カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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新章開幕。



アナザー・ビギンズ ① 帰郷、そして

夏休み。  

 

大多数の学生にとって心のオアシスと言い切っていい時間だろう。もちろん赤坂将悟も例外ではない、いささか一般的とは言い難い肩書と精神性の持ち主ではあるが学業よりも趣味や遊びに時間を打ち込む方が当然好きだ。

 

ヴォバンとの死闘が六月、そこから病院で一ヵ月もの長期療養を過ごし、シャバに出てきたときには夏休みはもう目前だった。この一か月、自分は勿論草薙護堂も大したトラブルに遭わなかったらしい。幸先が良いな、とちょっとした感動を覚えつつ、清秋院家に“挨拶”に行ったあと将悟は早速夏休みの予定を立て始めた。

 

尤も、厳密に言えば前々から決まっていたイベントの具体的な日取りを決めるだけなのだが。

 

そのイベントと言うのは他でもない、以前から少しずつ進行していた例の共同研究を本格的に始動させるためのグリニッジ賢人議会への長期滞在である。

 

滞在中の時間の大半は思う存分研究に打ち込むつもりだが、以前のイギリス旅行ではロクに観光もできなかったため、今回はそちらも多少スケジュールに入れている。

 

実は前々から時間を見つけてはグリニッジに『転移』で跳んで(もちろん如何に太陽の権能による恩恵があるとはいえ易々と為せる業ではない。『転移』に絡めた種々の魔術理論、儀式場の提供など賢人議会の協力も大きい)、理論の開発だけでなく実際に太陽の神力を使った実験も進めていた。

 

まあ、所詮は週末の僅かな時間を縫っての成果だ。今のところ具体的な見通しも立っていない進捗でしかない。だからこそ賢人議会としてもまとまった時間が取れる今回の長期休暇に相当の期待を寄せていた。

 

前々からいつ来るのかとせっつかれていた位だ、具体的には療養で身体を休めているはずのおてんば姫から。彼女の場合きっと暇に飽かせて時間潰しの種を自分に求めていたといのもあるのだろうが。

 

スサノオとのやり取りで直接的に“鋼殺し”の創造に利用できないと分かったものの、こういう魔術や権能に絡んだ研究は将悟の趣味なのだ。だから将悟にとって今回の長期滞在は仕事というよりも趣味の延長線上に当たり、不満があるわけではない。それに割と馬の合うじゃじゃ馬プリンセスを助けてやりたいと思う気持ちも多少ある。趣味と実益、どちらも兼ね揃えているのだからどこからも文句は出ないだろう。

 

と、高を括っていた将悟だったが意外なところから待ったがかかった。

 

「一緒に行く! 絶対に絶対、脱走しても行くから!!」

 

話を聞いて元気いっぱいというよりやけくそ気味な威勢の良さで将悟に迫ったのは勿論というか清秋院恵那だった。あの死闘から既に一か月以上経過していたがいまだに彼女は床に伏して体力の回復を待っていた。

 

スサノオの御霊を限界以上に取り込み、スサノオ自身に近い規模で権能を行使すると言う本来なら肉体が爆発四散してもおかしくない無茶を犯していたのだ。如何に《聖なる陽光》による補助があったとしてもいまだ人間に過ぎない彼女ならばまだまだ休養は必要だった。

 

必要なのだが、彼女は将悟だけがイギリスに遊びに行くことがどうしても我慢ならないらしかった。定期的に顔を出すし、権能の使用条件により使えなくなっていた太陽の権能が復活すればすぐに向かうと説得したのだが頑として聞き入れない。その意見を要約すれば王様ばっかりずるい、恵那も一緒に遊びに行く…なのだが、悪いことに無茶を言う側も聞く側も尋常ではなかった。

 

しばらく腕を組んで唸ったあと、将悟はそれまでの迷いが嘘だったかのようにあっさりと決断した。まあ大分持ち直したし、神様と喧嘩しに行くわけでもないんだし、無茶しなければ大丈夫だろう――などとのたまって恵那の同行を認めたのだ。

 

この少年にとって病床を押しての海外旅行は無茶の内に入らないらしい。一見まともそうに見えてもつつけば必ずツッコミどころが出てくるカンピオーネらしい一幕であった。

 

そんなこんなのあれやこれやがあったものの、こうして赤坂将悟と清秋院恵那、世に永く『智慧の王』とその《剣》として知られるコンビによる初の外国遠征は始まったのである。

 

もちろん最初から分かっていたことだが、これだけカンピオーネが能動的に動き回って騒動に巻き込まれないと言うことはあり得ず、神獣以上まつろわぬ神未満の存在が一柱、とある鍛冶神の手により復活したまつろわぬ《鋼》が一柱と遭遇、討伐と中々に濃い夏休みとなる。

 

とはいえこの時の二人はそんなことは露知らず、顔を突き合わせてのんきに旅行の予定を立てているばかりであった。

 

そして時間はあっという間に過ぎ去っていき、何事もなく七月後半になって終業式を迎えると、将悟はその足で清秋院家に向かった。もちろん足と言っても『転移』による瞬間移動なのだが。

 

恵那との待ち合わせ場所は清秋院家の門前、見ると手にある荷物はいつもの竹刀袋が一つ。流石に服装こそいつもの制服姿ではなく、涼しげな雰囲気の私服へと改められていたが、とてもこれから旅行に行くとは思われない。

 

それは将悟の制服姿も同様であり、『投函』の魔術を応用して先に滞在先の館へ必要な荷物一式を送っていたから出来る荒業である(なお恵那の持ち物は風呂敷一枚に収まる量であり、運送も将悟の手による魔術ではなくごく一般的な手段によって行われた)。

 

そして将悟達の移動手段も魔術ではなく、公共の交通機関を利用することに決めていた。

 

時間に余裕はあるのだ。週末に海外旅行を敢行する弾丸トラベラーよろしく時間に追われながら動くのも面白くない、たまには金銭と時間を浪費するのも悪くないだろうと敢えて手段を限定してのイギリス渡航を計画したのだ。

 

「行くか」

「行こう!」

 

と、元気よく差し出してくる恵那の手を取り、音もなく『転移』する。併せて『隠形』の術も使用し、転移先の最寄り駅で目立たないよう偽装。物陰から現れた風を装い、人混みの流れに紛れる。流石に夏休み、学生の季節ということもあってか人混みの中にいる若者の姿はそれなりに多い。キャリーケースなどを引いている者もチラホラと見かける。

 

改札前で切符を買い求め、東京へ向かう線路に乗り込む。目指すは成田空港、そこで午後三時発イギリス行きの旅客機に乗り込むのだ。

 

「お、駅弁だ。王様も買う?」

「ここはスタンダードに幕の内弁当で」

「オッケー。恵那はこっちにしよっと」

 

などと手際よく旅行の風情を醸し出す駅弁なども買い求めていたが、なにか違うのではと突っ込む人間は不在だった。まあ駅弁とイギリス旅行、並べてみると関連性があるようなないような微妙なワードである。

 

「そういえばさ」

 

と、電車の座席を確保した二人が手際よく駅弁の包装を破りながら恵那が唐突に話を向けた。

 

「うん?」

「王様が侯爵様と初めて会ったのもイギリスだったっけ?」

 

途端に将悟の口元がへの字に結ばれ、目に見えて機嫌が急降下する。先月の一戦の結末が納得のいかないものだったらしく、以来些細なことでも関連する話題が出ると必ずこうなるのだ。

 

「…まーな」

「どんな風な出会いだったかは―――?」

「言わない」

「えー」

 

不機嫌そうな将悟をけち臭いと言いたげな表情で見つめてくる。そのままジト目で眺め続けていると口元のへの字を解き、仕方がないと頭を振る。

 

「逆に聞くがなんであのジジイのことなんか聞きたがるんだ?」

「別に恵那としては侯爵様が知りたいというか、王様がこだわっていることが知りたいって感じかなー。今のところ侯爵様との決着が王様の中で一番の関心事みたいだし?」

「…………」

 

さて、彼女の祖母曰く“内縁の妻”と関係を規定された少女からこんなことを言われた場合世にある男子高校生はどう返したものだろうか? などとこの時将悟は考えていたが男子高校生はそもそも“内縁の妻”など持っていないという当たり前の常識が浮かばないあたり割と末期的だった。順調に社会的常識が死んでいっている。

 

「……あのジジイとのやり取りについてはあんまり話したくない。代わりに別の話をするからそれで勘弁してくれ」

「お、なになに? なんの話?」

「お前と会う前、俺が初めて神様やらなにやらと関わった時の話」

 

パチクリと目を瞬かせる恵那は一瞬沈黙し、将悟の言葉が腑に落ちると喜々として頷く。赤坂将悟が神殺しを成し遂げるまでの物語。誕生以来長らく語られることのなかったエピソードを本人から聞くことが出来るのだ。そのままワクワクとした顔で将悟の話を待ち望んでいる風な体勢でいるものだからかえって将悟の方が落ち着かない。

 

「長くなるし、大して面白くもないだろうけどな。まあ、暇つぶしにはなるだろう」

 

そのまま訥々と語り出すこれは、赤坂将悟の『はじまりの物語(アナザー・ビギンズ)』―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤坂将悟が中学二年生と三年生の狭間にあった時間、三学期を終えて春休みに突入した頃の時期だった。暇を持て余した学生の常で日々をぶらぶらとほっつき回りながら過ごしていたのだが、唐突に一本連絡が入った。海外へ移住する準備のため忙しくてほとんど家を空けている母から命令が来たのである。

 

曰く、実家へ行け。母の実父、つまり将悟の祖父がなにがしか問題を抱えているらしい。それを解決してこいとのことだった。

 

いきなり持ち込まれた話だから当然快諾はしないし、むしろ事情を聞き出そうと色々と問いかけたのだが母は忙しそうに話している時間は無い、祖父に直接聞けとだけ言って電話を切った。最後に私の次に勘が良い貴方ならなんとか出来るでしょうと付け加えて。

 

ああ、“そういう”要件かと腑に落ちた将悟はそれ以上文句もつけずに電話帳から実家の番号を探し出し、連絡を取った。

 

昔から将悟はめっぽう勘が良い、空を見れば翌日の天気はほぼ的中したし、探し物で困ると言うことがほとんどない。物心のつかない子供の頃にちょっとした霊障事件があり、それを解決したのも将悟だという。

 

本人に記憶は無いのだがそれ以来大小真偽含めてそれなりの数、怪しげな事件に関わって来た。その経験を買われたのだろう。

 

本人からすれば自分の力は勘が良いというだけで幽霊が見える類の直接的にオカルトチックな代物ではない。だが祖父の実家は村の庄屋と呼ばれた豪農の家系であり、そうした迷信に対する信仰が強かった。

 

実のところ将悟だけでなく、家系図を辿れば巫女やら修行僧がいる赤坂家には昔からそうした“霊能者”がしばしば誕生していたらしい。だが、今存命中の中でそれらしい力を持っているのは己と母のみ。その中でも母は近年稀に見る逸材という話だった。なにしろ外資系の金融商社に勤めているのだが、朝に出社して相場を見るなりその日一日の動きをひょいひょいと“予言”し、しかもことごとく的中するというのだから凄まじい。そのくせ本人は自分の勘にさして執着も持っていないようで、結婚を機にあっさり寿退社しようとしたという。紆余曲折あって今も同じ職場に勤めているのだが、未だにその勘は衰えを知らない。

 

祖父の実家でそうしたトラブルが起きれば母に話が行くのはむしろ必然だった。そこからスルーパスで暇を持て余した将悟に投げ渡されるのも、面倒ではあるが妥当と言えただろう。久しぶりに祖父母に顔を見せるのも悪くないというのもあった。

 

まあこの時の将悟はあまり深刻な話とは捉えていなかった、勘が良いと言うだけで魔法使いでも何でもない身だが“なんとなく”妖しいものを見分けることは出来る。本当にオカルト事件か否か、見分ける程度のことは出来るだろう。そしてそれ以上は専門外として祖父に投げ返すつもりだったのだ(結果としてその予想は大暴投を超えて斜め上にかっとんでいくのだが、もちろんこの時の将悟にそんなことを知る由は無かった)。

 

さておき、改めて祖父に連絡を取り、詳細を聞くと大喜びの反応で迎えられた。単純に孫が帰省するから嬉しい、という類の喜びではない。九死に一生を得た、これで首の皮一枚が繋がった…そんな風な切実ささえ感じられる期待混じりの喜びである。

 

嫌な感じがプンプンとしてきたのを我慢して事情を聴くと具体的な話は聞けなかった、とにかく早く来てくれとの一点張りである。粘って問いただすと祖父からは一言だけ、赤坂家伝来の御社に捧げられた御神体が()()()()()()()()()()―――とだけ言われた。それ以上は祖父には分からない、だから分かりそうな母や将悟に来てほしいのだと真剣な調子で訴えてくるのだった。

 

これは思った以上に面倒かもしれない、そう囁いてくるのは自慢の勘かそれとも生存本能か。かといって今更行かないとは口に出しづらいし、本当に“何か”あった場合後悔するのは明白だったため、将悟は見て見ぬふりをすると言う小市民の特権を行使せず、祖父母の実家への帰省を決めた。

 

―――そして話が持ち込まれた翌日には早速身の回りの持ち物と電子機器類一式だけを詰め込んだ旅行ケースを片手に祖父母の実家に向かっていた。昔から理由もなく行動をモタモタするのが嫌いなのだ。決断は即決、決めたならばあとは方針に沿って迅速にことを進めればいい。

 

そんなポリシーに則って日が昇る頃には早々に家を出たのだが、祖父母の家に到着したのは日が暮れるかという頃だった。これでもかなり早く着いた方だ。田舎だけあってバスが一日六本しか運行せず、最寄りの停留所から実家への距離もキロ単位で離れている。視界一面田んぼしかないという如何にもありがちな山間の村落なのである。

 

その分周囲の自然は豊か過ぎる程で、将悟も幼い頃に帰省しては田んぼで蛙を、雑木林では昆虫を採ったりもした。もっとも見せびらかすような同年代の子供がほとんどおらず、すぐに飽きて付近で一番大きな山の麓にある神社やその昔神事を行ったという滝壺周りをほっつき歩き始めたのだが。そうした場所は奇妙な静けさに満ちていて将悟には不思議と居心地が良かったのだ。

 

幼少期の思い出を想起する中で、ふと記憶を刺激され一際印象深い出会いを思い起こす。そういえば何時だったかやけに綺麗…というか凄艶な、という表現に相応しいとんでもない美人に遭遇したこともあった。

 

端麗な面差し、絹糸のように細い髪は一度も日を浴びたことが無いように白く、輝きすら宿していたように思う。身に着けていた着物はどこか日本より大陸風の意匠で、その美貌は一度見つめれば二度と目が離せなくなるような……今思い返すととにかく浮世離れしていた印象ばかり残って、肝心の顔の造りは覚えていない。

 

ごくわずかな時間、将悟は彼女ととりとめのないことを語り合った。話の内容は幼い将悟にはよく理解できなかったようで、記憶には全く残っていない。だが将悟が何かを言うとひどく痛快そうに笑い声をあげ、最後に名残惜しそうな顔をした彼女が優しく頭を撫でてくれたことだけは覚えている。常に超然として雪に閉ざされた深山のような空気を纏った彼女がその時だけはやけに人間臭く、そのくせ慕わしく思えたのだ。

 

その晩は何故か体調を酷く崩し、一時期は生死の境をさまよう程だったと言う。たった一晩のことであり、大袈裟に誇張された話では無いかと今では考えているが、数日間は寝床から起き上がれない程に衰弱したのは確かだった。“悪いモノに遭わなかったか?”体調が元通りになると母にはそう聞かれたが、彼女が悪いモノであるとは思えなかったので首を横に振った。

 

その後は彼女に会うために足しげく滝壺に通ったものだが、結局二度と顔を合わせることは無く、祖父母らに聞いてもそれらしき住人は見当たらないとのことだった。やがて記憶は薄れ、すっかり滝壺から足が遠くなっていたが……いま思い返せばあれが将悟の初恋だったのかもしれない。

 

そんな懐かしくもこっぱずかしい思い出を思い出しながら、実家の玄関に着いた呼び鈴を鳴らして来訪を告げる。応対の返事を返しながらガチャガチャと玄関の鍵を開けて出迎えてくれたのはそろそろ髪が真っ白に染まりつつある祖母だった。皺くちゃの顔を嬉しそうに歪めて出迎えてくれる祖母に抱きしめられながら、将悟も親愛の情を込めて抱き返す。将悟の身内に対する懐の深さ、情の深さはこの家で過ごした時間によって養われたのだ。

 

懐かしき祖父母の家、今は大分足も遠のいたが昔は長期休暇の度にここに足を運んだものだ。盆と正月には親戚連中と宴会をすることもあったし、時に療養に来た親戚の最期を看取ったこともあった。

 

「おう、おう。将悟、よう来た」

 

居間に通されるとそこには相好を崩し、来訪を歓迎してくれる祖父が座っていた。ひとしきり将悟の近況などを聞き、多少の世間話を交わしたあとで将悟の方から話を向けると祖父も早速とばかりに話し始めた。

 

年に一度、赤坂家が細々と執り行っている神事がある。赤坂家は村の庄屋であると同時に過去、この地に根付いていた神社の神主の家系も婚姻で一体化しており、そうした行事にまつわる役目も負ってきたのだ。尤も今では氏子も少なくなり、神社も経年劣化で崩落の危険性ありということで立ち入り禁止になっているのだが、神事だけは細々と続いていた。

 

それに神事とはいっても大した規模ではない。家の当主が年に一度吉日を選んで供え物を用意し、口外無用の社に捧げられた御神刀の前で祝詞を捧げるというだけだ。そのために一日中当主が駆り出されるのは手間だったが伝統と言うことで続いている。

 

「秘密の御社(おやしろ)って、俺それ知らないんだけど」

「別段秘密という訳ではないのだがなァ…。この辺りの大人ならみんな知っとる。ただ、子供が好奇心で忍び込むにはちいと危ないところでな。十五になるまでは口外無用としているのよ」

「で、その御社だか祠ってのが今回の揉め事の種?」

「揉め事と言うな、罰当たりな孫め。まあ良いわ、祠そのものではなく奉納された御神刀がなぁ」

 

先日、神事の下見で覗いて来た時に奇妙な胸騒ぎを覚えたのだと言う。それだけならば気のせいですんだのだが、以来おかしな夢を連続で見るのだと言う。

 

村が炎に焼かれる、奇妙な人影に押し入られる、山が崩れ土砂崩れに飲み込まれる…と不吉極まりない悪夢が毎日続くのだ。この祖父も赤坂家の直系、老境になってよく分からん才能に目覚めたと言うこともまあ考えられなくもない。

 

ただ、どうしても現代社会に生きる一介の学生としてはそうしたオカルト的な出来事に眉に唾を付けて見ざるを得ない。自身類稀な直感と言う才能を持ち合わせているものの、なんとなく薄い拒否感のようなものがあるのだ。

 

「…まあいいや。その御神体とやらの由来ってなにかあったっけ?」

「そもそもあの御神刀は―――」

 

と、年寄りの常として長くなりがちな話を要約するとこの辺りに伝わる伝承に行きつく。

 

曰く、三〇〇年以上の昔、この辺り一帯の水脈を束ねる水源に毒気を吐く大蛇が棲みついたことが発端だったと言う。大蛇は滝壺の奥深くに棲み、気まぐれに河川を氾濫させ、毒気をまき散らし人々を疫病で苦しめた。人々はその大蛇に抗うことは出来ず、荒御霊として奉じ、巫女を仕えさせ、人を生贄すら捧げたという。そこまでしても大蛇は鎮まることを知らず、河川の氾濫は度々村に牙を剥いた。

 

人々は倦み疲れ、捧げられる生贄の死を嘆かぬ日は無かったという。

 

そんな中滝壺の大蛇のうわさを聞きつけて、粗末な身なりをした一人の山師(昔で言う鉱山技術者、鍛冶師を差す)の男が村を訪れる。男は事情を聞くや金山彦神の加護を受けた宝剣を腰に佩いて大蛇の下へ向かい、見事にこれを討ったという。()()()()()()()()()()によって大蛇は縫い止められ、最早身動きすることも毒気を吐くことも出来なくなった。

 

人々は男に感謝を捧げ、宝剣を御神体として崇めることとした。今でも宝剣が突き立てられた大地の底には大蛇が眠っていると言う。この地方で頻繁に起こる種々の水害は眠りについた大蛇が一時眠りから覚め、暴れることが原因とも伝わる。

 

で、この時大蛇を退治した山師だが村人たちに請われて村に定住し、遂にはその時助け出した巫女と結ばれたとかなんとか。かくなる奇縁によって結ばれた夫婦が誕生したらしいが、何はともあれ両者の間には無事に子供が生まれ、今もその血筋は続いている。

 

何故断言できるのかと言えば今の話の夫婦こそが赤坂家のご先祖だからである。件の巫女は村の庄屋の一人娘であり、請われた山師はそこに婿入りしたのだ。なんと家の御先祖様が昔話に登場してくるのだから思わず開いた口が塞がらなかった。

 

御先祖様、ちょっと話を盛り過ぎだろうという少し冷めた気分の将悟に気付かず、祖父の話は如何にも謹厳に終わった。

 

「うちの御先祖様がそんな曰く付きの代物と関わりがあるとは知らなかったよ」

「曰く付きとはなんだ! …と、言いたいところだが、確かにちいと妖しげな雰囲気じゃった。毎年無難に奉るだけのものが、妙な揉め事の種になってな。困っとる」

 

将悟が御先祖への経緯が薄い感想を呟くと、併せて祖父も困ったような風で相槌を打つ。典型的な昔気質の農家に見えて、その実身も蓋もないくらい開けっ広げであっけらかんとした物言いをする老人なのだ。

 

「ふむ、まあ、丁度良かろう。今から一度見に行くか」

「今からって…もう日が落ちてるけど」

「行き帰りで一時間もかからん。早く支度せい」

 

気が短く、気忙しいのはこの祖父からの遺伝かもしれない。将悟はやれやれと肩をすくめながら、玄関に向かう祖父の後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大型の懐中電灯で道を照らしながら先導する祖父の後を静かに将悟に続く。

 

流石田舎と言うべきか、少し家から離れると人口の光がほとんどない暗闇に包まれてしまう。夜空を見上げると満天の星空が広がり、懐中電灯が無くても多少の光源は確保できるだろうが、文明にどっぷり浸かった現代人としては星明かりだけで夜道を歩くスキルは持っていない。いや、昔から夜目が効くほうだったのでやろうと思えば出来るだろうが自前の光源があるのだからわざわざ野生に戻らずともいいだろう。

 

少し歩くうちに見覚えのある道だと気付く。この道に続くのは確か、この辺りでも一番の絶景という大滝があるのだ。そういえば、幼い頃に例の白い美女に遭ったのも確かこの滝壺の淵だったはず…。

 

懐かしい思い出を喚起されて記憶を掘り返している内に、山に入り斜面を登り始める。身の軽さに任せて軽快に登っていくと、祖父も負けず劣らずの健脚さを発揮して進む速度は衰えることが無い。

 

赤坂家の血を引く人間にしばしば見られる特徴である。特別に足が速い、喧嘩が強いと言うことは無いのだが、身が軽く、長い距離でも息を乱さずに進め、夜目が効く。性格も一度決断すると行きつくところまで突き進む果断さを持つ。身も蓋もなく言うと動物的なのだ。

 

「ここだ」

「…祠なんて影も形も見えないけどな」

 

周囲を見渡しても、また幼少の記憶を探ってもこの辺りにそれらしき建造物は無かったはずだ。

 

「まあ普通にしてたら分からんわ。私のすぐ後ろに続け、足を滑らせて溺れれば下手すれば死ぬぞ」

「…溺れる? もしかして祠って」

「あの大滝の裏には小さな洞窟があるのだ。孫悟空の花果山水簾洞ほど広くも立派でもないがな」

 

そう言って祖父は滝壺に入らせないための柵をあっさりと乗り越え、大滝に向かっていく。おいおいマジかと念のため自分の服装をチェックする。まあ濡れても捨てても惜しくない既製品だ。持ち物も防水仕様の携帯電話が一つ。仮に滝壺に落ちても泳ぎは達者な方だから早々死にはしないだろう。それだけ確認すると淀みの無い足取りで祖父の後ろに駆け寄る。自分で言うのもなんだが決断までかける時間が驚くほど短く、決めた後は迅速に行動する性質なのだ。

 

大滝の飛沫を被りながら、水流のすぐ後ろにある僅かな空間に身を潜り込ませる。ほんの数メートル程度奥に潜りこむと、唐突に祖父の姿が消えた。

 

「ここだ」

 

見ると懐中電灯を持った腕だけがニュッと伸びている。祠があると言う洞窟に繋がる穴から腕だけ出しているのだ。声を出して答えると将悟も祖父に続き、その穴に身を潜り込ませる。懐中電灯だけが光源として頼りであり、これが無ければ携帯電話の僅かな光を頼りに動くことになるだろう。

 

しかも人目のつかないこんな場所に行くのだから、事故の一つも起きればあっさり行方不明者が二人出来上がりである。だからと言って怖気づくわけでも、中止する気が起きるわけでもない。祖父に至ってはそもそも思いつかないといった感じだ。

 

遺憾ながら時々無謀と言っていいくらい考え無しな一族なのだ。そんな宿業と言っていい血筋にまつわる性質を思いながら、真っ暗闇の中を祖父の持つライトだけを頼りに見渡す。

 

滝壺の裏にあるだけあって湿気はかなりのもの、空気はひんやりとしており、息苦しさを感じないくらいの広さはあるようだ。入口は身を屈めなければ入れないくらい窮屈だったが、中は立って歩き回れるくらいに天井が高い。奥を見ると小さな泉が湧いており、少しずつ湧き出しては洞窟の端に掘られた溝に沿って滝壺の方に流れ出ているようだ。

 

「これが私の言う祠だ」

 

と、祖父がライトで光を当てて指し示すのは泉のすぐ手前にある空間だった。祠というからには神を祀る小さな箱の一つも立ててあるかと思ったのだが、実際には岩盤に突き立てられた見たこともない意匠の短剣とそれを一辺二メートル程の長さで囲った注連縄があるだけだ。

 

「…変な形の剣だな。というか錆の一つも浮いてないように見えるけど。この湿気むんむんの洞窟の中で」

「ついでに言えば、引き抜こうとしても絶対に抜けん。私が無分別な子供の頃に散々試したから確かだ」

「爺ちゃんにもツッコミどころはあるけど、それ以上におかしくない? この宝剣とやら」

 

一尺を少し超える長さの両刃の短剣であり、鍔がかなり長い。また柄頭が他の部分と比べて大きかった。総合的にどう見ても日本刀と同系の刀剣には見えない。むしろユーラシア大陸から交易で持ち込まれたと言われたほうがよほど納得できる異国風の短剣であった。

 

二人は知る由もないが大地に突き立てられた短剣は大陸において径路剣と呼ばれた武器に酷似していた。同形の武器はユーラシア全体に広く見られ、西はスキタイやペルシア、古代ギリシャを始めとし、東においては匈奴(フンヌ)で使われ、また平安時代の日本に持ち込まれたと伝える文献もある。

 

概ねスキタイ、トルコ系遊牧民族において多く使われた意匠の短剣であった。また祭祀にもしばしば使われたとされ、匈奴では捕虜の犠牲に伴う供儀で使用する軍神の神体となっていたという。スキタイでも似たような祭祀が行われていたというから文化の伝播という観点から見ると非常に興味深い資料である。

 

閑話休題(それはさておき)

 

「で、どうだ? なんぞ感じるところはあるか」

「いきなり言われてもね。一応視てみるけど元からあてにしてない勘だし、あまり期待しないでおいて」

 

と、祖父から促されて奇妙な形の短剣をぼんやりと眺める。こういう時に大事なのは妙な期待も恐れも抱かないことだ。ただフラットな精神状態を保って、視たいものを視る。あとは運否天賦で当たるも八卦当たらぬも八卦と言ったところ。

 

長年の経験から何となく霊視の“コツ”を悟っていたあたり、将悟の生まれながらの才能は傑出していた。本人も知る由は無かったが、世界最高峰の霊視能力である万理谷裕理に迫る能力を男性の身で備えていたのだから、その異常さは推して知るべしである。

 

視る。心を一点に定めず、宙に浮いている感覚を保持し、ただ何を見るでもなく視ると―――霊視が降りた。ボンヤリとした意識の中へ唐突にイメージの奔流が流れ込む。

 

これは器、大地と水(へび)から精気を奪い取り、蓄える器。そして蓄えた力を糧に一振りの剣を産み出す神具なのだ…。

 

「…既に器は満ち、残る《鍵》は二つ。探せ、探せ、探せ…。《贄》が捧げられた時、旧き《鋼》は再臨する―――」

 

とりとめのないイメージが無理矢理言葉となって口から漏れ出す。将悟自身どんな意味を持っているかわからない、意味不明な言葉の羅列だ。この場に呪法に携わる識者がいれば顔色を真っ青にして取り乱したかもしれないが、生憎とこの二人に理解できるほどの識見は無かった。

 

「おい、大丈夫か? なんぞブツブツ呟いておったが」

「……ごめん、ちょっと待って。キツイ」

 

一気に頭に叩き込まれた情報を何とか処理しながら、若干の頭痛と吐き気を堪える。これほどはっきりとよく分からないヴィジョンを見たのは初めてだった。悪い電波を受信したと言われたら思わず信じてしまいそうだ。それくらい真に迫っていて問答無用で真実だと認識させる鮮烈なイメージだった。

 

恐らくその原因は目の前の宝剣。よくよく見るとその中で蠢く意味不明な“力”は今まで遭遇したオカルト事件のどれよりもはるかに大きい。さっきまでロクに知覚も出来なかったはずのモノが今は手に取るようによく分かる。さっきのイメージがショック療法となって訳の分からないシックスセンスでも開いたのかもしれない。

 

「…俺自身全部は分かってないけど、とりあえず理解できてる部分を言う。爺ちゃんの言う通り、()()()()()()()()。こいつ、今は大人しいけどキッカケがあれば多分ものすごくマズいことになる、俺のイメージだけどとんでもない巨人が来て村が丸ごと踏みつぶされる感じ」

「…そうか」

 

呻くように祖父が相槌を打つ。彼自身、なにか危ないと漠然に不安に思っていたのだろうが、己よりよほど勘に優れた孫から改めて言葉にされると実感する重みが違うのだろう。だからといって恐れから目を背けないのは流石に赤坂家の頭領といったところだった。危地にある時こそ図太くなる一族なのだ。

 

「ああ…でも、逆に言えばキッカケが無ければこのままだ。使うのに必要なものが足りない。そんな気がする」

「とはいえ、このままでいいとはいかんな」

「不発弾を放置しておくわけにはいかないだろ。ツテを辿って本物の霊能者でもなんでも呼んできてくれ。これ以上は俺の手に余る」

「ツテなぞあるか…。が、まあ仕方あるまい。物狂い扱いされるかもしれんが、声を上げれば本物にも突き当たるかもしれんしな」

 

それと蔵から古文書も引っ張り出してみるか、と呟く祖父に曖昧に頷きながらふと、もう一度短剣を見る。するとなにやら視線が磁力じみた強烈さで誘引され、離すことが出来ない。

 

―――何かに、呼ばれているような…。

 

ふらふらと意識を半ば宙に浮遊させて無意識のうちに注連縄を超え、件の宝剣を歩み寄って引き抜こうとする。

 

「おい、だから抜こうとしても無駄だと―――」

 

後ろで何か言っているが気にならない。祖父にこの剣が抜けなかったのは、喰らうべき竜蛇がまだ生きながらに貫かれていたからだ。仕留めた獲物を食い尽くすまで傍を離れる獣はいまい? それだけのことなのだ。

 

またしても意味の分からないことを、そのくせ確信を抱きながら思い浮かべる。そのまま無造作に宝剣の柄に手をかけ、突き立った大地から抜こうとし、

 

「―――うん?」

 

()()()()()()()()()()()()()。その感触は例えようがない、強いて言うなら水で出来た蛇が手首に絡みつき、袖口から潜り込もうとしたような…冷たくも気妙に生々しい肌触りだった。

 

思わず手を引っ込めると合わせて握っていた宝剣がすっぽ抜ける…将悟の手から。そのままクルクルと宙を舞い、祖父のすぐ足元の岩盤に突き立った。それも結構深く。少しずれていれば祖父の足をサクッと貫いていたかもしれない。

 

「危なッ! 仮にも御神体なのだぞ。もう少し丁寧に扱え、馬鹿孫!」

「…あー、うん、ゴメン」

 

自分のミスは自覚できていたので、そのまま大人しく謝るしかない。

 

しかし今の感触は果たして…。念のため、身体の各所をチェックしてみるが蛇やらなにやらが服の下に潜り込んだ感触は無い。気のせいだったと思うのが無難なのだが、よりにもよってこの怪しげな宝剣に触って起きたことである。無視しろと言う方が無理だろう。

 

ともあれ首を傾げながら、将悟は突き立った宝剣を今度は丁寧に引き抜く。

 

「……私の時はどれだけ力を入れても抜けなかったのだがなァ」

「爺ちゃんの時はまだその時じゃなかったってだけだよ、多分」

「なんだそれは?」

「さっき言ったヤバイ事態と関係があるってこと。きっとずっと抜けない方が良かったんだ」

 

なるほど、と神妙な顔で頷く祖父に声をかける。

 

「とりあえず帰ろう。ここにもう用はなさそうだし」

「分かった。だがその前に少しそいつを貸せ」

 

と、将悟から宝剣を受け取ると懐から取り出した手ぬぐいで素早く宝剣の刃を覆ってしまう。なんでもいいが御神体と言う割に扱いがそいつとやけに軽い。

 

「抜き身で持ち歩くわけにはいかんだろうからな。見たところ四〇〇年は手入れされておらんくせに、錆びてもいなければ刃が欠けているわけでもない。その上岩に刃が突き立つほど鋭い。つくづくおかしな剣だ」

 

悪戯半分で振り回すなよ、と現実的な危険性を恐れる観点から注意する祖父に黙って頷くと二人は再度滝の裏を通って外に出る。そのまま来た道をたどるように家へ戻っていく。その帰路の間二人はずっと無言だった。

 

 

 




ようやくお届け出来ました新章、アナザー・ビギンズ。
全六話、約七万字。
これから毎日投稿予定です。

赤坂将悟の『はじまりの物語』であり、初恋の物語でもあります。
乞うご期待。


PS
第一話の序盤を少々修正。
尤もプロット的にはかなり変更がかけられています。流石に三年前のプロットはそのまま使えなかったよ…。

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