甘味処での仕事は年が明けてからという話になった。
主人の玄さんから、それまでに美味くて売れるケーキを研究しておけ、とのお達しが出たため、年末までの残る一週間弱は、慧音さんの手伝いをしながらケーキとその材料の試作である。
「うん。美味しい」
新たに試作したクリームたっぷりのケーキを試食し一人呟く。
そこそこ苦労はしたが、この出来栄えならば、親の趣味の影響で心得ていた洋菓子作りの知識と経験を、なんとか幻想郷で活かすことが出来そうだ。
まあケーキが売れれば、という話になるが。
先行きに不安を感じため息をつく。
それにしても、と、自分の現状を客観的に眺める。
幻想郷にはほとんど浸透していないが、日付で言えばクリスマスの翌日である。
そんな日に、家で独りケーキを食べて「うん美味しい」とか呟いてる成人男性の図がそこにはあった。
なんだか哀愁漂う光景な気がする。
別に悪いことではないはずなのだが、なぜこんなにも寂しく感じるのか。
寂しい……ということは何かが足りないということだろう。
一体何が……。
目の前の試作ケーキを眺め考える。
暫くして、その答えが出た。
「あ、感想か」
せっかくケーキを作ったのだから、自分一人で食べるより、誰かに味わってもらい喜んでもらいたい、というのは当然の話だ。
玄さんからの課題もあるし、客観的な意見は今後のケーキ作りにおいても間違いなく参考になるだろう。
寂しく感じた理由はそういうことかと、殆ど現実逃避気味に自分の思考を捻じ曲げて納得した俺は、早速支度を始めた。
* * *
霧の湖への道を、俺は周囲を警戒しつつ進む。
基本的には里の外といっても、道を外れさえしなければ妖怪との遭遇率は低い。
まあ、低いというだけで会うときは会うし、危険なのは変わりないのだけど。
ちなみに阿求さんの指示で里の外を調査するときは、積極的に道を外れることが多いので、大概は妖怪にエンカウントして殺されかけている。
まあ、年明けまでは阿求さんの仕事は休みだし、里の外に出るのも多分今年は今日が最後だろう。
で、なぜ俺がわざわざ里の外に赴いているのかというと、大妖精とチルノに会うためだ。
理由はもちろん、ケーキの試食をしてもらうためである。
洋菓子の試食となれば、やはり一番喜んでくれるのは子供だろう。
寺子屋の子でも構わなかったのだが、大妖精にはケーキの試食とは別に、先日アリスに作成してもらった防寒具を渡す用事もある。
前回会ってから若干時間が経過しているし、寒がっていた大妖精にはなるべく早く渡したかった。
とはいえ、前回会ったときはチルノに氷漬けにされかけたので、そこは不安なところではある。
そんな理由で俺は、二つの荷物を大事に抱えて歩いていたのだが……。
「…………近いな」
足を止め呟く俺の前方には、波立つ水面に浮かんでいるかのように、上下にふよふよと揺れながら飛ぶ謎の物体があった。
モヤモヤとした液体とも気体ともつかない真っ黒な物質でできた球形の物体だ。
実のところ、里の外に出た際はこの物体を見かけることはしばしばあったのだが、基本的には遥か上空だったり、かなり距離が離れていたりと、近くで眺めることはなかった。
それが、今日に限っては高度は低いし、目測20メートルない程度とはいえ、いつもよりもかなり近い。
……困ったな。
もし襲われたとして、俺自身は分身なので逃げられなくても問題はないのだが、ケーキも大妖精へのプレゼントも、分身能力によって生み出したものではない。
分身することで増やした物体は俺の手元を離れると消滅する。
そのため、博麗神社への賽銭だったり、香霖堂で買い物をするためだったりといったお金など、人に手渡す目的で里の外へ持ち歩く物は、当然ながら分身で生み出したものではない。
ゆえに、お金自体は失ってもいい程度の額を持ち歩いているし、里の外への調査には、基本的には分身によって生み出した衣服やメモ等の筆記用具程度しか持ち歩かない。
だが、今回はアリスにわざわざ作ってもらった物がある。
ケーキの方は材料も含めて自分で用意した物なので諦めきれるが、こちらは別だ。
妖怪に襲われて失くしてしまったという理由なら、アリスは許してくれるだろうし再び用意してくれるだろう。
しかしアリスには幻想郷に来てから随分とお世話になっているし、できればこれ以上迷惑をかけるのは俺の心情的には避けたいところだ。
しかも、今回アリスに依頼した仕事の報酬なのだが、俺がお金を払おうと料金を訊くと、「それは間に合ってるから結構よ」と断られた。
「さすがにタダとはいかないよ」と俺が困った顔を見せると、「それじゃあ貸しということで」と返された。
俺が今のところその『貸し』を返すあてがない、ということは分かってるはずなのだが、どういうつもりなのだろう。
まあ、お人好しなアリスのことだし、単純に厚意で言ってるのかもしれない。
もしかしたら、俺が困っている姿を見て楽しんでいる可能性もある。
俺はイジめられて悦ぶ趣味はないので、できればそういう嗜虐的なのは遠慮したいところである。
とまあ、凄い失礼なことを考えたのはさておき、今は物体を観察する。
確か、ルーミアだったか。
初めてあの物体を見た日に阿求さんに報告したところ、そんな名前が返ってきた。
闇を操る程度の能力を持ち、常に自分の周りに闇を纏っているらしい。
阿求さんの忠告を思い出す。
『ま、あまり近づかない方がいいですね。あ、いえ、むしろ話せそうなら是非とも――』
どうやらそれなりに危険な存在のようだ。
このまま道沿いに進めばルーミアに近づくことになる。
闇を纏っている本人は、外の景色が見えていないのか俺に気付いているような振る舞いは見えない。
もしこれがフィールドワークならば、全く以って気は進まないながらも危険を承知で近づいたところだが、今回は別だ。
仕方がないので一旦来た道を引き返して時間を置くか。
そう結論付ける俺の視線の先で、その妖怪はふよふよと相変わらず漂うように飛んでいる。
……というか、あのまままっすぐ飛んだら、木にぶつかりそうだな。
ルーミアの進路上には霧の湖に接する雑木林があり、その木の一本に近づきつつある。
まあ、自ら闇を纏っているのだから、視界が制限されようとも、おそらく視覚以外のなんらかの方法で外の様子を感知しているはずだし、危なげなく木々の隙間を縫うように飛んでいくはず…………あ。
俺の予想とは裏腹に、球形の闇は一本の木にめり込むようにぶつかると、そのまま落下した。
大した速度は出ていたようには見えなかったが、鈍い音がここまで聞こえてきた。
…………文字通り、完全に周りが見えていない、ということだろうか。
いや、そんな馬鹿な……。
唖然としながら俺が見守る中、球形の闇が掻き消える。
「いったーい!」
闇が晴れるとそこには、頭を両手で押さえて立ちすくむ、見た目10歳程度の少女の姿があった。
見た目の年で言えば、大妖精やチルノに近いだろう。
とはいえ、背中に羽らしきものが見えないから妖精ではないし、かといって間違いなく人間ではない。
つまり妖怪だ。
幽霊の可能性もあるが。
阿求さんから妖怪はほとんど人喰いだと教わっているし、ルーミアにみつからない内に退散したいところではある。
だが、
「「あ」」
ルーミアから隠れるため近くの茂みを目指そうとしたところで、頭を押さえたまま周囲を見回すルーミアとばっちり目が合ってしまった。
やべえ…………。
冷や汗をかきつつ身動きが取れない俺。
対して、ルーミアは俺を見つめて動かない。
硬直する両者だが、俺の方はさながら蛇に睨まれた蛙の気分だ。
しかし、見つめてくるのは涙目のいたいけな少女。
見た目でいうならば、慧音さんの寺子屋に通っていても可笑しくはない年頃だ。
「…………」
あろうことか、危険なはずの妖怪の少女に対し、労わるべきかと迷ってしまう。
それは良心の呵責なのか、中途半端に培われた教育者としての精神なのか、それともその両方なのかは分からない。
「~~~~~~っ」
ここで声をかけるなど、幻想郷に迷い込んだばかりでもあるまいに、愚の骨頂であることは明白だ。
鈴仙にお節介を焼いたときとは違う、間違いなく危険な状況。
里の人に聞けば十人中十人が阿呆と罵るだろう。
と、理性が並び立てたところで結局、
「ハァ…………」
一つ盛大なため息をついた俺は、心の中で色々な人に謝りながらルーミアに近づく。
まあ、襲われることの方が多いけど、無害な妖怪もいるにはいるし?
誰に向けたものかイマイチわからない言い訳も用意しながら、俺はルーミアの目前で立ち止まった。
「お兄さん?」
瞳に溜まった涙を拭おうともせず、ルーミアは俺を見上げて首を傾げる。
頭を両手で押さえたままでそんなことをしているので、客観的に言えば愛らしい光景と言える。
「大丈夫か?」
脂汗を自覚しつつ、中腰になりルーミアの視線の高さに合わせながら問いかける。
ルーミアは目を丸くしたまま頷くと、口を開く。
「お兄さんは人間?」
…………早速雲行きが怪しくなってきた。
「いや、妖怪だよ」
「嘘。人間よね」
悪あがき程度に嘘をつくと、即否定された。
レスポンス早すぎて怖い。
「お兄さんは」
硬直する俺に構わずルーミアは続ける。
「食べてもいい人間?」
「だ、駄目だっ」
慌てて否定するも、頭の中ではルーミアに襲われる前提でどうやって逃げるかを考えていた。
経験上、こんな質問をしてくる妖怪は俺の答えなど気にしていない。
俺を怖がらせることで生じる恐怖も、妖怪にとっては糧となるのだ。
そうして俺を散々ビビらせた挙句、最終的にはそのまま食べてしまおうと襲いかかってくるのである。
ちなみにその状況から逃げ切れたことは一度たりともない。
全戦全敗だ。
そんなわけで、俺はルーミアがどのような行動を起こすかを警戒し、身構えた……のだが。
「そーなのかー……」
あ、あれ?
残念そうに呟くルーミアの様子が予想外で、俺は拍子抜けする。
「はあ……」
ルーミアは落ち込んだ様子で、頭を押さえていた両手を今度は自分のお腹に回す。
お腹が空いているのだろうか。
「素直に人の言うこと聞くなんて、意外だな」
よせばいいのに、がっくりと落ち込んだ様子のルーミアに俺は問いかける。
「れーむが……」
「え?霊夢?」
予想外な名前に目を見開く。
「食べちゃいけない人を食べたら次はもっとボコボコにするって」
「なるほど……」
ボコボコて…………。
まあ、ボコボコ云々は置いといて、霊夢グッジョブ。
今度博麗神社に行ったらいつもより多めにお賽銭を入れよう。
俺は心の中で誓いつつ、一応は無害らしいルーミアに話しかける。
「そういえばさっき盛大に頭ぶつけてたみたいだけど、痛みは引いたのか」
「まだちょっと痛いけど、大丈夫よ」
「そっか」
「ねえ、お兄さん」
「ん?」
「名前はなんていうの?」
「おっと、これは失礼」
俺ははにかみながら頭を掻く。
「俺は岡崎悠基だ。君は、ルーミアだね?」
「え?なんで私の名前を?」
「ああ……まあ、なんというか、君は有名だからね」
阿求さんから聞いたなどと言っても伝わらないだろうことは予想できた俺は、上手く説明する言葉が浮かばず、適当な言葉でごまかす。
「有名……?」
ルーミアは首を傾げた。
まあ、ピンとは来ないよな。
だが、ルーミアは何かに思い至ったのか、「ああ、分かったわ」と声を上げた。
「あなた私のファンなのね?」
ちょっと惜しい気もする。
目を輝かせるルーミアに、俺は苦笑する。
「いや、違うよ」
「じゃあストーカー?」
更に目を輝かせ、期待の篭った視線を向けてくるルーミア。
これ絶対ストーカーの意味勘違いしてるよな。
「それも違う」
「そーなのかー……」
俺の答えに落ち込んだ様子を見せるルーミアは、なんだか罪悪感を感じてしまう光景だ。
「あ、悠基!」
「ん?」
突然の頭上からの声に空を見上げると、仁王立ちの姿勢でゆっくりと下降してくるチルノがいた。
あーもうだからその姿勢だとドロワーズ見えるっての。
俺は嘆息しつつ軽く目を逸らした。
でもって、その隣にはスカートを抑えて降りてくる大妖精の姿もある。
「やあ、こんにちは二人とも」
「こんにちは悠基さん」
着地した二人に軽く手を挙げて挨拶すると、礼儀正しく頭を下げる大妖精。
「こんなところで何してるの?」
一方のチルノは挨拶も返さず不躾に問いかけてくる。
もしこれが寺子屋の生徒なら、挨拶を怠った罰で頭突きをくらうところだぞ。
そんな不毛なことを考えながら、俺はルーミアを横目に「まあ、ちょっと」と曖昧な相槌を返す。
「ルーミアちゃん、どうかしたの?」
落ち込んだ様子のルーミアを、大妖精が覗き込む。
知り合いだったのか。
妖精と妖怪で種族は違うのだが、おそらく見た目とか精神的な年齢が近いのか、ルーミアに問いかける大妖精は、なんとなしに親しげである。
「悠基が……」
「悠基さん?」
ルーミアの呟きに大妖精が一瞬不穏な目で俺を見る。
ちょっと大妖精誤解だからそんな目を向けないでくれ結構傷つく。
「私のストーカーじゃないって……」
ルーミアの答えに、俺はルーミアが言葉の意味を分かっていないことを確信する。
「…………ん?」
一方の大妖精は表情を膠着させたまま首を傾げている。
明らかに困惑した大妖精の様子からして、どうやら彼女は言葉の意味を分かっているようだ。
「そっかー残念だなーそれは」
「…………んー?」
チルノがルーミアに同意するように頷くと、三人の中で常識があったゆえに少数派になってしまった大妖精が更に首を傾げた。
「とりあえずお前たちには後でストーカーの正しい意味をちゃんと教えてやるからな」
俺は呆れ半分に笑いながら、大妖精に向き合う。
「ほら、大妖精。前に言ってたやつ」
アリスに用意してもらったマフラーや手袋の入った包みを大妖精に手渡すと、大妖精は目を丸くし、顔を輝かせた。
「わあ、ありがとうございます!」
「なあに?それ?」
チルノが首を傾げる。
「前に大妖精に言ってたんだよ」
ふと、そういえば今日はクリスマスの翌日だったことを思い出す。
「まあ、ちょっと遅れたクリスマスプレゼントってところだな。メリークリスマス」
「メリー苦しみます?」
これまたベタな……。
眉根に皺を寄せるチルノに俺は苦笑した。
「クリスマスってなあに?悠基」
こちらは聞き間違えていなかったらしいルーミアに、俺は少し考えて答える。
「子供に夢をあげる日だよ」
「よく分かんない」
気障ったらしい言い方をしたらバッサリ首を振られる。
「ええと……まあ、良い子にしてた子にプレゼントとかケーキとかあげる日かな」
「ふーん。そうなの」
興味なさげである。
「ねえ悠基。あたいにはプレゼントとかケーキとかってやつはないの?」
自分を指差すチルノに、俺は再び苦笑する。
「良い子にしてなかったからなあ」
「えーないのー?」
「人を氷漬けするようなやつを良い子とは呼ばないの」
俺は眉根に皺を寄せつつ嘆息する。
「まあ、でもケーキならあるよ」
俺はあらかじめ切り分けておいたケーキを入れた箱を開く。
「ほら」
箱の中を目を丸くして覗き込む三人の少女。
「これが?」
「そう。ケーキってやつだ」
大妖精からの問いかけに頷く。
「まあ、一口食べてみて……おっと、食器を忘れていた」
フォークを失念していたことに気が付く。
まあ、多少行儀は悪いが、切り分けてはいるんだし手掴みでいいか。
俺はケーキを一切れ手に取ると、とりあえずはと、先ほどお腹を空かせていた様子のルーミアに差し出す。
「ほら、ルーミア、食べてみな」
ルーミアは目を丸くして俺の手に持ったケーキを観察する。
どことなく得体のしれない物を匂いを嗅いで観察する犬や猫を思い起こさせる光景だ。
人喰いとは聞いていたが、こうしてみるとあどけない少女である。
「じゃあ、いただきまーす」
少ししてルーミアはにっこりと笑うと、口を大きく開く。
俺はケーキをルーミアに手渡すつもりだったのだが、どうやら俺が持ったままの物をそのまま食べるようだ。
おいおい、行儀が悪いぞ。
と、忠告しようとした瞬間、ゾクリと背筋に冷たい物が走る。
慌ててケーキを差し出す腕を引っ込めた刹那、ケーキを持った俺の指があった空間を切断するかのように、ルーミアの口が勢いよく閉じた。
あのまま腕をひっこめなければ、間違いなく指が噛み切られていただろう。
その光景を幻視して、額に青筋を浮かべる俺は、ルーミアを睨む。
「今、俺の指を食べようとしたな」
「齧ろうとしただけよ」
しれっとした様子でルーミアは笑う。
「人は食べちゃダメじゃないのか?」
「あら、私みたいな妖怪の目の前に手を差し出すんだから、齧られても文句は言えないわよ」
……まあ、確かにそれもそうかもしれない……のか?
今まで散々妖怪に襲われていたのだから、警戒するときはきちんと警戒するべきだろう。
とは思いつつも、やはりどこか釈然しない俺は、ルーミアに再びケーキを差し出しながら言った。
「そ、そーなのかー?」
まあ、なんだかんだで三人とも子供らしくケーキに喜んでいたようなので、俺としては満足だ。
人気投票始まりましたね。
音楽部門では妖魔夜行に一票入れてます。
というわけでルーミア初登場。
ルーミアと言えば「そーなのかー」な気がしますけど、紅魔郷や文化帖だと言葉遣いは結構女性らしい感じがします。
前回はほぼ解説だったので、今回は噛み切るとか襲われるとかさらっと書いてはいますが、ほのぼのとした内容となりました。なったはずです。多分。