東方己分録   作:キキモ

24 / 67
二十四話 謁見

俺が案内された一室は、天蓋の着いたベッドや、豪勢なクローゼットの備えられたいかにも中世の貴族の私室を髣髴とさせる部屋だった。

例に漏れず赤系統のカーペットや壁紙といった装飾だったが、予想外だったのはその部屋には大きな窓が設置され、分厚いカーテンが開かれていたことだ。

窓の向こうは鼠色の曇り空だったが、直射日光でなければ平気だということだろうか。

 

そして、その窓の正面、部屋の中央やや奥で、小さいな丸机に上品に頬杖をつき、アンティークなデザインの椅子に足を組んで座る少女が、微笑を浮かべて俺を見据えていた。

見た目で言えば、それこそ可憐な少女だ。

大妖精やチルノと同じかその前後といったところだろう。

 

だが、見た目は幼くとも、纏う雰囲気や表情が明らかに違う。

……おそらくは、前知識による補正もあるのだろうが。

彼女こそが、幻想郷を一度ならず危機に陥らせた異変の首謀者、レミリア・スカーレットなのだ。

 

俺は一礼すると、咲夜に促されるままに、レミリアの前に進み出る。

緊張から体の挙動に若干の違和感すらあった。

とはいえ、咲夜から聞いた通り、既に紅魔館の厨房を使う許可は下りている。

だから、今回は挨拶するだけだ。

失礼が無ければ問題はないはず。

失礼さえ無ければ……。

……よけい緊張してきた。

 

「あの、お初にお目にかかります」

俺は軽く頭を下げる。

「岡崎悠基と申します。この度は――」

「ねえ、貴方」

と、俺が挨拶をしようと言葉をつないだところで、レミリアがそれを遮った。

 

「――はい?」

俺は頭を上げながらレミリアを見る。

椅子に座る彼女より直立する俺の目線は高くなるため、自然にレミリアは俺を見上げる形になる。

レミリアは僅かに上目遣いになりながら、笑窪を深くする。

 

 

 

「ただの人間風情が、私に対して頭が高いんじゃない?」

 

 

それは間違っても高圧的な物言いではなく、あたかも世間話をするかのごとく、自然な言い方だった。

 

 

対して、

 

 

瞬間、

 

――ゾワリ――

 

と、総毛立つ感覚が体中を奔る。

 

俺は無意識に呼吸を忘れ、ただ、促されるまでもなく、跪いた。

酷く緩慢な動作だ。

反して心臓は痛いほど激しく鼓動していた。

体が小刻みに震える。

しかし、片膝を着き、彼女に……その『お方』に頭を傅いたまま、俺は動けずにいた。

 

俺は支配されていた。

恐怖に体の自由を奪われていた。

純粋な死の恐怖だった。

頭では……理性では、分身である俺が殺されたところで、人里に残った俺がバックアップとなることは理解している。

だが、そんなことは瑣末でなんの気休めにもならないと、本能が訴えかけていた。

 

「お嬢……様?」

背後で困惑した声を咲夜が上げる。

その声は、水面を通して歪められたかのように、彼女と俺がいる世界が全く違う世界であるかのように、酷くぼやけた形で俺の耳に届いた。

 

そんな中で、そのお方は小さく笑った。

堪えるような、しかし僅かに喜びを含んだかすかな笑い声は、咲夜のときと違いはっきりと俺の耳に届く。

 

 

そうして唐突に、

「っ―――…………ハァ、ッ、」

俺を絞め殺さんとしていた重圧が消えた。

俺の体を拘束していた恐怖という名のプレッシャーが、ふいに消失した。

 

「ハァッ、アッ、ハァ、ハァ」

やり方を忘れていたかのように、俺は乱れた呼吸を再会する。

浮かんだ脂汗が傅いたままの俺の鼻先を伝って落ち、高級なカーペットに一滴のシミを作った。

 

先ほどとは違い、体を支配されている感覚はない。

だが、震えは止まらないし、頭を上げて正面から彼女を見る勇気がまだ沸かない。

 

「すまないね、咲夜」

レミリアが立ち上がるのが、視界の端に見える。

「お前が珍しく客を招きいれるから、どんなヤツかと思ってね」

ゆっくりと、彼女は俺に近づくと、震えるその肩に手を置いた。

 

「拍子抜けだわ。この程度の殺気でここまで怯えるなんて、予想以上に凡庸で、臆病な男なのね」

「彼は普通の人間だと、お伝えしましたが」

「お前の感覚で普通の人間と言われたところで、それを鵜呑みにできるはずがないだろう?」

 

「……?どういう意味でしょうか」

困惑した様子で咲夜が問いかけるも、どこか呆れた様子でレミリアはそれに応じる。

「お前が特別だというだけさ」

 

俺は意を決して頭を上げ、レミリアを見る。

至近距離で目が合う彼女の微笑は、侮蔑でも嘲笑でもなく、どこか楽しげだった。

「とはいえ、人間に純粋に怯えられるのも久しぶりだわ。やはりこういう感覚もたまにはいいわねえ。霊夢も魔理沙も全力の殺気をぶつけてもほとんど怯みもしないんだもの」

あの二人神経図太すぎだろ……。

頭のどこかで呆れながらも、未だに至近距離で目が合ったままのレミリアに対する畏怖は体にこびりついている。

 

「悪かったわね、悠基。でも貴方も男なのだから、もう少し根性を鍛えた方がいいわよ」

「……精進します」

俺は息を呑んでから、かろうじて掠れた声を捻り出した。

その答えにレミリアは笑みを深くする。

 

「さて、貴方の要求はここの厨房を使うこと。報酬として、今日のところは私のためにケーキを作ってくれる、でいいのかしら」

「ええ、その通りです」

どうにか呼吸を落ち着かせながら、跪いた姿勢のままで俺は頷く。

 

「まあ、それで構わないのだけど、私からはもう一つ条件がある」

「……条件ですか」

身をこわばらせる俺に、レミリアは小首を傾げながら目を細める。

「ああ」

なぜか、優雅な仕草の中に獰猛な気配を感じた。

 

「貴方の作ったケーキ。あれはいい出来ね。材料が乏しい中よく再現している。見事だよ」

唐突にして予想外。

手放しの褒め言葉だった。

 

いつもの俺なら小躍りしたくなる衝動が沸きあがる程度には大喜びしていただろうが、今は畏れ多いという感情が大半である。

「……光栄です」

本当に形ばかりの謝意になってしまった。

言った後に後悔しそうになり、どうにかこうにか搾り出すように誠意を込めて付け加える。

「――本当に……」

 

レミリアはそんな俺に対し鼻で笑う。

ただ、馬鹿にしている、というニュアンスをなぜか感じなかった。

 

「それでね、悠基。私は今日も、咲夜が人里に降りて貴方の作ったケーキを持ち帰ってくるのを楽しみにしていたんだ。でも、帰って来た咲夜が言うには、すぐに用意できないらしいじゃないか」

一瞬、彼女の言葉に首を傾げそうになりながら、俺は乾いた唇をなめる。

「その、はい。今から、となればそれなりに時間がかかります」

「ならば、私のこの高揚した気持ちはどうすればいいのかしら?」

 

レミリアが俺の耳元で囁く。

「え?」

思わず、間の抜けた声が漏れるが、レミリアはそれに構う様子はない。

「ねえ、教えて。貴方はどうやって、私のこの昂ぶった胸を、鎮めるというの?」

「それは、」

 

……要は、『楽しみに待っていたケーキのお預けを喰らったのだから代わりのものを今すぐ用意しろ』と、そういうわけだ。

確認のしようもなく、言っていることは子供の我侭だった。

だが、先ほどの殺気で抵抗する気力すらない俺は、ただ頭を捻り解決策を提案できないかと試みる。

 

「その、分かりません」

暫くして、苦虫を噛み潰したように顔を顰める俺に対して、レミリアは満面の笑みを浮かべる。

「簡単なことよ」

その笑顔は、楽しんでいる……というよりも愉しんでいるという表現が合う。

凄まじく嫌な予感がした。

 

「あなたの血で小腹を満たすの」

「っ!」

 

飛退く様に、思わず体を起こし後ずさろうとする。

が、両肩に腕を回されると同時、身動きが取れなくなる。

背後で待機していた咲夜が、俺を羽交い絞めにしていた。

 

「さく、や」

俺は反射的にもがいて咲夜の拘束から逃れようとするが、腕に力を込めた彼女の拘束は、全く振りほどける気配がない。

 

……ていうか、

いや、よそう。

そんなこと考えてる場合じゃない。

 

抵抗は無駄だと悟った俺は動きを止める。

咲夜の拘束が緩むが、再び俺が抵抗すればすぐに力を込めて動きを押さえることができる体勢だ。

完全に動きを封じられている。

 

「なに、心配はいらないわ」

レミリアは相変らず笑顔を浮かべている。

「ケーキを作る仕事が残っているのだから、これからの活動に支障を来さない程度に抑えるわよ」

「でも、吸血鬼に血を吸われると、その人も吸血鬼になるって」

「私にその意思があればの話よ」

 

背中に生やした一対の悪魔の羽を、レミリアは一度だけはためかせ、俺と同じ目線になる程度の高さまで浮き上がる。

そのまま俺の両肩に手を置いて、さながらキスでもするのではというほど顔が近づくが、見た目では一回りも下の少女に動揺するような趣味は持ち合わせていない俺は、ただただビクビクと身を引こうとする。

「私は小食なの。ちょっとくらいいいでしょう?」

正直身の危険は感じなくもないが、おそらく何を言ったところで血を吸われることは確かだろう。

というか吸わせるまで諦めてくれない気がする。

 

観念した俺は目を閉じると、

「……分かりました。あの、暴れないのでせめて拘束を解いていただけませんか?」

と、ささやかながら、せめて現状の懸念事項を解決しようと申し出た。

 

「お嬢様?」

「いいだろう。放してやれ」

俺の肩越しに、主人に指示を求める咲夜に、レミリアは頷く形で答えた。

咲夜の拘束が解かれ、俺は密かに安堵する。

 

多分、バレてはないよな?

 

「さて、少し痛いけど我慢して頂戴」

レミリアが異様に鋭い犬歯を覗かせながら笑みを浮かべる。

生唾を飲んで待ち構える俺の首筋に、彼女はゆっくりとその牙を近づけた。

 

ていうか、首からか……。

……怖い。

 

体の急所を無防備に晒すのだから当然である。

しかしレミリアは、身を強張らせる俺に噛み付く前に、耳元で囁いた。

「どうだい?」

「え?」

本当に小さな声だった。

おそらく、俺の背後数歩のところで控えている咲夜には聞こえない程度の。

 

俺が訝しげに横目でレミリアを見ると、彼女は口端を歪める。

「咲夜は『柔らかかった』かい?」

 

一瞬思考が停止した。

 

瞬間、赤面する俺に、レミリアは呆れたように息をつく。

「思春期のガキじゃあるまいに」

……どうも、レミリアには俺が動揺していたことも、その理由もバレていたようである。

 

つまりは、まあ、なんというか、羽交い絞めにされると、結果として体が密着するわけで、必然的に咲夜の体の一部が当たっていることになる。

そんなことを気にしている事態ではないのに、つい意識してしまうのは悲しい男の性というやつで、そのことを指摘された俺は、顔があからさまに熱くなるのを実感した。

というか、レミリアの言葉は普通にセクハラだった。

 

もうほんとこの人よく分からない……。

人じゃないけども。

 

「…………」

俺は思わず半眼になりながら、肩越しに咲夜の反応を確認する。

咲夜は急に振り向き自分を見る俺に、首を傾げて困惑した目を向けた。

レミリアの声はやはり聞こえていなかったらしい。

 

そのことに一応は安堵しつつ、俺はレミリアに視線を戻した。

「お宅のお嬢さん少し無防備すぎませんか」

つい先ほどまで体の震えが止められない程に怯えていた相手に対して、我ながら、随分と大胆な軽口だった。

だが、レミリアは気分を害した様子も見せず、むしろ犬歯を剥き出しにするほど口を広げて笑った。

 

「母親じゃないってば」

意外とノリが良かった。

 

「さて、それじゃあ頂こうか」

「……どうぞ」

一頻り笑ったレミリアに、俺は彼女が噛みつきやすいようにと外套を脱ぎ、頭を傾けて肩から首までを着物を軽くはだけて露出させる。

 

露出した部位にレミリアが顔を近づける。

彼女の吐息がくすぐったくて、どうにか動きそうになるのを堪えた。

……というか、これって傍から見ると凄い犯罪的な光景なんじゃ……。

 

そんな余計な思考をしていると、レミリアの牙が突き立てられた。

痛みに一瞬驚いて動きそうになるが、そんなことをすると傷口を広げかねないのでなんとか我慢する。

皮膚を牙が貫く痛みは予想よりも痛かったが、我慢できないほどではない。

 

少しずつ、力が抜けていく。

生温かい液体が、胸、腹部、背中と伝っていく。

「あの、レミリア……様?」

というか

「血、こぼしてませんか……?」

 

レミリアは俺の問いかけを無視して血を吸い続けている。

だが、その間にも鉄の臭いが辺りを漂い、こぼれた血がじんわりぬっとりと着物を濡らし染め上げていく感触が明確な物に変わっていく。

レミリアは「抑える」と言っていたが、こぼれ出た分はその範疇に収まるのだろうか。

 

……眩暈がしてきた。

頭がくらくらと揺れる。

立っていられない。と、そう感じたのと同時に、レミリアが俺から離れた。

レミリアが俺の両肩を掴んでいたのは、俺が立つことを支える意味合いもあったのかもしれない。

彼女が離れると同時、俺は脚の力が抜けて尻餅をついた。

 

すばやく、咲夜が俺の首元の傷をハンカチか何か、布のような物で押さえて止血に取り掛かる。

俺は咲夜の治療を大人しく受けながら、半ば呆然としつつレミリアを見た。

 

「やはり新鮮な血はいいわね」

床に着地するレミリア。

俺は尻餅を着いているので、必然的に今の目線は彼女がやや上だ。

「美味しいわよ。貴方の血」

口元の血を拭うレミリアの仕草はなんというかもう、ワイルドという以外に表しようがなかった。

 

「血に、美味いも不味いも、あるんですか」

恐らく顔が真っ青になっているであろう俺は、震える声で問いかける。

「当然。健康、不健康はもちろん、鮮度や感情だってそうだ。あとは経験のあるなしも含まれるわね」

「けいけ――あ、いや、なんでもないです」

俺は地雷を危うく踏みそうになりながら、言葉尻を濁す。

そんな様子を見るレミリアは相変らず楽しそうだ。

 

動脈を避けてつけられた傷は、幸いにも出血量の割にはすぐ止血処理が出来るものだったようで、じきに咲夜が離れるともう血は流れなかった。

鉄の臭いが辺りに漂う中、俺は咲夜に礼を言いつつ、尻餅をついたままの姿勢からレミリアに向かって跪く姿勢に直す……いや、直すというのも可笑しいのだけど、まあレミリアに対して精神的には屈している面があるのも事実だ。

自身に対して少々複雑な気持ちを抱いていると、レミリアが軽く手を叩きその場を仕切りなおす。

 

「そういえば、貴方は今後も紅魔館の厨房を頻繁に使いたいと言ったそうじゃない」

「頻繁にというわけではありませんが、長期的、かつ定期的に使用する許可を頂きたいと考えています」

血を吸われたことで頭が冷えたのか、多少冷静さを取り戻しつつ俺は頷いた。

 

「そう。まあ、咲夜の仕事に支障が出ない程度なら、私は構わないと思うわ。咲夜、貴方は?」

「お嬢様のお言葉とあらば、異存はございませんわ」

「だ、そうよ」

「ありがとうございます」

ほっと安堵の息を吐きながら、俺は頭を下げる。

 

「た、だ、し」

レミリアの言葉に、ぎくり、と肩を跳ねさせる。

「その都度、さっきみたいに私に血を献上すること。いいわね?」

拒否することを全く疑っていない、というよりも、拒否は認めないと言わんばかりだ。

 

「…………わかりました」

まあ、最悪分身を解けば血を失うという損失はなかったことにはできる。

俺はそんな考えの下、不承不承ながら頷くことにした。

 

「それじゃあ、話はお仕舞いね。悠基には早速ケーキを作ってもらいたいけども、さすがにその服じゃあよろしくはないわね」

赤黒くて大きな染みのできた着物をレミリアは見る。

汚した本人がいけしゃあしゃあと言っているわけだが、俺が何か抗議をする前にレミリアは咲夜に命令を下す。

 

「咲夜、彼を浴室に案内してあげなさい。それと着替えも」

「かしこまりました」

「ああそれから、失った血を作らないとね。あとで食事も用意してあげるのよ」

「仰せのままに」

俺の意見を聞こうともせず、勝手に話を進めるレミリアに、咲夜は全く異論を挟むことなく承諾していく。

 

「じゃあ、悠基、頼んだわよ」

「あの、はい、わかりましたけど」

それでも、と俺はレミリアに念を押す。

「さっきも言ったとおり、ケーキを作るにしても結構な時間がかかりますから、かなり待たせることになります」

後から時間がかかりすぎだなんて文句をつけられ追加要求される、ということはないと思うが釘は刺しておく。

 

なのだが、レミリアは事も無げに咲夜を見る。

「あら、時間についてはそれほど心配してないわ。咲夜の得意分野ですもの」

「ええ。お嬢様」

レミリアの言葉の意味が分からず、俺はただただ首を傾げるのであった。

 

 

 

 




二十二話以降から話が続いていますが一応は次回にて区切りを予定しています。
区切りといってもなにか話が大きく展開するということはないのですが。
というわけでレミリア初登場。
初の6ボスです。
威厳と茶目っ気を持ち合わせたキャラをイメージしましたが迷走してる感がなくもないです。
まあこの作品に関しては路線からして初期から迷走をしているような気がするので問題ないでしょう。ないかな?
ほのぼのって難しいですねー。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。