銀雪のアイラ ~What a Ernest Prayer~   作:ドラケン

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軍靴 ―Военные ботинки―

 

 

()調()深度3】

 

 

【高()度伝()体との対話】

 

 

──暗闇の中で。

 

 

──わたしは、《旧きもの》との対話を続ける。

 

 

『今でも、忘れ得ぬ』

 

 

 目の前には、白く凍えた塊。それは、雪。それは、氷。それは、怒り。それは、嘆き。

 靄のように、或いは曇った硝子のように。またはモザイク画か、凍てついた氷のように。その姿は、判然としない。ただ、白い────()()()()()()()()()()。そのくらいのことしか、分からない。

 

 

『あの、輝ける青い空も白い雲も。朝焼けと夕暮れの赤、透き通った夜空に瞬く月と星。全て、全て、貴様らが奪い去った』

 

 

『奪い去った。貴様らが。貴様らの頼った《機関》に、何もかも────灰色の毒の霧に多い尽くされて、消えた』

 

 

 胸が詰まる。喉から、溢れそうになる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、わたしは、言葉を持たない。

 持ち合わせない。持ち合わせているはずもない。なにを言っても、それは、ただの侮辱に過ぎないから。

 

 

『────────そうだ』

 

 

 そんなわたしに呆れてか、見下げ果ててか。ため息混じりに吐き捨てた『彼女』は。

 

 

『貴様らだ、貴様らが奪った。貴様らが────』

 

 

 ぽつりと、最後に。敵意だけ、吹き消して。宝石じみた輝きを一度、煌めかせて。

 

 

 それを、最後に。

 

 

『妾の────大空を』

 

 

 全てが、消えて────

 

 

 

 

……………………

…………

……

 

 

 

 

────広場の石畳を数えて歩きながら、わたしは思い出していた。ヴォルゴグラードのその広場、名を『一月九日広場』と言う。

────ソヴィエト人民であれば、知らぬものはいないだろう。ここは、かつて。帝政末期に発生したデモ行進に、ロシア帝国軍が暴走して銃火を浴びせた悲劇の日に因んで名付けられた。そう、それこそは────

 

 

 一つ、一つ。石畳を踏みながら。同時に、灰色にくすんだ雪を踏み締めながら。

 

 

「────ところで、よ」

「────ふえ?」

 

 

 がしり、と。肩を掴んで引き寄せて。ガガーリン君が、わたしの耳元に囁く言葉。静かに、だけど、嘘は許さない風に。

 

 

「あの男、お前の持ってたアルバムの極東人(ヤポンスキー)だよな? 知り合いみたいだったけど、どういう事なんだ、アンナ?」

「えっ? ええっ! いえ、あの、ハヤト、さんは、その……」

 

 

 なんて、茶化すように。だけど、妹の交遊関係を問い質す兄みたいに。兄、兄さん。そう言えば、最近は余り見かけてないけれど。ハヤトさんの指揮下なら、大丈夫よね?

 うん、大丈夫。きっと、大丈夫。だって兄さんは、ヴァシリ兄さんは、あの《白い死神(シモ・ヘイヘ)》の放った魔弾からすら逃れて見せた、ソ連邦英雄なんだから。

 

 

──大丈夫。大丈夫よ、アンナ。兄さんは大丈夫。だから、心配するのは別の。

 

 

「あ、の────」

「────(かまびす)しい。おい、小僧。確か……ガガーリン、だったか?」

「あ? ああ、そうだけど?」

 

 

 と、こちらを振り向くこともなく。面倒臭そうに、ぶっきらぼうにそう、前を歩くハヤトさんが口を開く。煙管を燻らせ、紫煙を吐きながら。

 どう控えめに聞いても、喧嘩腰以外の何者でもなくて。事実、ガガーリン君もカチンときたような声色でそれに答えていて。

 

 

「要らん詮索は止せ、その子は俺の部下の妹、たまさか縁があるだけだ」

「部下の、妹ぉ?」

「そ、そう! 兄さん……ヴァシリ兄さんが、ハヤトさんの部下だから……その縁で、知り合いなの!」

「そう、か……アンナがそう言うんなら、納得するけどよ……」

 

 

 振り返ったガガーリン君に、そう返して。彼、不承不承、そんな言葉を溢して。

 

 

「へー、ただの『部下の妹』を毎週毎週、安息日に迎えに来られるなんて。赤軍の大佐殿はそんなにお暇なお仕事なのかしらねぇ?」

 

 

 だから、意地悪な表情を浮かべたリュダのその言葉には、本当に頭が痛くなりそう。と言うか、なった。

 

 

「はぁ?! なんだそりゃ! 毎週安息日にって、どういう事だよ、リュダ!」

「どうもこうも、聴いた通りよ。毎週毎週、アンナのワシリィ大聖堂への奉仕の送り狼に来てるのよ、この人」

「マジかよ! ちょ、どうなってんだそれ! おい、イサアーク! お前からも何か言えって!」

「いや……その点に関しては、僕は彼とアンナに返しても返しきれない恩があるので口を閉ざさせてもらおう。悪いなユーリィ」

「それも含めて何だそりゃ!?」

 

 

 途端に、喧しさを増した街路。辺りで無気力に地面を見詰めていた人達すら、此方を窺うくらいに。面倒臭そうに、だけど、何か『目映いもの』でも見詰めるように。

 そんな視線を受けながら、気にせずに、騒ぎ立てるガガーリン君と煽り立てるリュダ、嗜めるオジモフ君。その、煌めくような若さに。

 

 

「……………………」

「あの……すみません、ハヤトさん」

「……何がだ」

 

 

 わたしは俯きながらそう、口にして。ハヤトさんはむっつりと口を閉ざした。いえ、初めから口は閉ざしていたけれども。

 一言、ただ、一言だけ。

 

 

「────羨ましいものだな……」

「え────?」

 

 

 煙管を噛む口許を、悔やむように綻ばせて。それも、ほんの一瞬の事。わたしが顔を上げたときにはもう、消えていて。

 

 

「何でもない。先を急ぐぞ、仔兎(ザイシャ)

 

 

 ただ、冷徹な『赤軍大佐・ナイトウ=ハヤト=ヨシトヨ』の顔が、そこに在る。冬戦争最大の激戦区『コッラ川の死闘』の勝利の立役者、偉大なる指導者ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン同志が極東より招いたとされる、戦争顧問。

 震えを感じるほどに怖い。今はすでに絶滅せし極東の狼、職業軍人『サムライ』としての顔が。

 

 

「よう、待っていたぞ、同志!」

「…………」

「…………」

 

 

 それに笑いかけた人物を目にした瞬間、苦虫を噛み潰したように歪んで。

 

 

「……何故、貴様がここにいる?」

「何故、とは? はは、決まっている。君と同じさ、ハヤト」

 

 

 にこやかに、機関自動車────至るところを病的なまでに装甲化された、要人警護用の装甲化機関自動車────に寄りかかった姿勢のままで。そう、笑いかけた男性に。

 

 

「────そうか、スターリンの差し金か。相も変わらず忌ま忌ましい」

「そう言うなよ、友よ。彼も彼で思うところはあるのさ。特に、君のような得難い友人には、ね?」

「貴様のその能天気さは、たまに恐ろしくなるよ────」

 

 

──スターリン同志の事を、まるで知己の友人のように語って。悪びれもせずに。

──癖の強い黒髪に、黒い瞳を輝かせた男性は、笑顔のままで。

 

 

「────ゲオルギィ・ジューコフ。相も変わらず、食えない奴だな、お前は」

「お互い様だろう、ハヤト・ナイトウ。相も変わらずの仏頂面だなぁ、君は」

 

 

───ソヴィエト機関連邦軍大将にして、《鋼鉄の男》スターリン同志に『ノー(ニェット)』を突き付けられる数少ない人物。このソヴィエト機関連邦に、五指にも満たない大人物。

───機関化兵団(ドヴィーガチリ・アールミヤ)の祖である、ゲオルギィ・コンスタンチーノヴィチ・ジューコフ将軍は、ハヤトさんと────わたしに、微笑みかけた。

 

 

 

 

……………………

…………

……

 

 

 

 

 遠い、遠い。果てしなく遠い。暗く、長い長い隧道(トンネル)、或いは天蓋付きのアーケード。その彼方に揺れるもの。いつからだろうか、多分、ずっと。目指して歩いている、あの『光』は。

 届かないものを思う。見た事はないけど、水鏡に煌めく満月であるとか、蒼穹に輝く太陽であるとか。

 

 

 そして、ふと、足元に目を向けた。

 

 

 隧道の天井から漏れる、僅かばかりの『光』を湛えた石畳に。そこに芽を出した、ほんの些細な命を。雑草と、一括りにされるもの達だ。だが、確かに命の輝きだ。

 一休みしよう、この命を眺めて。背後から吹く風に揺れる、小さな彼等を眺めて。

 

 

 辺りに佇む、セピア色の、皆と共に。

 

 

『──オブジェクト記録を参照:イパチェフ館とは』

 

 

 その時、声が。声、声? いいや、違う。心を震わせる『思い』が、流れ込んできた。

 

 

『それは、僅かばかりの安息だったと、その皇帝は語ろう。忙しなかった己に、家族を省みることを許された、僅かな奇跡の時間であったと、皇帝ニコライは語ろう。

 ほんの僅かの間に、一家は結束を深めた。不仲であった皇母エレクトラと皇女オリガの仲を埋め、疎外されていた皇女タチアナと皇女マリア、皇女アナスタシアの仲を埋めるほどに濃密な時間であったと、ニコライ皇帝は微笑みと共に語ろう。笑顔と共に語ろう。

…………例え、その結末がどれ程に悲劇的な末路であろうとも。それは、確かに、掛け替えのない家族の時間であった筈であろうと。笑顔のままに、語るであろうとも。例え、窓を開けただけでも衛兵から銃撃されるような生活であったとしても』

 

 

 見上げても、暗く霞んだ天井から吊り下げられた、仮面が口走る言葉。その全てを囁いて、色を失った仮面は霧のように消える。

 

 

『────機関化兵団(ドヴィーガチリ・アールミヤ)とは』

 

 

 次に、吊り下げられた左腕。鋼鉄の、機関義肢(エンジン・アーム)

 

 

『『近代戦術の祖』と、ソヴィエトで持て囃されるゲオルギィ・ジューコフ将軍の為した功績。自動車の効率的運用による電撃作戦。それは極東との『日露戦争』の時代に編み出されたものでありながら、後の第二次世界大戦……第三帝国の華々しく禍々しき戦果までを待たねば評価されない。

 そう、第三帝国。憎み、恐れなければならぬ筈の『彼ら』の功績をもってしなければ。ジューコフ将軍の偉業は讃えられない。彼もまた、歴史に埋もれ得ない人物であった』

 

 

 そして、消えていく。やはり、霧か霞のように。

 

 

「私の、未来────」

 

 

 色を得て、語り出したのは少女。白く、輝くような銀色の髪の。携帯型篆刻写真機を抱く、白い兎のような。

 

 

「未来。わたしの。分からないわ────与えられなかったから、分からない、けれど」

 

 

 煌めくように、そう口にして。色を失って、代わりに。

 

 

 

 

 Q、夢とは?

 

 

 

 

「俺の、夢か────」

 

 

 色を得て、語り出したのは男。黒髪の、緋色の瞳の青年だ。携えた三本の刀を揺らす、狼のような。

 

 

「夢────そんなものは、とうに失せたと言った筈だ。もう、意味などないと。失われたものだ、と」

 

 

 陰るように、そう口にして。色を失った彼の代わりに。再び色を得て、少女が口を開く。

 

 

「だけど、思うことはあります。それは、景色を……誰かが諦めてしまった『未来』を、写し出せるような……そんな、写真家に……わたしは」

 

 

 彼の陰りに釣られたように、俯いて。全てを語り終えて色を失い、霧か霞か、或いは雪のように消えていくのだ。

 

 

 

 

 Q、叶えるべき願いは?

 

 

 

 

「有り得ない────有り得ないさ。有り得るものか。もう、全てを失ったんだ。今更、取り戻せるものか。取り戻して────…………たまる、ものかよ」

 

 

 彼も、また。全てを語り終えて、得たはずの色を失って。霧か霞か、或いは雪か────若しくは紫煙のように、消えてしまった。

 

 

 後に残されたのは、ただ、この日溜まりだけ。ああ、もう十分に休んだ。さあ、歩き出そう。最後に、僅かな名残を残して。

 風に揺れる草を、華を。有りもしない瞳に焼き付けて────

 


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