再び炬燵に入り萃香と正対した姿勢で、俺は眉間に皺を寄せ萃香に問いかける。
「つまり……俺が分身できるように寺子屋の俺に攻撃しただけで、害意はないと」
「うん」
「そして、分身の俺なら消しても問題はないと」
「そうそう」
「で、分身だったら人里で人を襲ってはいけないという掟には逆らっていないと解釈したと」
「そういうこと」
「どういうことだよ……」
盛大にため息をつく俺に、萃香は「悪かったって」と笑いながら謝ってくる。
全く反省の色が見えない。
特に最後の掟に逆らってないと解釈するって、暗に分身した俺の人権を完全に否定している。
分身っていっても両方ともきちんと自我もあるし記憶もある。
お互いをバックアップとして認識しているとはいえ、決して雑に扱っていいわけではない。
積極的に死ぬのはもちろん痛いのも怖いのも嫌なのだ。
消えるから問題ないと一蹴してほしくないのである。
分身しようが人権はあるんですよ阿求さん……。あとチルノも。
頭の中で年下の上司とどこぞの氷精にぼやきつつ、萃香を見据える。
「……萃香」
「なに?」
「慧音さんに俺が無事なことと、今日中に帰ることを伝えて。その、分身能力みたいなこと、使えるんだよな」
「ああ、いいよ」
すんなりと承諾する萃香。
うん、まあここまではいいんだ。
「向こうは大丈夫そうか分かるか」
萃香の能力がどういったものか分からないが、先ほどの会話中に分身を作り出し人里に現れることが出来る辺り、多分俺の能力の上位互換みたいなものだろう。
おそらく、分身した別の自分の情報もリアルタイムで取得出来るのではないだろうか、と目星をつける。
「ああ、ちょっと騒々しかったけど、まあ大丈夫さ」
大丈夫じゃなさそうだな……。
俺は頭を抱えつつ切り出す。
「それから、多分向こうは大騒ぎになってるだろうから、俺はもう帰る」
「えー駄目だよ」
「…………」
「まだ悠基にコレを増やしてもらってないからね。困るよ」
萃香は小脇に抱えた瓢箪、伊吹瓢をぽんぽんと叩く。
「俺は今まさに困らされてるんだけど」
「まあまあ」
ジト目で萃香を睨むも、どこ吹く風である。
もうほんとこの子……。
「ハァ……」
再びため息がこぼれた。
「これを増やせばすぐに解放するってば」
仕方ない。
能力を使っても物を増やせないってこと説明して納得してもらおう。
萃香の思惑で能力も使えることだし、実演するか。
「……貸して」
不承不承ながら手を伸ばす。
萃香は期待の籠った目で伊吹瓢を俺に預ける。
俺は伊吹瓢を抱えると、目を閉じ能力を発動した。
バチンと頭の中で何かが弾けるような錯覚を感じつつ、目を開く。
隣を見ると、コタツから出ている状態で胡坐を掻いているもう一人の俺と目があった。
今回はこっちか。
促すようなもう一人の俺の視線に頷くと、俺は萃香に視線を移す。
萃香は二人の俺がそれぞれ抱える伊吹瓢に目を輝かせていた。
「へえ~瓜二つだ。なかなか凄い能力だね」
言いながら、伊吹瓢を受け取ろうと手を伸ばすが、俺は手のひらを突き出してそれを拒否する。
「悠基?」
「分身する時に元の場所、分身元って言えばいいのか、この場合は俺のことだけど、仮に俺をAとする」
訝しげな顔で俺を見る萃香に、俺は自分自身を指差しながら淡々と説明を始める。
「そして、分身で現れた方をBとする」
隣に座るもう一人の俺を指差す。
萃香は腕を組むと、「ふむ」と頷く。
素直に聞いてくれるようだ。
「俺の能力の性質では、AとBは両方とも本物だ。Aが本物でBが偽物って誤解されることもあるけど、少なくともどちらも同じ存在であると俺は認識している」
「うん。そのあたりの事情はなんとなくは分かるよ」
なんとなくで分かってくれているならありがたい。
「でも、分身で増やした物体はその限りじゃない」
分身で現れた俺、この場合はBが、伊吹瓢を萃香に差し出す。
萃香は逡巡するように伊吹瓢を眺めるが、少ししてBからそれを受け取った。
と、その瞬間、伊吹瓢がまるで蜃気楼のように揺らいだ。
「お」
微かに目を見開く萃香の目の前で、それは霧となり、散って消滅する。
萃香は手に持っていたはずの伊吹瓢が消えた空間を暫く見据えた後「なるほど」と頷いた。
「分身で増やした物は分身の手元から離れると消えてしまうのか」
「分かってもらえた?」
「うん。物を増やせないっていうのはそういうことね」
萃香は口を尖らせる。
「ちぇー。せっかくいい機会だと思ったのになあ」
「いい機会?」
伊吹瓢を渡しながら俺は尋ねる。
その横でもう一人の俺が「さむさむ」とボヤキながら炬燵の一辺に入った。
「ああ、まあね」
萃香は頭を掻きながら俺を見る。
「霊夢にやろうと思ったのさ。まあ、そのなんだ、日頃から世話になってるからねえ」
少し顔が赤くなっている。
いや、彼女は酒気を混じらせなから常時顔がやや赤いので、実際には微妙に顔色が変化したという程度だが。
照れてるっぽいな。
「日頃から世話に?」
俺が鸚鵡返しに問いかけると、萃香はうなずく。
「私は今は霊夢のとこに世話になっててね。居候ってやつさ」
そのわりには今回が一応初めての対面だが、と疑問に思ったが、それを察したように萃香が続ける。
「大抵は外出してるんだけどね。まあ、それでも色々世話になってるもんだから、礼くらいはと」
「ふーん……」
それはそれは……。
「知り合ってそれほど話してない身で言うのもなんだけど」
「ん?なんだい?」
「お前がそんなこと言うと似合わないな」
俺の言葉に萃香は少し気まずそうに視線を逸らし頬を掻く。
「……あんたってそんなこと言うような性格じゃないよね」
「まあ、さっきのこと根に持ってるからな」
「うう……だから悪かったって」
「良い話風にしたって許さないから」
「別にそういうつもりで言ったわけじゃないよぅ」
困り顔で謝る萃香に対し俺はそっぽを向き、もう一人の俺はうんうんと腕組みをして頷く。
基本的には分身が同じ場所にいるときに喋るのは分身元、萃香に対してAとした俺と決めている。
「とにかく、俺はもう帰るから」
俺は、いそいそと炬燵を出る。
と、その様子を見た萃香がやや慌てたように立ち上がる。
「ちょっと待ちなってばあ」
俺は無視して立ち上がる。
が、次の瞬間首に衝撃が奔った。
というか萃香が飛びついてきていた。
「ぐぇ」
変な声を出しつつどうにか倒れないように踏ん張る。
「ちょ、萃香」
「許してくれるまで離さないよー」
俺の首に腕を絡めたまま離れない萃香を、慌てて剥がそうとするが、凄まじい力で全く剥がせない。
首を完全に絞めない程度には加減はしてくれているのだろうが、流石は鬼である。
「く、苦しい」
「許してよー、ねー悠基ー」
くそう可愛い顔で甘えられると許してもいいかなという気分になってしまう。
く、屈しないぞ。屈しないからな、俺は。ちょっと揺らいでるけど。
「ねえねえ、あの時あんなに優しくしてくれたじゃないか」
「「え?」」
萃香の言葉に、抱きつかれている俺と炬燵でその様子を他人事のように眺めていた俺の声が重なる。
「あ、あの時?」
あの時って、多分一月前にアリスや霊夢、そして聞いたところによると萃香、と一緒にお酒を飲んで酔っ払った結果、記憶が途中から無かった時だよな。
「そうだよー。あの時の悠基、意外に大胆だったなあ」
…………はあああああああああああ!?
「ちょ、なに、何をした!?何をした俺!!」
動揺むき出しの俺を萃香はケラケラと笑うが当の本人は笑い事ではない。
とりあえず現状見た目幼女な萃香に抱きつかれているのもなんか絵的にまずそうな気がしてきた。
だが先ほどから剥がそうにもやはり萃香の力が強くてできない。
ぅゎょぅι゛ょっょぃ……じゃなくて!
あ、いや落ち着け落ち着け、分身を解けばいいんじゃないか。
俺は自分の体が解けて消えていく様をイメージする。
いつぞやの、胸を刺し貫かれて霞のように消え行く様を想起する。
ほどなく、俺の意識は溶けていった。
目の前で萃香に抱きつかれている俺が霞となって消えていく様を眺めながら、記憶が流れ込む。
うん、幼女に抱きつかれて動揺している様は我ながら中々に滑稽である。
自分のことだからそういう感想を抱くとそっくりそのまま自分に帰ってくるわけだが。
俺の消滅に伴って空中に投げ出されるような形になった萃香は「おっと」と声を上げながら着地した。
「あれ?」
萃香は目を丸くして俺が消えた空間を眺める。
「ねえ、悠基」
「なんだ」
「今消えたのは、Aだよね」
「ああ。そうだけど」
「で、あんたがBと」
「そうだな」
萃香は首を傾げる。
「じゃあ、あんたが着ている服は分身した物じゃないのかい?」
「ああ……」
俺は萃香の言いたいことに察しが着く。
「そうだな。確かにこれは分身によって作り出されたものだ。でも、そうだな……俺にとっては、分身した俺と同様に、分身して作り出したものも一応は本物……ていうか」
どう表現した者かと未だに悩む。
「ああ、分かったよ」
萃香はそんな俺を見て察したのか、一人頷く。
「つまり、悠基の体と同じように、能力で分身した物も、悠基の手元から離れない限りは本物である可能性を有してるわけだ」
「えっと……うん。多分そんな感じ」
萃香のまとめに、俺は微妙に理解していないままに頷く。
「へえ、そいつはまた、とんでもない……変な能力だね」
結局俺の能力に対する萃香の感想は魔理沙の感想と同じものに落ち着いたらしい。
「なあ、それよりも萃香」
一方の俺は、一人で勝手に腹をくくり、萃香を見る。
「どうした?」
「その、俺はあの時、つまりこの前ここで飲んで酔っ払ったときだけど、何をしてた?」
「聞きたいのかい?」
萃香は可笑しそうに笑う。
霊夢も、俺が同じ質問をしたとき同じ返しをしてたな……。
あの時は聞かないことにしたが、そろそろ真実を知らなければならないようだ。
と、大げさに自分の中で覚悟を決める。
「ああ、教えてくれ」
真剣な眼差しを向けてくる俺に、萃香はニヤケ顔を浮かべながら応じる。
「いやあ、あの時はねえ――」
と、萃香が口を開いた瞬間。
スパン。
と、空を切るような音と共に縁側へと通じる障子が開かれる。
冷たい外気が入ってくるのを感じながら見ると、そこには
「れ、霊夢?」
まさしく家主たる霊夢が、障子を両手で押し開いた体勢で立っている。
霊夢はその体勢のまま、萃香を睨む。
その姿に言い知れようの無い圧力を感じ、俺は息を呑む。
あ、これ完全に怒ってるな。
と、俺が察したのと同時に、霊夢が口を開く。
「す~~~~い~~~~か~~~~……」
「やあ霊夢おかえり」
笑顔で家主を出迎える萃香。
一見平然としているように見えるが、その頬に冷や汗が流れているのを俺は目撃した。
と、霊夢が目にも留まらぬ動きで右腕を懐に突っ込み、次の瞬間居合いでもするかのように引き抜きながら腕で空を切る。
同時に彼女の手から何かが放たれ、引きつった笑みを浮かべる萃香の顔面に、張り付いたのはお札だった。
恐ろしく速い動作で札を投げた霊夢は、怒り心頭といった様子で声を上げる。
「この」
事態が把握できずその光景を呆然と眺めるしかない俺の目の前で、霊夢が跳躍し、
「大馬鹿っ!!!」
次の瞬間、札の張り付いた萃香の顔面に、あまりにも容赦の無い、しかし形としてはきれいなドロップキックをお見舞いした。
「ぐわ!!」
萃香が吹き飛び、襖を巻き込みつつ、奥の部屋の壁に激突する。
「え、霊夢、え」
と、目の前で繰り起こされたあまりにもな光景に俺が動揺した声を出すが、霊夢はそんなことなどお構いなしに、追撃とばかりに、萃香に飛び掛る。
どこからともなく取り出した幣――霊夢曰くお払い棒だが――で「痛てて」と起き上がる萃香の頭をベシベシと叩き始めた。
「あんたバカじゃないのホントにもう何考えてるのどれだけ騒ぎになってるか分かってるの!?」
「痛い!痛いよ霊夢!ごめ、ごめんって、ごめんってばあ」
捲くし立てながらお払い棒を振るう手を止めない霊夢に、涙目になって謝る萃香。
さすがにちょっと可哀想に見えてきた。
止めに入った方がいいかなと迷い始めていると、背後で再び気配がした。
「?」
振り返ると、額に青筋を立てた女性が立っている。
一方的ではあるが、知った顔だった。
腰の辺りから太い黄金色の尾が何本か生えており、一目で妖怪と分かる女性。
人里の蕎麦屋や豆腐屋などで見かけたことがあった。
「はあ、全く……」
と、疲れたようにため息をつく彼女からは、どこか苦労人じみた気配を感じる。
「君が岡崎悠基か」
「はい」
俺へと視線を移す彼女に首肯する。
「私は八雲藍と申します。この度は萃香殿がご迷惑をおかけして、誠に申し訳ない」
深々と頭を下げる藍と名乗った女性に対して、初めて話す俺は慌てて対応する。
「い、いえ、そんな……頭を上げてください」
そんな俺に対し、藍は頭を上げるとやはり疲れたような笑みを浮かべた。
そして霊夢に叩かれ続けている萃香に視線を移す。
「萃香殿、今後人里でこのような振る舞いは自重してください」
「ああ、悪かったよぅ」
両手で霊夢のお払い棒をどうにかガードしようと試みる萃香が応じる。
「全く、紫様が先日冬眠に入られたばかりだというのに」
眉間に皺を寄せながら藍が呟くと、
「逆よ。紫がいないからハメをはずしたのよコイツ」
と、萃香のガードを躱しつつお払い棒を振るう霊夢が応じる。
「いやあ、紫がいないんなら、その分怒られないかなーって」
「その分私が叱ってあげるから覚悟しなさい」
萃香の申し開きに、霊夢のお払い棒が振るわれる速度が速くなる。
「い、いた、ひええ~」
先ほどから名前の挙がっているユカリ……なる人物、もしくは妖怪は、以前もどこかで名前を聞いた。
この様子からして三人の共通の知り合いのようだが、どんな人なんだろうと疑問に思う。
「ああ、悠基、君を人里に送っていこう」
俺が疑問を口に出す前に藍が切り出してくる。
「なんとか落ち着かせてきたが、人里でもかなり騒ぎになっててな」
「ああ……だろうね」
「うむ。早く慧音と子供たちに無事な姿を見せて安心させてやってくれ。では、霊夢、萃香殿、私たちはこれで」
「ええ、手間かけるわね、藍」
相変わらず萃香を叩き続ける霊夢。
「じゃあね、悠基。今回はご愁傷様」
「アハハ……」
俺は乾いた笑い声を上げつつ、手を振る。
「ああ、それから霊夢、昨日言ってた筍のおすそ分け、賽銭箱のところに置いてあるから」
「ええ。助かるわ」
「それじゃあ。萃香も」
「あ、悠基」
別れの言葉を告げて背を向けようとする俺を萃香が呼び止める。
「またね」
と、笑顔を浮かべる萃香。
目を細め、まるで慈しむかのような笑みは、これまでの彼女のそれとは明らかに違うものだ。
「ん?…………ああ……?」
俺はその笑顔に、言い知れようの無い何かを感じた。
だが、結局なにかは分からず、普通に頷く。
「今度はこんなことしないでくれよ」
俺は今度こそ背を向け、霊夢と萃香に後ろ手に手を振りつつ、縁側に出て靴を履く。
後ろの方で「一ヶ月禁酒の刑よ」「ええ~~!?」という悲痛な叫びを交えたやりとりが聞こえた。
「さて、では行こうか」
「ああ。頼むよ」
隣に立つ藍の言葉に頷く。
「では失礼」
と、藍が俺の背後に回った。
「え?」
俺が間抜けな声を上げ振り返ろうとするも、次の瞬間俺の体が抱え上げられる。
……気付くと、藍によって抱きかかえられていた。
というか、お姫様抱っこされていた。
「え?ちょっ」
「しっかり掴まっていなさい」
動揺する俺を尻目に、藍は空中を見上げ、次の瞬間、重力を感じていないかのように軽い動作で跳躍した。
否、跳躍ではなくてそれは、飛行だった。
初めての飛行体験に俺は一種の感動を覚えるが、今はそれどころではない。
「ちょ、藍」
「ほら、早く掴まれ」
上昇に伴う風の音に負けないように声を上げるが、藍は上昇を止めない。
掴まるって……この姿勢で掴まるって抱きつくような形になれってことだよね!?
下がっていく気温とは裏腹に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
「あ、あの、藍」
「何か?」
「ちょっと、この姿勢は男として恥ずかしいというか……」
「すまないが我慢してくれ」
「そ、そんなあ……」
結局俺は耳まで顔を赤くし、お姫様抱っこをされた状態で人里まで送られるのだった。
めっちゃ恥ずかしい……。
能力の説明が下手すぎて、なんでこんな面倒な能力にしたんだ自分、と後悔してなくもないです。
前々回の香霖堂回もそうですが、主人公は阿求の仕事以外にも、個人的な用事で、定期的に人里の外に出ています。
というわけで、次回もよろしくお願いします。ほのぼの!