東方己分録   作:キキモ

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二十二話 訪問者

その日は甘味処の定休日で、俺はゆったりとした気持ちで茶を啜りながらぼんやりと過ごしていた。

と言っても、耳を澄ませば寺子屋からは慧音さんのよく通る声が微かに聞こえるし、分身の俺は職員室の方で事務作業をしているはずだ。

 

定休日なる用語が明治時代からあったかは謎だが、玄さん曰く「ロウキに違反するから」という理由で俺の勤めている甘味処では定休日が定めている。

ロウキ……労働基準法のことだろうか……。

幻想郷にはそんな名前の法律はなかったはずだし、だとすれば、やはり玄さんは外来人なのかもしれないな、とぼんやりと頭の片隅でそんな気持ちを抱いた。

 

とはいえ、片や仕事をし、片や休息を取るというのも不思議だが、記憶を引き継ぐという性質上、分身するといっても精神的な休息は必要だと最近は実感するようになった。

そんな理由で特に何をするでもなく過ごすという、贅沢な時間の使い方をしていたわけだが、そんな俺の自宅の扉がふいに叩かれた。

 

「……?」

一瞬何が起きたのか分からなかった当たり、何も考えてなかったにしろ限度と言うものがある。

もう一度扉が叩かれて、それがノックであるということに気付いた俺はやっとこさ我に返る。

「あ、はーい!」

俺は慌てて立ち上がると、早足に玄関に近づき引き戸を引いて訪問者を出迎えた。

 

「と、君は……」

そこに立っていた予想外の人物に俺は目を瞠る。

「あなたが、岡崎悠基ね?」

俺の反応に訝しげな様子も見せず、少女は問いかけてくる。

 

「あ、ああ」

「私、十六夜咲夜と申します。お時間よろしいかしら?」

「ああ、うん。どうぞ」

俺は平静をどうにか取り戻しながら、大量の食材が見える手提げ袋を持った、ややスカートの短いメイド姿の少女を招きいれた。

 

十六夜咲夜……霧の湖の畔にある紅魔館の住人であり、単身で異変解決を可能とするほどの、霊夢や魔理沙に並ぶ実力を有する人間の少女と聞いている。

知り合いではなく俺が一方的に知っているだけなのだが、異変解決や紅魔館の住人というよりも、俺が幻想郷に迷い込む以前から、『東方』の登場人物として彼女を知っていたことに依る面が大きい。

そういうこともあって、俺としてはちょっとした有名人が突然家に訪れた気分だ。

 

しかし、俺と咲夜との間に接点はないはず。

共通の知り合いはいくらか思い当たるが、それにしても彼女の訪問理由に全く心当たりがなかった。

 

新しい湯飲みに茶を入れて、座布団に行儀よく正座した咲夜の前に置く。

彼女の荷物は玄関脇に寄せてある。

「それで、俺になんの用かな?」

「ええ。初対面の身で申し訳ないのだけど、折り入って相談したいことがあるの」

「相談?……とりあえず、聞こうか」

俺は首を捻りながら咲夜を促す。

 

「私は霧の湖の近くに建つ紅魔館でメイドを勤めているの」

「ああ。吸血鬼のレミリア・スカーレットが当主の館だよね。紅霧異変を起こしたっていう」

「そうよ。その説は迷惑をかけたようで、お詫び申し上げますわ」

咲夜は軽く頭を下げ目を伏せた。

 

紅霧異変は、幻想郷全体に紅い霧が広がり日光が遮断された異変らしく、当然ながら人里も同様に被害を多少なれど受けたと阿求さんから教わった。

咲夜は人里に住む俺自身にも当然その被害があっただろうと考え謝罪したようで、俺は慌てて手を振って否定する。

「いや、俺はつい最近幻想郷に来た外来人だから、別に被害とか、そういうのはないから謝る必要はないよ」

「外来人…………なるほどね」

 

頭を上げた咲夜は、俺を見据えながら合点がいった様子で呟いた。

「なるほどって?」

「いえ、貴方が作っているというケーキは、外の世界の知識で作ったものなのね」

「ああ、そうだよ」

首肯しながら、俺はふと気付く。

「俺が製作者だと知ってるってことは、もしかして、ケーキに関する話?」

咲夜は「ええ」と頷いた。

 

「実は、お嬢様……レミリア様が、貴方の作ったケーキを甚く気に入られているの」

「そ、れは……」

驚いて俺は思わず口篭る。

 

レミリアなる吸血鬼は、紅霧異変の主犯であり、幻想郷の中でも一大勢力の一つ、紅魔館の当主だ。

幻想郷の一般人、いわば村人Aといっても差し支えない俺からすれば、十分すぎるほどの大物だというのは阿求さんの言葉だ。

どのような人物なのかは知らないが、よもやケーキが気に入られているというのは、再現した俺からするとかなりの衝撃である。

「……光栄です」

絞り出すように咲夜に伝えると、彼女はさも当然とばかりに頷いた。

 

「それで、しばしば人里に買出しに来るたびにあの甘味処に寄らせてもらっているのだけど」

てことは、ケーキを日ごろから買っているということか。

以前、千代さんが常連さんがいると言っていたが、咲夜もそれに含まれているようだ。

しかし、気に入られてるって、マジか……。

 

「あの、日ごろのご愛好どうも」

若干呆然としつつも、使い古された文句を若干くずして礼を言うと、やはり咲夜はすまし顔で頷く。

「ええ。どういたしまして」

 

「えっと……つまり、今日もいつものように甘味処を訪れたところ、お休みだったと」

「その通りよ」

「じゃあ、俺へのお願いって、もしかしなくてもケーキを作って欲しいってこと?」

「察しが良くて助かるわ」

 

咲夜はそこで微笑を浮かべ、小首を傾げる。

「お願い、できるかしら」

対する俺は眉尻を下げて頭を掻く。

「いやまあ、お得意さんだし、お応えしたのは山々なんだけど、材料がないし、あったとしても時間がかかるからなあ」

「そう、材料と時間ね……」

咲夜はそこで、人差し指を立てる。

 

「じゃあ、代案なのだけど」

「ん?」

「レシピを教えていただけない?」

「……いや、さすがにそれは……」

「駄目かしら」

「まあ、企業秘密かな」

玄さんの方針だ。

 

「もちろん君が他言するとは思わないけど、今はまだ売れ行きも安定してないから、下手にレシピが漏れて供給が分散するリスクは避けたい……って感じ」

「それは残念ね」

と、咲夜は言うものの、その口ぶりからは、あまり残念という雰囲気は感じられない。

 

「では、レシピと同価値の物とで交換、というのはどうかしら」

「同価値というと?」

「それはもちろん、貴方が要求するものであれば、私の権限の範疇だったらなんでもご用意するわ」

 

「なんでも……」

思わず呟いてしまった。

いやでも、『なんでも』っっっって、すごい魅力的な言葉だよな。

しかも咲夜みたいな美少女から言われたら、それはもう思考が魅惑的な方向へグラついてしまうのが男の性というものだ。

いや、エロいこととか考えてないよ?

考えそうになっただけっす。

 

「誰に言い訳してるんだ……」

咲夜に聞こえないような極小の声で呟きながら俺は頭を振った。

訝しげな彼女の視線を受け止めつつ、俺は思考を打算的な、もっといえばビジネス的な方針へシフトさせる。

 

同価値……というならばやはり金銭的なものがオーソドックスだろう。

だが正直なところ、今のところ幻想郷では俺しか知らないケーキの製法の価値って、どんなものなのだろう。

これって、甘味処で雇ってもらっている以上、俺個人の問題ではないよな。

 

しかし、同価値……か。

ケーキと同価値。

同価値。

ドウカチ……。

ケーキに並ぶ……。

 

ふと、年末近くに、机の上に広げていた外の世界の雑誌を思い出す。

スイーツ特集と銘打たれた見開きのページには、ケーキに並んで他の焼き菓子も写っていた。

『こういうのも出来るの?』

確か、そんな言葉とともに、妹紅がマカロンを指差していた。

 

そのとき俺は、材料はあるけど、とかそういった答えを返したはずだ。

あるけど……そう、材料自体はあるにはあるのだが、それとは別に問題があるのだ。

 

「あの」

俺は思考に集中していてさ迷わせていた視線を、咲夜に向ける。

彼女は俺が答えるのをじっと待っていたようで、僅かに首を傾げて俺の言葉を促す。

「質問、いいかな?」

「なにかしら」

 

阿求さんからの知識を掘り起こす。

「確か紅魔館って、数年前に幻想郷に移ったんだよね」

「数年というほど最近ではないけど、まあ10年は立ってないわね」

 

「てことは、ある程度最近まで外の世界にあったって考えでいいかな?」

「それがどうしたの?」

「と、いうことは」

俺は期待を込めて咲夜を見つめる。

 

「調理機器なんかも、最近の物が取り揃えてあるんじゃないか?」

「……道具が欲しいと言うことかしら」

「道具、というよりも設置された大型の機器かな。特にオーブンを使わせて欲しいんだ」

「それは……紅魔館に訪れたいということ?」

 

「うん」

俺は若干の迷いを振り払うように力強く頷いた。

阿求さんからは、危険だから紅魔館には絶対に近づくなと最初の頃に忠告されたが、その割りに紅魔館と並んで危険区域と説明された妖怪の山には頻繁に行くよう命じられるようになった。

それに、もし客人として迎え入れてもらえるなら、多少はその危険が回避できるのではないかという考えもある。

まあ、何が危険なのかは結局教えられていなかったのだが。

 

「紅魔館のキッチンを一部使わせてほしいんだ。頻繁にとは言わなくとも、できればある程度長期的に」

「それは……お嬢様の許可が必要になるわ」

咲夜は僅かながらも困ったように眉尻を下げた。

 

「うん。だから、お願いしてもらえないかな?」

「お伺い立てするくらいなら、ええ、構わないわ」

 

「それで、もし駄目でも、妥協案として最悪ケーキくらいはここで作るっていうのは?」

「……出来るの?」

「さっきも言った通り、材料も時間も使うわけだから、完成するとしても確実に日が暮れちゃうし、品質も……まあ、この辺は妥協になるかな」

「……ええ、ではそれで」

交渉成立のようだ。

 

俺はほっと息を吐いた。

咲夜は敢えて何も言わなかったのだろうが、電気資源もガス資源もない幻想郷では、近年に幻想入りしたといえど紅魔館の設備もおそらくはそれなりに古いものが使用されているだろう。

だが、それでも明治初期の人里の設備よりは、技術的に進歩している可能性は高い。

ならば、多少なれど俺の現代の知識を活かす余地があってもおかしくない。

もし上手くいけば、他にも様々な洋菓子を再現できるかもしれない。

 

ほとんど、というか全部推定と希望的予想だが、それでも得られる物は多い……はず。

 

「ケーキ自体は、材料さえあれば紅魔館でも作れるかしら」

「それは、見てみないと何とも」

「そうね……では、材料はこちらで用意するから、外出の支度をしておいて」

「え?」

 

どうも、このまま咲夜が材料の調達をしたら、俺も一緒に紅魔館に向かう流れらしい。

確かに許可が貰えるならば、すぐに紅魔館に入って、うまくすればケーキ作りに取り掛かれるかもしれないが、俺としては咲夜が一旦紅魔館に戻り、レミリア嬢からの許可を貰ってくるものと勝手に思っていた。

まあ、それはそれで咲夜が無駄に紅魔館と人里の間を往復しなければいけなくなるから、そう考えたら咲夜としてはこちらの方が良いだろう。

 

俺は咲夜に求められるままに、材料のメモを手早く書き記して手渡す。

「でも、結構大変だよ」

なにしろクリーム作成の上で大量の牛乳が必要になるのだ。

「すぐに準備するわ」

だが、咲夜はこともなげに言うと、荷物は俺の部屋に置いて玄関に向かう。

 

「貴方も準備をしておいて」

「あ、ああ」

玄関口で俺を振り返る咲夜に、俺は目を丸くして頷いた。

 

咲夜は「すぐに」と言っていたが、さすがにある程度時間はかかるだろう。

せっかく紅魔館に行くのだから、阿求さんのところで何か助言をもらえる時間はあるかもしれない。

俺は咲夜が戻ってくる前に急いで準備にとりかかった。

 

* * *

 

結果としていえば、阿求さんのところに行くことは出来なかった。

一度分身を解くことで記憶を共有した俺は、再度分身し、もう一人の俺を寺子屋に残すと、急いで厚手の外套を羽織り、更に襟巻きを巻いた。

一月も半ばを過ぎて、幻想郷の冬は更に厳しさを増している。

持ち運べる程度の調理器具を風呂敷に包めば、もうこれで紅魔館に向かう準備は完了だ。

 

まだ阿求さんから話を聞く時間はある筈だ。

そんなわけで、荷物はそこに置いておき、稗田邸へいざ向かおうと玄関を開いた俺の目の前に、ノックをしようしとした姿勢で俺を見る咲夜の姿があった。

 

「お!っとぉ……」

危うく咲夜に接触しそうになりながら、寸前で前のめりになりかける体になんとかブレーキをかける。

 

「び、びっくりした」

一歩後ずさって胸を押さえる。

「あら、ごめんなさい」

「いや慌ててた俺が悪いんだけど……」

俺は軽く息を吐いて動機を落ち着かせる。

 

「えっと、忘れ物でもした?」

「いえ、準備が出来たわ」

やけに早く戻ってきたなと思いながら問いかけると、咲夜はすまし顔で答える。

 

「え?」

自分の耳を疑いながら、俺は咲夜の足元に目を向ける。

牛乳が入った大きな瓶が数本、ロープで縛られ纏められたていた。

その横には大量の卵といくつかの果物が入ったバスケットが置いてある。

「他の材料は紅魔館にあるわ。それで、牛乳はこれで足りるかしら?」

 

「あ、ああ。足りてる、けど」

俺は半ば呆然としながら材料を食い入るように見た。

咲夜が出てからものの5分とたっていない。

どう考えてもそんな短時間で用意できるはずはない。

「あの、どうやったの?こんなに早く」

 

「企業秘密ですわ」

茶化すように咲夜は微笑んだ。

「さて、随分慌てていたみたいだけど、貴方の準備はもう暫くかかりそうね」

「あ、いや……」

俺は頬を掻いて言いよどむ。

 

「えっと……大丈夫。いける。行けます」

さすがにあっという間に準備を終えた咲夜を待たせるのも気が引けたので、俺は大げさに頷くことにした。

「そう。では、行きましょうか」

「そうだな」

 

咲夜は俺の部屋に置いた手提げを、俺は風呂敷を取ると、改めて玄関を出る。

さて出発か、とも思うが、しかし、もとから大荷物だった咲夜に追加でケーキの材料を持たせて歩くのも気が引ける。

 

「咲夜」

「何かしら」

地面に置いたバスケットを持ち上げながら咲夜が俺の呼びかけに応じる。

 

「荷物、いくつか持つよ」

「だったら、これを」

咲夜は牛乳入りの瓶の束を指差す。

 

「了解」

俺はよっこらせと持ちにくそうな瓶束を抱えるように持ち上げる。

結構重いな、という感想を抱きながら、咲夜を振り返る。

「さて、それじゃあ行こうか」

「ええ」

 

ジャラリ、と、軽い金属が擦りあう音が俺の耳に届いた。

小さな音だった。

何か聞こえたかな?という程度だ。

俺は首をかしげながら、無意識に立ち尽くす。

 

「なにか――」

と、咲夜に問いかけようとした瞬間だった。

 

「――聞こ……は?」

 

咲夜の顔が目の前にあった。

ついでに言えば俺は宙に浮いていた。

いや違う俺は咲夜に抱えられていた。

でもってそれは俗に言うお姫様抱っこというものだった。

いやしかし俺はさっきまで普通に二本の足で立っていたのだ。

しかし現状俺は大量の荷物とともに咲夜にお姫様抱っこされていた。

うん。

うん。

……うん。

…………何が起きた?

 

とりあえず俺を抱える咲夜に声をかけようとする。

それにしても、なぜ咲夜の視線は上に向けられているのだろう?

「さく――やあああぁぁああああああああああ!?」

そうして、俺が声をかけようと口を開くのとほぼ同時、重力に逆らい咲夜が一瞬で飛び上がった。

急な上昇と、それに伴い倍増する重力と、激しい風圧を受けながら、俺は情けない声を地上に残し咲夜に抱えられ飛び立ったことになるわけで――。

 

* * *

 

「――やあああぁぁあああ――」

奇声が一瞬聞こえ、俺は思わず筆を止める。

寺子屋の職員室で作業をしていた俺は、なにごとかと、聞き覚えのある声の主から全力で意識を逸らしながら、職員室を飛び出しその足で寺子屋の敷地を出た。

僅かに騒がしい通りでは、まばらに立つ人々が皆一様に空の一点を見ている。

 

知り合いの男の顔を見つけた俺は、小走りに駆け寄った。

「あの、善一さん」

「お!?悠基?無事だったか」

善一さんの反応に嫌な予感を覚えつつ、俺は問いかける。

「何かあったんですか?」

 

「いやな、吸血鬼のとこのメイドが今しがた飛び去って行ったんだ。悲鳴を上げるお前によく似た男を抱えて」

善一さんは説明しながら空を指差す。

俺がその先を見ると、はるか上空に僅かに小さな人影らしきものが見えた。

 

「てっきりお前かと思ったが、違ったようだな。しかし、あれは一体誰だったんだ?」

誰ともなしに呟く善一さんに、「多分それ俺です」と答える気にもなれず、俺は途方に暮れて今は小さな点にしか見えない人影を見る。

 

早まったかな……。




吸血鬼異変っていつごろ起きたか決まっていないのですね。
そんな訳でこの作品では10年は立ってない程度前に起きた異変ということになっています。
安易に決めたこの設定ですが、いつか破綻しそうで怖いです。
まあでもこの作品はほのぼのとした日常系という名目で進めているので、そのあたりの設定はふわっとごまかす所存です。はい。

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