絶体絶命。
現状にふさわしい言葉だ。
周辺に展開している天狗の数は、木々に遮られてはいるものの十人はくだらない。
俺には何ヶ月もの間彼ら彼女らに屠られ続けてきた経験則がある。
身体能力や戦闘技術を見ても、そこらの野良妖怪とは一線を画するほどに白狼天狗という種族は揃いも揃って強いのだ。
とてもこの場にいる面々――使い魔一人、幼い妖怪一人、妖精二人に、一般人に毛が生えた程度の人間一人――で太刀打ちできるとは思えない。
特に、正面で大きな曲刀を俺たちに向ける白狼天狗の少女。
冷徹な視線は逸らされることなく俺たちに――特に俺に――向けられ、眼光で殺してやると言わんばかりの迫力に冷や汗が流れた。
彼女と出会ってそれなりに立ったが、未だに会話を成立したこともなく名前すらも知らない。
いつかは彼女の口から名前を教えてもらえる程度には仲良く――いやここまでくれば意地でも彼女の口から名前を聞き出してやりたい、なんて思っていたがまだ長らくは無理そうだ。
「貴女のことは聞いたことがあります」
不意に、緊迫した空気の中で小悪魔が口を開く。
見据えるは正面の白狼天狗。
「この山の哨戒天狗部隊の隊長、犬走椛さんでお間違いないですね」
…………。
え。
「……なぜ私の名を」
あ、そうなんだ。
ふーん…………。
「貴様、何者だ」
「椛」と、そう呼ばれた彼女は、小悪魔の言葉に一層視線を鋭くする。
「名乗るほどの者ではございません。『小悪魔』で通ってはいるのですが、もしよろしければ、親しみを込めて『こあ』とお呼びくださいな」
「巫山戯たことを……」
鼻を鳴らす椛だが小悪魔はまったく笑みを崩さない。
「そう露骨に嫌そうな顔をしないでくださいって。ところで、なんで悠基さんから非難めいた視線を感じるんですかねぇ」
「いや?
ほんと。
「はあ、でしたらいいんですが」
腑に落ちないと言った様子ではあるが、小悪魔は俺に向けていた視線を椛へと戻す。
「さて、椛さん。単刀直入にお伺いいたします。ここを通しては頂けませんか?」
「抜かせ。そんなことを許すとでも思ったか。特にそこの人間は」
「…………」
「それは残念。ついでに、天魔様にもお目通り願おうと思っていたのですが」
あたかもなんでもないことのように小悪魔が言うと、椛は一層目つきを険しくした。
「……世迷い言を。我々の領域を侵すに飽き足らず、天魔様を愚弄するか」
「そんなつもりはございませんってば」
困ったような半笑いで肩を竦める小悪魔――傍から見れば挑発してるようにも見える、というか実際そういう部分もあるのかもしれない――だが、相対する椛の方からはどんどん剣呑とした空気が濃くなってくる。
「もはや生きて帰れると思うな。特にそこの人間は」
「…………」
すっげぇ見てくるすっげぇ睨んでくるすっげぇヘイト向けてくる……。
大方、「こそこそ侵入するだけでは飽き足らずついに仲間まで引き連れてきやがったかこの人間ぶっ殺す」とか思われてるんだろう。
いつもの流れからして、「いやいや違うんだよ俺はいつもみたいにこそこそ侵入していただけだったんだよ」と弁明しようにも話を聞いてくれないだろうしそもそも弁明が弁明になっていないから。
「まあまあ、そうカッカしないでくださいって」
椛と対峙する小悪魔は飄々とした態度のままだ。
「あんまり怒ると眉間に皺が残っちゃいますよぉ。せっかくの美人さんが台無しです」
傍から見ればおちょくっているようにすら見える態度。
小悪魔のことだし、もしかしたら素で言っているのかもしれないが、ともかくとして、ずっと俺へと向けられていた椛の殺気もとい視線がついには小悪魔へと向けられた。
それでも小悪魔は笑みを崩さなかったが、これ以上は話すことは無理だと判断したのか小さく嘆息した。
「さてと、どうやら交渉決裂みたいですし、仕方がありませんね」
「こあ、何を――」
嫌な予感に俺は口を開いたが、しかし。
行動を起こすのが致命的に遅すぎた。
問いかけに被せるように小悪魔は声を上げる。
「無論!」
勢い良く掲げた右手。
気づけばその手のひらの上には、翡翠色の透明な石が浮かんでいた。
「強行突破です!!」
その声に応じるように、椛が――周囲の天狗たちが一斉に飛びかかってきた。
同時、待ち構えていたチルノとメディスンが叫ぶ。
「毒符『ポイズンブレス』!!」
「雪符『ダイアモンドブリザード』!!」
正面から一瞬で距離を詰めてくる椛に迎え撃つ形で、小悪魔が宣言する。
「木符『シルフィホルン』!!」
それは、そう、間違いなく、『スペルカード宣言』。
弾幕ごっこ開始の合図。
遊びの始まりを告げる声。
かつ、徹底抗戦の意思表示。
小悪魔の手にあるものと似通った形状の弾幕が、彼女の周囲の虚空に突如として無数に現れた。
「むっ!」
こちらに一足飛びに突っ込んできていた椛は目を見開いて真上に跳躍。
彼女を追うように小悪魔が現出させた煌めく石が、川に流れる幾つもの木の葉のように一つの流れを伴って椛へと向かった。
「飛びますよ!」
「え」
小悪魔が振り返った。
彼女の弾幕とそれを機敏に回避し距離を取ろうとする椛を固唾を呑んで見入っていたせいで反応が遅れる。
そんな俺を小悪魔は待つ気はないとばかりにすぐさま横抱きに抱え上げると地面を蹴った。
チルノ、大妖精、メディスンの三人も示し合わせたように飛び上がる。
重力に逆らう圧迫感と風切り音の中で、小悪魔が声を上げた。
「悠基さん!飛行魔法を!」
「わ、わかってるよ!」
久方ぶりのお姫様抱っこに動揺しつつも、俺は魔力をどうにか練り上げる。
俺の飛行魔法は未熟だ。
最初の頃と比べればかなり改善されたものの、移動速度は小悪魔や周りの子どもたちとは比較にならないくらい遅い。
未だに発動に若干の時間を要する飛行魔法を行使した直後、小悪魔は鈍間な俺のフォローを続けるために横抱きから腕を引く体勢へとシフトした。
「木符『シルフィホルン上級』!!」
空いた片手に再び石を出現させた小悪魔が叫ぶと、先程の数倍の量の弾幕が上空で展開し周囲の天狗たちへと襲いかかる。
青い空を流れるように翡翠色の弾幕が飛び交い、その美しくも広範囲に広がる弾幕に俺は圧倒されて息を呑んだ。
「こあ」
「はい?」
「あれって、パチュリー様の……?」
「おや、ご存知でしたか」
小悪魔が使ったスペルカードは、どちらもパチュリーが以前使用したと伝えられたスペルカードだ。
実際に見たことは無かったが、魔理沙に渡された魔導書もといスペルカード辞典でその名前には見覚えがあった。
その光景は、たまに見かける幼い妖怪や妖精たちが繰り広げる弾幕ごっこよりも壮大で、さしもの天狗たちもこの弾幕に翻弄され、包囲網は既に崩壊していた。
小悪魔に先導されながら、俺たちは弾幕に足止めされる天狗たちを横目にその包囲を突破し進む。
「……凄いな」
と、それどころではないのに思わず零した俺の言葉に、どこか得意げに小悪魔は笑みを浮かべる。
後方で今もなお展開される弾幕は、さながら色を伴った竜巻のようだ。
「でしょう。パチュリー様から魔力と媒介をお借りしました」
やはり、というか当然だが、レミリアの命令で小悪魔がここに来たのなら、パチュリーも一枚噛んでいるのだろう。
「今回の私はひと味違いますよ!具体的には普段の三十割増しぐらいです!」
「パチュリー様の割合多くない?」
「ちょっと!抜けてきてるわよ!」
横を飛ぶメディスンが声を上げた。
彼女の言うとおり、後方で足止めされていた白狼天狗が何人か、弾幕をかいくぐり俺たちを追ってきていた。
移動速度において、天狗という種族は妖怪の中でも最も速いとされている。
白狼天狗である彼女たちもその傾向にもれず、見る見る間にその距離を詰めてくる追手に、小悪魔は「さすがに簡単にはいきませんか」と振り返った。
「大妖精さん!」
「はい!」
「ここからは手はず通りに行きますよ!」
「わ、分かりました」
なんのことかと目を丸くした直後、大妖精が俺の背中に近付いてきた。
大妖精はそのまま俺の両脇を掴み、同時に小悪魔の手が俺の腕から離れる。
俺の飛行補助を小悪魔から大妖精に引き継ぐ形になった。
「悠基さん、これ、お願いしますね」
大妖精に半ば運ばれている形となった俺の胸元を、小悪魔は人差し指でちょいちょいと突いた。
気付けば、レミリアが用意して小悪魔が俺に手渡してきた天魔へ向けて綴られた手紙が、リグルとの通信用魔道具であるタロットカードと同じところに収められていた。
いつのまに、いや、恐らく俺を抱きかかえた折に忍ばせたのだろう。
手品師かよと思わなくもないが、それよりも小悪魔の言った『手はず』が気になった。
「こあ、何を」
「私が足止めに残ります。スペルカードで注意を引くので、その隙に山頂へ向かって下さい」
話しながら、小悪魔は両手に新たな魔法媒介を出現させると、高らかにスペルカードを宣言した。
「さあ、行きますよ!土&金符『エメラルドメガリス』!!」
一人だけ俺たちの元を離れた小悪魔の放つ弾幕が追手の天狗たちの目前に展開される。
巨大な球状弾幕のシャワーで視界が切れ、同時に俺達は急降下した。
「こあー!頑張れぇー!」
「ええ、お任せください!」
チルノの呼びかけに力強く応える小悪魔。
その背中がぐんぐん遠ざかり、彼女自身も弾幕の中に消えていく。
結局、言いそびれてしまった。
小悪魔、俺は――――まだレミリアの命令を受けると応えていないんだけど、と。
小悪魔から伝えられたレミリアの言葉が蘇る。
報酬。
元の世界への手がかり。
俺がなんとしても手に入れたいそれを、レミリアは提示してきていた。
…………。
……ああ、くそっ、まったく。
……ワガママで気まぐれで横暴なお嬢様め。
その言葉をチラつかせておけば俺が何でも言うこと聞くと思うなよ。
心の中で悪態を一つ。
その影響でため息が一つ。
それから、半ばヤケクソな気持ちで、俺は前を見る。
…………まあ、今回はそのワガママを聞いて差し上げますけどね。
代わりに報酬はしっかり貰いますよ。
心のなかでぼやいてみると、なぜか全てを見透かしたような笑みを浮かべるレミリアの顔が浮かんだ。
* * *
小悪魔が足止めに残って数分。
妖怪の山に生い茂る木々の少し上を飛んでいる。
遥か後方では今もまだ青い空を背景に色とりどりの煌めきが軽じて見える。
追手と思わしき白狼天狗の姿は見えない。
「あの使い魔が上手いこと足止めしてるみたいね」
メディスンが周囲を見ながら呟いた。
「ああ、でもいつ新手が来るか分からないからな。警戒は解かないようにな」
「ふん!人間風情に指図されなくても判ってるわよそんなこと!」
「おう。なら心配ないな」
「ま、天狗が来たところで、あたいが全部けちょんけちょんにしてやるからね!悠基は泥舟に乗ったつもりで安心してなよ!」
「チルノちゃんそれじゃあ沈んじゃうって」
自信満々とばかりに自分の胸を叩くチルノに大妖精が苦笑する。
やや弛緩した空気。
俺は妖精たちの様子に口元を緩めながらも、こういう時こそ油断出来ないと周囲を隈なく見る。
とはいえ、開けた空の上。
遮蔽物は無いから、不意の襲撃は無いと見ていいはずだ。
『悠基!』
焦ったようなリグルの声が胸元から聞こえてきた。
緊張した空気を感じ取りチルノと大妖精が口を閉じる。
「リグル、どうかしたか」
『一人そっちに向かってるわよ!小悪魔の弾幕を大きく迂回して貴方達を追ってるわ!』
「……分かった」
彼女だ、と俺は確信する。
リグルへの情報伝達のタイムラグを考えれば、小悪魔が足止めに残った直後にリグルの言う天狗は俺たちの逃走に気付いて行動を起こしている。
だが、小悪魔の弾幕は俺達が逃げていることをすぐには悟らせない為に天狗から死角を作るように展開されていた。
だからこそ、すぐさま俺たちの動きを見抜いて追ってくる天狗は、小悪魔の意図を瞬時に見抜いた切れ者か、あるいは…………見えない位置にいる俺たちを知覚することが出来る能力を有しているであろう、犬走椛か――。
瞬間、唐突に寒気が体中に奔った。
「っ」
眼下を見る。
枝葉に彩られた緑の海はほど近い。
目立たない用に高度を抑えているためだ。
流れていく真下の木々。
その合間に何かが見えたと、俺がそう思った刹那。
緑の海から弾丸のように白い何かが飛び出してきた。
気付いたときには既に、鋭い眼光が眼前にあった。
振るわれる刃が陽光を反射し翻る。
っ。
「悠基さん!!」
頭のすぐ後ろで、大妖精が声を上げ、同時に景色が一点する。
俺の両脇を引いていた力が向きを変え、抗う暇もなく、進行方向から真横に向かって大妖精が俺を
「だい――」
投げ出された衝撃で、体がきりもみするように回る。
視界が定まらない中で、しかし、はっきりとその声は耳に届いた。
「きゃっ」
小さな悲鳴。
僅かに聞こえる風切り音。
そして、直後に何かが弾けるような『ピチューン』という音。
そんな。
どうにか空中で姿勢を安定させた俺が見たときには既に、光の粒子の群れ――まるで、つい先程まで少女の体を形どっていたかのような――が、空中に霧散していくところだった。
その傍らには、刃を振り切った姿勢の椛の姿。
「っあ」
判ってる。
分かってる。
頭では、理解ってる。
妖精に死の概念はない。
「――この」
故に、今、大妖精は斬られたとして、しかし、彼女は死んではいなくて、だから、消えただけで、それに、時間をかけたら復活するから、大丈夫、大丈夫だと、わかってても――目の前で、俺を庇った小さな女の子が斬られて、それで平静でいられるわけがないだろうがよ!
右手に魔力を込める。
だが、俺が魔法を使う前に、チルノが動いた。
「『パーフェクト――』」
そう認識したと同時に、周囲の気温ががっくりと下がった気がした。
「『――フリィィイイイイィィィズ』!!」
「!」
椛が素早く飛び退り、彼女がいた場所を色とりどりの弾幕が乱れ飛ぶ。
「あたいがやる!」
椛から目を離さないまま、チルノは叫んだ。
「大ちゃんはあたいの大親友で、あたいは大ちゃんの大親友だ!だから仇はあたいが討つ!二人は先に行って!」
いつも陽気なチルノの激情にかられた声に、俺は思わず息を呑んだ。
相手は妖怪、しかも天狗だ。
妖精と妖怪には大きな格差が存在する。
いかに最強の妖精であるチルノであったとしても、それでも天狗である椛は、おそらく、ずっとずっと強い。
「チルノ!?」
一人では無茶だと声をあげようとすると同時に、不意に腕を引かれた。
「ふん、嫌いじゃないわよ、そういうの」
メディスンは俺の意思など関係ないとばかりに、チルノを一瞥するとそのままその場から離れるように飛び始めた。
小さな体の彼女の力に俺は抗うことが出来ず、メディスンに引かれるままにチルノたちから遠ざけられる。
「おおおおおおおお!!」
チルノが声を上げ、彼女から様々な弾幕が撃ち放たる。
椛は彼女から距離を取りながら、その弾幕を悠々と回避し弾幕による反撃を放つ。
始まった彼女たちの弾幕ごっこに介入することも出来ないまま、俺は歯がゆい思いでその光景から目をそらした。
小悪魔から大妖精、そして大妖精から引き継ぐ形で、鈍間な俺の腕を引くのはメディスンだ。
メディスンに引かれるままに、空を飛びながら、俺は叫びたくなる堪えるように歯を食いしばる。
脳裏からは大妖精が消えた瞬間がこびりついたまま拭い去れない。
チルノの離れていく背中も。
彼女たちは妖精だ。
しばらく時間が立てば復活する。
そう自分に言い聞かせても、胸のざわめきはどうしようもなく収まらなかった。
自ずと、意識がメディスンに向けられる。
……じゃあ、妖精ではない、今俺の手を引く少女は――?
…………。
「…………メディ」
風の音で俺の呟くような声は掻き消えているのだろう。
俺は最初よりも大きく声を上げた。
「メディスン!」
「……あによ」
半眼で俺を振り返るメディスンに、俺は「頼みがある」と切り出した。
「ここで別れよう。君はこのまま投降してくれ」
「は?」
「天狗は侵入者であっても妖怪に対してはある程度寛容だ」
と、これはレティから伝え聞いた情報だ。
「俺と一緒にいたら問答無用で攻撃されるだろうけど、君一人なら、大人しく降参してくれれば許してくれるかもしれない。なんなら、全部俺のせいにしてくれて構わない」
「ちょっと!なに勝手なこと言ってんのよ!」
明確に怒気を見せるメディスンに対して、俺もまっすぐ彼女の目を見据えた。
「幽香に頼まれたんだろ?」
「……な、なんで急にアイツの名前が出て来るのよ」
普段の態度を見ていれば、俺を嫌っているメディスンが自発的に俺を手伝うとは考えにくい。
とすれば、第三者が介入したと見るのが自然だろう。
そして、俺とメディスンの場合その第三者は自ずと絞られる。
「俺と君との接点はそれくらいしかないだろ。幽香に言われて渋々俺の助けに来たってことはなんとなく分かるよ」
「…………」
黙り込むメディスンの態度が、俺の推測が正しいことを示していた。
「もし後で幽香に怒られるんじゃないかと思ってるなら心配ない。俺はここで斬られても分身が紅魔館に残ってるから、ちゃんと幽香は説得する。それよりも俺は、君がここで天狗に斬られる方が恐ろしいよ」
「私は負けたりしないわよ!」
「ああ、そうかもな」
明らかに意地を張ったメディスンの態度に、しかし俺はそれを指摘せずに敢えて肯定した。
その方が、きっと話を聞いてくれるからだ。
「それでも、俺は君が傷つくかもしれないと思うと耐えられないんだ」
俺の言葉に、メディスンは目を大きく見開いた。
何を驚いているのか、メディスンは声を出し損ねているかのように口をパクパクと開閉させ、少ししてからようやく絞り出すように問いかけてきた。
「――な、なんで」
「?」
「なんで、そんなに私のこと……?」
尻切れトンボな彼女の疑問だが、それでも俺は概ね察して応える。
「そうだな。俺が作ったケーキを、君が美味しそうに食べてくれたから」
「……は?」
数秒間、メディスンは呆けた顔で固まっていた。
そんなに驚かれると逆に気まずい。
「……それだけ?」
「充分だと思ってるよ」
「……バ、バカじゃないの?」
「ああ、うん。かもね」
「だって、私はあんたを襲ったのよ!?」
メディスンが幽香の家を襲撃し、俺が巻き添えになったときの話だろう。
「なんだ、もしかして気にしてたのか?」
「き、気にしてなんか!…………ないわよ」
全く気にしていないというわけではないらしい。
「でも、アイツが、『きちんと償え』とか、『借りはきちんと返せ』とか言うから……」
「『借り』か」
メディスンがこの場にいる理由が分かった気がした。
とするならば、俺も幽香の言葉を借りればいい。
「じゃあ、メディスン。今ここで、『借り』を返して欲しい」
「……え?」
「さっきの俺の頼みを聞いてくれ。ここで、俺を見捨てて、逃げろ」
俺の言葉にメディスンは再び目を見開いた。
彼女の顔には葛藤が見え、されどもその視線は真っ直ぐ俺に向けられ続けていた。
しばらくした後、メディスンはおずおずと口を開く。
「あるの?」
「……?」
「あの白狼天狗は、多分氷精を倒すわ」
どこか確信しているようなメディスンの言葉だ。
俺は、まだチルノが負けるかどうかはわからないと思っているが。
「そうなった時、あんたに勝算はあるの?」
もしかして、心配してくれているのだろうか。
だとすればこれまでの経緯を踏まえると驚くべきことだが、ともかくとして。
「あるよ。一応ね」
と、俺は誠意を持って正直に応えた。
俺は嘘をつけばすぐに顔に出ることはメディスンも承知のはずだ。
メディスンは俺の顔を少しの間見据えてから、彼女にしては珍しく「そう……」としおらしい相槌を打った。
これまで引き続けていた俺の腕をメディスンは離した。
彼女が離れたことで、慣性が残ってはいるものの俺の移動速度はがっくりと落ちた。
「判ったわ。じゃあ、これで貸し借り無しだから…………」
「ああ、ありがとな」
どこか後ろめたそうに、俺から離れていくメディスンは、最後に呟くように、しかしはっきりと言った。
「せいぜい頑張りなさい。悠基」
「!……おう」
多分、俺の勘違いでなければ、だけど。
メディスンに名前で呼ばれたのは、初めてだ。
* * *
リグルから『チルノが負けた』と報が入ったのは、それから暫くしてからだった。
メディスンの予測は的中したようだ。
間もなく椛は俺の元へと来るだろう。
俺は彼女を待ち受けるべく、空中で動きを止めた。
『本当に勝算はあるの?』
俺とメディスンの会話を聞いていたのだろう、魔道具越しにリグルが問いかけてくる。
「全くないってわけじゃないかな」
『それ、ほとんどないって言ってるように聞こえるわよ』
「ははは」
痛いところを突いてくる。
ただ、それでも、可能性は確かにあった。
「……来た」
俺が見据える空の先。
次第に大きくなりつつある人影。
その姿を捉えながら、俺は脳裏で想い起こす。
…………飛行魔法を習得して間もなく、その訓練は同時進行で始まった。
飛べない妖怪からは飛行魔法で逃げられるようになったが、空を飛べる妖怪だっているし、ついでに言えば妖精だって空にいるほうがよりちょっかいをかけてくる。
だから、飛行魔法を覚えた時点で、唯一の、そして最も単純な空中での対処方法として、アリスの師事のもとその訓練は飛行魔法を習得してから間もなく始まった。
幻想郷独自のルール。
慧音さん曰く、強大な力をもつ妖怪同士が狭い幻想郷で甚大な被害を出さずに争うために制定されたルール。
阿求さん曰く、人が妖怪と対等に戦い、打倒するためのルール。
アリス曰く、それは、絶対的な格差を圧倒的な格差程度には誤魔化せるルール。
…………あとは、まあ、霖之助さん曰く『少女の遊び』か。
右の手のひらに魔力を込め、その形状をイメージする。
ポポポと、断続的な軽い破裂音とともに目の前の空間に球状のそれがいくつも現れた。
今はまだ最も単純な球状にしなければ大量に作り出すことができないが、それでも一応形にはなるだろう。
これまで問答無用で斬りかかってきた椛だったが、今回ばかりはそういうことはないだろう。
根拠は、つい先程の光景。
妖精であるチルノに対して椛はその闘いに応じていた。
つまり彼女は、そのルールで挑まれれば応じるということだ。
その予測は当たり、こちらに真っ直ぐ近付いていた椛は、俺の様子を見て警戒するように動きを止めた。
すなわちそれこそが、メディスンに告げた勝算。
すなわちそれこそが、逆立ちしたって勝てっこない、犬走椛との絶対的な格差を、辛うじて圧倒的な格差に縮める手段。
「犬走椛!」
人差し指を向け、俺は高らかに宣言する。
すなわちそれこそが。
「君に、決闘を申し込む!」
魔理沙に渡された魔導書もといスペルカード辞典については五十四話より。
メディスンによる幽香の家襲撃は三十五話より。
決闘と書いてますがデュエルじゃないです。ほのぼのとした決闘です。念のため。
中編2に続きます。
名前:メディスン・メランコリー
概要:初登場三十五話。花映塚自機、他。『毒を操る程度の能力』。
当作における彼女は人間は大嫌いで甘いものは大好きで、生意気で素直で、つまるところ相応に幼い妖怪の少女。幽香の家を襲撃し主人公(分身)を殺害。その折に、幽香から手痛い反撃を受けて以降、幽香には逆らえないらしい。嫌いな人間である主人公と、彼の作る大好物の甘味との間で揺れていたり揺れていなかったりする。対して、子どもに甘い主人公はメディスンに対しても寛容。