荒ぶる狩猟団はサマセットの上空を縦横無尽に駆け巡る。
彼らに状況を理解し、理性ある言葉を発するほどの高等な意識はない。
その在り方は人格神というよりも嵐や土砂崩れのような災害に近い。出遭えば遭遇者の勇気とユーモアを試し、目撃したものに災厄を振りまく。
まつろわぬ者として顕現したため時期や場所を選ばず、延々とそれだけの行為を繰り返す自然現象に等しい。
だが彼らにも自己保存の本能らしきものは残っており、脅威に対しては敏感だった。
「よう。さっきぶり」
例えば、眼前の呪力を漲らせた少年のような。
音もなく『転移』で現れた少年は一定の距離を保って、ワイルドハントと対峙していた。
「そうは言ってもまともに会話が成り立つわけでもないが」
『吠えろ、猟犬ども。我が到来を知らせるがいい』
燃える火のように輝く両眼をぎらつかせた漆黒の猟犬が嵐の轟に負けぬ勢いで吠えたてる。一層強く吹き荒れる暴風がのどかな田園地帯を揺さぶり、草木をざわめかせた。
『我はアーサー王。荒ぶる群勢、嵐の王』
「違うね。お前はアーサー王を名乗る亡霊どもの纏め役。ただそれだけの役割を与えられた影だ」
木の影か、壁に向かって話しかけているように無感動な調子だった。
『今宵、貴様に試練を与える。成功すれば黄金を、誤れば我らの旅に加わることとなる』
対し、狩猟団の頭領は壊れた蓄音機のように神話伝承の通りに動くだけだ。
「……もうちょっと話が通じれば少しはやる気も出るんだがな。これじゃほんとに害虫駆除みてーなもんだわ」
やる気なさげにつぶやき、さっさと終わらせるかと右手に握った”剣”を引き抜く。
「お前には名前が数多ある。ワイルドハントはその一つに過ぎない。ガンドライド、メニー・エルカン。ユーラシアのほとんどの地域に伝承が伝わり、それに伴って枝葉末節が付け加えられたからだ」
”銀”が溢れだす。
「その中でも主宰神は多種多様だ。アーサー王、オーディン、ヘルラ王。一々数を挙げればキリがないけど、実は過去に遡るごとに明確な傾向が現れる」
テニスボールサイズの光球は徐々に数を増やし、内に秘めた鋭さで
「それは主宰神が男神ではなく、女神…それも大地母神が主流だったことだ。9世紀頃に記述された『司教法令集』は
ちなみに南ドイツではホルダの名で崇拝された女神は北ドイツではペルダと呼ばれ、やがて新約聖書に登場するヘロディアと結びついたという。ホルダだけではない。ディアナ、ホルダ、オリエンテ婦人、ヘカテ―、ヴェネス婦人、妖精女王。数多の地域で、数多の女神が女達を率いている姿が目撃されている。
「そんな女神たちに代わってやがて英雄が率いる死せる男たちの群れが台頭する。さながら《鋼》の英雄と大地母神の関係のように」
《鋼》に属する英雄たちの多くが、古くは大地母神とその息子の関係だった。彼らは神話上のパートナーであったわけだが、あくまで女神が主体であり、配偶者である息子はオマケだ。だが時代が下るにつれて『魔力を持つ女性と、彼女の庇護を受ける英雄』へと主体が女神から英雄へと変化していったことはよく知られている事実である。
「お前が名乗るアーサー王ら英雄たちが主宰神として主流になったのは概ね11世紀以降のことだった。この事実がお前とお前を助ける発光体…大地にまつわる神力との関わりを暗示しているんだ!」
浮遊する銀の光球が一〇〇を超えたところで遂に一群の光球を動かす。流星雨の如き軌跡を描いてワイルドハントに殺到する”銀”は文字通りあっと言う間に死霊たちを雲散霧消させていった。
「流石にサクサク削れるが…意味がないな」
切り裂いていく速度は圧倒的だがやはり減った分は例の発光体によって補充されていく。
「となれば”石”と奴らのつながりを断ち切ってから、全部まとめて消し飛ばすのが手っ取り早いか」
『剣』の言霊は神話伝承に由来する存在を根こそぎ断ち切り、討ち倒す刃。ならばワイルドハントと竜骨らしき例の”石”の繋がりを切り裂くことも可能だ。そうなればあとは一息にワイルドハントの息の根を立てばよい。
将悟は一気呵成に始末をつけるべく、下手な攻勢は手控えて言霊を紡ぎ、『剣』を続々と生み出していく。
「―――これらの女神が率いる集団はお前たち男神が主宰する集団とはある種対極の関係にある。尤もそれは相容れないという意味じゃない。言うなればコインの表と裏みたいなものだ」
次々と現れていく”銀”を薄く、しかしけしてワイルドハントを逃がさないように広く展開していく。
「ワイルドハントは現世と冥界の境界が薄れる時期にだけ冥界から上がってくる死霊の集団だ。対して女神が先導する女達は現世に生きる生者であり、幽体離脱のような恍惚状態で動物に乗って死後の世界へと旅をする。生から死、死から生へと転じるこれら『夜間に飛行する集団』の背景にはキリスト教以前の異教信仰の痕跡が読み取れる」
今もユーラシアの各地に足跡を残す古代における豊饒儀礼を表す神話の名は―――
「”冥界下り”だ」
イシュタル・イナンナが冥界へと下る場面と、女神の伴侶であるタンムーズ・ドゥムジが現世への復活を許され上っていく場面はメソポタミア神話でも屈指のハイライトだろう。
またはギリシャ神話の穀物神アドニスも豊饒と冥府の女神ペルセポネーと一年の1/3を共にし、死と復活のサイクルを繰り返すと言う。
これら冥界下りに端を発する伝承は欧州各地に、変化形を含めれば汎ユーラシア的に広がっている。
「冥界下り。あるいは殺す女神と殺され、復活する男神。大地母神と穀物神。この両者は役柄こそ違うけどともに大地と豊饒、冥府と不毛のサイクルを象徴するカップルでもある」
言霊が尽きつつある、言い換えれば将悟の準備が万端整いつつあるのを感じたのかワイルドハントは本能に従って比較的密度の薄い”銀”の包囲網の一画を突き破ろうとする。
「お前らを生かし続ける”石”の由来、大方大地母神が遺した竜骨と言ったところだろう。はるか淵源にまで遡ればお前らと大地母神は表裏一体を為す関係だったことを考えれば納得のいく話だ」
だがそう易々と思惑を叶えてやるほど将悟も甘くは無い。死霊たちが移動した分だけ『剣』の包囲網も移動させ、無駄な消耗を避ける。
「女たちは冥界へ下り、男たちは冥界から上ってくる。行為としては真逆だが表すところはどちらも同じ…。古代の豊饒儀礼に淵源を持つ伝承の変化形―――それがお前ら、数多の名前を持つ『
そうして、ようやく全ての言霊を吐き出し終えた将悟が酷く冷静な目つきで
空に顕れた月の欠片、煌々と輝く銀河の如き光の群れは今や一片の綻びもなくワイルドハントを取り囲んでいた。呻くように、叫ぶように声を上げる首領にもはや手は無い。
「終わりだ」
騒動の収束を締めくくる一言は、酷くあっさりと零れ落ちた。
それを合図に殺到する月の刃はワイルドハントを構成する亡霊群を真夏の太陽に照らされた氷よりもあっさりと消滅させていく。なにせ『剣』の一つ一つがワイルドハントにとって必殺を意味し、頼みの綱である竜骨とのつながりすらあっさりと断ち切る鋭さを秘めているのだから。
草でも刈るかのように死霊たちを薙ぎ払う銀の剣群。最早蹂躙とすら言える圧倒的な攻勢にも将悟は油断しない。例の”石”を見逃せば結局元の木阿弥に戻るだけなのだから油断のしようがない。
だがあっと言う間にその数を減らしていくワイルドハントの中から、小さな発光体が飛び出した。そのまま高速で『剣』が荒れ狂う戦場から一直線に離れようとする。恐らくはワイルドハントが最期の悪足掻きで要となる”骸”を安全圏へ飛ばそうとしたのだろう。
「あった! 王様!」
「ええ。王よ、『剣』で女神の骸とワイルドハントのつながりを斬り裂いて!」
と、遠方から俯瞰して情勢を伺っていた巫女たちが嵐吹き荒ぶ中それぞれ霊的な絆や魔術を駆使して王に注意を呼びかける。
「見つけた」
そう酷薄に呟く将悟の視線は機械さながらに熱を感じさせない。将悟にとってこの蹂躙はそれこそ作業、それも特に気が乗らないボランティアのような億劫なタスクに過ぎない。元から戦うのが好きという訳でもないのだ。
無造作に『剣』を一つ、ワイルドハントを蹂躙する群れの中から手元へと呼び出す。そのまま急速に遠ざかっていく”石”を視認。遠ざかっていく速度は音に近かろうがなに、雷と同じ速度で動くまつろわぬ神と比べれば止まっているのと同じだ。
ス、と心の動きを全て胸の底に沈め、精神を一点に集中。恐ろしく無造作に『心眼』を発動する。ヴォバンとの死闘で開眼した技能に習熟しつつある証左であった。
神速すら見切る霊眼が彼我の距離と相対速度、射出された角度を見抜き、これから描く軌跡を脳内でシミュレートする。己にだけ視える的がうっすらと輝く軌跡の上に出現、心のうちでタイミングを計り―――
音もなく、閃く。
一条の流星の如く、夜空を切り裂いた銀月の切っ先がはるか昔に大地母神が遺した骸を刺し貫いた。非物理的な、神話伝承にまつわる事象を切り裂く刃は骸を一切傷つけることなく、ただワイルドハントとのつながりだけを断ち切ったのだった。
「これでほんとに詰みだな」
尤も厄介な再生力は封じた。ならばあとは塗り絵のようなものだ。
銀光の群れが渦を巻く。竜巻のように、檻のようにワイルドハントを閉じ込めると高速で回転する剣が一人余さず亡霊集団を切り裂いていったのだった。
かくして手古摺った割にはあっけなくワイルドハントを端緒とする騒動はその幕を下ろした―――わけではなかった。
「王様、お疲れさま」
「危なげなく終わりましたね。流石はカンピオーネ、と言っておきましょうか」
今度こそ終わった、と確信した女達が近寄って声をかけてくる。周囲には最早以上の気配はない。サマセットを覆っていた黒雲は急速に去り、濡れた雨露だけがその痕跡を示している。
だが将悟は少女たちを顧みることなく真剣な表情で集中している。
「おかしい」
「―――どうしたの?」
全身から微量の呪力を発し、何らかの魔術を行使していると思しき将悟に向けて真剣な問いを向ける。
「例の”骸”、あれがどこにも見当たらない」
「あ…。でも、王様が『剣』で斬ったよね? そのせいで力を失ったとか」
「あの程度で竜骨が消えてくれるものか? それに…」
訝し気に言葉を切る将悟に、思わず問いかける。
「それに?」
「なんか、嫌な予感がする」
「…うわぁ」
フラグが立った。それも思い切り怪しいのが。
思わずげんなりとしてしまう恵那だった。
「あの…それって英国にいる間に起こります? 何時まで滞在されるんでしたっけ?」
「露骨に面倒事が起こるなら他所で起こらないかなーって顔するなよ、姫さん」
隠す気もなくトラブルを忌憚する気配を漂わせるアリスに思わず苦笑する。
「…ま、ちょいとばかり予定とは違ったがひとまずケリは付いたんだ。良しとするべきだろうさ」
「確かにひと段落は付きましたが…また別種の問題も発生したような気がするんですが」
「世の中どうにもならないことってたくさんあるよな」
「諦めろ、と。流石は神殺しの暴君。仕方ありません。こうなれば精々英国滞在中に少しでも元を取っておくとしましょう」
かなりストレートに研究への貢献を求める巫女姫にそれは仕方ないなと苦笑気味に応じる。尤もこの程度の皮肉、将悟とアリスの間では挨拶のようなものだし、アリスも本気で嫌味を言っているわけではない。
何と言っても淑女の皮を被った野次馬根性の塊のような、一癖も二癖もある人柄なのだ。
そんな彼女のことが結構友人として気に入っている将悟はむしろ発破をかけられた気分になって、意識を直前の騒動からこれからの英国滞在に向けるのだった。
幽世にて。
『……危険な橋を渡ったが、その甲斐はあったか』
陰鬱な声で賭けの成果を検分する壮年の男。その右手には乳白色に輝く”骸”がある。
将悟が討ち果たしたワイルドハントが所持していた大地母神の竜骨であった
『未だ時至らず道歩けど半ばまで遠く。されど見ておれ、神殺し』
無造作な手つきで大陸風の短剣を”骸”に突き刺す。
すると骸から呪力が噴き出し…そのすべてがブラックホールさながらの勢いで短剣に飲み込まれていった。
だが、足りない。この程度ではまだまだ短剣―――アキナケスの祭壇が求める贄を満たすことは叶わない。
『必ずや再臨せん。貴様を討ち果たすことこそ我が本懐なのだから』
己そのものすら駒と見做す覚悟を固めた鍛冶神―――半身を捥ぎ取られた旧き《鋼》の神の独白が、その領域へと消えていった。
不穏な気配を残しつつ続く…。
まつろわぬ神と神殺しどもがバチバチやり合う中で鍛冶神が地味に暗躍する英国滞在編、はっじまっるよー。
英国争乱、エター……うっ、頭が…。