いよいよもって俺の新しい職場である甘味処でケーキが提供される次第となった。
とはいえ、大量の生乳から作ることができる生クリームは量が限られるし、生地を焼くのに時間がかかりそのための道具もあまりない。
そんな理由で、俺の作るケーキは一日の数量が限定されているという扱いだ。
作成量はたいした数ではない。
しかし、その限定された量を消化しきる日は稀で、だいたいは半分近くが売れ残る。
玄さんとしては「可もなく不可もなく」という評価になるらしい。
「もう少し多く作れるように何か考えとけ」
と玄さんから新たな課題を貰った。
彼としては、ありがたいことにもう少したくさん売れると見込んでいるようだ。
ケーキの評判はそれなりに好評らしい。
ただ、「やっぱり値段が高いのもあってお客さんは選ぶみたいよ」と甘味処の看板娘である千代さんが教えてくれた。
評判が人伝なのは、俺が店頭に顔を殆ど出さないからだ。
接客が苦手とか人見知りであるとか、そういった理由ではなく、単純に顔を出す暇が無いのだ。
なにしろ、俺が勤める甘味処はもともと玄さん一人で厨房を回すことを想定して作られており、機材が足りていない。
なので、俺は頻繁に甘味処の厨房と、寺子屋の離れの作業場の徒歩5分程度の距離を、何度も何度も往復するというなんとも効率の悪い方法を取らざるを得なかった。
「ま、この辺もいろいろと考えていかんとな」
狭い厨房で椅子を並べ、俺と額を突き合わせ腕を組む玄さんは、唸りながら言った。
「まあ、やっぱり難しいところですよね」
玄さん同様腕を組みながら俺も嘆息する。
忙しい時間帯を過ぎて店仕舞いをするまでの時間は、俺と玄さんとで雑談を交えた反省会が日課となっている。
最初の頃はそこに千代さんも混じっていたのだが、「狭い厨房でしかめっ面が二人もいると気が滅入る」と、あっけらかんと笑ってから参加しなくなった。
幻想郷の住人は、人や妖怪に限らずマイペースな人が多いが、彼女もその類に含まれるらしい。
そんな訳で男二人でああでもないこうでもないと議論を交わす夕暮れ時、そろそろ客足も途絶え、店も閉めようかという頃合だ。
俺が甘味処で勤め始めて、一週間と少し立ったその日、千代さんがひょっこり厨房に顔を出した。
「悠基さーん」
「あ、はい。どうしました?」
「お客さんよ」
「え?俺にですか?」
思わず玄さんと顔を見合わせる。
そこに千代さんが顔を近づけながら声を囁く。
「記者さんだって」
「記者、ですか?」
状況が分からないままに千代さんの言葉を鸚鵡返ししていると、玄さんがぼそりと呟く。
「ケーキの取材か?」
「そうかも」
「え?そんなことってあるんですか」
正直なところ、大して売り上げの出せていないケーキに、取材が来ると言うのは可笑しな話だと思った。
だが、玄さんも千代さんもそれほど疑問には思っていないらしく、二人して頷く。
「まあ、洋菓子はここでは物珍しいし、興味を持たれても不思議はねえな」
「それにね、実は悠基さんのケーキ、ぼちぼちお得意さんが出てきてるのよ」
「ほう、リピーターか」
玄さんの瞳がギラリと光ったような気がした。
「そうそうそれそれ」
千代さんが頷くと、玄さんは組んでいた腕を解き、両膝に手をつきながら立ち上がる。
「よし、悠基、一発かましてこい」
俺に歩み寄った玄さんは、唖然とする俺の背を勢いよく叩き立ち上がらせた。
「新規客開拓のチャンスだ」
「は、はい」
玄さんに押されるままに、俺は厨房の出口に歩み寄る。
千代さんが「ファイト」と両手でガッツポーズを示したので、緊張した面持ちで頷いた。
緊張……確かに少し緊張している。
なにしろ、唐突に降って沸いたチャンスは、今後のケーキの売り上げという命運を握る重要な物かもしれないのだ。
俺は軽く深呼吸をすると、厨房から暖簾を潜り、表――現代風に言うならホールと言うのだろうが、この店では客が茶を飲むスペースをそう呼んでいる――へ出た。
閉店前で西日が一部差し込む表は閑散としており、入り口近くのテーブル席に唯一、こちらに背を向ける形で少女が座っていた。
記者と聞いて洒落たハンチングを被った男をぼんやりとイメージしていた俺は、軽く面食らう。
だが、店内には他の客の姿は無く、千代さんの言う記者が彼女であることは明白だった。
ハンチング帽なんてものも明治初期の文化にはないと思うが、彼女の装いは、上はブラウス下は紫と黒の市松模様のミニスカートといったもので、幻想郷の人里では見ることのないものだ。
ウェーブのかかった長い茶髪を紫のリボンで左右に結った……いわゆるツインテールの頭の上にちょこんと、見覚えのある形の帽子(のようなもの)が乗っている。
天狗の帽子だ。
色合いは違っても同じ形をしたものであるというのは一目瞭然だった。
間違いない。
妖怪の山に行くたびによく白狼天狗に追い回されたり殺されかけたりしているおかげで、自信がある。
……なぜか悲しくなってきた。
いやいや、俺の宿敵としての地位を確立しつつある天狗の記者だ。
覚悟して挑まなければ。
決意を固めた俺は、「よし」と囁き自分に気合を入れ、彼女に歩みよった。
「お、お待たせいたしました」
どもった。
「俺になにか御用でしょか」
噛んだ。
散々である。
気まずげに顔を歪める俺を、整った顔立ちをした天狗の記者は一瞥する。
「来たわね」
一言、彼女はそう言って不遜な笑みを浮かべた。
なんだかテンション高いなあ。
彼女は「まあ座りなさいよ」と正面の席を指し示す。
その態度に腑に落ちない物を感じながらも、俺は椅子を引いて彼女と向かい合った。
「……どうも」
「あなたが岡崎悠基とやらね」
相変らず不遜な笑みを浮かべる彼女に、俺は首肯する。
「貴女は?」
「申し遅れたわ。私は姫海棠はたて。かの有名な花果子念報の記者よ」
「はあ、案山子年報、ですか」
「あら、花果子念報を知らないなんて、あなたモグリね」
会話開始から30秒足らずで、はたてと名乗る少女とのテンションの乖離っぷりの酷さを感じながら、俺は曖昧に「はあ」と首肯する。
「ま、最近幻想郷に迷い込んだ外来人と聞くし、それは仕方のない話ね」
腕を組み、はたては勝手に納得するようにうんうんと頷いた。
「よくご存知ですね。俺が外来人だってこと」
「ええ。貴方に関しては調査済みよ」
はたては手帳を取り出す。
「もちろん、あの事件もね」
「事件?」
あれ?
てっきりケーキの取材と思っていたが、なんだか雲行きが…………。
「先日起きた伊吹萃香襲撃事件の取材に来たのよ!」
…………。
い、今更かー……。
あたかも、つい最近起きた事件だと言わんばかりのはたてだが、萃香が寺子屋で俺を襲ったのはもう一ヶ月近く前の話だ。
俺が絶句していると、厨房から千代さんがお盆を手に近づいてきた。
「粗茶ですが」
千代さんが湯飲みをはたてと俺の前に一つずつ置く。
「ああ、店員さん。注文いいかしら?」
「ええ、構いませんよ」
人差し指を立てるはたてに、千代さんは胸にお盆を抱えて待ってましたとばかりに応対する。
「じゃあ、串団子を二串お願いするわ」
「え?団子、ですか?」
明らかに動揺する千代さん。
ケーキの取材に来たのだから、当然ケーキを注文するもの、とでも考えていたのかもしれない。
「あら、売り切れ?」
「い、いえ!しばしお待ちを」
怪訝な顔をするはたてに、千代さんは慌てて頷いてちらりと俺を見る。
「違うみたいです」という意味を込めて黙って首を振ると、千代さんは微妙な顔になって厨房に足早に引き返していった。
「慌しい子ね」
「アハハ……」
厨房に消えていく千代さんの後ろ姿を肩越しに見ながら呟くはたてに、俺は曖昧な笑みを浮かべるしかない。
「ええと、襲撃事件って、先月、萃香が寺子屋で俺を襲った事件のこと……ですか?」
「ええ、その通りよ」
はたては俺に向き直り頷く。
「鬼の伊吹萃香が突如として出現し、貴方を一撃の下屠り去っていった。貴方がこうして生きているのは、襲われたのが貴方の分身能力によって作り出した分身だったから」
「はい。その通りです」
まあ、分身という点については誤解している感があるが、わざわざ訂正するのも面倒なので触れないでおく。
だが、ここではたてが目を細める。
「……と、言うのが表向きの話ね」
得意気に断言するはたてに、俺は首を捻る。
「表向きというのは……」
「とぼけても無駄よ。すでにウラは取れているの」
「……ええと」
表もウラも何も、この事件に関しては今はたてが話した内容が全てだ。
補足するなら、俺の能力を萃香が利用しようとしたと言う動機があるが、はたての言い方からしてそのことを言おうとしている雰囲気ではない。
「じゃあ、その、貴女が掴んだ情報っていうのは?」
はたては俺を指差す。
「鬼である伊吹萃香と対等に渡り合える人間である貴方の正体は、神の血を代々受け継ぐ一族の末裔にして、人里の秘密兵器よ!」
どこかで聞いたことのある話だった。
「…………はあ」
気のない返事をする俺に構わず、はたては捲くし立てる。
「もうネタは上がってるのよ!貴方が伝説の剣と呼ばれる草薙の剣とやらを持ってることもね!」
「…………なるほどねえ」
ノリが記者というより警察だなあ、とどこか他人事のように思いながら、俺は腕を組む。
彼女の話す内容は、萃香の起こした騒動に人里の住人が好き勝手着色しまくったものなので、ウラは取っているだのネタは上がっているだのと彼女が言ったところで絵空事であるという事実に変わりはない。
人の噂も七十五日と阿求さんも言っていたが、実際そういった噂事態は随分収まったし、今時こんな話を真に受けている人もさすがにいないだろう。
せいぜい子供たちが面白おかしく話しているのと、アリスが人形劇で公演している程度だ。
……どうしたものかなあ。
と、迷ってみたところで、結局のところ正直に話す以外の選択肢はなかった。
「すいませんが、本当にそのような話はありません」
「私はそんなつまらない解答は期待してないわ」
「そうは言っても実際その通りだし」
「事実は小説より奇なり、よ。さあ、隠し立てしてないで洗いざらい面白い真実を話しなさい」
いや面白いて。
どうも彼女は、俺が秘密を持っていると決め付けている節がある。
「逆にききますけど、一体誰からそんな話を?」
「そんなこと言えるわけないじゃない」
「子供から?」
「ほぇ!?」
すかさずカマをかけてみると、面白い反応が返ってきた。
肩の力が抜けた俺に対して、はたての方はすぐに我に返ると、頬を薄く染めながら咳払いする。
「……図星ですか」
「やるじゃない、あなた」
「恐縮です…………じゃなくて」
ため息をつきつつ頭を振る。
「その情報元、本気で信用してるんですか?」
俺の問いかけに、はたては「ふっ」とほくそ笑む。
「記事のネタになればいいのよ!」
清清しいほどに開き直られた。
米神が痙攣するのを感じながら俺は再びはたてに問いかける。
「面白ければ嘘でもいいと?」
「言質を取れればそれは事実よ!」
「酷い暴論ですね」
「いいから吐きなさい!ネタを!記事に出来るネタをぉ!」
鬼気迫る……という程ではないが、さっさと吐けとばかりにはたてはせまってくる。
彼女の整った顔が近付くことに心中穏やかでないものを感じながら、俺は体を引きながら口を開いた。
「き、記事を書くネタによっぽど困っているんですね」
「へぐぅ!」
またも面白い反応をして固まるはたて。
彼女の心を鋭い棘で貫いてしまったかのような感じがする。
「……また図星ですか」
「貴方には関係ないでしょ」
はたては若干瞳を潤ませながら俺を睨む。
どうも、彼女を傷つけてしまったらしいと察した俺は、頭を掻きながら「なんかすいません」と、とりあえずとばかりに頭を軽く下げた。
ふと、そんな俺の視界に、厨房から出てきた千代さんの姿が映る。
そういえば、はたてが団子を注文してから随分立つな、と疑問に思っていると、千代さんが持つお盆の上の皿に盛られた物が目に入った。
はたてが注文した団子ではなく、売れ残りのケーキだ。
目を瞠る俺の様子にはたてが首をかしげていると、その横に千代さんが立つ。
「お待たせいたしました」
「あら、遅かったじゃない……?」
千代さんが置いた皿を前に、はたては訝しげに眉を顰める。
「あの、これは?私が注文したものじゃないわよね」
「ええ。こちら、当店の新商品でございます。もちろん料金は頂きませんので、ぜひ試食してみてください」
「へえ……」
興味深そうにケーキを覗き見るはたて。
一方で俺は、ちらりと千代さんを見る。
千代さんは俺に片目を閉じると、「それではごゆっくり」と頭を下げて厨房へ戻っていく。
彼女を目で追うと、厨房からこちらを覗く玄さんと目が合った。
玄さんは一度こくりと頷き、親指を立てると、厨房に引っ込む。
おそらくだが、玄さんたちは、はたての興味がケーキに移りそうな機会を伺っていたようだ。
「ファインプレーです」と頭の中で二人にお礼を言う。
二人の助け舟を無碍にするわけにはいかないと思ったが、俺が気合を入れるまでもなく、はたてはすでにケーキを興味を示している。
「もしかして、貴方が作ったもの?」
察しが良いのか、はたてはケーキを指差しながら俺を見る。
「ええ。外の世界の知識を再現したショートケーキという洋菓子です。といっても、季節や技術的な問題で、実のところ不完全なんですけどね」
「不完全ねえ……」
訝しげに呟くはたてに、俺は頷く。
「はい。ですが、今後更に完成度の高い物を提供できるようになる見立てはあります」
苺の乗ったショートケーキを夢想しながら、今は代替品を乗せたケーキに視線を移す。
「この段階で美味しいと感じていただけたなら……」
敢えて答えを溜めてみると、はたてが俺の言葉を引き継ぐように答える。
「もっと良いものが食べられるって期待してもいいってことね」
「その通り」
俺は努めて大袈裟に頷く。
我ながら随分芝居じみた感じになったが、はたての興味を更に引くことには成功した手応えがあった。
「へえ、大した自信じゃない」
はたては挑戦的な笑みを浮かべる。
「味については保証します」
彼女の笑みに答えるように、俺も自信ありげに見えるような笑みをなんとかして浮かべる。
「いいわ。その挑戦受けて立とうじゃない」
フォークを手に取り、はたてはケーキに視線を移す。
「これで大した物じゃなかったら、存分にこき下ろしてやるわ」
やばい挑発しすぎた。
と、俺が思ったところで後の祭りである。
内心では後悔しながらも、それを絶対におくびにもださないように笑みを維持する俺は、はたての反応を待った。
* * *
翌々日の早朝。
「失礼するわ」という声が、寺子屋離れの作業場で、いつものように仕込み作業をしていた俺の耳に入った。
同時に、返事を待つ素振りすらなく玄関の引き戸が開かれる音がし、俺は嘆息しつつ応対に向かった。
はたして、玄関に立っていたのは先日寺子屋で取材に訪れていたはたてだ。
その胸には紙の束が抱えられている。
「ああ、おはよう。こんな朝早くから、どうしたんだい?」
布巾で両手の汚れを拭いながらはたてを迎えると、彼女は笑みを浮かべて抱えた紙束から一枚の紙を引き抜き、俺に差し出す。
「記事が出来たわ」
「え?もう?」
「当然よ。情報は鮮度が命。早いに越したことはないわ」
その割には事件の取材に来るのが遅すぎるようなというツッコミを飲み込みつつ、俺ははたてから新聞を受け取る。
花果子念報……ああ、こういう字を書くのか。
そんなことを思いながら、俺はざっくりと、記事を斜め読みする。
もちろん、その内容は甘味処で売り出されたケーキに関するものだ。
「面白ければいい」というはたての言動から、滅茶苦茶な記事内容なのではと頭の片隅で危惧していたが、予想以上に内容は堅実で常識的だったので普通に驚きだった。
「おお……」
少し感動して花果子念報を見る俺に、はたては満足げに頷いた。
「それじゃあ、またその内取材に行くわ」
新聞を渡すことだけが目的だったのか、はたては数歩下がり開きっぱなしの玄関から外に出る。
「うん。もっと美味しい物が出せるように頑張るよ」
「期待してるわよ」
釘を挿すように、しかしどこか楽しげな様子ではたては言うと、次の瞬間突如として大きな黒い翼を背中に出現させる。
瞠目する俺を後目に「じゃあね!」と一言別れの挨拶を残したはたては、翼をはためかせたと思うとあっという間に飛び去って行った。
「……ああ」
俺は誰もいなくなった空間に今更すぎる相槌を打ちながら扉を閉めると、ゆっくりとした足取りで作業場に戻りつつ、花果子念報に目を通すことにした。
解説、というか裏設定みたいなものですが、萃香の騒動に関しては主人公が知らないだけで実は既に某射命丸によって記事として取り扱われていたりします。
いずれ機会が作れればそのことにもほのぼのと触れようとは思いますが今のところ未定です。