東方己分録   作:キキモ

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二話 邂逅、逃走、覚醒

空は茜色に染まり、森は次第に闇を深くしてゆく。

俺は焦りと不安に押しつぶされそうになりながら、黙々と歩いていた。

スマートフォンを見る。

圏外表示に溜息がこぼれる。

GPSも然り。

 

まずい、まずい、と心の中で呟く。

周囲を見渡すが、似たような景色が広がっているのみだ。

ほんの二十四時間前、写真を発見したときは、異常なほど興奮していた俺だったが、今は全く別の意味で落ち着かなかった。

 

 

*

 

 

早朝、家を出た俺は、新幹線、電車、バスを乗り継ぎ、昼すぎにとある田舎町に降り立つ。

コンビニで調達した昼食を、一時間にバスが一本しか来ないことを示す標識の立つバス亭で済ませ、スマートフォンの地図アプリを起動させた。

電波は問題なく届いていたし、GPSも誤差も許容範囲だ。

これから、山に入るのだから、電波の状況はこまめに見ておこう。

 

博麗神社はバス亭から徒歩一時間ほど。

ただし、道程の半分は山道を行くので、長く見て二時間半ほどか。

 

果たして、博麗神社に写真の手がかりがあるかは分からないが、兎に角行ってみよう。

 

 

と、意気込んでから数時間後。

山からは半分獣道となった細い道を歩いていたのだが、ふとスマートフォンを見ると表示が「圏外」となっている。

GPSも機能していない。

ほんの数分前に確認したときは問題なかったはずだ。

おかしいな、と思いながら、俺は電波状況がよくなるまで引き返すことにした。

道はほぼまっすぐだったし、迷うということはないだろうと、半ば楽観的に見ていた。

 

だが、いくら戻っても、電波は一向に入らない。

どころか、慎重に元来た道を辿って来たにもかかわらず、気づくけば道が消えていた。

 

絶句した。

 

遭難の恐れがあったとはいえ、一応の警戒はしていたし、慎重に行動したつもりだった。

だが、現状はご覧の有様である。

 

 

* * *

 

 

そうして、冒頭に至る。

 

疲労から俺は一本の木を背に座り込んだ。

日はすっかり落ちているが、月明かりが強く、辺りは夜にしては明るい。

それでも視界がそれほど確保できない今、無闇に動くのは危険だ。

 

それにしても、と俺はスマートフォンを見る。

ディスプレイに表記される現在時刻。

 

『16:18』

 

季節は初夏手前。

本来ならば、まだ日が傾いてもいない時間である。

にもかかわらず、空を見上げれば、既に夜空には星が瞬き、枝葉の隙間から月光が降り注ぐ有様である。

 

「なんだよこれ……」

 

最初はスマートフォンに何らかの不具合が起きたのかと思ったが、父から譲り受けた腕時計の針は、ディスプレイに表示された時刻と同じ時間を指していた。

 

一体どういうことだろう。

考えてみる。

 

案1。なにかしらの影響で、スマートフォンと腕時計両方に同時に不具合が生じた。

例えば、強力な磁場が発生しており、デジタル時計とアナログ時計が同時に狂ってしまったのかもしれない。

しかし、それにしてはスマートフォンは通常通りに動作しているし、同じ時間を指しているというのもおかしな話である。

 

案2。時空を超えてしまった。

例えば、気づかないうちに未来、もしくは過去に戻っている。

さもなくば、時間の異なる別世界にワープした、とか。

なるほど、これなら時計の表記と実際の時間が食い違うのも納得がいく。

 

「ハァ……」

と、そこまで考えて溜息をついた。

遭難という現実から逃避して馬鹿馬鹿しいことを考えている場合じゃない。

 

こういうときこそ冷静にならないと。

とりあえずは、一晩はここから動かないでおこう。

体を休めて、日が昇るのを待つことにする。

一応は山に入るため、コンビニで調達したスポーツ飲料と、携帯食料を準備していたのだが、今ではそれが生命線である。

ほんの少しだけ口にして、後はリュックに仕舞いこんだ。

 

そこからは、あまりエネルギーを消費しないように、横になり、体を胎児のように丸める。

幸い地面は柔らかな草に覆われ、存外寝心地は悪くない。

目を閉じる。

疲れているのですぐに眠れるかと思ったが、動機が落ち着かない。

遭難したという現実のせいで不安に押しつぶされそうなのだろう、と他人ごとのように俺は考えた。

 

 

* * *

 

 

ガサリ、と。

草木が揺れる音がしたような気がした。

目を開く。

顔を上げ、周囲を見回すが、辺りの様子に変化はない。

腕時計を月明かりに翳す。

十八時を半ば回ったところだ。

眠れないと思ったが、いつの間にか意識を手放していたようだ。

 

と、そこまで考えたとき、音がした。

――っ!

息を呑み、慎重に起き上がる。

 

今のははっきりと聞こえた。

というか、断続的に聞こえる。

風で葉が揺れる音ではない。

何かが草を掻き分ける音だとはっきりと分かる。

 

横においていたリュックを背負いこみ。

音のする方向を凝視する。

 

何かが近づいてきている。

地面に落ちた枝を折るようなポキリという音が混じる。

大きい。

少なくとも、狸とか、狐とか、そういったサイズではないように感じる。

 

熊、か……?

 

冷や汗が頬を伝った。

どうする……。

確か、死んだ振りは効果がないとか聞いた覚えがある。

相手の目を見たまま、ゆっくりとあとずされば不用意に襲ってこない。

それで、その後は――?

 

そんな風に熊の対処方を考えているとき、遂に音の主が、木々の間から現れた。

距離にして、20メートルに満たないだろう。

月光に照らされたその姿を見て、俺は思考が停止した。

 

体格は二メートルほど。

体は黒い体毛で覆われ一見すると熊に見えなくもない。

しかし、二足歩行で立つそれは、熊のような寸胴と太い足とは不釣合いに、長い前足は、だらりとぶら下げると地面に触れそうなほど長い。

大きく裂けた口からは鋭い牙が生えている。

そして、熊との……いや、普通の動物との決定的な違いは、その巨大な目だった。

 

顔の中央やや上に、おぞましさすらかんじる巨大な瞳が一つのみ。

月光に照らされたソレが硬直する俺を真っ直ぐ捉えていた。

 

 

 

それは、化け物だった。

 

 

 

一ツ目の化け物と対峙した俺は、思考が止まり、動けない。

化け物から、目が離せない。

 

直後、化け物の口端が、まるで笑うかのように釣りあがった。

笑った、と無意識に直感した俺は、直後に瞠目する。

 

「ニンゲン……」

 

あろうことか、はっきりと、そう呟いた。

息を呑み、目を見開く。

こいつ……今、喋った……?

纏まらない思考の俺を前に、化け物ははっきりと分かるほど満面の笑みを浮かべる。

 

「ニンゲンダ……」

と、噛み締めるように呟き、そして、

 

「……ニクダ」

 

――やばい――

身の危険を悟った俺は、瞬時に身を翻し駆け出した。

 

「マテ!!!」

化け物が追いかけてくる。

 

ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!

 

俺は、身に迫る危険から、半ばパニックに陥っていた。

死に物狂いで木々を避けながら、走る。走る。走る。

咄嗟の判断で逃走を選択したのが幸いし、最初に邂逅したときよりも距離は取れていた。

が、背後から迫る音は次第にその距離を縮めてくる。

 

ヤツの方が速い!

 

俺は一瞬逡巡したのち、背負っているリュックを放り投げた。

身を軽くするために荷物を捨てたのもあるが、運が避ければ化け物が捨てた荷物に食いつくかもしれないと、咄嗟に判断した。

 

しかし、化け物は荷物ではなく俺を追ってきていた。

 

「アハハハハハハハハ!!」

化け物は嗤っていた。

「ニクダ!!ヒサカタブリノ、ヒトノニクダ!!」

 

「クソッ!!」

俺は必死でペースを上げようとする。

が、俺の気持ちに反して、体が重い。

 

まずい。

このままでは、体力が尽きる。

 

背後から追ってくる気配が、少しずつだが、近づきつつある。

 

 

一瞬、その化け物に自分が喰われる様が頭に浮かぶ。

「っ!!」

不穏な想像を掻き消そうとするも、そのイメージは頭にこびりつき、俺の精神を恐怖に染め上げていく。

実際、このままではその想像は現実になるのだ。

 

どうにかしないと。

 

どうする。

 

まずい。

 

どうやって?

 

 

速く。

 

 

逃げられない。

 

 

ヤバイ。

 

 

畜生。

 

 

 

どうする。

 

 

 

どうか。

 

 

 

誰か――。

 

 

 

 

バチン、と。

なかば半狂乱の俺の頭の中で、何かが弾けるような錯覚を覚えた。

 

唐突に気配が、真横からした。

 

 

右を見る。

 

 

 

俺がいた。

 

同じ顔で、同じ体型で、同じ服装をした俺が、俺と併走していた。

走りながらも驚愕した顔が向けられていた。

 

「ガ!!??」

追ってくる化け物が混乱したような声を上げた。

 

何が起きたのか分からなかった。

理解できるはずもない。

だが、理解が及ばないまでも、咄嗟にこれはチャンスだと悟る。

 

俺は――俺たちは、示し合わせたかのように二手に分かれた。

 




それほど長くするつもりはないのですが、実際書いてみると思ったよりかなり長くなりますね。

こんな感じで進んでますが、一応ほのぼのとしたものを書きたいと思っています。

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