東方己分録   作:キキモ

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二十三話 紅の館の門番

幻想郷上空、数十メートル。

もしくは数百、数キロメートルか。

さっぱり分からない。

知りたくもない。

知る余裕もない。

……死にそう。

 

季節は一月半ば。

連日雪がちらほら見えるほど冷え込んだこの季節、灰色の雲が立ち込める空は人が生身でいてもいい空間ではない。

地上から更に数段気温が下がり、激しい風で体感温度はもっと低い。

もう暫くここに居たら凍死してもおかしくない。

 

なぜ俺がこんな強風吹きすさぶ中で凍死しそうになっているかといえば、それはもう俺を抱えて空を飛ぶコスプレじみたメイド姿の少女、咲夜のおかげである。

まあ確かに徒歩で紅魔館に向かうと時間がかかるし、空を飛んでいけば時間短縮も出来て合理的だとは思う。

しかし、この寒空の下でそれを決行するのはいかがなものだろうか。

 

藍に運ばれた際は高度を抑えてくれたのでそれほど凍えずにすんだが――その代わり多数の知り合いに晒される羽目にはなった――どういうわけか咲夜はかなりの高さを飛んでいるようだ。

ちなみにお姫様抱っこってあれされる側としては咲夜みたいな美少女と強制的に顔が近づくわけだけど、「あ、いい匂いする」とか「睫長いんだな」とかそんな感想を抱くかといえば、吹きすさぶ風が痛すぎて目を開くことすら辛いので、そんな暢気なことを考えている場合ではない。

 

もうね、もう駄目っす俺。

それなりに厚着してきたとはいえ高高度の風は体を容赦なく切り刻んでいく錯覚を覚えさせるし、お姫様抱っこってあれ男が女の子にされるともう屈辱が大半だし、彼岸花だらけのお花畑を幻視するしで、もう心が折れるどころか粉砕されているまである。

 

とはいえ、現在俺は分身能力を使用中なので、荷物やら外套やらを諦めさえすれば分身を解除してこの場から離脱することは容易だ。

しかし、さすがにそれは咲夜に対して不義理な気がするので、もうダメもう無理と心の中で弱音を吐きつつも耐えられるところまで耐えることにした。

 

一瞬、本当に一瞬だけちらりと眼科を見ると、白い霧で覆われていた。

おそらくは、霧の湖を横切っているのだろう。

目を閉じ、歯を食いしばりながら納得する。

ああ、湖を一気に横断するために高度を稼いだのか。

 

せめて回り込むなりして欲しかったと思ったが、目的地はもうすぐということか。

気のせいか、風が弱まった気がする。

暖かく……はなるわけがないのだが、それでも肌を刺す寒気が弱まったような気がした。

それに、明らかに重力に従いゆっくりと降下しているのが分かった。

 

「――っ……」

閉じていた瞼を恐る恐る開こうとすると同時、咲夜が硬い地面に着地する感覚を彼女の体越しに感じた。

 

「着いた?」

「ええ。降ろすわよ」

「ああ。……ゆっくり頼む」

寒さと安堵からか、俺の体はこれ以上ないほどがくがくと震えていた。

重い荷物を抱えたまま立てるのかどうかが微妙に危ぶまれたが、生まれたての小鹿とまではいかないにしても、俺は足を小刻みに痙攣させながらもなんとか二本の足で立つ。

それほど長時間飛んでいたはずはないのだが、硬い地面を踏みしめるとそこはかとない安心感がある。

なんの予告もなしに俺を抱えて飛んだ咲夜に非難の目を向けることさえ、そのときばかりは忘れていた。

 

「さ、咲夜さん!?」

俺が固い地面の感触に感動したちょうどそのとき、女性の声とともに駆け足の足音が近づいてきた。

抱えていた荷物を置き、顔を上げて音のした方を見ると、長く赤い髪を揺らしながら、長身の女性が慌てた様子で走り寄ってくる。

 

その向こうに、壁一面を紅色に塗装された大きな洋館が建っていた。

阿求さんから聞いたとおりの外観だ。

手前には、長いレンガ塀に備えられた鉄格子の門があり、鉄格子越しに広い緑豊かな庭が見えた。

 

「話を合わせて」

走り寄ってくる女性に聞こえないよう抑えたのだろう、小さな声で咲夜が俺の耳元で囁く。

思わず聞き返しそうになるが、その前に赤髪の女性が俺たちの前で立ち止まった。

 

「美鈴、ただいま帰ったわ」

「あ、はい。おかえりなさい、咲夜さん」

いたって平静な咲夜の言葉に、美鈴は目を丸くしつつ応じる。

 

「あの、そちらの方は?なんというか、顔色が優れないようですが」

「友達よ」

一瞬隣に立つ咲夜を見そうになるが、危ういところでなんとか堪える。

咲夜の「話を合わせて」というのはこのことなのだろう。

 

「ええ!?ご、ご友人、ですか?」

「……何か問題でも?」

美鈴は目を瞠りながら俺と咲夜を交互に見るが、咲夜の刺々しい言い方に身を竦ませる。

 

「い、いやぁ……」

気まずげに頭を掻く美鈴だが、なぜか笑顔を浮かべる。

「珍しいこともあるものだなと、思いましたので」

素直に答えてしまう美鈴に、俺は思わず咲夜の反応を伺った。

 

「………………」

嘆息を堪えるように口元を歪めたのち、咲夜は無言で氷のように冷たい視線を美鈴に向けた。

「す、すいません……」

無言の圧力を承った美鈴は、顔を青くしてたじろぐ。

剣呑とした視線を収めた咲夜は今度こそため息をつくと、俺に視線を向けた。

 

「お嬢様に話を通してくるから、貴方はここで待っていて」

「うん。お願い」

俺の言葉に咲夜は無言で頷くと、再び美鈴に視線を向ける。

 

「美鈴」

「は、はい!」

「貴女は彼の治療を。凍傷まではいってないから」

「了解しました」

直立し、大げさに敬礼をする美鈴に咲夜は頷くと、地面に置かれた食材諸々を全て抱えて、格子の門に向かって歩き始めた。

ていうか、「凍傷まではいってない」って、裏を返せば凍傷しかけとも取れるような気がするんだけど……。

咲夜の残した言葉に釈然としないものを感じながら、俺と美鈴は咲夜を見送った。

 

大荷物を運びながら颯爽と去っていく咲夜の背中を見ながら、俺はそれにしてもと首を傾げる。

長袖のメイド服はある程度厚い布地を使用しているようだったし、ミニスカートで露出する足はタイツを履いている。

しかし、その程度の服装でこの寒さをどうにか耐えられるとは思えない。

ついでに言えば、俺を含めた大荷物は軽く見積もっても総重量70キロはあるだろうに、それを軽々と持ち上げるのも謎だ。

『人間』と聞いてはいるが、つくづく謎めいた少女である。

 

「さて、それでは治療させて頂きますね」

美鈴が俺に向き直る。

「ええと……」

「あ、悠基です。岡崎悠基」

 

「ああ、これはどうも」

美鈴は大袈裟に頭を下げた。

「私、ここの門番を勤めております紅美鈴と申します。どうぞお気軽に美鈴とお呼びください。もちろん敬語も結構ですので」

朗らかな笑顔で名乗る美鈴からは随分と気さくな印象を受ける。

 

「うん。よろしく美鈴」

俺が手を差し出すと、美鈴はその手を握り応じてくれる。

「ええ。よろしくお願いします、悠基さん……寒そうですね」

「まあね……」

握手している腕どころか全身を寒さで震えさせている俺に、美鈴は苦笑を浮かべた。

 

「では、改めまして……失礼しますね」

美鈴は握っていた手を離すと、俺の胸に掌をそっと当てた。

「服越しですので、多少効果は下がりますが」

と、前置きのように呟くと、美鈴は目を閉じてゆっくりと息を吸い、間を空けて吐き出す。

一体何をしているのかと思ったら、美鈴が布地越しに触れる部位、心臓の当たりがじんわりと、しかし明確に温かくなってきた。

 

目を丸くしながら美鈴を見ると、俺の様子を察したのか、彼女は瞼を開けて俺と目を合わせる。

「これって――」

「『気』というやつですよ」

微笑を浮かべる美鈴は、既に先ほどの深呼吸を続けている様子はない。

しかし心臓付近から発生したぬくもりは、ゆっくりと胸から体全体に広がりつつあった。

 

「気は血液に乗せやすいので、血液を送り出す心臓から体全体に巡らせているんです」

「それは……凄いな。驚いた」

 

『気』といえば、俺の中では漫画でよく見る特殊な能力やド派手な必殺技の源となるエネルギーの代表的な存在だ。

あるいは、気によって周囲の状況を察知したりとか、気を操ることでパワーアップだとか、その汎用性、発展性は多岐に渡る。

まあ、要するに俺の中では『なんかよく分からないけど凄いパワー』の代名詞だ。

 

そんな感じで感嘆の声を上げる俺に、

「光栄です」

と美鈴ははにかんだ。

 

「さて、いかがですか、体調の方は」

暫くして美鈴が離れると、俺はつい先ほどまで悴んでいた指が違和感なく動かせるのを見ながら頷いた。

「うん。ばっちりだよ」

「それは良かった。さて……ちょっと失礼しますね」

突然美鈴がしゃがみ込んだかと思うと、俺の足をぺたぺたと触り始める。

 

驚いてたじろぐ俺に構わず、美鈴は足から腰、胴、腕と、俺の体を下から上へボディチェックするように触っていく。

「うーん……」

やがてその作業を終えた美鈴は、何かを考え込むように顎に手を当て、俺の体を眺める。

 

「あの、何かな?」

「いえ、ちょっと気になったもので……悠基さん、武術の心得は?」

「え?」

唐突な質問に面食らう。

 

「ない、けど」

「ですよね」

「ええと、さっき体を触ってたのって、もしかして筋肉のつき方とか見てた?」

「ええ。悠基さん、筋肉、特に足の部分なんかは鍛えられてますけど、でも武芸者のそれとは明らかに違いますね」

「分かるの?」

「まあ、それなりには」

俺とやり取りしつつも、美鈴は俺の体を観察するように眺めてくる。

 

「では、何か、普通の人間にはない特殊な能力などはありますか?」

「まあ、分身が出来るくらいなら」

「ほお、分身ですか。見せてもらってもいいです?」

「あー……悪いけど分身人数って上限があるんだ。ていうか二人が限界。もう人里に分身を残してるから、今、目の前でっていうとちょっと……」

「それは残念ですね」

美鈴は眉尻を下げる。

 

「では、他には」

「他……特にないかな」

「特に、ですか?」

「うん」

「空を飛ぶくらいなら出来ますよね?」

「咲夜に抱えられてきたのを見てたなら察して欲しいんだけど」

自分で言いながらなんだか悲しくなってきた。

 

「はあ。だとすれば、純粋に人柄でしょうか?」

美鈴は腕を組んで大げさに首を傾げる。

先ほどから彼女の質問の意図がいまいちよく分からない。

名前も相まって、美鈴は一見すると中国の拳法家をどこか髣髴とさせる。

なので、一武道家として、俺の戦闘能力とかに興味でも沸いたのかと一瞬思ったが、人柄について言及する辺り、予想はハズレのようだ。

 

「あのさ、さっきから何?」

「いえ、あのですね――」

「何を話してるの?」

ふいにすぐ傍から声をかけられた。

「っ!」「おおっと」

俺も美鈴も息を呑んで、声の主を見る。

 

いつのまにか、全く以て近づいてくる気配もなく、咲夜がすぐそばに立っていた。

「もう、びっくりしましたよー咲夜さん」

「余計な詮索はやめなさい」

胸を押さえる美鈴を咲夜は鋭い目線で一瞥する。

 

だが、美鈴は懲りないのか、咲夜の視線を気にしつつも朗らかな笑顔を浮かべる。

「いやあでも気になりますよ。なんたって咲夜さんガッ!!」

 

唐突に美鈴が白目を向いて頭を仰け反らせた。

その光景に俺は目を瞠る。

美鈴の額には、まるで最初からそこにあったかのように銀色の刀身のナイフが突き刺さっており、誰がどう見ても即死レベルの致命傷であることは明らかだ。

 

だが、衝撃を受けた俺が動く間を空けず、美鈴はナイフの突き刺さった額を摩りながら涙目を浮かべて頭を起こした。

「ちょっ、酷いですよ~」

 

「美鈴、貴女今日は随分機嫌が良いじゃない」

対して咲夜は不機嫌そうに半眼で美鈴を睨みつける。

「そりゃだって咲夜さんが……いえ、なんでもないです」

なおも暢気そうに答えようとする美鈴だが、咲夜がいつの間にか握っていたナイフに気付くと、半笑いを浮かべて後ずさった。

 

「おや?悠基さん、いかがされました?また顔色が悪くなっているようですが」

「いや、まあ……」

ふいに美鈴が俺を見るが、若干の吐き気を催して口元を手で覆う俺は、彼女からやんわりと目を逸らす。

美鈴は、少なくとも人間ではないのだろう。

だが、見た目普通の女性にしか見えない彼女の頭には、刀身が脳に達しているようにしか見えないナイフが生えたままである。

最近まで平和な現代社会で生きていた俺としては、普通にショッキングでトラウマになりかねない光景だった。

 

「誰のせいだと思ってるの」

そのことを察したらしい咲夜が呆れたように言った。

……いや咲夜、見えてないけどあのナイフ突き刺したの咲夜だよね?

さも美鈴だけが悪いみたいな言い方してるけど原因の大半は咲夜にあるよね?

 

俺の無言の抗議の視線に気付いていないのか、はたまた確信犯的に無視しているのか、咲夜は平常どおりの口調で切り出す。

「お嬢様から許可が出たわ」

「……それは良かった……」

口元を手で覆ったまま俺は頷く。

 

「まずは、お嬢様にご挨拶を」

「ああ、そうだね」

いよいよか、と俺は息を吐く。

 

館にお邪魔するのだから、その当主に挨拶するというのは当然の流れだ。

とはいえ、どうしても緊張する。

催した吐き気が、美鈴のせいなのか緊張によるものなのかは微妙に判別がつかない程だ。

 

「じゃあ、着いてきて」

と歩き出す咲夜に続きつつ、おそらく門番の仕事を続けるのであろう美鈴に俺は「それじゃあ」と片手を上げた。

 

美鈴もそれに応じるように軽く手を振る。

もはやナイフに関しては出来るだけ気にしないことにした。

「はい!お気をつけて!」

いや、お気をつけてて……まあ、これから入る館の主は、過去に幻想郷全土を巻き込んだ異変の首謀者だ。

なので、俺の立場からしていえば、間違ってはいないのだろう。

 

細かいことを気にしていたらきりがないといい加減学習し始めた俺は、軽く息をつきながら聳え立つ洋館……紅魔館の敷地を跨いだ。

 

* * *

 

紅魔館の内部も、外壁同様に壁紙やカーペットによって赤の系統色に染め上げられている。

しかし、その装飾に全く下品さを感じないのは不思議だった。

 

館は窓が少なく、全ての窓に備え付けられた赤く分厚い布地のカーテンがしっかりとしまっている。

これは日光を弱点とする吸血鬼の性質に起因するのだろうが、その割には館内は明るかった。

エントランスや廊下には、随所にシャンデリアやランプなどの光源が設置され、館内をくまなく照らしている。

だが、光を発しているのは蝋燭や油の染みこんだ布についた火でなく、さながら光そのものと表現する他ない、実体の見えない光の塊だ。

 

また、驚いたことに紅魔館では妖精をメイドとして雇っているようだ。

メイド服――こちらは咲夜の物とは違い時代を感じさせるロングスカートのものだ――を身に纏い、羽を生やした幼い少女がそこかしこに散見された。

咲夜にそのことを尋ねてみると、彼女は首肯した後補足するように一言付け加えた。

「殆ど役には立たないのだけど」

確かに、メイド妖精はその大半がなにをするでもなくのんびりとした様子でふよふよと浮いており、掃除道具をもって飛び回る妖精はごく一部だ。

 

「そういえば、友達って?」

長い廊下を歩きながら、俺は周囲に人影がないのを確認しながら前を歩く咲夜に問いかける。

 

足を止めず肩越しに振り返る咲夜は、こともなげに伝えてくる。

「そう言っておけばお嬢様を説得しやすいと思ったのよ」

「ああー……」

確かに、取引して来たというよりは、友人として来たという方が印象は良さそうだ。

 

そこでふと、美鈴の言葉を思い出す。

『珍しい』って、文脈からして咲夜が個人的に友人を招くことを指しているんだよな……。

もしその推測が正しいなら、珍しく咲夜が友人を連れてきたに対して驚いたのだろう。

『男の友人を』である。

 

「ああ、だから美鈴が……」

危うく『詮索していたのか』と言いかけた所で、ちらりと咲夜が肩越しに訝しげな視線を投げかけてくる。

「美鈴が?」

「……なんでもない」

かろうじてそう答えると、咲夜は「そう」と短く返事し前方に視線を戻す。

 

美鈴が俺と咲夜の仲を邪推、とまでは行かずとも何かしら勘ぐっているのは十分ありえる。

咲夜はこのことに気付いているのかどうか分からないが、もし気付いていないのならわざわざ説明するのはやめておいた方がいいかもしれない。

美鈴の二の舞、とまではいかなくとも、額にナイフなんて突き立てられたら確実に即死なので、そんな事態は避けたいところだ。

 

「さ、着いたわ」

咲夜がある扉の前で立ち止まった。

俺は軽く息を吐くと、振り向いた咲夜に対し頷く。

「うん」

 

咲夜は俺の反応を確認すると、扉に向きなおり二度、ゆっくりと叩いた。

「お嬢様、お客様をお連れしました」

「いいわ。入りなさい」

 

ノックに応じる高い声は、どこか幼い少女のようなのに、短い言葉に含まれる流暢な発音は、上品な女性のそれを思わせた。

一体どのような人物、もとい吸血鬼なのだろう。

 

「失礼します」

と咲夜が扉を押し開く。

俺は緊張しつつも、口元を引き締めながらレミリア・スカーレットの待つ部屋に、咲夜に続いて入室した。




美鈴と会話するだけで1話消費してしまいました。
一応はほのぼのを方針としているとはいえ、我ながら話が展開するのが非常に遅いです。牛歩かな?


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