパステルで壁に文字を刻みつけ、呪を唱える。

 

それだけで<ゴーレム=エリス>が産まれる。

 

いくら壊された所で、何度も作り直す事ができる切り札。

 

それこそが、金髪の女の最大の強みなのだろう。

 

盾も囮も特攻も自爆すらも思いのままだ。

 

当麻は振り返る。

 

風斬と詩歌、2人を護る壁になるように当麻は前に出る。

 

その光景に風斬は驚き、シェリーは笑みを引き裂く。

 

 

「くっ、はは。うふあはは! 何だぁこの笑い話は。おい、一体何を食べたらそんな気持ち悪い育ち方するんだよ! ははっ、喜べ化け物。この世界も捨てたものじゃないわね。こういうバカが一人ぐらいいるんだから」

 

 

その錆び付いた声に、風斬は肩を震わせた。

 

当麻が来てくれた事は嬉しい。

 

でも、化物同士の戦いに巻き込むなど耐えられない。

 

もし、彼がいなくなれば、初めての友達、インデックスはきっと悲しむだろうから、温かな日常は崩れ去ってしまうから。

 

しかし、慄然とする風斬を他所に、当麻は巨大な石像を前にしても少しも動じない。

 

先ほど、対峙した時よりも強い、力強い光が宿る双眸にシェリーは眉を顰める。

 

 

「1人じゃねえぞ」

 

 

は? とシェリーが間の抜けた声を上げかけたその瞬間、

 

 

「何を食べたらそんな気持ち悪い育ち方をするか……ですか。それは、私に対する挑戦ですか?」

 

 

ぞろり、と内面を舐めるような声色に ひぃっ! と風斬は思わず悲鳴をあげてしまう。

 

自分を優しく包み込んでいた少女、詩歌がドス黒い瘴気のようなもの滲ませてきたのだ。

 

とりあえず、怖い。

 

 

「当麻さん、どんな育ち方をしているのか。その成長が終わったゴスロリババァに教えてあげなさい」

 

 

どうやら詩歌は自分の料理が馬鹿にされたと思い、怒っているようだ。

 

 

「し、詩歌、さん? 背後から重圧をかけるのは止めてくれないか? 当麻さん、後ろが怖いなぁ~って」

 

 

「背水の陣ですよ、当麻さん。もし、私達に指一本でも触れさせたら…わかりますね?」

 

 

「イエス、マム!」

 

 

ヤバい。

 

物凄く後ろを振り向きたいのに、振り向けない。

 

正直、目の前にいる歪で巨大な石像よりも、背後にいる妹の方が怖いです、ハイ。

 

前門の石像に、後門の恐妹。

 

クソッ、力を入れている両足がぶるぶる、と震えてきた。

 

残念だが、これは武者震いとは別の類いだ。

 

折角、格好良く仁王立ちしているというのに……

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「……どう、して……?」

 

 

その震えを勘違いしたのか風斬は不思議そうに、問い掛ける。

 

己の危険も省みず、死地とも呼べるこの場所へと2人はやってきた。

 

化物(じぶん)を護るために。

 

彼らが知っているかは分からないが、少なくても風斬が人間ではない事には気が付いているはずだ。

 

そう、今、目の前にいる少年は空洞の中を覗き込んだはずだ。

 

だから、問い掛ける。

 

何故、此処に来たのかを。

 

 

「ばっかばかしい。理由なんていらねぇだろうが」

 

 

対して、少年は1秒も待たずに答えた。

 

化物であるはずの風斬から、たった1秒すらも目を逸らさずに。

 

まるで、ゲームセンターで話しかけてもらった、あの時の表情のままに。

 

そして、いつものように。それ故に、一片の翳りもなく。少年は言う。

 

 

「別に特別な事なんざ何もしてねーよ。俺はたった一言だけ、言っただけだ」

 

 

今、少年と少女が此処にいる理由。

 

自分を護るために此処にいる理由とは、

 

 

「そうですね。私はただ頼まれただけです。自分の友達を助けて欲しい、と」

 

 

少女はそんな少年の様子を本当に誇らしそうに見つめる。

 

風斬氷華は一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。

 

だって、自分は中身が空っぽの不死身の化物なのだ。

 

医者や学者だって理解できない<正体不明>なのだ。

 

彼らは、それをどうでも良いと一言で切り捨ててくれるのか。

 

人とは違う風斬を受け入れてくれるのか。

 

自分は楽園のような温かい世界にいても良いのだろうか。

 

そう、自分という存在を笑って楽園の一員として認めてくれるのだろうか。

 

呆然とする風斬に、少年は言う。

 

 

「今からお前に見せてやる。お前の住んでいるこの世界には、まだまだ救いがあるって事を」

 

 

少女は何も言わない。

 

自分よりもその答えを言うのに相応しい相方にその先を譲る。

 

 

「そして教えてやる! お前の居場所(げんそう)は、これぐらいじゃ簡単に壊れはしないって事を!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

風斬が問い掛けている最中、シェリーは抱きしめるように両手で両肩を抑えていた。

 

怒りではなく、歓喜で体がぶるぶる、と震える。

 

いきなり転がり込んできた幸運に興奮を抑えきれず、震える体を強引に止める為に。

 

 

「まさか、テメェまでやってくるなんて思わなかったなァ、<幻想投影>!」

 

 

シェリー=クロムウェルにとって、悪魔。

 

<幻想殺し>よりも、<禁書目録>よりも、<虚数学区>の鍵よりも、誰よりも会いたかった、そして、殺したかった<幻想投影>がすぐ目の前にいる。

 

 

「<幻想殺し>のある所に<幻想投影>あり、上条当麻がいる所に上条詩歌がいるって、知らなかったんですか? 情報不足ですよ、シェリー=クロムウェル」

 

 

笑う。

 

不敵に詩歌は笑みを深める。

 

 

「そして、私に用があるようですが、残念です。あなたは後回しです」

 

 

長年溜めこんだ怒り、悲しみ、苦しみを練り込んだ殺気と敵意をぶつけているのに、少女は全く臆さず、余裕の笑みを浮かべている。

 

 

「さて……解析終了。しかし…これは危うい…同調開始します」

 

 

少女はもう自分を見ていない。

 

道化の化物に抱きしめる腕に力を込め、瞑目する。

 

 

「初めに言っておきます。シェリー=クロムウェル、私が目覚めたらその時点であなたのゲームオーバーです」

 

 

瞬間、詩歌と風斬は電池が切れたように意識を失った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

後、回し……?

 

目覚めたら…ゲーム、オーバー……?

 

 

「っ舐めてんじゃねぇぞっ!! 悪魔(デビル)!!」

 

 

シェリーの怒りよりも、シェリーの悲しみよりも、シェリーの苦しみよりも。

 

自分の正体も知らない道化の化物を優先するだと!

 

 

「それなら、永遠の眠りにつかせてやるよっ! エリス! 悪魔をぶち殺せ! 絶対に!」

 

 

怒りの絶叫と共に、オイルパステルが荒々しく宙を引き裂く。

 

何重にも重ねた線が石像を操る糸と化す。

 

 

「っさせねぇよ! 絶対に!」

 

 

石像が飛び出すのと同時。

 

当麻は鋭い一歩を踏み込むと、時計をはめた右手をぐっ、と握り締め、石像に叩きつける。

 

体格はざっと3倍以上。

 

改めて見るまでもなく普通の人間と石像とではその大きさが違い過ぎる。

 

だが―――それでも、当麻を越えはしない。

 

 

「風斬と詩歌には指一本触れさせねえっ!!」

 

 

腰を落とした当麻の裂帛の気合い。

 

大気を振るわせるような怒号に、シェリーはまるで高温のプロミネンスに触れでもしたかのように反射的に身をすくませて、詩歌にオイルパステルを向けたまま固まってしまう。

 

即座にシェリーはエリスを復元させるが、足がすくんで、当麻から視線を離すことが出来ずに、全身から嫌な種類の脂汗が流れ落ちる。

 

今、当麻から視線を外したら確実に葬り去られてしまう。

 

そんな覇気をシェリーは感じているのだ。

 

そうだ、今、自分の目の前に立ち塞がっている男は<ゴーレム=エリス>と1人で拮抗した<幻想殺し>、異能の天敵なのだ。

 

もし今、目の前にいる悪魔が目覚めてしまったら……

 

だが、逃げる事は出来ない。

 

これを逃せば、<幻想投影>を殺す機会が一生来ない。

 

悪魔は絶対に殺す。

 

そうそれは、今は亡き―――

 

 

「エェェリィィィイィィス!!」

 

 

エリスが大地を揺らす。

 

だが、それでも地に根が張っているかのように男の仁王立ちは僅かたりとも動かない。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

風斬氷華が目を開けた時、そこにあるのは何よりも身近な世界だった。

 

その光景に、風斬の脳裏に切れ切れになった記憶の断片が次々と溢れだしていく。

 

彼女は、人間ではない。

 

10年前のある日。

 

風斬氷華は、気がつけば『街』の真ん中に立っていた。

 

『街』と言っても、それは学園都市に住む230万人もの能力者達が放つAIM拡散力場によって作られた、見えざる<陽炎の街>だ。

 

<陽炎の街>には影がなく、重さがなく、空気の流れがなく、どこまでも薄っぺらで存在感がなかった。

 

時折風に吹かれたロウソクの火のようにビルも街路樹も人間も揺らいで、灰色のノイズを散らす。

 

もしもAIM拡散力場を正確に見ることができる人間がいたら、<陽炎の街>は学園都市にぴったりと重なるように存在しているのが分かるだろう。

 

AIM拡散力場が作っていたのは風斬氷華1人ではなく、この街の全て……

 

彼女は街の中に住む、AIM拡散力場で作られた人間だった。

 

 

―――欠片が剥がされるように、少しずつ記憶が修復されていく。

 

―――それと同時に、見えざる拘束具が1つずつ外れていくのが分かる。

 

 

彼女は何故、自分が『陽炎の街』に立っていたのか、その理由が今でも分からない。

 

ある時、風斬はまるで白昼夢から覚めるように、気がつけば道の真ん中に立っていた。

 

そして、自分の持ち物の中から、ようやく名前や住所や電話番号などの個人情報を見つける事ができたのである。

 

そうする以外に現状を知る方法はなかった。

 

彼女のすぐ近くを通り過ぎていく人々は、何も教えてくれなかった。

 

そもそも彼らはどこか変なのだ。

 

簡単に言えば、その場その場に応じて人の姿が変わるのである。

 

コンビニの店員が窓拭きをしようとした、瞬間、店員の姿が作業服を着た清掃員の姿にぐにゃりと変わる。

 

そして、窓拭きが終わると清掃員の姿が子供の姿に変わり、アイスクリームをレジへ持っていくとその姿が子供から財布を取り出す主婦の姿へと変わっていく。

 

街の人々はそんな感じだった。

 

 

―――自分の存在を『人間』から『化物』へと認識を改めたせいか。

 

―――まるでリミッターが外れたように、否、自分が本来持っていた

 

 

力をフルスペックで使用できるようになったかのように、全身に力がみなぎる。

 

それを見て理解した。

 

『風斬氷華の疑問に答える』という役割を果たすために誰かがそれに応じた姿に変化していく。

 

それを見て風斬は怖くなった。

 

自分の行動が、彼らの体や心を塗りつぶしているような気がした。

 

この街の人達は、『役割』に応じて姿形を変えて行動する。

 

誰かが『役割』を与えない限りは、誰も動かず街は機能しない。

 

だから、自分はあの街にとってただの一部品に過ぎないのだろう。

 

街の住人たる『歯車』達は風斬という『ゼンマイ』の力に少しずつ作用されていき、それはやがてこの社会全体という巨大なカラクリ細工に命を吹き込んでいく。

 

怖かった。

 

あそこでは自分が一歩踏み出すだけで周囲に影響を与えてしまう。

 

別の誰かの人生を大きく狂わせる事を知ってしまい、一歩たりとも動けなくなってしまった。

 

<陽炎の街>から逃げ出したかった。

 

しかし、下手に動けば彼女は他の人々を巻き込んでしまう。

 

だから、風斬は幽霊のように立ち尽くし、見ていることしかできなかった。

 

同じ座標にあるのに、決して触れ合う事のできないもう一つの街――――――学園都市という『外』を。

 

彼女の存在は学園都市の人々には気づいてもらえない。

 

どんなに声をかけたって、どんなに人々に触れようとしても体はすり抜けるだけ。

 

決して、彼らの輪に加わる事はできない。

 

それでも、たとえ無理でも何でも、その場で出来る事は何でも試してみたかった。

 

無視されても。

 

気づいてもらえなくても。

 

その結果が、自分の心を傷つけると分かっていても。

 

そうやって、何年、過ごしたのだろう……?

 

だからこそ、驚いた。

 

あの学校で、シスターの肩に触れられた時は。

 

彼女の知らない所で何かの偶然が重なって、ようやく笑い合えるようになった。

 

きっとそれは、自分が化け物だという記憶を封じてでも守りたかった、最初で最後の大切な宝物だった。

 

だけど、風斬氷華はその宝物を手放さなければならないのだろうか。

 

 

 

 

 

「いえ、そんなことはありませんよ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その時、声がした。

 

初めて、この<陽炎の街>で自分以外の声を聞いた。

 

振り向くと、そこには決して揺るがない確固たる存在感を持つ少女がいた。

 

 

「あなたが捨てたくないと思えば捨てなくても良い。いえ、決して捨てるべきではない。当麻さんとインデックスさんもあなたにその思い出を捨てて欲しくないと望んでいるはずですよ」

 

 

「……嘘…だって…こんな、化物が自分の正体を明かせば……どうなるかって事ぐらい…誰でも……分かるじゃないですか……化物が……人間と、付き合えるはずなんかない!」

 

 

風斬は悲しみ、不安、焦燥から、声を張り上げて言い返す。

 

 

「ふふふ、この私を嘘吐き呼ばわりするとは…良い度胸です。でも、私が絶対に正しい!」

 

 

少女の言葉を真っ向から否定した風斬に、少女はそう言いながら自信に充ち溢れた眼差しで見据えてやれば、風斬は僅かに身を引いた。

 

けれど、逃げなかった。

 

そして、少女は口を開く。

 

 

「私達は日々を重ねて、記憶して積み重ねていく。私達は重ねてきた日々の分だけ存在が重くなる。それはきっと命に匹敵するくらい重く、いつしか、何よりも重くなり、1人で持ったら、その重さに押し潰されかねないんです!」

 

 

少女は吠える。

 

この少女は、とある不幸のせいで大切な人とのおよそ15年分の記憶を、思い出を、1人で、地球なんかよりも重いそれを、たった1人で持つことになった。

 

しかし、それでも少女は持ち続ける。一生涯持ち続ける。

 

何故ならそれは少女にとって命よりも重く大切なものだからだ。

 

 

「1人で持ち続けるなんて地獄にいるよりも辛く、苦しいです。あなたはそれで良いんですか? 友達が、初めてできた友達が、命に匹敵するくらい重いそれに苦しむ事になろうとも」

 

 

不死身ともいえる風斬にも、命の重さは分かる。

 

命に匹敵するくらい重い―――その少女の言葉は確かに風斬の胸に届いて、その足は小さな一歩を踏み出す。

 

必要なのはあと一歩。

 

でも、風斬はなおもその一歩を躊躇した。

 

 

「でも…でも…やっぱり、私は…人間じゃなくて…化物だから、重いものを…大切な存在なんて……持てないよ……」

 

 

「化物だから? そんな言い訳でインデックスさんを裏切るんですか? 2人の間の思い出を! そう! 産まれたばかりの赤ん坊の命をあなたは軽んずるんですか! ふざけないでください! インデックスさんを舐めているんですか!?」

 

 

瞳に怒りの炎を灯しながら、怒鳴りつける。

 

 

「断言します。インデックスさんはあなたとの記憶を決して捨てたりはしません! あの子が自分の力だけで初めて作った友達を捨てるはずがありません。たとえ、命の形が違っていてもです」

 

 

その言葉に風斬は目を見開き、少女を見つめながら、その先に見える友達、インデックスの姿を見据えながら何か言葉を探すように唇をわななかせる。

 

そうだ……友達(インデックス)は言ってくれた。

 

 

『よくわかんなくても、ひょうかは友達だもん』

 

 

そう、初めて自分の事を友達だと言ってくれた。

 

 

「わたっ、私は、人間じゃ……ないんですよ」

 

 

少女は如何にもつまらなさそうに溜息をついて、

 

 

「確かに、あなたは人と身体の構造が異なります。それでも、人間と同じように思い出を運べる心がある。だから、あなたはインデックスの友達には変わりありません。そして、インデックスさんの友達なら、私の友達も同然です。あの子は私に約束してくれました。いつか絶対に自分の友達を紹介すると」

 

 

『ひょうか、今度はしいかと一緒に撮りにいこーね』

 

 

その言葉に風斬氷華は涙を零して崩れ落ちる。

 

と、その時、

 

 

―――異物を確認。

 

―――<虚数学区>・五行機関、これを敵性と判断。

 

―――<風斬氷華>、即刻、侵入者を排除せよ

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

風斬の頭上にどこか歪で所々かけている天使の輪のようなものが出現。

 

見えざるナニカが徐々に風斬の内側を満たしていく。

 

今なら、あの巨大な石像、<ゴーレム=エリス>すらも一瞬で一撃で一欠片も残さず破壊できそうだ。

 

だが、風斬はそれと同時に体の制御がナニカに奪われてしまった。

 

そして、破壊衝動が胸の内から溢れだし、それを目の前にいる少女に集中させる。

 

 

「これが、<虚数学区>……風斬さんを縛り付ける力の正体ですか」

 

 

少女、詩歌はこの展開を半ば予想していた。

 

詩歌は今まで<幻想猛獣>、<天使>と風斬と似たような異能の塊をその手で触れ、そのモノを理解してきた。

 

しかし、風斬の力はセキュリティが掛かっているように全容を把握できない。

 

初めは風斬の状態を確認するだけの為だったが、触れた瞬間、どこか危うさを覚え、何か危険なものが隠されている、そう感じ取った。

 

詩歌はその先に風斬を化物たらしめる何かが眠っていると、予測し、より深く理解する為に同調を試みたのだが…

 

 

(どうやら、これ以上は危険なようで―――)

 

 

「―――お願い、逃げてええええ!!」

 

 

暴走した風斬が弾丸のような速度で詩歌に襲いかかった。

 

 

 

つづく


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