銀雪のアイラ ~What a Ernest Prayer~   作:ドラケン

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夢Ⅱ ―мечтать Ⅱ―

 

 

 それは、黒い雪の詩編。それは、黒い雪の物語。

 

 

 そこは鋼鉄の都市でした。大きな壁に囲まれた都市に、青年は居ました。大きな、大きな壁です。縁すら見えないくらいに、大きな壁に。鉄のカーテンに囲まれた都市です。大きな壁に囲まれているくせに、でんと構えた、大きなお城です。

 青年には、愛した女性が居ました。とても綺麗な女性です。青年にとっては、狂おしいくらいに、愛した女性です。いつもにこやかで、だけど、最愛の女性が。

 

 

 女性は、青年に教えてくれました。『愛している人がいるの』、と。彼ではなく、彼のお兄さんを愛しているのだ、と。

 

 

 青年は、それを受けいれました。受けいれて、壊れました。だって、青年は、女性を愛していただったから。

 受けいれました。受けいれて、そして腐れました。ぐずぐずに、どろどろに。反吐のようになっても。腐れて、崩れて、もう動くこともできません。

 

 

 腐れて、崩れて、青年は嘆きます。だけど、誰も助けてくれはしません。だって、青年は、女性を愛していたから。

 でも、青年は道化師と約束しました。だから、皇女さまがやって来ます。

 

 

 ほら、第三の皇女さまが来ました、黒い雪の合間にふわふわ浮いて。白い光、ゆらゆら。白い皇女さま、ゆらゆら。嘲り、笑いながら、ゆらゆら。

 皇女さまは青年に言いました、『時間だよ。イア・イア。思い出す時間だよ、イア・イア』。すると、青年はぐずぐず、ぐずぐず。腐れて、崩れて。

 

 

 青年は嘆きます。腐れるのは別にいい。ただ、あの子に伝えたかったと。言葉にしたいことがあったと、嘆きます。

 でも、皇女さまはなにもしてくれません。誰も助けてくれはしません。この鋼鉄の都市では、自分の事は、自分でしなくてはいけないから。

 

 

 

 

 

 

 

Q、世界とは?

 

 

 

 

 

 

 

 どうしますか? 誰も助けてくれはしません。青年は嘆くばかり。どうすれば良いですか?

 

 

 

 

 でも────

 

 

 

 

 もしも────

 

 

 

 

 あなたが────

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 

 あの夜から、一週間後の安息日の日。黒い雪の降る、その日。わたしは、ユーラシア大陸を横断するシベリア機関鉄道の駅舎に居た。黒い雪は天井により遮られて、寒さは暖房機関により外に追い出されていて。

 そんな、モスクワ駅構内で。わたしは、三人の前に立っている。

 

 

「わざわざ見送りに来てくださって、ありがとうございます、アンナさん」

「本当に。ご迷惑じゃなかったかしら?」

「い、いいえ、そんなことありません。それに、お渡ししないといけないものもありましたから」

 

 

 にこりと微笑んで、アレクセイ君とカテリーナさんが口々に申し訳なさそうに。だから、むしろわたしが恐縮してしまって。だから、慌てて、鞄の中から一通の封筒を取り出して。

 

 

「あの、これ……印刷した篆刻写真です。皆さんの」

「あら────」

 

 

 頭を下げて、熱くなった頬を隠しながら。だって、気に入って貰えるか不安だから。わたしとしては会心の出来だけれども、外の人もそうかは分からないから。

 受け取ってくださったカテリーナさんは、中身を取り出して。それらを眺めて────

 

 

「まあ、こんなに綺麗に撮って貰えるなんて……ほら、あなたもご覧なさいな、アレクセイ」

「はい、姉さん────わあ、すごいや」

 

 

 また、さっきよりも微笑んでくださって。アレクセイ君も、同じく。同じく、更に眩しい笑顔を見せてくれて。

 

 

「兄さん、兄さんもご覧よ!」

 

 

 そして、『その男性』にも、篆刻写真を見せて────

 

 

「────ああ、よく撮れている」

「あ────ありがとうございます、イヴァン先生」

 

 

 穏やかに頬笑むイヴァン先生にも、見せて。イヴァン先生も、やっぱり、もっと微笑んでくださって。わたし、それに恥じ入って。

 

 

「流石は、篆刻写真家の卵だな、ザイツェヴァ?」

「う、うぅ……せ、先生。それは」

 

 

──キュルキュル、と。金属の軋む音を立てながら。動かなくなってしまった両足の代わりの、車椅子の車輪を回しながら。心因性のものだろうと医者が判断した……つまり、匙を投げた……両足の代わり。

──数日前に、療養のためにモスクワ大碩学院を辞したイヴァン先生は、微笑んで。わたしの、少し、いいえ、かなり恥ずかしい夢のことを言ったから。

 

 

「────ところで、あの、ドミトリーさんは……」

 

 

 だから、話題を変えようと。ここに居ない、カテリーナさんの旦那さまのことを口にして。

 

 

「ああ、あの人なら────置いてきちゃったわ、目覚ましを三時間後にずらして。あと、財布を持ってきて、ね?」

「え、ええっ?!」

 

 

 物凄く、意外な言葉を聞いてしまう。まるで、悪戯っこみたいにペロリと舌を出したカテリーナさん。今ごろはまだ眠りの壁の彼方だろうけど、この後、ドミトリーさんの経験するだろう未曾有の窮地に同情────は、あんまりしないけれど。

 

 

「まあ、いい薬でしょ、これくらいの苦労は。()()()、私も浮気相手もそっちのけで、素っ裸でホテルの外まで逃げ出したような人には」

「あ、あはは……」

「……はは」

 

 

 それと、力なく苦笑するアレクセイ君とイヴァン先生も。もしもここにリュダがいたら、『それってすごくエイダ主義的ですよ!』なんて喜びそうな台詞に。

 ポー、と。列車の汽笛の音が重なって。吹き出された排煙が、虚空に消えて。

 

 

「────ああ、そろそろ発車時間みたいね」

 

 

──発車時間。つまり、お別れの時を告げる音が、木霊して。

 

 

「そろそろ、入りましょうか。姉さん、兄さん。それでは、失礼します、アンナさん」

「ええ、そうね────じゃあ、さようなら、ザイツェヴァさん」

「……ではな、ザイツェヴァ。応援しているよ、君の、夢を」

「うん、さようなら、アレクセイ君、カテリーナさん。はい、ありがとうございます、イヴァン先生」

 

 

 汽笛の告げる通り、三人は去っていく。『ウラジオストク行き』の、砲弾列車に乗って。『サンクトペテルブルク行き』では、なく。

 未来に向かって。過去を振り払って。真っ直ぐに。その未来に光があるように、わたしは、祈ろう。

 

 

「────そうだわ、ザイツェヴァさん」

 

 

 と、カテリーナさんは、イヴァン先生の車椅子を押しながら。最後に、また、悪戯っこみたいに。

 

 

「あのね────」

「────はい」

 

 

 最後に。穏やかに、言葉を。

 

 

「好きな人には、ちゃんと、気持ちを伝えてね」

「は、い」

 

 

 口にして。懐かしむように、微笑んで。釣られてか、イヴァン先生にアレクセイ君も、皆が。こっちを向いたまま、微笑んでいて。

 

 

「────しっかり、彼を、繋ぎ止めておくのよ。私達のようには、ならないように」

「────」

 

 

 その言葉を、聞いて。わたしは────ますます恥じ入りながら。恥じ入りながら、それでも。

 

 

「────はい!」

 

 

 負けないように、笑顔を返して。ライカ社製の、篆刻写真機を取り出していて────

 

 

 

 

 

 シャッターを、切って────

 

 

 

 

 

 笑顔を────

 

 

 

 


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