カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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蛇と鋼 ①

イタリアからゴルゴネイオンなる曰くありげな神具を携え帰国した草薙護堂への対応を甘粕と話し合った翌日。

 

その日の授業が全て終了し、帰宅する時刻となっても将悟は一切の具体的な行動に出ていなかった。彼を良く知る人間に言わせればこれは中々珍しい事態である。

 

本来赤坂将悟は決断を迷わない、何一つ行動の指針となるものが無い混沌とした状況でも勘に任せた即断即決を身上として幾度となく容易ならざる状況を乗り越えてきた。

 

甘粕が少々強い口調で軽挙を諌めようと関係ない。将悟は己の勘働きを信頼していたし、言って聞くような殊勝な性格でもない。本来なら朝一番に草薙護堂が在籍するクラスに足を運んでいるはずだった。

 

ならば何故彼は動かないのか? 答えはシンプルだ。

それは自らが動くことなく状況を動くのを待っているからである。

 

「失礼いたします」

 

(シン)、とそこそこ賑やかな教室の空気に染みいるような穏やかで気品のある声音。けして大きくないはずなのに不思議と耳を奪われた者達が教室の入り口に視線を向けるとそこにはひっそりと咲く華の風情を身に纏う少女。

 

「赤坂さんはいらっしゃるでしょうか? 少々お話があるのですが」

 

酷くこわばった、しかし鈴が鳴るような凛とした声。聞き覚えのある、しかし聞き慣れないこの声の持ち主にもちろん心当たりがあった。同じ学校に通う同業者であり将悟も認める巫力の所有者、ついでに言えば清秋院恵那の親友でもある。

 

「万里谷か。珍しいな、そっちから話しかけてくるのは」

 

万里谷祐理。

関東の要地の一つ、武蔵野の霊地を預かる当代屈指の霊力を誇る媛巫女である。

 

だがそんな表に出せないプロフィールの方は教室の居残っていた面々にはあまり関係が無い。普段目立つことが無い将悟を学園一の高嶺の花が名指しで呼びだした、という事実こそが最も重要だった。

 

何故あいつがと驚愕を視線に込める者もいればごく少数だが苦々しげな表情で将悟を睨む者もいる。尤も二人ともそんな視線を一顧だにせず、お互いのみを視線に捉えていた。

 

祐理は世間慣れしていないが故に空気を読むのが苦手であるために。

逆に将悟は場の空気を読んだ上で完璧に無視していた。

 

「甘粕さんから伺った委員会の仕事に関して少々お話が……。ここではなんなので場所を変えてもよろしいでしょうか?」

「分かった」

 

このタイミングで仕事に関する話とくれば該当するのは一つしかあるまい。ノータイムで頷くと祐理は礼を失しない程度に安堵の表情を浮かべた。

 

「ありがとうございます。ご足労かけて申し訳ありませんがこの後何時でも良いので七雄神社においでください。お待ち申しあげております」

 

そして貴人に対するかのように深々と一礼するとそのまま去っていく。その際目敏い者は教室に入ってくる時よりもほんの僅かだが足早だったことに気付いただろう。

 

最期に皆様ご機嫌よう、などとカルチャーギャップを刺激する台詞を口にして教室を去った。

 

祐理の口調は丁寧過ぎるほどに丁寧なのだが目敏い者なら会話の裏にあるぎこちなさや距離感を感じ取れるだろう。どうにも避けられているようだと将悟も感じている。

 

将悟自身は何かした覚えは無い、初めて会った時からこんな風なのだ。いままで何度も言葉を交わしたが改善される見通しは立っていなかった。おかげで彼女の友人知人からの評判は頗る悪い。特に静花という名の気の強そうな中等部の女生徒からは会うたびに鋭い視線を向けられていた。

 

将悟自身は祐理自身に対して正負の感情どちらも抱いていなかったが、彼女は清秋院恵那の親友なのだという。

 

もうちょっとどうにかならんものか、と主に親しい少女のために関係改善の糸口を探るがどうにも手応えが悪かった。もっと根本的な対策を取らねばと思うがそのキッカケすらつかめていない。

 

頭を振って思考を打ち切り、顔を上げるとそこには嫉妬と困惑とほのかな狂気を浮かべた男子生徒の面々が一様に将悟へ視線を向けていた。率直に言って相当怖い。

 

その後、祐理のファンを自称するクラスメイト達から降り注ぐ手荒い尋問(ハードネゴシエーション)に将悟が無駄なノリの良さを発揮して応戦。カンピオーネの理不尽なタフネスを以て十数人を地に沈めたあと悠々と七雄神社に下校の足を向けた。

 

以後、将悟は普段は目立たない癖におかしな場面でおかしな存在感を示す人物として学院内外に静かに認知されていくこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七雄神社で巫女服に着替え待っていた祐理の言う用件と言うのはシンプルだった。

 

甘粕から草薙護堂と己の会談を取り持つ仲介人となるよう依頼された旨を告げ、既に草薙護堂とは連絡済みであり、明日七雄神社にて会談が行えることを伝える。

 

そしてその上で彼女にとって本命であろう、将悟に軽挙妄動を慎むよう切々と説いて来たのである。

 

「委員会の方々からも出来る限りの準備を約束していただきましたがここは無辜の民草が住み暮らす都の中心なのです。御身ら羅刹王が周囲への配慮を忘れて荒れ狂えばたちまち阿鼻叫喚の巷となりましょう。なにとぞ民のことを心の隅に御留め下さいますよう―――」

 

この後も長々と続きそうな気配だったが無論将悟はそのまま大人しく説教を聞くような殊勝さの持ち合わせはない。半ば額ずくように深々と頭を下げ諫言を上奏する祐理からの視線が切れた瞬間を狙い、音もなく瞬時に『転移』の魔術を行使すると見事なサイレントエスケープをかましたのであった。

 

「…赤坂様? 一体何処に―――!?」

 

逃げられた事を悟った祐理はしばしの間絶句し、思考を停止させた。なまじ育ちが良いだけに将悟の悪餓鬼じみた行動に対処できるほどの経験がないのだ。

 

「あははっ、惚れ惚れするくらいの逃げっぷりだねー。流石は王様」

 

そうしておろおろと戸惑う祐理の背中にケラケラと嫌みのない笑いの含まれた声がかけられる。もちろん良心の呵責を感じた将悟が戻ってきたわけではない。

 

「恵那さんっ!? 何時お戻りになったのですか?」

「甘粕さんから清秋院の本家に連絡が来た時たまたま恵那がいたんだよね。新しく王様になったっていう草薙さんと戦うかもしれないって言うから慌てて飛んで来たんだ」

 

等と言う割に恵那はのんびりとしていた。一部始終を見ていたようだが今もこの場から離脱した将悟を追う様子もない。ここ最近の恵那は常に将悟の後を追っている印象があったから祐理はやや違和感を覚える。

 

「赤坂様は既に去られてしまいましたが…」

「良いんだよ、今はちょっと祐理と話したかったからね」

「私と…ですか? 何でしょう」

「うん。祐理と王様のことでちょっとさ」

 

恵那の重々しさの無い、世間話のように振られた一言にたちまち祐理の表情が暗くなる。それははっきりとした心当たりのある顔だった。

 

「…赤坂様には申し訳なく思っています」

「やっぱり自分でも分かってたんだねぇ。王様と話す時だけ露骨に怖がってたからねー」

「王の不興を買ったこの身を惜しもうとは思いません。ただ何卒無辜の民にそのお怒りが降り注がないよう恵那さんからお口添えを―――」

 

軽いままの恵那とは不釣り合いな悲壮なまでの決意を固めた祐理が口にする悲観的な内容を恵那は手を振って遮る。

 

「いやいや、恵那は祐理を責めるつもりなんて無いよ? だって王様ってさ、はっきり言って人でなしだからね。恵那が言うんだから間違いないない!」

「そのようなことは…」

「割と聞き訳が良い方だから目立たないけどね。なんだかんだ王様は自分のわがままで降りかかる周りの迷惑なんて知ったこっちゃないって人だよ」

 

困ったような顔で言葉に詰まる祐理。育ちのいいお嬢様は例え魔王の忌名で恐れられる人物に対しても“人でなし”という表現は使いたくないのだ。客観的に見ても主観的に見ても割と否定できない事実なのだが。

 

「王様ほど豪快じゃないけど恵那も似たようなところがあるからね。そういうのは分かるんだ」

「恵那さん、媛巫女の筆頭たる貴女がそのような不心得を口にするのは…」

「んー。でも祐理には嘘を吐いても意味がないし、自分に嘘を吐くのはもっと嫌だしね」

 

あっけらかんと自らの不道徳を告白する恵那を祐理は諌めるが彼女はどこ吹く風と飄々とした笑顔のままだ。そしてその風の如き掴めない笑顔のままズバリと懐に踏みこんでくる。

 

「王様のそういうところが祐理は怖いんでしょ? あの東欧の侯爵様と似ているから」

「!?」

 

恵那の確信の籠った断言に対し声に出せぬ驚愕を表す祐理。隠し事が出来ない性格の祐理らしい、親しい人間で無くてもはっきりと分かるほど図星を突かれた様子だった。

 

幼いころから親友として付き合ってきたのは伊達ではない。将悟と相対した時に見せる祐理の怯えは4年前東欧から帰国した当時ふとした拍子に表に出ていたソレとよく似ていた。

 

「隠し事は無しだよ? 祐理程じゃないけど恵那も鋭い方だからさ。嘘を吐かれたら分かっちゃうんだ」

 

しばしどう答えるか逡巡した風だったがやがて諦めたように言葉を飾るのを止めて直接的な、不敬ともとれる自身の心情を吐露して行く。

 

「赤坂様の傍で御助力し続けてきた恵那さんにはあの方の危険性が分かるはずです…。あの方の本質は侯爵様と同じ。ただ己が求めるまま他者を顧みず手を伸ばす―――“暴君”です」

 

祐理が霊視に由来する直感で受け取った赤坂将悟の本質。それは確かに一面の真実を突いていた。

 

「んー、うん。そうだね、王様はきっと民とか国とかそんなものは何とも思ってない。目に入っても意識しないカカシと同じだよ。今はまだカンピオーネになる前の常識が多少なりとも残ってるけど一度タガが外れたら行きつくところまで行くだろうね。こういった時に止まるためのブレーキが最初から壊れてる人だしー」

 

その権能をヴォバン侯爵のように積極的に民衆を虐げる方向に向けることはないだろうが一方で将悟は周囲の被害に対して大分無関心な男である。最近の出来事で言えばカルナとの闘争により面影を失う規模で破壊し尽くされた山村に対してコトが終わってから言及したことが一切ない。

 

これまでは不思議と人命が失われるようなことにはならなかったが、今後将悟が魔王として活動していく中で無辜の民衆が犠牲になる可能性はかなり高い。必要とあらば自身の手を血に染めるくらいはやりかねなかった。

 

「恵那さん…私はこれが私個人の我儘だと分かっていても―――貴女にそんな魔王(ヒト)の傍にいて欲しくないんです。貴女のことを、親友だと思っていますから」

 

飾りのない真っ直ぐな祐理の思いが込められた言葉に恵那もまた真正面から視線を合わせて答える。

 

「ありがとね。心配してくれて嬉しい、ホントだよ?」

 

でも違うんだ、と恵那は困ったように笑う。

赤坂将悟は疑う余地無き暴君だが決してそれだけの王ではない、そう恵那は思うのだ。

 

「確かに王様は人でなしで正真正銘の魔王様だよ」

 

赤坂将悟は自身の興味が向かない範囲には冷酷でさえある、この祐理の見立てはおおむね正しい。

 

「でも王様は恵那を大切にしてくれてる……そこは侯爵様とは違うよ」

 

だが恵那は祐理の知らない赤坂将悟を知っている。

 

「王様が委員会の要請に応えて神様と戦うのも恵那とか甘粕さんのためってのも少なからずあると思うし」

 

赤坂将悟は“人”が大好きだ。

それも尖った個性、癖のある性格の持ち主たちを好む。清秋院恵那然り、甘粕冬馬然り。

 

将悟は一度神様との戦闘が勃発すれば高揚するテンションに任せて行きつくところまで行ってしまうが、逆に言うと始まるまではそれほど熱心ではない。揉め事を見つけるのは得意だが必ずしも揉め事に首を突っ込むのが好きなわけではないのだ(ちなみにこの場合における将悟の判断基準は“面白い”かどうかであり、この基準外の揉め事に対しては明らかに不熱心な態度を示す)

 

でありながら何故そうした気が乗らないはずの神様絡みの厄介事に対しても厭いはすれど逃げることなく向き合い続けるのか?

 

この疑問の鍵を握るのは将悟が仲間と認め、時に戦場にすら伴う恵那と甘粕の存在である。

 

彼が親しい者に与える庇護は周囲が思う以上に広く、深い。単に贔屓する個人だけではなくその人物が所属する集団、社会、共同体もまた庇護の対象に含まれるのだ。人は一人では生きられない、社会と言う群れの中に生きる生き物であるが故に。

 

例えば清秋院恵那が適度に刺激的な生を謳歌するためにスサノオや万里谷祐理がいなくてはならないように。あるいは甘粕冬馬が日々平穏に暮らしていくために日本国と正史編纂委員会の存続が必須であるように。

 

彼ら彼女らの所属する世界を乱す可能性がある者を将悟は排除するだろう。特に周囲にもたらす影響が極めて大きいまつろわぬ神などは最優先で排除すべき対象であり、それに準ずる全てもまた潜在的な排除対象である。

 

凄まじく遠回りで分かり難く、本人も一切口にすることが無いためこれまで恵那を除いて誰一人として気付くことが無かったが―――これが赤坂将悟の与える庇護なのだ。本人が自覚しているかもかなり怪しいのだが(これだけ聞くと美談で済ませられないこともない話だがその過程で周囲が多大な迷惑を被ってしまうあたりがカンピオーネクオリティである)。

 

さておきこうした将悟の人となりについて恵那もまた感覚的に把握しているものの明確に思考として言語化出来ているわけではない。したがって祐理に伝える言葉もどうしても抽象的な物になってしまう。

 

そんな有様だから説かれた祐理も腑に落ちない表情を浮かべている。一体何が言いたいのか、何故そのようなことを言うのか。二重の意味で疑問を浮かべる祐理にどう言い聞かせたものかなと首をひねる。

 

(今のままだと祐理って結構危ないんだけどなー。その癖本人全然気付いていないしー)

 

世間知らずの祐理には知る由もなかったが現在彼女の将来に様々な影を落としかねない危機が迫っていた、それも割と洒落にならないレベルの。

 

実のところここ一年で祐理の立場は微妙なものになってきている。以前まではその傑出した霊視の力量によって下にも置かぬ扱いをされていたが、最近では委員会の中から彼女を持て余している気配があった。

 

原因を挙げるならやはりカンピオーネ赤坂将悟との微妙な関係だろう。将悟の周囲には彼の気に障らない程度に人の目が入っており、祐理と将悟のぎこちない距離感は多少だが学内の噂にもなっている。委員会の耳に入らないはずが無かった。

 

彼の逆鱗に触れる前に両者の距離を置いてはどうか、という意見は一定数存在した。その裏にはやはり魔王の逆鱗に触れることへの恐怖があったし、恐れられるだけの所業を将悟は何度も過去にやらかしている。

 

何を言っても悪口にしかならない人物の話はさておき。

 

二人の距離を置く、と言うと穏健な風に聞こえるが下手をすれば祐理に人里離れた学校の寮に放り込み、隔離された生活を送らせるくらいのことは起こりうる。おっとりした祐理のことだから深く気にせず適当な理由を付けて諭せば粛々と受け入れるだろう。そしてそのまま日の目を見ない左遷のごとき人生が決定しかねない。

 

また媛巫女は類稀な血脈の持ち主として正史編纂委員会から婚姻に関して干渉される可能性がかなり高い。自由な恋愛結婚など夢のまた夢だ。

 

祐理は掛け値なしに美しい少女であり、その霊視力は世界全体で見渡してもなお稀少なレベルだ。そんな彼女ならば”傷モノ”となってもその血を取りこみたがる家は多いはずだった。ただしその中に魔王の怒りを買う危険を冒してまで引き入れたいと思うまっとうな家柄はそうないだろう。脛に傷を持つ、または衰退しつつある家が割合としては大きくなると予測出来た。

 

そんな家に嫁いで果たして祐理は幸せになれるのか。結婚してから愛を育むことは出来る、金銭の多寡が必ずしも幸福に結びつくわけではない。だが金銭的、立場的な余裕はあるに越したことはないし、稀少な媛巫女である祐理は選ぶ側だ。いずれ政略結婚を受け入れざるを得ないにしてもその際の選択肢が広いに越したことはない。

 

奔放な野性児である恵那だが名門武家の子女として教育を受けただけあってその辺りの機微は下手な政治家よりもよほど分かっている。彼女の親友を自任する恵那としては現状を放置し、不幸な境遇に陥ってしまうことは色々な意味で避けたかった。

 

避けたいのだが、この状況を言葉一つで覆せる自信など欠片もない。直感と行動力は抜群に優れているがややこしい状況を快刀乱麻に断つ頭の回転と弁舌にはとことん適性が無い少女なのだ。

 

「仲良くなってとか無理は言わないからさ…一度王様を見てあげてくれないかな、霊視じゃなくて祐理の目で」

 

憂鬱な心境を飄々とした笑顔に隠しながら、結局そう伝えるのが精一杯な恵那であった。

 

 

 

 




恵那さんてばマジ苦労人でイイ女。
にしても俺ってなんでこの話書いたんだっけと書き終えてから困惑。

別になくてもよかったような…でも書いたからとりあえず上げます。


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