東方己分録   作:キキモ

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四十八話 無邪気で狂気

『――――……………………』

 

 

 

 

…………ん…………。

 

 

 

 

 

無意識に、ゆっくりと瞼を開いた。

見慣れない天井に小さく息を漏らしながら、自分の目元をなぞる。

僅かだが、濡れていた気配がある。

 

泣いていたみたいだ。

 

動機が速いことを意識して、今度は大きく深呼吸。

分厚いカーテンの隙間から入ってくる細い光を見ながら、ぼんやりと想い起こす。

 

夢を見ていた。

内容は覚えていない。

けど、なんの夢だったかは分かる。

俺が元いた世界の……正確には、あの人たちの夢。

 

「…………」

冷静に、かつ客観的に鑑みて。

 

どうやら俺はホームシックに陥っているらしい。

らしいというか普通にホームシックだった。

 

思えば、幻想郷に迷い込んで半年。

どうして今更と思わなくもないが、きっかけがあるとするなら間違いなく先日の騒ぎの折、永遠亭に担ぎ込まれたときに見た夢が原因だろう。

夢、というよりも、あれは死に瀕した記憶が呼び起こした一種の走馬灯だったのかもしれない。

 

「はあ…………」

ここ最近で一番大きなため息が漏れた。

「帰りたい…………」

二つの意味で。

 

体を起こしながら見れば、そこに広がるのはワインレッドで彩られる洋風の部屋。

カーペットも壁紙も、カーテンベッドテーブルクローゼット花瓶ドアに至るまで、ほぼほぼ赤系の色で統一された景色に、気が重くなる。

 

 

紅魔館。

 

 

別名、悪魔の館やら、吸血鬼の屋敷やら呼ばれる建物であり、以前幻想郷を脅かしたとされる紅魔異変の首謀者レミリア・スカーレットが住む危険な場所である。

そして非常に残念なことに、俺が目を覚ましたのが……つまり宿泊したのが、その危険地帯の一室だった。

 

いつもならば、里の外に出る際は安全策として分身を残しているし、この紅魔館を定期的に訪れる際だって、それは例外じゃない。

だが、今は能力未使用状態、つまり分身がいない。

イコール、バックアップなし、死んだら消滅ではなく人生終了。

にも関わらず現在地は危険度高に分類される屋敷の一室。

 

それが俺の現状だった。

 

 

…………早まったかな。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

「あら悠基、よく来たわね」

分厚いカーテンに陽光を遮られた部屋にいつものように入ると、レミリア様は顔を上げた。

天井に添えられた光源のよく分からない明かりが室内を照らしている下、レミリア様は幼い体躯には不釣り合いに見える漆の机の上で、羽ペンを手になにやら書類仕事をしている最中だったようだ。

 

「どうも…………」

彼女の正面に歩みよりながら、挨拶をする。

今の俺を事情を知らない人が見れば、とんでもなく失礼な男に見えるだろう。

なにしろ、思いっきり顰め面をしているし、不満たらたらな空気を微塵も隠そうとしていないのだから。

だが、予想通りというかなんというか、レミリア様は俺の態度に怪訝な様子を見せない。

 

どころか、

「機嫌が悪そうね」

と、笑みを浮かべて問いかけられた。

 

「やっぱグルですか」

「なんのこと?」

「なんのこともかんのこともありませんよ……!」

顔を引きつらせながら俺は呻く。

 

「お宅のお嬢さん!」

親指で部屋の入り口に静静と立つ咲夜を指す。

 

「あら、咲夜はメイドよ」

「メ、メイドさん!いやそういうのは今は問題じゃなくてっ!」

至極当然とばかりのレミリア様の指摘に早速ペースを乱されながらも俺は声を荒らげる。

 

「そのメイドさんに問答無用でここに連れてこられたんですけど!」

「貴方がここに初めて来た時もそうじゃなかった?」

「あ、あの時はねえ」

顔の筋肉が引きつり始めた。

 

「分、身、を!里に残してたんですよ!今回は分身する暇もなし!一緒にいたうちの生徒の眼の前でいきなり咲夜に連れ去られたんです!」

驚きの中で目を丸くした伍助の顔があっという間に遠のいていった記憶を呼び起こしていると、レミリア様がすかさず言う。

「お姫様抱っこで?」

「ひ、っ~~~~ええその通りでごぜえますとも!!」

 

勢いのあまり口調が可笑しい俺を、レミリア様はケラケラと笑う。

「悠基、貴方顔が真っ青よ。それに髪もぼさぼさ」

なぜ今更そこを指摘するのか。

「この季節でもお空の上は風も強くて寒かったんですよ!それに美鈴の治療も受けられなかったし!」

豪風吹き荒れる中で、もし咲夜が手を離したら……という末恐ろしい考えが浮かんだ時はさすがに死を覚悟した。

 

「いったいどういうつもりなんですか!?」

興奮のあまり相手が危険度極高の吸血鬼であることも構わずまくし立てると、レミリア様は「まあ落ち着きなさいよ」と満面の笑みで言ってくれやがった。

 

「咲夜から話は聞いてるでしょ?」

「……俺をここで雇うという話ですか」

一瞬唖然としかけた。

 

「そのためにこんなことを?」

「ええ、そうよ。どう?悪い話じゃないわよ」

「どう、と言うのでしたらねえ……!人を拉致するようなところで働きたいわけないでしょ!帰らせていただきます!」

気づいたときには思いっきり啖呵を切っていた。

更に、興奮冷めやまぬ俺は、そのまま答えも待たずに踵を返す。

初めてレミリア様に対面した際、相手の強大さに完全に萎縮していたあの頃の自分が見ていたら、間違いなく度肝を抜かれる光景だろう。

 

だが、振り向いた俺の目前には進路を遮るように咲夜が立っていた。

「さ、咲夜っ」

「…………」

無言で圧力を放ってくる咲夜に息を呑み立ちすくむと、後ろからレミリア様が…………いやもう敬称はいいや。

レミリアが声をかけてきた。

 

「ねえ、悠基。話だけでも聞いていきなさいよ」

その言葉を無視して咲夜をどう避けようか思考を巡らせようとしたところで、レミリアは更に言ってくる。

「それとも、あの時みたいに咲夜に捕らえてもらわないと、落ち着いて話も出来ないかしら」

 

体中の筋肉が一気に強張るのを感じた。

『あの時』というのは、まず確実にレミリアに初対面し、血を吸おうと迫ってくる彼女から逃れようとした時の話だろう。

 

不覚にも、体感温度が若干上昇した気がする、だが。

役得とか、そういうことを楽しめるほど俺は自分の欲望には素直ではなかったらしい。

じりじりと、腕を上げながら迫ろうとする咲夜に思わず後ずさりする。

「…………」

頬を引きつらせながらぎこちなく振り向くと、レミリアは微笑みを受かべて俺を見据えていた。

 

「ねえ、どうしてほしい?」

「…………は、話を聞くだけですからね」

「分かってもらえて何よりだわ」

 

こういうのを、『詰んでる』というんだろうか。

この話を断るには相当な困難な待ち構えていることを予感した俺は、最後のあがきとばかりにぼやく。

 

「どの口が言いますか」

「この口よ」

まるで見た目相応の少女のように、レミリアは自分の口端を引っ張った。

あどけないとも表現できるあざとい動作に、俺は心の中で呟く。

 

 

 

 

畜生、可愛い。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

そして、『交渉』の結果として、晴れて俺は紅魔館の使用人として働くことが決まった。

意外だったのは、俺を交渉の場に着かせるまでの流れがあんなに強引だったのに、反して交渉自体は一部を除いてまともな話し合いに終わったことだ。

 

レミリアは少なくとも、俺の生命と心身の無事と人としての尊厳は保証すると言っていた。

人里から拉致られた時点で『人としての尊厳』を著しく犯されている気がするが、ここに宿泊する以上、彼女の言葉を信じるしか無い。

俺が連れ去られた後の人里だが、咲夜曰く以前ほど騒ぎにはなっていないらしい。

あくまで咲夜の主観の話だが、その話を聞いて思わず閉口した。

 

契約として決められた仕事の内容は大きく分けて三つ。

紅魔館の使用人として働くこと。

一日一度、試作した洋菓子をレミリアに献上すること。

そして。

 

…………おそらく、この契約内容に関しては、その場にいなかった人が聞けば耳を疑う内容かもしれない。

少なくとも、縁起を執筆中である阿求さんに叱られることは確定だろうか。

 

「いつもすいません」

無表情で見据えてくる少女の姿を浮かべながら声に出してみる。

『いつになったら自重という言葉を覚えるのですか?』と、笑顔になった阿求さんが問いかけてきた。

自分の想像とはいえ耳の痛い話だ。

 

「急にどうしたの?」

「――え゛」

 

真横からの声。

俺に充てがわれた紅魔館の自室、俺しかいないはずの部屋の中。

にも関わらずすぐ真横から声をかけられ、寝起き気味だった頭は一気に目を覚ました。

 

振り向けば、俺が体を起こしたベッドに腰掛けて体を捻り振り返る形で、金髪の少女が思いの外近くで俺を見据えていた。

「っだ、誰?誰!?」

衝撃で思わず飛び起きながらベッドの上を後ずさる俺に、少女は僅かに目を丸くする。

 

「お姉様が言ってたわ」

「へ?え?お姉、様?」

「人に名前をきくときはまず自分からだって。違うの?」

「この場合は違うと思うけどな……」

「そうなの?」

 

唐突に礼節を問われて困惑しながらも、俺はやや緊張しながら少女を観察する。

幼い容姿に、紅魔館に勤めるメイド妖精かと一瞬考える。

ただ、枯れ枝に巨大な宝石の実が成っているように見える異質な造形の羽に目を奪われそうになるが、よく見ればこの少女の顔、つくりがあの人とよく似ている。

さらに言えば、「お姉様」という発言を考えれば。

 

「いいわ。じゃあ私からね。私はフランドール・スカーレット。フランでいいわよ」

スカーレットというファミリーネーム。

やっぱりこの子、レミリアの親族、というか多分妹だ。

 

というか、推定妹がいるなんて聞いてないですよーレミリア様。

 

勤めるのなら住人の紹介はしてほしかったが、結局昨日は地下を除く大体の部屋と使用人としての仕事を簡単に教わっただけだ。

霖之助さんから以前聞いた話、確か紅魔館には魔女も住んでいるらしい。

 

「次は貴方の番」

「ん?あ、ああ。俺は岡崎悠基」

おっと、俺はここの使用人になるわけだから、敬語にしたほうがいいか。

「今日から、ここで勤めさせていただきます」

 

「ふぅん」

相槌を打つフランの目つきは少々気だるげだ。

そんな様子を少々気にしつつ、俺は取り急ぎそれ以上に確認したい事項を問いかけることにした。

 

「あの、フラン様」

「んー?なあに?」

フランは間延びした返事をする。

「いつの間に、俺の部屋に?」

 

「え?……貴方が起きるちょっと前からよ?起きそうだったから隠れて様子を見てたの」

「あの、この部屋、鍵がかかってたはずなんですけど……」

喋りながら、フランの頭越しに視線を部屋の入り口へ向ける。

 

あれ?

あれれ?

おっかしいーなー。

ドアの鍵をかける部分が思いっきり拉げてるー…………。

 

俺の視線に気づいたらしいフランが振り返ってドアを見る。

「ああ、だって入れないじゃない?」

「えぇ……」

なんで「さも当然」みたいな顔で認めてるんだこの子。

 

「前はドアを吹き飛ばしたら怒られたから気をつけたのよ?」

「えぇー……」

なんで「褒めてもいいわよ」みたいなドヤ顔なんだこの子。

 

というか、ドアをぶっ飛ばすような妹がいるなんて聞いてないですよレミリア様。

 

あどけない顔でとんでもないことを言ってのけるフランにドン引きしながら、俺の頭の中では警鐘が鳴り始めていた。

万が一の話だけど、この子……襲ってこないよな?

襲われたらひとたまりもないんだけど……いや、さすがにその辺の常識はあるよね?

あるよねえ!?

 

「あの、なんでこの部屋に入ってきたんですか?」

「え?あー」

自慢げに笑みを浮かべていたフランが首を傾げた。

 

「えーと、お散歩してたのよ」

「お散歩」

「そしたらね、知らない人間の気配がしたの。ここから」

「気配」

「だからね、こう、キュッ、と」

「キュッ、と」

「だって鍵がかかってたもの」

「……」

 

『キュッ』で何をしたのかは分からないけど、ドアを破壊する擬音なのだけは分かった。

冷や汗が流れてくる。

「さ、さいですか……」

 

そんな俺の様子にフランは相も変わらず観察するように俺を見据えてくる。

「ねえ、えっと、悠基だっけ」

「はい?」

フランの真紅の瞳が俺の目に真っ直ぐ向けられた。

「なんで泣いてたの?」

 

フランの問いかけに目を瞠る。

だが、寝ているときから見ていたというのなら、その様子も見られているのは至極当然だろう。

 

少し気まずい思いで答えあぐねていると、続けてフランは問いかけてくる。

「怖い夢?」

もしかして、気を遣っているのだろうか。

戦々恐々とした心境の中で、不意にそんな考えが沸いた俺は微笑んで見せる。

 

「……いいえ、優しい夢ですよ」

「優しい夢なのに泣いてたの?変な人間なのね、貴方って」

「よく言われます」

 

思わず苦笑まじりに返す。

夢を見る程度には落ち込んではいるが、夢の内容自体は自分にとってかけがえのないものだ。

フランと話しながらそのことを意識すると、不思議と夢の中の誰かが俺を勇気づけてくれている気がした。

 

ああ、それに、この子は常識は少々無いのかもしれないけど、別段襲ってくるような気配も無い。

ただ単に少し好奇心が強いだけだろう。

それに、レミリアはこの館で働く上では心身の無事を保証していたし、彼女の言葉を信用するならば過度に怖がるのもよくないだろう。

 

「あのね悠基」

「ん?」

前向きに考えてもいいかもしれない。

そんなことを思いながら、なぜか上目遣いになるフランに返事をする。

「あ、はい。何か?」

「私、一つ分かったことがあるの」

 

なぜか、その時急に悪寒が俺を襲った。

フランが浮かべる笑みに、「おや?」と内心違和感を抱く。

弓なりに細められたフランの瞳がギラリと光った気がした。

 

 

 

 

 

「貴方は新しい玩具ね?」

 

 

 

 

 

あかん。

 

衝撃的な言葉に思わず息が止まった。

笑みを浮かべるフランドールから、先程とうって変わって猟奇的な気配を感じる。

 

というか、大人の男に対して「新しい玩具」なんて問いかける妹がいるなんて聞いてませんよレミリア様!!

現実逃避気味に内心叫びつつ、一刻も早くこの場から脱する方法を考える。

 

「あ、あの、玩具ってどういうことですか?」

この状況下で玩具というワードに平和的な響きを感じる人間はいないだろう。

部屋の隅に配置されたベッドの上、背中に当たる固い壁の感触が追い詰められたことを意識させられる。

 

「前にもね、こんなことがあったの」

フランは言う。

「お姉さまを殺すためにバンパイアハンターがこの屋敷に入り込んだの。使用人としてね」

「俺は本当にただの使用人ですよ」

 

この部屋唯一の出入り口はフランを挟んで反対側。

「それだけじゃないわ。泣いてたのに優しい夢を見てたって、とっても不可解。意味がわからないわ。だから、貴方はきっと、使用人を装った暗殺者」

ちょっと何言ってるか分からない。

 

「ねえ悠基」

フランの口端が更に釣り上がった。

「貴方はどれくらい遊んでいられるの?その男はお姉さまを殺そうとしてただけに強かった。でも、やっぱり簡単に壊れちゃうの」

怖っ。

 

窓も少し遠い。

だが、フランは確実に吸血鬼だ。

吸血鬼の弱点たる陽の光があれば、あるいは逃げられる可能性はあるかもしれない。

 

「多分一秒と持ちませんよ」

とはいえ、彼女がむざむざとそれを許すとは思えない。

ベッドから飛び出したとして、窓に駆け寄る前に捕まるかもしれない。

 

「そもそも、闘う気もないです」

閃光魔法でひるませるか?

勝算は見いだせるかもしれないが、どちらにしろ一か八かだ。

 

「つれないこと言わないでよー」

だとすれば保険をかけてみるか。

少し怖いが、やっておいて損はないだろう。

 

「ねえ、私と遊びましょ?」

「勘弁してください」

 

俺とフランが乗っかっているベッドの下。

少し埃っぽいが、こんなこともあろうかと人一人隠れられる程度の空間があるのを確認しておいた。

 

「…………っ!」

状況が切迫しているのもあって、迷いなく俺は能力を発動させる。

バチン、と頭のなかで小さな爆発が起きたかのような錯覚。

 

能力による分身は、半径数メートル内であれば出現させる位置は多少融通がきく。

薄い壁越しならばその場所に分身として現れることも可能だ。

とはいっても、視認できない位置に現出するのはさすがに怖すぎるから、こんな能力の使い方は滅多にしたことがない。

 

とりあえず、分身が出現したこと、記憶が流れ込んでこないことから、おそらくベッドの下ではもう一人の俺が息を顰めているはずだ。

これで、保険の準備はできた。

 

さて、仕掛けるか――。

「ん?」

不意に、フランが視線を下へ向けた。

「気配が増えた……」

「…………」

明らかにベッドの下にいるもう一人の俺を見ているかのような言動に、悪手を打ったことを悟った。

 

お、俺の馬鹿野郎…………!!

そうだね確かにフランがこの部屋に入ってきたのは俺の気配を感じ取ったからだからそりゃすぐ傍に隠れてれば知覚できるよね完全に失念してたよ!!

 

「アハ」

笑い声を漏らすフランに自責していた俺はギクリと肩を竦ませる。

 

「貴方もそんなことが出来るのね?」

言いながら、掌をかかげるフラン。

まるで掌の上に見えない何かを乗せているような仕草に、俺は訝しむ暇も与えられなかった。

不意に掲げた掌を閉じるフランを見る俺の耳に、どこからともなく「キュッ」という高い音が聞こえた気がした。

 

 

――――っ。

埃っぽい暗闇の中、息を顰めて隠れていようと思った矢先にくぐもって聞こえる『変な能力持ってるのね?』という少女の声。

そこからほんの少しの間を置いて、その記憶は唐突に途絶えていた。

 

「っ!?はぁ!?」

流れ込んできた記憶に、一瞬何が起こったかわからなかった。

というか、今も何が起きたのか分からない。

少なくともベッド下に潜ませた分身が消滅したことは確か。

 

「私も同じことが出来るのよ」

混乱する俺に畳み掛けるようにフランが言った。

 

「禁忌『フォーオブアカインド』」

呆然とする俺の眼前で、フランドールは両手を広げる。

自慢げに微笑む彼女の姿が霞んだかと思うと、次の瞬間すでに彼女は彼女たちとなっていた。

 

「「凄いでしょ?」」

フランたちの四重の声と、目前の光景に目眩がした。

 

現実逃避をしたくなるような状況の中で、どこか冷静な俺が内心納得した。

こういうのを、『詰んでる』というんだろうな。

 

「さあ、悠基」

「楽しみましょ?」

「私、こういうのは久しぶりなの」

「簡単には終わらないでね?」

そうして、俺に弁解の余地を与えること無く、フランの内の一人が、鋭い爪の生えた腕を俺の首に伸ばす。

もはや俺には為す術もなく――

 

 

「妹様」

 

 

――さ、

「咲夜」

愕然とする俺の代わりに、フランドールが振り向いた。

 

部屋の入り口、一部拉げたドアを開いて立つ少女。

このようなピンチを助けられるのは二度目。

十六夜咲夜と呼ばれる、日本人離れした容姿の銀髪の少女が、粛々と普段通りの装いで立っていた。

 

「お戯れが過ぎますわ」

え?

今までの全部悪ふざけだったの!?

咲夜の言葉に俺は瞠目し、咲夜と正面に立つフランを交互に見る。

 

「私は本気よ?この人、お姉さまを殺しに来たんでしょう?」

本気じゃねえか!!

 

「…………なにがどうなってそういう考えに至ったのかは分かりませんが、彼はお嬢様たっての希望で雇うことにした人間です」

「お姉さまの?」

「ええ。ですから、どうかその辺で」

「ふーん」

 

フランが視線を俺に向ける。

息を呑み、その視線を受けとめていると、「そう」とフランは興味を失ったかのようにベッドから飛び降りた。

同時に、彼女の分身が霞のように消滅する。

 

「分かったわ……ふわぁ」

不意に大きなあくびを上げたフランはヒラヒラと掌を振る。

「じゃあ、私は寝るわ。おやすみ咲夜」

「はい。妹様」

 

「おやすみ、悠基」

チラリと視線を向けてくるフランに、俺は固まりそうになりながらなんとか頷く。

「お、おやすみなさい」

 

僅かに笑みを浮かべると、そのままスタスタと去っていくフラン。

彼女の姿が見えなくなってやっと、俺は自分の心臓が痛いほど鼓動していることを自覚した。

フランを見送った咲夜が歩み寄ってくる。

 

「大丈夫?悠基」

「咲夜」

 

震えの止まらない体を掻き抱きながら、俺は咲夜を見る。

ポロリと、弱音のような言葉が漏れた。

「おうちかえる」

 

幼児退行した俺の言葉に、咲夜は一瞬微妙な顔を浮かべ、嘆息した。

「…………もうちょっとだけ、頑張りましょう?」

 

彼女にしては珍しく、気を遣った言葉だった。

 




フランドールとのファーストコンタクトです。おそらく主人公のこれまでの出会いの中で随一と言っていいくらい最悪の初接触でしょう。果たして主人公はフランとほのぼのと会話できるようになるのでしょうか。乞うご期待ということで。
ちなみにですが、主人公は紅魔館に宿泊する上で寝間着としてガウンを借りています(一応肌着は着用)。
つまり今回はガウン姿の男と幼女が同じベッドの上で会話をするという中々に危ない絵面に。うわあ。

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