カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

24 / 40
嵐、来たる ⑥

今まさに将悟とヴォバン侯爵が口舌を交わしているだろうホテルを遠方から監視しながら、甘粕冬馬は思い出す。ほんの数時間前、心胆から寒からしめることになった会話の続きを。

 

「侯爵の狙いは裕理さんです。彼女は以前侯爵が執り行ったまつろわぬ神を招来する秘儀に捧げられた巫女だったんですよ」

『―――へぇぇ?」

 

何気ない、とはいかないがまさかこんな一言が予想外の過剰反応を生み、極限まで場の空気を凍らせるとは甘粕をして見通せなかった。

 

電話越しでも十分に察せられる冷たい気配。王の胸の内に巣食う怒りにはたしてどう言葉をかけるべきか。数秒ほど次に口に出す言葉を迷った甘粕だが、結局は最大限神経を使いながら探りを入れる決断をする。

 

「……失礼ながら、少々意外でした。何時の間にそれほどに裕理さんと仲を深められたので?」

『ここには身内しかいないから言うけどな。正直万理谷自身にはそこまで深い思い入れはないよ。これからそうなれたら、とは思うが。意外と面白いキャラクターしてるし、あいつ』

 

あっさりと甘粕の疑問を否定しながら―――ただ、と続ける。

『「あいつは身内の身内…つまり俺の身内だ』

『俺は身内に手を出す奴は許さねー。神様でも魔王でもな』

『手を出すってんなら仕様がない。あのじい様との決着をつけるには大分急だが、それも流れだ』

 

傍らに立つ少女の顔を努めて見ないようにしながら出来るだけ淡々と言葉を紡いでいく。

 

「どの道ジジイと俺が顔を合わせた時点で荒事になる予感はしてたしなァ。甘粕さん、先に謝っとくよ。ゴメン」

『…………。ま、その誠意のない謝罪はありがたく受け取っておくとして。私からは一言だけですな』

 

今夜、この少年と最古の狼王との争いによりどれだけ被害が出ることか。そしてその後始末にどれだけの労力をかけて、自分たちが奔走するか。甘粕は二呼吸分の沈黙の中に千言万語の皮肉を押し込め、将悟にとって最も“効く”だろう一言だけ返した。

 

()()()()()()()()

 

どう言い繕おうと、将悟が戦うのは裕理が将悟の身内の身内であるから―――つまり、恵那と親しいからなのだ。少なくとも理由の一端を担っているのは間違いない。一人の少女の心情を慮り、自身が格上と認める最古参の神殺しと血で血を洗う死闘を決意する。

 

おまけとばかりに底冷えのする殺気まで撒き散らすのだから、どれほど彼女を大切にしている顔して知るべしだろう。

 

『…………』

 

電話口の向こうから漂う凄まじく微妙な念の籠った沈黙に、一矢報いたり、などと甘粕が思ったかは定かではない。

 

しばらくの間ささやかな報復の余韻に浸っていた甘粕だが、やがてこの微妙な沈黙を流すべく事務的な口調で将後と情報交換を行っていく。ヴォバンの拠点としているホテルの位置、最低限住民を避難させるべき地域の範囲などを手早く取りきめていく。

 

そんなこんなで通話を切ったのだが。

 

「なんというかもう、女で国を滅ぼしそうなあたり立派な暗君ですねー。流石は将悟さん(カンピオーネ)です」

 

憂いを通り越して感嘆の念さえ抱かせる主へと、切実なぼやきを漏らすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして時と場所は、三人の王が一堂に会するホテルへと戻り。

 

「ヤだね」

 

破格の取引の申し出は、一言で以て拒絶された。否、将悟は最初からヴォバンにどんな取引を持ちかけられようと突っぱねることに決めていた。これまで大人しく話を聞いていたのは一応の事実確認以上の意味は無い。ヴォバンがこれ以上の隠し玉を持っていれば流石に対応を考え直さなければならないからだが、どうにもそういった裏はなさそうだ。ならばあとは既定通り、ヴォバンとの対決まで突き進むのみ。

 

「ほう」

 

己の予想を裏切られた。その事実に、ヴォバンは微かに驚いた気配を漏らす。

 

「何故だ? 確かに稀少な資質の持ち主であるが、君が気にかける類のものではあるまい」

 

将悟自身が卓越した霊視能力者であり、しかもその能力に大して誇りもこだわりも持っていない。ましてや裕理程度の小物を気にするとは…。

 

己の見立て違いに驚きながら、純粋な疑問が口をついてでる。

 

「ああ。正直霊視の才能の方はどうでもいいんだ。大体は自前で何とか出来るし、無くても別に困らんし」

 

世界最高峰の霊視能力者である裕理すら凌ぐ霊視の資質を持ちながら、あるいはそれ故にか将悟は霊視がもたらす託宣にほとんど執着を示さない。偶然霊視が降りてきたら運が良いな、と思う程度で当てにすることはない。あるいはそうした執着から離れた心、“空”の境地こそが霊視の成功率を高める一番の近道と本能的に悟っているのかもしれない。

 

「だがな、コイツは俺の身内なんだ。手を出そうって言うのなら相応の覚悟はしてもらう」

 

厳密に言えば将悟の背後に控えている恵那の存在が絡むのだが、わざわざ懇切丁寧に教える義理もない。一方身内、と聞いた裕理が驚いたように顔を上げるが、すぐに説得のため言葉を紡ごうとする。

 

「お待ちください! 私の身柄一つでこの東京が救えるのなら私は―――」

「黙ってろ、万理谷。お前が良くても、俺が納得出来ないんだよ」

 

ついでに言えば、と続ける。

 

「目の前にまで出てきたこのじい様をわざわざ見逃すなんて選択肢、俺の中じゃ“ありえない”んでなァ」

 

言い切った瞬間、吹き付ける熱波のような敵意がその場を満たす。非物理的な衝撃がその場にいる全ての者の身体を打ちのめし、強制的に魔王以外の者たちに警戒態勢、あるいは臨戦態勢を取らせた。

 

まるで裕理はおまけで、本命はヴォバンなのだと、言葉に出さず示すように。

 

「なあ、ジジイ。あんたもちょっとは期待してたんだろ? 俺もだよ。あんたともう一度戦いたくてたまらなかった。」

 

いっそ朗らかな口調でヴォバンに誘いをかける。猛獣よりも獰猛に、童子よりも無邪気な笑顔で。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

―――とうとう言い切った。

 

この場にいる者は最早誰も赤坂将悟をエピメテウスの申し子、騒乱と闘争を望み、愛される星の元に生まれた魔王であることを疑うまい。性格自体は決して悪性の人間ではない。でありながら己が渇望のために故郷すら危険に晒す無鉄砲さ、考えなしな性質は正しくカンピオーネの真骨頂であった。

 

一種のラブコールとすら表現できそうな、熱烈な将悟の誘いに対峙するヴォバンは。

 

「ふ、む…」

 

驚くほど反応を示さなかった。

 

「困ったものだな。ああ、困った…」

 

ただ脱力したような、気落ちしたような―――嵐の前の静けさのような陰鬱さで(かぶり)を振る。

 

「勘違いして欲しくはないのだが、私は本当に君と争うつもりはないのだ。ああ、無論我が所業が君の神経を逆撫でしたことは認めよう。だからその分の詫びも含めて条件を提示したつもりだったのだが…」

 

気落ちした“ような”空気が一転、どろりと濁る。さながら底なし沼を覗き込んだような、怖気(おぞけ)の奔る気配がヴォバンから溢れだす。それは若き神殺し二人が咄嗟に椅子から腰を浮かせるほど濃密な死と苦痛、そして闘争の気配だった。

 

「本当に、困った。これでは君と“戦えてしまう”ではないか―――?」

 

ニタァ…、とヴォバンの口元が歪む。さながら餓えた狼が獲物に牙を剥くように。

 

「困る必要なんか何処にもない。今度は俺があんたに勝って、それで終わりだ」

「未だヴォバンの足元にも届かぬ未熟な身でよくぞそこまで吼えたものだ。良かろう、誘いに乗ってやろう」

 

応じる言葉だけは淡々と、そのくせ喜悦と期待の光を眼光に漲らせる。

 

「先に指摘しておくが未来の雄敵であるからと、手加減をする選択肢はヴォバンにはないのだ。そこに一抹の期待を寄せているのならば、早めに考えを改めることだな」

 

一見警告する風の言葉でありながら、その実仲間を遊戯に誘う猛獣の気配が匂う。

何のことはない、眼前の宿敵との闘争を待ち望んでいたのは将悟だけではなかった。それだけのことなのだ。

 

「…………」

 

そんな、周囲を放ってどこまでも危険なテンションを上げていく魔王二人に周囲の人間たちも残らず顔色を悪くしていく。特に裕理が自責の念と魔王二人から放たれるプレッシャーに倒れる寸前と言った風情だ。

 

大騎士の位を戴いたエリカとリリアナすらあまりに常人の感性から乖離した会話、人間の枠を超えた怪物同士の敵意のぶつけ合いに多大な疲労を覚えている。カンピオーネ以外で唯一平然としているのは己もまた常人から逸脱した感性を持つ麒麟児、清秋院恵那のみ。

 

そして最後の一人、同族たちの身勝手な発言の数々を黙って聞いていた草薙護堂と言えば。

 

「―――ふざけるな」

 

喉元から込み上げる怒りを無理やりに押し殺しながら一人、静かに激昂していた。

 

「ふん…?」

「……」

 

冷静に撒き散らす怒りの熱に当てられ、二人はようやく存在に気付いたように視線を護堂に向ける。だが護堂はそれを無視して自身の臓腑を焼く怒りをなだめるので精いっぱいだった。

 

護堂は思う。

 

この場は万理谷裕理の身柄を、命を左右する場であるはずだ。

この無垢で、献身的で、時に般若の如き恐ろしさも示す、ごく普通の少女の命を。

 

だと言うのにこの二人は()()()()()()()()()()()()()! 勝者に贈られるトロフィーほどの価値も感じていない。眼前の仇敵と食らい合うための理由付け、偶々巻き込まれただけの火種、それだけの存在でしかない。

 

特に将悟は口では身内と言いながら、それに相応しい労わりを向けられているようには到底見えない。護堂からすればヴォバンと同じくらい将悟は信用ならなかった。敵の敵は味方、と考えるにはこれまでの祐理への仕打ちが障害となった。

 

万理谷裕理は身勝手な理由で死闘を望む横暴な老魔王に巻き込まれただけの被害者なのだ。だというのにこの仕打ちはなんだ!? あまりに理不尽、あまりに身勝手ではないか!

 

自責の念と恐怖で満ちているだろう少女の心中を思い、義憤の念を燃やす護堂。

 

実際のところはそんなことは無い。将悟がヴォバンとの決着に必要以上にこだわっているのは確かだが、己の我儘を通す以上戦闘は不可避と悟って手早く話をまとめたに過ぎない。

 

とはいえそのように受け取られても仕方のない絵面であり、積極的に誤解を解きに行く勤勉さと時間的余裕を残念ながらこの時将悟一行は持ち合わせていなかった。

 

そして気に食わなければ猛然と反抗するのが神殺しの性。特に草薙護堂は弱きを助け、強きを挫く義侠心の持ち主。しばしばその美徳が彼を望まぬ窮地や不行状に追いやることも多いのだが、この場においては比較的真っ当な義憤と戦意を燃え上がらせる助けになっていた。

 

「自分だけの都合で万理谷を巻き込んでおいて、勝手なことばかり言いやがって! 決めた、あんた達を二人まとめてぶん殴ってやる!」

 

そのあまりに無謀な宣言布告に、ヴォバンは失笑し、将悟は…二ヤリと楽しげに笑う。よく言ったと言いたげに。

 

「吼えたな、若造。王に成り上がって一年も経たぬ未熟な身で、それが叶うと思うか?」

「俺が言ってるのは別に大層な話じゃない。ただ、手前勝手な我がまま爺さんにキツイお灸を据えてやるってだけだ! 俺が、あんたがどんな奴だって関係あるか!!」

 

凶悪なまでに好戦的な気配を撒き散らすヴォバンに対し、一歩も臆することなく護堂は啖呵を切る。そしてその宣戦布告を見事とばかりに陽性の笑いを向けるのは赤坂将悟だ。

 

「そりゃあ、ケンカするのに地位だのキャリアだの関係ないわなァ…。爺さん、あんたも成り立ての頃の俺に一杯食わされたの忘れちゃいないだろ?」

 

面白いモノを見た、とばかりに笑みを浮かべて口を挟むとヴォバンは不機嫌そうに口をつぐむ。そんな一歩離れた位置から他人事のように口を挟む将悟に対してもキッと睨みつける。

 

「お前もだ、赤坂! そのじいさんに喧嘩を売るだけ売って、万理谷のことは無視か!? お前らがどうしようと知ったことじゃないけど、少しは巻き込まれる人たちの迷惑も考えろ!」

「いや、全くもってお前の言う通りだ。()()()()()()()()()()()()()()

 

己に向けられた罵倒もなんのその、千枚張りした面の皮の厚さでそのままシレッと裕理を押し付けた。微かに驚いた気配を漏らしたのは恵那だ。表面上の仕打ちはどうあれ、将悟の中で裕理は身内に準じる扱いになっているのはこれまでの一幕でなんとなく窺える。だからこそ裕理の身柄をあっさりと護堂に任せたのが意外だったのだ。

 

「お前なんかに言われるまでもなく、万里谷は俺が守る! お前なんかに任せられるか!?」

「……ま、だよな。返す言葉も無い」

 

その微かに自重の籠った苦い笑みに気付けたのは将悟に最も近い恵那と、皮肉なことにヴォバンのみだった。

 

決して本意では無かったとはいえ、己と祐理の関係は修復困難なまでにこじれてしまった。ほとんど一方的に将悟の責任でだ。この上祐理が大人しく身柄を任せてくれるとは思えなかったし、顔を合わせるときに後ろめたさを覚えないと言えば嘘になるだろう。

 

それならばいっそ祐理と絆を結んだ草薙護堂に任せるのも悪くないと思えたのだ。草薙護堂はやはりカンピオーネだけあって様々な不行状を抱える問題人物、だがしかし―――ほんの一か月前に大神アテナを退けた器量の持ち主であるのも間違いは無い。そして裕理とは良かれ悪しかれ相性が良い。この場において祐理を任せるのにこれ以上の人物はいないだろう。

 

「良かろう。話もまとまったことだ、巫女の身柄を賭けて我らで以てゲームを行うとしよう」

「ゲームだって?」

 

護堂が不機嫌そうに答えたのは、やはり祐理を景品か何かのように扱っているからか。

 

「然様。なに、ルールは難しくない。巫女は解放しよう、そしてしばし時間を与えよう。そう、半刻ほどで良いか。その後に私は巫女を狩りだし、行く手を遮る障害を撃破する。何なら若造二人がかりで来ても構わんぞ?」

 

からかうようなヴォバンに。

 

「論外だな。こいつに背中を預ける気にはなれないね」

「それはこっちの台詞だ」

 

端的に妄言を切り捨てる将悟とそれに噛みつく護堂。そのままばちばちと火花を鳴らし始める少年達に周囲の少女達は非常に微妙な物を込めた視線を送っている。少なくとも祐理を守ると言う一点で利害は重なっているのだが彼らに敵の敵は味方、という言葉は通じないらしい。

 

そんな少年二人の不和を余所にヴォバンは機嫌良くゲームの開始を告げようする。

 

「さて、これ以上なく単純なルールだ。他に質問はないな? ゲームを始めると―――」

「待て」

 

久しぶりに歯応えのある闘争に出会え、御満悦なのだろう。調子よく続けようとしたところで言葉を遮られ、ヴォバンは不機嫌そうに顔をしかめる。

 

「なんだ、赤坂将悟。まさかこれ以上余計な問答をかわすつもりか」

「あんたにとっちゃ詰まらなくても、こっちにとってはそれなりに気になることがあるんだよ」

 

尤も気にしているのは俺じゃないが、と胸の内で続ける将悟。ホテルに向かう前に、甘粕ら正史編纂委員会の意向で出来る限り一般人の犠牲者は減らすように嘆願されていたのだ。

 

「あんたが塩の塊にしたこのホテルの連中、今のままじゃこの騒ぎに巻き込まれてお陀仏だ。とっとと元に戻せ」

「王とも思えぬ詰まらぬことを言う。あまり私を失望させてくれるなよ」

 

言葉の通り詰まらなさげな気配を漂わせながら、生徒の誤りを指摘する物静かな大学教授じみた調子で続ける。

 

「貴様の言うとおりそやつらを我が邪視の呪縛から解放したとしよう。そこからそやつらを我らの決闘場から遠ざけるまでどれほどかかると思っている? 下らん時間稼ぎを弄するつもりならば、私に付き合う義理は無い。ならばいっそ塩と化したまま苦痛なく死を迎えさせてやるのが慈悲というものだろう」

 

相変わらず身勝手すぎる台詞に再度護堂が食ってかかろうとするが、その前に平静な調子で応じる将悟に沈黙を余儀なくさせられる。

 

「良いから戻せ。お望みなら彼らを解放した5分後にタイマン張ってやる」

「……ほう、つまりこのホテル内に残留する数百人を5分以内にどうにかする術があると?」

「やってみれば分かるさ」

 

至極平然とした様子の将悟の言葉を挑発と受け取ったのか、お手並み拝見とばかりに片頬を歪めて笑みを浮かべる。

 

「良かろう。我らが再会に至るまでの年月、果たしてどれほど成長したかを見せてみろ」

 

そのままパチン、と指を鳴らすと……見える範囲では何も起こらない。彼らが一堂に会尾する室内に邪視の犠牲者が一人もいないから当然だが、通常の五感以外の手法で感知する術を持った者たちは別だ。どこか遠くを俯瞰する目つきでぐるりと視線を回した将悟が、

 

「確かに全員戻したみたいだな」

 

と発言すると、エリカやリリアナも頷いている。護堂には見当もつかないがなんらかの魔術によって犠牲者たちの状態を確認したのだろう。

 

「さて、ここから如何なる手妻を―――」

 

まるで芸を披露する道化師を前にした王侯貴族のよう。いっそ不謹慎なほどの期待を見せるヴォバンに頓着せず、将悟は己の内に蔵された太陽と生命にまつわる権能を呼び起こす。尤も神々や魔王と対峙したほど力を振り絞る必要はない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

パチン、とヴォバンに合わせるように将悟も指を鳴らす。

その刹那、将悟の全身が山吹色の光を発したことに気付けた者は一人だけだった。

 

そしてやはり見た目上の変化は無い。いや、一瞬だけ将悟を中心に呪力が凝り、複数の箇所で歪む感覚があったが、はたしてその呪力の動きがどんな意味を持つのか魔術に疎い護堂では到底理解は出来なかった。狸に化かされたような気持ちになった護堂だが、やがて東欧の老侯爵がかすかだが目を瞠っているのを見て、確かに“何か”が起こったことを知る。

 

「―――見事だ。一切の口訣も無くこれほどの人数を一度に運ぶなど、果たしてあの羅濠教主にも叶うかどうか!」

 

唐突にヴォバンの口から滔々と流れ出すのは掛け値なしの称賛だった。次いで信じられないとばかりに将悟に視線を向けたのはエリカとリリアナだ。

 

「……ざっと三〇〇人以上はいた人間を、あの一瞬で?」

「これが、『智慧の王』…。侯が仇敵と看做すわけだ…」

 

人間業ではない…。

 

称賛よりも先に諦観の籠った乾いた呻きが少女達の口から漏れる。二人の天才から向けられた視線に共通するのは畏怖と敬意。人の扱う神秘の領分を超え、神域に足を踏み入れつつある魔術師に向けられるに相応しいものだ。

 

それほどに今しがた将悟の為した所業は、きっぱりと人類が辿りつける領域を逸脱していた。

 

「使ったのは『転移』の術かね? あれはかなり難度の高い術だったと記憶しているが…」

「らしいな。俺は気付いたら使えるようになってたからあまり意識したことはないんだが」

 

次々と魔術的常識を覆す所業、発言にあくまで常識的な範囲で天才と呼ばれる才媛二人は頭痛を堪えている顔をする。同時にこうも思う、何故この才能をもうちょっと“まとも”な人格を持った人間に与えてくれなかったのかと…。その嘆きは奇しくも南欧魔術界の盟主、『剣の王』サルバトーレ・ドニに向けられるものとよく似ていた。

 

「座興としては中々だった。仮にそこの若造がいなくても、君さえいれば十分に我が無聊を慰めることが出来よう」

 

対照的に非常に満足そうな顔をしているのがヴォバンだ。仇敵の力量が鈍っていない…否、更に向上していることを目にし、上機嫌この上ない獰猛な笑みを浮かべている。

 

一方で将悟と比べて露骨に下に見られた護堂は憤懣やるかたないと言った感じだが、荒事に慣れていても不必要なプライドの類は持っていない性格だ。自分の中で折り合いをつけたのか不満そうではあるが、特に発言することなく沈黙を貫いている。

 

「ではゲームを始めるとするか。半刻の後、私は動き始める。何処へなりとも逃げたまえ、この世の果てまで追いつめてくれよう」

 

とうとうゲームの始まりが告げられ、悠々とした態度で宣戦布告を告げる。それに応じる将悟と護堂はそれぞれ闘争心に満ちた視線を返す。少しの間、敵意のやり取りが行われるが、早々に席を立ったのは将悟だった。

 

「―――ここの庭園で待ってるぜ」

「承知した。真っ先に君の元へ向かうと約束しよう」

 

視線を鋭くして己を見詰める若き仇敵に、老王もまた真っ直ぐな戦意を以て応える。余人に立ち入れぬ空気に護堂すら例外なく気圧されるが、やはりそのやり取りは短く、すぐに終わった。

 

「行くぞ」

「お前に言われなくてもそうするさ」

 

言葉短かに行動を促すと、険のある言葉が返ってくる。険悪な雰囲気のまま、将悟と護堂ら一行はホテルの廊下を進む。与えられた時間は少ない、移動しながら簡単に必要事項を打ち合わせていく。

 

「ところで逃げるためのアシはあるのか?」

「…あー、走って逃げるっていうのはどうだろう」

「体力馬鹿のお前らは良くても万里谷は無理だろ。5キロ以内で足が止まるぞ」

 

考えなしな後輩に呆れた視線を向けつつ、あらかじめ用意していた解決策を提示する。

 

「ホテルの前で甘粕さんがアシを用意して待っているはずだ。従僕と狼くらいなら十分あしらえる腕前だから思う存分使い倒すといいぞ」

 

と、さりげなく甘粕を酷使するオマケ付きで。

 

「……あの、赤坂さん。私は―――」

 

早足で歩きながら祐理がおずおずと将悟に声をかける。はたしてどんな言葉をかければいいのか迷っている様子の裕理に、将悟もどこか迷いを含んだ言葉を口に出す。

 

「……俺は俺がやりたいようにやった。お前が何て言おうとこうしてた。そこに文句を言われても返す言葉がない。だけど、まあ…」

 

すまん…、とどこかばつが悪そうな様子で謝られ、複雑そうな顔をする祐理。

 

見ると、護堂も同様に将悟へどんな顔をすればいいのか迷っているようだった。見直した、とまではいかないが決して祐理のことを軽視したわけではないことは理解できたのだろう。だからといって祐理への仕打ちを許せるほどではない。その心情を分析すればそんなところか。

 

気まずい沈黙がホテルのエントランスと庭園にそれぞれ続く分かれ道まで続いた。

 

「……負けるなよ」

「言われるまでもねーよ。お前は万里谷の心配だけしてろ」

 

恵那一人を伴い庭園に向かっていく将悟の背に声をかける。

背を向けたままひらひらと手を振る将悟を、護堂と祐理はどこか複雑な視線を向けて見届けるのだった。

 

 

 

 




次回、決戦。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。