『――――!』
「…………ん――」
誰かが呟いた気がした。
浮上する意識に伴い深い海に沈むように夢の記憶が抜け落ちていく。
寂寥感のみが残ることを知覚しながら、微睡みから覚醒した俺はゆっくりと瞼を開いた。
紅魔館に住み込みで働くようになってから一月以上が過ぎていた。
俺に割り当てられ、もはや慣れ親しんだ自室の中は暗く、まだ夜だと思った。
だが、それでも天井の色が赤で彩られていることが辛うじて分かる程度には認識できる。
分厚いカーテンに空けた隙間から僅かながらの光が入っているのだろう。
だったら、日の出直前、もう明け方といったところか。
どうやら随分早く目が覚めてしまったらしい。
この季節ならばもう一眠りくらいは大丈夫そうだ。
俺は二度寝を貪ろうと思いながら寝返りをうって、
ベッドの上に顎を乗せる形で、俺をぼんやりと眺める少女と至近距離で目があい眠気が吹っ飛んだ。
「――っ、フラ!……フランドール様」
「おはよ」
「お、おはようございます……心臓が止まるかと思いました」
俺は体を起こすと胸を抑えながら胡乱な目つきのフランに応えた。
「人の顔を見てそれは失礼じゃないの?」
「起き抜けで目の前に顔があったらそりゃ驚きます」
本音を付け足すならば、初めてのフランドールとの邂逅の折に殺されかけたことを思い出させるような状況だったせいでもある。
あの時も就寝中の俺をフランは物珍しさで観察していたらしいのだが、ならば今回はどういうつもりなのだろう。
「なんでここに」
「鍵が空いてたから」
「…………」
見れば、確かに今回俺の自室の扉が破壊された気配はない。
自分の不用心さに呆れつつも、「いやいやそうじゃないだろう」と俺は首を振った。
「なにか俺に御用ですか?」
「それより悠基」
「はい?」
「もう眠いからこのベッド使うわね」
「えぇ……」
マイペース!!
「あ、あのですね」
「悠基」
「はい」
「狭いからどいてちょうだい」
横暴!!
「いやいやフラン様。自室にお戻りくださいよ」
「いやよ。めんどくさい」
「じゃあなんで俺の部屋に来たんですか!」
「さっきまで目が覚めてたのよ」
気まぐれ!!
そして微妙に話が噛み合ってない!
と、ツッコミを入れたくなる衝動を喉元で堪えつつも立ち上がる俺を差し置いて、フランは入れ替わるように俺の安眠空間にもぞもぞと潜り混んでいく。
我道を邁進する彼女に俺はほとほと呆れていた。
「フラン様?」
「じゃ、おやすみ」
「ちょ、ちょっと!」
「うるさいなあ」
つい先程まで俺が横になっていた空間に収まったフランは、不満げに俺を見る。
ジト目で睨んでくる彼女に若干怯みつつも、俺は困り顔で訴えた。
「駄目ですってそんなことしたら」
「なにが駄目なのよ」
「えっと、あの、あれです。フラン様は可愛らしいですから、俺みたいな男の前でそんな風にしてたら拙いというか……」
「何が拙いのよ」
「あー、襲われたり、とか?」
何言ってんだ落ち着け俺。
「え?悠基、私に勝てると思ってるの?」
あ、でもこれ多分意味分かってないよなあ……。
「いや俺はそもそもそんなことはしませんが」
「じゃあいいじゃないの」
「あ、ちょっと?そういう問題じゃなくてですね」
もはや聞く耳持たずといった様子で、フランは俺に背を向けた。
本格的にシカトを決め込むらしい彼女の様子に、ため息が漏れる。
寝床を取られるのも不満だが、それ以上に(精神的に)幼いフランドールがこんな調子だと彼女の将来が若干心配だったりもする。
寺子屋で勤めていたこともあってか、我ながら妙な使命感を抱きつつ、俺は気を取り直して眠るには随分と邪魔そうな羽を生やした背中に向けて声をかけた。
「レミリア様がなんと言うか……」
「お姉さまが?」
ちらりと、フランが振り返った。
「はい。そのようなはしたない真似を見たら、さしものレミリア様もいい顔をしないのでは?」
「…………」
まあ、半分くらいは口から出任せだ。
とはいえ、この一ヶ月でなんとなく察したことだが、フランドールは姉に対してそれなりの親しみと尊敬を抱いている。
そんな姉の名前を出されれば、フランとしては無視できないのでは、と思ったが。
「…………分かったわよ」
渋々と言った様子でフランは体を起こした。
ベッドから不満げに降り立つフランを見て、俺は内心大いに驚くと同時に思う。
まさかこうもあっさり言うことを聞くなんて、もしかしてフランドール、チョロい?
「……なによ」
「いいえ、なにも」
勘の良いフランの問いかけに視線を泳がせつつも、俺は今度フランがわがままを言ったら同じ手を使ってみようと考えていた。
そんな俺の思案に気付いたかどうかは定かではないが、フランは小さくため息をつくと、部屋の入り口まで歩き、そのドアを開く。
どうやら素直にお帰りいただけそうだ。
そのことに俺が安堵の息をこっそりついていると、不意にフランが振り向いた。
「あ、悠基」
「はい、なんでしょうか?」
「今日のお菓子作り、よろしくね」
……………………あぁ…………。
「――――あ、はい」
硬直する俺の顔を見て、満足気にフランドールは部屋を出ていった。
そういえば、結局彼女がなぜ俺の自室に訪れたのかは分からないままだ。
* * *
フランのおかげで目が冴えてしまった俺は、いつもよりも早めの日課に取り掛かることにした。
「あれ、悠基さんじゃないですか」
「おはよ、美鈴」
そんなわけで、紅魔館で働くことになってから習慣となっている毎朝の霧の湖一周ランニングだ。
明るくなりつつある空の下、流石にこんな時間にはいないんじゃないかと思っていたのだが、予想に反して紅魔館の門番である美鈴は既に門柱に背を預けて立っていた。
「今日は随分お早いですね」
「ちょっと目が覚めたんで。美鈴こそ、こんな時間から立ってるのかい?」
「門番ですので」
美鈴は茶化すように得意げに胸を張って見せるが、素直にすごいと思う。
逆に心配になるレベルだ。
「大丈夫かい?昨日は博麗神社で宴会だとかで、遅くに帰ってきたみたいだけど」
どうもこの幻想郷では不定期に催される宴会文化が人里のみならず妖怪界隈でも根付いているらしい。
昨日はどういう名目だったのかは聞いてはいないが、ただ口実がほしいだけで酒をのんでワイワイやりたいというのが基本的なスタンスなんだろう。
妖怪退治の専門家であるはずの霊夢が住む博麗神社で、退治されるはずの妖怪が集まるのもどうかと思うが、ともかくとして我が紅魔館の面々も、門番たる美鈴も参加したようだ。
ちなみに俺は女子の前限定の禁酒の誓いを立てているので留守番を決め込むことにした。
俺のその返答にレミリアは特に何も言わなかったが、気まぐれな彼女のことだし、いつまでも留守番というわけにはいかないかも、というのは自意識過剰だろうか。
「いやあアハハ、実のところ昨日は鬼の伊吹萃香さんの飲み比べに付き合わされまして」
「え、あの子に」
思い出すのは博麗神社に住み着いている鬼の少女。
伊吹瓢なる無限の酒を生み出す瓢箪を手に、年がら年中酒を飲み倒している彼女との酒の飲み比べ。
いろいろな意味で考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
「大丈夫だったの?」
「いやあ見事に潰されまして」
結構本気で心配する俺に対して、美鈴はどこ吹く風といった様子で朗らかに笑った。
やはり人間と違って妖怪は肝臓なんかも頑丈ということなのだろうか。
「二日酔いとかしてない?」
「おかまいなく。この当たりは『気』を操れば問題ありませんよ」
「気?」
「ええ、気です」
「気で酔いが抜けるの?」
「はい。裏技みたいなものですが」
美鈴はさも当然とばかりに頷いた。
対して俺は、その新事実に目を丸くする。
「…………」
「悠基さん?」
「なあ、美鈴」
「なんです?」
一種の感動を覚えた俺は、美鈴へと期待の眼差しを向けていた。
なにしろ、美鈴の言うことが正しいのなら、酒気自体がコントロールできるのではないだろうか。
そんな考えに至った俺の脳内では、「気を操る=酔いを操る=酔っておかしな言動をしなくなる!」という、奇跡的な等式が構築されていた。
「『気』の使い方、教えてくれない?」
「この話の流れでそれを言われるのは複雑ですね」
美鈴は苦笑を浮かべるも頷いた。
「まあ、そうは言っても構いませんよ」
「やった」
気さくに頷いてくれる美鈴に、思わずはしゃぎたくなる衝動を堪えてガッツポーズにとどめた。
よしよし、これで大手を振ってお酒が飲めるようになる。
と、浮かれ気分になりつつも一応美鈴に確認してみる。
「ちなみにだけど、どれくらいでその『気』ってやつは使えるようになるのかな」
「そうですね。筋が良ければ、三十年程でしょうか」
え。
「……そんなに?」
「まあ、酒気のコントロールという点に絞るなら、普通の方でしたら私が手伝ってそのくらいが妥当ですかね。どうします?」
「ごめん、やっぱりいいや……行ってきます」
「はい。お気をつけて」
俺の反応が予想通りだったのか、美鈴はさして残念そうな顔も見せずに頷いた。
そんな彼女に手を振り駆け出しながら、俺は小さくため息をつく。
残念。
* * *
「ねえ、ちょっといいかしら」
「あ、はい?いかがされましたか。パチュリー様」
紅魔館の地下図書館は、俺みたいな駆け出しの魔法使いでも一応は理解できる魔導書も取り扱っている。
ただしあくまで『一応』だ。
俺みたいな凡人では、内容はあまりに難解で、しばしばパチュリーや小悪魔にご教授願いながら、それでも一日に数ページがいいところだ。
いつものように初心者向けとパチュリーに渡された魔導書の内容解読に四苦八苦していると、今日は珍しいことにパチュリーから声をかけられた。
「少し訊きたいことがあるのだけど」
「ええ、かまいませんよ。どうぞなんなりと」
いつもは俺が質問する側なので、若干張り切って応じてみる。
「貴方、ロケットって知ってる?」
「ロケット。ペンダントですか?」
「乗り物の方よ」
「はあ、そっちですか」
意表を突かれた気分だ。
科学と魔法といえば、しばしば対比され、異なる存在として取り扱われることが多い。
そんな印象があるせいか、現代科学の粋を集めた成果の一つというイメージがあるロケットについて、魔法使いであるパチュリーが口にするのは意外に感じる。
ああ、でも、アリスも近代兵器の名前とかサラッと口にしてるし、そこまで変なことでもないのか。
「一応は知ってますけど、パチュリー様はご存知じゃないんですか?」
確か、七十年代前後には月面に合衆国の国旗が立てられた筈だ。
そう考えれば紅魔館が幻想入りするずっと前からロケットという存在は広く知れ渡っているだろうし、概要くらいは知っていそうなものだが。
そんな俺の疑問に、パチュリーは肩を竦めた。
「見ての通り出不精なものでね。宇宙に行く乗り物という以外は、それがどんなものなのか知らないのよ。興味も無かったし」
「それはそれは……」
「出不精」だとか「興味が無い」だとか言っても限度があると思わなくもないが、せっかくの機会でもあるので、俺は簡単にパチュリーにロケットの概要を話した。
そうは言っても俺の知識なんて一般的な範疇に留まるわけだが。
「……なるほど。キーワードは大気圏を突破するための『推進力』と、空気抵抗を減らすための『筒状』の機体、そして機体を軽くするための『多段式』の構造というわけね」
俺の説明に対して、最終的にパチュリーはそのような解釈に至ったらしい。
「つっても俺だって詳しくはないですから、雰囲気的にそんな感じだとしか言えませんね。
「あったら貴方に質問なんてしないわよ」
「左様で。それにしたってどうしたんですか?いきなり『ロケット』だなんて」
「それは――」
俺からの問いかけに対してパチュリーが答えようとしたちょうどそのとき、「悠基さーん」と俺を呼ぶ声が届く。
「こあ?どうかしたか?」
パタパタと背中の羽をはためかせながら低空飛行で近付いてくる――明らかに揚力を使って飛んでいるわけではないが――小悪魔は、なにやら小脇に薄い冊子を抱えている。
俺の近くに着地した彼女は、興奮した様子で俺の目の前にそれを開いた。
「これ!これ見て下さい!」
と、彼女が開いたのは何かの、おそらくは結婚情報誌だろうか、そこに見開きで映された写真だった。
ウエディングケーキに入刀する、緊張のせいか引きつった笑みの新郎と満面の笑みを浮かべる新婦が大きく写された、結婚式のワンシーンだ。
……小悪魔が持っているということは、この図書館はこういう雑誌は取り扱っているということだろうか。
「なに?結婚でもするのかい?おめでとう、こあ」
「悪魔に結婚願望があるなんて珍しいケースね。興味深いわ」
「二人揃ってボケないでくださいよ!そうじゃなくてこれですこれ!」
割りと真面目な顔で呟く俺とパチュリーに抗議をしながら、小悪魔は写真の一部をこれでもかと指差す。
指し示されているのは、豪華絢爛という言葉がしっくり来る、新郎新婦の背よりもずっと高いウエディングケーキだ。
「これがどうかしたの?」
嫌な予感に眉を顰めると、案の定小悪魔は満面の笑みでのたまった。
「今日はこれを作りましょう!!」
と、俺とフランと小悪魔の三人で催される菓子作りの題材の提案に対し、俺は笑みを浮かべて即答する。
「無理」
「ええ!?」
俺の返答に大袈裟なリアクションをとる小悪魔だが、対する俺は自分の中で湧き起こる衝動を堪えて笑みを維持する。
「なあ、こあ。小悪魔よ」
「は、はい?」
「今のところホールケーキ一つすらまともに出来てないのに、そんなでかいもの作れるわけ無いだろう?」
「うぅ……というか悠基さん、ちょっと怒ってます?」
「いや、怒ってはないよ。うん。まだね」
「ま、『まだ』ですか……」
俺の言葉に小悪魔はびくびくとパチュリーの後ろに隠れるように移動した。
使い魔の不甲斐ない様にか、はたまた引きつった笑みを浮かべる俺を含めてなのか、パチュリーは呆れた様子で嘆息した。
* * *
一月もすれば、さすがに執事仕事にも随分と慣れてきた。
仕事といっても咲夜の仕事の一部を請け負っているだけで、基本的には体力仕事はあってもそれほど大変ではない。
稀にあるレミリアの無茶振りを除けば、高給な割には平和な業務でもある。
「ユウキー、あっちの掃除終わったー」
「お、ご苦労様、ティア。ほれ」
「わーい!」
ところで、幻想郷には妖精という種族が当たり前のように、しかも無数に存在する。
自然の権化と言われる彼女たちは気まぐれで悪戯好きであり、一部の人里の住民からは厄介な存在だと疎まれていたりする。
確かに彼女たちの悪戯は限度を知らないのもあって質が悪いこともあるが、かと言って悪質な存在なのかといえば、そんなことはないだろう。
「ユーキ、お皿を運び終わったわ」
「お、ナナ、早いじゃんか。ほれ」
「えへへー」
実のところ、その大半が精神的に幼いというか、良くも悪くも素直であり、無邪気だ。
お菓子をあげれば簡単に釣られるところとか、素直すぎてぶっちゃけチョロい。
チョロ可愛い。
逆にちょっと心配になる。
「ユウキ、お花を活けてきたわ」
「おお、リーネ、凄いじゃないか。ちゃんと俺が言った通りの花だな。美鈴に教えてもらったのか?」
「うん!」
「よしよし偉いぞ。ほれ」
「やったー!」
つまり、何が言いたいかと言うと。
メイド妖精が可愛くて癒される。
俺から受け取った飴玉を頬張り大喜びで去っていく紅魔館のメイド妖精の後ろ姿を見送りながら、俺はそんな胸中をしみじみと口にする。
「はー癒やされるなあー」
「…………」
「ねえ、咲夜もそう思わない?」
「…………」
隣に立つ同僚、というか上司の少女は、同意を求める俺の問いかけに沈黙を返してきた。
「……えーと、咲夜?」
気持ち悪がられただろうか、などと開き直った割には憂いながら呼びかけてみると、ようやく咲夜は口を開いた。
「貴方って、ああいうのがタイプなの?」
「どういうのだよ」
想像の斜め下をいく質問に俺は半眼になって見せる。
「冗談よ。でも、かなり半端だけど、あの妖精たちが一応は仕事をしてるなんて少し驚いたわ。これも貴方の『調教』の賜物かしら」
「せめて『教育』って言ってくれない?」
と言っても、仕事をしたご褒美にお菓子をあげているだけなのだが。
「それにしてたって、半端な仕事のせいで結局貴方が後始末をしてるみたいだし、自分でやった方が早いんじゃない?」
「でも、せっかくメイドとして雇ってるんだから、仕事を覚えて貰った方がいいじゃないか」
謂わば将来を見据えての先行投資みたいなものだ。
彼女たちメイド妖精が仕事を覚えれば、俺が紅魔館を辞めた後も多少は咲夜の負担が軽減されるかもしれない。
ついでに言えば、妖精たちと接していれば俺の仕事へのモチベが上がるし、むしろそっちが本命まである。
「まあ、その内きちんと仕事ができるようになるかもしれないし、気長に見てかないとねぇ」
「それまで毎回お菓子で釣るの?回りくどい話ね。ナイフで脅したほうが早いわ」
「俺はそういうのは好きじゃないの」
真顔で物騒なことをのたまう咲夜に俺は嘆息しつつ、柱時計を見る。
「……さてと、そろそろ仕事に戻るよ。食器を片付けなきゃだし。咲夜は?」
「一旦お嬢様のところに戻るわ。あ、そういえば悠基」
「ん?」
ふとなにかを思い出したように咲夜が俺を呼び止める。
「昨日の宴会で聞いたわよ」
「何を?」
「永遠亭での話」
「……どれを?」
その単語だけでおおよそ咲夜が言いたいことを察した。
「そりゃあ、ね」
意味深な咲夜の視線は、ある意味では雄弁にその答えを物語っていた。
俺は眉間に皺を寄せながら思案する。
咲夜が示しているのは、先日俺が永遠亭で妹紅に告げた告白まがいな行為のことだろう。
口止めはしていなかったので、他言されても文句は言わない。
言わないけど……だからといって積極的に言いふらされるのもなあ……。
「悠基」
「ん?」
「好きよ」
「――――え」
一瞬思考が止まった。
その後に聞き間違いを疑ったのは、その言葉があまりにも脈絡がなかったせいだ。
硬直する俺を見つめたまま、咲夜は真顔で続ける。
「もう一度言うけど、友達としてよ」
「え?お、おう?」
「だから、それを踏まえてあえて言わせてもらうのだけど」
「咲夜?」
「悠基、好きよ。大好きよ」
「……………………」
どうしよう。
どこからツッコミを入れたらいいんだろう。
とりあえず、再現率から言ってそれなりに細かく事情を聞いたということは分かった。
「あのな、咲夜」
「ええ」
「どういうつもり?」
「面白いものが見れるって」
あ、これは俺怒ったほうがよさそう。
半眼になって咲夜を睨む。
「それで?どうだった?」
「普通かしら」
その普通はどう解釈すればいいんだか、ともかく。
「そういうのは良くないよ」
「そういうの?」
「異性に対して『好き』だとか、冗談でも言うもんじゃない」
「あら、半分は冗談じゃなかったのだけど」
「あ――っ~~そりゃどうも!!」
相変わらず真顔で言ってのける咲夜に、俺は緩みそうになる頬をどうにか引きつらせながら声を荒げた。
不覚にもときめきそうになったよチクショウ。
「だからな?あー、なんていうか、君は美人なんだから、そういう告白まがいのことを言われると男は本気にしちゃうだろって話だよ」
「あら、悠基は本気にするの?」
「しな、しないけどさぁ」
ちょっと危なかったかもだけど。
そしてこの話の流れは今朝方のフランとのかけあいと同じだ。
……少しアプローチを変えてみるか。
「しないけども、もし本気にしたらどうすんの」
「そうね」
咲夜は考え込むよう口元に手を当て、そしてほとんど間を置かずに応えた。
「丁重にお断りするわ」
「そ、そう」
全然その気は無かったのに告白してフラれたみたいになった。
俺は咳払いをして気を取り直す。
「ともかく、人をからかうにしたって、やりすぎは良くない」
フランにはレミリアの名前を出すことで話を聞いて貰ったし、ワンパターンだけど同じ手で行くとしよう。
「レミリア様だっていい顔をしないだろうし」
「あら、お嬢様の指示で
「そういえばそんな人だったよあの方は!」
* * *
深呼吸して気を落ち着かせる。
思いつく限りの準備は全て終わった。
先んじて試作しておいたレミリア様への試作菓子もすでに執事仕事担当の俺に託してある。
憂いは無い。
おそらくは。
ボーン、ボーン、ボーンと、備えられた時計が
姦しい声で喋りながら、俺の目前に立つ
息を吐き出し、覚悟を決める。
さあ、
「それじゃあ始めますか」
「はーい!」
「よろしくお願いします!」
「はいよろしく。さてと、とりあえず今回ですが、前回と同じくショートケーキを作ろうと思います」
「えー?またなのー?」
「そうですね。前回も前々回も前前前回も同じものを作ろうとしました。そして、これまでで一度たりとも完成に至ってませんね?」
「そりゃあないけどー」
「じゃあせめて一度くらいは完成させましょう?」
「あ、あの、悠基さん」
「はい、こあ」
「その、もう少し簡単なものにしてはいかがですか?」
「ああうん。確かに俺もそれは考えたよ」
「じゃあ、どうしてショートケーキに拘るんですか?」
「意地」
「へ?」
「意地だよ」
「あははー悠基頑固ー」
「はい。自覚しておりますとも。それじゃあ、もう質問はないですね?」
「は、はぁ」
「オッケー」
「よし、それじゃあ、今度こそ完成させましょう。えいえいおー!」
「「おー!!」」
*
「ゆ、悠基さーん!す、すいません。また材料ひっくり返しちゃいました……」
「大丈夫だこあ。材料の予備はあるから、片付けたらもう一度作り直そう」
「悠基ー、これ壊れちゃったー」
「大丈夫ですフラン様。予備のボールはありますし、これは片付けておきますからもう一度作り直しましょう」
*
「悠基さん!なぜかしょっぱいです!」
「大丈夫だこあ。砂糖と塩間違えてるだけだから。もったいないけどそれは処分しような」
「悠基ー、なんか変な色になったー」
「だ……大丈夫ですフラン様。なんでそんな毒々しい色になったのかは分かりませんが予備の材料はここにあります」
*
「悠基さん!なんだか焦げてます!」
「だ、大丈夫だ。まだ大丈夫、こあ。火加減ミスっただけだからな。冷蔵庫に予め作っておいたスポンジケーキがあるからそれを使ったらいい」
「悠基ー、なんか燃えちゃったー」
「だ……だい…………あー…………大丈夫じゃないですねコレ…………」
*
「悠基さん!」
「どうしたこあ!」
「すいませんまたひっくり返しました!」
「よしそれは大丈夫だまだ予備がある!」
「はいっ!!」
「悠基ー」
「なんですかフラン様!」
「なんかグニョグニョ動いてるんだけど」
「だいっ、え?なん、え?なん、ですかこの物体」
「分かんない」
*
「悠基さーん!」
「……どうしたこあ」
「冷蔵庫の材料が!というか冷蔵庫が!」
「一体何が……え?」
「悠基ー、なんか気付いたらこんな風になってたー」
「なんですかこの触手生物!!」
「あははーおもしろーい」
「ちょ、フラン様近付いたら危な――え」
「きゃああああ悠基さーん!!」
「あはははは」
「うわああぁぁ――」
「――――!!」
「――――!?」
「――――」
「…………」
…………お菓子作りがトラウマになりかけるとは思わなかった。
* * *
紅魔館で出される夕食は、ほぼ毎日レミリアに献上している俺の血液を補うために豪勢な肉料理が多い。
幻想郷では結構贅沢な話だ。
しかも、それに加えて咲夜の作るディナーはどれも絶品だ。
魚や野菜、炭水化物が程よく交えており、栄養バランスも偏りすぎるということはない。
『男を掴むなら胃袋から』なんて言うが、その点で咲夜は間違いなく及第点だろう。
現に俺も、レシピを教えてほしいと常々思うレベルだ。
あれ、なんか違う。
と、話は反れたが、そんな俺の夕飯は、基本的に自室に持ち込んで一人で食べているのだが、稀にレミリアに誘われることがある。
菓子作りのためにわざわざ生活リズムを修正したフランドールや、出不精なパチュリーなんかも交えることもあったが、基本的には二人きり――といっても咲夜がいる――での食事だ。
食事中のレミリアの後ろに控えている咲夜を見ていると、同じ従者であるはずの俺が主人のレミリアと皿を並べるというのもおかしいとは思うが、誘われているのなら仕方ないだろうと納得することにしている。
それに、稀にレミリアが俺の能力の情報を漏らすことがあるし、そういう意味ではこの食事の時間はとても重要だ。
重要、なのだけど……。
「どうしたの悠基。いつになく疲れた顔をしているわね」
「……すいません」
いつもなら堪らないほどに鼻孔を刺激する香辛料も、今の俺には少し物足りない。
空腹感は確かにあるのだが、それ以上の疲れ――主に精神的な――のせいか、どうにも手を動かすことすら億劫にさせる。
原因は間違いなく今日のフランや小悪魔とともにとりおこなった菓子作りという名の惨劇の記憶だろう。
俺の分身が体験した記憶は、分身消滅に伴う記憶の流入と同時に、俺の精神をゴッソリとすり減らしていった。
いったいなぜあのような大惨事が起きるのか。
純粋に疑問に思った俺は視線を上げて正面に座るレミリアへと向ける。
「レミリア様」
「なにかしら」
「なぜフラン様と料理をするとあんなことになるんでしょう」
疲れていたせいか、抽象的な質問になっていた。
というか受け取り方によっては普通に失礼な質問だった。
だが、レミリアは口端を上げると、特に気分を害した様子も見せずに俺の問いかけに応える。
「フランの能力は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。それは物体や生物にとどまらず、概念にすら干渉する。そう、あの子は常識すらも破壊せしめるのよ」
「そんなカッコイイ言い方されても納得できないっす……」
それにドヤ顔で言われても、と俺は引きつった苦笑を浮かべようとして失敗した。
なぜかやけに得意げで誇らしげなレミリアに薄々と姉馬鹿の気配を感じながらも、俺は小さく嘆息するだけに留める。
とはいえ、昨日の宴会で仕入れてきたであろう俺をからかうためのネタをその日に使ってこなかったのは、もしかしたら彼女なりに気を遣ってくれたのかもしれない。
…………次の日死ぬほどいじられたけど。
とにかく今日は、ただ単に、疲れた。
今回はオムニバス形式風というか寄せ集め話。目まぐるしいし無理やり盛りすぎた感がありますが反省はしません。
主人公は相変わらずホームシック発症中。禁酒の誓い(笑)。当作における紅魔館の幻想入り=吸血鬼異変が起きたのは十年ほど前という設定。ロケットのくだりは一応の伏線。メイド妖精の名前の由来については特になし。フラン、小悪魔とのお菓子作りは五十二話の流れから。お菓子作り描写についての詳細はほのぼのとご想像にお任せします。
名前:パチュリー・ノーレッジ
概要:初登場四十九話。紅魔郷四面ボス、他。『火+水+木+金+土+日+月を操る程度の能力』、他。
当作における彼女は、やはり動かない大図書館であり、基本的には動じない女性であり、実のところ面倒見の良い魔女である。紅魔館の他の面々に負けず劣らずマイペース。話のオチを予測できる程度には聡明だが、言わない方が面白いことになると分かっているので大概意味深な言葉にとどめている模様。主人公にとってはなんだかんだ世話になりつつある主人の友人で、パチュリーにとっての主人公は特異な遍歴を持つという意味で興味のある観察対象の一人である。