アリス曰く、幻想郷にも博麗神社があるとのことだった。
そもそも幻想郷は、博麗大結界と呼ばれる結界で覆われ、外の世界から隔絶された土地らしい。
博麗神社の巫女がその結界を管理しており、その巫女に頼めば幻想郷の外に出してもらえるようだ。
外の世界には、叔父や叔母を始めとする、親戚や、友人たちを残している。
大切な人たちだ。
心配をかけたくないので、出来れば早めに帰りたかった。
「博麗神社までは遠いし、道中でまた襲われるかもしれないから、案内も兼ねて着いていくわ」
と、アリスが申し出てくれた。
助けてもらった上に泊めてもらい、更には朝食までご馳走になり、彼女には借りを作ってばかりである。
だが、彼女に送ってもらわなければ、博麗神社まで迷わず安全に辿り付ける保証もないため、頼る以外の選択肢はない。
「すまない。助かる」
「どうせなら最後まで面倒見るわよ」
お礼を言うと、アリスはすまし顔で答える。
アリスさんかっけー。
上海と蓬莱は留守番である。
まるで名残を惜しむかのように、アリスの家を出るまで俺の周りをふわふわと漂っていた。
「随分気に入られたみたいね」
アリスがその様子を見ながら言った。
「気に入られたって、アリスが動かしてるんじゃないのか」
と訊くと、
「半自動だから、半分は勝手に動くのよ」
と返される。
いや、それは半自動とは違うだろ。
「さて、一応確認するけど」
アリス邸の玄関のドアを閉め、アリスが俺に向き合い切り出す。
「あなた、飛べる?」
「え?飛べるって、空を?」
一瞬何を言ってるのか分からなかった。
「そう。空を」
「もちろん、飛べないけど」
「そうよね」
おずおずと答えるとあっさりと頷かれる。
「アリスは飛べるの?」
「ええ」
俺の問いかけに首肯すると、彼女はふわりと、30センチほど浮き上がる。
「おぉ……」
またも感嘆する。
が、同時にアリスのスカートが風にたなびくのを見てぎょっとする。
アリスはロングスカートだし、今はそれほど高く飛んでないから問題ないが、高度を上げるとスカートの中が見えるんじゃないだろうか。
見える、という期待よりも、見えてしまうのではないか、という心配の方が先立っていた。
と、俺が余計なことを心配している内にアリスは柔らかい草地の上にふわりと着地していた。
「あ、あのさ」
恐る恐るアリスに話しかける。
「もっと高く飛べるのか?」
……もちろん純粋に疑問に思ったから問いかけたのであって、断じていやらしい感情ではない。
スカート云々は置いといて、人が単身で空を飛ぶなんでのはなかなかにロマン溢れる話だ。
「もちろん。実演しましょうか?」
「あ、いや、いい」
俺は慌てて顔の前で両手を振り、アリスを制止する。
急に狼狽した俺を見て、アリスは不思議そうに首をかしげていた。
勘の鋭い人なら気づいたかもしれないが、この辺は鈍いようで助かる。
いやだからスケベ心じゃないって。
「ま、飛べないなら仕方ない。せっかくだし、博麗神社まで歩きましょうか」
自分で自分に言い訳をする俺を放置して、彼女は歩き始めた。
「あ、うん」
俺は我に帰って、そのあとを着いていく。
* * *
鬱蒼とした森だったが、アリスに着いていくと、木の根を避けたり草むらを掻き分けたりすることなく順調に進むことが出来た。
森を抜け、『香霖堂』という看板が掲げられた不可思議な建物を素通りし、丘陵を超え、時たま明らかに動物とも人とも異なる存在が遠目に見えて背筋を冷たくしつつ、歩くこと約1時間。
疲れた様子も見せず涼しげに歩くアリスと、足が痛くなってきた俺は、人里に到着した。
幻想郷には妖怪だけでなく、人間も住んでいるらしく、幻想郷の殆どの人は人里に集まって生活を営んでいるとのことだ。
その人里だが、時代劇で見るような木造建築が並ぶ世界だった。
目に入る里の人も同様、それこそテレビなんかでたまに見るような着物、もしくは袴姿がほとんどで、一部洋服も見受けられるが、歴史の教科書の明治時代の頁で見かけるような古風なものばかりだ。
「博麗神社までは里を通って東に向かうの」
とアリスが教えてくれた。
俺は頷き、アリスの隣に並び歩く。
「なんだか、100年前にタイムスリップしたみたいだ」
「だいたい100年ほど前に、博麗大結界が張られて幻想郷は隔離されたそうよ」
俺の呟きに、アリスは補足的に答えてくれる。
「へえ、なるほどな……」
俺は周囲の光景を見ると、周りの人と目が合い、気恥ずかしくなり慌てて目をそらす。
やはり、ほとんどの人が和服を着ている中、外来人(幻想郷の住人から言えば、俺みたいなのはそう呼ばれると教わった)の服装をした俺や、異国情緒溢れるアリスはどうしても視線を集めてしまうらしい。
若干緊張しながら前を向いた。
* * *
暫くして、
「あら」
とアリスが足を止めた。
隣を歩く俺も、立ち止まり、アリスを見る。
前方に視線を固定させている彼女を見て、その視線の先を追った。
そこには、人ごみの中で、その風体と雰囲気から一人だけ浮いている少女が歩いていた。
薄い紫髪の少女だった。
驚いたことに、現代風のブレザーにスカートと、学生を思わせる服装で、背中に大きなつづらを担いでいる。
だが、それ以上に目を見張るのが、少女の頭部に生えているものだ。
なんだかしなしなと折れ曲がっているし、やけに長いが、どうみても兎の耳である。
そんな兎耳を垂らし、少女は項垂れてこちらに向かって歩いてくる。
顔は見えないが、その覇気のない歩みから元気がなさそうに見える。
ていうか、なんか陰険な感じの黒いオーラが見える気がする。
周囲を歩く人たちも、その彼女の雰囲気から、若干驚いたように道脇に逸れ、彼女の前から避けている。
「あの、もしかしてあの女の子って、妖怪?」
「ええ、そうよ。別に珍しい光景じゃないわ」
俺の質問の意図、すなわち、人里に妖怪がいるけど大丈夫なのか、という言外の意味を読み取り、アリスは答えてくれる。
「へえ……」
俺は兎耳少女に視線を移した。
どんよりとした暗い雰囲気を纏わせながらだんだん近づいてくる彼女の容姿を改めて見る。
頭に兎耳を生やした女子高生風の少女の姿に、人型の妖怪もいるのか、とか、なんか……あざといな……、などの感想を抱きながら、別の感覚が俺の中で浮上する。
あれ……?この子……どこかで……?
湧き出た違和感、既視感に首を傾げる俺をよそに、兎耳少女は俺やアリスの近くまで来ていた。
頭を下に向けたままなので、俺たちには気づいていないようだ。
「ねえ」
と、アリスが少女に声をかけた。
知り合い?と、親しげに声をかけたアリス(といっても無表情で声も相変わらず抑揚がない)に少し驚く。
ハッ、とした様子で少女は顔を上げ、アリスを見た。
ちなみに美少女である。
立ち止まり、暗い赤……臙脂色の瞳を見開いたのち、びっくりするくらい露骨に嫌な顔をした。
あれ??仲悪いのか??と、俺は彼女の反応に困惑する。
「こ、この間の……」
と呟く兎耳少女は、警戒したように後ずさる。
その反応に周囲を歩く人々が、険悪な雰囲気を察知し距離を取り始める。
「何をしてるの?」
だが、アリスはそんな兎耳少女の反応を意に介さず、先ほど声をかけた時と全く同じ調子で尋ねる。
完全に世間話をするかのような口調だ。
「え、」
と、少女は拍子抜けしたような声を漏らす。
「し、師匠に言われて、置き薬の訪問販売に来たのよ」
「あぁ……なるほどね」
律儀に答える兎耳少女にアリスはなにか得心がいったように頷く。
「あ、あなたこそ、こんなところで何してるのよ」
今度は兎耳少女がアリスを指差しながら、やや警戒したように言った。
「ああ、この人」
と俺に視線を投げかける。
「幻想郷に迷い込んだ外来人なの。外の世界に帰るみたいだから、博麗神社まで送ってるのよ」
「へ、へぇ……そうなの」
なぜか毎回どもる少女は、俺の方に視線を向けてくる。
俺はどういう反応を示せばいいか分からなかったので、取り敢えず「どうも」と軽く会釈する。
なぜか微妙な顔をされた。
「それじゃ、私たちは行くわね」
アリスが切り出し、兎耳少女とすれ違うように歩き始める。
俺は慌てて隣に並び歩く。
慌てたのは少女も同様らしく、
「え、ええ」
と間の抜けた返事をした。
「お仕事頑張ってね。鈴仙」
と、アリスがすれ違いざまに少女に言葉を投げかける。
鈴仙と呼ばれた少女は今度は目を見開く。
「え、名前……」
と驚いたように呟くが、遠ざかっていく俺たちをを見て気を咳払いし、気を取り直したのか、
「あ、ありがとう。……その……えっと……」
「アリスよ。アリス・マーガトロイド」
口篭る鈴仙に、アリスが何かを察したように自分の名前を告げた。
「っ!!……」
振り返って鈴仙を見ると、羞恥なのか顔を真っ赤にしながら、悔しげに歯を食いしばり、ジト目で俺の隣を歩くアリスの背中を睨んでいる。
ぐぬぬ……とか言ってそうな表情だった。
そんな様子で暫く鈴仙はアリスを睨んでいたが、俺の視線に気づくと、勢いよく踵を返し、早足で去っていく。
「……知り合い?」
俺がアリスに視線を移し尋ねると、
「まあ、いろいろあったのよ」
すまし顔で答えられた。
「ふぅん……なんか、慌しい子だな」
「そうね」
俺はもう一度振り返る。
人ごみの中で、あの兎耳がぴょこぴょこ揺れていた。
「……うーん……」
やはりその容姿に、自分の中で何かが引っかかり、俺は首を捻っていた。
* * *
「もうすぐ人里を抜けるわ」
それから更に暫く歩いたのち、アリスが言った。
「そっか」
足が張ってきたので、そろそろ歩くのが辛くなってきたなと思いながら俺が答えると、前方から元気いっぱいな歓声が上がった。
なんだ、と声の上がった方を見ると、数人の少年少女が、一人の女性に手を振りながら走っている。
「けーね先生バイバーイ!!」
「せんせーまたあしたー!!」
と口々に声を上げる子供たちは、蒼髪交じりの銀髪の女性に手を振っている。
「こらこらー!きちんと前を向いて歩けー!気をつけて帰れよー!」
と、子供たちを叱りながら、女性は手を振り返している。
子供たちは笑いながら、俺たちの横を通り駆けていった。
彼らを見送っていた女性は、自然と俺たちの方を見て、「おや」と呟いた。
「こんにちわ。慧音」
「やあ、アリス。と」
慧音と呼ばれた女性は、アリスに片手を上げると、観察するように俺を眺める。
「君は……」
「ええ。外来人よ」
俺の代わりに、アリスが答えた。
「ああ、ということは、博麗神社に向かっているのか」
「あ、そうです」
慧音さんは合点が言ったように頷いたので、俺も頷き返す。
「ふむ、しかし君が外来人を保護するなんて、意外だな」
慧音さんは僅かに首をかしげ、アリスを見る。
「意外って?」
「ああ。魔理沙の言うところによると、君はいつも家に篭りきりだそうじゃないか」
「アイツ……」
アリスが僅かに顔を顰める。
一方の俺は、慧音さんの言った人名と思わしき単語が引っかかった。
……マリサ……?
「どこで保護したんだ?」
慧音さんは訝しむ俺の様子には気づかず、アリスに問いかける。
「家の近くよ」
アリスが答えると、慧音さんは当惑したようにまた首をかしげた。
「家の近く?君の?」
「ええ」
「……確か、君の家は魔法の森にあったと記憶しているが」
「ええ。その森で保護したの」
慧音さんは当惑顔を俺に向ける。
俺は二人の会話の意味がよく分からない。
「あの、何か?」
恐る恐る慧音さんに問いかけると、慧音さんは視線を反らし、表情を引き締めた。
「いや、失礼。引き止めて悪かったな」
「いいえ」
アリスが首を振った。
「……気を付けて、帰りなさい」
慧音さんは、俺を見て微笑んだ。
彼女の言動の意味がよく分からないまま、俺は頷く。
「あの、はい。ありがとうございます」
主人公は家に帰る事にしたようです。
で、すぐに博麗神社、というのも淡白なので人里に寄らせました。
ついでに露骨に伏線も撒いてます。
今回もそれなりにほのぼのしてるんじゃないでしょうか。