人里から霧の湖方面へと向かう道を半ばで反れ、多少開けた草原を抜けた先には森がある。
その森を更に歩くと妖怪の山に入る。
森の手前に生えた背の高い一本杉。
そこを待ち合わせにした俺とリグルは、妖怪の山侵入前の、最後の確認作業をしていた。
「じゃあ、貴方の周りに敵の妖怪が来たら知らせればいいのね?」
このあと俺は妖怪の山に向かい、リグルは天狗の哨戒範囲外で待機する手はずになっている。
「ああ。それから、俺を一番最初に襲ってくる白狼天狗。今回も襲われるとは限らないけど、もしそうだったら今度教えるから、次に侵入するときは前もってソイツをマークしてほしい」
鋭い眼差しの白狼天狗を俺は思い浮かべる。
山に侵入する際に、いの一番に俺の元へ飛んでくる白狼天狗の少女。
哨戒天狗は他にもたくさんいるはずだが、俺を発見し最初に飛んでくるのは大概彼女だ。
十中八九、侵入者を発見するための能力を有していると考えていいだろう。
「それは分かったけど、
「それについては目下思案中。見つかったときは多分どうしようもないけど、どうやって俺を見つけているのか分かれば対処方が分かるかもしれないから、よろしく頼むよ」
「むぅ、まあ、やるだけやってみるわ」
腕を組んで難しい顔をするリグルに「それじゃあよろしく」と最後に声をかけると、俺は意気揚々と出発した。
今まで一人で挑んでいた妖怪の山での調査作業だが、今回はリグルの助力がある。
早々に上手くいくとはいかないだろうが、きっと今までの調査から何かしらの進展はあると期待してもいいかもしれない。
* * *
蒸し暑さに汗を滴らせながら、俺は周囲を警戒する。
正確な境界は未だに把握できていないものの、既に天狗のテリトリー内だろう。
傾斜している地面を登りながら、俺は懐からタロットカードを取り出した。
「リグル、俺の周囲に妖怪はいるか?」
『何匹かいるわよ。一番近いのは東側。貴方の速さなら走って五分くらいのところね』
魔法の通信にもノイズが入るのか、ややくぐもったリグルの返答がタロットカードから返ってくる。
普段の俺ならば知る由もないような情報をあっさりと言ってのけたリグルたちの能力の凄さを実感しつつ、俺は問いかけた。
「どんなヤツ?」
『獣の妖怪みたいね。人の形をしてないし、多分雑魚よ』
「ふむ」
そういう妖怪は鼻が良い奴が多い。
太陽の位置を見てから風を確認してみると、南東へと流れている。
その妖怪の元へ向かったとして接近中にこちらが風上になるかもしれない。
気付かれる可能性は高い。
リグル基準では人の姿を取れない妖怪というのは取るに足らない相手らしいが、身体能力で大きく遅れを取る俺からすれば正面からかち合えばまだまだ強敵だ。
とは言え、その妖怪が空を飛べない程度のレベルなら、飛行魔法で逃げることは容易なはずだ。
飛んだら飛んだで哨戒天狗に発見される可能性は上がるし、妖怪の山でも変わらず飛び交う妖精たちに絡まれることも考えられるが、俺の目的は妖怪調査。
リスクは承知で向かうべきだろう。
方針を固めた俺は、リグルにその旨を伝えようとタロットカードを口元に近づけ…………不意に、気配を感じた。
「…………」
小さな音だったが、風で草葉が擦れる音に混じって、枝が折れた乾いた音が聞こえた気がした。
音がしたであろう大体の方向を見る。
誰かがいる様子はないものの、木々が生い茂っており隠れる場所は多々ある。
リグルが言うには俺のすぐ近くには妖怪は居なかったはずだ。
その言葉が真実ならば、気の所為のはずだ。
あるいは自然に枝が折れたのか。
だが…………。
俺は両手を空けるため、タロットカードを胸元にしまいこんだ。
中腰で姿勢を低くしながら、俺は音源から離れるように近くの茂みへと移動し――。
「ドーン!!」
唐突に背後から衝撃を受けた。
「はうぁ!」
不意の襲撃に咄嗟に踏ん張ることも出来るはずもない。
俺は頭からもろに地面に転倒した俺を待っていたのは、湿気った土の地面。
まあ、硬い岩や石ころが無かったのは幸いだったが、その代わり口に思い切り含んでしまった。
「うえ!ゲホッ!ウエェ!」
催す嫌悪感を吐き出しながら振り向けば、俺を両手で押し倒した犯人がしたり顔で笑みを浮かべていた。
「メ――メディ……?」
空中で腕を組んで倒れた俺を見下ろすのは、鈴蘭畑に住み、普段なら妖怪の山に訪れないはずのメディスンだった。
思いがけない人物、もとい妖怪の登場に呆然とする俺に対しメディスンは満足気である。
「ふふん。なかなかいい間抜け面じゃない」
「なんで、うっ――ぺっ」
「ちょっと?人と話してるときに唾を吐くなんて、貴方マナーがなってないんじゃないの?」
お茶会の折に幽香に「行儀よくしなさい」と窘められることを根に持っているのだろうか。
したり顔で俺を指差すメディスンを、俺は口内に残る土を拭いながら半眼になって睨む。
「人を押し倒しといてマナーもなにもないだろ――」
「ゆーきー!」
「わぷっ!?」
直後、今度は軽い衝撃とともに誰かが背中に抱きついてきた。
「っチルノ!?」
背中に張り付いてきたチルノに、俺は再び瞠目する。
「アッハッハ!びっくりした?」
「びっくりつうかお前までなん――こらこらこらこらどさくさに紛れて凍らそうとすんな」
さすがにチルノの過ぎた悪戯に慣れてきた俺は、冷気を感じてすぐさま彼女を引き剥がした。
そんな俺達のすぐそばに二つの軽い着地音。
草葉を踏む音に振り向けば、最初に小柄なチルノの親友が目に入った。
「こんにちは悠基さん」
「大妖精……それにこあまで」
大妖精の斜め後ろで手を振る小悪魔は微笑んだ。
「どうも悠基さん。今朝振りですね」
「あ、なんで…………これで全員か?」
まだまだ誰か潜んでいるのでは、続けざまに飛び出してくるのでは、と周囲を見回す俺に小悪魔は「ええ。これで全員ですよ」と頷いてみせた。
「そうか……それで、どうして君たちが…………リグル?」
不意に俺は胸元のタロットカードに語りかける。
『なによ』
「俺の周りに妖怪はいないんじゃなかったのか?」
『敵の妖怪はいなかったわよ』
つまりは、メディスンたちについては知っていてスルーしたようだ。
「…………」
俺は思わず閉口し、次いでこの場に集った面々を眺める。
なぜ彼女たちがここに。
そしてなぜこのメンツ。
チルノと大妖精の二人はよく一緒にいるからともかくとしても、だ。
鈴蘭畑に住むメディスン、湖の近くに住む妖精二人、そして紅魔館地下図書館の小悪魔。
俺の知る限りこの三組に特別接点はなく、この山にも縁はないはずだ。
「ふふん。感謝しなさい」
メディスンが得意げに腕を組んだ。
「あんたの手伝いにきてやったのよ」
「手伝いって、まさかとは思うけど――」
妖怪調査の仕事を手伝うのか、と問いかけようとして、その言葉を口にする前にチルノが「うん!」と元気に頷いた。
「カチコミだよ!」
「よう、は?カチコミ?」
物騒な言葉に俺は面食らう。
だが、直後に慌てた様子で「違うよチルノちゃん」と訂正する大妖精を見て安堵した。
そうだよな、そんなおっかないことじゃないよな。
「威力偵察だよ!」
「やっぱり物騒じゃねえか!」
しかも血気盛んでやんちゃの過ぎるチルノやメディスンならともかく、普段は真面目で大人しい大妖精が言うとかなり衝撃的ですらある。
とはいえ、ショックを受けている場合ではないだろう。
「待て待て!なんでそうなんだよ。つか、そもそも手伝うなんて話だって聞いてない、し」
はたと、集まった四人の中で、見た目や言動的な意味で最も年上である小悪魔を見る。
ニコニコと笑みを浮かべたまま黙っている彼女は、ともすれば俺が慌てる様を傍目から見て楽しんでいるようにすら見える。
「……こあ、先導したのは君か」
「なんのことですか?」
「ふぅー……」
わざとらしーく肩を竦める彼女の様子に、俺は確信を持ってため息をつく。
直後にあらん限りに目を見開いて小悪魔に詰め寄った。
「な、ん、の、つ、も、り、な、の、か、な、あ???」
「ま、まあまあ落ち着いてください」
俺の怒気を感じ取ったのか、小悪魔は浮かべていた笑みを引きつらせた。
「私は別に、嫌がらせでここに来たわけじゃないですよぉ」
「じゃあなんでこんなことを?」
「レミリアお嬢様からの命令です」
眉を顰めて俺はオウム返しに問いかけた。
「レミリア様?」
「ええ」
「……妖怪調査の仕事は紅魔館とは関係ないだろ」
「それとは別の用事でして」
「ねえ、まだなのー?」
「もう少々お待ち下さいねー」
チルノが我慢ならないといった様子で駄々をこねるが、小悪魔は彼女を諌めながらも胸元から古風な書状を取り出した。
一昔前のヤンキー漫画なんかで「果たし状」などと書かれていそうな――実際のところなにも書かれてはいないが――そんな封をされた手紙を小悪魔は俺に手渡してくる。
どこから出してるんだと内心思いながらも、俺は渋々それを受け取った。
「……これは?」
「見ての通り、お手紙ですよ」
「俺宛て、じゃないよな」
「ええ。悠基さんには、この手紙を届けて欲しいのです」
「誰に?」
唐突に、小悪魔は腕を伸ばしある一方を指差した。
雲に隠れ見えないほど、遥かな彼方、妖怪の山の頂上を。
その仕草に否応なしに背筋を凍らせる俺の顔を眺めたまま、小悪魔は事も無げにその呼び名を告げてきた。
「天魔様にです」
「…………冗談だろ?」
天魔。
その名前は阿求さんから伝え聞いていた。
幻想郷の天狗を統べる頭領であり、それは即ちこの広大にして巨大な妖怪の山の実質の現支配者と言ってもいい存在であり、当然ながら俺みたいな人里の一住民がお目通り願えるような妖怪ではない。
立場的にも、そして物理的にも、まさしく雲の上の存在なわけだ。
そんな天狗のボスに手紙を渡せと、そうレミリアはのたまったらしい。
…………普段から無茶振りで人を困らせるお嬢様だが、今回は突拍子な上に無謀にもほどがある。
にも関わらず、否定しようとする俺の言葉に小悪魔は首を振った。
「いいえ、本気だそうですよ」
「あー、アポとか、あるんだよな」
「アポイントメントですか?当然ながらなんの約束もございませんよ?」
「なにが当然なんだよ……」
自信満々に非常識なことを言ってくれる小悪魔に俺はため息をついた。
「そこら辺の哨戒天狗にでも渡せばいいのか?手紙を渡す前に問答無用で斬られかねないけど」
「天狗の中でも身分の低い哨戒天狗に渡したところで、天魔様に手紙が届かないことは充分に考えられます。せめて大天狗とか、身分がそれなりに高い天狗に直接渡すことがこの任務の条件です」
「いや任務て――」
不意に、先程のチルノと大妖精の言葉を想い起こす。
『カチコミ』に『威力偵察』。
うわあとっても嫌な予感がしてきた。
「……なあ、こあ」
「はい」
「じゃあ、約束も取次もダメなら、どうやって大天狗や天魔に手紙を渡すんだ」
「それはもちろん」
絶対に「もちろん」じゃないだろ。
内心でそう毒づく俺の半眼を正面に受けながら微笑む小悪魔は、やっぱり事も無げに告げてくれやがった。
「力づくで、ですよ」
半ば予想された言葉に、俺は少なからず頭痛を感じて額に手を当てる。
「こあ、レミリア様に――いや、直接俺から文句を言うよ」
「悠基さん?」
「今俺は阿求さんからの依頼で山に来てるんだ。つまり今紅魔館にいる『俺』はともかくとして、ここにいる『俺』は阿求さんに仕えてるわけ」
「それは屁理屈では?」
「屁理屈で結構。そういうわけでレミリア様の命令を聞く道理もない。勝手におかしな命令をねじ込まれても、俺はその命令を聞くつもりはないね」
ついでに言えば意図的に仕事の邪魔をされたおかげで若干機嫌が悪くなっているまである。
「まあまあ、落ち着いて下さい悠基さん」
「これが落ち着いてられるかよ。しかもこの子達まで巻き込んで」
「ゆ、悠基さん!」
不意に大妖精が声を上げた。
「私たち巻き込まれたわけじゃないんです!」
「大妖精?」
「そうだぞ悠基。アンタが頑張ってるみたいだから、アタイも何か力になってあげようって美鈴に言ったんだ」
「はい。それで小悪魔さんから話を聞いたんです」
俺の目を真っ直ぐ見て話す大妖精とチルノに、俺は気まずくなって頬を掻く。
「お前たち……その気持ちは嬉しいけど、俺と一緒にいたらお前たちも天狗に襲われかねない」
「大丈夫だよ悠基!あたいはサイキョーだかんね!」
「それに私たちは『一回休み』になるだけですから」
自然の具現とされる所以だろうか、彼女たち妖精に一般的な死という概念は適用されないらしい。
大きな怪我をすれば、彼女たちは一時的に消滅した後に復活するようで、そのことを『一回休み』という言い方で表すこともある。
つまりは自分の身を案じないようにと、大妖精はそう訴えてきたのだ。
「それを大丈夫と言っちゃうのは俺の精神衛生上良くないんだがな」
眉間に皺が寄るのを自覚しつつ呟くが、分身能力で似たようなことをしている俺が人に言えた台詞ではない。
「…………とにかく、だ。集まってもらった皆には悪いけど、今日はもう帰るよ」
「えー?」とチルノが不満気に声を上げ、メディスンも半眼になって俺を睨む。
小悪魔は頑なな俺の態度に苦笑した。
「むぅ、悠基さんにしては融通が利きませんね」
「俺は君に対してはそんなに甘くはないと思うんだけど」
「どういう意味ですかーそれ?」
「ふん、さあ?」
鼻を鳴らす俺に小悪魔はやれやれと肩を竦めてから、「それでは」と人差し指を立てた。
「レミリア様からもう一つ、悠基さんに言伝てを預かっているので、それを聞いてから帰るかどうか判断して下さい」
「……俺は意見を変えるつもりはないけど」
「まあまあ、それではそのまま伝えますね」
軽い咳払いを挟むと、小悪魔は胸元に手を当てて言った。
「『無事手紙を届けたなら、報酬を上げるわ。貴方がこの世界に流れ着いた、その要因の一端についての情報よ』だそうです」
「…………」
いつもの無茶振りかと、そう踏んでいた俺にとって、唐突に俺の目的の確信をついてくるレミリアの提案はまさしく晴天の霹靂だった。
元の世界への帰還。
それは俺にとって悲願と言っても差し支えない目的だ。
幻想郷に――
それが元の世界へと帰る手がかりになる可能性が高いからだ。
それだけに、レミリアが提案した情報は、その甘言は、俺の心をあまりにも強く揺さぶった。
「…………俺は」
『悠基!』
不意に、篭った叫び声が俺の胸元から上がった。
通信用の魔道具越しのリグルの声だ。
「リグル?」
突然の呼びかけに驚きながらも、俺はタロットカードを取り出した。
「どうかしたか」
『天狗が――』
と、リグル口にしたとほぼ同時、なんの前触れもなく体中を寒気が襲った。
目前に立っていた小悪魔が手を翳し、直後にすぐ背後で凄まじい金切り音が響く。
衝撃が風となって俺の後頭部を撫で、俺は咄嗟に飛び退いた。
「っ」
「うわ!」
「きゃっ!」
チルノが目を見開き、大妖精が短い悲鳴を上げる。
既に、彼女がいた。
剣を抜き、今まさに振り抜いた姿勢で立つ件の白狼天狗が。
斬られたか――!?
と一瞬錯覚したが、遅れて体に裂傷の痛みが訪れるということはない。
「…………問答無用、警告なしの襲撃ですか。少し乱暴すぎやしませんかねえ?」
小悪魔が僅かに緊張を孕んだ声音で言った。
彼女の手は、その白狼天狗へ向けられている。
俺の背後から急接近して襲撃をしかけてきた白狼天狗の攻撃をなんらかの魔法を使って防いだようだ。
白狼天狗は舌打ちすると、素早く後ろに飛び退いて距離を取る。
油断なく刃を構えるその姿と殺気に、背中から冷や汗がどっと流れ始めた。
白狼天狗を油断なく見据えながら、小悪魔は俺の肩に手をおいて囁きかけてくる。
「もたもたしすぎましたね」
「?」
『悠基!』
再びリグルが声を上げた。
『貴方のところにたくさん天狗が向かってるわ!色んな所からよ!』
「っ――!」
出発前にリグルは言った。
蟲の移動の関係で、どうしても俺の元へと情報が伝わるのに大きなタイムラグが発生すると。
つまり、リグルがそれを伝えてきたということは。
見渡せば、背の高い木々の合間にいくつもの影。
少なく見積もっても、十人以上はいるであろう羽を生やした姿。
小悪魔は口元を歪めて現状を口にする。
「どうやら、既に囲まれているみたいですね」
妖怪の山編です。
前編とある通り、中編、中編2、後編と、今回を含め四話構成の予定です。中編2とは。
今回集まった面々に関しては、それほど大げさな騒動にならない程度という、ぶっちゃけてしまえばご都合的な選出理由があります。気付けば中ボスたちが集っていました。
名前:大妖精
概要:初登場十話。紅魔郷ニ面中ボス、他。
当作における彼女は優等生然とした大人しい妖精であり、無害の象徴である。大妖精という呼び名はもちろん通称。特に名前はないそう。人を驚かせるのが趣味であり特技という、一部妖怪のアイデンティティを脅かしかねない侮りがたい少女である。チルノのよき相棒。こども好きな主人公お気に入りの幼女(特に深い意味はない)。