『――――』
………………………………………………………………。
『――――』
…………………………………………?
『悠基君』
『悠基』
…………あ、この声。
『ユウ』
『ユーキ』
…………ああ、うん。
『岡崎』
『岡崎くん』
『悠基さん!』
『岡崎先輩』
『ゆうちゃんセンパイ』
『ゆうちゃんさん!』
『岡崎サン』
おー。
『ゆうき』
『岡崎ぃー』
『悠基』
『ユウ兄』
はいはい。
『ゆう』
『ザキさん』
『悠基君』
『ゆうちゃーん』
『―――』
『―――』
『…………』
『 』
うん。
分かった、分かったって。
『悠君』
『悠基』
……………………うん。
『バカユーキ』
「せん、せい?」
「………………ん」
…………誰?
呼ばれてる。
ああでも…………お布団温かい…………。
「せんせい」
「ん~」
温かいものに包まれての微睡みというのは、どうしてこうも心地いいのか。
二度寝という甘美な響きを浮かべつつ、いつものように今日は休みだったか記憶を辿る。
その工程で、俺を呼ぶ声の主にハタと思い至った。
「悠基先生?」
再び声を掛けられた瞬間に、俺の意識は微睡みの中から一瞬で覚醒した。
「春!?」
同時に掛けられた布団を跳ね飛ばさんばかりの勢いで俺は飛び起きる。
「ひゃう」
と可愛らしい声と同時に、春と呼ばれる少女がたじろぐように身を引くところだった。
ていうか思いっきり尻もちをついていた。
うわあ。
春だ。
間違いない。
頬に大きな絆創膏のようなものが貼られてる。
でも、元気そうだ。
いや、落ち着け落ち着け。
「……お春?」
「えっと、先生?」
「お春、なのか?」
「え?は、はい。そうです、けど。それより先生」
疑問符だらけの会話の合間に、彼女は不安げに周囲を見渡す素振りを見せる。
和風の座敷部屋に布団が二つ。
西日が障子越しに部屋の中を照らし、室内を朱に染める。
見覚えのある景色だった。
今は些細な問題だ。
「あの、ここはどこ――」
「怪我は?」
「ほぇ?」
「怪我はないか?」
「え、はい」
「痛いとこは?」
「ない、です」
「気分は?」
「大丈夫です、けど」
「…………そうか」
肺の空気を全部吐き出すような大きなため息が自然と漏れた。
……………………そうか。
そっか。
そっかそっか。
「あの、せんせ、え?」
戸惑うような春の顔がぼやけて歪む。
困惑と驚きの入り混じった声を上げる春の目前で、俺という大の大人は次の瞬間ぼろぼろと涙を流し始めていた。
幻想郷に来て以来随分と弱まった涙腺だったが…………最速記録更新だろう。
嬉しくない。
嬉しいから泣いてるわけだけど。
「せ、先生!?だ、大丈夫ですか!?」
「……うん。うん」
涙声で鼻を啜り、俺は大袈裟に何度も頷いた。
「大丈夫……大丈夫だ…………うん、良かった……無事で……うっ」
まあ、俺の醜態は置いといて。
怪我はしてるし、突然泣き出した俺に物凄い困惑してるけど、でも、元気そうだ。
春、良かった。
無事で、本当に良かった。
夢じゃないよな?
ああ、でも、覚えてる。
ちょっと朧気だけど、全部。
「せん、せい」
不意に聞こえた春の声は震えていた。
……あ。
慌てて流れるままにしていた涙を拭うと、既に春の瞳にも、溢れんばかりの涙が溜まっていた。
「ぅあ、春、すまん!驚かせるつもりじゃ――」
「いえ、違う、違うんです」
慌てて慰めに入ろうとする俺に春は首を振る。
落ちた雫が布団の上に染みを作った。
「私、暗いところにいて」
鼻をすすって、春は涙を拭う。
「何もしてないのに体は勝手に動いて」
「……うん」
混乱した様子の春の言葉に、俺は頷き静かに促す。
「それで、ずっと一人ぼっちで、いつのまにか体、動けなくなってて」
大粒の涙が数滴零れた。
「そしたら、せんせの、声」
「ああ、ああ」
「それで、ほっとして…………う、怖かった…………怖かったよ…………」
それ以上は、嗚咽で分からなかった。
「もう大丈夫だ。安心しな」
そっと、春の体を抱き寄せる。
本格的に涙を流し始めた春は、俺の胸で嗚咽を上げる。
「うう……うっ……」
「大丈夫。大丈夫だ」
そんな春の背中を、小さな子供をあやすようにポンポンと叩きながら……いや、大人びた言動をしていたところで彼女もまた子供なのだから、と俺は微笑ましく思う。
「俺がいる。もう怖くないからな」
「せんせ……うっ……~~!!」
安堵からか、再び目頭が熱くなってきた。
そのまま溢れる涙を拭おうともせず、ただただ泣きじゃくる少女を慰めてやる。
そうして、「な、何事!?」と襖を開けて開口一番に頓狂な声を上げる鈴仙と、「おやおや」と含み笑いを浮かべるてゐの二人が訪れるまでの十分近く、大の大人と一人の少女が揃って号泣するという、何も知らない人から見れば戸惑ってしまうような状況は続いたのだった。
* * *
そういうわけで、俺と春が寝かされていた部屋は、迷いの竹林の屋敷、永遠亭の一室だった。
……たとえ知人であり患者だからといって、大人の男と少女を同室で寝かせておくのはどうかと思うけど。
運びこまれた記憶はないが、部屋の造りに見覚えがあったことと、軽い治療を施された春がいるという状況からここが永遠亭だというのはすぐに分かった。
その春だが、一応の検査という名目で、鈴仙とてゐに連れられ診察室に行っている。
「悠基も後で診断するから、ちょっと待ってて」と鈴仙に告げられた俺は、縁側に腰掛けて永遠亭の中庭を眺めていた。
そろそろ空が赤くなろうかという頃合い。
春の行方不明事件が発覚した朝方だったから、ざっと六時間は寝ていたようだ。
未だに混乱が残る頭の中を整理していた俺は、視界の端、こちらに近付いてくる少女に気付いた。
「目が覚めたのね」
「……アリス」
低くなった日の光を背に縁側沿いに中庭を歩く少女は俺の少し横で止まった。
「隣、いいかしら」
「いいよ、どうぞ」
軽く頷いて、彼女が座る場所を確保するように少しだけ左に位置を動かす。
そんなことをしなくても充分なスペースはあったけど。
「……目が赤くなってるわね」
腰掛けたアリスが俺の目を覗き込んできた。
少々照れくさくなりながら、「まあ、ちょっとね」と腫れぼったくなってしまった目元を意識する。
十分も泣いてれば、そりゃ酷い有様にもなる。
「それよりもさ、ありがと、アリス。また助けられた」
話題を逸らすように礼を言うと、アリスは予想外の返しをする。
「また貸しが出来たわね」
「た、そ、そうだね」
「冗談よ」
思わぬ言葉にがっくり肩を落として苦笑してみせると、相変わらずの真顔でアリスは言った。
「それでなんだけど」
本題とばかりに、僅かにアリスの声のトーンが変わった。
「何があったのか聞いたわ。人里で急に倒れたって」
「……ああ、うん」
深く吐き出して、ゆっくりと頷く。
「でも、腑に落ちないことがあるの」
「腑に落ちないことって?」
「さっき……といっても何時間も前なのだけど、貴方は言ったわね。分身が里が残ってる、と」
「ああ、そうだね」
少しだけ朧気だが、記憶はあった。
致命傷を負った瀕死状態で絞り出した苦し紛れの言葉も、その結末も。
「私は、嘘だと思ったわ」
「…………」
アリスになんと答えようか考えあぐねる。
何があったのか、どこから話そうか、まだ少し混乱が残っているのか言葉が出てこない。
答えるのを迷っているように見えたのか、アリスは話を続けた。
「あの時、貴方が魔法の森にとどまり続ける理由はなかったし、それに怪我も酷かった。分身した貴方は大怪我を負うと消えてしまうのでしょう?」
「そう、だね。そのはず」
確かに、と俺は内心頷く。
今回負った怪我は……思い出すのも躊躇うほど悲惨なものだったと思う。
一瞬とはいえ意識も手放していたし、出血量を考えても致命傷であることは間違いないだろう。
ただ、あの時のアイツは……。
「多分、だけど」
不意に浮かんだ考えを、躊躇いながら口にする。
「『死ねない』って思ったからじゃないかな」
「『消えられない』、じゃなくて?」
ノータイムのアリスの返しに、俺は目を瞠る。
『消える』とは能力の解除による分身の消滅を指しているのだろう。
能力を使用中であるならば、いくら怪我を負っても能力を解けば分身の片割れにその傷がフィードバックされることはない。
怪我が原因で死ぬことはないのだから、普通ならば『消えるわけにはいかない』と思うはずだとアリスは言っているのだ。
「貴方は勘違いしていたのね?」
押し黙る俺に確信を持った様子アリスは問いかけてくる。
「分身能力を使っていないと」
「ああ、うん。その通り」
隠し立てることでも勿体ぶることでもない。
素直に頷いてみせる俺をアリスは無言で見つめて話を促す。
怪しい部分もあるが、ある程度頭の中の整理ができた俺は口を開いた。
「以前話したかもだけど、分身能力を使うには制限がある」
「時間と人数ね」
「うん」
もしかしたら、彼女は概ねの予想を付けているのかもしれないと、即答するアリスを見てそんなことを思う。
「そう。短時間で連続して分身能力は使えないことと、分身中に新しく分身することは出来ない……えっと、言い換えれば、同時に存在できるのは二人までってこと、かな。
それで、里に分身がいないって勘違いしたのは、魔法の森で分身能力を使ったからなんだ」
「でも実際貴方は里に残ったままだった」
「そうだね。まあ、つまりは俺は……分身した俺たちは、同時に三人存在していたってことになる」
里に一人、魔法の森に二人。
一時的にとは言え計三人に俺は分身していた。
唯一里に残った俺はこうして健在であり、魔法の森で闘い抜いた分身が果てた今、その記憶が引き継がれている。
俺の言葉に、アリスは無言で頷いた。
特に驚くようでもない彼女の様子に、やっぱり予想をつけていたのかと感心。
「有体に言って、能力がパワーアップしたってことになるのかな。そのときは全然気付いてなかったんだけど」
「理由を考える余裕が無かったのね」
まるで見ていたかのように正確に言い当ててくる。
「……魔法使いって、心も読めるの?」
感心に若干の呆れを交えて問いかけると、アリスはすまし顔で応じてみせた。
「そこまで想像するだけの材料なら充分にあったわ。さて、悠基」
「ん?」
「次の質問。里で何があったの?」
無意識に呼吸を止めていた。
「突然倒れるなんて尋常じゃないわ」
考えてみればアリスが疑問を持つのは当然なのに、俺にとってはその質問は予想外だった。
いや、意識してそのことを考えないようにしていたのかもしれない。
「倒れる前から、貴方の様子がおかしかったと聞くわ。前触れもなく急に女の子が魔法の森にいることを言い当てたそうね。永琳は肉体的に見れば問題ないと言っていたけど、暗にそれ以外に原因があると言ってるようなものね」
「…………」
はっきりと覚えているし、傍目から見れば様子がおかしかったことも、倒れる原因も、なんとなくではあるが予想はついていた。
「どうなの?」
ふー…………。
気持ちを落ち着かせるために深呼吸すると、俺はゆっくりと話し出す。
「分身が消えると、その記憶は残った俺に引き継がれる」
前提として、能力の性質を再確認。
「ええ」
小さく頷き、アリスは続きを促すように俺を見つめた。
「最初に記憶が流れ込んだのは、俺が……えっと、里に残ってる方の俺が、里の外での捜索に合流しようと決断しかけた時だった」
里の外で捜索をしていたもう一人が、リグルから手がかりをもらい魔法の森で倒れている春と発見したこと。
一ツ目の妖怪と闘い、ヤツの咆哮に不意を突かれ敗北したこと。
最初の記憶はそこまでだった。
「それで、春が魔法の森に倒れていることを知った俺は、急いでこのことを慧音さんや霊夢に伝えようとしたんだ」
だが、その時点で、あまりにも絶望的だと俺は気付いていた。
一ツ目と闘ったアイツが消えた時点で、一ツ目は春にターゲットを変えるだろう。
その事実を一刻も早く伝えようにも、都合よく霊夢たちが近くにいるわけでもなく、例えすぐにその場に急行できたとしても、一ツ目が春に手をかけることを防ぐには到底間に合わない。
「そうやって、焦っている内に二回目の記憶が流れ込んだんだ」
分身能力を発動した俺が覚悟を決めて一ツ目と闘ったこと。
串刺しにされながらも自爆覚悟の魔法『クラッカー』を一ツ目に叩き込んだこと。
これが、その時に流れ込んできた記憶だった。
「そのときに、俺は耐えきれなくなって気絶したんだ」
「耐えきれなくなった?」
アリスは訝しげに俺の言葉を繰り返す。
「記憶が流れ込んでくることに?」
「うん。おかしいよね。今まで何度も何度も分身して、消える度に記憶が流れ込んできた。その記憶に驚くことはあったけど、それで意識を失うとか、体調を崩すとか、そういうことはなかった」
アリスの視線を受けながら、俺は独白するように話を続けた。
「でも、その時は違ったんだ。一度目の記憶が流れ込んだ時、『春を助けないと』って焦りで無視していたんだけど、強烈な違和感があったんだ」
左手を見る。
今はそんな違和感は無いが、自分の
「気絶している中でに三度目の記憶が入ってきた。夢を見たと思ったけど、その割にはっきりと覚えてて、夢じゃないって分かった」
左手を目前まで持ってきて、開いて閉じてを繰り返す。
そこに感じた違和感は今はないが、それでも想い起こすのは森で闘ったアイツの記憶。
――「ハハハ」――
自分が死ぬかもしれないってときに、笑っていた。
――「俺は、いい」――
自分が死ぬってときに、それを自然に受け入れていた。
どう思ったかもどう感じたかも覚えている。
だから、ソイツの心境を理解は出来るのに、同時に理解出来ない。
「アイツは…………」
開いた左の掌を見つめながら、俺は呟く。
能力を日常的に使うようになったころ、こんなことを危惧した。
分身直後の俺たちは全く同じ人間。
だけど、時間が立って異なる経験を積んでいく内に全く違う人間へと変化していく。
そうして全く違う俺たちになった時、俺は違う自分の記憶を受け入れられるだろうか、と。
能力を何度も使うに連れてそんな不安は薄れていった。
だが今回、持続的な生命の危険と緊張の中に晒されたせいなのか、それとも別のきっかけがあったのか、忘れかけていた不安は現実の物となった。
「アイツは、」
「悠基」
ポン、と軽く肩を叩かれた。
ギクリと身を竦ませながら、俺は我に返る。
考えに没頭しすぎていた。
「顔色が悪いわ」
「ごめん。まだ混乱してるっぽい」
自嘲気味に苦笑する。
「そう…………ねえ、あれ」
ひとまずは、といった様子でアリスは頷くと、不意に視線を明後日の方向へ向けた。
彼女の指差す先を見ると、ヒラヒラと空中を舞うソレが目に入る。
見守る俺たちの視線の先で、ソレは不自然な軌道を描きながらちょうど俺の開いた掌の上に舞い落ちてきた。
目を丸くしながらソレを摘み上げる。
大きさは人の小指程度の幅と長さの、薄い物体。
鮮やかな黄色のそれを見ながら、俺は自然と呟いていた。
「花びら?」
* * *
翌日の昼下がり。
太陽の畑と呼ばれる向日葵畑の隅に建つ小さな一軒家。
二週間振りに訪れた俺は、少し緊張しながら派手な損壊をどうにか修繕したらしい扉をノックした。
中から声が聞こえ、軽い足音が扉越しに近付いてくる。
「や、ぁ……」
扉を押し開いた少女に軽く手を上げてみせた直後、俺の表情筋は強張っていた。
「や~~~っと来たわね人間!どれだけ待たせるのよ!」
「……メ、メディスン?」
赤いリボンを揺らしながら、ジト目で俺を睨みつけてくる少女。
いつぞやに俺を毒殺してくれた妖怪、メディスン・メランコリーの出迎えに俺は目を丸くする。
「悠基」
家の奥から幽香が顔を出した。
「待ってたわ」
「あ、やあ幽香」
「
「やっぱりあの花びらは幽香のだったんだね」
勘違いかもしれないと少しだけ思っていたのでほっとする。
「ええ。分かりにくかったかしら」
「迷いの竹林で向日葵の花びらなんて、君しかないとは思ったよ」
「そ。良かったわ。さあ上がって」
「うん……そうしたいのは山々なんだけど」
頷いては見るが、メディスンがいる事情が分からない俺は動けない。
ついでに言えば腕を組んで仁王立ちしているメディスンが玄関から動かずに俺を睨み続けているので物理的に家の中に入りずらい。
「メディスンも。お掛けなさいな」
「嫌よ」
幽香に声をかけられたメディスンが振り返る。
「用事が済んだらさっさと帰るわ」
「それは分かるけど、そこにいると悠基の邪魔よ」
困ったように幽香は苦笑する。
「それとも…………ねえ?」
…………え、なにその意味深な「ねえ」は。
唐突に言葉を切った幽香に俺は困惑する。
「あ、わ、分かったわよ!」
だが、困惑する俺の目前で、なぜかメディスンは慌てた声を上げた。
「ほら、あんたも!早く!」
「あ、ああ」
さっきとうって変わって俺を促してくるメディスンに、俺は事情がわからないままにとりあえず従う。
「…………」
ああでも、と漂ってきた紅茶の香りに気持ちが落ち着いてきた。
先に着席したメディスンを気にしつつ、丸テーブルの入り口側の椅子に座ると、幽香が見計らったようにお盆を持ってきた。
同時に、俺は「あー」と気まずい思いで声を漏らす。
幽香の家に訪れるときは大概茶菓子を持参していたのだが、立て込んでいたのもあってほぼ手ぶらで来ざるおえなかった。
特に約束していたわけではないが、恒例でもあったので少し心苦しい。
「ごめん幽香。お菓子忘れた」
「あら、そう」
「え~~~~!?」
特に気にした風でもない幽香に反して、なぜかメディスンが頓狂な声をあげる。
「なんでよ!」
「いや、いろいろあって」
なぜメディスンに怒られるのか分からないままに首を振る。
永遠亭に一晩泊まってから里に戻ったときは、萃香の事件や紅魔館訪問のとき同様に、それはもういろいろと面倒な話になっていた。
思い出すと気疲れするので割愛するが、おかげで幽香の家に来るのが午後になってしまったのはこのせいである。
「ていうか、なんでメディスンがここに?」
メディスンの言い方からして、まさかとは思うが俺に用事でもあるのだろか。
だとしても以前会ったときは一言も交わした記憶はないし、まったく検討がつかない。
「そんなこといいわよ!それよりお菓子を忘れるなんてどういうつもり――」
「メディスン」
「……な、なんでもないわよ!」
「う、うん?」
幽香の呼びかけに急に意見を変えるメディスンの様子に俺は曖昧に頷いて応じる。
とりあえず上下関係がはっきりしているのと、俺の茶菓子を楽しみにしていたのは分かった。
幽香から話でも聞いたのだろう。
「ところで、待ってたって、いつから?」
花びらの連絡が来たのが昨日の夕方ごろ。
それ以外はなんのメッセージも無かったので行けるならなるべく早いほうがいいとは思ったが、あんなことがあった日の夜に出向くというのは心境もあって気が向かなかった。
まさかとは思うが、花びらが届くころからずっと待ってたわけじゃないだろう。
「昨日からずっとよ!」
まさかだった。
「えぇ……」
「言っとくけど私だって好きで残ってたわけじゃないわよ!コイツが『コトが済むまで待ってなさい』とか言って返してくれなかったの!!」
「そうなの?」
にわかに信じがたい話に俺は幽香を見る。
「ええ。そうよ」
マジか。
あっさりと頷かれて目を丸くする。
幽香がそこまで強情なことをするのは珍しいが、もしかしたら何か重要な話なのかもしれない。
「それよりメディスン」と視線をメディスンへ向ける幽香をまじまじと見ながら、俺は気持ち身構える。
「文句を言う前に、悠基に言うことがあるでしょう?」
配膳をしながら幽香が言うと、メディスンは思いっきり顔を歪めた。
すごく嫌そうだ。
その嫌そうな顔でなぜか俺を睨んでくる。
ちょっと傷つく。
「なに、かな?」
困惑しながら問いかけてみるも、彼女は口を開こうとはしない。
「メディスン」
幽香が彼女の前にカップを置いた。
カチャリという陶器の揺れる音が引き金になったかのように、メディスンは悶えるように声にならない声を上げた。
「~~~~~~~!!」
そうして、メディスンは顔を赤くして俺を指差してくる。
「に、人間!」
「お、おう」
「…………………………悪かったわよ」
「……うん?」
目を逸らし、ぼそりと呟くメディスンに、俺は申し訳なく思いつつも首を傾げるしかない。
こちらとしては彼女に謝られる謂れがない。
あと、なにかとんでもないことでも言われるのでは思っていた手前、言っては悪いが拍子抜けしたのもある。
「~~~!!」
反応が気に入らないのかやっぱり俺を睨むメディスンだが、「フフ」と幽香が笑って助け舟を出した。
「この前貴方を襲ったことを謝ってるのよ」
「あー……」
俺を毒殺したことか。
「えっと、そりゃあ全然気にしてないわけじゃないけど、でも人里の外で襲われても文句は言えないから……」
妖怪は人を襲うもの。
里の中は保護された空間だとしても、外に出れば自分の身は自分で守るしかない。
幻想郷で住む以上、さすがにそのことは弁えているし、その件で謝られる謂れもないと思う。
「違うわ悠基」
「えっと、なにが?」
「貴方は私の大事なお客様なのだから、失礼をしたら謝るのは当然じゃない」
「あ、だ、大事、ですか」
気恥ずかしくなって頬を掻くチョロい俺に、幽香はくすりと笑う。
「ね?面白いでしょ?」
と、「面白い」という感想を本人の前でどうどうとメディスンに問いかける幽香。
メディスンは顰めっ面のまま「バカじゃないの」と腕を組んだ。
* * *
そのあとも、まあなんやかんやとあったのだが、前回とは違って――というか前回がイレギュラーだっただけで――メディスンを交えた幽香とのお茶会は平和に終わった。
先に帰ろうとするメディスンに「今度はお菓子を忘れないようにするよ」と伝えたら「二度と来ないわこんなところ!」と怒鳴られた。
……とは言いつつも、また来そうだなあとは思うけど。
帰り道。
既に空は赤く、気持ち足を速める。
例のごとく里に分身は残しているが、今夜は里に帰ると一人でゆっくり考える時間がなさそうな気がする。
つまるところ、里に残る俺はおそらくいろいろともみくちゃにされている可能性は無きにしも非ずだったので、徒歩で帰路につくことにした。
……それにしても、と内心俺は嘆息する。
メディスンに謝られたとき困惑したように、妖怪が人を襲うことに関しては受け入れている。
だが、それはあくまでも里の外での話だ。
今回の事件は妖怪が里の中の春に何かをしたらしい。
妖怪と人間が共存するこの幻想郷において、これは明確なルール違反だろう。
それも、周囲の環境に翻弄されるいたいけな少女の心の隙に付け込んだ悪質な犯行。
今回は奇跡的に軽症で済んだが、それでもトラウマになりかねない(俺はちょっとトラウマになってる)事件だ。
握る拳に力を入れる。
例え相手がなんであれ、一発パンチは確定かな。
と、俺にしては珍しく物騒な決意を固めることにした。
「ねえ」
「っ」
唐突に声を掛けられ、内心物騒なことを考えていた俺はギクリと肩を竦ませた。
恐る恐る声のした方を見ると、一本の桜の樹を背に、一人の少女が腰掛けている。
いや、腰掛けている、というかあれは膝を抱えて座る、俗に言う体育座りという姿勢だ。
膝の上に顎を乗せ、なぜかジト目で俺を見る少女に、メディスンに睨まれたときのことを思い出しながらも、俺は目を丸くする。
「君は……」
長い金髪に、日の光に染められ赤みがかかった紫紺色のドレス。
先日……幽々子に絡まれた後に出会った、あの謎めいた少女だった。
しかし、そのときは言いしれようのない不安を感じたのに、なぜか今回はそういった雰囲気は微塵もない。
どころか、怒ってる……いや、これはどちらかといえば不機嫌……?
「座っていきなさいよ」
少女は――結局名前を教えてもらっていない――自分の隣の草地を叩く。
力を込めて叩いているようでもないのに、ぽんぽん、というよりも、ベシベシ、という擬音の方があいそうな印象である。
「…………ああ」
不思議に感じつつも、俺は少女の言葉に素直に従うことにした。
よっこらせと少女の隣に腰掛けながら横目で見ると、向こうはいまだに俺にジト目を向けてきている。
なんだか今日は(見た目)小さい子によく睨まれるなあと思いながら、俺は「それで」と口を開いた。
「どうかしたの?」
「別に、悪気がなかったといえば嘘になるわ」
呟くように話し出す少女の言葉はなんのことかさっぱりだ。
だが、とりあえず黙ったまま続きを待つ。
「でも、これには理由があったのよ。なのに、あんなに怒ること無いじゃない」
……なんだろ。
言い方からして、イタズラかなにかしでかして、こっぴどく叱られでもしたのだろうか。
そんな憶測を立てて少女を見ると、確かに拗ねているようにも見える。
というかこれ多分拗ねてる。
「あー、よくは分かんないけど」
なんと言って上げればいいのか、言葉を探しながら俺は頭を掻く。
「悪いことをしたと思ってるなら、まずは素直に謝ろ?」
少女からの視線がますます厳しくなるが、俺は苦笑しながらそれを受け止める。
「でも理由があって仕方なかったんだろ?大丈夫。叱ってくれるような相手なら、話も聞いてくれるし、きっと仲直りできるさ」
事情は分からないので当たり障りのないことしか言えないが、それでも誠意を持って接するのは大切だと教わっている。
「だから、まあ、なんというか、頑張ろ?」
拳を握ってのガッツポーズを見せると、なぜか少女からの視線に哀れみが篭ったような気がした。
何も言わず無言で俺を睨む少女。
だが、暫くして視線を反らしと、彼女はようやくボソリと呟く。
「……悪かったわよ」
なんだか、さっきのメディスンを想い出す光景だ。
誰に対しての謝罪なのかは知らないが、それでも素直に自分の非を認めるのはいい傾向だ。
彼女の言葉に俺は満足げに頷いた。
「そうそうその意気その意気」
満足気に笑ってみせる俺に少女はなぜか嘆息する。
「違うわよ」
その言葉はやっぱり不満げで、俺は首を傾げるしかない。
ただ、機嫌を直したのか、目つきは少しだけ穏やかになっていた。
不意に視線を正面に向ける少女。
「これも、もう終わりね」
「コレ?」
唐突に話題が変わった気配を感じながら、俺は彼女の視線に習うように正面を見る。
広がるのはただただ疎らに木々が茂る風景と、黄昏時直前の紫色の空のみ。
強いていうなら、先日のような季節に関係なく咲き乱れる花々は減り、混沌とした光景は随分と落ち着いていた。
「この異変も」
「ああ、そういえば」
どうやら彼女が見ていたのはその光景だったらしい。
少しずつ夜の帳が訪れていく景色の中で、あの光景は二度は見れないだろうと思うと名残惜しさがある。
混沌とはしていたが、賑やかで華やかで、結構気に入っていた。
だから最後に、と俺はその光景を焼き付ける。
日が沈み、闇が深まる黄昏時の世界の中で、結局名乗る気がない少女とともに。
そうして、花映塚異変と名付けられたこの異変は、緩やかに、静かに、曖昧に、幕を閉じた。
更新が遅くなって申し訳ありません。そしていつもより更に長い。
というわけで花映塚編ラスト。そういえば異変でしたね、というか花映塚ほとんど関係ないですね、みたいな。
主人公の能力が一段階強化されました。活用方法に幅が出て夢が広がりますね。作者的には破綻要素も大きくなったのでドキドキも一入です。
四十二話から始まった一連のお話に関しては、主人公の視点で言えばもやもやとしている部分はあれど、一件落着といったところです。
次回からは新章。気持ち的には今回からですが、ほのぼの路線(?)も復活です。復活してくれ。