銀雪のアイラ ~What a Ernest Prayer~   作:ドラケン

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拙作を開いていただき、誠にありがとうございます。ドラケンと申します。

暫く執筆を離れていましたが、スチパンシリーズの最新作が出るとの事で執筆致しました。

拙い作品ですが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。


第一章 銀雪の都市
白兎 ―Белый кролик―


 

 

──悲鳴が木霊している。絶叫が木霊している。赤い、紅い。ああ、此処はなんと紅いのだ。

 

 

 硝子越しに見下ろす眼下には、深紅が満ち溢れている。誰もが悲鳴を、誰もが絶叫を。耳を(つんざ)く程、喉が張り裂ける程、口々に。紅蓮の炎に焼かれ、血に塗れた銃と剣を持つ殺戮者達に怯え、無力にも神に縋りながら一人、また一人と。

 国と言う枠組みの崩壊の只中では、良くある事だ。処刑場(ロブノエ・メスト)に引き出された者達は、憎悪と怨嗟と共に、ただの血飛沫と肉塊に変わって。

 

 

 誰一人、逃げられはしない。この城壁(クレムリ)の中からは。我が生け贄達よ、我が救済を受け入れた者達よ。君も、君も、君も。誰一人、そう、誰一人。

 君達は(すべから)く、我が『蠱毒』を為す要素であるのだから。

 

 

「……滑稽かな、滑稽かな」

 

 

 思わず、笑いが零れる。熱の無い室内に解き放たれた吐息は白く霞み、やがて消えていく。寒い、此処はなんと寒いのだ。だが、ああ、しかし──心は今までに無いほどに昂っている。

 まるで煉獄(カルタグラ)の讃美歌のようではないか。これを東洋の宗教では、仏教ではそう、阿鼻叫喚地獄(アビーシ)と言うのだったか。

 

 

「では、始めようか」

 

 

──偉大なる実験と、深遠なる認識の開始を。

 

 

 充分だ。駒はこれで揃った。後は、仕上がりを待つのみ。見ているがいい、《黄金王》よ。見ているがいい、《時間人間》よ。見ているがいい、《黒の王》よ。見ているがいい、《白い男》よ。

 あと一人、あと一人だ。()()()()()を門の灯火に()べた時、我が悲願は成就する。

 

 

 白い息を氷点下の室内に撒き散らす。その有り様に、沸き立っていた心が冷えきる。乖離していた室温が帰ってきたかのように、血流すら滞りそうな旭北の大気の冷たさを思い出して。背後の扉の向こう、迫り来る複数の足音。獰猛な獣を思わせる乱雑な足音すら、遠く聞いて。

 そうか、私は笑っているのか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「見つけたぞ、道化師(クルーン)め──妖術師(カルドゥン)め!」

「殺してやる、殺してやる、《黒い悪魔(チェルノボグ)》め!」

 

 

 そんな呆れた意地汚さに辟易と、両腕を広げて。蹴破られたドアの向こうから現れた赤い軍服の男達に。小銃を構え、憎悪と狂騒に吼える獣のように。爛々と、昆虫の複眼じみた万華鏡の眼を血走らせた男達に、まるで託宣者の如く鷹揚に。

 

 

「────此処に、モスクワ実験の開始を告げよう」

 

 

────────────血が流れている。ぽたり、ぽたり。血が溢れている。ごう、ごう。

 

 

 逆上した銃口から一斉に放たれ、身を貫く鉛の欠片すら愛おしむように抱き締める。身を割く苦痛すら、慈しむように受け入れる。零れる端から血も凍るような、この北の果てで。

 

 

──どうした、早く殺して見せろ。早く、私を()してくれ。

 銃で撃って死なぬなら殴れ。殴って死なぬなら剣で刺せ。刺して死なぬなら毒を盛れ。盛って死なぬなら凍った川にでも投げ込むがいい。そして────

 

 

「そして私に、《夢の都(アイラ)》を見せてみろ────」

 

 

 口々に罵詈雑言を吐き、刃を引き抜く兵士達。そうだ、それでいい。さあ、殺すが良い。私もまた、我が『蠱毒』を為す要素の一つであるのだから。

 嗚呼、これこそが真なる我が夢、我が愛。黄金螺旋階段など要らぬ。その始源にして終焉の果てである────────

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 

──ゆめを、みていた。だいすきな■■■■と、■■■■と、■■■■たちと、■■■■■■が、わらっているゆめ────

 

 

「ニャ……ア……ってば…………」

 

 

──ああ、なんて幸せなんだろう。ああ、なんて目映いのだろう。分かっているから。あれは、もう、二度と────…………

 

 

「ア…………ニャってば…………ああ、もう!」

 

 

──ああ、耳元で声がする。耳元で、誰かが嗤っている。誰だか、よく分からない。なのに、よく聞いて、よく知った声が──────

 

 

『────こんにちは、アナスタシア』

 

 

────目覚める時だ。そして、

 

 

 ああ。視界の端で、道化師(クルーン)が────

 

 

「────アンナ・グリゴーリエヴナ・ザイツェヴァ! 講義の最中に居眠りとは何事か!」

「ひゃ────ひゃい、先生! 寝てまふぇん、祈りを捧げていただけでふ!」

 

 

 耳元で弾けた強い声に、思わず直立不動する。はしたないなんて言ってられない、袖で口許の涎を拭う。不味い、居眠りした。教科書、何ページ?!

 ボヤける眼を限界まで凝らし、見詰めた目の前には──同じく直立不動で、銀色の長い髪の、血のように(あか)い瞳の、幼いとすら言える少女。それが、此方を睨み付けるように立っていて…………って。

 

 

「あれ…………私が、居る?」

 

 

 我ながら間の抜けた声でそう呟けば、目の前の少女も眉尻を下げて困惑している。と言うか、当たり前だ。だって、それは鏡台に映った私の姿なんだから。

 

 

「ぷっ…………お早うございまーす、寝坊助のアーニャさん?」

「…………ええ、どうもお早うございます、意地悪のリュダさん」

 

 

 そんな私──アンナ・グリゴーリエヴナ・ザイツェヴァのすぐ横で。忍び笑いを漏らしていた彼女と目が合う。リョドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコ。私の親友。私のルームメイト。綺麗な娘、優しい娘、スタイルのいい娘。

 

 

「まったく、器用よね、アーニャってば。朝の支度をしながら二度寝なんて」

「だ、だからって、あんな起こし方しなくてもいいじゃない。心臓が止まるかと思ったわ」

「はいはい。怖がりだもんねー、仔兎ちゃん(ザイシャ)は?」

「……リュダ、何度も言うけど仔兎ちゃん(ザイシャ)って呼ばないで」

「だったら、一人で朝の支度くらいしなさいな。文句はそれから聞いてあげるわ、仔・兎・ちゃん(ザ・イ・シャ)?」

 

 

 むくれて見せても、何処吹く風。言うだけ言って、すっかり支度を終えていたリュダが、同居しているアパルトメントの軋む扉を開いてリビングに歩いていく。綺麗な娘、優しい娘、スタイルのいい娘。暗い金髪と緑の瞳が色っぽい娘。そしてやっぱり、意地悪な娘。普段は大好きだけど、こう言うところはやっぱり苦手。貴女は私のお母さん(マーマ)か。

 とは言え、真実には違いないのだけれど。壁掛けの時計を見れば、碩学院の授業までは二時間を切っている。早く支度しないと、朝御飯を食べている時間が無くなっちゃう。

 

 

 急いで髪を梳いて、結う。腰まで伸ばした、密かに自慢の私の銀髪。それを二房に分けて、それぞれの根本で結う。そんな自分を鏡で見れば、嫌でも思う。

 二房に分けた銀髪に、赫い瞳。兎そのもの。リュダから『仔兎ちゃん(ザイシャ)』なんて呼ばれる理由。『子供っぽい』と良く言われるけど、私は好きだから止めない。

 

 

 ええ、意地になってるだけだけれど。

 

 

「アーニャ、コーヒー入ったよー! また寝てるんじゃないでしょうねー!」

「寝てません、今行くわー!」

 

 

 いけない、一人百面相なんてしてる場合じゃないんだった。慌てて鞄を掴み、リビングに向かう。

 がちゃりと、立て付けが悪くて軋む扉を開ければぷんと薫るコーヒーの薫り。そして乳蕎麦粥(カーシャ)とサーモンのブリヌイ、カトレータとビーツのサラダ、キノコのピクルスが乗せられた皿。食卓に着きながら、相変わらず朝から手が込んでるな、と感心してしまう。

 

 

「さぁ、食べた食べた。まさか、リュダさん特製の朝御飯を残したりしないわよね?」

「はいはい、残しませんとも。私に朝御飯の習慣を付けさせた張本人のリュダさん?」

 

 

 正直、まだ慣れないけど。リュダを悲しませたくはないもの。食べ物も無駄にしたくないし。

 

 

「「頂きます」」

 

 

 食事の前に祈りを。後、一時間半。碩学院まではモスクワ地下鉄(メトロ)で二十分掛からない。うん、間に合う。間に合うわ。大丈夫。

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 

 寮に程近い電気工場駅(エレクトロザヴォーツカヤ)から二つ先。革命広場駅(プローシャディ・レヴォリューツィイ)で、私達は地下鉄を降りる。

 切符も兼ねる機関カードにして学生証で支払いを済ませれば、目の前にはソヴィエト革命の成功を記念する様々な銅像が壁龕に並ぶ、この駅。その中で私は、軍用犬と共にオスマン機関帝国を睨み据える国境警備兵の銅像の前に立って。

 

 

「今日の試験にも受かりますように。お願いね、ジェミー」

 

 

 右手を伸ばして、その銅像の犬の鼻を優しく撫でる。つるつると磨耗したそこ。『学生がここを撫でると、試験に受かる』との噂がある場所。きっと今日も私だけじゃなく、大勢が撫でたはずの場所を。

 

 

「そういうのは自分の努力で頑張るワン、仔兎ちゃん(ザイシャ)

「……なによ、リュダ。私の勝手でしょ」

「勝手すぎるわよ。第一、何勝手に公共物に名前なんてつけてるのよ」

「い、いいでしょ、別に!」

 

 

 そんな私を叱咤するように、こう言う縁起担ぎを嫌うリュダが呆れた声を出す。暖房機関(ウォームエンジン)で暖められてはいるが、外界に接する駅構内には冷たい風が吹く。毛皮の帽子を被り、碩学院合格のお祝いに貰った紅いコートの襟を上まで閉じてマフラーを巻き直しながら、私は先を歩く彼女を追う。

 

 

「情けないって言ってるの、アーニャ。碩学院の学生ともあろう者が、機関文明華やかなりしこの二十世紀で、迷信に縋るなんて」

「はいはい、悪うございました、エイダ主義の急先鋒であらせられるリュダさん」

「なによ!」

「なによー!」

 

 

 カダスに端を発し、新大陸や欧州で声高に叫ばれている女性の社会進出を尊ぶ思想、エイダ主義。

……別にそれが悪い事だとは思わないのだけれど。私には私の考えがあるのだから、押し付けないで欲しいわ。

 

 

 そして長い階段を上り、歩き出たモスクワ市街。永遠の灰色曇と機関排煙に覆われた薄暗い市街、極北の凍てつく風が、機関煤に塗れた銀色の雪を孕んで吹き付ける町並みに。

 言い合っていた私達は揃って白い息を吐きながら、マフラーを更に持ち上げて鼻先まで覆う。寒さだけではない。機関排煙と、この銀色の雪を吸い込まないように。

 

 

「今日はまだ良いけど……明日あたり《黒い雪(チェルノボグ)》が降りそうね」

「そうね……」

 

 

 隣を歩くリュダが、ぽつりと溢す。《黒い雪(チェルノボグ)》、則ち、高濃度の機関排煙に汚染された黒い雪。触れただけでも肌が炎症を起こし、目に入れば失明の恐れすらある。吸い込めば肺を腐らせ、遠くない未来、蒸気病で命を落とす事になる。

 火の落ちる事の無いチェルノブイリ皇帝機関群が全力稼働した翌日に、空から降りて来る悪魔。モスクワの人々はそれを恐れ、または憎々しげに《黒い雪(チェルノボグ)》と呼ぶ。

 

 

 それも結局は自分達のより良い暮らしのためなのだと、色濃い諦めと疲れを瞳に宿しながら。

 

 

 誰もが、空を見ることを最早忘れてしまった。黒い悪魔が降りて来るだけだから。誰もが、空を見ることを最早忘れてしまった。黒い悪魔に足元を掬われるだけだから。誰もが俯くように、足早に、仕事先や学校に向かうだけ。

 『働かない者に、学ばない者に。ソヴィエトに従わぬ者に、生存の権利はない』。そう、人民議会(ソヴィエト)が決めた。その死の都市法に乗っ取って、昨日の夜も。私が安息に微睡んでいる最中にも、何人が『死の扉叩き(スターリン・ノック)』を受けたのだろうか。

 

 

 物思いに耽る中でも、歩き慣れた道を間違える事はない。開けた場所、モスクワ中心部である『赤の広場(クラースナヤ・プローシシャチ)』。

 南西にクレムリンの城壁と大統領官邸、レーニン廟、北東にグム百貨店。北西に国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東に聖ワシリイ大聖堂を望むこの広場まで来れば────国営碩学院までは、あと一分。いいえ、二分。

 

 

 最後に一度、町並みを見る。遠く、チェルノブイリ皇帝機関(ツァーリ・エンジン)群が吐き出す排煙の柱。そして、晴れる事の無い灰色曇から煤に塗れた銀色の雪が降る城壁(クレムリン)の町並みを見る。

 暖房機関に暖められた室内との気温差は、優に摂氏三十度を上回る。前世紀から、機関文明の発達と共に春の来なくなったこの国。かのナポレオン・ボナパルト皇帝すら逃げ帰った、苛烈なる冬将軍(ジェド・マロース)閣下のお膝元。

 

 

 その寒さから蒸気変換効率が悪く、『機関(エンジン)の恵みから見放された土地』と揶揄される我が祖国。

 西享最北の軍事大国、世界初の社会主義国家。その財産はおろか、個人の生き死にすらも政府(ソヴィエト)に管理、支配された共産主義の国。偉大なる指導者ヨシフ・ヴィッサリオヴィノチ・スターリン同志の率いる、溶ける事の無い永久凍土のシベリアに閉ざされた、この──────ソヴィエト機関連邦(フィディラニヤ・シヅラニャ)首都、モスクワの町並みを。


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