東方己分録   作:キキモ

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十九話 そして年は暮れて

「慧音さん、こっちの方は終わりました」

俺は慧音さんに声をかけながら、手に持っていた汚水の入った桶を足元に置いた。

「ああ、ご苦労様」

慧音さんはというと、一巻の巻物を両手に広げ立っていた。

よく掃除中に漫画本なんかをついつい手に取って読みふけるっていうのは定番だけど、慧音さんはどうなのだろう。

 

「慧音さん、それ」

俺が巻物を差すと、慧音さんは「ああ」と肩を竦めて巻物を仕舞い始めた。

「内容に間違いがないか気になってね。杞憂だったようだが」

書棚に巻物を差しこむ慧音さんに、俺はややためらいがちに問いかける。

 

「えっと、書類の整理の方は……」

「もちろん終わらせたよ」

慧音さんは眉尻を下げて僅かに首を傾けた。

「どうかしたのかな?」

 

「い、いえ、すいません。邪推でした」

「邪推?」

「いや、なんでもないです」

一言余計だった。

いやそれ以前の問題な気もするけど。

慧音さんもそのことに気付いているのだろう、小さく笑う。

 

「えっと、他に掃除するところはあります?」

なんだか気まずく感じつつ、俺は頭を掻きながら話題を逸らす。

と、示し合わせたかのように周囲から続々と人が現れた。

「慧音様、門の掃除終わりましたわ」

「慧音先生、障子の張り替え終わったぜー」

「先生、他にやることありますか?」

 

実際にはタイミングが偶然一致しただけなのだろうが、なんにせよ助かった。

助かったって言うほど困っていたわけではないが。

現れたのは老若男女問わず十人ほど里の人々だ。

 

「ああ、皆」

慧音さんは穏やかな笑みを浮かべる。

「うむ……まあ、こんなものでいいだろう。ご苦労だった」

慧音さんのねぎらいに、俺含むその場に立つ皆が一様に、安堵の息を吐いたり「いえいえ」と謙遜したりと、様々なリアクションをとった。

 

 

そんなわけで、大晦日の昼下がり。

慧音さんの年末恒例の寺子屋の大掃除で、その離れに住む俺ももちろんその手伝いである。

昼飯後から始まったのだが、そこそこ広い寺子屋の掃除は、人里の住人がちらほらと掃除の手伝いに訪れていたのもあり、一時間とかからず終わってしまった。

召集があったわけでもないし、そもそも年末はどこも忙しいはずなのに、自主的に手伝いが来るというのは慧音さんの仁徳だろう。

日頃からお世話になっているのもあって実感はしているが、本当に凄い人だと思う。

 

 

「慧音様、また来年も」

「ああ、よろしくな」

「先生、良いお年を」

「うむ。良いお年を」

口々に別れを告げて帰っていく彼ら彼女らに、慧音さんは優しげな笑みを浮かべ見送る。

 

その様子を、掃除道具を片づけながら眺めていると、ふいに俺の背中がはたかれた。

「よう」

「おっと」

結構強めだったし、ふいのことだったのもあって、危うく転倒するところだった。

つんのめりかけた俺の肩を、声の主は慌てて掴んで俺を制止させる。

 

突然のことに驚きながら振り返ると、大柄な男が人の良さそうな笑みを浮かべながら頭を掻く。

「あ、善一さん」

「悪い悪い。強すぎた」

善一さんは顔の前で片手を立てた。

 

「いえいえ」

俺は平手をくらった辺りが少し熱い背中をどうにか摩りたい衝動を抑えながら、善一さんに向き直る。

「それより、今日は寺子屋の掃除、ありがとうございました」

「なあに、慧音先生のためだ。お安い御用よ」

善一さんは得意げに鼻溝をこする。

 

「やあ、善一」

と、そんな善一さんに、背後から慧音さんが声をかける。

「あ、け、慧音先生。こりゃあどうも」

慌てた様子で善一さんは振り返ると、何度も頭を下げる。

緊張したようなその様子は、普段の豪快な様子と余りにもギャップがある。

俺は目を丸くするが、慧音さんは見慣れているのか、穏やかな笑みを崩さない。

 

「君もご苦労だった」

「光栄であります!」

慧音さんの言葉に胸を張り直立する善一さん。

その鼻の穴は大きく膨らんでいる。

 

慧音さんは仁徳のみならずその美貌もあって、里の男衆、というか女性からもなのだが、羨望や憧れの対象となっている。

現代で言えばファンクラブなんかがありそうなレベルだ。

というか、この幻想郷にももしかしたらそういう類のものはあるんじゃないだろうかと、俺は思っている。

 

最近は随分減ったが、時折里内で感じる冷たい目線は、多分その辺りが要因だろう。

善一さんなんかは、以前はその筆頭だったわけだし。

まあ、要するに善一さんは、特に慧音さんに対する憧れが人一倍あるということだ。

 

そんな善一さんが、慧音さんから直々に褒められて落ち着かないわけがないので、まあこの反応も仕方のないことだろう。

仕方のないことなのだが……鼻息が荒すぎて、その、鼻毛が……。

あとでそれとなく伝えておいた方がいいのかな……。

 

「また、来年もよろしくな」

慧音さんはなぜか……いやまあ理由は察してあまりあるが、クスクスと笑っている。

「い、いえ、こちらこそ!」

面白いくらい緊張した様子の善一さんは、目を泳がせながら応えた。

 

「それでは、こ、これにて失礼いたします」

「ああ、良いお年を」

「はい。慧音先生も」

善一さんは深々とお辞儀をすると、回れ右をして、寺子屋の門に向かう。

どこか歩き方がぎこちないにも関わらず、その足取りが軽やかで、面白いくらい彼の心情を表していた。

 

「あ」

ふと、俺と慧音さんが見送る中で、善一さんが足を止め振り向く。

「悠基、また今夜な」

 

「ああ、はい」

俺は頬を緩めながら頷いた。

「また後で」

片手を軽く挙げると、善一さんも応じるように片手を挙げた。

最後に善一さんは慧音さんに改めて目礼すると、結局さっきの足取りで去って行った。

 

手伝いに来ていた人員は善一さんが最後だったらしく、他は既に帰ったあとで、その場には俺と慧音さんだけが残った。

「善一となにかあるのかい?」

善一さんを見送った慧音さんが問いかける。

 

「はい」

俺は頷いた。

「実は年末最後の酒盛りってことで、誘われているんですよ」

「ああ、なるほど。しかし、随分嬉しそうだね」

「いやあ、それほどでも」

相変わらず頬を緩めたままの俺に慧音さんは目を細めた。

 

「あ、別に男に誘われて喜んでいるわけじゃないですよ」

ふと、誤解されそうだという考えが過り、慌てて慧音さんに手を振る。

「俺にそっちの趣味はないので」

「ああ、分かってるさ」

 

慧音さんは苦笑した。

なんだか今日は彼女を笑わせてばかりだ。

まあ、今回のはともかく悪いことじゃないだろうし、うん。

まあいっか。

 

「随分里に馴染んできたようじゃないか」

見ようによっては唐突にも思える慧音さんの発言に、しかし俺はただはにかむ。

さすがというかなんというか、俺の心境をよく察してらっしゃる。

「はい。それもこれも、慧音さんのおかげです」

「何を言う」

慧音さんが眉根を吊り上げた。

 

「君が皆にこうやって受け入れられているのは、君の人柄、人徳だよ」

手放しの褒め言葉だ。

俺は目を見開く。

「君は、この世界に来てからよくやっている」

「け、慧音さん」

「根は真面目だし誠実だし、子供たちに対してもとても真摯に対応する」

 

「…………」

やばいめっちゃ嬉しい。

なんというか、頬が緩むとか、自然と口端が上がるとか、口元が笑うとか……あ、全部同じか。

とにかく、そういう次元じゃない。

ちょっと感動していた。

いや、かなり感動していた。

 

「私も誇りに思う」

ついでとばかりに必殺の追撃で俺の心を仕留めて来る慧音さん。

 

「っ…………」

嬉しさで胸がいっぱいになり、言葉が返せず、押し黙ってしまう。

この世界に来てから随分と涙脆くなった。

目頭が熱くなるのを感じどうにか堪えていると、慧音さんはやっぱり、そんな俺の様子を察してか俺の肩を優しく叩く。

「まあ、今日は楽しんできなさい」

 

「…………はい」

俺は辛うじて、なんとか慧音さんに短く答えた。

 

 

* * *

 

 

と、いうことがあったのが、多分、ええと、数時間?前だっけ……。

 

喧騒が聞こえる。

 

「んぁ?」

間抜けな声がした。

今のは……あ、俺だ。

 

机に突っ伏していた頭を上げる。

無理な姿勢で寝ていたせいか体の節々が痛い。

 

特に頭。

ぐわんぐわんする。

痛みも鈍い。

視界もなんだか揺れてる気がする。

なんだこれ。

いや……この感覚は覚えがある。

軽い二日酔いだ。

 

「おう、目ぇ覚めたか」

机の向こうから、白髪頭に手ぬぐいを捲いた男が声をかけてきた。

というか、机じゃなくてこれ、カウンター席だ。

カウンター席で、突っ伏して寝ていたのか。

 

ああ、思い出してきた。

確か、日が暮れてから、ここ、大衆食堂で催される男衆の忘年会という名目の酒盛りに参加したんだ。

会場として選ばれたここは、大衆食堂と銘打っている割に、カウンター席や机と椅子の一般的な座席に加え、奥にはかなり広い座席があり、居酒屋とか料亭とか呼んだ方がしっくりくる間取りである。

 

確か、始まってから割と早いペースで飲んで喋って食べて飲んで喋って飲んで食べて飲んで飲んで飲んで…………。

とにかく、そんな調子で開始から30分くらいは記憶がある。

そこから先は……記憶がないし、早々に潰れていたのだろう。

座敷で飲んでたはずが、いつの間にかカウンター席にいるのは何故なのか分からない。

潰れていただけならまだいいんだけど……。

 

振り向くと、座敷では未だ喧しく男たちが騒いでいる。

だが、だいたい3割ほどは床に転がり潰れていた。

一部は一段高い座敷から落っこちて地べたで鼾を掻いている。

風邪ひかなきゃいいけど……。

ていうか、床で転がっている真っ赤な顔の男の一人は確か従業員だったはず。

 

俺は若干混沌としたその光景に口元を歪めながら、体を正面に向けた。

「大将」

口端から零れていた涎を拭いながら、白髪頭の男に話しかける。

彼は、酒盛りの会場となったここ、大衆食堂の従業員ではなく、いつもは慧音さんとよく利用する蕎麦屋の主人だ。

がたいがよく、寡黙な職人気質だが面倒見がいいこの人は、なぜか大将と呼ばれ親しまれている。

 

「今、何時ですか」

「ん」

大将は親指を一方に向けて差す。

見ると、柱時計がかかっており、短針が11と12の中間を差していた。

どうやらかろうじて日は跨いで、いや、年は越していないようだ。

酒盛りが始まったのは7時ぐらいだったから、4時間前後は寝ていたのだろうか。

 

「水は?」

大将の問いかけに、俺は黙って頷く。

 

用意していたのか、俺が頷くと同時に俺の目の前に水の入った木椀が置かれた。

大将に感謝しつつ、それを一口呷る。

少しだけ気分がすっきりしてきた。

 

「大将」

「おう」

「俺、何か、酔っぱらって変なことしませんでした?」

 

俺の質問に、大将は眉根を寄せる。

記憶を辿っているのか、腕を組んで目を閉じ黙っていたのだが、しばらくして目を開くと、大将は奥の座敷を指差した。

振り返ると、腹踊りやら裸踊りやら、とても婦女子には見せられないようなあられもない光景が広がっていた。

 

「全部は知らないが、あそこまではっちゃけてはねえよ」

「そうですか……」

「まあ、大丈夫だの酔ってないだの譫言呟きながらこっちまでふらふら歩いたあげくぶっ潰れたときぐらいだな」

「…………」

しっかり酔っぱらってたらしい。

 

閉口しつつ、ふと空腹だったことに気付く。

そういえば、飲んでばかりでそれほど食べてなかった。

「大将、蕎麦はまだあります?」

「あいよ」

 

年越し蕎麦の文化がいつごろ発生したのかは知らないが、少なくとも幻想郷にはその文化は根付いているようで、蕎麦屋の主人がこの大衆食堂に来て臨時で働いているのも、その辺りが理由だ。

日ごろ親しんだ蕎麦を年越し蕎麦として頂くのも、なんというか、乙な話だ。

そうでもないか……な?

 

 

そんなことを思いながら、大将が蕎麦を湯がいているのをぼんやりと見ていると、ふいに大衆食堂の引き戸が音を立てて開かれた。

「失礼、おや、ご主人か。今はやっているか」

「あいよ」

暖簾を避けて大将に話しかける顔を見て、俺は「おや」と目を丸くする。

 

「こんばんわ、藍」

「おや、悠基」

藍は大きな尻尾を畳みながら、後ろ手に引き戸を締め店内に入る。

その際に座敷の惨状に一瞬目をやり眉を顰めた。

まあ、女性が見て楽しむものではないよな。

男が見れば楽しいのかといえばそういう訳ではないのだけど。

 

藍は、見なかったことにしたのか気にしないことにしたのか、どんちゃん騒ぎには背を向けて俺の隣に座った。

「ご主人、狐蕎麦を1つ」

「あいよ」

相変わらず寡黙な大将は、短い返事とともに新しい麺を湯がき始める。

そういえば、そろそろ俺の蕎麦が出来る頃合いだ。

 

「奇遇だね。こんなところで」

「年末だからね」

「年末……あ、年越し蕎麦?」

「ああ」

藍は軽く息を吐く。

 

「へえ、妖怪にもそういう文化があるんだ」

「そんなことはないさ。ただ、……まあ、その、なんだ。たまにはこういう風習を体験してみようかと思っただけだよ」

途中、なぜか言い淀む藍に、俺は内心首を傾げる。

 

「へい、お待ち」

だが、そのことを言及しようか迷っていると、大将の重量感のある低い声とともに、俺の目の前に湯気の立つ狐蕎麦が置かれた。

てっきり素蕎麦が出てくるものと思っていた俺は、肉厚の油揚げに僅かに目を見開き大将を見る。

 

「油揚げはオマケだ」

「わあ、大将、ありがとう」

「おう」

 

一緒に出された箸を取ると、藍に一度視線をやる。

「じゃあ、お先に」

「ああ」

藍はというと、返事をしつつも何故か俺の狐蕎麦に視線を固定させている。

 

よほどお腹が空いているのだろうか。

そう思い至った俺は、箸を下げる。

「藍、もし良かったら、先に食べる?」

「え?あ、いや、結構だ」

俺の問いかけに藍は不意を突かれたのか、慌てて首を振った。

 

「そう……なら、お先に」

「あ、ああ」

どこか落ち着きのない藍が気になるが、本人的にはあまり気にしてほしくないようだ。

まあ、藍の杯ももうすぐ来るだろうからと俺は結論付けて、自分の蕎麦に箸を付けた。

 

「ところで」

蕎麦をすする俺を横目に、藍が口を開く。

なんとなく、話題を逸らそうとしている雰囲気があったので、俺はおとなしくそれにのることにした。

「ん?」

「君は、意外な趣味をしているな」

「趣味?」

口の中の麺を飲み込み、オウム返しに呟く。

 

藍の唐突な言葉の意図がよく分からなかった。

「いや、そう思っただけだ。すまない、気にしないでくれ」

なんとなくだけど、思わず口を滑らせたってニュアンスだ。

なぜか思う。

らしくないな、と。

彼女とは殆ど話したことは無いはずなのだが、そんな印象を抱いた。

 

「えーと、意味がよく分からないんだけど」

困惑顔の俺に藍は「ああ、すまない」と再び謝る。

 

「君はどちらかと言えば大人しいタイプだと勝手に思っていたからね、そんな派手な物を羽織っているのが、私としては意外に思っただけだ」

「羽織る?」

 

ふと、肩になにかが掛かっているのに今更ながら気づいた。

見ると、おそらく毛布替わりだろう、見覚えのある大きな甚平が羽織られている。

薄紅色で、着ていたら間違いなく目立つであろう派手な柄の甚平は、間違いなく善一さんの物だ。

風邪をひかないように、という配慮だろう。

 

振り返り善一さんを探すと、大きな鼾を掻く男の中にその巨体を発見した。

厚手の着物がだらしくなくはだけられており、あのままでは風邪をひきかねない。

「ちょっと失礼」

俺は箸を置き立ち上がると、善一さんに近づき、彼の甚平を毛布代わりに重ねた。

 

「おう、復活したか鬼殺し」

座敷で飲んでいた若い男の一人が俺に目を向ける。

「はい。なんとか」

「飲み直すか?」

「いや、ちょっとキツイです」

「そうか、無理はするなよ鬼殺し」

 

「はい……ていうか、その物騒な呼び方、やめてください」

半眼になって男を非難するが、彼の方はどこ吹く風だ。

「なんだよ、恰好良いじゃねえか。鬼殺しだぞ」

 

分不相応なこの愛称(?)は、以前起きた萃香の事件の噂に尾ひれがつけられまくった結果だ。

俺が誤解を解いて回った甲斐あって、俺が萃香と死闘を繰り広げて子供たちを守った、なんて大袈裟な噂はだんだんと収束している。

なのだが、一部の悪ノリ好きな若者によって、俺はたまに親しみを込めてそんな呼ばれ方をされる。

いやまあ、格好良いと言えば格好良いのだが、未だに一部は噂を真に受けている人もいるし、どちらかと言えば、勘弁してほしい所存ではあるのだけど。

 

「いや、俺はその件で微妙に困っているので」

「オーライオーライ。善処するよ。鬼殺……悠基」

赤ら顔でチャラい返事をする男に、俺はため息をついて踵をかえした。

酔っ払いには何を言っても無駄……か……。

ていうか、その外来語の返事はどこで仕入れてくるのだろうか。

騒ぎに騒ぐ男たちは、未だ藍が訪れていることに気付いてないようだ。

 

席に戻ると、藍がまじまじと俺を見つめてくる。

「藍?」

「ああ、すまないな」

ふっと視線を逸らし、藍は正面を向く。

なんとなく、さっきとは違う意味で様子がおかしい。

 

「へい、お待ち」

先ほどと同じ調子で大将が藍の前に蕎麦を置いた。

藍が頼んだ狐蕎麦は、こちらもサービスだろう、油揚げが3枚も入っている。

油揚げと麺の割合が同じくらいあるんじゃないだろうか。

 

「ああ、毎回すまないな」

大将に礼を言いながら顔を綻ばせる藍に、俺はふと首を傾げる。

「毎回?」

 

俺の言葉に藍が硬直した。

その様子に訝しく思い、今度は大将を見ると、背中を向いて作業をしていてる。

なぜかそっぽを向いて表情を隠しているようにも見えた。

 

「…………ああ」

そんな光景に違和感を覚えていると、ふと、先ほどの言葉を思い出し、もしかしてと推論を立てる。

「藍、もしかして油上げが好きなの、隠してる?」

「……なぜ私が油揚げを好きと?」

藍は表情を硬くする。

微妙に日本語が怪しいし。

 

「え?」

対する俺は困惑顔だ。

「だって、よく里で狐うどんとか食べてるの見られてるし、豆腐屋で油揚げをよく買ってるんでしょ?周知の事実だと思うんだけど」

「…………そうか」

藍は神妙な顔でつぶやいた。

 

「えっと、藍?」

「いや、すまない。それで、私が油揚げが好物だとして、なぜ隠していると?」

「え?ええと、そりゃまあ、さっきの会話の流れ的に、頻繁に狐蕎麦を食べているのを、誤魔化そうとしている感じがしたから」

大将の様子が微妙におかしい気がするのも、多分空気を読んでのことだろう。

 

「そんなに分かりやすかったか」

「…………まあ」

 

なぜか微妙に落ち込んだ様子の藍に、俺はますます首を傾げる。

「なんでそんなこと隠そうとしたの?」

「……いや、大した理由ではないよ」

藍はため息を吐き箸を取った。

 

「私の主のことは知っているか?」

「主?えっと、確か前に言っていたユカリ様?だっけ。名前だけなら聞いたことあるけど」

「ああ、紫様は、この幻想郷の管理者でもあるんだ」

「へえ、そうなの?」

初耳だ。

 

「そんなに凄い人なんだ」

「人ではなく妖怪だがな。まあ、偉大なお方ではあるよ」

そう言う藍の顔はしかし、なぜか神妙、というか微妙だ。

 

「私はその方の式でね」

「シキ?」

「まあ、従者のようなものだ」

「うん」

「その従者が不甲斐ないようでは、紫様の、ひいては幻想郷の管理者としての沽券に関わると思ってな」

「……油揚げが好物だと、不甲斐ないの?」

困惑が抑えられず問いかける。

 

「……いや、冷静に考えてみると、別段大した問題ではないな」

一瞬逡巡して、藍は皺を寄せた眉間に指を当てる。

なんとなくだが、顔色が悪い気がする。

「藍、もしかして、相当疲れてない?」

「……かもしれない。我ながら随分と下らない迷走をしていたようだ」

自嘲気味に笑う藍に、俺は努めて明るく声をかけてみる。

 

「じゃあ、年末なんだし、ちょっとは休まないと。いくら妖怪でも、体壊すかもしれないんだし」

きっと幻想郷の管理者の従者たる彼女は、きっと責任重大な使命も多くて気疲れしているのだろう。

と、そう解釈した俺は、藍の肩を軽く叩く。

気分的には、俺の元気を藍に分けるくらいのつもりだ。

 

「それに、大手を振って油揚げを食べれるんだし、美味い物食べたら元気が出るのは妖怪も一緒なんだよね?」

「まあ、それはその通りだが、誰がそんなことを」

「知り合いの宵闇の妖怪からの受け売りだよ」

「ルーミアか……」

 

どうやらルーミアのことを知っているようだ。

まあ、ルーミアも霊夢と知り合いみたいだし、藍と知り合いだとしても可笑しくはないだろうと踏んではいたが。

「大将、藍に油揚げ一枚追加!」

「あいよ」

俺が呼びかけると、大将は殆ど間髪入れずに油揚げの乗った小皿をカウンターに置いた。

どうやら予め出す準備をしていたようだ。

大将は空気の読める出来る男だった。

 

それを見た藍は、硬く引き締めていた口元を綻ばせる。

「すまないな」

「どういたしまして」

 

俺は自然と笑顔になって、箸を手に取り蕎麦を啜る。

麺は汁を吸ってすっかり伸びていたが、大将の作る蕎麦は美味いから、問題は無い。

隣で藍も嬉しそうに出汁を吸った油揚げを頬張った。

なんか、こういうのもいいなー、とか思っていたら、少しして柱時計が音を響かせる。

 

俺が幻想郷に来てから、初めての年末はそうやって過ぎ、初めての年明けはそうやって始まった。




相変らず多忙につき、更新が遅くなりがちで申し訳ない限りです。

というわけで二章開始してから最初の一ヶ月がやっと過ぎ去りました。やっとです。だからどうこうというわけでもないのですが。

前半は慧音先生、後半は少しだけ出番があった藍しゃ、藍様とのお話です。
気付いたら藍が微妙にポンコツ感を醸しだしてます。自分としては特にそんなイメージは無いのですが、気付いたらそうなっていました。不思議。ほのぼの。

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