初日を終え、屋敷の自室へと戻り、ボクは一息ついた。
すると、ドアがノックなく開かれ、スーツを着込んだ玄哉が入ってくる。
「……っと、帰って来てたか」
「うん。さっきね」
どうやら玄哉はボクの様子の変化に気付いたらしい。ソファに寄りかかっていたボクの側へやってくると、心配気な表情で、ソフト帽を軽く持ち上げ覗き込むようにして見てきた。
「どうした、元気がねぇな」
「ちょっとね……」
そんな彼の視線から逃げようと、ボクはソファに頭をのせて天井を仰ぎ見た。自分の目の上に腕をおく。
「玄哉はさ、周りの人からずっと無視されるなんてこと、あると思う?」
「……どの程度のモンか分からないんだが」
「そうだね……。クラスメイトや担任……いや、学校に居る人みんなから、かな」
ふむ、と玄哉は少しだけ考え込む様に唸る。ごめんね、困らせたくないんだけれどボクも今は一杯一杯なんだ。
「流石に平静を保ってはいられないだろうな。お互い、絶対にどこかでボロが出る」
「だよねえ……」
ため息交じりにそう言って、お互い黙り込んでしまう。
少しだけ重々しい空気が漂ったけれど、やがてボクはポツリと口に出してしまった。
「クラスメイトが……伊右衛門の友達がそうなんだ」
「そりゃ……」
大変だな、とは言えなかったんだろう。玄哉はソフト帽を深く被る。
そう。この問題は彼だけの問題ではない。伊右衛門や銭形くんだけで解決できるほどのものでも、かといってボク達が無視する事も出来ないもの。
「……とんでもない学園に入っちまったな」
「本当にその通りだね」
今朝この屋敷から出る時に抱いていた明るい期待は、見事に砕け散っていた。どころか、その正反対である失望の念さえ禁じえない。
一人の《生徒》を犠牲にする事で、平穏な生活を送って良いなんて話は
姿形は捉えられている。けれどその中身を見ない様にしている人々が殆どで、同時にその中身を認めようともしない人々の集まり。それがこの学園の本性なんだろう。
悔しい。どうしようもないほどに憤りを覚える。昔の自分を、第三者の観点からみている様な感覚がして、居ても立っても居られない。
何とかしたい。でもどうする? どうやって彼を周囲に認めさせる? その後はどうしたい?
様々な疑問が頭の中を駆け巡る。……駄目だ、イライラしすぎて冷静に解決する事が出来ない。
「紬」
「――ん。なに?」
ちょん、とボクのこめかみに玄哉の人差し指が押し付けられた。腕を退けて彼を見上げると、彼に真剣な瞳を向けられている。
「イライラすんな。お前が腹立てたって仕方ないだろう」
「……ごめん。分かっては居るのだけれど、こればかりはボクも似たものを経験しているから」
流石はボクの相棒だ。イライラしすぎるといつもこうやって窘めてくれる。凄くありがたい。
「まあ、そうだろうな」
ふーっと彼は息をついて脱力し、次に飛んできたのは今後の方針だ。
「で、お前はどうしたいんだ」
「そうだね……」
ボクは少しだけ考え込むと、目先の目標を口にする。
「まずは彼の存在を認めさせる事からだと思う」
「すでにやる気では居るんだな」
「当たり前だよ。伊右衛門の友達だし、なにより……約束したから」
彼の存在を肯定すると。
「……どんな約束をしたのかは知らないが、まあ頑張れよ。俺に出来る事があったらいくらでも手を貸すぜ」
「うん、ありがとう。玄哉」
「ひとまず、息の詰まる話はこのくらいにしようや。来客だぞ。メイドちゃんが応接間に案内してた」
「分かった、直ぐに向かう。相手は?」
ボクは脱いでいた制服のブレザーに再び袖を通し、玄哉と共に部屋を出る。
流石に、沈んだ気分のままお客様との応対はさせられなかったんだろう。悪いね玄哉。でも、その心遣いがとてもありがたい。
「それがな……」
「うん?」
珍しく言い淀んだ玄哉に、ボクは小首を傾げた。
……一体どういう事だろう。
みぞれに通されて入室した瞬間、ジトっとした重い空気が応接間に充満しており、それでいて、中学生ほどの男子と、小学生ほどの女の子が応接用のソファに腰掛けて紅茶とお菓子を口にしていた。兄妹だろうか。二人ともくりくりとした目が特徴的な黒髪黒眼の美少年と美少女だ。
癖っ毛の男子からは好意的な視線を受け取れたものの、セミロングの女の子の方からは敵意むき出しの視線を受けてしまう。やめて欲しい、君みたいな可愛らしい女の子には笑顔が似合う。そんな顔をボクに向けないでおくれ。
「大変お待たせしてしまい申し訳ございません。
イヤな汗が背中を伝ったけれど、かまわず自己紹介からの一礼をすると、男子はすっくとその場に立ち上がり、礼を返してくれる。
「唐突にお邪魔してしまってごめんなさい。オレ、東間
「………妹の咲悠里です」
「よ、よろしく……」
うわあ、敵意丸出しだよ咲悠里ちゃん。とりあえずボクは席の方へと手を差し出し、「どうぞお掛けください」という。
「東間、というと、ユートさんの身内の方でしょうか?」
ボクも対面のソファへと掛けると、直ぐにみぞれがボクの紅茶を注いでくれ、ありがたく頂きながら訊ねる。
「はい、悠斗はうちの兄です」
「そうでしたか」
まあ、そうだろうとは思ったけれど。
「似てないですよね。母親似なんです」
「なるほど、素敵なお母様なんですね。通りでお二人とも可愛らしいわけだ」
そこで、悠二くんは顔を赤くして俯いてしまった。咲悠里ちゃんからの視線が更に痛くなる。もうやめて、お姉ちゃん泣いちゃいそう。
「さて、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「はい。兄ちゃ……すみません。兄から峰さんと楯山さんのお話を聞いたもので」
「家も近所だったもので、初日で大変恐縮ですがお邪魔させてもらいました」
おっと。お兄ちゃんである悠二くんの話を切って、咲悠里ちゃんから話してくれた。
それにしても……。ユート、君って『兄ちゃん』なんて呼ばれ方してるんだ。意外。てっきり『アニキ!』みたいな感じで呼ばれてると思ったよ。まず弟さんと妹さんが居たなんて全く知らなかったけれども。
「ご近所様でしたか。それは奇遇ですね。わざわざお越し頂いて、本当にありがとうございます。私は先日こちらへ越してきたばかりなので、どうか仲よくしていただけると嬉しいです」
「念のために言っておきますが、上の兄は別居中です。学園の寮で生活してます」
残念でしたね、と悪戯気な笑みを浮かべ、半眼で言いながら紅茶を口にする咲悠里ちゃん。やばい。敵意がむき出しだ。悠二くんはすみませんと平謝りしてくる。そんなに気にしなくていいんだよ。ボクこれでもメンタルはそこそこ強い方だから安心して。でも後で泣いてもいいよね。
ちょっとだけ彼を宥めると、ようやく落ち着いてくれた。
「すみません……」
「構いませんよ」
申し訳なさそうな悠二くんにそう返すと、話を切り替えるようにして、彼は姿勢をただした。
「話は変わるんですが、兄の事は……?」
「……うん。すでに聞いているよ」
幸いこの場にはユートの事情を知っている四人しかいない。ゆっくりと言葉を崩していきつつ、悠二くんは現在のユートが置かれている状況を事細かに伝えてくれた。
話の半分はほぼ本人と銭形くんから訊いた通りだ。ただ、悠二くんが語ってくれたものによれば、身体的な虐待や差別もされてきたらしい。
そして、何故彼がひとり家を離れ寮で生活しているのか。それは同じ高等部へ通う悠二くん、中等部へ通う咲悠里ちゃんの身を案じての事で、学園内では二人はユートとの接触を、ユート本人から禁じられているらしい。
……良い判断だろう。虐げられている人物の身内であれば、その身内すらも同じ扱いを受ける可能性は高い。聞けば彼は初等部を修了してからすぐに入寮したという。幼いながらもよくその決断が出来たと思う。
「……本当にとんでもないね。東方理事長はその事を知っているのかな?」
「聞き及んではいないかと」
咲悠里ちゃんは視線をそらすようにして顔を横に振った。
「なるほど。つまり先生達だけでユートさんの情報はストップされていると」
「そう言う事になるかと」
悔しいだろう。事実無根の噂に生徒だけではなく教職員が踊らされ、挙句彼は反省室へ送られてしまうのだから。
今回の監禁でさえ理事長の知らない所で行われていたという話だったし、何より学園の反省室は数年前に封鎖されているようだ。
犯罪の臭いさえ漂わせる、この学園の裏事情に、ボクは怒りを通り越して呆れてしまう。
「それで、二人はどうしたいのかな?」
「オレ達は、兄が普通の学園生活を送れるようにしたいんです」
「上の兄が誤解をされたまま、高等部を終えて欲しくありません。なによりわたしが納得しません」
「……そうか、なるほど」
考える事は同じだったようだ。それはそうだろう。一日しか付き合いのないクラスメイトと、十数年間共に過ごしてきた家族であれば、その想いはボクなんかよりもずっと強いはず。
「二人の言いたい事は分かった。それなら、どう解決したいか、何か提案はある?」
すでに二人がその道筋を見つけているのであれば、ボクはそれに全力で手を貸すつもりだ。でも、決まっていなかったとしたら。ボク自身がその道筋を見つける必要がある。
「それは……」
「大変遺憾ですが、まだ見つかっていません」
言い渋った悠二くんに変わり、咲悠里ちゃんが結論を口にした。けれど、その視線はボクへまっすぐ伸びていて、それは敵意ではなく、ボクを試す様な視線に切り替わっていた。
「ですから、峰さんも力をかしてください」
「ちょ、咲悠里……」
そこでまた慌て始めた悠二くんに、ボクはくすりと笑いながら、咲悠里ちゃんとしっかり視線を合わせて、大きく頷いた。
「もちろん。他でもない大切な友人の兄妹からの頼みだ。いくらでも力を貸すよ。――一緒に助けよう、ユートさんを」
「……ありがとうございます。話はこれで終わりなので、わたし達は帰ります」
お邪魔しました、とソファから立ち上がってぺこりと一礼する咲悠里ちゃん。悠二くんは涙目でボクへ同じ様に一礼し、「お邪魔しましたっ」と言ってから彼女の後ろへとつく。
「みぞれ、お見送りを」
「はい、かしこまりました」
「ああ、あと」
扉を開いたみぞれに会釈しつつ、咲悠里ちゃんは半身で振り返る。
「わたしはまだ、貴女を『
その言葉に、みぞれと悠二んくんだけが固まっていた。ボクは小首を傾げつつ「うん、分かったよ」と応えておく。
「それでは」
咲悠里ちゃんは最後にぺこりと一礼すると、すたすたと応接間から出て行ってしまうのだった。
*その夜*
「ねえ八十島さん、ギシってなんだろう?」
「ギシ、ですか? 色々と意味はありますが……。例えばどのように?」
「今日、あなたをギシとは認めていない、なんて言われちゃってね」
「そうですか……。紬お嬢様は技術者になりたいのですか?」
「いやあ、そんな専門技術は持っていないから、そんな気はないんだけど……」
(ギシ……。まさか義姉ではないでしょうし……。ですが紬お嬢様ほどの美人ともなれば……)
「やっぱり日本語って難しいね」
「はい、そうですね……。私も勉強不足でした」
* * *
『兄ちゃん、峰さんと会って来たよ』
『お、そうか。どうだった?』
『いい人だよね』
『だろ? 結構いい奴なんだよなあ、これが』
『うん、兄ちゃんが好きそうなタイプだなって思った』
『あぁ確かに。絡みやすいし、平治より全然いいや』
『気が合いそうだし、いいんじゃない?』
『まぁな。咲悠里はどんな調子だった?』
『ん、なんだったら代わるよ?』
『そこに居たんかい。分かった、代わってくれよ』
『うん』
『――はい、お電話代わりました』
『おう。咲悠里、峰はどうだった?』
『人間性としてはかなりの好印象かと』
『そっか』
『ですが、まだ上の兄には早いかと。あの人はレベルが高すぎます』
『どういうこっちゃ、そりゃ』
『そうですね……。いうなれば「高嶺の花」でしょうか』
『まぁどうとでもなるだろ。近所なんだし、お前も仲良くしろよ』
『仕方ないですね。上の兄からの頼みとあれば考えなくもありません』
『おいおい……』
『それでは、この後夕飯なので』
『そっか。おやすみ』
『はい、おやすみなさい』
プツッ。
「中学生で高嶺の花とか……。あいつ難しい言葉知ってんなあ……」
「背伸びをしたい年頃なのではないでしょうか? こちらも夕食にしますか」
「おう」
ありがとうございました。
今回はかなりグダってますね……。あとネガすみません……。
紬様は明るいのにスイッチ入るとどこぞの青ガエル兵長の様な感じになります。そして女の子に弱い(これはガールズラブ入れたほうがいいのかな……)。
次回以降はようやく前へ進み始める! ……かもしれません。
ちなみに悠斗君は紬様の事を男子と勘違いしてます(朝のHR不参加のため)! そこだけ注意!!