東方己分録   作:キキモ

13 / 67
十三話 萃香騒動 前編

山頂まで届く長い石段を登りきり、ふう、と息をつきつつ博麗神社の鳥居をくぐり参道に入る。

昨日降った雪は積もるほどではなかったが、石段は僅かに凍りつき、足元に気をつけるのに随分神経を使った。

幻想入りしてから一ヵ月。

週に一度の頻度で、俺は博麗神社に通っている。

 

境内に入り辺りを見回すが、霊夢の姿は無い。

外出しているのか、さもなくば母屋の方にいるのか。

 

どちらにせよ、まずは参拝だ。

俺は本殿の前まで歩み寄ると、風呂敷包みをその場に置き、小銭袋からそれなりの額の賽銭を賽銭箱に入れる。

 

賽銭を多めに入れているのは、昨日霊夢に香霖堂で買ったものを届けてもらったという事情があるためだ。

夜間になると活発化する妖怪の危険を考えると、購入品を持ち帰るのは難しいと判断した俺は、博麗神社に帰る霊夢に、少し遠回りしてもらう形で護衛を依頼した。

それに対して霊夢は、「それより私が届けた方が早いわよ」と答える。

ありがたい反面で、自分の不甲斐なさをじんわりと自覚したほろ苦い体験だった。

 

とまあそんな事情はさておき、賽銭を入れて、二拝二拍手一拝と、中途半端に神社の作法を実践する。

実際は他にも鳥居をくぐる前とか、賽銭を入れる前とかにも作法があった気がしたが、覚えてないのはしかたない。

 

ちなみに霊夢に作法を訊いてみたことがあったが、

「覚えてないわよ。そんなの」

と一蹴されたときはさすがに閉口した。

そんなんでいいのか博麗神社の巫女。

 

賽銭ついでに頭の中で願い事を受かべる。

 

とはいえ、博麗神社に祀られている神様が一体なんの神様かは俺は知らない。

霊夢にどんな神様を祀っているのか訊いてみたところ、

「知らないわよ。いないんじゃないの?」

とまたもや一蹴されたときはため息が堪えきれなかった。

そんなんでいいのか博麗神社とその巫女。

 

そんなわけで、俺はいるかどうかも定かではない神様に向かって、取り敢えずはいつも通り、寺子屋の子供たちと慧音さんと阿求さんの無病息災を願う。

 

…………あと、妹紅の無病息災も。

と俺は追加の賽銭を投げ入れ再び目を閉じる。

事情は知らないが、彼女は迷いの竹林と呼ばれる場所に住んでいる。

彼女自身はそこらの妖怪に負けない程度には強いらしいし、自分のことを健康マニアだと言っているのだが、やはり怪我してないか、風邪を引いていないか、何かと心配ではある。

なにかと俺のことを気にかけてくれている彼女が、元気でいてくれますようにと願う。

 

…………あと、鈴仙の商売繁盛も。

再び俺は賽銭を投げ入れる。

先日ついテンションが上がり、妹紅と熱血接客指導を行ってしまったのだが、余計なお世話になっていないだろうか。

鈴仙の置き薬販売が上手くいっているのかどうか、評判は俺の耳にはまだ届いていない。

だが、彼女の敬愛する師匠の薬が売れれば、鈴仙はきっと喜ぶだろう。

そういう意味で、彼女の商売が上手くいきますようにと願う。

 

…………あと、商売繁盛繋がりで霖之助さんの商売繁盛……は、いいか。

と俺は追加の賽銭を掴み賽銭箱に伸ばした腕を戻す。

いや、御賽銭を入れるくらいなら香霖堂で物を買った方が直接貢献できるなあと思ったからであって、決して霖之助さんのことはどうでもいいと思っているわけでない。

本当だからな!

と自分に言い訳をする俺だが、結局は掴んでいた賽銭を賽銭箱に投げ入れた。

それじゃあ何か外の世界の面白いものが見つかりますようにと、開運成就を願う。

 

…………あ、それだったら、アリスと魔理沙も。

二人とも魔法使いだが、彼女たちにはそれぞれ目標があるらしい。

それがどんな目標かは分からないが、今の俺に出来るのは神頼みくらいだろう。

ただの自己満足ではあるが、アリスに対しては礼もすると断言しているので、ある種の表明みたいなものである。

 

この場合は目標達成……でいいのかな、と考えながら、俺は小銭入れに手を突っ込むが、

「あ」

空っぽになっていた。

そりゃあもともとそんなに持ち合わせて無かったからな。

当然である。

 

うーんできればもう少し願い事があったんだが。

無病息災や商売繁盛といえば、善一さんや甘味処のおじいさんとその孫娘、野菜農家のおじさん、酪農家の夫婦、チルノや大妖精他…………あ、これ全然少しじゃないな。

 

ていうか追加の賽銭入れて願い事をどんどん付け足していくって、常識的に考えて図々しいどころか凄く失礼だよな……。

と、冷静になった俺は、謝罪の意味をこめて最後に深々と一礼する。

 

すいませんでした。

 

『へえ、随分熱心に拝んでるねえ』

…………え?

 

突如として響く声に頭を上げる。

だが、辺りに人の気配はない。

 

『何か野望でもあるのかい?』

どこからか響く声が問いかけてくる。

いったい何者なのだろうかと、周囲を注意深く観察するも、声の主の姿はない。

とりあえず答えてみようか。

 

「その、そんな大したものじゃないです。せいぜい知り合いたちの無病息災と商売繁盛と開運成就と……」

いや改めて並べてみたら全然『せいぜい』じゃないなこれは。

 

『随分多いねえ』

謎の声も呆れた雰囲気を滲ませる。

「アハハ……すいません」

俺は頭を掻いて謝る。

 

「それで、あなたは誰……ですか?」

落ち着きなく周囲に警戒を張り巡らせながら問いかける。

相手の正体が全く分からないままに会話するのは普通に怖い。

『誰だと思う?』

逆に問い返され、更に緊張が高まる。

 

「…………」

駄目ださっぱり分からない。

 

妖精の悪戯だろうか。

フィールドワークではここ最近しょっちゅう妨害してくる彼女たちのことだ、博麗神社に訪れた俺を化かしていても可笑しくない。

 

だが、妖精の仕業にしてはどうも違和感が残る。

妖精だったら既に声の主を捕らえられていない俺に、そのまま直接的な悪戯をしかけるか、もしくは怖がらせようとするか、なんにしろもう少し過激なアクションがあるはずだ。

だが、謎の声の主は、俺を試すかのように問いかけてくるだけ。

こんなまどろっこしいことは妖精はしない。

 

……試す……っ、まさか。

 

頭のなかで天啓のように閃くものがあった。

俺は軽く目を見開きつつ、とりあえず視線を本殿やや上へ向ける。

 

「そうか……」

『ん?分かったの?』

 

様子が変わった俺に、姿の見えない声の主が首を傾げる様子を幻視する。

 

「ええ」

幻想郷は人ならざる者たちの楽園だ。

そこに住まうのは人々から忘れられた存在。

それは、妖怪だったり、幽霊だったり、妖精だったり、…………神であったり。

 

「ずばりあなたは……博麗神社に祀られる神様ですね!」

「はずれ」

至近距離からの声だった。

ついでに言えば溜めに溜めての答えだったのに、あっさりとした否定だった。

 

「っな!」

突如目の前の賽銭箱から返答された俺は驚いて尻餅をつく。

そこには、つい先ほどまでいなかった筈の少女が、賽銭箱の上で胡坐をかいている。

 

「アッハッハッハ!いい反応だね悠基」

少女は豪快に笑う。

「なるほどここの神か。私も会えるものなら会ってみたいねえ」

 

彼女は賽銭箱から降りると、いまだ尻餅を着いた状態の俺の傍まで歩みより、手を差し伸べてくる。

「え、あの、どうも」

俺は呆然としたまま応じる。

 

と、次の瞬間とんでもない力で引っ張り起こされた。

頭一つどころか三つほども身長の低い少女の発揮する、抗いようもない程の怪力に俺は再び目を丸くする。

 

「私は伊吹萃香だ。改めてよろしく、悠基」

まるで既に親しい仲であるかのような彼女の物言いに、俺は困惑顔で返す。

「どうして俺の名前を?」

 

「ああ、忘れていると思ったよ」

「え」

どうやら知り合いらしいと察した俺は慌てて記憶を辿る。

が、全く思いあたりがない。

 

というか目の前の萃香と名乗る少女に会ったことがあるのなら、まず間違いなく忘れない自信がある。

細い腕にはめられた重量感のある手錠と鎖の先の錘、そして米神のやや上から伸びている木の枝のような物体と、かなり特徴的な容姿をしている。

 

……ていうか酒臭い。

さすがに霊夢やら妹紅やらと、どう見ても成人していない女の子が酒を飲む様子には慣れてきた。

だが、見た目幼女といっても差し支えない目の前の少女が、昼間から酒気を帯びているというのは、自分の価値観になかなかに衝撃を与える。

 

あー落ち着け俺。

常識に囚われるなー。

ここは幻想郷だぞー。

よし少し落ち着いてきた。

 

「まあ、あの時あんたは潰れてたからねえ」

という彼女の言葉に、俺は眉をひそめる。

「潰れてたってまさか」

 

「そうそう。だいたい一月前くらいに、あんたがここで飲んだときだね」

俺が初めて博麗神社を訪れたとき日の夜のことか。

 

「…………いましたっけ?」

「途中参加だったから覚えてないのも無理ないさ」

萃香はにやりと笑うと、踵を返し霊夢の住居である母屋へ向かって歩き始めた。

 

「着いてきな。今は霊夢はいないけど、まあ上がっていくといい。ちょうど用事があったんだ」

「よ、用事ですか……?」

「そうさ」

家主の許可なく上がるのはどうかと思ったが、とりあえず萃香に着いていく。

 

「ああ、それから」

と着いてくる俺を萃香は振り返りつつ見る。

「敬語はいいよ。言ったとおり私は神じゃないからね」

 

「あ、うん。分かった。それで、君はいったい……」

戸惑い気味の俺の言葉に、萃香はにやりと笑う。

「鬼さ」

 

鬼、といえば最も有名と言っていい妖怪の代表格的存在だ。

姿を見たことは無かったが、幻想郷にも鬼はいると阿求さんから教わっている。

だが、と俺は前を歩く萃香の背中を眺める。

 

俺の知ってる鬼はこんな愛らしい容姿じゃないはずなんだけどなあ……。

 

 

* * *

 

 

縁側から居間へ、障子を開きつつ立ち入ると、炬燵が出ていた。

俺は目を丸くして、炬燵の中を見る。

電気炬燵だった。

ケーブルが熱源部分から伸び、霊夢の居間の隅のコンセントまで伸びている。

 

なぜ、電気炬燵が?そしてあんなところにコンセントあったか?そもそも電力はどこから伸びているんだ?

と、目まぐるしく湧き上がってくる疑問に混乱するが、萃香はそんな俺の様子など気にせず、炬燵に座り、俺を見上げる。

 

「まあ、入っていきなよ」

「あ、ああ……」

俺は困惑しつつも炬燵に入る。

 

……まあなんというか、そういった疑問などどうでもいいかと思える程度に快適ではある。

あったかい……。

 

「それで、用事っていうのは?」

「ああ、これさ」

取り敢えずと尋ねる俺に、萃香はどこからともなく瓢箪を取り出し、炬燵の上に置く。

 

「これは?」

俺は瓢箪を手に取る。

同時に、酒の匂いが漂ってきた。

「お酒が入ってるのか」

「ああ」

萃香が頷く。

 

「いやこの前霊夢が話していてね」

と、期待した眼差しを向けてくる萃香。

 

……あれ、この光景見覚えがある。

 

「悠基、あんたは分身で物を増やすことができるんだろ?」

「そうだけど」

「じゃあ、頼みがあるんだ」

「これを増やせと?」

 

先回りして聞くと満足げに頷かれた。

 

「ああ、いいだろう」

なんで承諾すると思ってるんだ。

 

「悪いけど、無理だ」

「ええ!?」

愕然とした顔でリアクションされる。

見た目も相まって、子供の夢を現実を叩きつけて壊してしまったかのような謎の罪悪感を感じる。

 

「俺の能力じゃあ、一時的に物を分身させることは出来るけど、結果的には物を増えないんだ」

と、俺は昨日を含めて通算三度目の説明をしなければいけないのかと、考えながら答える。

「それに今は、人里に分身を残しているから、これ以上は分身できないし」

 

「つまり、人里の分身が消えれば能力が使えるんだね!」

萃香が満面の笑みを浮かべる。

「え……?」

対する俺は再び困惑顔だ。

 

「いや、そりゃあ分身は出来るようになるけど……萃香?」

萃香の顔を覗き込むが、彼女は満面の笑みを絶やさぬまま、俺を見据えている。

ふと、嫌な予感がした。

 

「あの、萃香、まさ――」

 

と、言いかけた俺の頭に、唐突に記憶が流れ込んできた。

 

 

*

 

 

「じゃあ、いってくる」

と、目の前に置いた小銭入れを手に取るもう一人の俺は、寺子屋の離れから出て行った。

俺はそれを見送ると、慧音さんの授業補佐の準備を始める。

 

二時間後。

今日は年少組の子たちに慧音さんが算術を教えている。

俺は教室の後ろで子供たちの様子を眺めながら、ときどき分からない様子で問題に向かう子供たちに適度にヒントを与える。

だが、今回の問題用紙はいささかレベルが低かったのか、子供たちが皆すらすらと筆を走らせており、助力する必要はなさそうだ。

いや、きっと子供たちがどんどん計算力を身につけているのだろう。

と、前向きに考えた俺は子供たちの背中を見守っていた。

 

「ねえ、ちょっと」

 

唐突に声が上がる。

教室の隅からだ。

驚いて声のした方向を見ると、小柄な少女が立っていた。

寺子屋の子供ではない。

というか、見た目からして妖怪かも……。

教室中の子供たちが振り返る中、慧音さんは驚愕した、というよりも愕然とした様子で少女を見る。

 

「借りてくよ」

 

少女が俺を指差し、慧音さんに言った。

 

「あの――」

と、慧音さんが声を上げようとするが、彼女の答えよりも早く少女は動いた。

刹那だった。

少女は状況が分からず立ち尽くしている俺の眼前に一瞬で迫る。

驚いてリアクションをとる暇すらなかった。

次に俺が辛うじて捕らえた光景は、眼前に迫る、少女の小さな拳で――。

 

 

*

 

 

そこで、流れ込んでくる記憶は止まった。

間違いなくもう一人の俺の記憶であり、記憶が流れ込んだと言うことは、分身の俺がつい先ほど消滅したことを示している。

いや、消滅させられたのだ。

どういうわけか……いや、恐らく能力の一種なのだろう。

目の前に座っている筈の萃香は、同時に寺子屋にも現れた。

俺と同じ分身能力の使い手なのだろうか。

そして、恐らく鬼の膂力を持って、一瞬で、一発で、俺を殺したのだ。

 

「よし、これで分身できるね」

 

頭の中で警鐘がなる。

人里で人を襲ってはならない。

それは幻想郷の掟だった。

しかし彼女は平然とそれを破ってきたのだ。

そして、俺の分身は消えてしまったため、分からないが、今この瞬間も寺子屋の中にもう一人の萃香がいるのだ。

一瞬で大の男を殺せるほどの力を持った彼女が。

 

「さあ、そういうわけで、悠基」

 

…………覚悟を決める。

古来より鬼は危険な種族と伝えられてきた。

恐らく目の前の萃香もその一人なのだろう。

今この瞬間も、寺子屋の慧音さんと子供たちは彼女の脅威にさらされている恐れがある。

迷っている暇は……無い……。

 

「ちょっとその瓢箪を増やし――って、あれ?」

 

俺は炬燵から出て立ち上がると、萃香の隣まで歩み寄り、膝を着く。

 

「どうか」

「あの、悠基?」

 

「俺はどうなっても構わない!!」

 

萃香に向かって頭を下げた。

人生初にして、誠心誠意、全力全霊の土下座だった。

震えが止まらない。

それは100%純粋な、恐怖から来る震えだった。

正直ちょっとちびりそうだ。

 

 

「ちょ、悠基!?」

「だから頼む!!子供たちと慧音さんには手を出さないでくれ!!」

「あ、頭を上げ――」

「頼む!!俺の命だけで勘弁してくれ!!」

「別にそんなつもりは」

「頼む!!!」

 

 

「話を聞け」

話を聞こうとせず、全力で土下座を続ける俺の頭に萃香のかなり加減したであろう拳骨が落ちた。

「あでっ!」

 

 

 

 

 

…………いやまあ、あの状況では早とちりしても仕方ないだろうとは思う。




後編に続きます。続いちまいます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。