銀雪のアイラ ~What a Ernest Prayer~   作:ドラケン

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輝き ―блеск―

 

 

 ふと、窓の外を見やる。なぜだろうか、何かに心を惹かれて。もちろん、窓の外をゆらゆらと降り降りていく灰色の雪は、今さらあり得ない。もう、飽きるほど見ているから。

 

 

──だとしたら、一体何に? 当然、弾みのような行動の意味などは見つかるはずもなく。わたしはただ、拭えない不快感だけを感じて。

──だからきっと、部屋に残してきている、あの《白い鳥》のことが気になるんだと思い込むことにして。

 

 

 モスクワ国営碩学院の壇上で自己紹介を行う、()()()()を改めて視界に納めた。

 

 

「────それでは、先ずは自己紹介をさせていただく。私はカタヤマ。カタヤマ・センだ。見ての通り極東人であるが、かつて合衆国に留学した経験もある」

 

 

──カラマーゾフ先生の代わりに、ソヴィエト共産党中央委員会から派遣されたという極東の人。極東の人らしく年齢の分かりにくい、灰色に褪せた髪と、深い皺の刻まれた厳めしい顔つきの、神経質そうな小柄の……だけど、巌のように峻厳な印象のスーツの男性。

──知らなかった、中央委員会に極東の人が居たなんて。いいえ、それを言うなら、極東の人なのに赤軍大佐のハヤトさんもだったけど。

 

 

「担当教科は現代史……即ち、この世界初の共産主義国家ソヴィエトの歴史。マルクス=レーニン主義だ。いままでの、そして、これからの、ね」

 

 

──ああ、そうだ。この人は、ハヤトさんやフョードルさんを、どこか思わせるんだ。あのぶれない体幹の動きや、低く地面に根を張るような佇まいが。

──あの、偉大なるヨシフ・ヴイッサリオノヴィチ・スターリン同志の腹心の一人とも噂されるという《極東の人》。露極戦争で祖国と拮抗してのけた恐るべき、《緋の丸(クルッグ・アルオゴ)》の男性。

 

 

 そんな、とりとめのないことを考えていて。だから、ふと、こちらを見詰めた彼────カタヤマ先生の、丸眼鏡の奥の鋭い眼光にたじろいでしまって。

 

 

「……自己紹介は以上である。担任として君たちに望むことは、ただ一つ。このソヴィエト機関連邦の明日を担う者として、恥ずべき事の無きよう」

 

 

 そして、その言葉を最後に。背中に鉄の棒でも入っているかのように正しい姿勢のまま、機関のように正確な歩調で歩き去っていく。

 誰かが噂していた。『メイジ政府樹立以降の文明開化で、極東の軍拡と文明化は信じられない早さで行われた。それこそ、他の国が五十年、百年掛かる改革を二十年ほどで成し遂げた』と。

 

 

 あり得ないことではないと思う。だって、先程まで目の前に居た男性は、信じられないくらいに『文明人』だったから。

 

 

「……おお、壮麗際高なる黄金の環(ザラトーシュ)は未だ喪われることなく。愛しき黄金(ゾルート・ゾルート)の煌めきはいや増すばかり……か。愚かなるかな、恥知らずの三流道化(ユロフスキー)め。貴様は、今際の際まで苦しみ続けるがよい」

 

 

 だから、聞き逃す。最後に彼が()()()()()()呟いた、その言葉を。

 

 

「そして、そして。黙れ、悪趣味極まる《黒い道化師(ラスプーチン)》め────貴様の言葉など届かぬわ、奸賊め!」

 

 

 そして、()()()()()()()()()()()()吐き捨てた言葉を。

 

 

「……何て言うか。カラマーゾフ先生の代わりには役者不足よね、アーニャ」

「リ、リュダ!?」

 

 

 隣でそんなことを盛大なため息混じりに呟いた、リュダのせいでもあるけれど。

 

 

「そうだ、アーニャ。話は変わるんだけどさ、今度の研究発表の事。何か考えてる?」

「本当に唐突なんだから……でも、研究発表かぁ」

 

 

──研究発表。学期末の恒例行事。二年次の最後の発表。我らが最新機関技術同好会も、そろそろ何かの成果を残さないといけない瀬戸際に立たされている。

──とはいっても、わたしの携帯型篆刻写真機なんて現像の困難さで行き詰まったままだし、ガガーリン君の灰色雲突破用飛空挺(スプートニク号)も飛行用機関の入手難航の為に暗礁に乗り上げたまま。唯一の頼みの綱だったオジモフ君の機関人形……いいえ、ワシリーサさんも、わたしとハヤトさんで破壊してしまったし。

 

 

「その事で。なーんと!」

「えっ?」

 

 

 と、暗い気持ちになりかけたところで、リュダがわざとらしく明るい声を出して。ああ、落ち込んだことがばれたんだと、自戒してしまうくらいに。明るい声で。

 

 

「ユーリィの昔馴染みのツィオ……ツィエ? なんて名前だったかしら……まぁいいわよね、とにかくその、サンクトペテルブルク(ピーテル)の碩学院の物理学教授のコンスタンツさんだかが、飛行用の高出力機関の用立てをしてくれたらしいのよ!」

「コンスタンチン・ツィオルコフスキー教授だっての、リュドミラ」

「……正直、最近の科学者の中では最高に近い知名度だと思うのだがな、パヴリチェンコ」

 

 

 そこに、当のガガーリン君とオジモフ君の二人がやって来た。ガガーリン君は無遠慮にわたしの近くの椅子にどかりと腰を下ろして、オジモフ君は遠慮してか立ったままで。

 

 

「へぇ……って、それ、物凄いことだとおもうんだけど?!」

「ほんとよねー、あんたみたいな飛空挺バカに投資するなんて物好きも居たもんだわ」

「るっせえよ。俺だって、あんまりあの人に迷惑は掛けたくねぇんだけどよ……流石に一人じゃどうしようもねえ。俺は操縦はできても、頭とルーブルはからっきしだからな。翼はイサアークに設計してもらっちまったし、機関くらいは自分の力で手にいれたかったんだけどよ」

 

 

 と、憮然と唇を尖らせて不貞腐れたような表情のガガーリン君。とても責任感の強いところが素敵なガガーリン君。聞いた話では、『そんなところが格好いいのよね』って、下級生の女生徒から人気だとか。

 

 

「なにカッコつけてんのよ、あんたらしくていいじゃない」

「そうだよ、それに、貰い物でもそれはガガーリン君だから貰えたんでしょ? そんな伝があるのも、十分実力だと思うな、わたし」

「む……いや、でもよ……うむむ」

 

 

 と、今度は照れたように赤くなり頭を掻き始めたガガーリン君。子供みたいに純粋なところが素敵なガガーリン君。聞いた話では、『そんなところが母性をくすぐる』って、上級生の女生徒から人気だとか。

 

 

「────まぁ、そりゃあ一重に俺の人徳って奴だわな! ハハハ!」

 

 

 そして、すぐに調子のいいことを言うお調子者のガガーリン君。切り替えの早さが多分美徳で素敵なガガーリン君。聞いた話では、「あれさえなければいい人なのにね」って、同級生の女生徒から温かい眼差しで見守られているとか。

 多分、わたしとリュダも。

 

 

「どうでもいいが。翼の設計の代価の『卒業まで昼食を奢る約束』を果たしてもらう時間だぞ、ユーリィ。今日は黒パンでは承知しないからな、ベフストロガノフ位でなければ」

「イサアークさん、未来の《鋼鉄公》様? 少しは手加減をですね……俺にシベリアで林業させる気かよ!」

 

 

 そんなガガーリン君に掛けられる、怜悧な声。眼鏡をキラリと輝かせながらの、オジモフ君の冷徹な声で、ガガーリン君は一気に真っ青になって。

 

 

「知らんな。自業自得だろう」

「こっ、この因業眼鏡……お前は血の代わりに冷却水が流れてんのか!」

 

 

 叫んだ言葉。ああ、でもそれはきっと。ううん、間違いなく、逆効果で。

 

 

「ほう、キャビアまでつけてくれるとは太っ腹だなユーリィ」

「えっ、それを私達にも奢ってくれる? 流石ね、ユーリィ」

「マジでこいつらにシベリアの木を数えさせられるうう!」

「あはは……」

 

 

──そんな当たり前で、暖かな日常を過ごせている。今日と言う日に、感謝して。

──だって、笑っていてほしいもの。皆に、誰にも。大好きな皆に。大好きな人達、全員に

 

 

──わたしは、笑っていてほしいもの────…………

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 

────例題です。これは、例題です。過去にあった事かどうかなんて些細なことです。だから、例題です。

 

 

 一羽の鳥が居ました。真っ白な鳥です。生まれた時にはもう、高貴なまでに。美しく気高い白い鳥です。

 父親は、《太陽》でした。母親は、《春》でした。そして、祖父は《霜》でした。

 

 

 不幸などありませんでした。毎日、彼女らは幸福に、慎ましく。美しく、幻想を生きていました。

 だけど、終わりは必ずやって来ます。彼らも、例外ではありませんでした。己を愛して、慈しんでくれる父と母。それが消えて、彼女は────言いようもない絶望を覚えました。

 

 

『ねえ、お爺様。妾に教えて下さいませ』

『どうして、父様と母様が。どうして、あいつらのせいで』

 

 

 それが、最初の動機でした。それから彼女は、没頭します。ただ、一つの目的に向けて。終生の命題として。

 

 

『どうして、妾の、家族は?』

 

 

 それは、神に挑む行為です。血族を悲しませる、悲しい愛の問です。それを彼女は何度も何度も、幾度も幾度も、問いかけました。

 それでも、彼女は幻想です。無数の失敗は、それでも実を結び、やがて一つの集大成へと。

 

 

『妾は、どうすれば』

 

 

────ああ、儂は、ここまでだ。

 

 

 そして、彼女は、最後の家族を失いました。

 

 

『妾は、どうすれば』

 

 

────ああ、悲しまないでおくれ、愛しき孫娘よ。

 

 

 愛した父と母は、居なくなりました。美しい彼女、儚い彼女。愛を知るがゆえに苦しむ彼女は、目の前で消え行く祖父に。

 

 

『妾は、どうすれば』

 

 

────ああ、我が愛しき《白雪姫(ス■■■■■カ)》。お前は、泣いてはいけないよ。

 

 

 いいえ、他の誰か────此処には居ない、誰かに────

 

 

『妾は、どうすれば』

 

 

────ああ、《白雪姫(■■グー■チ■)》、我が孫娘よ。泣かないでおくれ、どうか。どうか。

 

 

 焦がれたように────

 

 

『妾は、どうすれば、妾は。どうか、お爺様────』

 

 

────いいや。■■■■いけないよ。これは、定めなのだから。だから……

 

 

 でも、それも仕方ありません。だって、彼女が欲しかったものはそんな言葉ではなかったのですから。

 

 

────愛する、我が《白雪姫(■ネ■■ラ■■)》。お前は、■■■■■────

 

 

 それは────もっと、崇高なもののはずだったのに。こんな、味気ないものになるはずではなかったのに。

 

 

 鳥は一体、どうするべきですか?

 世界を憎む?

 記憶を棄てる?

 それとも────人の悪性を糾弾する?

 

 

────例題です。これは、例題です。過去にあった事かどうかなんて些細なことです。だから、例題です。

────例題です。これは、例題です。ただし、《世界の敵》なんて助けに来てくれない、黒い雪に包まれた地獄の釜の底の、光も届かない奈落の例題(蜘蛛の糸)です。

 

 

────ええ、例題ですとも。つまり、既に結末の決まった、例題なのですよ。

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 

──夢とはなんだ。世界とはなんだ。

──輝きとはなんだ。《美しいもの》とは、なんだ。

 

 

 吐き出した紫煙は、機関排煙に汚染されたモスクワの凍てつく大気に溶け、消えていく。凍てついた、機関廃液に汚染されて黒くねばついたモスクワ川に掛かる橋の上、それを眺めながら、俺は、柄にもなく思考を深める。

 赤い軍服に身を包み、遥か北方の異郷に身をやつしながら。それでも生きさらばえて、今日も、煙管を噛んでいる。恥知らずにも。

 

 

──夢。俺の、夢。思い出すのは、若き日々。多摩の百姓風情だった俺達が、武骨な親友と語り合った、『武士になる』という言葉。それは、後に叶う。叶って、砕け散った。だから、俺にはもう、夢なんてない。

 

 

『ハハ、大きく出たなぁ。だが、そう言う心意気は好きだ。よし、やってみようじゃないか、ト■!』

 

 

 そう、快活に笑って。後に得た知識で、ゴリラという動物に似ていた親友は────(イサミ)さんは、からからと笑って。

 

 

──世界。俺の、世界。思い出すのは、若き日々。多摩の百姓風情だった俺達が、秀麗なる後輩と語り合った、『武士になる』という言葉。それは、後に叶う。叶って、砕け散った。だから、俺にはもう、世界なんてない。

 

 

『また、大きく出たものですねぇ。でも、そう言う心意気は好きです。では、やってみましょうか、■シさん!』

 

 

 そう、闊達に笑って。後に得た知識で、リスザルという動物に似ていた後輩は────総司(ソウジ)は、ころころと笑って。

 

 

 古めかしい煙管から紫煙を燻らせながら、俺は、目映い過去の日々を。まるで、走馬灯のように。

 

 

──馬鹿馬鹿しいことだ、なんの意味もない。過ぎ去りし日々は戻らない。悔恨も、痛苦も。消えはしない。時が癒すなどまやかしだ、むしろ時が経るほどに傷口は更に膿み、腐り、拡がっていく。

──特効薬も、治療法も有りはしない。家伝の《石田散薬》も、我が大脳に刻んだ《現象数式》ですらも、なんの効果もありはしない。

 

 

 どうしようもない時流のようなものだ。そう、どうしようもない。官軍に捕らえられて斬首された親友のように。死病に冒されて早世した後輩のように。ペルクナスよ、ストリボーグよ、夢とは、世界とは、かくも残酷なのだ。無慈悲なのだ。

 この世には、どうしようもない事が溢れすぎている。唾棄したくなるほどに、反吐を吐きたくなるほどに。ぶち壊してしまいたくなるほどに。

 

 

『────あのね、あのね? 極東の騎士さん。オサムライさん?』

 

 

 だから、思い出すものがある。それは、数年前。あの、ロシア革命以前の光景。壮麗際高なる、皇帝の保養地(ツァールスコエ・セロー)で。

 極東贔屓だったかつての皇帝、ニコライ二世から皇室ヨット、スタンダルト号の警備隊長を任ぜられた俺に。

 

 

『オサムライさん、警備隊長さん。あなた、難しい顔ばかりでつまらないわ。わたしはね、みんなに笑顔でいてほしいの。お父様にも、お母様にも、姉様たちにも。侍従の人たちにも、みーんな』

 

 

──そう言って膨れっ面を見せる少女。灰色の空の下で、黄金色の、かつては珍しくもなかった、日差しの色を思わせる髪の童女。もしも他の誰かが見れば、微笑ましく思うだろうか、もしくははしたないと思うだろう膨れっ面を見せる彼女。

──こんな、自暴自棄と卑屈の吹き溜まりのようだった俺に。誰からも恐れと不気味を向けられていた俺に、真っ向から。物怖じもせずに。

 

 

『いいえ、いいえ。笑わせて見せるわ。だって────』

 

 

──そして『これは生まれつきのものだから変わらない』と口にした俺に、灰色の空の下で、同じく、かつては珍しくもなかった()()()()()()()()()の娘は、宣うのだ。

──嫌悪していたはずの貴種の生まれらしく、傲慢に。苦手だったはずの子供らしく、傲慢に。だが、その根底に()()()()()()()()()優しい心根を隠したままで。

 

 

『わたしは《反抗児》で、《道化者》ですもの。ぜーったい、ぜーったいなんだからね、■■ゾー!』

 

 

──ああ、思い出すな。あの輝ける日々を。思い出すな。あの《美しいもの》を。あんなにも、目映いものを。

──たまさか触れただけのものだ、事故のようなものだ。俺には、過ぎたものだ。俺ごときには、与えられるはずもない望外の幸運だっただけだ。そうだろう、■■■■(■■■■■■■■)。捨てた、その名前のように!

 

 

 だから、俺は。凍りついた川面に煙管から煙草の燃えカスを捨てて。勤めて、心を揺らさぬように心掛けながら。

 

 

『『────聯隊長殿万歳(ウラー・ダージェストラージ)!』』

「御苦労────では、定時報告を聞こうか」

 

 

 いつの間にか背後に立っていた、配下たる鋼鉄の猟犬達(フョードルとシャーニナ)の報告を聞きながら────…………。


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