モールを占拠したテロリストを捉えた翌日。
早朝にドン! ドン! と地鳴りが誰もいない学園に響いていた。
地鳴りを鳴らしているのは銀髪と翠眼をした男、春日野白雪だ。
普段面倒くさがって、事を荒げない性格の彼が何故こうも荒ぶっているのか。
それは今朝のことだ。
目が覚めた白雪が時間を確認しようと携帯の電源をつけたとき。携帯が起動したのと同時に、メールを受信する。
白雪は眠たい目をこすりながら、メールの送り主を確認する。
選抜戦実行委員会。その時の羅列を見た瞬間、白雪の目は、脳は、一瞬にして覚醒した。
それはいよいよ始まる七星剣舞祭の代表選抜戦に胸を躍らせたわけではない。むしろその逆。何故自分が? 白雪の脳内は、暫くそれだけが渦巻いていた。
そう、白雪は元々、七星剣舞祭に出るつもりはなかった。それは担任の田中太郎にも言ってある。ならば白雪が選抜戦に選ばれることなどあり得るはずがない。なのに選ばれた。それが白雪を悩ませた。しかし、白雪は気づく。出ないと己が宣言して黙っていない奴が最低でも一人いることに。
その名前は、新宮寺黒乃。ここ、破軍学園の理事長にして元世界三位の伐刀者。彼女だけは白雪が出ないことを良しとしない。
となれば、後は黒乃に直接聞きに行けばいい。
と言うことで、冒頭に至る。
「あんのクソババァ! やってくれたなぁっ!」
一歩、一歩と踏みしめる度に力が増していく。それは黒乃に対する怒りだ。理事長室に着く頃には、ドシン! と、無視できない音にまでなっていた。
「おい、理事長! 辞退したはずの俺が何で選抜戦なんてクソ面倒なものに参加している!? いや、どうせあんたが勝手にやったことだろう。だから、その事についてはどうでもいい。だが! 俺のエントリーは取り消してもらうぞ!」
ノックもなしに扉を開くや否や叫ぶ白雪に、黒乃がタバコの煙を吐きながらアホな子を見る目でこちらを見ていた。
その後、頭に手を当て首を一、二回振ってから口を開いた。
「勝っても何も、選抜戦エントリーはお前自身が選んだ事だろう」
「…………はい?」
言われた言葉が理解できず、何とも間抜けな声が漏れる。しかし白雪はそんなことに構う暇などなかった。
黒乃の言ったことが本当なら、自分で面倒ごとに首を突っ込んだことになる。それは春日野白雪という人間が破綻してしまうのと同義。たかだがそのくらいで何を言っているのだと呆れられるだろうが、白雪にとってはそれ程のことだった。
「俺が、選んだ? エントリーを……冗談でしょ?」
頭では理解しても受け入れがたい内容に、白雪は尚も言い返す……が、それも無駄に終わる。
黒乃が一枚の紙を取り出し、ヒラヒラと白雪に向けながら言う。
「この紙、お前も貰っただろう? 無論、貰ってないなどとは言わせんぞ。何せ、この私が直々に貴様に渡したのだからな」
黒乃が渡した。その紙の内容は覚えていないが、確かに彼女から直接手渡しされたのは辛うじてだが覚えている。だがそれが何だと言うのだ。白雪の訝しむ顔を見て、黒乃が答える。
「この紙は全校生徒に配ったものだ。内容は、『七星剣武祭代表選抜戦の辞退希望者の案内』だ」
「!? まさか、それは……っ!」
「そうだ。学内選抜戦を辞退するのに必要な提出書類だ。信じられないと言うなら見て見るか?」
ほらと、渡されたプリントを震える手で掴む。文字がブレて見にくかったが、はっきりとこう書かれていた。
『選抜戦を辞退を希望するものは必ずこのプリントを提出すること。尚、提出されなかった場合は選抜戦に参加すると判断します』
「……うそ……だろ……っ!?」
認めたくない現実をストレートに突き付けられ、白雪は膝から崩れ落ちていく。
そんな白雪を、黒乃は影でニヤリと笑っていた。
「嘘なものか。私は言ったはずだぞ? 出たくないなら提出するようにとな……。ま、あの時のお前は殆ど寝起き状態だっただろうから、面倒くさがって忘れていたのだろう」
「ちょっ! 寝起きに渡すって、あんた確信犯だろ!」
聞き流せない内容に、白雪は理事長室の机をバン! と強く叩く。その一方で、黒乃は咥えたタバコを掴みながら言う。
「何を根拠に。私が行ったときたまたまお前が寝ていただけのことだ。タイミングの問題さ」
何処か嘘くさい。
「なら! こんな紙の提出より! 端末からの確認で良かったじゃないか。何でよりによってこんな方式なんだよぉ」
「七星剣王になれる可能性が誰にだってあるのだ。だから本当に辞退していいのか、再度その場で問いかける必要があった。だからこうして面倒だが提出形式にしたんだ。これでわかったか?」
一見筋が通っているのだが、どうにも仕組まれた感が拭えない。しかし、これ以上は何を言っても無駄だとわかると白雪は黒乃に背中を向けて帰っていった。
(確か予選は時間に来ない場合負けとされる。ならサボればいいか。それに、最悪の場合わざと負ければいいな)
「ああ、言い忘れていたことが一つある」
ちょうど理事長室の扉を閉めようとしたときだ。黒乃が白雪を呼び止める。
「なに?」
「毎回、予選が始まる前には私か、リーフェンシュタールが迎えに行く。それとわざと負けたと私が判断したら、罰として校内全てのトイレ掃除に毎日大量の課題、そして伐刀者としての訓練。七星剣武祭が終わるまで続けてもらうからな」
白雪は絶望した。
どうやら自分の考えることなど全てお見通しだったようで、その対策をされていたのだ。
こちらを見る黒乃の顔が、ニヤリと笑ったように見えた。
白雪は悟る。もう、自分に逃げ場などないと言うことを。
「…………ちくしょぉおッッ!」
白雪は逃げ出した。
♢
「ほらシロちゃん。早くしないと黒鉄くんの試合が始まっちゃうよ?」
「見に行くのはいいよ。でも俺その後すぐに試合なんですけど」
「そこはほら、走ったらいいのよ」
「はぁ〜、ほんと、面倒くさい……」
『七星剣武祭出場枠』を、巡る選抜戦が始まった。
珠雫、ステラ、セリスが初戦を軽く突破し、少し遅れて今日、一輝と白雪の初戦が行われる。時間で言えば、一輝のほうが早く、その後に白雪の番だ。時間に余裕があるわけではないが、この学園に来て初めての友達だ。応援に行かないという選択肢はない。
そして、一輝の試合は当然、妹の珠雫、その友人の有栖院、一輝に好意をもつステラが見に行くことは当然であり、そのメンバーが揃う中でセリスが行かないなんてこともなかった。
つまり、結局はいつものメンバーが揃ったのだ。
「遅かったじゃない。もう始まるって言うのに」
ステラが機嫌悪く言ってくる。
「間に合ったんだから別にいいじゃん」
「そう言う問題じゃない! 一輝の念願の舞台よ? 友達のあんたがしっかり応援してあげないとダメでしょう」
「とか言ってるけど、実際は自分の好きな騎士の勇姿を見逃して欲しくなかったのよ」
ボソッとセリスが白雪に耳打ちしたが、ステラの耳には届いていたようで、顔を真っ赤にしながら反論する。
「なっ……ばッ、そんな訳ないでしょ!! 何をデタラメ言ってるのよッッ!」
「そうやってムキになって反論するところが怪しい」
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!?」
どうやらこの勝負はセリスの勝ちなようだ。顔から湯気を発しているステラは完全にうつむいていた。
その光景を珠雫は呆れた目を向け、有栖院は微笑ましいものを見るように優しく見守っていた。
セリスは勝ち誇った顔で見ていたが、試合が始まるアナウンスが入ると、全員が席に座った。
まず先に出て来たのは、今回の一輝の対戦相手、桐原静矢だ。彼は一輝の代の首席であり、前回の七星剣武祭の代表として出場していた。確実に勝てる相手を倒して行くスタイルから《狩人》という二つ名が付いている。
「ふ〜ん。《狩人》ねぇ。すげぇ大層な二つ名が付いてるけど、実際これってただのチキンだよね? 俺たちなら燃やしたり凍らしたり、水圧で押しつぶしたりと簡単に桐原を潰せるし。俺たちの誰かと当たったら棄権するのかな」
「間違いなく棄権するでしょうね。ああいうタイプって自分が可愛いから、傷つくことは絶対にしないでしょう」
よく人を見ている。有栖院の推測に、白雪は感心していた。
「あ、次は一輝の番ね」
ステラがワクワクと目を輝かせて入場ゲートを見つめる。その姿をセリスが見守っていた。
「どうしたの?」
どこか一歩引いている感じがして、気になった白雪は尋ねた。彼女は「別に大したことじゃないのだけど」と前置きしてから、白雪に視線を変えて言った。
「ステラが力や家族以外のことであんなにも夢中になるなんて、ヴァーミリオンにいた頃は思いもしなかったから、少しびっくりしちゃって……」
何ともステラらしいと思う。
「あの子、恋なんて言葉とは全く無縁だったから、あんな乙女なステラを見てたら、凄く嬉しくて、応援したくなったの」
「そっか……」
女性同士の友情はわからないが、セリスが抱いている感情はわかる。自分もあの特訓ばかりの一輝が誰かを好きになれば応援するだろう。と言うより既に二人は怪しいと白雪は睨んでいる。ステラは確実に一輝のことが好きなんだろう。普段の行動からしてバレバレだ。一輝は少し鈍感なため、今はステラの好意に気づいてはいないだろうが、彼女を意識しているのは確実である。
(二人が付き合うのも時間の問題かもしれないなぁ)
呑気にそんな事を考えているとふと、白雪はある事を思う。
それは、自分自身について。この学園に連れてこられてから大体一ヶ月。親友とも呼べる一輝がステラと付き合うと思うと、何故か恋愛というものが他人事のように思えなかった。
(俺もいつか誰か好きな人ができて、付き合ったりするのだろうか。想像できない。できないけどもし、そんな可能性があるとすれば……)
ちらっと、隣に座るセリスを見る。ちょうどセリスもこちらを見ていたようで、首をかしげる。
「……? どうしたの?」
「〜〜〜〜ッッ!? なっ、何でもない!」
無性に恥ずかしくなって、白雪はそそくさと視線を外した。
顔が熱い。動悸が激しくて、セリスにも聞こえてしまいそうだ。
「顔真っ赤よ! 大丈夫シロちゃん!?」
「大丈夫、大丈夫! すぐ戻るから、今はこっちを見ないで!」
「で、でも……」
「いいから」
「そ、そう? しんどくなったら早く行ってね?」
わかったと返事をしてから白雪は心を落ち着ける。
(ふぅ……落ち着け。俺が恋愛なんて向いていない。馬鹿げてる。これは一時の気の迷いだ。身近が色めき立っているからそれに当てられただけ。俺がそれに染まる必要はない。それにーー)
白雪の脳裏にある光景が浮かぶ。巨大な山が一寸の隙間もなく完全に凍りついている風景を。
動悸が収まり、今までの熱が嘘のようにスゥーと引いていく。浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。
「本当に大丈夫?」
急に大人しくなった白雪が心配になったのか、セリスが再度声をかける。これに対し、今度はしっかりと返事することができた。
「うん。もう大丈夫」
セリスの顔を見ても、もう心臓が跳ね上がったりしない。やはり、一時の気の迷いだ。そう結論付けて、間も無く始まるであろう試合に視線を置いた。
暫くして、一輝が入場ゲートから姿をあらわす。観客に軽く会釈するその様は、一輝らしいが白雪は違和感を覚えていた。
(普段通りに見えるけどどこか落ち着いていない。漸くの公式戦に嬉しくて浮き足立っている? いや、一輝に限ってそんなことはない。ならなんだ? あの自分の思い通りに体が動いていない様は……)
今日、一度だけあったがその時は完全にいつも通りの自然体だった。なのに……
(もしかして、緊張?)
これが一番しっくりきた。一輝は白雪たちと特訓などはしていたが、こんな観衆の中で戦ったことなんてこれまでの人生で経験したことないだろう。その初の公式戦が注目される中で行われる上、負ければ今までの自分を否定される。体にかかるプレッシャーが尋常ではないのは目に見えている。
そんなプレッシャーの中、一輝の試合が始まったーー。
♢
白雪は今、激怒していた。
一輝を嬉々として嬲る桐原静矢に。
一輝の目標をバカにする生徒たちに。
そして、
才能ということばに縋って諦めている雑魚相手に、好き放題言われて心が折れかけている一輝に!
(こんな有象無象の連中に否定されただけで諦めるのか? 他人にごぞって諦めろと言われても絶対に諦めないと言っていたお前が、こんなところで諦めるのか?)
白雪は知っている。黒鉄一輝という人間の強さを。黒鉄一輝という《伐刀者》の強さを。
だが、それを知らない奴らは一輝を侮辱する言葉を無遠慮に吐き出していく。
そして等々、我慢できなくなった人物が一人、席から勢いよく立ち上がり一言。
「だまれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
ステラである。
烈火の如く怒るステラに観客は全員が黙り込む。
自分の大好きな騎士をバカにするなァッッ!! と怒鳴り散らしたときは、隣のセリスがニッコリとしていた。
そんなステラの言葉に喝が入った一輝は伐刀絶技の《一刀修羅》を発動し、《完全掌握》(パーフェクトヴィジョン)で見えない桐原捉え、勝利をもぎ取った。
誰もが桐原が勝つと思っていただろう。それ故に一輝が勝ったときのリアクションが面白く、つい白雪は笑ってしまった。
至る箇所を矢で撃ち抜かれた一輝が担架で運ばれていく。
「カプセルに入れたら傷はすぐ塞がるだろう。……はぁ、面倒だけど次の試合行ってくる」
「シロちゃんが負けるとは微塵も思ってないけど、頑張ってね!」
「うん」
席から立ち上がり、控え室へと移動する。次の試合にAランクの白雪が登場するとあってか、観客席が全部埋まっても後ろで立って見るものまでいる。そんな人達の視線を感じながらある決意をした白雪は歩いていくーーーー。
次の話で一巻の内容が終了です。