「うっ……」
眩しい。
顔に暖かい光が当たってるのを感じ、瞼を開く。
横たえていた上体を起こす。
掛けられていた暖かい毛布が腰まで滑り落ちる。
ズキリと、頭痛が奔った。
うめき声が漏れ、頭を押さえる。
記憶が蘇ってきた。
写真。
神社。
山奥。
森。
怪物。
分身。
妖精。
そして、蒼い瞳。
「ここは……」
辺りを見回す。
屋内の一室のようだ。
俺がいるのはその部屋のベッドの上。
着ている服は昨日のままだ。
だが、靴はベッドの足元に揃えてある。
俺を起こした光は、どうやら閉められたカーテンの隙間から漏れた日の光のようだ。
部屋は狭く、俺が寝ているベッドがその面積の3分の1を占めていた。
ベッドの横には小さな机と椅子。
そして体を起こし、部屋を見回した俺の目の前に
「…………」
金髪の妖精がふよふよと浮いていた。
昨日見た妖精に似ているが、服装は赤を基調としている。
また、ランスのような武器は所持していなかった。
「…………」
その妖精は首を傾げると、部屋の唯一のドアにふわふわと飛んでいき、ドアノブを回して部屋を出て行った。
その間俺は、ずっと呆気にとられて妖精を眺めるのみだった。
妖精が部屋のドアを閉めた音で我に返る。
ここは、どこだろう。
昨日の記憶からして、俺を助けてくれた女性の家だろうか。
カーテンを少しだけ開き、外の様子を眺める。
鬱蒼と生い茂る木々があり、なんとなく、昨日襲われた、もしくは助けられた森の近くではないかと思われた。
そういえばと、ふと思いつく。
分身は……あ、出来そうだ。
どういうわけか、唐突に自分は分身能力に目覚めたらしい。
昨日から、自分の理解できない事象に囲まれているが、それでもこの能力は恐らく自分にとって都合がいいものだ。
現状を打破する切り札になるかもしれない。
ただ、あれは体力気力を消費するし、今のところは温存しておこう。
そこまで考えたところで、部屋の外で気配がした。
なにか、咳払いをするような物音だった。
直後、ノックされる。
ドアが開かれ、一人の少女が部屋に入ってきた。
……訂正。
一人の『美少女』が部屋に入ってきた。
整った顔立ち、白い肌、セミロングの薄い金髪、青いロングスカートの洋服に、白いケープを羽織り、アクセントか、赤いリボンがところどころに見られる。
表情は人形を彷彿とさせる無表情で、蒼い瞳をパッチリと開いて、俺をまっすぐ見ている。
瞳の色から、昨日俺を助けてくれた人だと気づいた。
うっかり息を呑んでしまった。
突然の美少女に驚いて。
バレテナイよな……?
美少女は、ブーツをカツカツと鳴らしながら俺に近づき、ベッド脇の椅子に腰掛けた。
未だベッドから上半身を起こしただけの俺との距離、1メートル。
女の子と話した経験がないわけではないが、相手が相手なだけに、緊張してしまう。
あれ、なんかいい匂いがする?
「よく眠れたかしら」
「え?あ、ああ、よく、眠れた」
動揺丸出しである。
「まあ、いろいろ聞きたいこともあるでしょうけど」
美少女はそう切り出した。
確かに、冷静な俺なら今は聞きたいことが山ほどあっただろうが、実際の俺は緊張やら羞恥やらで思考がほとんど停止していた。
「まずは、名前を教えて。私は」
少女は自分の胸に手を添える。
「アリス・マーガトロイドよ」
「あ、俺は、岡崎悠基、です」
自分の鼓動を静めながら、俺は美少女、アリスに名前を言う。
アリスは自分より年下か、同い年くらいにみえる。
だが、その落ち着いた雰囲気は同世代より大人びて見え、気づくと語尾が敬語になっていた。
アリスは頷き、立ち上がった。
「じゃあ、悠基」
苗字でなく、名前で呼ばれた。
それだけで、心臓が少し強く跳ねる。
チョロ過ぎないか、俺。
と自虐的思考をする俺に構わず、アリスは踵を返し部屋のドアに歩いてゆく。
部屋の入り口で、俺のほうを振り返る。
「とりあえず朝食を用意したわ。冷めない内に頂きましょう」
と言ってから、微笑をその顔に浮かべる。
天使かよ……。
そのまま、俺が何か言う前に、部屋を出て行った。
「天使かよ……」
声に出ていた。
* * *
朝食は、トーストにスクランブルエッグ、サラダという洋風テイストに、純和風の味噌汁という不思議なセットだった。
トースト以外は箸で食べる。
丸机を挟み、俺とアリスは向かい合う形で椅子に腰掛けているのだが、俺の両隣にも椅子が用意され、それぞれ、青と赤の服装の妖精が一人ずつ、ちょこんと腰かけ、俺を眺めている。
妖精を気にしつつ朝食を食べながら、アリスからいくつか質問を受ける。
俺は、アリスに答える形で今までの経緯を話した。
「ふぅん……」
一通り話を聞いたアリスは興味があるのかないのか判別しがたいトーンで呟き、何かを考えるように黙り込む。
その頃には朝食は二人とも食べ終えていた。
俺は、手持無沙汰に周囲を軽く見る。
背の高い本棚が目に付いた。
並べられた本はどれも分厚いハードカバーで背表紙には書かれた言語は、一部英語はあるものの、見たことのない文字ばかりだった。
俺は正面に座っているアリスを見る。
白い肌、蒼い瞳、薄い金色の髪は染めているようには見えない。
名前からして、明らかに日本人ではないが、話している言葉は、流暢な日本語である。
「あの」
と、俺はおずおずとアリスに話しかけた。
「ん、何?」
「ここは、日本、なのか?」
俺の問いかけに、アリスは少し考えるように視線を反らし、程なくして答える。
「そうね、まあ、広い目で見れば、ここは日本という国の一部ね」
「一部?」
「ええ。この地の名は、幻想郷。日本とは地続きだけど、私のような存在が住まうために隔絶された地、といった所かしら」
幻想郷、隔絶という単語も気になるが一先ずは、
「私のような存在?」
と、一番気になった言葉を訊いてみる。
アリスは、黙って俺の前に右手を向ける。
そのまま掌を天井に向けた。
瞬間、
ボッ、と。
彼女の掌が突然燃え上がったと思ったら、火の玉が目の前に浮かんでいた。
驚いて息を呑む。
「多分、あなたの世界では」
掌の上の空間に火の玉を浮かべたまま、アリスは口を開いた。
「『魔法』は空想の存在とされているんじゃない?」
目の前の事象には、タネも仕掛けもないように思えた。
少なくても、手品の類ではないと直感する。
「あ、ああ……凄いな……」
思わず感嘆してしまった。
アリスが開いていた右手を閉じると同時に、火の玉も消え去った。
「あの、つまりアリスは、『魔法使い』なのか?」
「そういうことよ」
俺の問いかけに、アリスは頷く。
頷いてから、肩に僅かにかかった髪を払い、微笑を浮かべる。
……気のせいか、得意気に見える。
そのせいなのか、浮かべている微笑もなんだかドヤ顔に見えた。
俺はアリスに対して、基本的に無表情で、その美貌とあいまって神秘的であるとすら感じていた。
こうして向かいあっていてもどこか別世界のような、そう、古い言い方をすれば『高嶺の花』って感じだった。
近寄りがたくて、遠くから眺めてる感じ。
そのギャップのせいか、得意気(に見える)なアリスに、妙な親近感を感じた。
不思議と可笑しくて笑いそうになるが、失礼な気がして、我慢した。
アリスが表情を元に戻し、首を傾げる。
「どうして少し可笑しそうなのかしら」
我慢したつもりだったが、失敗したようだ。
「あー、それじゃあ、この妖精たちは?」
俺は両隣に座る妖精たちを見ながら、無理矢理話題を反らす。
「上海と蓬莱よ」
アリスが答える。
「青いのが上海。赤いのが蓬莱ね。さ、ご挨拶」
それぞれ、青と赤を貴重とした服をまとっている二体の妖精は、彼女たちには大きすぎる――というか人間用サイズの――丸椅子の上に立ち、両手で自分のスカートの端を摘み、頭を下げた。
映画なんかで見たことがある、淑女の挨拶である。
「お……おぉ……」
またしても感嘆が漏れた。
お揃いの赤いリボンを揺らしながら、頭を上げた彼女たちは、得意気に自分の肩にかかる長髪を、似たような動作で同時に払った。
先ほどのアリスと同様の動作である。
やばいまた笑いそうになった。
「ちなみに」
アリスが口を開く。
やはり気のせいかもしれないが、声のトーンがさっきよりも高い気がする。
つまり、嬉しそうというか、誇らしそうというか、そういった感情が読み取れた気がした。
「二人とも、妖精じゃなくて、人形よ」
「え?そうなの?」
驚いて声が上ずる。
我ながら、先ほどから驚いたり笑ったりと忙しい。
二体……いや、アリスに習うなら、二人か。
目の前の二人を見る。
青い方、上海人形は、デフォルメ感のある丸い目を細め、得意気に笑みを浮かべる。
一方の赤い方、蓬莱人形は丸い瞳を開き、興味深そうに俺を観察している。
「そう。とは言っても半自動で、私が前もってインプットした動きをしているだけなのだけど」
「てことは、この子達も魔法で動いてるのか」
「ええ。見えないと思うけど、魔法の糸で私と繋がっているのよ」
魔法の糸……昨日、あの一ツ目の怪物を縛っていたあれだろうか。
今は見えないが。
「生きてるようにしか見えない」
言いながら、俺は手を伸ばし、上海と蓬莱の頭を撫でる。
愛玩動物を撫でるのと同じ感覚である。
二人の髪はさらさらで柔らかかった。
頭を撫でられた二人は、嬉しいのか照れくさいのか、目を細め、顔に両手を当てながら腰をくねらせた。
デフォルメされた見た目もあいまって、凄く愛らしい。
だが、考えてみれば、この動きもアリスがそう動くように指示しているのである。
神秘的で、どことなくクールな印象のアリスが、である。
「可愛らしいな」
そう考えると、再び可笑しくなり、アリスに視線を移した。
やはり得意気にしているかな、とか、もしかしたら照れているのかも、とか俺は予想していたのだが、どちらも外れだった。
アリスは、驚いたように目を見開き、俺と人形たちを観察していた。
意外な光景に気圧され、俺は手を止める。
「あの、アリス?」
「ん?」
アリスが視線を上げ、俺の目を見る。
「どうか、した?」
「…………」
俺の問いかけにアリスは視線を下ろし、何かを考え込むように黙り込む。
何か気に触るようなことでもしてしまったのだろうか。
俺は少し不安になり、アリスを見つめるが、ほどなくして、
「不思議なものよね」
と、答えなのかなんなのか、よく分からないことを言った。
というわけでアリスとの邂逅回でした。
神秘的で近寄りがたいけど、いざ話してみれば、親近感がわくようなキャラっぽさを感じていただけたらいいなあと思います。
できるだけ原作に沿った性格とか書いていたのですが妄言になりそうですね。
今回はなかなかほのぼの出来ているのではないでしょうか(得意気)。