東方己分録   作:キキモ

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三十話 人形使いの考え

香霖堂に訪れたアリスは、霖之助さんからそれまでの話を黙って聞いていた。

そんな彼女の様子を見ながら、俺はふいに疑問を抱く。

 

霖之助さん曰く、俺にかかっているバリア的な物は魔法らしい。

彼の口調からして、魔法にある程度造詣があるのなら、この魔法の存在にはすぐに気付くのだろう。

そして、俺が魔法の森に迷い込んだ時点で胞子の影響を受けていなかったことから、幻想郷に来る以前から、俺にはその魔法がかかっていたと言える。

 

だとしたら……。

 

「――というわけで、これ以上君に迷惑はかけたくないという理由で、彼は魔法を習うのを遠慮しているらしい」

「ちょっ」

……考えに耽っている間に余計なことまで喋られていた。

 

中途半端に腕を伸ばしたまま固まっている俺をアリスは一瞥すると、相変らず感情の読めない表情のまま霖之助さんに視線を戻した。

「そう。店主さん、急用が出来たから今日はお暇するわ」

その言葉に今度は霖之助さんが固まった。

 

「…………」

「……しまったな。そうくるか」

長い沈黙の後、明らかに消沈した様子の霖之助さんは眉間を抑える。

 

「では、失礼するわ」

「ああ、まあ、次は何か買っていってくれよ」

「善処する。悠基」

「え?」

踵を返したアリスは、呆然としたままの俺に声をかける。

 

「時間、あるわよね?」

「あの、えっと、まあ……」

「では、行きましょうか」

そう言ってアリスは、俺とすれ違い香霖堂の出口へ向かう。

 

「えっと、どこに?」

「私の家よ」

扉を開き、肩越しに俺を見るアリスを、陽光が暖かく照らした。

 

 

* * *

 

 

アリスの家に訪れるのはこれで二度目。

幻想郷に迷い込んだ際、アリスに保護されて以来だ。

 

香霖堂からアリスの家へ場所を移した俺は、紅茶を淹れる彼女の背中を眺めつつ、俺の両膝を占拠する上海と蓬莱の頭を撫でていた。

楽しげに身をくねらせる人形たちの小動物的な可愛さは相変らず癒される。

ただ、俺の意識の半分以上はアリスに向いていた。

 

「……なあ、アリス」

意を決して声をかける。

「何?」

アリスは手を止めずに背中越しに返事をした。

 

「アリスは、俺の魔法のことに気づいてたんだよね?」

「…………そうね」

小さなため息が聞こえた気がした。

 

「俺がこの魔法の存在に気付いてないことも知ってた」

「ええ」

 

「なら、どうして教えてくれなかったんだ?」

「そうね」

小さく食器の音を立てながら、ティーセットをお盆に乗せたアリスが振り向いた。

そのまま落ち着いた足取りで、俺の前にある丸机に盆を置く。

 

「…………」

俺の問いかけに答えることなく紅茶の準備を進めるアリスに困惑の目を向けると、アリスは一瞥をくれるのみ。

相変らず黙ったまま手だけ動かすが、香りの良い紅茶がカップに注がれたところで、ようやく彼女は口を開いた。

 

「……訊かれなかったからよ」

ほとんど開き直りじゃん!

しかもためにためて!!

 

「アリス」

半眼をアリスに向ける。

アリスはお盆を仕舞うと、俺の正面に座った。

 

「どうぞ」

俺の視線を意に介することなく紅茶を促すアリス。

マイペースな彼女にますます視線を険しくするも、やはり気にした様子もない。

とはいえ、せっかく淹れてもらった紅茶を無碍にするのも失礼だ。

「……どうも」

 

ジト目のまま紅茶を啜る。

「……美味しい」

「そ」

「いや、そうじゃなくてっ」

 

そっとカップを置きながらも、一応気迫を込めて語気を強めてみる。

「なんで秘密にしてたのかって話なんだけど」

「そうね」

相槌を打つと、考え込むようにアリスは押し黙る。

俺はアリスの答えを待とうと構えようとするが、その途中でふと気付く。

これ、さっきと同じで、はぐらかされる流れだ。

 

「……アリス」

「なにかしら?」

「真面目に」

「…………」

アリスは小さくため息をつくと、姿勢を正すように身じろいで、俺を真っ直ぐ見据えた。

 

「確かに、貴方の言う通り、私はその魔法の存在には気付いていた」

「うん。それで、なんで教えてくれなかったんだ?」

「貴方にかかる魔法の存在を知ったとき、同時に魔法を扱う適正があることが分かることは予想がついた」

「……それで?」

「そうしたら、貴方は絶対に魔法を習得しようとするでしょ?」

「そりゃあ、まあねえ」

 

俺は首を傾げる。

アリスが言いたいことが微妙に分からない。

「あの、アリス。それって、何か都合が悪いの?」

「別に、私の都合が悪いわけではないわ」

そう言ってアリスは僅かに、迷うように視線を泳がせた。

彼女にしては珍しい仕草だ。

 

ほんの僅かな躊躇いを感じさせながら、しかしアリスは話を続ける。

「魔法を習得するということは、貴方はより幻想郷の存在に近づくことになる」

「……?どういうこと?」

 

「私が貴方に魔法を見せたとき、貴方は魔法は空想の存在であることを肯定していた」

「…………うん」

「でも、魔法は実在する。単に、貴方の世界の魔法は、実在したことすらも忘れ去られたもの」

「…………」

ぼんやりとだが、アリスの言おうとすることが分かった気がする。

 

躊躇いを感じながら、俺は口を開いた。

「ここは、幻想郷。忘れられた存在の世界だ」

「ええ」

「そして、魔法を習得することでここの存在に近づくということは、つまり」

 

「裏を返せば」

戸惑いの視線を受けながら、アリスは俺の言葉を引き継いだ。

「貴方は元の世界から遠ざかる」

 

そうして彼女は、俺に問いかける。

「元の世界に未練があるんでしょう?」

 

折しも、先日の輝夜と同じ問いかけだった。

ただ、アリスの目からは確信ともとれる意思を感じた。

以前から気付いていたのだろう。

おそらく、あの時から。

 

「まあ、ね」

彼女の前で泣いたことを思い出し、気まずさに頭を掻く。

「だとしたら、貴方は魔法を学ぶべきじゃない。余計に帰れなくなるわ」

「でも、もとから帰る方法なんてないんだろう?」

断言する彼女に、俺は反射的に言葉を返した。

その言葉に、アリスは俯き押し黙る。

 

…………まずい。

今の言い方、まるでアリスを攻めているような険のある言い方にも聞こえる。

事実、アリスは押し黙ったまま動かない。

 

「あの、ちが、違うんだ」

狼狽を隠すことなく俺は立ち上が……ろうとするが、両膝には俺を不安げに見上げる上海と蓬莱がいるので上半身だけ乗り出す。

 

「帰れるなら、帰りたいっていうのは変わらないさ。諦めたわけじゃない。でも、俺は幻想郷も気に入っているんだ!離れたいってわけでもないんだよ?それに、アリスは俺のことを心配してくれたんだろう!?だったらむしろ俺は嬉しいんだ!ほんと――」

焦りすぎて途中からちょっと誤解されかねないことを口走っていた。

慌てて口元を押さえるが、後の祭りである。

 

しかし、アリスは顔を上げると、キョトンと目を丸くして俺を見つめる。

「何をそんなに慌てているの?」

「……いや、傷つけてしまったのかと思って」

「何が?」

 

押し黙ってしまったから、てっきり俺の言葉のせいかと思ったけど……。

……全然気にしていなかった。

 

「慌て損か……」

頬が僅かに紅潮するのを自覚しながら、俺は乗り出していた体を引いた。

アリスは首を傾げて意味が分からないといった様子だ。

俺は咳払いをして気を取り直す。

 

「ともかく、それは多分、無用な心配だよ。いや、心配してくれたのはありがたいんだけど」

それこそ無用な心配からくるフォローを付け加えながらも、俺は話を続ける。

 

「なぜ?」

「そりゃあだって、俺は元の世界が……そこで待つ人たちのことが、今だって好きだ。この気持ちは変わらない」

故郷を愛しく思う気持ちは、以前輝夜に心境を吐露して以来、開き直ってむしろ誇りにすら思っていた。

「だからさ、アリス。君の言う『遠ざかる』っていうのが、どういう意味なのかは実はわかってないんだけど、でも、少々遠ざかったところで、俺は大丈夫だよ」

 

なぜそんなことを断言できるのか、我ながら不思議だ。

根拠はないし、理解も足りない。

だが、不思議と確信があった。

 

そんなことを思いながら反応を待つ俺を、アリスは僅かに目を見開いて眺めている。

 

……それ以外の反応がない。

いや、黙り込まれると力説した身としては普通に気まずい。

今更ながら、思い返せばさっきの発言はくさ過ぎかも……。

と、勝手に狼狽えている俺を見ながら、アリスは軽く息をついていつも通りの感情の見えない目つきに戻た。

「変わったわね、貴方」

「え?そうかな?」

 

自分を指差し問いかけてみるが、アリスはそれには応じなかった。

「悠基」

「ん?」

 

「教えてあげるわ。魔法」

「…………へ?」

アリスの言葉に間の抜けた声で返してしまう。

 

全くの不意打ちだ。

いや話の流れを考えれば予想は出来なくもなかったかもしれないけど。

「いいの?」

ふいのことで、問いかけが子供のような口調になってしまう。

 

「ええ」

対してアリスは、目を丸くする俺を気にした風でもなく頷いた。

「ただし、条件があるわ」

「条件」

鸚鵡返しに呟きながら、俺は身構える。

 

「そう。研究の手伝いをしてほしいの」

「研究……って、魔法の?」

「そうよ」

アリスは頷くと、合図をするように片手を上げた。

直後、俺の膝に座っていた上海と蓬莱が飛び上がり、机の縁に着地した。

 

2人並んだ上海と蓬莱のつぶらな瞳を俺は見返す。

人形使いとして知られるアリスの魔法の研究となれば、彼女たちにも関係することなのだろう。

 

「いいかしら?」

小首を傾げて問いかけるアリスに、おれはおずおずと言葉を返す。

「いいって、俺に出来ることなのか?」

「むしろ、貴方じゃないと出来ないことよ」

「俺じゃないと?」

自分を指差すと、アリスは首肯した。

いったいどんなことをするのだろうかと疑問に思う反面、俺はほっと息をつく。

 

「……そうか」

しみじみと俺はアリスに宣言した言葉を思い出す。

 

「アリス、俺が幻想郷に迷い込んだ時、君に決意表明したこと、覚えてる?」

「……なんだったかしら」

唐突な問いかけに、アリスは眉を顰めた。

「いや、大したことじゃないんだけどさ」

 

俺は苦笑いしながら頭を掻いた。

「アリスにはあの時から助けてもらってるのに、俺からは何の礼もお返しも出来てなかったじゃないか」

「ああ……貴方って本当に――」

合点がいった様子でアリスは小さく頷くと、付け加えるように言葉を続ける。

 

「面倒くさい?」

そんな彼女の言葉を先回りするような俺の問いかけに、アリスは呆れた様子で応じる。

「『律儀』って言おうとしたのよ」

「ならよかった」

 

どこか高揚する気持ちを覚えながら、俺は話を再開する。

「まあ、ともかく、アリス。俺は君にたくさん借りがあるからね。ここらで少しは返したいと思ってたんだ」

そうして俺は、自分の胸を軽く拳で叩いた。

「だから、俺に出来ることなら、なんでもやるよ」

 

笑みを浮かべる俺に、アリスは小さく嘆息する。

「借り……ね」

どこか遠くを見るように、アリスは頬杖を着いて視線を逸らした。

「全部返せるといいわね」

 

「そ、そんなに!?」

あからさまに狼狽する。

そんな俺の反応を楽しむようにアリスは微笑を浮かべた。

「冗談よ」

 

 

* * *

 

 

で、そんなアリスの研究の手伝いなのだが。

「――というわけで、お爺さんとケンタウロスは末永く幸せに暮らしましたとさ」

なんだこの話。

いや、意外と面白かったんだけども……。

「めでたしめでたし」

俺は手元の本を閉じた。

 

そんな俺の目の前、丸机の上で、上海と蓬莱が揃って手を上げて楽しげに跳ねる。

その様子を微笑ましく思いながら、俺は正面に座るアリスに視線を動かす。

彼女はというと、興味深げに目を見開きながら上海と蓬莱を観察している。

 

「……なあ、アリス」

「なに?」

「こんなんで、いいの?」

「やってみなければ分からないわ」

「……それもそうだな」

そんなやりとりをしつつ、それでもやはり俺は腑に落ちない気持ちのまま、次の絵本を手にとって2人の人形に読み聞かせる作業を再開した。

 

聞くところによると、アリスの魔法の目的は、完全に自立した、つまりは自分で考え自分で動く人形を作ることらしい。

その目的のために日夜研究をしている彼女が言うには、もしかしたら俺がその研究の力になるかもしれないようだ。

 

魔法の知識が皆無な俺に何ができるのかというと、どうも俺と接している時の上海や蓬莱ら、アリスの作り出した人形が予期しない仕草を見せるらしい。

頭を撫でることを要求するような仕草とか、主人のアリスを真似るような仕草とか。

言われてみれば、人形たちと接していると、やたらアリスの視線を感じた気がする。

 

そこで、今回俺が魔法に関わることになるに至って、アリスも自分の研究のために俺に協力を依頼。

その内容が、要約するならば『とりあえず上海や蓬莱と戯れる』、というものだった。

 

『そんなことでいいのか?』

と問いかける俺に、アリスは小首を傾げた。

『お願いしたいのだけど』

『いや、もちろんお安い御用なんだけど……まあ、いいや。で?戯れるって?具体的には何をすればいいのかな?』

『…………そうね…………』

『…………アリス?』

『…………お任せするわ』

具体的には何も考えていなかったようだ。

 

とりあえずのところ今回は、俺はアリスの家にある子供向けっぽい本を拝借して読み聞かせることにしたというわけである。

まあ、こちらとしては愛玩動物や小さな子供と接するような心境だったわけだし構わない。

構わないのだが……。

 

「………………」

「どうしたの、急に黙り込んで」

「……いや、なんでもない」

俺の顔を覗き込むように見るアリスに俺は首を振ると、気を取り直して絵本に目を向ける。

 

……冷静に考えて。

要約するならば、大の男が人形遊びをしている様を傍目で少女が観察しているという、なんともな図がそこに完成するわけである。

いや……いいんだけどさ。

いいんだけども。

 

そんな悶々とした気持ちのまま、3冊目の絵本を置いたところで、アリスが立ち上がった。

「今日はこんなところでいいかしら」

不満げに蓬莱が飛び跳ねると、アリスはジト目を向けて蓬莱の抗議を黙殺した。

「……どう?なにか参考になった?」

自身なさげな俺の言葉に、アリスは無言で肩を竦めた。

 

「さて、それじゃあ始めましょうか」

どうも、あまり成果はなかったらしい。

とはいえ、いよいよ待ちに待った魔法の勉強だ。

 

俺は目を輝かせながら立ち上がった。

「ああ、よろしく頼む……あ」

ふと、天啓のような閃きに声が漏れた。

 

アリスが不思議な物を見るような目を俺に向けてくる。

「どうしたの?」

「あ、いやあ、えっとさ」

 

俺が魔法を習得するって、漫画なんかでよく見る定番、主人公がパワーアップするための修行みたいな物ではないだろうか。

まあ、師事する相手が女の子といのはあまり見ない気がするが、少年の心を自称する俺としては、憧れのシチュエーションと言ってもいい。

いいよな?

 

「あの、アリス」

いつになく真剣で、しかしどこか期待を込めた目をアリスに向ける。

「なに?」

きょとんと目を丸くしたアリスに、俺は咳払いをした。

 

案外アリスはノリがいい。

もしかしたらこういうのは好きかも、という根拠のない期待を込めて、俺は申し出た。

 

「し、師匠って呼んでもいい?」

対して、アリスは即答する。

 

「嫌」

「あ、はい」

 

そんな感じで出鼻を挫かれつつ、俺はアリスに魔法を師事する次第となったのである。

 




というわけで、主人公が魔法を習い始めるという話に2話も使ってしまいました。
ほのぼのを意識すると結果的に話に贅肉を注ぎ足す形になっています。

主人公の魔法のお披露目はその内、少なくとも次回ではないです。
もしかしたらその内空を自由に飛べるようになるかもしれませんね。

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