東方己分録   作:キキモ

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三十一話 穏やかな一時を

二月も終わりの見えてきた昼下がり。

その日は寺子屋は休みで、俺の誘いで慧音さんは俺の住む寺子屋の離れに訪れていた。

勿論だが、何か邪なお願いやら目的やらがあったわけではなく、単純に慧音さんに頼みがあったのだ。

 

「ふむ」

さて、件の慧音さんだが、彼女は口端にクリームが僅かに付いていることに気付かないまま頷いた。

「なるほどこれは」

「いかがです?」

逸る気持ちを抑えていたのだが、俺はついつい先走って慧音さんに問いかける。

 

「いやはや、相変らず甘いが、しかし、果物によっては随分と印象が変わるものだな」

感心した様子で慧音さんは頷いた。

「お気に召しましたか」

「私としては、抹茶が混ざった物の方が好きだが、これも嫌いではないよ」

「それは良かった」

 

俺はほっと息をつくと、思わず釣りあがる自分の口端を自覚しつつ、慧音さんに視線を送って自分の口端を指差して見せた。

その仕草に気付いたらしい慧音さんは、僅かに目を見開いて人差し指で自分の口元を拭う。

指先に付いたクリームに、照れた様子で慧音さんは微笑んだ。

「おっと、失礼」

 

「いいえ」

機嫌が良いのを隠そうともせず、俺は満面の笑みで首を振った。

 

なんだかんだで、俺が作ったショートケーキは、慧音さんからはそれほど評判は良くなかった。

しかし、満を持して試食をお願いした今回、ついに念願叶って……なんて言い方は大げさなのだが、ともかく慧音さんからも色好い返事を貰えたと言うわけだ。

 

「ほどよい酸味とこの食感は、存外甘い生地に合うものなのだな」

「でしょうでしょう」

俺は何度も頷いた。

 

「それに、見た目にも、白い生地に赤が良く映える」

「ええその通り。可愛らしいでしょう」

「ふふ、そうだな」

慧音さんは俺の言い方が可笑しかったのか、それとも浮かれた俺が面白かったのか、クスリと笑った。

 

「確かに、可愛らしい。しかし」

笑みを少々引っ込めて、慧音さんはショートケーキをまじまじと見る。

慧音さんの視線の先、ケーキの上に乗った赤い果実。

「この苺……苺の収穫は本来ならばもう数ヶ月先のはずだが……」

言いよどむように慧音さんは俺に視線を移す。

「いったいどうやってこの時期に手に入れたのかな?」

 

「あー、それはまあ、一応は秘密なのですが」

俺は頭を掻きながら慧音さんの困惑の眼差しを受け止める。

「まあ、慧音さんなら口は堅いでしょうし、かまわないでしょう」

 

俺はコホンと芝居がかった咳払いをする。

慧音さんはというと、キョトンと目を丸くして俺を見ている。

そんな彼女に、俺は少々もったいぶった口調で説明することにした。

 

 

* * *

 

 

やはりというか、なんというか、冬場の土いじりは指先に来るものがある。

霜と低音で凍りついた土は固く、悴んで思うように動かせない手を時折自分の息で温めながら、俺は作業を進める。

まあ、土に殆ど小石が混じっていない分そこまでそこまで辛くはない。

 

鍬を使って深めに土を掘り返し、地表近くの土と入れ替える。

天地返しともいうこの作業は、植物が根を張る土壌の土質をよくするための作業だ。

ついでに、乾燥した堆肥の粉末を掘り返した土にほんの少しだけ練りこむ。

これも、春になってからの植物の成長を促進するための作業。

どちらも、元の世界で実体験を伴って培った知識を元にしている。

 

「ふう」

少し休憩とばかりに俺は息をつく。

俺は立ち上がって伸びをすると、白い息が漏れた。

しゃがんで作業をしていたためか、腰の関節が苦痛を訴えてくる。

 

2月も半ばを過ぎたが、寒さはピークを超えたように感じる。

暖かくなるのはまだ先だが、それでも冷たい風は弱くなりつつあった。

空は疎らに白い雲が浮かぶ程度の晴れ模様。

「いい天気」

腰に手を当て体を反らした先の景色に呟く。

 

独り言といっても差し支えない呟き。

だが、それに応じる声が背後からかけられた。

「そうね」

「ん」

振り返ると、それほど強くない日差しの下、日傘を差した少女が佇んでいる。

 

「ご苦労様、悠基。少し休憩しなさいな」

その言葉に、俺は思わず笑みを零して頷いた。

「うん」

 

 

幻想郷に住む妖怪は、見た目、能力、特性、どれをとっても千差万別多種多様だ。

ただ、基本的には人を襲う存在である。

俺も日夜その恐ろしさを身を持って経験している。

そんな中で無害な妖怪というのは本当に稀。

俺にとっては貴重な存在である。

 

挙げるなら、幻想郷を維持する役目を担う藍、紅魔館の門番である美鈴、鈴仙を始めとする竹林の妖怪兎、霧の湖に住む人魚の姫君なんかからは、今のところ被害を受けていないのでこれに該当するだろう。

とはいえ、彼女たちを含まえても、優しく穏やかな妖怪の筆頭とも言える少女がいる。

そう、それこそが、

 

「ありがとう、幽香」

「いいえ、こちらこそ」

 

彼女、風見幽香である。

 

 

* * *

 

 

太陽の畑と呼ばれる向日葵畑。

色褪せた向日葵は頭を垂れ、どこか寂しい風景が広がっている。

だが、萎れた花々は夏になれば眩しいほどに咲き誇る花だ。

満開になった向日葵によって彩られる景色を思うと、今から楽しみでもあった。

そんな太陽の畑の隅に、幽香の小さな家は建っていた。

 

とある事情があって、俺は定期的に彼女の手伝いをしている。

先ほどの土いじりも、幽香の家の裏庭の手入れだ。

その幽香に呼ばれ、外の洗い場で手の汚れを落とした俺は、彼女に招かれるままに彼女の家にお邪魔した。

 

部屋の中央に備えられた丸机の上では、陶器のカップから上品な紅茶の香りがした。

茶菓子に俺が持参したケーキが小皿に盛られている。

 

俺は幽香と向かい合う形で椅子に座りながら、カップの中身を覗き込む。

「ああ、この香り。俺がこの前持ってきた茶葉だね」

「そうよ」

穏やかな微笑みを浮かべ幽香は首肯する。

 

「お茶を淹れたのなんて久しぶりなのだけど、どうかしら?」

「うん。いい香りがするよ。頂いても?」

「ええ。構わないわ」

 

そっとカップを取り、もう一度香りを味わう。

それから中身をゆっくりと啜ると、まろやかだが癖の少ない舌触りがした。

仄かな酸味が僅かに鼻腔を刺激する。

 

「味はどう?」

「とても美味い。温度もいい感じだし。久しぶりだなんて謙遜しなくてもいいくらい。これにも良く合う」

端的な感想を述べながら、俺はケーキを指差した。

「なら良かったわ」

幽香は満足げに微笑んだ。

 

「そういえば聞いたわよ」

自分のカップにも口をつけてから、幽香はふと思い出したように切り出す。

「聞いたって?」

「貴方、最近魔法を習得したそうじゃない」

「……ああ」

 

俺は若干目を見開く。

そんな俺を見やりながら、幽香は口端を上げた。

「ねえ、どんな魔法を習ったの?見せて?」

幽香の頼みに特に意味もなく俺は笑うと、頭を掻いた。

「いや、したっていうか、まだまだ練習中だから」

 

「謙遜?」

「そういうわけじゃないけど、上手く扱えないからね」

「別に拙くてもいいじゃない。構わないわよ」

「いや、なんていうかさ」

少々恥ずかしくなり視線をそらす。

 

「格好つけたいんだよ」

照れ隠しを含めて少々大げさに言ってみた。

結果的に更に恥ずかしいくなっているのだが。

 

「……私に?」

「そ、そう。だからまあ、もう少し上手くなってからお披露目しようかなって……いや、お披露目って言っても魔法自体は初歩の初歩なんだけど……」

「ふふ、そう。私にね。ふふ……」

よほど俺の言ったことが面白かったのか、幽香は瞳には涙すら浮かべて笑いを堪えている。

 

「……そんなにおかしいこと言った?」

あまりの笑いっぷりに微妙な表情を浮かべ幽香を見据えるが、幽香は全く気にした風でもない。

「ふふふ……そうね。そんなこと、私に言う人なんていなかったもの」

「別に……」

危うく、『幽香みたいな可愛い女の子に格好つけたがるのなんて当たり前』みたいな旨のことを言いかけた。

まあ、さっきのこともあって、こんなことを躊躇なく言えるほどの度胸はなかったわけだけど。

 

「別に?」

幽香は意味深に笑みを浮かべ俺を覗き込んでくる。

あたかも俺の心情などお見通しとばかりの笑みに、俺は咳払いをして気を取り直す。

 

「……そ、そもそも、俺が魔法を習い始めたなんて話、どこから聞いたんだい?」

ごまかすつもりで露骨に話題を変える。

「アリスか?」

魔法を師事している友人の名前を挙げると、幽香は首を振った。

「いいえ。違うわ」

「じゃあ、誰から?」

 

「そうね」

思い出すかのように幽香は視線を泳がせる。

少ししてその瞳が細められ、肩を竦めながら愛らしい笑みを浮かべる。

「ま、花の噂というやつよ」

「風の噂じゃなくて?」

「そうよ」

「そっか」

俺は軽く息をついて再びカップに口をつけた。

 

「うん。やっぱり美味しい」

「もういいったら」

呆れたような、照れたような、どちらともとれる声音で幽香は言った。

 

「ああ、花といえば、この前妖怪の山の麓の森で、山茶花が咲いてるのを見つけたんだ」

ふいに、幽香に話そうと思っていた話を思い出す。

いつも通りのフィールドワーク中に見つけたものだ。

 

「ああ、あれね」

だが、どうやら知っていたらしい幽香の反応に、俺は僅かに肩を落とす。

「なんだ、知ってたのか」

花を愛でる彼女なら喜ぶと思ったが、空振りだったようだ。

 

「ええ。それにしても、山茶花なんてよく知っていたわね」

「そりゃまあ、有名な花だし」

ま、知ってるなら知っているでいいかと俺は気を取り直す。

 

「でも凄いよね。雪も積もるくらい寒いのに、当然の様に咲いててさ。俺の世界ではあまりみない光景だからつい見とれちゃったよ」

「それはそうよ。だってあれ、私が手をかけた子だもの」

「ああ、なるほどね」

俺の中で合点がいく。

 

幽香の能力は、『花を操る程度の能力』と呼ばれている。

花を咲かせたり、枯れた花を蘇らせたりできると、なんともメルヘンティックで素敵な能力というのが俺の所感だ。

俺が見かけた山茶花も、その能力の恩恵に預かったのだろう。

戦闘には一切役に立たない能力らしく、そういった意味でも可憐な印象を受ける幽香らしいと言える。

 

でもってこの能力、広意義に見れば花を咲かせる植物の成長を操ることもできるらしい。

俺が彼女の手伝いとして働いているのも、彼女の能力による恩恵を報酬として受け取っているからだ。

 

 

 

他愛のない話もそろそろ切り上げ、作業を再開するかと立ち上がった俺に、幽香がバスケットを見せてくる。

「悠基。これを」

中身は全て、瑞々しい赤い果実。

幽香が能力を応用して収穫したという苺の山だった。

 

「ああ、いつも悪いな」

「そのために来てるんでしょう?」

「いや」

 

俺は首を振ると、少し決め顔気味に微笑む。

「こうやって幽香とお茶するためでもあるよ」

……言う前から気付いてたけどこれめっちゃ恥ずかしい。

 

そんな俺の言葉に、幽香は口元に手を当てると、次の瞬間吹き出した。

「……顔が赤いわよ」

「…………さすがに今のは気障すぎた」

結局格好のつかないまま片手で顔を覆って無駄な抵抗をする俺を見て、幽香はますます楽しそうに笑うのだった。

 

 

* * *

 

 

「……とまあ、こういった具合ですね」

俺は、風見幽香という少女との交流を端的に話し終える。

 

「……なるほど」

対して、話を聞いていた慧音さんは、なんとも微妙な表情で相槌を打った。

「……ああ、それで」

どこか躊躇うように慧音さんは口ごもる。

いつもならばハキハキとした喋りの彼女らしくない所作だ。

 

「慧音さん?」

「いや、うむ、そうだな……そもそも君は彼女と、風見幽香とどこで知り合ったんだ」

「ああ、アリスの紹介ですよ」

俺の答えに慧音さんは目を丸くする。

 

「……言ってはなんだが、意外な交流だな」

「まあ、案外アリスって、結構いろんなところを出歩いてるみたいですよ。で、今回は俺が苺を欲しがっていたのを見て、幽香をわざわざ紹介してくれたんです」

「そうか…………うん」

 

慧音さんは腕を組んで暫く逡巡していたが、考えが纏まったのか小さく頷いた。

「君は、風見幽香のことはどう思っているんだ?」

「え?」

唐突な質問に首を傾げるも、「そうですね」と相づちを打ちながら考える。

 

「太陽の畑って、凄く広いんですよね」

「ん?……ああ、確かにその通りだが」

困惑した様子で眉を顰める慧音さん。

まあ、唐突な話だしその反応も分かる。

 

「で、その太陽の畑を幽香は守ってるらしいんです。あの広大な土地を、一人で、ですよ」

「まあ、そのように言われているな」

「だからですね」

俺はコホンと軽く咳払いをして間を置いた。

 

「それって、凄く健気じゃないですか。あの可憐な女の子がですよ」

「……………………」

どういうわけか慧音さんがフリーズした。

 

「……慧音さん?」

「――あ、いや、そうだな。けなげ、かれん、ケナゲ、カレン……健気で、可憐、か」

困惑した様子で呼びかけると、慧音さんはハッと我に返ったように身じろいだ。

なぜか俺の言葉を神妙な顔で何度も繰り返している。

 

「あの……」

「ああ、いや、すまない。少々取り乱してしまったようだ」

やはり今日の慧音さんはどこか様子がおかしい。

「慧音さん、もし体調が悪いのでしたら、無理なさらないでください」

「いや、そういうわけではないのだが……」

眉根を寄せる俺に慧音さんは首を振った。

 

「なあ、悠基君。凶暴な妖怪もひしめく幻想郷で、あの広大な土地を一人で守るというのが、どういう意味を持つのか……考えなかったことはなかったのか?」

「ええまあ。ただものじゃないんだろうなあとは思いますよ」

俺はうんうんと頷きながら言葉を続ける。

 

「でも、俺が知ってる幽香は、穏やかで気さくな親しみやすい女の子なんですよね」

「――――」

「それに、花を咲かせる能力だって、とても可愛らしいですし…………慧音さん?」

またしても慧音さんが固まっていた。

 

「あの、やっぱりご気分が優れないんじゃ――」

「いや、違うんだ」

俺の問いかけに慌てたように慧音さんは首を振る。

「違うのだが、まあ、多少混乱していてな」

 

「…………あの、そんなに幽香と交流があるのって、おかしな話なんですか?」

さすがに、ここまで慧音さんの様子がおかしいと、俺にも察する物があった。

その問いかけに、彼女は首を振らなかった。

 

「まあ、そうだな……いや」

やはり考えを整理するように暫く黙っていや慧音さんは、組んでいた腕を解く。

「風見幽香に対する君の印象がそのようなものというのなら、やはりそれも彼女の持つ側面なのだろう」

 

そうして、向かい合って座る俺の肩に慧音さんは手を置いた。

「少々彼女は誤解されやすいのかもしれない。私はこんなことを言えた立場ではないが、今後も仲良くすればいいと思うよ」

 

その言葉に俺は目を丸くするが、しかし、大きく頷いてみせる。

「ええ、もちろんですよ。あ、抹茶のケーキも用意しているのですが、いかがですか?」

「では、頂こうかな」

 

穏やかな午後の一時だった。




この度は更新が遅くなり申し訳ありません。

今回は風見幽香が初登場。いつものように既に知り合っていたパターンです。
慧音の反応からも分かる通り、拙作においての幽香は他の妖怪から恐れられる存在です。
ただ、気性は比較的穏やかで、存外主人公ともウマがあっています。
あと主人公はあれですね。結構デレデレしてます。ほのぼのとデレてるっぽいです。

そんな主人公は今回微妙にガーデニングの知識をお披露目していますが、なぜそんな知識を有しているかといえば、彼が洋菓子作りの知識があるのと同じ理由です。
やはり大した理由ではありませんが。

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