四十七話 転機に迷う
「せんせー!」
「お」
昼前時。
寺子屋敷地前をいつものように掃除していると、甲高い声を掛けられる。
見れば、見知った少年が走り寄ってくるところだった。
「やあ、伍助」
「こんにちわ!ゆーきせんせー!」
「うんうん。いい挨拶だ」
目線を合わせるようにしゃがみながら、伍助の頭をぽんぽんと叩く。
「でも今は授業中だから静かになー」
俺の言葉に伍助は大袈裟に両手で自分の口塞いで何度も頷いた。
伍助はこの季節、家が忙しくなる関係で寺子屋を休んでいる。
人里では一般的な話で、農家の子供は忙しい時期は暫く寺子屋を休む風習らしい。
「ん?」
と伍助が首を傾げる。
「なんでせんせーは授業してないの?」
「ああ、元からそういう話でな」
そもそもの話として、俺が寺子屋で臨時の教職員として仕事があったのは、生徒が増える冬場に人手が必要だったからだ。
さらに言えば、幻想郷に迷い込んだばかりで食い扶持さえままならない俺に、慧音さんが半年という期間限定で仕事を与えてくれたのだが、昨日その期間が終わり教員の任を解かれたことになる。
契約期間が終わっただけの話。
任期満了でいいのかな。
そんな話を噛み砕いて説明すると、伍助は「ほぇー」と分かっているのか分かっていないのか、はたまた興味があるのかないのか分からない反応を示した。
難しかったかな?
「じゃあせんせーはせんせーじゃ無くなったってことかー」
改めて言われると普通にきつい。
「……よく分かってるじゃないか」
若干ヘコみながら伍助の頭を再び撫でてやる。
「えへへー」
照れくさそうに笑う伍助に「こやつめー」と両手でぐしぐしと頭を激しく撫でると、「うおおおおおー!」と元気が有り余っているのか無駄に全力で抵抗してきた。
楽しい。
とまあ、そんな具合で戯れつつ、暫くして一息つく。
「それで?今日はどうかしたのか伍助」
「んぁ?……あ、そうだった」
ぼっさぼさになった頭を気にすること無く伍助が思い出したように声を上げた。
「ねーちゃん、とつがなくても良くなった!」
「――そうか!」
沈みがちだった気持ちが報せを聞いて一気に浮き上がる。
「……そうかそうか。良かったなあ」
「うん!」
満面の笑みで頷く伍助の頭を再三撫でてやりながら(ついでに髪も直しながら)しみじみと伍助の姉、お春のことを想う。
幼い身の上で嫁ぐ話が決まっていたお春だが、彼女の婚約者である若旦那は人格者で、お春が乗り気でないなら無かったことにしても良し、そうでないならば責任を持って幸せにしようと断言する伊達男だ。
先日の事件の発端……お春が妖怪につけ入れられたのは、お春の心に迷いがあったからだろうと慧音さんは言っていた。
その迷いの原因が彼女の周辺環境にあるというのなら、縁談の話はその筆頭に当たるだろう。
『よくやってくれたな、悠基』
事件翌日、永遠亭から戻り里の人間にもみくちゃ――比喩ではなく、もみくちゃ、という表現以外浮かばないような状態だった――にされた俺に若旦那は言った。
『よくあの子を助けた。次は俺の番だな――』
その後は男どもに捕まり、英雄だのなんだのと言われながらの胴上げが始まったのでよく聞き取れなかった。
だが、おそらく若旦那は今回の事件を口実に縁談の話を白紙に戻したのだろうという確信があった。
「姉ちゃんの様子は?」
ただ、ここで気がかりなのが、お春だ。
例え乗り気でないにしろ、家族の幸せを願って縁談を受けるほどに責任感の強い彼女のこと、この結果について自分を責めなければいいのだが……。
気になって問いかけてみると、伍助は満面の笑みを浮かべた。
「前よりも元気そうだよ!」
「……ああ、なら良かった」
弟の伍助がそう言うのなら、間違いではない、と思う。
もしかしたら、それはあくまで伍助の主観であり、お春は敢えてそう振る舞っているかもしれない。
ただ、なんだかんだで賢い伍助の迷いの無い答えに俺は安堵する。
経過を見る必要はあるが、今回の事件は最終的には良い方向に転がりつつあるようだ。
安堵に思わず笑みが浮かぶ。
災い転じてなんとやら、かな。
でもお春を誑かした妖怪は許さないけどな!
心の片隅で静かに怒りを燃やしていると、伍助がたじろいだ。
「せんせーなんか怖いぞ……」
「うっ……」
顔には出さないように意識していたつもりだったが、それでも俺の逆ポーカーフェイスにはあまり意味は無かったらしい。
あるいは、やはり伍助の勘が鋭いのか。
……いや、それ以前に、小さい子の前でこういう邪念を抱くのはあんまりよくないな。
「悪いな伍助、なんでもない」
「だったらいいんだけどさー」
頭の後ろで手を組む伍助は、さして気にした風でもない。
おおらかなのか能天気なのか、あるいは大物なのか、そんな伍助の態度に微笑ましく思っていると、ふいに伍助は「あ」と思い出したように声を上げた。
「そういえばせんせー」
「どうした?」
「なんでけえき作るのやめちゃったの?」
その言葉は、まるでその部分だけ抜き取ったかのようにやけにはっきりと聞こえた。
思わず呼吸を止めかけて、慌てて深く深く、盛大に息を吐く。
「…………耳が早いな」
「耳?速くなるの?」
ちょっと難しかったか。
俺は「そういう意味じゃないよ」と苦笑する。
ただ、少々その笑みがぎこちなかったのか伍助が心配そうに顔を歪めた。
「せんせー?大丈夫か?」
心の中で嘆息が漏れる。
全く…………子供に心配されるほど態度に出てるとは。
自覚はなかったが思った以上に堪えているらしい。
「あんまり……」
茶化し半分で割りと素直に答えると、伍助が手を伸ばしてしゃがみこんでいる俺の頭をぽんぽんと撫でた。
「元気出せ?な?」
「伍助ぇ……ありがとな……」
天使かこの子は。
大げさに言って、少々涙目になりながら伍助の慰めに癒される。
なんともなさけない様相だけど、この件に関しては割りと落ち込んでいるので今だけは見逃してほしい。
見逃してほしいのだ。
だから構うこと無く俺のところにまっすぐと近付いてくるけど足取りの割に視線に明らかに哀れみを込めたそこのお嬢さん一旦それ以上近付くのをやめてください。
「なにしてるのよ貴方……」
充分に近付いたところで大いに呆れを含んだ声をかけられて、俺は「見逃してって言ったじゃん(言ってない)」と心の中でぼやいた。
彼女の接近に気付いていなかったらしい伍助が「ふあ!?」と声を上げる。
呆れた視線をこちらに寄越して立つ少女。
俺は少々気まずい思いで目を反らし、反して伍助は目を丸くして彼女を見上げる。
「えっと、メ、なんかのお姉ちゃん!」
「メイドでございますわ」
「メイドさん!」
「…………無闇に人を指差すなー」
ころころと表情の変わる伍助にこっそりと癒やされながら、突然現れた少女を……紅魔館のメイド長、十六夜咲夜を指差そうとする伍助の腕をやんわりと下げさせる。
嘆息して気を取り直しながら、俺は立ち上がった。
「やあ、咲夜……来るとは思ってたよ」
あるいは、はたてや妖夢あたりもそのうち来るかな、という予想はあった。
はたては甘味処に入り浸っているし、咲夜も妖夢も以前俺が作る洋菓子を求めてわざわざ俺の家に訪れたくらいだ。
今回の件を受けて俺の元を再び訪ねてくるだろうことは容易に予想できた。
「そう」
俺の言葉に咲夜は短く答え、真っ直ぐ俺を見据えたまま小さく首を傾げた。
「それで、悠基どうして甘味処を辞めてしまったの?」
「…………まあ、事情があってね」
どこか遠くをぼんやりと眺めながらあまり話したくないオーラを出してみる。
それでも構うこと無く視線だけで話を促してくる咲夜。
と、ついでに咲夜から隠れるように俺の足にしがみつく伍助。
いつまでも現実逃避もしてられないか。
俺は嘆息を交えながら、結局話を始めることにした。
阿求さんから暇を貰い、慧音さんとの契約を終えた俺が、本職とするつもりだった甘味処を去ることとなった――即ち、職を失い見事に無職の称号を手に入れるまでの経緯を。
…………自分で言ってて辛くなってきた。
* * *
時間は今朝まで遡り、甘味処、厨房にて。
甘味処の主人、玄さんがボーリング球くらいの大きさの壺を抱え神妙な面持ちでその中を覗き込む。
同じくらい神妙な顔で俺がその斜め前に座り、その隣には玄さんの娘である千代さんが、玄さんの顔を見る。
全体的に重苦しい空気の中で、やや大きめのお匙を手にした玄さんが壺の中身を一掬いする。
掬い上げた壺の中身は生クリーム。
俺が作るケーキにおいて必要不可欠といっても過言ではない材料だ。
匙で掬ったその生クリームに玄さんは鼻を近づけ、暫く匂いを嗅ぐ。
厳しい視線を匙に向けたのち、ほんの少しだけ口の中に含み、飴玉を転がすように口を動かした。
その表情からは何も読み取れないが、壺を横に置き腕を組んだ玄さんは、反応を待ち続ける俺達の顔を厳しい顔でたっぷり十秒かけて交互に見てから、最終的には大きくため息をついた。
「限界、だな」
その言葉に心臓が十センチは落下したような気がした。
俯いて大きく息を吐き出すと、自分の動機を意識する。
きちんと左胸に収まった鼓動を感じて妙な安心を覚えた俺は、顔を上げて玄さんの顔を再度見た。
「駄目、てこと?」
いつもは快活な千代さんも、今回ばかりは声のトーンが低い。
千代さんの問いかけに、玄さんは迷いなく頷いた。
「ああ」
玄さんは俺を真っ直ぐ見据える。
「このクリームは傷み始めている」
俺がこの甘味処に雇ってもらったのは、外来人――正確には違うが――である俺の知識によって再現した洋菓子が商品として認められたからだ。
俺が作る洋菓子の殆ど全てにおいて、生クリームは換えが効かない材料だ。
だが、その生クリームを作るには様々なコストが発生する。
まず一つに、大量の生乳を使うこと。
これに関しては採算が取れる程度にはケーキが売れていたから問題はなかった。
だが、もう一つ、製作工程で必ず長時間加工した生乳を寝かせておく必要があり、これが問題だった。
生クリームの開発に成功したのは冬場だったが、このころは室温がほぼそのまま冷蔵庫と同程度であり、作業場内に生乳が入った壺や瓶などを置いておけばよかった。
だが、気温が上昇すれば食物というものは傷みやすくなるもので、俺が作った生クリームは特に足が早かった。
「悪いが……客に出せる物じゃねえ」
つまるところ、今までのように俺が作成した洋菓子を売り出すには、生クリームが傷んでいて不可能だと、玄さんは俺に言っていた。
「……覚悟はしてました」
一ヶ月以上も前からこの問題は懸念していた。
だが、有効な対策を立てられず、結局この日を迎えてしまったことになる。
そして今までのように洋菓子を出せないとなれば、腹をくくらなければいけない。
「玄さん、千代さん」
「悠基さん?」
「…………」
訝しげに千代さんが眉を顰め、一方の玄さんは表情を変えることなく黙って俺の言葉の続きを待つ。
若干の深呼吸。
そして俺は、はっきりと宣言した。
「今までお世話になりました。本日限りで、辞めさせて頂きます」
* * *
俺の宣言は明らかに一方的なもので、その言葉を聞いた玄さん千代さん親子からはその後苛烈な反対を受けた。
それから揉めに揉めた結果として、俺に命じられたのは現代で言う退職ではなく休職。
半年間、涼しくなってまた生クリームが作れるようになるまで甘味処をお休みするという扱いだった。
とまあ、そんな話を伍助と咲夜にし終えたところで、俺は再び嘆息した。
「せんせーまた撫でてほしいか?」
伍助が背伸びして俺の頭に向けて手を伸ばすが、身長差がありすぎて指先が顎に触れるていどだ。
「ありがとな。気持ちだけ受け取っておくよ」
教え子の健気な気遣いに目頭が熱くなる。
いつも以上にに脆い涙腺に、改めてかなり落ち込んでいることを自覚する。
どうやら菓子作りの仕事について、俺は自分で思っている以上に気に入っていたらしい。
とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかないな。
無理をして明るく振る舞うつもりはないが、かといってこれ以上伍助に気を使わせるのも元教師としては気が引ける。
とりあえず、と俺は何か考え込むように顎に手を当てた姿勢で黙って話を聞いていた咲夜を見た。
「そういうことだから、秋まで甘味処はお休み。でも、咲夜の力があればケーキ自体は多分作れると思うから、レミリア様にそう伝えておいてくれ」
俺の作るケーキを随分と気に入ってくれているらしいレミリア様への伝言だ。
対して、咲夜は「確認したいことがあるのだけど」と返事の代わりにそんなことを言う。
「貴方、今は仕事がないのよね?明日からどうするの?」
もうちょっと言葉を選んでほしいなあ、などと心の中でぼやきつつも、俺は力の無い笑みを浮かべた。
「いやまあ、なんとかはなるよ。幸いこの時期の農家は人手を欲しがっているところが多くてね。働き口はあるだろうから、食べるのに困るってことはないかな」
それに分身能力もあるし、決して楽観的な考え方じゃないと思う。
「そう……ねえ、いいかしら?」
咲夜は首を傾げ、上目遣いで俺を見る。
「提案があるのだけど」
「提案?」
「ええ」
不意の言葉にオウム返しに問い返すと、咲夜は頷いてそのまま話を続けた。
「あなた、ウチで働いてみない?」
「ウチねえ……………………」
……………………。
……………………。
「……………………え?」
「う、ウチって」
「もちろん」
あまりにも唐突な提案に思考がフリーズしかけている俺に、咲夜は頷いてみせた。
「紅魔館よ」
「うおおおおおー!」
呆然とする俺の横で、なぜか伍助が興奮した様子で声を上げる。
…………声を聞きつけた慧音さんに叱られるのも時間の問題だな。
真っ直ぐ見つめてくる咲夜の視線を受け止めながら、俺はぼんやりと、そんな比較的どうでもいい感想を抱いた。
新章です。オリキャラ多め。
例によって例のごとくといいますか、しばらくは風神録とは無関係な話が続きます。前回ほど長くはならないはず……おそらくは。
幻想入りしたオリ主が紅魔館で(執事として)働くっていうのはよく見ますね。お前もか、と思った方には申し訳ありませんが、拙作もそうなりそうです。
開幕早々無職(正確には違いますが)になった主人公ですが、今後共ほのぼのとよろしくお願いいたします。