東方己分録   作:キキモ

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七話 外の世界

叔父はよく笑い、寛容で、器の大きい人だった。

だけども不器用で、迂闊な失言も多く、両親を失った俺を慰めようとして、手段を間違えることが多かった。

だけど、その言葉の、その行動の根底には、確かに俺に対する優しさがあった。

 

その奥さんの叔母は、穏やかだけどしっかり者の良妻だった。

叔父の失言のフォローはだいたい彼女がしていたし、俺に対していつも穏やかな優しい笑顔で話しかけてくれた。

その優しさが、この上なく暖かかった。

 

二人の一人娘、即ち俺の従妹は、俺に厳しかった。

たくさん文句や小言を言われたし、ムキになって喧嘩したこともあった。

でも、叔父や叔母の前で無理して振舞っていた俺に一番最初に叱咤したのは彼女だった。

俺に、本音を言う機会をくれた。

そういう意味では、彼女は俺を立ち直らせてくれた大切な恩人だ。

 

俺の大好きな3人だ。

3人だけじゃない。

他の親戚だって、俺を腫れ物のように扱いもしなければ、過度に気を使ったりもしなかった。

あるときは厳しく、あるときは優しく、あるときは痛快に、あるときはごく自然に、あるときは穏やかに、俺に接してくれた。

心地よい距離感は、血の繋がりだけではない、別の絆を感じた。

 

それは親戚に限った話ではない。

級友。

親友。

幼馴染。

恩師。

先輩。

後輩。

 

俺の事情を知る知らないに関わらず、俺をどん底から救ってくれた。

両親を失い、絶望の底にあった俺に、手を指し伸ばしてくれた。

たくさんの人たち。

たくさんの、大切な人たち。

 

両親が死んだときから感じていた、自分の体の一部が、失われた感覚。

俺の胸に空いた穴。

でも、気づいたらその穴は、暖かい思いで埋まっていた。

 

皆が、埋めてくれたのだ。

 

「だから、俺は大丈夫だよ」と、俺は両親の墓前で笑った。

屈託のない笑みを浮かべられたと思う。

そうして思ったのだ。

 

大切な世界。

俺を救ってくれた世界。

いつかは失うかもしれない。

でも、それは今じゃない。

 

俺は、この世界を、

 

大切な人たちを、

 

今度こそ、失いたくないと。

 

強く、強く、そう願ったのだ。

 

 

* * *

 

 

 

霊夢から受けとった歴史の教科書をパラパラと捲る。

二年前の大学受験で頭に叩き込んだ歴史の知識はまだ健在で、俺の知識と教科書の内容は一致していた。

平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、明治時代、と記された歴史は進む。

進むたびに、僅かな安堵に嘆息を漏らしながら、しかし、確定した恐怖との接近が俺の心臓を跳ねさせる。

 

そして、昭和時代、太平洋戦争の頁で、ついに俺は決定的な『違い』を見つけた。

 

その頁は、原子爆弾投下に関して書かれていた。

あってはならない相違だった。

なぜ、原子爆弾が『2つも』投下されているのか。

なぜ、終戦記念日が『5日も遅い』のか。

 

「あったのね?」

と、隣に立つ霊夢が囁いた。

ページを捲る手を止め、本の中身を凝視している俺を真っ直ぐ見上げている。

 

俺は霊夢を見るが、何か言うことも、頷くこともできない。

 

「分かったわ」

だが、霊夢は俺の様子に構わず、俺の手から教科書を取り上げると、すばやく本棚に差し込む。

そして俺の手を取ると、「行きましょう」と俺を引っ張り書店を出た。

 

 

霊夢に引かれるがままの俺の頭に、バタフライエフェクト、という単語が頭に浮かんだ。

ほんの僅かな差異が、経過を伴いに連れ、次第に全く異なる結果になる。

 

 

「霊夢」

俺は足を止める。

霊夢もそれにあわせて立ち止まり、振り向いた。

「ここは、どこなんだ?」

 

霊夢は逡巡するように黙り込むが、少しして口を開いた。

「少なくとも、私が知っている限りでは、外の世界に『東方』なんてものはないわ」

まっすぐと、俺を見る。

「もしそんな物があったら、博麗大結界は維持できないもの。それに、紫が黙っていないわ」

 

ユカリ……人の名前だろうか。

だが、俺がその疑問を口にする前に、霊夢は問いてくる。

「さっきの歴史書に見つけたんでしょ?あなたが知っている歴史とは違うところを」

 

「……俺が知っている限りじゃ、原子爆弾は一発しか落とされていない。日本は3日後にポツダム宣言を受諾し、その翌日日本の戦争は終戦した」

つらつらと、俺の知っている歴史を話す。

 

「日本は大日本帝国の名残を残し国名を日本国にした」

それでも、だいたいの人は自国を日本と略していたし、日本国語を日本語と言っていた。

アメリカ合衆国をアメリカと、中華人民共和国を中国と呼ぶのと同じだ。

 

「でも、ここは日本国じゃ…………俺のいた世界じゃ、ないんだろう?」

俺は問いかける。

確信していた。

しかし、その確信を否定してくれと、

一縷の希望に縋るように、霊夢に問いかけた。

 

だが、霊夢は俺の問いかけに黙って首肯した。

 

「もともとは、この世界とあなたがいた世界は同じだった世界だったんでしょうね」

霊夢は淡々と話し始める。

「でも、どこかで分岐した。100年前か、200年前か、それ以上前なのかは分からないけど、違う現象が起きて、二つの世界に分かれた。

二つの世界は同じような歴史を辿っていたと思うわ。でも分岐した時を起点に、二つの世界には違いが増えていく。

あなたが見つけたのは、その違いが歴史書に載るくらいの規模にまで発展した結果だったの」

 

「…………そうか」

俺は呆然とした面持ちで霊夢を見る。

「霊夢」

「…………」

俺の呼びかけに、霊夢は黙って俺を見つめ続ける。

 

「どうすればいい?」

頼む、

「どうやれば、」

頼むから、

「俺がいた世界に戻れるんだ?」

頷いてくれと、

「なあ、霊夢」

縋るような気持ちで問いかける。

 

だが霊夢は、俺の願望に沿うことなく、

「分からないわ」

と、そう、断言する。

 

「……そんな……」

呟くような声が漏れる。

 

「じょ、冗談だろ……?」

歪に口角を上げる。

「な、なにか、方法があるはずだ。そうだろ?」

「……少なくとも、私は知らない」

 

体中から、力が抜ける。

気づくと俺は、その場に膝を着き、項垂れていた。

周囲の世界が、闇に包まれていくような錯覚を覚えた。

 

 

なあ、霊夢。

俺は、俺のいた世界に、大切な人たちを残してるんだ。

俺を救ってくれた人たち。

俺に光をくれた人たち。

俺の、かけがいのない人たち。

だから、失っちゃいけないんだ。

失いたくないんだ。

 

頼む。

 

頼むよ。

 

戻してくれ。

 

元の世界に戻してくれ。

 

助けてくれ。

 

頼むから。

 

助けてくれよ。

 

なあ、

 

父さん……母さん……。

 

助けて…………。

 

 

 

 

闇の中に、小さな光が灯る。

 

 

 

 

ああ……待て……。

 

だったら……もしかしたら……。

 

でも……そんなこと……いや……可能性は、あるんじゃないのか?

 

 

 

その光に手を伸ばす。

 

 

顔を上げ、霊夢を見る。

 

「悠基?」

霊夢は怪訝な瞳で、様子の変わった俺を見つめた。

 

「れ、霊夢」

俺は半ば興奮した口調で、彼女に問いかける。

「この世界は、俺の世界とは違うけど、それでも、同じような歴史を辿っているんだろう?」

霊夢は眉を潜めたまま答えない。

 

俺は続けざまに問いかける。

「だったら、俺の世界と同じところもあるんだろう?」

「…………まあ、共通するところもあるでしょうね」

「そうだよな!ああ……なら、ありえるかもしれない」

「何が言いたいの?」

 

俺は笑顔を浮かべ、続ける。

「俺の両親が、この世界では生きているかもしれない」

半ば、夢心地だった。

「霊夢、俺のいた世界では、俺の父さんと母さんは死んでいるんだ」

興奮が俺を支配する。

「でも、こっちの世界では、二人は俺の世界と同じように生まれて」

夢中で、霊夢を見る。

「生きているかもしれない。そうだろう?」

永遠に失ったと思ったものが、この世界にはあるかもしれない、と。

 

 

霊夢は目を閉じ考え込む。

俺は、期待の籠った目で、霊夢を見た。

ほどなくして、彼女は目を開き、俺を真っ直ぐ見据える。

 

 

「……ありえないわ」

 

「………………え?」

思考が止まった。

 

「ありえないのよ。そんなことは」

「…………ま、待ってくれ」

俺は震える声を上げる。

「た、確かに、可能性は低いかもしれない。でも、二人がいる可能性は、ゼロじゃないだろ?」

「悠基、聞いて」

霊夢は、俺の両肩を掴んだ。

 

「もしかしたら、あなたのご両親と同じ姿で、同じ声で、同じ振る舞いをする人がいるかもしれない」

 

…………ああ、霊夢。

 

「その人たちはこの世界では元気に生きてるかもしれない」

 

…………それ以上は、やめてくれ。

 

「でもね」

 

……それじゃあ、その言い方じゃあまるで、

 

「その人たちは、絶対に、あなたのご両親じゃないわ。あなたのご両親たりえないの」

 

 

「…………あ」

 

 

灯ったと思った微かな光は、存在などしていなかった。

どん底だと思っていたところから突き落とされ、さらに下へと落ちていく感覚。

埋まっていたと思った胸の穴が、さらに広がっていく錯覚。

 

もう、何もない。

分からない。

考えられない。

 

 

「…………霊夢」

覇気のない声が、俺の口から漏れる。

「俺はどうすればいい?」

どうやって、生きていけばいい?

 

霊夢は、俺の手を取る。

「悠基」

そのまま俺を引く。

「帰りましょう」

促されるままに力なく立ち上がった。

「幻想郷に」

 

俺は、力なく頷いた。

 

 

* * *

 

 

 

霊夢が開いた裂け目をくぐり、俺は博麗大結界の内側、幻想郷の博麗神社へと戻った。

夕暮れ時で、周囲の世界は朱色に染まっている。

 

アリスが、博麗神社本殿の前で俺たちの帰りを待っていた。

いや、きっとこうなることが、分かっていたんだろう。

霊夢に手を引かれ裂け目を抜けた俺は、覇気のない目で彼女を見る。

 

「おかえりなさい」

「ただいま」

出迎えてくれたアリスに、霊夢は返事をするが、俺は何も言うことができない。

ただ茫然と、その場に立ち尽くし、項垂れる。

 

俺は元の世界に帰れない。

その現実を受け止めてから、時間が立つが、未だに俺の意志は立ち直ろうという兆しをみせない。

 

「悠基」

すぐ傍で、声がする。

顔を上げると、アリスが目の前まで近づいていた。

 

冷たいなにかが、俺の頬に触れる。

アリスの伸ばした左手が、俺の右頬に添えられていた。

 

「……その…………」

何かを言おうとしているのだろう。

アリスの憂いを帯びた目が揺れる。

だが、何を言えばいいのか分からなかったのか、それ以上の言葉が出てこない。

 

 

 

………………ああ…………。

 

 

そんなアリスの姿に既視感を覚えた。

 

 

………………そうか…………。

 

 

両親の葬式が終わってから、雨に濡れるままに空を見上げる俺に、

 

 

………………同じなんだ…………。

 

 

傘を差しだしてくれた叔母の目と、俺を気遣おうとする叔父の目。

 

今のアリスは、あの時の二人と同じ目をしていた。

 

出会って、1日しか立っていないというのに、

こんなにも親身に、俺を心配してくれる。

なんて、優しいんだろう。

そんな彼女を、これ以上困らせたくなかった。

 

「大丈夫だから」

気付くと俺は、そう口にしていた。

 

「俺は」

無理矢理、口角を上げる。

「大丈夫だから」

笑みを浮かべようとしていた。

あの時と同じように。

 

でも、今回もきっと、歪な笑みだったのだろう。

アリスの反応を見るまでもなく、分かった。

 

 

「悠基」

霊夢がアリスの隣に立ち、睨むように俺を見た。

「泣きなさい」

 

「…………え?」

何を言われたか、一瞬わからなかった。

 

「我慢して、自分を殺すな」

有無を言わさぬ声で、霊夢は俺に言う。

「泣きなさい」

 

 

 

 

俺に優しかった叔父、叔母と違い、その娘の従妹は俺に厳しい人だった。

『いつまでも無理してんじゃないわよ!』

会話の流れは、思い出せない。

ただ、従妹の少女は俺に怒っていたのだ。

 

両親の死に茫然としながら、ただ、周りの人たちに心配を掛けまいと無理矢理明るく振舞っていた俺に。

『さっさと吐き出しなさいよ!この馬鹿!!』

俺を想って、叱ってくれたのだ。

なのに俺は、その時は彼女の言葉の意味がその時が分からず、更に彼女を怒らせた。

 

結局、その言葉の意味するところを俺が理解するのは、それから暫く経ってからだった。

 

 

 

「…………あれ……?」

 

俺の目から、暖かい物が零れ落ちた。

それは、俺の頬に添えられたままのアリスの手を濡らす。

霊夢の言葉は、あの時の彼女と同じだ。

 

俺は、アリスの手を握り、俺の頬からゆっくりと剥がす。

その手は冷たいのに、とても暖かい。

握ったその手を放したくなかった。

 

「…………ああ…………」

無理矢理浮かべた笑顔が崩れた。

 

「……あぁぁ…………」

視界が滲み、とめどなく涙が溢れ、零れる。

 

「ぐ……うぅ…………」

嗚咽を止めることが出来ない。

 

その顔を二人に見られるのが恥ずかしく、ささやかな抵抗をするように、俺は俯く。

「ああ……ああああ…………」

 

鼻水と涙で汚らしく顔を汚しながら、

無理矢理押さえていたものを吐き出すように、

子供のように、

俺は、泣いていた。

 

 

俺を見守るように、アリスも霊夢もただ黙って、俺の傍にいてくれた。

 

 

 

 

…………ああ、二人とも、違うんだよ。

 

 

俺は心の中で呟く。

 

 

 

俺はこの世界で一人ぼっちになったと思ってたんだ。

 

大切な人たちにもう会えないと思うと、今でも胸が張り裂けそうなくらい痛い。

 

でも、

 

会って間もない俺に、二人はこうして傍にいてくれる。

 

ただその事実が、この上なく嬉しいんだよ。

 

だから、これは嬉しくて、泣いてるんだ。

 

 

……ありがとう。

 

 

 




今回の主人公はずっと鬱っていましたが、ひとまずは立ち直れたという感じです。
そういうことにしておいてください。

さて、次回で一章は終わりなのですが、こんな重い感じの空気を経て、やっとこさ路線をほのぼのしたものにしたいです。切実に。

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