東方己分録   作:キキモ

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二十五話 お茶と食事とデザートと

血に汚れた着物は、俺がシャワーを浴びている間に咲夜が洗っておいてくれるらしい。

で、咲夜が用意してくれた着替えなのだが、

 

「……うわぁ…………」

体を拭いた俺が絶句しつつ腕を通すのは、黒い生地の執事服だ。

燕尾服とも言うのかもしれないが、この館においては執事服と言ったほうが妥当だろう。

久しぶりの洋服はしっかりと糊付けされており、なんとなく窮屈に感じて居心地が悪かったし、コスプレをしているようで奇妙な気分だ。

そんな感想を抱きつつ、ちょうど着替え終わったところで浴室の扉がノックされる。

 

『終わったかしら』

「ああ、うん。どうぞ」

返事を受けて扉を開いた咲夜は、俺を見てどこか満足げに頷く。

「似合ってるわ」

「それは、まあ……どうも」

正直なところ、困惑はするものの悪い気はしなかった。

 

軽く咳払いをして気を取り直す。

「と、ところで、エプロンなんかはあるかな?さすがにこの服まで汚しちゃうわけにはいかないし」

「ええ。厨房に備えてあるけど、それでいいかしら」

「うん。じゃあ、案内よろしく」

 

 

咲夜に案内された紅魔館の厨房は、それなりに広い。

予想通り設備は少々古風だが、それでも人里のものよりは使い勝手はよさそうだし、咲夜にサポートしてもらえば問題なさそうだ。

紅魔館に来た目的が果たせそうで、ほっと一息つく。

 

「ねえ、悠基」

「ん?」

ふと、咲夜に声をかけられ振り向くと、フリルがふんだんにあしらえられた、明らかに女性向けの物と分かるエプロンを広げている。

「エプロン、これでいいかしら?」

 

「……あの、男向けの、もうちょっとシンプルなのはないかな?」

「不満なの?」

「この服装にあうエプロンがあったらそっちの方がいいかなあ」

俺は両手を広げて咲夜に執事姿をアピールする。

なんだかんだで我ながら微妙に気に入っていたようだ。

まあ、多分に咲夜に褒められたのもあると思う。

 

そんな俺の反応に、咲夜は首を傾げて逡巡した後、ボソリと呟く。

「……メイド服の方が良かったかしら?」

「分かった分かったエプロンはそれでいいです!」

不穏な言葉に俺は頷きながら、実用性の面においては特に問題はないのだからと前向きに考えることにした。

 

「さて、と」

俺は調理台の上に広げられた材料を見回す。

咲夜が用意してくれた食材は、必要な量よりもかなり余分に用意されている。

 

「何か足りないものがあったら言って頂戴」

「了解って、咲夜も何か作るの?」

別の調理台の前に立つ咲夜に視線をやると、彼女は頷いた。

「お嬢様に命じられたあなたの食事よ」

「そういえばそんなことも言ってたねえ」

 

そんなやりとりをしつつ、ケーキの作成を進めて行く。

とはいえ、懸念していたクリームの製作段階で、俺の手は否応なしに止まった。

俺が再現するクリームの製法では、手を付けずに数時放置することが過程に含まれる。

「うーん……」

『時間は咲夜の得意分野』だと言うレミリアの言葉の意味はよく分からないが、こういう時は咲夜を頼れということだろうか。

 

「ねえ咲夜……えっ」

そんな考えに至った俺は、振り向くと同時に目を瞠った。

調理台のまな板の上に置かれた塊。

彼女が包丁を入れるそれは、幻想郷では見慣れないものだった。

「それって、牛肉……?」

「ええ」

 

俺の呟くような声に咲夜は頷きつつ、淀みない手つきで分厚い肉に刃を入れる。

その光景に俺は見惚れると同時、生唾を無意識に飲み込んでいた。

 

広くない幻想郷では、牛肉というのはそれなりの高級品だ。

価格が高いのはもちろん、そもそも商店にも滅多に並ばないから見かけることすら稀。

それだけに、久しぶりに見る重量感ある肉に、思わず腹の虫が鳴る。

 

「い、いいの?そんな高級品」

「構わないわ」

すまし顔で肉を切り分け終わった咲夜は、包丁を置いた。

「紅魔館の地下でさいば――」

そこで急に言葉を切って、口元に手を添えて視線をあからさまに逸らす。

 

「……飼育してる物だもの」

「今、『栽培』って言おうとしなかった?」

「ただの言い間違えよ」

「………………」

急に得体の知れない肉塊に見えてきた……。

 

「そんなことより、何か用?」

「そんなことて……」

俺は半眼で抗議するが、咲夜は見据えるようにこちらを見たまま動かない。

「……言い間違いならいいんだけどさ」

半ば根負けするような気持ちで、俺は結局引き下がることにした。

 

「あー、えっとさ、さっきレミリア様がおっしゃってた咲夜の得意分野って?」

「そうね」

 

咲夜は布巾で手を拭うと、どこからともなく古びた懐中時計を取り出した。

「それは?」

と、俺が問いかけると同時、彼女の手に持つ時計。

その鎖部分から発せられる音が、聞き覚えのあるものだと唐突に気付く。

人里から紅魔館に発つとき、咲夜にいつのまにか抱きかかえられる直前に聞こえた軽い金属の擦りあう音。

あの音と同じだ。

 

「私の能力はね」

咲夜は鎖に吊り下げられてぶらぶらと揺れる時計に目を落としながら口を開く。

「時間を操る程度の能力と呼ばれているわ」

「じ、え?時間を?」

「ええ」

すまし顔で咲夜は頷く。

 

「え?それ、え?そ、それ、それって凄くないか?」

転じて、少々興奮気味の俺の口から出るのは小学生並みの感想だった。

 

「別に、幻想郷では大したことじゃないわ。ただ単に停止した時間の中で、」

「っ!」

突然目の前から咲夜が消えた。

「こういった具合に動いたりできる程度よ」

と同時に、背後から彼女の声がしたため、肩を跳ねさせて慌てて振り返る。

目の前から俺の後ろへ、まさしく瞬間移動した咲夜の姿に、俺は目を丸くした。

 

そんな俺を前に、咲夜は淡々と続ける。

「例えばケーキの材料とか」

――どう考えてもそんな短時間で用意できるはずはない――

「貴方がいつの間にか抱えられていたこととか」

――それは俗に言うお姫様抱っこというものだった――

「美鈴の額に刺さっていたナイフとか」

――まるで最初からそこにあったかのように銀色の刀身のナイフが突き刺さっており――

 

「不思議に思ったんじゃない?」

「ああつまり、全部時間停止を利用してたってことか」

なるほどと俺は納得する。

いやでも最後のは平気な顔をしている美鈴の光景が強すぎて不思議に思う余裕もなかったなあ。

 

「そういうことよ」

「それは……凄いな……」

さっきから凄いしか言ってない。

絶望的な語彙力だった。

 

「あ、それじゃあ、物の時間を進めたりとか戻したりとかも出来るってこと?」

「一応はね」

肯定する咲夜に俺は得心がいく。

レミリアが「心配していない」と言っていたのはこういうことか。

 

「じゃあ、これなんだけど」

俺は調理台の上の鍋に並々と注がれた生乳を指差す。

「これの時間を数時間進めることも出来るってこと?」

「ええ」

咲夜はこともなげに頷いた。

 

 

* * *

 

 

咲夜の料理の腕は見事なもので、彼女の焼いたステーキは絶妙な香辛料の風味付けによって鼻腔を通して俺の食欲を刺激させる。

得体の知れない肉であってもかまわないとさえ思わせるほどだ。

いやかまわなくはないんだけど、それでも抗いがたいほどの魅力がある。

だが、それを差し引いても、現状すぐに目の前の肉に手を出そうという気にはなれなかった。

 

「あら、食べないの?」

レミリアは口元に笑みを浮かべながら俺を見据えた。

そんな彼女は、俺の正面で小皿に盛られたショートケーキを前に舌鼓を打っている。

 

想定よりも随分早い時間でケーキ――設備が良かったのもあって再現度は完璧だ――を作り終えた俺が咲夜に案内されたのは、レミリアと顔合わせした部屋だ。 

その部屋の丸テーブルを挟んで座る俺とレミリアはどういうわけか一緒に食事をすることになっていた。

いやレミリアの場合はデザートとでも言えば良いのか。

ともかく、ステーキを前にどこか萎縮した様子の男と、ケーキを前に楽しげな笑みを浮かべる少女が同じテーブルで向かい合っているという、なんだか奇妙な光景がそこにはあった。

咲夜はレミリアの背後でまるで空気に徹するかのように控えている。

 

「いえ……」

対する俺はナイフとフォークを手にとっては見るものの、正面に座るレミリアの視線が気になってそのまま食事、という気になれない。

 

「どうして相席なのかなあ、と」

「いやなの?」

「そういうわけじゃないですけど」

「ならいいでしょ。ねえ、貴方の話、聞かせて」

レミリアはフォークの刃先を俺に向けて振った。

 

「俺の、ですか」

「というよりも、外の世界の話ね」

言いながら、レミリアは一口ケーキを口に入れる。

「んぅー!」

頬に手を当て僅かに顔を赤らめながら満足げな笑顔を浮かべる彼女は、どう見てもあどけない少女にしか見えない。

先刻の、生命の危機を感じるほどのプレッシャーを放った少女とは思えず、そのギャップにただただ戸惑った。

 

「えっと、そういえば、何年か前までは、貴女たちは外の世界に住んでいたんでしたっけ」

「そうよ。貴方も外から来たんでしょう?」

「えっと……まあ、正確には違うのですが」

「いいわ、そのことも含めて、貴方の話を聞かせてよ」

レミリアは更に一口、ケーキを食べる。

 

「ん……それから、せっかく咲夜が作ったのだから、冷めない内に食べなさい」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

俺は慣れない手つきでフォークとナイフで目の前の肉を切り分けながら、口を開く。

「だいたい3ヶ月前の話です。きっかけは……なんだったかな……確か写真を見つけたのが――」

 

 

* * *

 

 

柱時計が鳴った。

見ると、既に短針はローマ数字の3を指している。

「話こんじゃったみたいね」

空になったティーカップを音を立てずに置くと、レミリアは軽く息をつく。

 

「ですね」

俺は同意すると、「さて」と立ち上がった。

「それでは、本日はこの辺りでお暇させていただきます」

急ぐわけではないが、出来れば日没までには人里には着いておきたい。

 

「悠基、貴方意外と話し上手、いや、聞き上手なのね。楽しかったわよ」

「楽しんでいけたなら幸いです」

初対面の時よりは随分と落ち着きを取り戻したのか、それとも失った血を取り戻して体調が良くなったためか、俺はレミリアに対して自然に笑みを浮かべることが出来た。

なんとなく、話していてレミリアの性格の一端が分かってきた感じがする。

 

「またその内、アポなしで伺うと思います」

「ほどほどに歓迎してあげるわ」

 

「悠基、これを」

いつの間にか咲夜が、背後に控えていた。

その手には風呂敷包みが2つ抱えられている。

 

「こっちが貴方の荷物、こちらは貴方の着物よ」

「ありがとう咲夜」

風呂敷包みを受け取る俺は、未だに執事服だ。

「あ、それじゃあどこか部屋でも借りて着替えないと……」

「それには及ばないわ」

 

レミリアが俺の言葉を遮る。

「その服は貴方にあげるわ」

「いいんですか?」

「構わないわよ。タンスの肥やしにするよりはマシだわ」

 

「それじゃあ、有難く頂戴します」

「ええ。あ、そういえば」

ふと思い出したようにレミリアは両手を合わせる。

 

「貴方に伝えておかないといけないことがあったわ」

「えっと、何か?」

訝しく思いながら先を促すと、レミリアは笑みを浮かべる。

 

「貴方の能力、解くのなら人里に残している方にしておきなさい」

あれ?

「分身能力を使ってるって、話してましたっけ?」

 

俺の困惑の眼差しを受けて、レミリアは首を振った。

「いいえ。でもとりあえず、消えるのは残したほうの貴方にすること」

更に疑問が増える中、俺はとりあえず彼女の目的がよく分からずただただ首を傾げる。

「えっと……なんでですか?」

 

「貴方から貰った血がまだ私のものになってないからよ。貴方が消えてしまうと、私の中のそれも消えちゃうわ」

「……?」

やはり、レミリアの言葉の意味が一瞬分からない。

 

俺があげた血というのは、間違いなくレミリアが俺から吸い取った血のことを指しているのだろう。

だが、『私のもの』というのはどういうことなのだろうか。

 

分身によって増殖した俺の体は、欠損しても欠損した部位は消滅せずにその場に残る。

そして、分身が消滅するのに連動して、その分身が欠損した部位も消滅する性質……らしい。

 

『らしい』というのは、俺がこの能力の性質をきちんと確認していないからだ。

だって、欠損した部位って……つまりは腕だの何だのが切り落とされたりした場合を指しているわけで、そんなことを試しにやる度胸はないし、知っていたとしてもあまり役に立つわけではないから仕方がない。

つまるところ、俺がこの性質を確認した際に欠損した部位は髪の毛数本だけであり、それ以上は自分の能力の性質の調査はしていなかった。

 

だからこそ、なぜなのか。

俺はレミリアに向けた目を見開いた。

彼女の言葉は、俺が話していないどころか、自分で確認すらしていない俺の能力の性質を把握しているということになる。

更に、『私のもの』という意味深な言葉は、それこそ俺が全く把握していない領域だろう。

 

「なんで……」

困惑と驚きが入り混じった俺の視線を受けて、レミリアは口を開く。

「こと貴方の能力に関しては、私の領分である、というだけの話よ」

そう言って彼女は、やはり笑みを浮かべる。

 

「お嬢様、どういう意味でしょうか?」

静かに俺たちの会話を聞いていた咲夜も訝しげに尋ねてくるが、レミリアは首を振った。

 

「まあ、この話はまた今度、気が向いたら話すわ」

俺と咲夜の疑問に答えることなく、レミリアは一方的に会話を切った。

 

 

* * *

 

 

俺の能力、名付けて『分身する程度の能力』は、俺が幻想郷入りした直後に唐突に発現した能力だ。

幻想郷での生活をする上で、現状は必須の能力とも言える。

 

にも関わらず、この能力には不明な点が多い。

能力の使用によるリスクや物理的な法則、そして一番の謎は、なぜ使えるようになったのか。

改めて考えると、我がことながら得体の知れない力だと思う。

 

次の機会に紅魔館に訪れたときに、レミリアは話してくれるだろうか。

特に根拠はないが、まだ話してはくれないだろうと、なんとなく思った。

 

「もうすぐ着くわ」

身を切るような風の中、相も変わらず平気な顔をして咲夜が言った。

 

思考にふけることでどうにか寒さから気を逸らそうと試みていた俺は、空を飛ぶ咲夜に抱えられた体勢のまま頷く。

もちろんというか、残念ながらというか、その体勢は俗に言うお姫様抱っこである。

三回目ともなれば、さすがの俺も慣れてきた。

主に人前に晒されることによる羞恥に、である。

いや嘘だ。

慣れるわけはないし慣れたくもない。

咲夜に「せめて人里の近く、人気がないところに降ろしてほしい」と伝えると、「降ろした後に妖怪に襲われるかもしれないでしょ」と返される。

 

その時の咲夜の瞳が、どこか楽しそう、もとい愉しそうに感じたのは気のせいではないだろう。

ああ、こういうところはレミリアの従者だなあ、と現実逃避気味に納得した。

 

 

 

……数分後、人里でちょっとした騒動が起きていたことを俺は知る。

曰く、真昼間から人攫いがあったらしい。

曰く、連れ去ったのは紅魔館の人間らしい。

曰く、連れ去られたのは例の鬼の騒動の被害者らしい。

 

で、そんな騒動の最中、連れ去られた当の本人がなにくわぬ顔で執事服になって帰って来た。

そこからは想像もしたくないが、あえて言うならば、萃香の事件同様、今後数週間に渡ってあることないこと増長された噂が人里を駆け巡るのは確かだろう。

 

そこまで想像が着いた俺は、人里に残した方の俺が頭を抱えるのを見て、深いため息がこぼれるのだった。

 

…………早まったな。




主人公のほのぼの紅魔館初訪問でした。
ほのぼのってなんだっけ……(哲学)
なんだかんだで主人公は凡庸に収まる範囲でスペックは高いです。
レミリアがやけに主人公を気に入っているように見えるかもしれませんが、能力のことを除けば、レミリアの主人公に対する認識としては、今のところ「平凡な人間」止まりです。

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