東方己分録   作:キキモ

57 / 67
前回からの続きです。



五十七話 まっすぐ見据え

巨大な火の玉が上空にあったにも関わらず、その下の竹林は僅かに煙が燻る程度。

まるでそんな光景など日常茶飯事とでも言うかのように、迷いの竹林は既に静まり返っていた。

 

その竹林の開けた空間に彼女はいた。

予想に反して彼女の体に焼け焦げた気配はない。

笹の葉の絨毯の上で体を横たえる少女は、見ようによっては昼寝でもしているように見えたかもしれない。

 

それでも、彼女が……妹紅が、ただ眠っているようには見えないだろう。

 

周囲に充満する濃い匂い。

白い彼女の衣服を染める赤。

その胸を穿つ拳大の空洞。

 

おい、

なあ、

嘘だろ?

 

立ちくらみがしてよろけそうになった。

どうにか踏みとどまりながら、覚束ない足取りで妹紅に近づこうとして、

「悠基」

不意に呼び止められた。

 

「……輝夜」

いつのまにか、俺のすぐ傍に輝夜が立っていた。

俺と並ぶように立つ彼女の視線は、妹紅へと向けられている。

 

「もうすぐ始まるから、近づかないほうがいいわ」

 

なにを――。

 

次の瞬間突如として激しい炎が目前で上がり、俺は目を瞠った。

俺の身長よりも高く燃え上がる炎は、まるで妹紅から発せられるようで、熱気は人を拒絶するかのように熱い。

「――なにが――!?」

 

そして、唐突に燃え上がった炎は、ほんの数秒で一瞬にして消え去った。

目を見開いたまま、俺は横たわったままの妹紅を見て、それから更に目を大きく開くことになる。

 

「っう…………ゲホ……」

呻き声が聞こえた直後、信じられないことについ先程まで動く気配の無かった妹紅が身じろぎした。

唖然とする俺の前で妹紅は咳き込みながらも体を起こすと、頭を振った。

その胸には、傷どころか血痕一滴、服が破れた痕跡一つ残っておらず、あたかもそんな致命傷など存在しなかったかのようだった。

 

見間違いだったのか。

だが、あの光景は余りにも鮮明に網膜に焼き付いていた。

そんな風には思えない。

 

「った……クゥ……輝夜」

頭が痛いのか額に手をやり眉間に皺を寄せながら、妹紅は俺達へと顔を向けた。

そうして、輝夜とその隣に立つ俺を見た妹紅は大きく大きく目を見開いた。

 

「…………悠基?」

「妹紅?」

「なんでここに、いや…………見た、の?」

 

巨大な炎の玉と落下する人影。

心臓の穴。

燃え上がる少女。

 

「どれを?」

「そう、分かった」

 

疑問に疑問を返す俺の言葉に、妹紅は何かを察した様に頷いて立ち上がった。

険しい顔で輝夜を一瞥すると、重い息をゆっくりと吐き出す。

どこか気まずそうに、どこか不服そうに、どこか悔しそうに、どこか悲しそうに、顔を歪め瞳を曇らせた。

そして、最後に俺を見据えた妹紅は一言だけ言い放つ。

 

 

 

 

「帰る」

 

 

 

 

「…………へ?」

「そ」

予想外の言葉に唖然とする俺の隣で輝夜は短く応じる。

そんな俺たちに妹紅は背を向け早足で歩き始めた。

 

いやいやいやいや何だよ帰るって!

「え、あ、ちょ、ちょっと!」

驚いて固まっていた俺は我に帰ると慌てて妹紅の後を追おうとする。

逃げるように俺に背を向ける妹紅は、そんな俺を仰ぎ見た。

 

振り返った妹紅の赤い瞳を目にした瞬間、俺と妹紅の間に唐突に紅蓮の炎の壁が上がった。

「っうお」

走り出そうとして危うく炎に突っ込みそうになりながら、なんとか踏みとどまる。

 

強い熱を発するその壁は、まるで妹紅と俺を隔てるかのように横に伸びる。

おそらくは妹紅の妖術によって生み出されたものだろう、炎を越えることが出来ずにたたらを踏む俺を見据えたのち、妹紅は何も言わずに再び歩きはじめた。

 

「着いてくるな」と、離れていく彼女の背中が明確に拒絶の意思を語っていた。

 

「な、なんだよそれ……」

「フられたわね」

目を弓なりにした輝夜に声をかけられ、睨み返そうかどうか一瞬迷った。

「…………」

いや、今は――。

 

妹紅の放った炎の壁を見る。

見える範囲で横に向かって長く伸びている。

回り込んでいる間に妹紅の姿を見失うかもしれない。

 

……だとしたら…………。

 

「悠基?」

黙り込んだ俺に輝夜が目を丸くした。

俺は短く応える。

 

「ちょっと、追っかけます」

「貴方、まさか……」

何かを察したように呟く輝夜の目前で、俺は()()()()()()に一旦炎の壁から後ずさる。

 

「妹紅!!」

小さく深呼吸をして叫ぶように呼びかけてみる。

 

無視されるかと思ったら、意外にも妹紅は振り返って俺を見た。

直後に目にした光景の意味を理解したのか彼女は目を瞠る。

「待ってろ!!」

「は?悠基!?」

動揺した妹紅の様子に子供じみた満足感を覚えながらも、俺はあっさり覚悟を決める。

 

…………後にして思えば、衝撃的な光景を連続して見たせいか、この時の俺からは何か、常識的な判断を下すために必要な理性が一時的に欠落していたのだろう。

じゃなければ、こんな無茶なことを即決はしないと思う。

 

 

そんじゃまあ、行きますか。

と、そんな軽いノリで、次の瞬間俺は駆け出した。

炎の壁に突っ込む形で。

その向こうの、妹紅を追うために。

 

以前、藍に()()()()()意趣返しをされた際に随分懲りたはずなのだが、その時の記憶は俺にブレーキをかけるつもりはないようだ。

まあ例え大やけどをしたところで、分身能力使用中だから怪我は残らないだろう。

いつもならそんな痛い目を見るのは全力で拒否するし、激痛によるトラウマはまた刻まれるかもしれないが、それはそれとして。

 

近付くだけで炎の熱気が熱波となって俺を押し返そうとしているように感じた。

だが、怯んではいけない。

突っ切るならば半端に速度を緩めるべきではないだろうと、そんなところだけ冷静な判断を下しながら、俺は全力で炎の壁に突っ込んで――あ。

それと同時に炎の壁が二つに割れた。

 

一瞬にして熱気が弱くなり、なぜか燻った程度にとどまる笹の葉が散る地面の上に、俺は盛大に倒れ込んでいた。

「――え?」

突然のことに驚く俺の傍で、炎の壁は小さくなっていく。

 

そして、顔を上げる俺の目の前に、愕然とした様子の妹紅がいつの間にやら近付いてきていた。

その顔は紅潮し、肩を怒らせ食い入るように地面に倒れたままの俺を見ている。

声にならないのか、二、三度口をぱくつかせた彼女から、辛うじて最初の一文字が発せられる。

 

「…………あ」

あ?

 

 

「アホかぁ!!!!」

 

 

 

 

* * * *

 

 

なんとも、居心地が悪い、と俺はそんなことを思っていた。

 

「ご理解頂けたかしら?」

「ちょっと頭を整理する時間がほしいです」

小首を傾げる永琳様の問いかけに俺は脂汗を浮かばせながら口を歪めた。

再び永琳様の診療所に戻った俺は、永琳様から一通りの説明を受けたところだ。

その間、輝夜に半ば強引に連れてこられた妹紅は、今は輝夜が腰掛けるベッドの反対側でそっぽを向いている。

 

俺は軽く深呼吸をしながら、永琳様からの説明を噛み砕くように頭の中で反芻する。

「えっと、蓬莱の薬で不老不死なった人間というのが蓬莱人で」

「ええ」

「妹紅も、永琳様も輝夜様もその蓬莱人で」

「ええ」

「それで……」

 

複雑な心境で永琳様からベッドの上に腰掛けてこちらを見据えてくる輝夜へと視線を移す。

「あら、何かしら?悠基?」

「貴女があの竹取物語のかぐや姫様本人、と」

「ええ。大トリね」

大トリ…………そりゃあ確かに最後に回す形で言ったけども。

 

「……その辺が一番疑わしいので」

「まあ失礼しちゃう」

ジト目混じりの俺の弁明に輝夜はわざとらしく――もしくはあざとく――頬を膨らませた。

子供じみた所作にも関わらずそれすらも魅力的に見える辺り、「疑わしい」とは言ったものの件の御伽噺で求婚者が続出したという話にも納得してしまう。

と、そんなことを思いながらも永琳様の説明した内容がいろいろと許容範囲外で正直まだ混乱が拭えない。

 

「その言い方だと蓬莱人の存在自体はあまり疑っていないように聞こえるけれど」

永琳様から指摘が入り、俺は輝夜への窘めるような視線を一旦打ち切ることにした。

「……そう、ですね」

ちらりと、輝夜の隣でそっぽを向いている妹紅を見た。

その顔は窺い知れないが、少なくとも聞き耳を立てているのは間違いないだろう。

 

「ところで、なんでわざわざ蓬莱人の説明を?」

そんな俺の疑問に、永琳様は小さく頷いた。

「貴方は現状紅魔館の住人ではあるけれど、立場としては人里の人間でしょう?」

「立場って言われてもピンとは来ませんけど、紅魔館には出稼ぎに来てるようなものですし、確かにそんなところかと」

 

「そう。だから、反応を見ておきたかったの」

「反応?なんのですか?」

「私達の正体が普通の人間ではないとわかったなら、人里は受け入れるのか、それとも拒絶するのか。貴方はどう思う?」

 

永琳様の目を見据える。

俺を観察するような目は真剣味を帯びている。

もしかしたら、今後の永遠亭と人里との関係に影響する質問かもしれない。

医学的には明らかに百年以上は先を行く永遠亭との関係は、人里の住人にとっては重要なものだ。

ここは慎重に答えるべきところなのだろう。

 

「…………」

と、そうは思うもののイマイチピンと来ない話だ。

 

「普通に考えれば、ありのままに受け入れられるというのは難しい話だと思います」

「そう、普通だったら、ね」

 

俺の言葉を半ば予想していたのか、促すような永琳様の言葉に俺は内心首を傾げながらも頷いた。

「ええ。ここは幻想郷で、妖怪や神様が当然のようにいる世界です。そりゃあ人里は妖怪を畏れてはいますが、かといって全部が全部拒否されるということはないでしょ」

 

他の場所で作業でもしているのだろう、この場にはいない永遠亭の住民の名前を挙げる。

「実際ここの鈴仙が頻繁に仕事に来てますし、この前の月都万象展だって迷いの竹林にも関わらず結構な人が来ていました。俺はここに来てまだ半年程度ですけど、人里にとって害のない、ちょっと特別な人間の貴女方が受け入れられないとは余り思いません」

 

「そう、ちょっと特別、ね」

「そうです……まあ、あくまで俺の所感です。妖怪にすら変わり者と言われる俺ですから、客観性は微妙なところかもしれませんが、概ね間違ってはいないかと」

軽い予防線は張ってみるが、こんなところだろう。

 

永琳様の表情はあまり変化した様子もなく、俺にしても彼女のような人がこのくらいのことを予想できないとは思えない。

だが、こういったデリケードな問題は慎重に進めたいのかもしれない。

 

と、思考を巡らせつつも、ちらりとそっぽを向いたままの妹紅を見る。

まさか、とは思うけど。

今回永琳様が蓬莱人のことを俺に打ち明けたことは、今後の永遠亭の動向を決めるためという体を装っているだけに思えてしまう。

 

「だ、そうよ」

と、永琳様が振り向いた。

 

一瞬輝夜に言ったのかと思ったが、当の輝夜はそれには答えず隣へと視線を向けた。

「妹紅」

 

「…………なんで私に話を振るのさ」

「とぼけちゃって」

「はあ?」

やれやれといった様子の輝夜に、妹紅が声を上げながら振り向いた。

 

「悠基の言葉を聞いたでしょう?幻想郷の住人なら今までみたいにはならないわよ。いつまでも気にしてんじゃないわよ」

輝夜の言葉に、俺は小さく息をつく。

……どちらかと言えば、妹紅のために設けた場、ということか。

 

「……別に、気にしてない」

顔をしかめた妹紅に対して、輝夜はすまし顔で言い放つ。

「さっき悠基から逃げたのはそのせいでしょう?」

「…………」

 

ちらりと、妹紅は俺の顔を見た。

唇を引き結んだ顔には何かの葛藤が伺えて、俺は黙って彼女の答えを待つ。

 

曰く、妹紅は千年以上も生き続けているらしい。

死ぬことも出来ず老いることもできない。

少女の姿のまま変わることのない……変わることの出来ない彼女が、何を思い何を悩み何に苦しんだのか。

俺には、想像することしかできない。

 

しばらく黙り込んでいた妹紅は、徐ろに口を開いた。

「……なあ、悠基」

「うん」

 

「なんでさっき、あんなことをしたの」

「あんなことって?」

「私が作った炎の壁に突っ込んできただろ」

「あー……」

改めて問いかけられると答えに迷う。

 

あの時は、少なくとも冷静ではなかったというか、正常な思考が働いてなかったというか。

おそらくそんなことはないんだろうけど、あの時妹紅を見失えば会えなくなるのではないかと、根拠も無しに確信した俺はすでに行動を決めていたのだ。

そんな結論に落ち着いた俺は、妹紅に端的に応えた。

「なんとなく?」

……もっと他に言い方があっただろ。

 

「……悠基」

ボソリ、といつもよりも幾分か低い声で妹紅が呟いた。

 

彼女は徐ろに腕を伸ばすと俺の胸ぐらをがっちりと掴み、そのまま力任せに前後に揺さぶってきた。

「『なんとなく』ってなんだよ『なんとなく』てぇ!」

「うあ、ごめ、ごめんて、苦しい」

強制ヘドバンに目を回しながら謝るが、それでは気が収まらないのか全く手を止めてくれない。

 

「それで炎の中に突っ込むやつがいるかぁ!」

「で、でもあのときは」

「火傷で済むと思ったのか!?」

「分身だったし」

「そういう問題か!?」

脳みそを揺さぶられ続けたおかげで若干気持ち悪くなってきたところで、ようやく妹紅が手を止めてくれた。

 

目眩を感じながら妹紅を見る。

俺の襟元を掴んだままの妹紅は俯いていて顔が見れない。

 

「なんでだよ」

さっきよりも、随分と沈んだ声で妹紅が改めて問いかけてきた。

「追わないと、そのまま妹紅がいなくなるんじゃないかと思ってさ」

「そんなわけないだろ」

俯いたままの妹紅は言うが、さっきのやりとりの後だと少しだけ説得力がなかった。

 

不意に、妹紅の手が震えているのに気付いた。

「……気持ち悪くないのかよ」

消え入るような呟き。

 

一瞬聞き間違いかと思い、俺は目を瞠る。

「……え?」

「気持ち悪かっただろう?死体が生き返る様を見るのは」

「も、妹紅?」

 

妹紅の言葉に俺は息を呑む。

戸惑う俺の顔を見るのが怖いとでも言うかのように、妹紅は俯いたままだ。

「私はね、悠基。ずっとずっと独りだった。怪我をしてもすぐに治る、年をとることのない私の体を見て、バケモノだって、気持ち悪いって、近づくなって、恐ろしいって…………たまに夢に見るんだ。ああ、私もその立場ならそう言っただろうさ。悠基、お前は」

「言わない」

 

遮るように声を上げる。

しなければいけないと思った。

 

「言わないさ。絶対に」

「ああ、だろうな。お前は優しいから」

「妹紅」

「でも、ずっとじゃないよ。変わるよ、お前も」

 

「そんなことはないよ」

「いいや、私とお前は違うんだよ。いつまでも、こうとはいかないんだ」

「君は……」

「ああ、分かってる。分かってるよ、そうじゃないかもしれないってことは」

「妹紅…………」

「信じてやれないんだ、私は。悠基の言葉も、慧音の言葉さえも」

 

痛ましさすら感じる本音に、俺は投げかけてやれる言葉がすぐには浮かばない。

「私は、こんなに弱い私が、嫌いだ」

「…………」

 

蓬莱人であることを妹紅は秘匿したがっていた。

容姿が変わらないのだから、いつかは打ち明けなければいけないと、彼女自身だって分かっていたはずだ。

 

ただ、彼女が口にしたように、この蓬莱人の体質に心無い言葉を投げた人はいたんだろう。

不老不死であることが知られたが故に刻まれた心の傷があるのだろう。

 

慰め、励まし、元気づける言葉が浮かぶが、口にすることが出来ない。

下手な励ましは却って逆効果になるかもしれない。

この場で彼女の言葉をどれだけ否定したところで、彼女は聞き入れてくれないのではないか。

 

でも、それでも、彼女の傷を癒やすとまではいかずとも、なにか。

 

「ごめん、悠基」

不意に、妹紅が顔を上げる。

 

なにか。

 

「少し、感情的になった」

いつもの快活な笑みとは違う、疲れたような儚げな笑み。

 

なにか。

 

「え?」

「困らせて、悪かったね」

そっと、妹紅は俺の襟から震えたままの手を離した。

 

なにか…………。

 

「そろそろお暇させてもらうよ」

そのまま妹紅は立ち上がる。

 

…………。

 

輝夜が制止する声を上げるが、妹紅は首を振った。

「それじゃあ……」と、無理やり作った笑みを顔に貼り付けたまま妹紅はその場を後にしようとし、

 

その腕を、俺は掴んで引き止めた。

 

 

「…………悠基?」

腕を掴んだ体勢で黙ったままの俺に、妹紅は戸惑ったように声を上げる。

その妹紅に対して、俺の中の倫理的かつ理性的な思考がかろうじて注意するような言葉を選んだ。

 

「言っておくけど、友達として、だからな」

「?」

唐突に聞こえたのだろう。

 

妹紅が眉を顰めて口を開く。

「何を――」

そんな彼女の言葉を遮るように、俺は言った。

言ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きだ」

 

 

「――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬、静寂が訪れた。

 

 

「まあ、ふふ」

「あらあら」

「うぇっ!?」

 

「――は、ええ!?」

 

予想通り声が上がる中で、言われた当の本人は数秒の硬直のあとに見る間に顔を紅潮させ素っ頓狂な声を上げた。

ああ、言ってしまった、と一瞬躊躇しそうになるが、言ってしまった事実は変わらないしもう行けるところ、もとい言いたいことは全部言ってしまおう。

流石に驚いたのか、目を丸くし頬を朱くした妹紅の様子からして、どうやら効果は抜群だったらしいし。

 

……というか、なんだか声が一つ多かったような?

不意にそんなことを思った俺が嫌な予感を感じて振り返ると、真っ赤な顔をした鈴仙が診療所の入り口で突っ立っていた。

薬箱を抱えた彼女は何かの用事で今正に診療所に入ろうとしていたのだろう。

 

「し」

振り返った俺と目があった鈴仙は頬を引きつらせたまま数歩後ずさると、次の瞬間踵を返して、まさしく脱兎のごとく駆け出した。

「失礼しましたーー!!」

 

…………凄まじく間が悪いなあの子は。

いやまあ、今は先に妹紅だな。

明らかに誤解した――そう、誤解である――様子の鈴仙への説明を、俺はため息を堪えて後回しにすることに決めると、再び妹紅と向かい会おうとする。

 

「見て見て永琳、悠基の顔、面白いくらい真っ赤よ」

「格好がつかないわね」

 

「ちょっと静かにしててください」

いらない野次を飛ばしてきた二人に声を上げつつ、俺は気を取り直して妹紅を見る。

 

普段見られないほどに頬を朱に染めたまま硬直する妹紅。

先程の俺の前フリが頭から吹き飛んでいるのかもしれないので、念のため再度言い含める。

 

「……もう一度言うけど、友達として、だからな」

「あ、ああ……」

と、俺の言葉にたじろぎつつもどこか安堵したように妹紅は相槌を返す。

だが、しかし。

 

「だから、それを踏まえてあえて言わせてもらうけど」

「え」

「妹紅、好きだ。大好きだ」

 

まっすぐ目を見てはっきりと言い放つ。

多分、そうした方が効果が高いから。

 

「や、ちょっと、やめて……」

顔を逸し俺に掴まれていない方の手で表情を隠す妹紅。

その声はいつもよりも弱々しく、拒否の声もそこまで本気じゃないように聞こえる。

まあ本気で拒否されても全部言ってやるつもりだけど。

 

「いやです」

なぜか敬語になった。

まあいい。

 

「いいか?分かってないみたいだから教えてあげるけど、君はめちゃくちゃ素敵な人間なんだぜ?この際だからな。まずは、初対面はぶっきらぼうなくせに、本当は分かりやすいくらい優しくて気遣いが出来るところだろ?あと困ってる人を見過ごせないところとか、面倒見が良くて子供に好かれてるところとか、ノリが良くて話してるとこっちも楽しくなってくるところとか、相談には親身になってくれるところとか、表情がコロコロ変わるところとか、あと笑顔が可愛いところとか――」

 

「待って、ちょっと待って」

指折りまくし立ててやるところで、妹紅は腕を掴む俺の手を振りほどくと、こんどは俺の両肩を掴んで止めにかかった。

今や鈴仙といい勝負と言っても差し支えないほどに顔を紅くした妹紅は、若干涙目になって俺に訴えかけてくる。

「分かったからもう止め――」

 

「いんや、分かってないね」

だが、そんな妹紅の訴えを俺は即答する形で拒否した。

なにしろ、全部言ってやるつもりなので。

 

「分かってないよ。妹紅。こう思ってるのは俺だけじゃないってこと」

「え?」

「慧音さんや寺子屋の子どもたちとか自警団の男どもとか他にも、君のことが好きな人、俺はたくさん知ってるから」

「っ、そんなこと」

 

「そんなことあるんだよ。自覚しろ……しなさい」

ちょっと口調が荒かった気がしたので慌てて言い直す。

すごく間抜けな感じになったが、言いたいことは概ね言ったのでちょっとすっきりした。

 

俺から手を離した妹紅は顔を俯かせる。

「なんで、急にそんなこと……」

呟くような彼女の言葉に、俺は今更気恥ずかしさを感じつつも、真剣さを損なわないようやっきになって妹紅をまっすぐ見据える。

突飛なことを言ってる自覚はあるが、極めて真剣に言っていると妹紅に伝わるように。

 

「君が自分のことを気持ち悪いとかのたまうから、違うって言ってやらないと気がすまなかっただけだ」

「なんだよそれ……」

なぜか恨めしそうな目で睨まれたけど、俺は構わず言ってやる。

 

「だから、あんまり自分が嫌いとか言うな。自分のことだからって大切な人をそんな風に言われたら、俺だってカチンとくるよ」

「たいせ…………っああ、もう、やめろ!」

「おう。言いたいことは言ったからな。このくらいで勘弁してやる」

開き直っていたせいなのか、やけに偉そうに言い放つと俺は最後に息をついた。

 

「そういうわけだから、これからも仲良くしてくれ」

「無茶苦茶言って最後にそれか…………」

潤んだジト目で睨まれる。

落ち着いてきたのか、幾分か顔色が普段通りに戻りつつある。

 

「なんだ?まだ足りないか?」

「もうやめろバカ」

軽く額を叩かれた。

呆れと照れ隠しを含んだ声音は、しかしいつも軽口を言い合う妹紅を思い出させる。

少しは元気が出ただろうか。

 

大きくため息をつき、妹紅は腕を組んで俺を睨み続けている。

「ったく、調子狂うよ。バカなこと言って」

「俺は真面目に言ったつもりだ」

「支離滅裂なんだよ言ってることが」

「それでも、落ち込んでる妹紅なんか見たくなかったんだよ、俺は」

「…………」

 

すっげえ睨まれた。

 

「ふふふ」

と、袖で口元を隠しながら、不意に輝夜が上品に笑った。

視線を向けると、やけに楽しげに目を弓なりにしている。

 

「情熱的な告白ね」

からかう気満々といった様子に、俺は嘆息をこらえた。

「……そういうのじゃないです」

「『好き』とまで言っておいてそこは線引するのね。貴方みたいな男って世間ではどう呼ばれてるか知ってる?」

「……想像はつきます」

「ふふ」

 

いつまでもここに居たら輝夜のいい玩具だ。

言うべきことは言ったつもりだし、一時退散するとしよう。

 

今だに顔が熱いことを自覚しつつ、俺は「それじゃ」と逃げるように踵を返すと、その場をあとにしようとし、

 

その腕を、妹紅が掴んで引き止めた。

さっきと逆である。

 

「え?妹紅?」

目を瞠り不意の行動にでた妹紅の顔を振り返る。

その顔はまだ僅かに赤く、照れているのは明白だ。

普段ならそんな彼女の様子に不覚にもトキめいてもよさそうなシチュエーションかもしれない。

しれない、のだけど。

直後に浮かべた妹紅の別種の笑みに、なぜか俺は嫌な予感がした。

 

「ねえ悠基」

「なにかな?」

「さっきの情熱的な告白の責任、取ってもらおうか」

「え゛」

 

いろいろな意味で衝撃的な発言に一瞬思考が止まった。

そんな俺の肩を、妹紅は気軽にポンポンと叩く。

 

「なに、そんなに怖がらないでよ。簡単なことだから大丈夫だって」

「か、簡単なこと?」

なぜだろうか。

妹紅が何を言うのかさっぱり予想がつかないのに、「簡単なこと」が恐ろしく感じる。

 

「ええ。小耳に挟んだのだけど」

妹紅の浮かべる笑みは、まるでイタズラをする子供じみたものだった。

「悠基、あんたって、酔うと中々面白いことになるらしいじゃない」

 

「誰から――あ、えっと、それじゃあ俺は、これで」

「帰るなんて」

踵を返した俺の肩を、妹紅ががっちりと掴んだ。

 

「言わないよね?」

現代でいうアルハラである。

最も、先程の発言に若干の引け目を感じていた俺は、妹紅からの誘いを断れるわけがない。

 

結局のところ、ほとんど諦めの気持ちで、俺は頷くことになり。

こうしてまた一つ、俺の知らない(覚えていない)ところで黒歴史が創られたのである。

 

 

 

 

 

例によって例のごとく、その後酒を飲んでからの俺の記憶はない。

ただ、それ以降、里で妹紅と出会うと、度々彼女は意味もなくニヤニヤ笑いを向けてくるようになった。

以前と同じように快活で人当たりのよい彼女の様子にほっとした分、とても複雑だ。




実は主人公テンパってたシリーズ第二弾です。第一弾は四十三話辺りの戦闘回。
妹紅も非常に気にしていたことなので情緒不安定ぎみ。輝夜が一応フォローする程度には落ち込んでいます。
とはいえ若干シリアスな回が続きぎみだったのである程度ほのぼの分を混ぜ込んでおこうと思っていたらこんなことになりました。




名前:藤原妹紅
概要:初登場九話。永夜抄Extraボス、他。『老いる事も死ぬ事も無い程度の能力』。
当作における彼女は快活で人当たりの良い姉御肌なお人好しであり、その実繊細な心の少女である。友人である慧音の紹介で自警団に所属しており人里にはそれなりの人望を築きつつある。同じく蓬莱人であり憎しみを向けていた輝夜とは、現状嫌い合っているわけではなさそう。かといって仲が良いかといえば疑問。自身の蓬莱人の体質は、彼女にとっては耐え難い経験を積ませたものであり秘匿したがっている。主人公の言葉は、そんな彼女の考えに影響を及ぼすものなのか。果たして。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。