東方己分録   作:キキモ

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六十六話 妖怪の山小騒動 後編

「………………………」

正座をして縮こまる俺の正面に、その妖怪はどっしりと胡座をかいて鎮座していた。

 

はたてと同じような野伏装束。

だが、身長は俺の倍、横幅に至っては俺の五倍はあるんじゃないかという巨体。

膝に置かれた手の皮膚も、深い髭を蓄えた顔も真っ赤だ。

そして最も目を引くのはやはり棒のように先端の伸びた鼻だろう。

なんというか、もう、でっかいしびっくりするくらい天狗だしで逆に新鮮だ。

 

はたてに連れられ訪れた妖怪の山の天狗の里――聞くところによると、山には他にも拠点があるらしく、ここはその一部だそうだ――、その一角に構える大きな平屋の邸宅。

その一室に案内された俺は、妖怪の山を統べる天狗の幹部、大天狗と呼ばれる天狗の一人と対面していた。

 

正面の大天狗は、会話が始まってからも俺を値踏みするような、あるいは試すかのような目で俺を見据え続けていた。

その巨体に加えて迫力のある顔、お偉方であると同時に力ある妖怪らしい威厳からくるプレッシャーは相当なものだ。

 

端的に言って、すっげえおっかない。

 

ちなみに俺を連れてきたはたてと同行してきた椛は二人とも俺の後ろに並んで腰掛けている。

左後ろのほど近いところから「怪しい動きを見せたら殺す」「無礼を働いたら殺す」「話が終わったら殺す」「取り敢えず殺す」と、極端な被害妄想を抱かせるようなレベルの殺気が飛んできていて非常に居心地が悪い。

 

正直に言って、すっげえ気まずい。

 

……のではあるけれど、俺の感じた空気とは裏腹に、大天狗との話は、意外にも俺にとっては朗報だった。

「…………あの、つまりは、俺――私にこの山の探索を許可してくださるということでしょうか?」

「そういうことだ」

いかつい顔の大天狗は、表情を変えることなく頷いた。

 

「貴様が昨年から幾度も侵入していることは報告を受けている。だが、哨戒天狗にすらまともに相手取れないような無力な人間だ。侵入の都度適当に追い払っておけば充分だろうと、これまで儂は考えていた」

そこで、大天狗は僅かに呆れたように嘆息した。

 

「だが、此度の騒動で考えを改めることにした。このまま貴様を阻み続ければ今後より騒動が酷くなるのではないか、とな」

「…………」

気まずくなった俺は思わず視線を逸した。

 

違うんです大天狗様。

今回は例外なんです。

そりゃ確かに途中からはこの騒動に乗っかってはいましたけど、俺だってこんな騒動を起こすつもりはもともとなかったんです。

首謀者は小悪魔……もとい、指示を出したウチのお嬢様であるからして、つまり俺は悪くない……いや普段の行い的にそんなことはないですよね、ハイ。

 

「……申し訳ございません」

「幾度も侵入を繰り返し続けてきた貴様のことだ。しおらしく謝ったところでここへの侵入を諦めるつもりはなかろう?」

よく分かってらっしゃる。

似たような説教を何度も受けている身からすれば耳が痛い。

 

「で、あるならば仕方ない。此度以上の騒動を起こされるよりは、監視下に置いたほうがまだいいだろうというだけの話だ」

「監視下ですか」

「そうだ。貴様の目的がここに住む妖怪の観察であって、我々天狗に敵対するためではないという話は聞き及んでいる」

 

はたてが話したのだろうか。

いつもと違って静かな彼女は、椛と並ぶように俺の背後に座している。

 

「しかし、だからといって自由に我らの領地を嗅ぎ回らせるのは流石に看過できんからな。故に、この山に入る上で二つ条件を飲んでもらおう。一つは、山では常に哨戒天狗の監視下につくこと。そしてその天狗の指示におとなしく従うこと。椛、監視役はお前に任せる。よいな」

「……承知」

すごい不満そうな声色の返事だった。

 

ともかくとして、条件と聞いて何を言われるかと緊張したが、至極まっとうな内容に俺は安堵する。

これまでの度重なる妖怪の山への侵入や、今回の騒動を鑑みると寛大な処置だ。

なんだか泣き寝入りさせた感が否めないけど。

 

 

「人間、異論はあるか?」

「滅相もありません。ご温情、誠にありがとうございます」

「ふん、『温情』か。物は言いようだな」

鼻を鳴らす大天狗の様子からして、所感は概ね一致しているようだ。

 

「これでよいか、はたて」

と、大天狗が俺の右後ろへと視線を動かした。

不意の言葉に目を丸くする俺の背後で、どこか機嫌良さそうな声音ではたてが応える。

 

「ええ。充分だわ、お父様」

 

え。

 

「ここでは『大天狗』と呼べと言っておるだろう」

「これは失礼致しました。大天狗様」

 

お、お嬢様!?

はたて、君、お偉いさんのとこのお嬢様だったの!?

全っ然似てないけど!!

 

「あら、なによ悠基」

思わず振り返った俺の顔を、どこか可笑しそうに見返しながらはたては言った。

「鳩が豆鉄砲食らったような顔して」

 

「…………いえ、何も……」

敬語になりながら、俺は湧き出てくる質問を飲み込んで再度大天狗様に向き合う。

マジでビビった…………あ。

もしかして、今回の大天狗の決定、大天狗の令嬢という立場を利用したはたてが一枚噛んでいるのではないだろうか。

もしそうなら、随分とでかい借りが出来てしまったな。

 

さて、今後の妖怪の山での妖怪調査に展望が開けたのはいいとして、今回の騒動の目的はそれとはまた別にある。

現状かなり印象が悪いおかげ――なぜか、先程のはたてとの一言だけのやりとり以降、大天狗様からの威圧感が上がっている――でかなり気が引けるが、こちらも蔑ろにはできない。

「大天狗様。無礼を承知で一つお願いしたいことがございます」

 

「ほう?」

「貴様……!」

俺の申し出に大天狗は片方の眉を上げ、背後で椛が押し殺したような声を上げる。

 

何を思ったか定かではないが、大天狗は椛を制するように手を翳して言った。

「よい、申してみよ」

「ありがとうございます」

「…………」

背後の剣呑とした殺気に冷や汗を滲ませながらも俺は安堵する。

 

「私の雇い主、レミリア・スカーレットより書状を預かっております」

いつ椛に斬りかかられるかと覚悟を決めながらも、俺は懐からそれを取り出す。

椛との戦闘の中で滝に突っ込んだせいでダメになっているかと思った書状だが、見たところ封がしっとりと湿ってはいるが、中からは乾いた音が聞こえてきた。

おそらく何かしらの防水加工でもされていたのか。

準備のいいことだ。

俺はその書状を大天狗に差し出した。

 

「これを、その……天魔様にお渡し頂けないでしょうか」

天魔の名前を出した瞬間に、室内の気温が一気に落ちるかのような、そんな寒気を覚えた。

流石にまずかったか、と唾を飲むが、反して大天狗の声音は変わらなかった。

 

「ほう、頭領様にか。中身を改めるぞ」

「はい」

大天狗は俺から手紙を受け取ると断りを入れて太い指で器用に封を開いた。

 

そういえば、レミリアが天魔に向けて認めた手紙の内容はなんなのだろう。

今更ながらその考えに至った俺はひやひやしながら書面に目を通す大天狗を見つめた。

……碌でもないこと書いてたらどうしよう。

 

少しの後、書状を読み終えた大天狗は「ふん」と鼻を鳴らした。

「人間。主の吸血鬼に伝えておけ。『断る』とな」

僅か一言、シンプルな言伝を俺に命じながら、大天狗はビリビリと書状を破り始めた。

 

予感した通り、失礼な内容だったのだろう。

表情こそ変わらないが明らかに機嫌の悪そうな対応をする大天狗に、俺は気落ちしながら頭を下げる。

「……かしこまりました」

 

「もう用はないな?」

「はい」

「よろしい。下がって良いぞ」

「は…………此度のご迷惑、失礼、誠に申し訳ございませんでした」

最後に俺は深々と頭を下げた。

 

「ふん」

大天狗は鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わなかった。

今回は大変な目にあったが、大きな収穫もあったし、良しとしよう。

俺は頭を上げると立ち上がり、その場を後にしようとして――直後に「待て」と大天狗に呼び止められた。

 

「?……何か?」

「…………」

不意の呼びかけに応じるが、なぜか大天狗は何も言わない。

ただ、意外なことに何か躊躇うような、僅かな迷いがその目に見えた。

これまでの威厳ある態度とは異なる様子に、俺は何事かと大天狗の言葉を黙って待つ。

 

「……はたてと」

「私?」

不意に名前を呼ばれたはたてが戸惑ったように声を上げた。

 

「貴様は」

「?」

 

 

 

「貴様ははたてと、どういう関係だ?」

 

 

「え?」

「…………」

「…………えーと」

 

……こ、これは。

お、お父さんだ……!

娘の交友関係を気にするお父さんだ……!!

 

余りにも予想外な言葉に思わず閉口していると、俺の代わりにはたてが口を開いた。

「フ、アハ、アハハハ!何よお父様。もしかして何か勘ぐっているの?」

心底可笑しいのか大笑いするはたては、硬直する俺の背中をバシバシと叩いた。

「ないないないない。悠基とそんなことあるわけないじゃない!」

 

気軽な様子で背中を叩いてくるはたてに反して、俺は冷や汗をだらだらと流していた。

 

痛っ。

痛いってはたて。

「……………………」

視線が、視線が痛いんだよ大天狗様の!

めっちゃ睨んできてるから!

気づいてくれはたて!

そういう不用意なスキンシップが大天狗様には親しげに映ってることに気づいて!

余計な誤解を生んでるって気づいて!!

 

「あ、あの、大天狗様。誓って……誓ってそのようなことはございませんので」

「なによぉ悠基。大げさねえ」

「貴様、はたてに魅力がないと言うのか」

「えぇ?あの、決してそんな」

「もう、やめてよお父様ー」

 

最初の威厳はどこへ消えたのか。

親ばか丸出しの大天狗に困惑する俺と、状況を全く察することなく暢気に笑うはたて。

 

その様子を傍目で眺める椛は、なんとも微妙な顔をしていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

最後のやりとりにダメ押しされて酷く気疲れした俺は、大天狗の屋敷を後にして、はたてと並んで天狗の里を出口へ向けて歩いていた。

俺たちの後ろを付き従うように歩く椛からは、相変わらず殺気の孕んだ視線を向けられ続けている。

 

ただ、視線は椛からだけではない。

周囲の住居からは天狗たちの視線がちらほら見えた。

興味か、敵意か、その視線に込められている意思は様々だと思うが、大天狗の正面にいるときと同様に居心地が良いものではなかった。

 

そういえば、今回の大天狗の決定は、結局のところはたてが手を回してくれたのだろうか。

隣を歩くはたては、口元に手を当ててなにやら考え込んでいる。

「あの――」

「どうも~」

気になって問いかけようと俺が口を開いたところで、不意に上からテンションの高い声がかけられた。

 

聞き覚えのある声に視線を上げた俺の視界が、黒い翼で一瞬覆われた。

次の瞬間には、驚く俺の目前に笑みを浮かべた射命丸文が着地していた。

 

「ご無沙汰しております悠基さん。清く正しい射命丸でございます」

「あ、ああ。君は相変わらずだな」

テンションの高い文の登場に、俺の隣でははたてがジト目になっていた。

 

「なにか用なの、文。今日中の悠基への接触は控えるようにお触れが出ているはずだけど」

「そうなの?」

初めて聞く話に俺は目を丸くする。

 

「……山の中でまたひと騒動起きかねないからって、お父――大天狗様が命じたのよ」

どうやら大天狗様からはすっかりトラブルメーカー扱いされているようだ。

「も、ち、ろ、ん、取材も禁止よ」

言い含めるようなはたての言葉に文は苦笑する。

 

「それは残念。あわよくば話を聞けないかと思ったのですが。ま、いいでしょう。今回はこれを配りに来たのですし」

と、文は肩にかけた鞄に手を掛ける。

鞄からははみ出るほどにぎっしりと束ねられた新聞……おそらくは彼女の書く文々。新聞だろう、その一部を取り出すとはたてへと向ける。

 

「号外よ」

「……?」

訝しげに新聞を手に取るはたて。

続いて俺にも文々。新聞の号外を手渡す文の意味深な笑みに戸惑いながらも、俺は紙面に目を通した。

 

記事の中身は今回の妖怪の山の騒動に関するものだ。

騒ぎにもなったし、記事になるであろうことは予想はできた。

が、おかしい。

 

今回の騒動が始まったのは――白狼天狗に取り囲まれた頃合いをそれとするなら――、ほんの数時間前のことだ。

文は記事を書いて纏まった部数をこうして刷っているわけだが、いくらなんでも早すぎる。

外の世界で言うならば、その早さからして単独記事といってもいいだろう。

恐る恐る隣を見れば、食い入るように新聞を読むはたてが悔しそうに顔を赤くし歯を食い縛っていた。

 

「……仕事が早いね」

「ふふん。なにしろ私、最速を自称しておりますもので。そこらのヘボ念報とは記事の鮮度が違うのですよ、そこらのヘボ念報とは!」

 

「誰がヘボ念報ですって!!」

「おんやあ?私は別にお菓子念報だなどとは一言も言っておりませんが?もしかしてはたて、貴女自覚があるのかしら?」

「花!果!子!よ!花果子念報!なによその美味しそうな名前は!」

 

舌戦で文に軍配が上がりそうだな、なんてことを思いつつも、俺は二人の口喧嘩に割り込むように「なあ、文」と声をかけた。

「なにか?」

「……ここのとこなんだけど」

 

と、俺が指差すのは紙面の右下の辺りの写真。

もともと小さい画像を無理やり広げたせいなのか、かなり粗いが、そこには俺とリグルが写っていた。

妖怪の山に入る前の打ち合わせの様子――つまりは今回の騒動が起こる前に撮影されたと思わしき写真だ。

 

「なんで?」

あたかも、俺とリグルが悪巧みを……妖怪の山へと侵入することを知っていたかのような印象をその写真から受けた。

もちろん、たまたま俺たちを見かけて撮影しただけと言われればそれまでだが、それにしてはリグルの蟲による範囲探索の目を意識したかのように遠目から撮影したのだろう思わしき写真がなんとなく気になった。

 

「あぁ、まあ、いいでしょう」

口元に指を当てた文は、僅かに逡巡したのちに口端を上げた。

 

「そうですねえ。悠基さんには、一つだけご忠告を申し上げておきましょうか。出血大サービスですよ」

「?」

訝しげに眉を顰める俺の前で、文は鞄の鞄のサイドポケットに手を突っ込んだ。

少ししてから取り出したそれを、彼女は天狗帽と取り替える形で頭の上に乗せるように被せた。

 

「……あ」

それは、いつもの文の印象とは少し異なる、どこか異国情緒漂う、茶色い布地のキャスケット帽だった。

ついでに言えば、俺はその帽子に見覚えがある。

具体的には、昨晩のミスティアの屋台にて、リグルと妖怪の山への侵入について打ち合わせていたとき、ミスティアが『お兄さん』と呼んだもう一人の客だ。

 

「……君、だったのか」

「ええ、お察しのとおりでございます」

 

つまりは、昨晩俺とリグルは堂々と侵入計画を立てていたということになる。

その侵入先の住人の目と鼻の先で。

 

間抜けっ・・・・!圧倒的間抜けっ・・・・!

 

「……?」

事情のわからない様子で眉を顰めるはたての目の前で、愕然とする俺に対して、文は悪戯が成功した子どものように笑みを浮かべ、ともすればウインクまでかましてきた。

 

なるほど、計画を知っていたからこそ先んじて記事を書く準備が出来ていた。

だからこその天狗らしからぬ情報の早さというわけか。

「いやあ、先んじて張り込んでいたおかげでいい絵がたくさん撮れました。今回の騒動に関しては他の天狗にも差をつけられそうです。さすがの私もあそこまで大事になるとは予想できませんでしたが、そこは敏腕記者としての腕の見せ所です♪」

 

「……ほう?」

と、不意に俺の背後から底冷えするほどの寒さを錯覚する冷たい声がした。

 

思わず息を呑んで振り返れば、椛が射殺さんばかりの鋭い視線を文に向けていた。

「文様。つまり貴女は、この男が侵入することをご存知だったと?そして、それを見逃したと、そうおっしゃるのですか?我々の仕事が増えることを承知で?」

「もちろん貴女方哨戒天狗の仕事を信頼してのことですよぉ。怒らないでくださいって」

 

視線を向けられているわけでもないのに椛の迫力に気圧されている俺と違って、文は楽しそうですらある。

それどころか、指を伸ばして今にも噛みつかんばかりの椛の眉間をちょこんと突いてすら見せた。

「そんなに眉間に皺を寄せていると、せっかくの美人さんが台無しですよ、椛?」

「…………」

 

こ、恐ぇ……。

数刻前の小悪魔の言葉を彷彿とさせる文の言葉に、無言の椛からの()が一段と増した気がする。

下手したらすぐさま抜刀して斬りかかりかねない様子だが、恐らくは烏天狗の文だからこそ我慢しているのだろう。

文もそれを承知しているのか、臆する気配を微塵も見せずに「それでは」と軽い足取りで数歩下がった。

 

「この度は記事の提供ありがとうございました。これからも文々。新聞をご贔屓に~」

と、終始上機嫌に笑いながら文は飛び去っていく。

 

その後姿を苦虫を噛み潰したような顔で見るはたてがぼそりと呟いた。

「アイツ……からかうためだけに来たわね……」

随分と悔しげな表情をするはたてを見て、俺は不意に思う。

はたてが父親の大天狗にかけあったと前提するならばの話だが、もしかして彼女は新聞記事のネタを反故にして俺に味方してくれたんじゃないだろうか、と。

 

「おい。人間」

「ん?」

と、不躾に俺を呼ぶ椛に振り向けば、彼女の冷たい目で俺を見ながらも一方を指差している。

見れば、天狗の里の外れの辺り、俺達が進む目と鼻の先に、白狼天狗の集団が俺たちに向かって歩いてきていた。

 

なるほど、騒動を起こした俺が天狗の領域外に出ていくまで、哨戒天狗の部隊で監視するというわけか。

と納得していると同時に、集団の先頭に知り合いがいることに気づく。

 

「リグル、メディスン」

どういうわけか……いや、メディスンは山へ侵入していたのだから分かるのだけど、なんで山の外で待機していたリグルまでいるのだろうか。

ていうか、なんかリグル、気のせいか顔色が悪いような……。

不思議に思い首を傾げる俺に、どうやら向こうも気づいたらしい。

 

「ゆ」

「……?」

俺と目があったリグルが何かを言いかけ、しかしなぜか言葉が途切れた。

何事かと様子を見ている俺は次の瞬間ぎょっとする。

丸々と見開かれたリグルの目が潤み、大粒の涙がこぼれ始めていた。

 

「どうした!?」

「ゆう、きぃ!!」

俺に向かって駆け出したリグルはポロポロと涙を零しながら飛びついてきた。

腰に抱きついてきた彼女の衝撃に踏ん張りながら、俺はリグルの頭に手を添える。

 

「リグル?」

俺の腹部に顔を埋めて尚も泣き続けるリグルに問いかけるも、嗚咽を上げるばかりで答えは帰ってこない。

あやすように彼女の頭を撫でながら、俺は椛を見た。

 

「貴様の侵入に助力したのだから当然だ。脅すだけに留めておいてやったのだ、睨まれる筋合いはない」

案の定、椛の能力か何かで居場所を特定され、彼女の部下の白狼天狗に捕まったようだ。

リグルの様子からして、随分と脅されたのだろう。

「……そうか」

 

と、するならば、今リグルが怯えているのは俺の仕事に巻き込まれたからだろう。

「……こめんな、リグル。もう大丈夫だからな」

「…………キ」

「ん?」

 

顔を埋めたままのリグルからくぐもった声が返ってくる。

「ショート……ケーキ……」

…………なるほど。

 

「クリームたっぷり甘々だな」

「ハニートースト……」

「ハチミツが溢れるくらいのやつだな」

「モンブラン……」

「そうだな。もうしばらくしたら栗が旬だし、たくさん作ったる」

「…………」

 

痛いほどに抱きしめてきていたリグルの腕の力が少しだけ緩められた。

相変わらず顔を上げようとはしないが、ひとまずはそれで許してくれるらしい。

ほんの少しだけ安堵していると、今度は俺の袖を誰かが引っ張った。

 

メディスンだ。

リグルのように泣きじゃくってはいないものの、目を潤ませたメディスンが俺の片方の袖を摘むように握っている。

顔を反らしている彼女の手は震えていて、泣き出しそうになりながらも必死で堪えているのがよく分かった。

 

「大丈夫か、メディスン」

大丈夫じゃないよなあ、と思いながらも問いかけると、メディスンは震える声で返してきた。

「大丈夫に…………決まってるじゃない……」

さすがの彼女もかなり堪えているようだ。

 

「そうだな」

「……泣いてないんだからね」

「ああ」

「本当なんだから」

「うん。大丈夫だよ」

 

俺の袖をしっかりと掴んだままのメディスンに頷いて、俺は顔を上げた。

さて、あと一人、山に侵入した同行者がいたはずだ。

 

「椛、こあ――赤髪の子は?」

「……ふん」

俺の問いかけに椛は不機嫌に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

彼女の反応からして、今回の騒ぎの発端であり数多の哨戒天狗を翻弄する大立ち回りを見せた小悪魔は、どうやらまんまと逃げおおせたのだろう。

だとするなら、もう俺がここに残る理由はない。

 

「ん、そうか」

俺は一人納得して頷く。

それから、少しだけ迷いながらも言っておくことにした。

「じゃあ、椛。また今度、山に入る時はよろしく」

「…………」

予想通り、ものっすごい不満そうに睨まれた。

 

急かすようにメディスンが無言で俺の袖を引く。

どうやら一刻も早くここから離れたいようだ。

メディスンもだが、初めて出会ったときの、俺を瀕死にするくらいの威勢の良さはどこへやら、よほど天狗たちの脅しが怖かったのか、随分としおらしくなっている。

そんな彼女に「もうちょっとだけ待ってくれ」と言いながら、俺ははたてへと視線を移す。

 

はたてと言えば、先程から呆れたような視線を俺に向け続けている。

リグルに抱きつかれ、メディスンに片腕の自由を奪われている俺の姿は、ともすれば泣きやまない子どもたちを迎えに来た保護者くらいには見えるのだろう。

 

「はたて、今回はありがと」

「……なんのことよ」

「大天狗様のこと」

「…………何を言ってるのかさっぱりだわ」

腕を組み、唇を尖らせながらはたてはそっぽを向いた。

 

俺ほどではないにしろ、はたても嘘をつくのは随分と下手くそらしい。

とぼける彼女の朱色に染まった頬は彼女が照れていることを表していて、おそらくは俺が礼を言う理由に心当たりがあるのだろう。

 

きっと、俺の妖怪調査を大天狗が許可するようにはたてが根回しをしてくれたという俺の予想は当たっていると確信した。

恍けているのは周囲の天狗の目があるからなのか。

その辺りの事情は分からないが、今はこの話題には触れないでおこう。

 

……なら、最後に。

「はたて。試作のケーキ、また味見しに来てくれ」

今回は大きな『借り』を作ったわけだし。

 

「…………」

俺の言葉にはたては逡巡するように沈黙し、暫くしてからいつものように破顔した。

「そんなの、頼まれなくてもいつもみたいに行ってあげるわよ」

「ああ」

どこか満足気な笑みに、俺も笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

かくして、晩夏を目前に妖怪の山で起きた、妖精、使い魔、妖怪、人間の各種族入り乱れる侵入者たちによって引き起こされた一連の騒ぎは、ひとまずの結末を迎えたのだった。

 

 




主人公の探索エリアに妖怪の山が追加されました。
妖怪の山編は一応の決着。
章タイトルの風神録編はもう暫くしたら本格的に、です。

今回も登場人物紹介はお休み。本編が長くなると煽りを受けるのです。

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