セリス・リーフェンシュタール。彼女の家は、ヴァーミリオン帝国を昔から支えてきた、貴族だ。正真正銘のお嬢様。そんな相手が同室となったことに、白雪の思考は一時停止した。
いや、していた、と言ったほうが適切だろう。
何度目をこすろうと、頬をつねろうと、白雪の前にいる彼女は消えない。
つまり、
「……夢じゃない?」
「はい……? 夢じゃないわよ」
セリスは、不思議そうに顔を傾げた。
「そっかー。なら俺の同僚はセリスさんか。変なこと聞いてごめんね。それと、俺は春日野白雪。好きなように呼んで。こちらこそよろしく」
白雪は一人納得し、これからよろしくと、右手を出した。
「はい。では、シロちゃんと、呼ばせてもらうわね?」
セリスは周りに花があるのではないかと思わせるほど、美しい笑顔をし、白雪の手を握った。
「え……?しろ、ちゃん…………?」
予想外の呼び名に、その場で固まってしまう白雪。対してセリスは、手を握ったまま笑顔で「はい」と、頷いていた。
「シロちゃんはーーちょっと……」
「えー?可愛いですよ?シロちゃん」
白雪が遠慮がちに、拒絶しようとするがセリスはもうその気でいた。
白雪は強くはないが、名前に対しコンプレックスを抱いている。それは、女っぽい名前だからだ。それに加え、白雪は小柄で、童顔だ。だからその分、名前にコンプレックスが存在する。しかも、よりによって『シロちゃん』などという更に女っぽいあだ名で呼ばれてしまい、白雪は頬を引きつらせていた。
「ダメ……ですか?」
少し寂しそうな顔で、白雪の顔を覗く。
「うっ……!で、でも……」
「シロちゃん。この名前、あなたに似合うと思います」
セリスは白雪の顔にぐいっと、迫る。そして白雪は逃げるように後ずさる。
「いや、俺としては普通に、白雪か、春日野って……」
「お願いします。シロちゃん」
もう既に『シロちゃん』呼びをされていて、もう無理だと悟った。
「…………わ、わかった。シロちゃんでいい。でも、なんでそんなにシロちゃんて呼びたがるの?」
白雪は疑問をぶつける。
「いえ、ただあなたにはこの呼び方がピッタリだと思ったので……」
「えっ? それだけ……?」
「ええ。 それだけですけど? ……あ、それとわたしはセリスって呼び捨てで大丈夫ですから」
それを聞いた白雪は、大きなため息をついた。
「大きなため息ですね。どうかしましたか?」
急にため息をついたこと白雪を心配そうに見つめる。
「ううん。大丈夫、なんでもない。ーーそれより、俺は今から寝るから、部屋のルールとかはまた後で決めよう」
「初めにも言ったけど、寝るのには早すぎると思うけど?」
「今日は朝早くから外に出ててね。だから、眠たくて仕方がないんだ」
そう言って、今度こそベッドへダイブする。
柔らかな布団が全身を包んでいく。気持ちがいいその感覚に、白雪が意識を手放そうとした。
しかし、それは叶わなかった。
なぜならーーー。
「セリスぅうう! わたし汚されたぁぁああ!!」
白雪の自室の扉がバンッ!と、大きな音を鳴らしたのと同時に、聞き覚えのある女性の鳴き声が部屋中に響いたからだ。
なにごと?と、まくらに埋めていた顔を横にズラす。見れば、白雪の高校初の友、黒鉄一輝の部屋に、下着姿でいた、今年主席入学のステラ・ヴァーミリオンだった。そのステラ・ヴァーミリオンは目に涙をため、セリスに抱きついていた。
「……本当になにごと?」
これが、今の現場を見た感想だった。この小さな寮部屋に、一国のお姫様が二人も揃っているのだ。呆気にとられても仕方がない。それだけではなく、十年に一人と言われる天才のAランク騎士が三人も揃っているのだ。もし、ここに学生の伐刀者がいれば、卒倒するレベルだろう。
「どうしたの? さっき大きな悲鳴が聞こえたけど……それに汚されたってどういうこと?」
抱きつかれているセリスも、今の状況は理解できていないらしい。
すると、ステラはセリスの豊かな胸に埋めていた顔を上げて言った。
「おとこが、男が……わ、わたしの肌を汚したの。下着姿をいやらしい目で、舐め回すようにじーっと見て! それに、もう一人の男にも! 銀髪で翠眼の男! 一瞬だったけど見られたの!」
それを聞いた白雪の身体はぴくっと動く。
(銀髪で翠眼……。それにステラ・ヴァーミリオンの下着を見た……。一輝は黒髪。つまり、俺のこと、だよな……………)
「銀髪で翠眼の男の子って、もしかしてシロちゃんのこと?」
「シロちゃん……?誰よそれ」
「わたしのルームメイトよ。ほら、そこのベッドで寝ている人」
セリスが顔を隠すように俯けに寝ている白雪に視線を向ける。そして、その視線を追うようにステラも顔をベッドの方へ向ける。
(寝たふり寝たふり! 寝たふりさえしておけばこの場はなんとかーーー)
しかし、そんな白雪の思考とは裏腹にステラ・ヴァーミリオンの紅の瞳は白雪をしっかりと捉えた。
そしてーーー
「あーーーっ!! こいつよ、こいつ! わたしの肌を汚したもう一人の男!!」
まったく無実の言いがかりに、白雪は抗議の声を上げかけたが、ここは寝たふりを続行する。
「うそ? シロちゃんがステラを?」
「そうなのよ……って、セリス、シロちゃんってだれ?」
「え? 今ステラが肌を汚したの一人って言った子よ。春日野白雪。白雪の白をとってシロちゃん」
「えっと……随分打ち解けているのね」
「ええ。小さいところが可愛くてね。シロちゃんってぴったりでしょ?」
話が少しズレ、怒りが収まりつつあるステラと、会話する会話するセリス。しかし、その会話の中に、セリスは白雪の触れてはならない部分に触れてしまった。
今あったばかりの人のことなどわかるはずがない。だが、そんなこと、白雪には関係ない。彼女の会話の中に、一番の禁句の言葉が入っていたからだ。
「俺のことを……小さい言うなぁぁああっっ!!」
「うわっ……!」
「ひゃっ……!」
寝てるフリをしていたが、布団を勢いよく剥がし、叫ぶ。寝ていると思っていたようで、突然大きな声が部屋に響くと、ビクッ!と、二人は身体を震わした。
白雪にとって、身長が低いことは一番のコンプレックスなのだ。そのため、『小さい』『チビ』といった、身長に関することを言われると、地獄耳の如く拾いあげる。
「え……? あ、あのー、シロちゃん?」
「セリス、今回は知らなかっただろうから別にいいけど、次俺の前で身長のことに触れたらーー」
「ふ、触れたら……?」
白雪はいつも半閉じ状態の細い目を、クワッと見開き、
「許さないから」
尋常じゃないプレッシャー。ぐんと部屋の温度が下がり、セリスは綺麗に整った顔を恐怖に引きつらせ、首を縦に振った。これにはセリスの近くにいたステラも、背筋が凍るような錯覚にとらわれ、恐怖を感じた。
激しく首を縦に降る中で、セリスはここに来る前に理事長に言われたことを思い出した。
(もしあいつが機嫌を悪くしたり、駄々をこねたりしたらこれを渡せ。そしたら大人しくなるから)
セリスは即座に理事長に渡された棒付きの飴をポケットから取り出す。
(ほ、本当にこんなもので機嫌が直るのかしら?)
セリスは半信半疑ながらも、これしか方法がないことをわかっているため、これに賭けた。
「ほ、ほらシロちゃん。この飴ちゃん欲しくなーい?」
なんとか普段通りの笑みに戻し、棒付き飴を白雪の前に恐る恐る差し出す。
さらに怒らせないよう、祈りながら。
しかし、セリスが怯えているのとは裏腹に、白雪の目はキラキラと輝いていた。
「うそ……? 飴玉で、機嫌が直ったの?」
それを見ていたステラは飴玉で百八十度機嫌が変わった白雪に、肌を汚したの男と言うのも忘れて驚愕していた。
新しい玩具をもらった子供のように目をキラキラとさせ飴を包んでいる紙袋を剥がす。そしてそれを口に咥えると、
「うまいッ!!」
と一声。それからはベッドに腰掛け、飴を舐めることだけに集中した。
「り、理事長さんに飴を貰っておいて正解ね」
「こいつ、一体何なのよ……」
飴一つで機嫌が直るAランク騎士。セリス・リーフェンシュタールと、ステラ・ヴァーミリオンは、よくわからないこの状況に、ため息を零すのだった。
♢
理事長室。
その名の通り、理事長の部屋だ。しかし、今日は理事長である新宮寺黒乃以外に、《落第騎士》と呼ばれ、十年に一人の劣等生とも言われている白雪の友、黒鉄一輝。そして、十年に一人と言われるAランク騎士が三人も集まっていた。
何故、理事長にいるのか?という疑問があるだろう。それは、一輝が(白雪含む)ヴァーミリオン帝国のお姫様の下着姿を見てしまったからだ。それも、一輝は下着を見てしまったことに、フェアという事で、自分も服を脱いでしまったことも原因の一つである。
白雪は寮の扉を開いたとき、少しだけ目に入っただけだったのだが、見たことは見たでしょ?という、ステラの謎の威圧感に眠たい身体に鞭を打ち、ここまで来たのだ。
だが、ステラの怒りの矛先は全て一輝だけに向かっていて、正直白雪は来なくても良いのではないか?という状況だった。
理事長の黒乃の前で言い合いをする二人。それを楽しそうに見る黒乃。そして理事長室のドアの近くで待機している白雪とセリス。
特に白雪とセリスは完全に空気扱いだ。
どうしたものか?と、白雪が眠たい頭で考えていると、
「んぅもぉぉおぉ〜〜〜〜! アッタマに来た! いいわ。わかった。わかりました。やってやるわよその試合。でも、これだけアタシをバカにしたんだから、もう部屋のルールなんて小さなものじゃすまないわよ!負けたほうが買った方に一生服従! どんな屈辱的な命令にも犬のように従う下僕になるのよッ!」
話がついたようで、二人は模擬戦をすることになったそうだ。
これでこの件に関しては、一輝に任せて一件落着かと思いきや、
「おい、春日野、リーフェンシュタール。黒鉄とヴァーミリオンの試合が終わった後、お前たちも模擬戦してみるか?」
タバコを咥えながら、ニヤリと笑みを顔に浮かべた黒乃が、予想外のことを口にした。
「せ、絶対にーー」
「是非、さらせて下さい」
「ちょっ……!」
白雪は拒否しようと口を開いたが、それを遮ってセリスは肯定を示した。
「もともと、わたしはここ数日以内にシロちゃんに模擬戦を申し込む予定でしたから」
「なんで!? 俺が、模擬戦……? ヤダよ!」
だが、当然の如く白雪は断固拒否した。
しかし、それはわかっていたこと。だが、セリスはそれでも白雪にお願いする。
「お願い、シロちゃん。わたしと模擬戦をしてください」
セリスの態度が真剣みを増していた。ただ戦いだけというのとは違う、他に何か目的があるような感じがした。
だがーーー、
「………うーん。模擬戦なんてめんどくさいしー、それに俺には何のメリットもないしー………いや、待てよーーわかった。いいよ」
「ーーッ! ありがと「ただ、条件がある」う……? 条件?」
「うん」
白雪は頷くと、制服のポケットから棒のついた飴玉を取り出した。それはセリスに見せる。
「俺が勝ったら、この飴を一週間分買ってもらう!」
どんな条件を出されるのかと、構えていたセリスだが、白雪のだした条件に肩透かしを食らっていた。
実のところ、白雪は模擬戦などやりたくない。しかし、白雪のエネルギー源である飴のストックがもう底をつきかけていたのだ。初めは断ろうとしていた白雪だが、これは考えれば好機だったのだ。
「わかったわ。勝負を受けてくれてありがとう」
「別にお礼は言わなくていいよ。飴のためだし」
「ーーほう。これは驚いたな。お前が模擬戦を受けるなんて」
模擬戦を受けた白雪を黒乃が驚きの顔を浮かべて見ていた。
「いいや、本当なら絶対に受けない。俺は無駄なことはしない。出来ることなら今すぐ寮へ戻ってあったかいふわふわの布団に包まれて眠りたい」
「はぁー。お前のその怠け癖、なんとかならんのか」
「無理」
黒乃の言葉を即答で返す。
こうして、黒鉄一輝 対 ステラ・ヴァーミリオン。春日野白雪 対 セリス・リーフェンシュタールの模擬戦が決まった。