東方己分録   作:キキモ

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四十話 異変の終わりも遠からず

「…………」

「…………」

なんという、なんという気まずさなんだ。

 

いつものように稗田邸へと訪れた俺は、いつものように阿求さんの部屋へ通され、いつものように彼女と正対する。

しかし、迎い入れた俺を見る阿求さんの冷ややかな視線はいつも通りではない。

たまに向けられることはあるけど。

 

お互い正座をし、正面から向かい合って、どれくらいたったのか。

例え上質な座布団の上と言えど、そろそろ足の痺れが耐え難くなってきた。

冷や汗は幾筋も頬をつたい、落ちた先の着物の膝の辺りを濡らしているし、それ以上に気疲れがひどい。

 

「…………」

「…………」

しかし、なおのこと彼女は喋らない。

 

黙ったまま、感情を殺したような無表情を維持し、俺の半分しか瞬きしないままに見据え続けてくる。

たかだか自分の半分と少ししか生きていないはずなのに、俺は完全に気圧されていたのだ。

 

まあ、上司だし?

雇い主だし?

恩人でもあるわけだし?

引け目があるから仕方ないし?

 

「さて」

「…………はい!」

誰へとも分からない言い訳を頭の中で唱えていた俺に、ついに阿求さんが口を開いた。

些細な変化も今は救いとばかりに、元気よく返事をする。

 

「なんですかいきなり大声を出して」

「あ、はい」

出鼻を挫かれた俺が気持ち前のめりになっていた体を正すと、阿求さんは気を取り直すように咳払いをした。

 

「以前よりお話ししていましたが、私はそろそろ縁起の編纂作業に集中しようと思います」

あ、あれ?

今完全に怒られる流れだった……よな?

「……は、はあ」

なまじ心当たりがいくらかあるた分、身構えていた俺は拍子抜けした返事をする。

 

「資料もまとまってきましたし、今起きている異変もそろそろ収束するとの噂ですからね」

「……らしいですね」

阿求さんの言うとおり、先日から目に見えて咲き乱れていた花々は次第に落ち着きを見せ、その数を減らしつつあった。

花映塚異変と名付けられた、目には楽しいこの異変もまもなく終わると、心に一抹の寂しさも残るというものだ。

 

「ですので、暫く貴方にはお休みを出そうかと思います」

これもまた、以前から聞いていた話だった。

 

「それで、暫くというのは」

「さあ……未定ですね」

「今のところは、ですか」

「この先ずっと、かもしれません」

 

つまりは、この仕事も休職、場合によっては退職というわけである。

思わず押し黙る俺に、阿求さんは笑みを見せる。

 

「いいじゃないですか。貴方は既に手に職を持つ身。食べることには困らないでしょう?」

「その説はご迷惑をおかけしました」

甘味処に就いた際は、阿求さんを怒らせ直後に呆れさせた記憶がよみがえる。

 

「いえいえ。もう気にしてませんよ。そのことは」

「ありがとうございます」

ん?今「そのこと」って。

 

「ともかくとして、妖怪の調査ご苦労様でした」

先ほど付け加えられた一言に内心首をかしげていた俺に、阿求さんは静々と礼を言った。

俺も慌てて痺れる足を我慢しながら頭を下げる。

「い、いえいえこちらこそ、お世話になりました!」

 

思えば、幻想郷に住むことを決めてあまり日がたってないころ。

特殊な力で日銭を稼ぐためにと、奮起して人里一番の旧家である稗田邸を押しかけた。

慧音さんの紹介があったとはいえ、そんな素性の分からない外来人を雇うことを決めてくれたのは阿求さんだ。

無論、幻想郷縁起を記すために情報を集めていた彼女にとっては打算的な考えもあっただろうが、それでも彼女が雇ってくれたおかげで生活の基盤を固めることができたのは揺るぎない事実。

 

「大袈裟ですよ。もう」

頭を上げると、僅かに頬を染めた阿求さんが手を上下に降る。

嫋やかなその動作は、大人の女性と錯覚させるほど気品を感じさせた。

 

「悠基さん」

不意に名前を呼ばれて、見とれそうになっていた――ロリコンではない。断じて――俺は息を呑んだ。

「は、はい」

 

「縁起の編纂が終わったら、またここに来てくれますか?」

「え?はい。それはもちろん」

思ってもみない言葉に、俺は目を丸くしながら頷く。

口元を抑えて、阿求さんは上目遣いに視線を寄越していた。

「別に、用事がなくてもいいんです。ただ、」

 

そう言って彼女は、袖を抑えながら右手を差し出す。

さながら、握手を求めるように。

 

「雇われ人として仕事で、ではなく、友として遊びに、と。そんな他愛無い理由で、来てくれますか?」

「…………」

 

世の男性に問おう。

こんなにも魅力的な誘いを断れる奴はいるだろうか。

俺はもちろん、否である。

全力で。

 

「ええ。喜んで」

辛うじて仕草は紳士的に、しかし口元を完全に綻ばせ、俺は差し出された阿求さんの手を握った。

 

 

穏やかな春の日和。

幸せな時間だった。

 

 

「ところで」

「はい?」

微小を浮かべたまま小首をかしげる阿求さんに、俺も釣られて笑顔のままで頭を傾ける。

 

 

「無縁塚へ行ったそうですね。私になんの相談もなしに」

 

 

「……………………」

体感温度が十度は下がった。

暖かな春の日差しが突然曇り、どこか遠くで聞こえる子どもたちの賑やかな声が消えた。

 

一瞬思考の停止する俺の中で、胸にストンと落ちる物があった。

さっきの沈黙はこれのことかー…………。

 

「な、ナンノコトデショウカ」

笑顔を引きつらせ、ぎこちなく視線を逸らす。

だが、握ったままの俺の手をぐいと引っ張り、顔を近づけながら阿求さんは詰め寄ってくる。

「私は言いましたよね?『絶対に近づくことのないように』と」

 

俺が無縁塚へ訪れたことは確定事項らしい。

確かに事実だけども。

 

「『友人』に嘘をつくのですか?」

 

「う゛…………も、申し訳ありませんでしたっ!」

心にグサリと何かが突き刺さるような錯覚に、俺は思わず距離を取って平伏していた。

場所が場所なので表現としては正しくないが、誠心誠意の土下座である。

 

平伏する俺の後頭部越しに、阿求さんの冷たい笑い声が投げられる。

「ふふふ……天狗の射影機でこの様を写せば、私の忠告をいい加減守ってくれるのでしょうか」

ほんの数十秒前まであれほどまでに優しい笑みを浮かべていた少女のものとは思えないほど、それは冷ややかな声だった。

 

「さて、悠基さん、顔を上げてください」

さきほどとは一転した落ち着いた声音が降ってくる。

恐る恐る顔を上げると、真剣な眼差しで見据えられていた。

妙に気圧されながら、俺も姿勢を正して阿求さんと向かい合った。

 

「無縁塚で、貴方は何を見ましたか?」

「…………靄と声を」

 

極めて端的な答えに阿求さんは頷いた。

「怨霊、それも極めて凶悪な個体でしょう」

「個体ですか」

まるで動物かなにかのような言い方に俺は違和感を覚える。

 

「そもそも、無縁塚に人も妖怪も寄り付かないのは、時にあの場所に怨霊が現れるからです。怨霊は危険な存在です。心に直接干渉し、時に同族で争わせ、時に正気を奪う。推測の域を出ませんが、肉体が強靭な分、精神的な攻撃に弱いとされている妖怪にとっても、天敵たりうる存在かもしれません。ともかく、それは貴方にも同じ……いえ、むしろ危機意識が低い分、貴方にはより危険な存在かもしれません」

 

「俺だから?どういう意味ですか?」

「能力の性質の問題です。貴方の能力による分身は消滅と同時に記憶や経験を引き継ぐ。そうですね」

「そうですけど……」

イマイチ阿求さんの言いたいことが分からない。

 

「貴方の能力であれば、妖怪に襲われたとして、肉体的な傷は残りません。しかし記憶を引き継ぐということは、同時に精神的な干渉も引き継ぐかもしれません」

俺は思わず目を丸くしていた。

「ああ、確かにそれはありえますね」

 

「なんで自分のことなのに気づかないのですか。しっかりしてください」

瞬時に厳しい指摘が飛んできて、肩身が狭くなる思いだ。

 

「とはいっても、これはあくまで憶測です。楽観視するべきではないでしょうが」

背筋を冷たくしながら不意に湧いて出たもしもの想像をする。

 

もし、あの時。

小町が来なかったら。

今頃、俺は。

 

「死神に助けられたのは幸運でしたね」

「…………ええ、本当に」

俺は心の中で小町に全霊の感謝を捧げる。

同時に、彼女の上司の姿が浮かんだ。

 

「閻魔様には思い切り説教をくらいましたが」

「四季映姫・ヤマザナドゥですね」

確認するように、阿求さんは頷いた。

「彼女の説教は長いことで有名ですから」

 

「ああ、霖之助さんも同じことを言ってましたねえ」

同意するように頷く俺だが、その言葉に阿求さんは眉を顰めた。

「おかしな言い方ですね」

「はい?」

「いえ、説教を受けたと言う割りには、まるで他人事のようでしたので」

 

「ああ……」

俺は先日の記憶を辿る。

「多分、映姫様が忙しかったためだとは思うのですが、長い説教はなかったんですよね」

その分、俺の琴線を鋭く抉り出してくるような、説教と言うには少々許容しがたい内容だったが。

言葉の割には苦い顔をする俺に、阿求さんは「はぁ」と首をかしげる。

 

「ちなみに、どういった内容で?」

「え?」

不意の問いかけに、思わず目を丸くする。

「何を言われたのですか?」

「…………話さないといけませんか」

「出来ることなら」

 

上目遣いに覗きこんでくる阿求さんにたじろぎつつ、じわじわと距離をとる。

一体何が彼女が興味を引いたのだろう。

そんな疑問を抱きつつも、しかしなにかと借りを作っている俺としては、拒否するのも気が引けるわけで。

結局俺は不承不承にため息をついて頷くのだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「おやおや」

「え」

人里からあまり離れていない道沿いで、桜並木に目を奪われていた俺は不意にかけられた言葉に呆けた声で応じていた。

 

「奇遇だねえ、お兄さん」

彼岸花を思い起こす結った赤髪を揺らし、快活な笑みを浮かべる少女。

肩に担ぐ物騒な大鎌にうっかり目を奪われかけながら、同時にその隣に立つ存在ぶ更に瞠目する。

「小町――え、映姫様!?」

「どうも」

 

春の風に緑髪を揺らし、小町を肩を並べて立つ少女が会釈した。

噂をすればなんとやらではないが、阿求さんと話をした数日後の昼下がりだった。

 

「な、え?な、なんで?」

この辺りでは見かけるはずのない二人を交互に見ながら、見るからに疑問だらけなのだろう俺を小町が面白いものでも見るように笑った。

「ま、休憩がてらの散歩でね」

 

「休憩て……彼岸から?ここまで?」

もし彼女たちが徒歩で来たというのなら、直線距離でもかなりあるここまで随分と距離がある。

休憩がてらの散歩というには、随分と遠出だ。

「最近やっと仕事が落ち着いてきたもんでね」

 

俺の疑問に、やはり小町が応えると、映姫が補足するように付け足した。

「ついでなので、博麗神社まで参ろうかと」

 

「はく、え!?はく、博麗神社、ですか?」

思わず瞠目する俺に小町が目を丸くする。

「どうしたんだい?そんなに驚いて」

「いや、博霊って……な、なぜです?」

 

あまりにも動揺している俺の様子に小町は訝しげに首をかしげる。

一方、問いかけられた映姫は、以前話したときのように笏で口元を隠し、表情の読めない視線で俺に向き合う。

 

「ところで、最近妙な話を聞くようになりまして」

「はえ?は、はあ」

あまりにも唐突な話の反らし方。

にも関わらず、苦手意識があるためか、俺はついつい応じてしまう。

 

「聞いたと言っても私が、ではなく小町が、ですが」

「ああ、あの話ですね」

小町は苦笑交じりに頭を掻いた。

 

「あの話?」

「そうだねえ」

俺に視線を向けられた小町は、小さく頷くと話を始めた。

 

「仕事がら、いろんな奴の話を聞くことがあってねえ」

「いろんなって?」

「そりゃもちろん、死者さ」

 

え?

怖い話?

確かに小町は死神を自称してるけど、そういう方向性なのか?

 

「し、死者…………」

「そうそう。ま、最近はこの幻想郷の存在を知らなかったやつばかりでねえ。私としては他にも聞きたい話もあるってもんだけど。まあ、楽しそうに話すもんだから、ついつい付き合っちゃうのさ」

小町の話す内容にところどころ疑問が浮かぶ俺は、理解が不十分なままに曖昧に頷く。

 

俺が分かっていないであろうことに気づいているのだろうが、小町は特にそのことを気にする様子なく話を続ける。

「で、そんな話の中で、ちょくちょく聞くのが、消える人間の話さ」

「……それって」

 

「なんでも、妖怪に追い掛け回されては、やられる寸前で煙のように消えちまう人間を見たっていう話が連日ちらほら出てきてね」

「もしかしなくても俺の話?」

半ば脱力しながら、小町のいう死者の噂の種に上がっているという話に困惑した様子で問いかけると、小町は「だろうね」と頷いた。

 

「というか、どこから見てたんだ」

頭を捻り思い起こすも、妖怪に襲われている様子を複数人が見ていたという話はピンと来ない。

…………いや、死者というからには、むしろそれは幽霊のようなものなのか?

そんな俺の疑問に、映姫が応えるように口を開いた。

 

「花です」

「花?」

唐突な言葉にキョトンとしつつ映姫を見る。

 

「ええ。要は、今この辺りでも咲いている花の、おおよそ半分程度は死者の霊魂の拠り所となり咲いた花々なのです」

…………え?

 

呆然とする俺に構わず、映姫はジト目を小町に向けた。

「小町がしっかりと彼岸に送っていれば、こんなことにならなかったのですが」

「あんなの許容量超えてますってば」

 

「あの、この花って」

「ま、今はその話はいいのです」

「…………」

マイペース。

どうにも聞き流すには労力を要するような内容だが、後で聞き返すことくらいは出来るだろう。

 

俺は自分を無理やり納得させて代わりに大きな溜息を吐き出した。

「で、俺の話というのは?」

 

「聞いた話を照らし合わせると、ここ最近、連日のようにあんたが妖怪の山方面に向かってるって話じゃないか」

「より詳しく聞いてみれば、妖怪の山を迂回するコースですね」

「みたいですね。で、最近は中有の道の近くまで来ているらしい」

「…………まあ」

この時点で、おそらく俺の目的地が明白になっているだろうことを察して頷いた。

 

「さすがにそこまでくれば、誰だって察しがつくってもんだ」

小町は鎌を持ったまま腕を組む。

「確か、この前別れる時に近づかないように忠告はしたんだけどねえ」

 

「近くまで行こうとしただけだよ」

子供以下の言い訳をしながらバツの悪い笑みを浮かべると、小町はあからさまに呆れた目を向けてくる。

「それはまんま『近づく』って言うんだよ……で?どうして彼岸を目指してたんだい?」

 

「えっと…………」

なんというか、いざ目的を前にするとついたじろいでしまう。

口籠る俺に小町が訝しげな視線を向けるなか、映姫は表情を変えず俺を見据えていた。

 

「貴方の持っているソレと関係があるのでしょう?」

その視線は微妙にずれ、俺の右手にある風呂敷包みに向いていた。

だいたいのことはお見通しのようだ。

「ええ、まあ」

 

「なんだい?それは」

目を丸くしている小町は映姫と違って事情を知らないらしい。

そんな小町に、俺は風呂敷包みを解いて中身を晒した。

「お酒だよ」

「ほう」

 

瓶に入った透明な液体を見て、小町の眼の色が変わった。

悪くない反応だ。

俺は密かに安堵すると、そっと小町にその瓶を差し出す。

「はいどうぞ。あまり上物は用意できなかったんだけど」

「え?え?いいのかい?」

唐突とも取れる俺の行動に小町は瞠目しながら酒瓶を受け取った。

 

「それで、映姫様はどこまでご存知なのですか?」

照れくさくなって頬を掻きながら、俺は映姫を見る。

 

「貴方が博麗霊夢と霧雨魔理沙を私達の元に向かわせるきっかけを作ったと思い込んでいること、そのことに過剰に負い目を意識していること、そのお酒はお詫びの意。だいたいこの辺りでしょうか」

「…………」

全部言われた。

 

映姫の言葉に尚更目を皿にする小町は、酒瓶を抱えたまま俺と映姫を交互に見る。

「え?え?霊夢に魔理沙?あいつらが来たのは、あんたのせいなのかい?」

「結果的にはそうなったと思っている」

なにしろ、俺が異変であると吹聴したせいで、結果的に彼女たちは映姫と…………幻想郷の閻魔と戦うという暴挙に至ったのだ。

 

その経緯を話すと――なぜ映姫がそのことを知っているかはともかくとして――小町は再び呆れ顔を向けてくる。

「お兄さん……そりゃ、いくらなんでも」

「映姫様の言うとおり、意識しすぎなのは自分でも分かってるよ」

 

小町の言葉を遮るように自白の言葉が湧いて出る。

「でも、あの時世話になったのに、大した礼も出来ないままに恩を仇で返すような結果になったことが、自分の中で納得できなかっただけだ」

 

「で、その謝罪がこれってわけかい」

「気持ちばかりだけどな」

「小町、受け取っておきなさい」

助け舟なのか、映姫が静かに促す。

 

「彼なりの誠意というものです。無碍にするものでもないでしょう」

「まー私は拒否するつもりはありませんがねえ」

口元を上げて小町は酒瓶を抱え込んだ。

 

「映姫様」

再び映姫へと視線を移すと、相も変わらず笏で口元を隠す映姫の視線が返される。

「なんでしょうか」

 

声のトーンの変化に不穏なものでも感じたのか、小町が不安げに俺たちを交互に見た。

以前、別れたときこそ感謝の言葉を捧げたものの、出遭ってものの数分でちょっとした修羅場を創りだした二人だ。

心配になるのも分かる。

 

「貴女のお話は聞きました」

「説教が長いこと、ですか」

ただただ無表情な映姫の声に、しかし俺は笑みを持って応じる。

 

「貴女のその習慣は、少しでも地獄に落ちる人を減らすためだという話です」

「――――」

僅かに目を瞠る映姫。

初めて俺の言葉が彼女の硬い表情筋を揺るがせた。

 

「ほお、これは一本取られましたね」

「黙りなさい」

ニヤリと笑みを浮かべる小町を映姫は睨みながら軽く肘で小突く。

それでもニヤニヤ笑いを止めない小町に溜息をつく映姫の様子からして、俺のポジティブな予測は当たりだったと確信した。

 

「だから、ききたいのです。貴女の言葉は死後地獄に落ちないように善行を積めという内容がほとんどと伺いました」

「いろいろと調べたのですね」

映姫の言葉に呆れの色が僅かに滲むが、俺は気にせず話を続けた。

「そして、疑問に思ったのです。映姫様」

 

俺はまっすぐ彼女を見据えた。

「あの時の貴女の忠告はそれらとは違いました。貴女が口にしたのは、死後のためじゃなくて生きるための言葉でした」

なんてことない、違和感を伴う些細な疑問だ。

だが、どうしても俺はそれを見極めたかった。

そこに、彼女の、人を傷つけることすら厭わないとさえ感じた彼女の本質が垣間見える気がしたから。

 

「なぜですか」

 

まっすぐ向けた俺の視線を、映姫は正面から受け止める。

言葉を選ぶための逡巡か、彼女はすぐには口を開かず、その瞳は曇りないまま揺らぎもしない。

反して、一世一代の告白というわけでもないのに、俺の心臓は早鐘のように鳴っていた。

なにしろ、俺は幻想郷の閻魔に対して私情で質問を投げかけているのだ。

霊夢達ほどではないにせよ、失礼な行為にとられても仕方がない。

 

俺の心配を他所に、映姫は力を抜くように小さく嘆息した。

「私は以前地蔵でした」

唐突なカミングアウトに俺は目を瞠る。

「じ、え?お地蔵様ですか?」

 

「その時の記憶が残っているのでしょうね」

まるで他人事のような口ぶりだが、しかしどこか切なげな雰囲気を映姫は醸し出す。

「無論、閻魔として下す判決は私情で揺るがすことはありません。それでも、個人の感情がないわけではない…………要は、私も感傷的になることがあるということです。」

 

花々に向けていた視線を俺に戻して、映姫は問いかけてくる。

「いかがですか?」

「え?」

「納得できる答えでしたか?」

「…………ええ」

予想以上に穏やかな気持ちで、俺は頷いていた。

 

「珍しく素直ですねえ四季様」

茶々を入れるように映姫の顔を覗きこむと、映姫は「別に」と視線を逸らす。

「考えを改めただけです。私がこういう人格だという印象を抱かせておけば、多少は素直に忠告を聞く気になるだろうと判断した。それだけの話ですよ」

 

「本人の前で言いますか」

ツッコミを入れつつ、俺は思わず破顔した。

釣られるように小町は笑い、映姫でさえ口元に笑みを浮かべる。

 

胸の支えが外れたかのように、心から笑う。

穏やかな春の日和。

幸せな時間――ん?

 

「さて、岡崎悠基」

妙な既視感に俺が内心首をかしげていると、映姫は口元を上げたまま普段通りの口調で語りかけてくる。

 

「はい?」

「貴方の善性は理解しています。地獄に落ちるような人間ではない」

「な、なんですか急に。照れますね」

頬を染めながら、俺は後ずさる。

 

「その上で言わせてもらいます」

「え?」

 

ふいに映姫の隣の小町の様子が目に入る。

何故か、その笑みが苦笑に変わっていた。

 

「そこになおりなさい」

「…………え?」

「早く」

「でも、そこって、地面の――」

「座れと言っているのです」

 

有無を言わせぬ映姫の口調に押され、俺はつい従ってしまう。

そこから始まった熾烈とも言える映姫の正論の奔流。

そのときになってやっと、「これが噂の説教か」と悟るのだった。

 

 

それから実に一時間、俺は土の上に正座というちょっとした拷問に近い状況で反論の隙のない説教を受け続けた。

もはや体力も気力も全て削がれてしまった俺は、博麗神社に向かう気も起きず、どこかスッキリした様子の映姫と苦笑する小町を見送るのだった。

…………以前ほどじゃないけど、やっぱり苦手だあの人。

 




一話を前後編で構成すると、やはり削ってもかなり長くなってしまいますね。
そんなわけで遂に四十話。前半は阿求、後半は映姫と小町のお話です。
どちらも主人公は上げて落とされてますね。唯一小町がほのぼのとした癒しではないでしょうか。
個人的には映姫が一番原作とかけ離れた性格をしています。基本的に拙作の登場人物は総じてお人好し属性が付与されやすい傾向があるのでそこはもうお許しください。

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