「さて、そろそろ俺は行きますね」
パチュリーの「ぶっとばす」発言に冷や汗を流しつつも、俺は肘掛け椅子から立ち上がった。
体調に関しては随分と良くなったように感じる。
飲んだ時こそ不安に苛まれたものの、小悪魔作の魔法薬はしっかりと効果を発揮してくれているらしい。
「待ちなさい」
と、席を外そうとする俺をパチュリーが引き止めた。
「……なんですか?」
「貴方に訊きたいことがあったのよ」
よもや「すけこまし」とか言ったことを根に持っているのだろうかという考えが過ぎったが、そういうわけでもなさそうだ。
微妙に安堵しつつ、俺は立ち上がったまま首を傾げる。
「俺にですか?」
「ええ。貴方の能力について、なのだけど」
「……」
パチュリーの言葉に困惑と期待と不安が同時に湧き起こる。
表情筋が緊張で僅かに強ばることを自覚しつつ、俺は肘掛け椅子にかけ直した。
「構いません。俺に答えられることなら、ですけど」
「そ。じゃあ、まずは確認。貴方はこの館で働く上で、貴方の能力に関する手掛かりがその報酬に含まれているわね?」
「はい」
レミリア曰く、俺の能力について彼女はそれなりに詳しいようだ。
『分身する程度の能力』と名付けたこの能力について、使用している俺すら把握していない性質を、レミリアは知っている節がある。
「なら、教えて欲しいのは、それ。レミィの話した貴方の能力についてよ」
「はぁ、それは構いませんが」
と、俺は頷きつつも戸惑いがちに疑問を口にする。
「あの、パチュリー様はレミリア様とご友人ですよね?レミリア様から何か聞いてたりはしないのですか?」
「あの子は秘密主義なところがあるのよ」
パチュリーは小さなため息混じりにボヤいた。
「貴方の能力については私にも明かす気がないみたいなのよね。『悠基から直接聞いて頂戴』ですって」
「そうですか……」
若干落胆しつつ俺は相槌を打った。
レミリアの友人というパチュリーから、もしかしたら何か新しい情報が得られるかもしれないという淡い期待は残念ながら空振りだったらしい。
だが、広大な地下図書館を管理するパチュリーのことだ。
魔法魔術に関する造詣は深いだろうし、もしかしたら何か新しい意見を聞けるかもしれない。
思っていることがすぐ顔に出る俺の性格が災いしたのだろう、「そこまで失望することないじゃない」と言いたげなジト目のパチュリーに向き合うと咳払いとともに気を取り直した。
「では、何か分かったら俺にも教えてください」
「ええ、いいわよ」
お、あっさり承諾してくれた。
レミリアの友人という割には無闇やたらと思わせぶりな態度だけとって何も教えてくれないという訳ではなさそうだ。
と、まあそれは置いといて、早速本題に入ろう。
「パチュリー様は、俺の能力に関してどのくらいご存知なのですか?」
「昨日咲夜からある程度のことは聞いたから、あの子が知っている範疇なら把握しているわ」
咲夜が知っている範疇だとするなら、おそらく俺がこの館で働き始める前までの情報といったところだろうか。
俺とパチュリーとの知識の差異を予想しつつ、俺は先日、ここで勤めることになった折、なんの気まぐれかレミリアが遂に話してくれた俺の能力の性質、その一端について話すことにした。
「レミリア様の能力は『運命を操る程度の能力』と言われるそうですね」
「……そうね」
唐突にレミリアの話が始まり、パチュリーは困惑した様子を一瞬見せた。
だが、おそらくそれは本筋に必要な話なのだろうと判断してくれたのか、静かに俺の話を促す。
「その能力のおかげなのか、レミリア様は人や妖怪の運命を垣間見ることが出来るとおっしゃっていました」
謂わば、未来予知のようなものだと俺は解釈している。
「この幻想郷には、その運命を簡単に覆すような存在が数多くいるとも」
あるいはそれは常識外れの力によって、あるいはそれは想像も及ばないような性質によって、あるいはそれは尋常ではない在り方によって……そんな抽象的な言葉を使いながら、レミリアは彼女の能力によって推し量れない規格外の存在が、この幻想郷には数多く跋扈していると言っていた。
だからこそ面白いのだけど、とも。
「初めて会ったとき、俺にはそういうものを感じなかったそうです」
平凡、凡庸、拍子抜け。
咲夜が友人と称して連れてきたという割には、期待外れにも程があるというのが第一印象だったそうだ。
「でも、俺の能力は例外みたいです」
「それは、分身することによって運命が変わるということ?」
「レミリア様が言うには、俺が能力を使う瞬間から先の運命が霞がかかったように見えなくなるとか」
そう話すレミリアは、楽しげに笑みを浮かべていた。
『だから、その気になれば貴方でも、私の寝首を掻けるかもしれないわね』
『何を期待してるのか知りませんけど、反応に困ります』
その時のやりとりを思いだし、嘆息が思わず溢れた。
「はぁ…………」
対するパチュリーは、唐突にため息をつく俺に訝しげに見る。
だが、気にしないことにしたようで、顎に手を当て考え込むように伏し目になった。
「そう、レミィの能力に干渉するということは、貴方の能力はそういった運命や因果に関するものなのかしら」
「……さあ、どうなんでしょうね」
正直なところ、そんなことを言われてもさっぱりだ。
さて、パチュリーから何か意見は聞けるだろうか。
「パチュリー様は何か分かりませんか?」
「その分野は専門外なのよね」
「…………」
「そう不満げな顔をされてもね。全く分からないというわけじゃなくて、判断材料が少ないのよ。適当なことしか言えないわ」
結局のところ、俺の能力に関する謎の解明は長期戦で見た方が良さそうだな。
「そうですか。まあ、それなら仕方ないですよね」
さて、そろそろ俺も今日の菓子作りの仕込みでも始めようか。
「では、もし何か分かったらよろしくお願いします。俺はそろそろ上に戻りますので」
「分かったわ……あら?」
その場を後にしようとする俺から、不意にパチュリーが視線を俺の向こう側へと向けた。
「ん?」
パチュリーの様子に誰か来たのかと、立ち上がりかけた俺も振り返り、固まった。
振り返った先には、二人の人影。
一人は小悪魔。
もう一人は、その小悪魔を横に従える、独特な造形の羽を生やした幼女。
口端を釣り上げて、どこか冷酷にさえ感じる笑みを浮かべ俺を見据えながら近づいてくる――
「フ…………ランドール様」
「怖がりすぎよ貴方」
背中から多分に呆れを含んだパチュリーの声が飛んでくる。
とはいえ、前回初めて接触した際に「玩具」と称された上に嬲られかけたおかげか、半分条件反射で俺は動けなくなっていた。
苦手意識を余裕で通り越して本能的恐怖を植えつけられたのかもしれない。
中途半端に立ち上がった体勢で固まる俺を見て、小悪魔は苦笑し、そしてフランドールは笑みを絶やさない。
「一週間ぶりね…………えっと、悠基、だっけ?」
会話ができる距離まで近づいてきたフランは、俺を見上げるように上目遣いで問いかけてくる。
そんな彼女に緊張しつつ、俺は顔を強張らせながら頷いた。
「……あの、おはようございます」
「ん。おはよ、悠基」
ひとまずの挨拶で一呼吸おいて、俺はどうにか気を取り直す。
なぜフランがここにいるのか。
最初にそんな疑問を抱いた。
咲夜から聞いた話なのだが、昼型のレミリアと違いフランは夜型。
というか完全な夜行性で――太陽を嫌う吸血鬼なのだから、この場合おかしいのはレミリアだ――いつもならば既に床についている時間のはずだ。
さらに言えば、彼女はあまり出歩かないタイプらしく、起きていてもあまり外には出ようとはしないらしい。
主な行動範囲は紅魔館内、更に言うなら地下から出てくることも少ない。
故に、基本的にフランが寝ている時間に働いている俺が彼女と接触する機会自体も滅多にないどころか、紅魔館に勤め始めて一週間目にしてようやく二度目の邂逅となったわけだ。
「め、珍しいですね。こんな時間まで起きてるなんて」
「朝ふかししたいことだってあるでしょ?」
語呂悪いな……。
「はぁ、左様で」
それにしても機嫌が良さそうだ。
襲われかけた際の誤解は解いているわけだから、なにかされることはないだろう、と分かっていてもやはり最初のおっかない印象が拭えない。
避けるわけじゃないけど、ここはさっさと地下を出よう。
うん、避けてるわけじゃないけど。
……いやこれは普通に避けてるな。
若干の罪悪感を抱えながらも、俺はその場をあとにしようと歩き始める。
「それじゃあ俺はそろそろ」
「ゆうきー」
…………ご指名入りましたー。
にっこりと笑顔で俺の名前を呼ぶフランに対して、使用人である俺は逆らうわけにも行かずに足を止める。
「いかがされましたかフラン様?」
愛想笑いを浮かべようとして失敗した俺に、フランドールは一歩近づいてきた。
「ねえ、貴方がケーキを作ってるんですって?」
「そう、ですね」
一体どんな話を振られるか警戒していた俺は、聞きなれた質問に一瞬拍子抜けし、安堵する。
甘味処で勤め始めてから、この手の質問は何度も受けてきた。
それこそ、人妖も種族も問わずであり、その質問の後は決まって同じ要求が飛んでくる。
即ち、「件の洋菓子を用意して欲しい」というものだ。
ただまあ、あのレミリアの妹だし、好みが似ると考えれば当然か。
それにしてもケーキの力は偉大だなあ、などとしみじみ思うと、なんだか嬉しくなって口角が上がってしまう。
「……なーに急にニヤニヤして」
「いえいえどうぞお気になさらずに。それで、ケーキがどうしたんですか?」
「あ、そうそう。ケーキをねー」
ほら、やっぱり。
「作りたいの」
「――え?」
なんか思ってたのと違う要求が来た。
「作りたいんですか?食べたいではなく?」
「もちろん食べたいのもあるんだけどねー。話を聞いてたら興味が湧いてきたの」
「話というと……」
昨日菓子作りを手伝った小悪魔を見る。
なぜか両手でガッツポーズをして誇らしげに俺を見ていた。
よく意図が分からないんだけど。
「ねえ?私にも教えて?」
「そうですね、一応理由をお伺いしても?」
いつもならば二つ返事で了承する提案だったが、相手がフランドールとなるとついつい戸惑ってしまう。
そんな俺の心情など露知らず、フランは得意げに笑みを浮かべた。
「そりゃあもちろん、お菓子を使ってお姉さまを毒殺するためよ」
……………………あ、うーん。
…………やっぱりそういう…………?
「…………えっと」
「ちょっと、突っ込んでよ」
フランがジト目で俺を睨み、その反応でどうやら彼女が冗談を言ったことをようやく俺は察する。
いやいや、冷静に考えれば分かるんだけども。
「……どれに?」
後にして思えば完全にポンコツじみた返答をする俺に対し、フランは頬を膨らませた。
「全部!もう、パチュリー。この人間大丈夫なの!?」
「さあ?レミィの趣味は理解できないことがあるから」
「パチュリー様、それじゃあ暗に悠基さんを馬鹿にしてるように聞こえますよぉ」
「…………」
あ、今の小悪魔のいらない指摘でなんだかちょっと落ち着いたかも。
「フラン様」
「ん」
「さっきの話、承りました」
「……毒は盛らないわよ?」
「そっちじゃないってか本気にしてませんから」
一応は。
「そう。それじゃあ」
困惑気味のフランが再び笑みを浮かべた。
――あ。
なぜか、本当に唐突に、俺が抱いていたフランに対する警戒心が溶けた。
フランが俺に向けて浮かべる笑み。
それまでどこか含みのある見た目不相応なものとは違い、それは子供らしいあどけないものだった。
全く、こんなことで恐怖心を薄れさせるとは、我ながらちょろいというか節操がないというか、なんとも。
「よろしくね悠基」
「ええ、ええ。どうぞよろしくお願いします」
「あ、私も!改めてですがよろしくお願いしますね!」
かくして、俺とフランドール、小悪魔の三人は、それから定期的に菓子作りに興じるようになったわけである。
「あ、悠基。そういえば私がケーキを作りたがる理由を知りたがってたわよね」
「そうですね。差し支えなければ」
「別に、大した理由じゃないわよ?単に興味が湧いたから。それだけ」
「充分ですよ」
この時の俺はまだ知らない。
小悪魔が材料をひっくり返したりフランが生地を一瞬で炭にしたり小悪魔が砂糖と塩を間違えたりフランが容器を粉々にしたり小悪魔が火加減を間違えたりフランがスポンジケーキをクッキーに変質させたり小悪魔がクリームを盛大に俺にぶちまけたりフランが癇癪を起こしたり小悪魔が材料を結局ひっくり返したりフランがオーブンを故障させたり、などなどなどなど挙げていけばきりがない、様々なトラブルが待ち受けていることを。
「あ、これじゃあパチュリー様が仲間外れみたいになっちゃいますね。パチュリー様もご一緒にどうですか?」
「興味ないし余計すぎる気遣いよ、こあ。ああ、それから悠基」
「なんですか?」
「一応言っておくわ。『ご愁傷様』」
「…………?」
俺は、まだ、知らない。
前回からの引き続きで紅魔館地下図書館でのお話です。
更新は相変わらず滞りがちで申し訳ありません。
追記:五十二話じゃなくて五十三話でしたねすいません!
さて、これまではほのぼのっつうかぐだぐだっと後書きを記していましたが、今回からこの空間を利用して(そして五十三話目にして)登場人物紹介的なものでもと。一話につき一人だけ。毎回とはいきませんが。なぜ今更かと問われれば、なんとなく!と無駄に元気に応えるしかできませんが、よろしければよろしくお願いします。
それでは、記念すべき一人目は、もちろんこの方。
名前:フランドール・スカーレット
概要:初登場四十八話。紅魔郷Exボス。『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。
当作における彼女は狂気というよりも猟奇的かもしれない。夜行性。正確には活動時間は夕方六時から明け方七時。日照時間によって変わる。引きこもり体質なのか、活動範囲は紅魔館内に留まり、更に言えば地下から滅多に出てこない。姉のレミリアと同様、主人公の作る菓子は気に入っている模様。反して、主人公に対してはぶっちゃけそれほど興味はない模様。主人公からは一方的に畏れられてはいるが、菓子作りを通してこの関係は改善されるかもしれない。