カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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またしても宣言していた年内投稿に間に合わなかった…。
あ、はい予想されてましたよね。約束破りの常習犯ですいません…。

以前リクエストされた方はちょっと今執筆中なんで待って下さい。
清秋院家嫁入り挨拶のついでに太陽の加護を絡めて書こうかと模索中なんです。

それにしてもカンピオーネに交渉事ってほんと鬼門なんだなって(小並感)



嵐、来たる ⑤

聞き捨てならない発言に思わず胸の内の怒りを漏らしてしまったものの、しばし時間経過により将悟は落ち着きを取り戻した。その後電話越しに甘粕と大雑把な現状やヴォバンの拠点らしき箇所の位置など情報交換し合いはじめる。

 

『侯爵の目的はまず裕理さんの確保として…二番目は将悟さんですかね。伝え聞くご気性だと本番の前のちょっとした手合わせ程度の感覚で、喧嘩を売って来ても可笑しくはない気がしますが。東京都民一〇〇〇万の生命など何とも思っていないでしょうし』

 

甘粕はカンピオーネに関わる人間の習性として、悲観的な見方を述べる。神やカンピオーネが関わる事態には最悪の状況を想定するのが定石である。実際はその少し斜め上をいくこともしばしばだ。だから甘粕の見方は定石とすら言えるが、将悟はヴォバンをよく知るが故にもう少し別の見方を示した。

 

「どうだかねー。俺はそこまでやる気はないと見るが」

『と、言いますと?』

「簡単だ。上を見ればわかる」

 

ひょいと指で分厚い黒雲で覆われた夜空を示す。つられて恵那も視線を空に向け、甘粕も電話口の向こう側でそれに倣っているだろう。

 

『……曇っていますな』

「だが降り出すには程遠い。空気の湿り気もそれほどじゃない」

 

誤った解答に対して淡々と機械的に正答を指摘する調子で将悟は言う。

 

「テンションが天候に直結するじい様だからな。本気でその気ならとうの昔に土砂降りになっていないとおかしい」

『では侯爵は将悟さんと争う気はないと? 確かにリリアナ嬢は事を荒立てる気が無いと言っていましたが…』

 

ちょっと信じ難い、との本音が透けて見える口調。将悟としてもヴォバンの扱いに異論はないが、もっと救いのない事実も知っている。

 

「たぶん、じい様自身にはそこまで荒事にする気はないと思う。だから鉄火場に(・・・・・・・)ならないとは限らないが(・・・・・・・・・・・)

 

例え俺がいなくてもな、と将悟。

 

本人にそのつもりがなくとも勝手に揉め事の火種、または注がれる油になり、その規模を拡大させていく。全てのカンピオーネに共通する得意技……というよりも生態と言うべき特徴である。草薙護堂、アレクサンドル・ガスコイン辺りがその典型だろう。

 

そして今しがた名前が挙がった魔王が、丁度このすぐ近くに住んでいるのだ。間の悪いことに攫われた裕理はひと月前の騒動以来草薙護堂と交流を深めている。おまけに人一倍義侠心と公共心を持ち合わせ、後先考えず突っ走るその性格。

 

「これで楽観視出来る奴がいたら、思わず指を差して笑う自信があるな」

『やめてくださいよ。また予言を成就させた貴方にそう言われると、1%の希望すら消えてしまいそうだ』

 

1%の希望……つまり甘粕もまた確信しているのだ、草薙護堂の参戦を。だが護堂の存在に頭を痛める甘粕と少しだけ異なり、将悟はより積極的に考えを進め、平然と果断な決断を下す。

 

「毒も喰らえば皿までだ。潔く1%の希望なんて捨てちまおう」

『……と、言いますと?』

 

先ほどと同じ言葉を、覿面に重苦しい調子で繰り返す。なんとなく言いたいことを察しつつあくまで乗り気ではないという意思をこれ以上なく雄弁に表現した一言であったが、将悟はもちろん頓着せずに続けた。

 

「こっちから草薙に状況を知らせろ。放置して、良いところで横合いから殴りつけられるくらいなら最初から巻き込んでスタンスを確かめる」

『日本の平和を守る公務員としては出来ればそのお考えは取り下げていただきたいのですが…』

「はっきり言うがリスクはどちらも大差ないぜ? 草薙が何も気付かず、呑気に爆睡してくれる可能性に賭けるなら別だが」

『大穴狙いのギャンブラーでも断固拒否するでしょうね、賭けが成り立たないと。しかしそんな…カンピオーネのお三方が相争う地獄絵図を、本当にコントロール出来るので?』

 

神殺しと言う種族への理解から来る深刻な危惧と疑念に満ちた問いに少年はいっそあっけらかんと答える。

 

「無理に決まってるだろ。イギリスの時もそうだった」

 

と、かつての騒動を余計にこじらせる一端に関わった少年がそうのたまった。

 

「単純な話だよ。見えないところで動かれて予想外のことをやらかされるより、いっそ目が届くところで暴れてもらった方がまだましだ」

『その“暴れる”というのが唯一にして最大の問題だと思うのですが』

 

予想外のファクターを嫌う将悟に対し、首都東京へもたらされる広範囲の物理的な被害を憂慮する甘粕。こうした騒動に際し二人の意見が分かれるのはしばしば見られることだが、議論になることは少ない。大抵の場合将悟が譲らず、素早く見切りをつけた甘粕が折れるからだ。

 

最近とみに多くなってきた溜息をまたこぼし、甘粕は了承の意を示した。

 

『かしこまりました。万事、仰せの通りに』

「頼んだ…。悪いな、甘粕さん」

『もう慣れました。それより少し自重というものを覚えていただけると嬉しいですな』

「ごめん無理。なんせ相手が無茶苦茶な連中ばっかりだからなァ…、真面目にやってちゃラチが開かないんだ」

『将悟さんが取る行動が多くの場合有効なのは認めます。ただ、傍から見ていると嵐の中で綱渡りしているようにしか思えないんですよ。私の胃を少しは心配してくれても罰は当たりませんって』

 

愚痴を交えて、しかし真摯に少年の身を案じる言葉を口にするエージェントに少しだけ口元を笑みの形に歪める。

 

「ほんと悪いね、“これからも”苦労を掛ける」

『知ってました。将悟さんですからね』

 

暗に自重するつもりはないと答えながら、同時に数多の騒動に協力して解決する中で築いた信頼と絆を言葉に乗せる。

 

俺の街(うしろ)を任せる。甘粕さんなら上手くやれるだろ?」

『―――お任せあれ。ま、伊達にあなたのお付きで鍛えられてはいませんよ』

 

甘粕は恒例となった溜息を吐きつつ、密かに胸の内を焼く熱いものを反芻する。

 

次から次へと迫りくる厄介ごとに胃を痛めながら、暴走する少年に突っ込みと諫言を入れ、更にそのフォローに奔走する。この少年の女房役は今のところ自分以外勤まらないだろうし、ついでに言えば誰かに譲る気もない。そんな自負のこもった応えだった。

 

やはり良かれ悪しかれ、カンピオーネという人種は人を狂わせる何かがあるな…と思いながら。

 

「俺は少し避難誘導を手伝ってくる。委員会だけじゃ人手は足りないだろう。それが終わればじい様の所だ」

『……あー。まあ手伝っていただけるなら有り難いことこの上ありませんが―――本気でやるつもりなんですね、我らが王様は』

「多分今までで一、二を争うくらいには酷いことになるなー」

『そこは断言して欲しくなかったですねー…』

 

いっそ確信と言っていい念が込められた不吉な宣言に暗鬱な未来を予期しながら、せめてもの次善を行うため、甘粕は通話を切ると行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴォバン一行がかりそめの拠点としたホテルの一角で、リリアナは万理谷裕理の目覚めを待っていた。常に謹厳な態度を崩さ胃ない彼女だが、今はいつも以上にむっつりと黙り込み、不機嫌な気配を漂わせていた。

 

その原因はやはりと言うべきか、ヴォバン侯爵にあった。

 

リリアナが裕理と二人の従僕を連れて帰還すると、ヴォバンは常に無い機嫌の良さで迎え、あまつさえ褒美の言葉まで与えたのだ。ここまでならリリアナも困惑しつつ丁重に対応するだけだったのだが、その中でふとこぼれた言葉にリリアナが危機感を覚えた。

 

ヴォバンがこともなげに言ったのだ、このホテルは貸切っておいた…と。

 

無論この暴虐なる魔王に正当な手続きを踏んで一般人を退去させる真似ができるとは…そもそもやろうとしないであろうことは簡単に想像できる。嫌な予感が全力で警鐘を鳴らしていた。リリアナはヴォバンとのやりとりもそこそこにホテル中を歩き回るとすぐに嫌な予感を裏付ける代物をいくつも発見できた。

 

それは極限までリアリティを求めた、人の姿を塩塊で象った彫像だった。否、彼らは人間だった。暴虐なる魔王の邪視を受けて塩の柱と化した無辜の犠牲者たちなのだ。多くは日常の中にいたのだろう、ありふれた情景を切り取り、そのまま塩の彫像と化した彼らは見かけだけは平穏そのものであった。

 

事を荒立てる気はないといってすぐにこの所業である。

 

無辜の民に振るわれた仕打ちへの騎士としての憤り、止める機会すら与えられなかった自分への無力感。おまけに決死の覚悟で諫言に臨んだものの、一言で切り捨てられたみじめさ。もろもろ併せてせめてもの抗議の意を示すため、以降裕理の容態を見るという名目で部屋に引きこもり、ヴォバンとは最低限の言葉しか交わしていない。

 

陰鬱な気分を引きずりながら、万理谷裕理の容態を見ていると。

 

「……ここは」

 

無意識にこぼれた呟きに、リリアナは意識して淡々とした口調を保って答えた。

 

「ここは私たちが…、ヴォバン侯爵が逗留されているホテルだ。万理谷裕理、あなたはヴォバン侯爵の命を受け、その身柄を強奪された」

「―――あなたはっ…。いえ、そんなことより侯爵がこの国に…? ではあの霊視は―――」

「驚くのは当然だが、まず落ち着くと良い。諫言一つ容れて貰えぬ身だが、せめて貴方がいまの状況を理解する役に立ちたいと思っている」

 

裕理の認識では、魔導書の鑑定中に唐突に霊視を得て気絶。ようやく目覚めてからは見慣れぬ外国人の少女から驚くべき発言を聞かされ、今まさに混乱のただなかにいる。偽善と分かっていてなお、この少女に真摯に向き合うことだけがリリアナに出来る贖罪であった。

 

リリアナは予め淹れておいた紅茶を裕理に差し出すと、十数分の時間をかけてゆっくりと事情を説明する。

 

当初こそ混乱し、訳もわからぬといった風の裕理だったが、リリアナが最初から遡って事態の推移を説明していくと次第に落ち着きを取り戻していく。リリアナが驚いたのは四年前の儀式に再度巻き込まれると聞いても、意外なほど反応を見せなかったことだ。それよりもむしろリリアナと例のニンジャマスターのやりとりや草薙護堂の安否について関心を持っているように感じられた。

 

災禍に巻き込まれた己の身にはどこか達観した様子なのだ。思い返せば四年前もそうだった。彼女自身ひどく怯えていたにもかかわらず、周囲の少女たちを慮って自ら儀式の前への先陣を切ってみせた。

 

やはり人の性格と言うのは四年と少し程度では変わらないらしい、とリリアナはほんの少し暖かいものを覚える。

 

「リリアナさん…?」

「いや、すまない。四年前の貴方のことを思い出していた」

 

リリアナの表情がわずかにほころんだのを感じたのだろう、裕理がきょとんとした様子で問いかけると思わず素直に胸の内を漏らしてしまう。

 

「えっ? 私とリリアナさんは四年前にもお会いしていたのですか!?」

「ああ。私もまた霊視の才を持つ魔女だからな。自ら勇気を振り絞り、儀式場へ向かった貴方のことはよく覚えているし、儀式の前には少しだけ話もした」

「そ、そうだったのですか…。申し訳ありません。気付かずに」

「無理もないさ。私自身、あの場にいた者たちの中で覚えているのは貴方ぐらいだ」

 

旧交を温める、というには置かれたシチュエーションが物騒だったが、共通する過去を持つとそれだけで互いに親近感を抱けるものだ。裕理の警戒したような空気が緩み、先ほどより滑らかに言葉を交わし合う。

 

影から湧き出るように死相を浮かべた従僕が1人、部屋に現れリリアナを手招きする。

 

「……お呼びがかかったか。すまないが、私はここで」

 

退室する旨を告げようとしたリリアナだが、従僕はそれを遮って身振りで裕理もまた指し示す。

 

「彼女も、と。なるほど、ついに来たか」

 

憂鬱な心情を隠さず、重苦しい声音で呟く。

 

「来た、とは?」

「恐らくはこの国のカンピオーネが来たのだろう。真意は不明だが、侯は己が力ではなく言葉を以て智慧の王に対するおつもりだ」

「そう、ですか」

 

裕理は王が来たことではなく、リリアナの言葉にホッとした雰囲気をこぼした。リリアナはそんな心優しい少女に多大な尊敬と、僅かに同情を示すと何度目か知らない溜息を吐き、裕理をささえながら出来るだけゆっくりと歩きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リリアナ・クラニチャールを尾行した甘粕が探り当てたヴォバン一行のねぐらは、都内にある高級ホテルであった。数万平方メートルの広い敷地内の多くを見事な日本庭園が占め、素晴らしい美観を提供している。

 

都内の一画を占めるだけあり、本来ならそれなり以上の人の流れがあってもおかしくないのだが、ホテル周囲の建物も含めて人気が全くないゴーストタウンと化していた。その理由は二つ、ホテル内の人間をヴォバンが悉くその邪視の権能によって塩の塊にしてしまったこと。そして正史編纂委員会によるホテルを含む周辺一帯の避難誘導と封鎖によるものだ。

 

そんな人っ子一人見当たらない街並みを、将悟はゆっくりと歩いていく。その気になれば魔術を行使して瞬きの内にホテルへ侵入することも可能だが、敢えて無駄に時間を使って何かを確認するように自分の足だけを使う。

 

だがそんな時間もあっという間に使い果たし、拠点であるホテルの目の前まで来てしまう。

眼前に建つホテルの何処かに、目当ての老王は待ち構えているだろう。

 

「おっかねー」

 

ポツリと本音を呟きながらホテルを見上げる。

赤坂将悟はデヤンスタール・ヴォバンという魔王をよく知っている。その気性も、隔絶した実力も。

 

正直に言えば勝ち目は薄い。彼我の間には未だ埋めきれない実力差が立ち塞がり、以前の諍いでこちらの手札は少なからずバレている。おまけに前回の争乱時と違って、黒王子アレクの相手をした“余り”で将悟と相対するような驕りは最早見せることはないだろう。

 

客観的に戦況を分析した場合、下手をすれば前回よりも不利とすら言える。

 

「それでも―――」

 

呟いた。

将悟ではなく、恵那が。

 

「引き下がれない…ううん、侯爵様に負けたくないんでしょ?」

 

分かっていると、その上で付き従うと目で語り掛けながら。

 

「なら、行こう」

 

そう、力強く言い切った。

 

「そうだな」

 

嗚呼、やはり良い女だな―――そんな、惚気にも似た感想を胸の内に漏らしながら。

 

勝てるから(・・・・・)戦うんじゃない、勝ちたいから(・・・・・・)戦うんだ」

 

そう、それが俺たち(カンピオーネ)の流儀なのだ。

なるほど確かにヴォバンは強敵だろう、だが己がカンピオーネに成り上がるための最初の戦い…只人の身でトートへ挑んだ時ほどの戦力差ではないのだ。

 

それを考えればヴォバンに勝つことなど、なんと容易いことか!

 

未だ埋まらぬ膨大な戦力差、状況は先ほどと比べて何一つ変わってなどいない。だが将悟の心は随分と軽くなっていた。悪戯っぽい笑みを浮かべて従う恵那を伴い、ホテルのエントランスホールに続くドアをくぐった。その先には―――、

 

「……あのじい様、相変わらずだな」

 

呆れたように嘆息をこぼす将悟の視線の先には真っ白な人型。ホテルマンの日常の一枚を切り取り、塩から彫刻を削り出せばこうなるかもしれない。そんなどこか寒気を感じさせる彫像が視界に幾つも映る。

 

「これが、ソドムの瞳…」

「大概の敵をひと睨みするだけで塩に変える権能だ。これがある限り聖騎士の位階持ちだろうと障害物にもならん」

 

その畏敬の念に満ちた呟きに、将悟はいっそ無感動な調子で言葉を返す。

 

ある意味只人とヴォバン侯爵を絶対的に隔てる壁とも言える。どれほどの腕自慢だろうと振るう力が人間の範疇に収まる限り、ヴォバン侯爵は視線一つで命を握ることが出来るのだ。

 

この悪名高き邪視の権能を受けてなお、抗える者。それこそがヴォバンに敵と認められるための最低条件なのである。

 

そのままホテルの中を進んでいくと、二人を出迎えたのは中世騎士物語から抜け出てきたようなサーコートと全身甲冑に身を固めた騎士姿の従僕であった。素肌は一切露出していないが、動作一つ一つに生気が薄い。決して動きが鈍い訳ではないのだが、どこか人形のようにぎこちない感じがするのだ。

 

一礼した死せる従僕に黙ったまま頷くと、何も言わずに背を向けて先導を始める騎士。そのまま付いていくと、やがてある一室の扉の前に辿り着く。神と神殺しが接近した時のような独特の感覚は無い、だがどこか敵意と高揚感が混じった熱がほのかに胸に湧きだしてくる。根拠なく確信する、ここにヴォバンがいるのだ。

 

「案内ご苦労さん。もういいぜ、助かった」

 

ありがとよ、と声をかけると心なしか先ほどより念の籠った一礼を返された気がした。

 

やっぱあのジジイの権能はロクでもないなーと再確認しつつ、特に気負うでもなく扉に手をかける。そのまま無造作に開けると中々快適そうな椅子に腰かけた老侯爵、そしてその傍らには見慣れぬ女騎士と囚われの万理谷裕理の姿があった。

 

「よく来たな、赤坂将悟。そして清秋院恵那よ」

 

“あの”ヴォバン侯爵が同格のカンピオーネのみならず、その従者の名前を諳んじている。その事実に驚愕を込めた視線を見知らぬ日本人の少女に向けるリリアナを他所に、将悟は鷹揚に頷き、恵那は丁寧に一礼した。

 

「その様子では我が企図について既に耳にしたようだな」

「概略は。儀式に必要な巫女を揃えるために、万理谷を攫ったんだっけか」

 

肩をすくめながら答えると、ヴォバンも穏やかな調子で頷く。

 

「然様。時が無かった故に君の国で無作法を働いたことは謝罪しよう。しかし今ひと時は水に流し、我が言に耳を傾けてほしいものだな。損はさせぬと約束しよう」

 

ヴォバン侯爵はこう見えて老紳士の皮を被ることを好む見栄っ張り。一見物わかりの良さそうな言葉を紡ぎながら、その実中々身勝手なことをのたまう。相変わらずのゴーイングマイウェイぶりに生暖かいジト目を向けながら将悟もまた渋々だが頷くのだった。

 

「……ま、ツッコミどころは山ほどあるがひとまず話は聞くさ。喧嘩するのは何時でもできる」

 

後半部分に無視できない荒事の気配が漂っていたが、上々の滑り出しと言っていいだろう。将悟の口調も喧嘩腰ではあるが一触即発と言う程でもない。奇襲を仕掛けられる可能性も想定していたので、なんとか穏当に済むかもしれないとリリアナは一筋の希望を抱く。

 

「まずはかけたまえ。茶の一杯を飲んでからでも、話は遅くあるまい」

 

予想以上に静かな会談の立ち上がりに僅かな安堵を感じつつ、努めて楽観を自戒するリリアナ。少女はちらりと向けられた視線に一礼し、早々に命じられた紅茶の用意をするために一度席を外し、奥へと向かっていく。

 

その後ろ姿に一瞬目を向けた後、ヴォバンは人の悪い笑みを浮かべる。

 

「我が従僕どもも流石に茶のこしらえ方など心得ておらぬのでな。こうした時はまだ生きている従者を使う他はない」

「まだとか言うなよ。趣味が悪いぞ…」

 

リリアナが胸の奥に抱いている叛意を見抜き、揶揄するような言葉を口に出す老侯爵。その悪趣味なからかいに対し、あくまで謹厳に実直に応じているリリアナ。将悟もそんな様子を見て二人が互いに抱いている心象を何となく悟ったらしい。呆れたように言葉を継ぐ。

 

「まともな神経を持っていれば、あんたの相手をしていて反感を持つなっていう方が無理な話だろうさ」

「だ、ろうな。尤もその程度の気概もなくては傍に置く気も起こらん。そういう意味であれも私好みの狼の魂を持つ娘だぞ」

「あんたに気に入られるとは気の毒な話だ。適当に遊んだらとっとと解放してやれよ」

「さて、それはあの娘次第だな。我が手勢に加わるに十分な力量を持っておる。その上で私に牙を剥くならば―――止むをえまい?」

「それは止むを得ない、なんて言う時の顔じゃないぞ、じい様」

 

色々と手遅れな類の人でなしを見る将悟に、どこまでも傲岸不遜な調子で笑みを浮かべるヴォバン。

 

周囲に置く人間の好みに癖がある、という共通点のある両者である。傍から聞いていて頭痛のしそうな雑談をテンポよく繰り広げる姿は……年の離れた友人同士の語らいのように見えなくはない。無論、それはうわべだけ。両者を知らない第三者が見た場合の錯覚でしかないのだが。

 

そんな中身のない会話を続けていると、やがて紅茶を饗するための道具一式を持ったリリアナが戻って来た。流石に当人の前で先ほどまでの開けっ広げすぎる話を続ける気にはなれない。

 

ヴォバンと将悟の前に恭しい仕草で紅茶が置かれると、そのまま無造作にカップを手に取って一口。味など大して分からないが、少なくとも香りは抜群に良かった。ヴォバンも手に取って早々に一杯目を乾したが、文句も言わなかった辺り恐らく不味くはないのだろう。

 

さておき、雑談を終え、茶の一杯も供され、本格的な交渉を始める準備は整ったと言っていいだろう。

 

「ふむ、では本題に入ると……ちっ」

 

ようやく会談の本番、というところで唐突に忌々し気に舌打ちするヴォバン。その視線は部屋の壁……その向こう側にある何者かに向けられていた。その原因に少なからず心当たりがある将悟だが、笑いを漏らすのは努めて堪え、出来るだけ謹厳な風を装って問いかける。

 

「どうかしたのか、じい様」

「……侵入者だ。無粋な鼠め、早々に始末をつけてくれよう」

「ああ、ようやく来たか」

 

件の侵入者を知っている風の将悟にどういうつもりだと不機嫌さと疑問を込めた視線を向ける。

 

「ま、お付きに紅い悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)がいるんだ。すぐにこっちに来るだろうよ」

「…そうか。そう言えば8人目が生まれたのはこの島国であったか」

 

半呼吸程思索に費やした沈黙を挟み、得心がいったと頷く。本気で8人目―――草薙護堂は眼中になかったのだろう。流石は三〇〇を超える齢を経た大魔王、例えカンピオーネと言えど面識もない新参者程度ヴォバンにとっては名を覚える価値もない小物に過ぎないのだ。

 

そしてまた沈黙が降りてしばらくの時が経ち。

 

「……来たか」

 

ピクリ、と閉じていた瞼を開いたヴォバンが一つしかない扉を注視する。将悟もそれに倣い、視線を向けるとその数秒後にガチャリとドアノブが握られる音が響き、在室中の魔王二人に一切憚ることなく、堂々と扉が開け放たれた。

 

「赤坂…。お前もか」

 

扉の向こう方姿を見せたは言うまでもなく、八人目のカンピオーネ・草薙護堂。傍らに赤銅黒十字筆頭騎士・紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)の称号を引き継いだエリカ・ブランデッリを従えながらの登場であった。

 

が、ヴォバンの対面にふてぶてしく座る将悟を見て深々と溜息を吐いたのはどういう訳か。叶うならばひとしきり問い詰めたいところだったが、流石にそこまで空気が読めないわけでもない。結局は鼻で笑って無視を決め込むことにした。

 

しばらくの間将悟に非難と疑問を込めた視線を向けていた護堂。だが蛙の面に小便とばかりに平然としている様子を見ると意志の強さはそのままに視線をヴォバンに向けなおし、恐れを見せず口火を切った。

 

「あんたがヴォバン侯爵だな。万理谷を攫って行ったっていう」

 

ヴォバンはその非難混じりの詰問にも子犬が騒いだほどの驚きも見せず、平然と頷いて見せる。

 

「いかにも。私一人では成就が難しい儀式を控えていてな。協力者として同行願った」

「なにが協力者だ! 前に同じ儀式をやった時はほとんどの子の気が触れたって聞いたぞ!!」

 

怒鳴る護堂にヴォバンが声音だけは平静なまま返事を返す。

 

「そうだな。それがどうした? 王の望みに従う…それこそが魔術師どもの義務であろう?」

「ふざけんな! そんな危険な儀式、一人で勝手にやってろ。他人を巻き込むなよ!」

「別段巻き込みたい訳ではないのだがな。だが彼女らがいなければ儀式を成せないのだから仕方があるまい」

 

口論が成り立っているようで成り立っていない。お互いがお互いの主張とも言えない言葉を投げつけ合っているだけだ。分かってはいたが最初から喧嘩腰の護堂とまともに取り合うつもりのないヴォバンのやりとりはかなり険悪だ。

 

将悟としてはどちらかと言えば護堂の意見に賛成だが(特にわざわざ日本までやってきたことについて)、このままでは話が進む前に怪獣大決戦が始まりそうだった。諸々の事情からそれを看過できないため、己に不向きと自覚しながら仲裁のために口を挟む。

 

「草薙、このじい様に倫理を説いても労力の無駄だ。まともに話すつもりがあるなら実務的なところだけにしておけ」

 

端的に忠告だけ投げると、今度はヴォバンに向き直る。

 

「じい様も三世紀は生きてるくせに大人げない真似してんじゃねーよ。必要なところ以外は流せ」

 

さっさと話を進めろ、と心底面倒くさそうに手を振る将悟と同じくらい渋面を作った同族達がやはり渋々と矛を収める。

 

仲裁役や進行役という役柄がこれほど似つかわしくない人間も珍しい。だというのに将悟がその役割を担ってしまっているあたり、この会談の参加者の無軌道っぷり、滅茶苦茶っぷりがうかがえた。

 

なお上々の滑り出し、と思えた期待が開始早々裏切られ、リリアナの胃がキリキリと痛み出したのだがこれは全く会談と関係のない蛇足だろう。

 

何はともあれ。

 

ヴォバンの背にはリリアナ・クラニチャールが傅き。

草薙護堂の傍らにエリカ・ブランデッリが侍り。

赤坂将悟の隣に清秋院恵那が控える。

 

それぞれ警戒、好奇心、敵意を混じった視線を向け合いながら主に従う三人の少女たち。奇しくも三人の魔王と、同数の従者がそれぞれの主の傍に控える会談の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会談の口火を切ったのはやはりと言うべきか、この騒動の火付け役と言えるヴォバンだった。

 

「見ての通り、巫女の身柄はこのヴォバンが浚わせてもらった。しかし必要以上にこの国で騒ぎを起こすつもりはない。それはまず伝えておこう」

「騒ぎを起こすつもりが無いってあんたな、これまでだけで十分大騒ぎだ!」

 

我田引水な話しぶりに早速ツッコミを入れた護堂に、ブリザードの如き冷徹な排除の意思が込められた視線を向ける。

 

「黙って最後まで聞いておれ、小僧。同格の王ゆえに同席を許したが、必要になれば私直々に始末をつけても良いのだぞ」

 

大袈裟に言っている気配が一欠けらもない。護堂がそれ以上余計なことを言えば、実力で排除すると言葉よりも雄弁に視線で語っていた。悪いことにヴォバンの上から目線な発言に反発する意志が視線に籠っていたが、これ以上二人に口論させれば決着がつく前にホテルを含む一区画が更地になるだろう。

 

護堂の言い分も尤もだが、世の中には正論の通じない人種が確実に存在する。そしてこの老王はその最右翼と言っていい。

 

「……草薙、いい加減黙れ。このじい様に良識なんてものを期待するな。分かるか? 腹を立てるだけエネルギーの無駄なんだよ」

 

学習しない後進にいい加減イライラとした声音で忠告を投げつける。

 

「この話が終わったのなら一戦交えようが好きにしろ。ただな、それまでは黙ってろ」

 

何時になくナーバスな様子の将悟に何かを感じたのか、護堂は顔一杯に分かりやすく不満と怒りを籠らせながらも沈黙を選ぶ。ようやく静かになった場に満足したのか、ヴォバンも先ほど中断された言葉の続きをゆっくりと紡ぎだす。

 

「赤坂将悟よ。君と私はいずれ互いの生死を賭けて争い合う間柄ではあるが、それにはやはり然るべき時と場所を選ばねばなるまい。そして、それは今ではない」

 

ただの喧嘩に大仰なことだ、と努めて冷静でいようとする将悟だがどうにも奇妙な興奮と充足感を覚えるのを止めることは出来なかった。将悟にとってこの老王は決して無視できない最大の仇敵。普段はそこまで好戦的ではない将悟に平時から珍しいほど戦意と闘争心を掻き立てさせるのはほとんど唯一ヴォバン侯爵のみだ。

 

その仇敵に対等の敵手として認められることに将悟はどこかくすぐったいような感覚を覚えていた。

 

「未だ君と争うには時が満ちていないと私は考える。故に我が力と権威ではなく、言葉と対価で以て巫女を貰い受けたい」

 

将悟は返答の代わりに口元に持って行ったカップを傾け、紅茶を味わいながら視線で続きを促す。ヴォバンもその非礼を大して気に留めず、胸の内で検討していた条件を無造作と言っていい口調で明かす。尤もその内容は軽い口調に比して些か以上にスケールの大きなものであったのだが。

 

「バルカン半島の我が拠点には、かつて私が殺め、下僕とした神獣どもを幾体か眠らせている。その内の一匹を君に貸与しよう」

 

自意識の封じられたケダモノ程度、君ならばどうとでも飼い馴らせるだろう…と挑発的に微笑むヴォバン。

 

神獣。

 

カンピオーネにとっては弱敵だが、人間の尺度からすれば半ば天災に等しい暴威である。それを掌中の玉を右手から左手に移す程度のことのように、造作もないとヴォバンは挑発的に微笑んだ。

 

「無論我らが変じ、あるいは操る顕身ほどの力は持たぬ。が、巫女一人の代価としては十分であろう。例え何らかの要因で死しても復活する神獣。一度我が元に帰って来こそするもの、死したから契約は無効などと詰まらんことは言わん。幾たびでも持っていくがいい。我が名にかけて誓おう」

 

実を言えば神獣はその霊的質量の巨大さ故に、人間の従僕のように自在に召喚することは出来ない。従って件の神獣も取引に応じても、神獣をなんとかしてはるばるバルカン半島から日本までユーラシア大陸を横断させる必要がある。

 

が、ヴォバンにはそこまで親切に話すつもりはなかったし、将悟ならどうにかできるだろうと思っていた。事実、太陽の権能と魔術を組み合わせれば時間はかかるがなんとかなるのだから、些細な問題だと言えなくもない。

 

とはいえもろもろの条件を加味しても、破格と言っていい申し出である。これで交渉の全権を握っているのが甘粕か沙耶宮馨であれば、“あの”ヴォバン侯爵から十分な譲歩を引き出したとして手打ちにしていたかもしれない。

 

だがこの場にいるのは赤坂将悟だ。

 

「ヤだね」

 

破格の取引の申し出は、ただ一言で以て拒絶された。

 

 

 

 




後編に続く!
要するに長くなったので分割です。
字数を使った割に全く話が進まないのはなぜなのか。

なお今回の投稿で出てきた『死せる従僕の檻』の神獣当たりの設定は一部オリジナル設定ですが、大部分は原作に沿っています。
本編には記述されていませんが、漫画版3巻の巻末おまけに各カンピオーネの権能の設定が載っています。その記述に基づいて文章を起こしました。

ちなみにWikipedia 『カンピオーネ!』の頁でも確認できます。編集者の人が非常に詳細に書いてくれているのです。

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