東方己分録   作:キキモ

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三話 もう一人

何が起きたのか、俺は理解できないままに、走った。

俺を追っていた怪物だが、どうやらもう一人の俺を追いかけていったようだ。

しばらく走ったところで、体力が尽き、その場にへたり込んだ。

心臓の動悸が激しい。

火照った体に夜風が心地よかった。

 

逃げ切れた……のか?

分からない。

 

いまいち纏まらない頭を回し、なにが起きたのかを考える。

 

まずは俺を追っていた怪物。

体格は熊。

だが、腕は手長猿のように長く、顔面は平らで、獣というよりは人間の骨格に近い。

これだけなら、まあ、そんな生物もいるかもしれない程度には思ったかもしれない。

だが、あの巨大な目。

異様だった。

 

御伽噺に聞く、一ツ目の巨人、サイクロプスを髣髴とさせた。

しかも、獣の鳴き声ではなく、はっきりと、その怪物は喋ったのだ。

 

幻でも見たのではないかと思いたいくらいだが、あの怪物の息遣い、言葉、存在感が、現実であると俺を確信させる。

あれは一体なんなのか。

駄目だ。考えても分からない。

 

分からないといえば、突然現れたもう一人の俺だ。

あのとき、必死で逃げている合間、頭の中で何かが弾けたような錯覚を覚えた。

それと同時に、唐突に現れたのはまさしくもう一人の俺と表現するほかない、瓜二つの容姿を持ち合わせたナニカだ。

いや、分身のようなものかもしれない。

 

漫画やアニメで見る、忍者が扱う代表的な忍術の一つである分身の術。

囮を作り出すことで、相手の意表をついたり、逃走のための時間を稼ぐための術だ。

それ、に近いのか……?

と、そこまで思考を巡らせたときだった。

 

 

「―――あああああああ――――」

 

 

それは、断末魔だった。

 

それは、少し離れたところから聞こえた。

 

それは、俺の声だった。

 

 

 

俺の声だと、俺が知覚するの同時に、その声は唐突に、まるで叫んでいる途中で声の主が消えたかのように途絶えた。

刹那、

 

「うっ」

 

頭を抑える。

強烈なイメージ。

フラッシュバック。

何かが流れ込んでくる。

 

 

 

 

 

――何かが弾けたような気がした。

 

走る。

左を見る。

併走するもう一人の俺。

目を見開く。

右側へ進路をずらす。

もう一人の俺から遠ざかる。

だが。

ヤバイ。

ヤツが、

一ツ目の怪物。

こっちを追ってきた。

走れ。

でも、

体力が、

足がもつれる。

地面に倒れこんだ。

慌てて立ち上がる。

もうすぐ背後まで、

息遣いが、

背後で、

風切り音。

背中に鋭い痛み。

熱い。

再び、倒れる。

重い。

圧し掛かってきた。

「ゲハハ……」

怪物の顔が、

ニタリと嗤う。

目の前に、

巨大な目、

「あ、あ……あ」

巨大な口、

「ああ………」

巨大な牙、

「あああああ――」

眼前に

「イタダキマァ――」

「ああっ!!!あああああああああ――」

 

 

 

 

 

……心臓が、痛いほど強く鳴っていた。

突然のイメージの激流は、同じく唐突に終わった。

喰われた。

と思ったが、しかし、実際の俺は、先ほどと同様に地面にへたり込んでいる。

周囲にあの怪物は見当たらないし、背中に怪我を負っている訳でもないようだ。

だが、それにしても今のイメージは鮮烈過ぎた。

 

あれではまるで、

分身した俺の記憶……。

 

いや、実際そうなのだろう。

そして分身の俺が死んだから、その記憶が流れ込んできた、ということだろうか。

だめだ、分からない。

 

ただ、分身の俺は、自分が本物だと思い込んでいた。

いや、実際にはあちらが本物で、俺は偽者なのか?

 

いや、『どちらも本物だった』のかもしれない。

根拠はないが、この考えがなぜか一番しっくりきた。

 

分身ではなく、二人とも本物の俺だった。

突飛な発想にも思えたが、実際先ほどから突飛な事象が起き続けている。

なにが起きているのか、理解する余裕はない。

 

 

とにもかくにも、あの怪物は今俺を見失っているはずだ。

体力が尽きている今、どこか近くの藪に身を潜め、ヤツをやり過ごすしかない。

 

そう思って立ち上がったそのとき、

俺が向いている方向、即ち、分身した俺の断末魔が聞こえた方向から、

茂みを掻き分け、

ヤツが現れた。

 

愕然と目を見開く。

対照的に怪物は、目を細め、ニタリと笑う。

その距離、10メートル。

 

「ミーツーケータァアアアアア!!」

 

「クッソ!!」

息を切らしながら再び走り出す。

 

早すぎる。

分身の俺がやられてから、五分と立っていない。

なぜ、こんなに早く俺を発見できた。

 

そのとき、一陣の突風が吹きぬける。

俺のいる方向から、怪物の方向に向かって。

 

「風上……においか!!」

 

怪物の顔に鼻はないように見えたが、存外離れたところにいる俺の臭いを嗅ぎ付けるほど性能はいいようだ。

あるいは、別の能力かも知れないが、そんなことを調べる余裕はない。

 

とにかく、走れと。

自分を奮い立たせようとする。

だが、

「っ!!」

ここにきて木の根に足をとられ転倒した。

いや、そもそもとっくに体力は底を尽きていた。

 

必死に起き上がろうとするも、足に力が入らない。

 

「ゲハハハハ!!」

そしてついに、怪物に追いつかれた。

馬乗りに圧し掛かられ、動きを拘束される。

おそらく食い殺されたであろう俺の記憶がフラッシュバックし、その光景に絶望的な既視感を抱かせた。

 

「オマエハ、ホンモノカーー?」

唾を飛ばしながら、俺に問いかける怪物。

だが、俺はそれを無視し、目を閉じる。

 

捕らえられた今、更に逃げ続けるとすれば、もう一度分身するしかない、と、俺は咄嗟に判断する。

頭の中で、分身をイメージする。

先ほどの分身したときの記憶を呼び起こそうとする。

念じる。

必死に、死に物狂いで。

 

頭の中で、パチパチと何かが連続で弾けた。

だが、その衝撃は、例えるならば線香花火のような小さな衝撃だ。

分身したときは、頭の一部が爆発したのではないのかと錯覚するほどだったが、それと比較するとあまりに弱弱しい。

失敗だ、と悟った。

何かが足りない、と直感的に理解する。

 

何が足りない?

体力か、気力か、集中力か、

或いは――

 

「マア、コロセバワカルカ」

 

と、怪物は右手を振り上げ、鋭いツメの先端を俺の心臓に向ける。

 

或いは、

 

「シネヨ?」

 

或いは、

 

 

タイムスパンか。

一定の時間間隔。

 

瞬間、それが今だと悟った。

 

 

 

弾けた。

 

同時に、怪物の鋭いツメが俺の左胸を刺し貫く――のを、俺はほんの3メートルほど離れたところで見ていた。

 

怪物に馬乗りに拘束され、貫かれた俺は、霞のように薄くなり消失した。

その光景を、俺は見ていた。

 

どうやら、土壇場で分身に成功したようだ。

 

 

しかし、ここまでのようだ。

 

分身を生み出す、もしくは、俺が分身して現れることができる場所は、自分のすぐ近くしか指定できないようだ。

怪物の一撃を分身を用いて避けることに死力を尽くした俺は、怪物の前で無防備に横になっていた。

体中が、鉛のように重く、動かない。

もとからの体力切れもあったのだろうが、分身能力は、使用すると体力や気力を消費するみたいだ。

もう、腕を上げることすら億劫だった。

 

「マタニセモノカ……」

怪物は地面に突き刺さる右腕を抜く。

 

「デモ」

立ち上がり、俺を見た。

 

「オマエハ、ホンモノ、ダヨナ?」

 

ああ、その通りだよ、と。

俺は心の中で言った。

口を動かすことすら、億劫だった。

どうやら、諦めとともに覚悟が出来たようで、今は怪物に対する恐怖よりも、一矢報いたいという負けん気が勝っているようだった。

動けないながらも、怪物を睨み付ける。

それでも、その意思に反し、体はもう動かない。

 

「ゲヒッ」

下卑た笑みを、怪物は浮かべる。

 

「ニゲルナヨ」

先ほどと同じように、長い腕を振り上げた。

その光景が、絶望的なほどにどうしようもないという事実を、俺に伝えているようだった。

 

言われなくても、できねえよ、と。

俺は、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………………………?

 

 

 

 

来ない。

 

ツメを振り下ろす風切り音も。

 

俺の体が引き裂かれる感触も。

 

焼けるような鋭い痛みも。

 

いつまで立っても、来ない。

 

 

恐る恐る、目を開ける。

 

「…………え?」

 

鋭い銀色の槍の先端が、怪物の喉笛に向けられていた。

怪物はそれを前に、動けないようだ。

 

「よう、せい?」

槍(というより形状はランスに近い)の持ち主は、小さなヒトのようななにかだ。

大きさとしては30センチ前後。

青を基調としたロングスカートの洋服を着ており、フリルの着いたエプロンを備えている。

長い金髪に大きな赤いリボン。

クリッとした丸い瞳は愛らしく、これで羽が生えていれば、御伽噺に出てくるような妖精の一種だと確信しただろう。

 

そんな妖精のような何かが、一ツ目の怪物の周囲に、10体近く展開し、空中を浮いている。

その手には、一様にものものしい銀色のランスが握られており、鋭い先端が、その殺傷性を示している。

 

異様な光景に、息を呑む。

が、俺の頭は靄がかかったようにぼんやりとし始める。

どうやら、疲労のピークが、意識を保つことすら困難なレベルまで達したらしい。

 

「ニンギョウ……ツカイ……」

怪物が憎憎しげに呟いた。

巨大な目が、俺の真上を通りすぎ真正面へ向けられる。

 

「騒々しいわね」

怪物の視線の先、俺の後ろ、それほど離れていないところから声がした。

女性の声だった。

 

「ジャマヲ、スルナ」

「悪いけど、そうもいかないわ」

 

女性の声は、一ツ目の恐ろしい風貌の怪物に対する恐怖を微塵も感じさない。

ともすれば、世間話をしているかのような、落ち着いた声だった。

 

「ヒトザトノソトナラ、ヒトヲクッテモ、イイダロ?」

「そうね。その通りよ」

「ナラ、ナンデ、ジャマスル。オマエモ、コイツ、クイタイノカ」

 

怪物は、指差すようにツメを一本、器用に俺に向けた。

 

「いいえ。ただ、このまま見殺しにするのは目覚めが悪いだけよ」

「フザケルナ!!オレノ、ジャマヲ、スルナ!!」

怪物が吼える。だが、女性の声は先ほどと全く同じトーンだ。

「ここでは人間を喰わなくても、あなたたちは生きていけるでしょう?」

 

「ヒトヲ、クエバ、チカラガツク!!ヒトノ、ニクハ、ウマイ!!」

怪物が、妖精?を無視し、再び俺を殺そうと右腕を上げる。

 

「……ずいぶんと品性がないのね」

「ガッ!?」

怪物の動きが中途半端なところで止まった。

 

……?

目を凝らす。

何か、細い糸のようなものだろうか。

淡く発光しているようにも見えるそれが、怪物の体中に巻きついている。

よく見るとその糸は、妖精たちにも伸びていた。

 

「これ以上やる気なら」

「ガァ……」

「容赦はしないわよ」

 

糸が怪物の肉体に喰いこむ。

憎憎しげな視線を怪物は浮かべる。

 

だが、どうやら戦意を無くしたらしい。

程なくしてその体に巻きついた糸から開放されると、踵を返す。

 

「…………ガァ…………」

最後にちらりと、俺を名残惜しそうに見るも、そのまま歩み去ってゆく。

出来ればもう二度と関わりたくない。

 

助かった……のか……?

 

怪物が去った後、横になった俺の近くまで、軽い足音が近づいてくる。

「大丈夫?」

と、問いかけられる。

俺は、体を動かし、声の主を見ようとする。

 

だが、

 

…………あ。

 

助かったことによる安堵で、緊張が解けてしまったためか。

瞬間、急速に俺の意識は闇に呑まれ始めた。

俺を起こそうとしたのか、背中と肩に、手が添えられる感触がした。

 

「あの」

 

何か言わなければと、俺は無理矢理口を動かす。

 

助けてくれてありがとう、とか。

君は誰なんだ、とか。

 

何か、何か言わなければ。

 

視界が急速に闇に包まれる中、蒼い瞳が見えた気がした。

 

宝石みたいで、綺麗だ。

 

そんな場違いなことを思いながら、俺は意識を手放した。




三話目にしてやっと会話した感があります。主人公は喋ってませんが。
せっかくの後書きなので、なにか解説的なのを入れようかなあと思いました。
気が向いたり、必要そうだったら書くかもです。

主人公が死にかけてますが、真面目にほのぼのとしたものを書きたいと思っています。

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