東方己分録   作:キキモ

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四十四話 死闘と切札と、

相対する一ツ目が、目を更に大きく見開いたと思うと、突然胸を逸らす。

先制を仕掛けたのは相手。

 

巨眼の下の裂けた口が僅かに開かれ、空気が動く音がはっきりと聞こえた。

 

「っ」

予想通りなら対処は容易。

耳を塞いで心の準備。

 

「ウ゛オオオオアアアアアアアア!!」

「――――」

咆哮。

先の戦闘の形勢を簡単に覆した攻撃。

空気を震わす巨大な咆哮が、ビリビリと俺の肌を撫でた。

 

押される。

強烈なプレッシャーが空気の塊となって体を叩いているような錯覚。

だけど…………耐えれなくもない。

 

空気だけでなく周囲の木々すら揺さぶる咆哮が途絶えた。

やや激しくなりかけた息を落ち着かせる。

大丈夫だ。

体は動く。

 

「オオオオオォォォォ!!」

次いで、一ツ目の取った行動は突進。

肩を進行方向に付き出してのショルダータックルは、巨体も相まって見た目以上の迫力がある。

 

俺は避けるように真横に走り出しながら、頭の中で状況を整理する。

分身能力が使用可能になる時間制限は五分前後。

 

それまではまともな反撃手段はない。

だからこそ、一ツ目の攻撃を見て対処する完全受け身の戦い方に予定を変更。

多分、こっちの方が幾分か向いている。

 

里の外で妖怪に襲われた際は、そのほとんどが背を向けて全力で逃げの一手を打っていたのだ。

そのおかげか、回避に集中し間合いをとり続けるこちらの戦い方の方が多少向いてる感じがする。

 

一ツ目は俺を追うように軌道を変えて迫ってくるが、魔法の森という地形が俺に味方していた。

俺の胴よりも二回りは太い幹を持つ木々は一ツ目の突進を阻む障害物だ。

一ツ目が構わず突っ込んだ樹がミシミシと嫌な音を立てるが、へし折れるということはなかった。

その木々の間を駆け巡り、妖怪と比較すれば遅い俺の足で、どうにか一ツ目の追随を凌ぎ続ける。

 

「オオァ!!」

苛立ち混じりの怒号が上がり、俺は振り向く。

一本の樹を挟む反対側に、一ツ目の巨体を確認。

近付いてきてる、けど。

 

背を向けた逃走状態からの転身――からのぉ……

「『フラッシュバン』!」

その手を翳した先で、ちょうど一ツ目が障害物の樹を避けて顔を出したところだった。

 

「ガゥッ!」

突然の光撃に怯む一ツ目。

初見じゃなくても意表を付ければ効果はある。

 

ヤツの動きが止まったところでその横をすれ違うように走り抜ける。

音に反応し、鋭爪の生えた腕が振られるが、間合いはしっかり見切っていた。

 

「どうしたマヌケ!俺はこっちだ!」

挑発も交えながら、若干の距離を置く。

冷静さを奪えば、それだけ意識が俺に向けられる。

標的を春に変更すれば止める手立てはないのは変わらない。

だから、その可能性の目は摘んでおく。

 

「コン……ッアアアアアアアア!!」

激昂を交えた咆哮。

体が鈍るが、動けないほどじゃあない。

距離を取って軽く息を着きながら一ツ目を観察するように注視。

逃げに徹していれば、なんとかそれくらいの余裕は作れる。

 

時間はどれくらいだ?

どれくらい稼いだ?

数える余裕はさすがにない。

 

三十秒はたったかも。

でも、一分も立っていないと思う。

どちらにせよ、まだ分身は出来そうにない。

 

自分の魔力がどの程度残っているかを知覚。

数発分の閃光魔法は撃つ余裕がある。

オーケイ。

さっきの木刀を使った闘いよりは、危なげはない。

 

思考を巡らせつつも一ツ目からは警戒を逸らさずに見る。

咆哮を上げてからは、何故か動かない。

時間が稼げるので有り難いが、あまりにも不穏な気配は不気味に…………っ!

視界の先、木々の合間に見える一ツ目の巨体から、禍々しい煙のようなが物が沸き立つのがはっきりと見えた。

 

――おい、おいおいおいおい。

 

本能か、経験か、危険な空気をひしひしと感じた。

可視化された妖力なのか、粘性を感じさせるどす黒い気体は一ツ目の頭上で一つの球を形取る。

次の瞬間、嫌な予感に囃し立てられた俺は咄嗟にすぐ側の樹の影に跳びこんだ。

 

パパパッ、と散発的な光の明滅を視界の隅に捉える。

直後、球から放たれたソレが、俺が一瞬前にいた地面を弾き飛ばした。

「っ…………!」

間一髪、樹を盾に逃げ込んだ俺の口から無意識に悲鳴が漏れる。

 

いくつもの光弾が群生しているキノコを弾き飛ばし、草花を蹴散らし、樹の幹を抉る。

すさまじい破壊の光景と轟音に俺は目を閉じ歯を喰いしばった。

 

――弾幕。

『ごっこ』じゃない。

殺傷能力抜群の弾幕だ。

周囲を蹂躙する絨毯爆撃のような攻撃。

 

――こんなのまで出来るのかよ…………!!

 

激しい弾幕は数秒ほどで止まった。

安堵で大きく息をつく。

周囲をぐちゃぐちゃにした光弾の弾痕からは、湿った地面を焦がすような煙が燻っている。

折れる寸前まで光弾に抉られた樹から恐る恐る顔を出して一ツ目の様子を伺うと、さっきと同じ場所で同じように背を向けて立っていた。

 

一ツ目は視覚以外にも俺の居場所を探知する能力がある。

緩慢な動きで振り返るヤツは、半ば隠れるようにしていた俺へと、迷いなく血走った目を向けてきていた。

体からは、僅かながらもあの色付きの煙が僅かに立ち昇り続けていた。

 

「コ、、、ロ、、、ス。。。!!」

怒鳴り散らすような声とは打って変わった低い声。

しかし、はっきりと殺意を漲らせた声に、俺の生存本能が警鐘を激しく鳴らした。

 

ああ、こりゃヤバイな。

有体に言って、一ツ目はブチ切れていた。

それはもう、いつもの俺なら即決で全力逃走を試みるほどに。

 

――ったく。

荒い息を整えながら俺は敵を見据える。

こっちが優勢になったと思ったら、いとも簡単に状況を覆してくれるものだ。

僅か数分の時間稼ぎが随分と遠く感じる。

 

ただ、今回ばかりは、こっちも覚悟は決まっている。

「やってみろよ……!」

 

相対するように身構える。

ただし、正面からぶつかり合うつもりは甚だ無かった。

 

「ウォオオオオオオオオオオオ!!!」

魔法の森を揺るがさんばかりの咆哮が上がる。

 

急速に収束する禍々しい煙に、俺は咄嗟に駈け出した。

明滅。

背後で轟音。

 

別の樹の影に飛び込む。

弾かれた土塊がビシビシと体を叩く。

 

弾幕が止んだ隙を掻い潜るように、走り始める。

俺を追う巨体に、手をかざして閃光魔法を撃つ。

 

「キクカァ!!」

「…………っ!」

 

一ツ目もさすがに対策を取り始めた。

閃光魔法と言っても、要はただの強い光。

俺が魔法を繰り出すタイミングで魔法の発生源に遮蔽物を添えて光を遮れば、対策としては充分だろう。

むしろ、一ツ目の知能が言動通りの低さだったから今まで通用していたというだけだ。

 

「ウオォオ!!」

吠え声が上がる。

同時に、背後で明滅の気配を感じた。

 

三度目の弾幕。

連続で長時間使用は出来ないにしたって、破壊力の割に再発射までのスパンが短い。

 

対する俺は障害物を盾にするしかない。

あんなの反則だろと内心愚痴るも、そんな空元気のような余裕もあっという間に削がれていく。

 

そこからは、綱渡りをするかのような駆け引き。

一手でも間違えれば多分詰むし、間違えなくても詰むかもしれない状況。

ただ走り逃げ回るしかない俺は、それでも全力で抗う。

 

――光弾が弾いた木片が頬を掠めた。

生暖かい感触が頬を伝う――

 

逃げて転がって飛び退いて牽制して隠れて、死力を尽くして頭を常に回して集中を切らすこと無く、凌ぎ続ける。

 

――体が重い。

体力の限界が見えてきた――

 

わずか数分。

 

――予想以上に接近してきた一ツ目の爪が迫る。

鋭い一撃は、左腕を僅かに裂いた――

 

されど、その数分は、

 

――またしても光弾。

咄嗟に跳びこんだ木の影で、抉られた右肩に奔る灼熱の痛みに呻く――

 

何度、死線を超えれば至ることができるのか。

その答えは、

 

チリチリと、最善手を打とうと回していた頭が焼けるような錯覚を覚える。

 

「う」

足がもつれ、土塊を散らしながら転倒する。

長時間の緊張と全力で動き続けた体が悲鳴を上げ、脳が酸欠を訴えていた。

 

「ウォオオオ!!」

好機とばかりに迫りくる一ツ目に、これ以上の時間稼ぎは無駄と心を決める。

 

「っ、あああああ!!!」

肩の痛みで動かすのが辛い右手の代わりに、左手に全ての魔力を込める。

それは、一か八かの賭けに見えただろう。

 

この期に及んで俺は、正面からのぶつかり合いを選択していた。

明らかに、それは自殺行為だ。

愚直な正面からの突進など、リーチで勝る一ツ目などに敵うわけがない。

 

実際に、

「っハ、」

呆気無いほどに、鋭く長い爪が、俺の腹部を貫いていた。

これで、腹に穴を空けられたのは二度目。

 

ああでも、覚悟なら、していたさ。

あまりにも強烈な異物感の直後に襲い来る激痛に、意識が飛びそうになる。

それでも俺は必死に耐えながら、不敵に笑みを浮かべて見せた。

コイツも気付いているだろう。

 

 

時間制限を凌ぎ切った俺が、分身能力を使ったことも。

 

もう一人の俺が隠れるように離れた茂みに伏せたことも。

 

俺をここで殺してもあまり意味がないことも。

 

 

それでも、ヤツは、怒りのままに俺に殺意を向けていた。

俺の腹を穿ったままの一ツ目の頭上には、あの球体。

腹に風穴を空けるだけでは満足しなかったらしいヤツは、全力を持って俺を消し炭にしたいそうだ。

 

恐い。

今は素直に、死ぬのが怖い。

痛みももう我慢出来ない。

実際に、分身を解いてこの状況から一秒でも逃げたいと、そんな衝動が激しく湧き上がる。

それら全てを黙殺し、気合で堪える。

 

あと少しだけ、持ってくれ。

 

「シネ」

実にシンプルな言葉で、一ツ目が告げる。

恐ろしい形相のやや上に浮かぶ球。

 

その球が瞬くように光を放った時には既に、俺は左腕を動かしていた。

魔力を込めた掌が突き出されるのと、光弾が体を貫くのは同時だった。

 

「『――――』」

魔法の名を叫ぶ声諸共、全てが吹っ飛んだ。

 

 

 

*

 

 

 

 

「――、――」

激しい耳鳴りが世界を満たしていた。

というよりも、耳鳴り以外の音が消えていた。

 

「――、――、―――」

荒い自分の息遣いも、生暖かい液体が流れる右肩の痛みに思わず漏らす呻き声すら、聞こえない。

 

だが、構うこと無く立ち上がる俺は、隠れていた茂みから抜け出しながら煙が上がるその場所と足を進めた。

「…………」

 

その場で爆発が起きたことを錯覚させるような焼け焦げた地面の上で、それを見る。

 

一ツ目と呼ぶその妖怪は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白目を向いて、倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぁ…………。

僅かな安堵を抱く。

 

どうやら怒りに任せて弾幕を放ったらしい一ツ目は、俺を消し飛ばすことしか考えてなかったらしい。

分身の俺諸共消し飛ばした自らの弾幕によって、ヤツの腕は悲惨な状態になっていた。

そんな様子で、しかしピクリとも動かない一ツ目の様子を見た俺は、すぐに踵を返した。

 

 

分身の消滅に伴う流れこんだ記憶の中で、分身の俺は全ての死力を尽くして一ツ目の撃破を果たしていた。

放った魔法は、名づけて『クラッカー』。

 

紐を引っ張り派手な音を鳴らすあのパーティーグッズがその由来。

言ってしまえば、ただ単に突然耳を劈くような音で相手を驚かせるだけの魔法だ。

 

「驚かせるだけ?」と、閃光魔法を習得を終えて早々にこの新しい魔法の習得を始めた折、問いかける俺にアリスが頷いたこと想い出す。

アリス曰く、精神的な攻撃に弱い妖怪に対して、驚かせるというのは俺が思っている以上に効果があるらしい。

 

「それに、あまりオススメはしないのだけど」と前置きとともに説明を続けるアリスは、音を爆発させるこの魔法は威力を上げれば簡単に意識を吹き飛ばすことも出来るとも言った。

ただし、それほど威力を上げれば、当然ながら魔法を掌から放った俺自身も意識が飛ぶ、謂わば自爆魔法のようなものだという説明に、期待に目を見開いた俺は意気消沈するのだった。

 

分身能力を使う俺としては、自爆魔法は選択肢にはあるだろうが――もちろん進んで使う気はさらさら無いどころか心の底から嫌だけど――そもそもそんな魔法を使うような状況は里の外でなければ起こりえないし、里の外にいるということは分身が里に残っているということだ。

能力の使用中は分身能力が使えないから、結局『クラッカー』は相手をただ驚かせるだけの魔法として扱うという結論に落ち着いた。

 

ただ、今回は状況が違った。

それこそ自爆するつもりで、『クラッカー』を放ったもう一人の俺はありったけの魔力を左手に注いでいた。

そのおかげで、予想以上の威力だ。

一ツ目の意識を吹き飛ばすだけじゃ飽き足らず、隠れて耳を塞いでいたはずの俺の聴力すら、一時的とはいえ奪ってしまったのだから。

「――」

自嘲気味に笑い声を漏らしたが、やはりその声はぼんやりとしか聞こえなかった。

 

なんにしろ、分身能力が使えたおかげで、なんとかなりそうだ。

…………おそらく、里で足止めを喰ったもう一人の俺が分身の解除を決断したのだろう。

記憶が流れ込んだ覚えが無いが、もしかしたら一ツ目の戦闘に必死で気づかなかったのかもしれない。

正直、理由としては納得出来ないものの、後でゆっくり考えればいいことだ。

 

痛みと疲労のせいか、どこかぎこちない動きで歩みを進める。

闘いの中で、一ツ目を引きつけ、春から遠ざけるように意識して動いていたが、どうやら思いの外離れていたらしい。

 

気持ちは急いているというのに、ペースは徒歩よりも更に遅く、倒れた春までの距離がずいぶん遠く感じる。

春の元にたどり着いても、まだ終わりじゃない。

彼女を運び、出来る限り急いで森から出る。

未だに血が流れる右肩は涙が出そうなくらい痛いし、二度も腹を貫かれた記憶のせいか、腹部からは鈍い幻肢痛がする。

冷静に考えて、ダメージが存外深刻らしい俺からしたら、途方も無い任務だ。

 

だが、諦めるつもりはさらさら無い。

絶対に、助ける。

そんな確固たる意思が俺の体を動かしていた。

 

もう数分したら、再び分身能力が使えるようになる。

分身に伴って体力を浪費するのは痛いが、この状況下で人手が単純に倍になるのは大きなアドバンテージだ。

とにかく、まずは春の元へ――。

 

気持ち僅かに足を速める。

ゆっくりと耳の中の圧迫が溶けていくのを感じた。

 

どうやら聴覚が戻ってきたらしい。

 

「――ァ、ハァ、っぐ……ッハア、ハァ」

荒い自分の吐息が聞こえる。

世界の音が蘇ったような気がした。

 

同時に気付いたのは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背後の気配。

 

 

 

 

 

 

 


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