ゆうかりんか   作:かしこみ巫女

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第七十七話 機械仕掛けの彼岸花

 アリスは相変わらず人形を完成させるための作業を行っていた。魔理沙はそれを見守ることしかできない。パチュリーは紅茶を飲みながら何か書いているが、集中しているようには思えない。

 ――が、そこに闖入者が現れた。まるで突風のように。

 

「お邪魔します!!」

「うわぁ!!」

「――ぶっ!!」

 

 ドアが凄まじい勢いで開けられた。

 

 ソファーに座って様子を眺めていた魔理沙は、思わずひっくり返りそうになった。パチュリーは口から紅茶を吹き出している。ちょっと面白かったが、笑うと後が怖いのでやめておく。

 声は聞こえていたであろうアリスだが、ちらりと視線を向けただけで、再び作業に入ってしまった。人形をけしかけてきてもおかしくなかったが、余計なことに力を入れたくないのだろう。だから、魔理沙が天狗をおさえることにした。これぐらいしか今は手伝うことができないから。

 

 

「わ、私は姫海棠はたてです!! ここにアリスはいますか!!」

 

 アリスの家だからいるに決まっていると思うが、天狗はやけに焦っているようで、冷静な判断が下せるようには思えない。よって、ここは魔理沙が応対してやることにする。アリスの邪魔だけはさせてはいけないだろう。

 

「天狗が何の用だよ。悪いが、取材なら諦めろ」

「そんなんじゃないの。で、アリスはいる?」

「奥にいることはいるが、今は絶賛取り込み中だ。用件は代わりに聞いてやるから、今日はやめとけって」

「だから! そんな悠長なことを言っている場合じゃないの。ちょーっと失礼!!」

「お、おい!!」

 

 はたては勝手にずんずんと家の奥へと入って行った。魔理沙は慌ててアリスの作業室への道を塞ぐが、はたては全然別の方向へ行ってしまった。あの方向は――今は燐香が使っているはずの部屋だ。何で知ってるんだとか頭に浮かぶが、それどころではない。

 駆け込んでいくはたてを、魔理沙は急いで追いかける。すると、中から馬鹿でかい声が聞こえてきた。

 

「あ、あ、あったー!! やっぱりあった!! なんでか分からないけど、とにかくあった!」

「おい、うるさいぞ。それに勝手に人の家を漁るのは泥棒だぜ。……で、一体何があったんだ」

 

 自分の事を棚に上げて注意する。それはそれ、これはこれである。

 

「見て見て。世界を股に掛けてきた秘密道具。――その名も、携帯回路!!」

「は、はぁ? ……携帯回路?」

 

 はたてが某黄門様のごとく、印籠のように見せ付けてくる妙なもの。ぱっと見だと、魔理沙の八卦炉に良く似ている。だが、何か模様が妙だ。それに、魔理沙の八卦炉は、模様がぐるぐると回ったりしない。はたてが持つそれは、ぐるぐる回りながら、微風を送り出している。

 風を送り出す程度の道具だろうか。団扇の方が役に立ちそうだが。

 

「なんだそれ。風を起こす道具か? というか、なんでこんなものがここに?」

「今は説明してる時間が惜しいの。それに、少しは見覚えがあるんじゃない?」

 

 そう言われると、確かに何かひっかかるものがある。この形。なんだか、非常に親近感が湧くというか。まるで、自分が作ったかのような形に見える。作ったというより、改造したというか。……そんな覚えは全くないので、きっと気のせいに違いないのだが。

 

「うーむ。そう言われると、そんな気がしないこともないけど」

「さてと!」

 

 魔理沙が顎に手を当てて考え込んでいると、はたてはスタスタと歩き始める。本当にわが道を行く女だとちょっと感心するが、このままアリスに近づけるのは危険すぎる。警告なしに排除されてもおかしくない状況だ。

 肩に手を伸ばそうとするが、風圧で押し戻されてしまった。引き篭もりと評判だが、腐っても天狗らしい。文ほどではないが、風を操るようだ。

 

「お、おい! だからやめろって! 今は本当に殺し合いになるぞ!」

「そんな悠長なことに構っている時間はないの。アリスにはちゃんと話すから」

 

 はたてはアリスの作業場にずかずか入り込むと、作業台に勢いよく拳を振り下ろした。ドンという衝撃と共に、部品やら小刀がばらばらとすっとんでいった。

 アリスの作業が強引に中断させられる。一時停止したあと、顔がゆらりとはたてに向けられる。幽鬼のような動きで、非常に恐ろしい。

 

「……どういうつもり?」

「話を聞いて」

「取材なら、この異変の後に、幾らでも受け付けるわ。だから、私の邪魔をしないで。これが、最初で最後の警告よ」

 

 アリスの冷淡な声。視線は刺し殺すかのようなものになっている。あんなものを向けられたら、魔理沙ならその場にへたりこんでしまうだろう。だって、ここにいるだけで身体が震えてくるのだから。

 

「私の用件はそれよ。その作業を止めて、話を聞いて欲しいの。……貴方の計画、そのままだと失敗するから」

「…………」

 

 室温が十度くらい一気に下がった。ピシリと、空気が凍りついたような感覚を受ける。

 

「小刀を握り締める前に、これを見て。永遠亭の姫様と力を合わせて撮ったの。貴方なら、これの意味が分かるんじゃない?」

「…………写真?」

 

 アリスははたてから渡された写真に視線を落す。暫し眉を顰めて眺めていたアリスだが、何かに気付いたらしく、瞬時に表情を凍りつかせる。そして、写真を破り捨て魔法で燃やしてしまった。

 

「……こんな捏造写真を私に見せて、一体何が楽しいの? 私の慌てふためく姿でも撮りたかった?」

「ううん。貴方の計画は、ひとつを除いて完璧だった。ただ、その一つが命取り。だから、その写真の未来になった」

「そんな話を信じられるわけがないでしょう。まさか、未来視ができるとでもいうの?」

 

 アリスが人形を展開しはじめる。魔理沙の背後にも人形達。手には恐ろしげなものが握られている。夜に見たら絶叫するだろう。

 

「私の能力はただの念写だよ。姫様の能力は分からないけど。でも、それはきっとあった世界」

「馬鹿馬鹿しい。そんな言葉を信じられるほど、貴方と私の間に信頼関係はない。本当に時間がないの。とっとと出て行って!」

「貴方の計画は、白と黒、燐香を構成する二つを完全に保存し再構築する。で、でもね、一つ足りなかった。足りなかったの!!」

 

 魔理沙は、はたての叫びを聞いて、何かのピースが嵌ったような気がした。口から、自然と言葉がでてきてしまう。

 

「足りない? 足りないって何が」

「一つ、見落としてる」

 

 はたての言葉。『見落としている』。魔理沙は思い当たる事があったので、つい口を挟んでしまった。

 

「まさか。……白と黒だけじゃない?」

「え?」

 

 魔理沙の声に、パチュリーが反応する。そして、アリスも。

 

「……どういうこと?」

「もしかして、もしかしてだけど。白と黒だけじゃなく、もう一つ、何かあるんじゃないのか。……誰にも気付かれる事なく、そして、本人すら気付いていない何か。もしくは、その“何か”すらも、自分を白と勘違いしているのかも」

 

 透明だから気付かない。自分がある事に気がつかない。自分は消え行く白と思い込んでいる。

 

「だから、意味が分からない。一体、貴方は何を言っているの!?」

「私だって分からないさ。ただ、そもそもだ。燐香はどうやって誕生したんだ。あいつは、何をヨリシロとして誕生したんだ?」

 

 その言葉に、アリスが何かに気付いたような表情を浮かべる。

 

「……白は黒の霧散を防ぐ防殻。そのために、あの怨霊が埋め込んだ異界の存在。異なる属性を磁石のように接合させた。……黒は、負の思念の集まり。それが何故か、具現化して燐香を生み出した。……一体、幽香は何をヨリシロに――」

 

 黒が勝手に具現化することはない。幽香が何かした結果、燐香は生み出された。

 考え込んでいたパチュリーが、呟く。

 

「――まさか、彼岸花?」

「多分、間違いないと思う。花の精神とか自我とか、私には良く分からないけど。植物にだって、何かあるんじゃないのかな。ただ、それはひどく弱々しくて、黒を抑えきる力はなかった。だから直ぐに消えるはずだった。でも、どこかの悪霊に白を埋め込まれて、奇跡的に安定したの」

 

 はたてが、まるで見てきたかのように呟く。そして、続ける。

 

「それが、接着剤みたいな役割を担っていたとしたら。反発する白と黒の間を取り持つ。もしくは緩衝材とか。だから、貴方がやろうとしている術式だと――それは、完全に消えてなくなっちゃう」

 

 アリスが言葉を失い、そして、力なく小刀を落とした。

 

「……それが本当なら、どうしたらいいの。貴方の話は確かに、思い当たることもある。でも、貴方の言葉が真実か確かめる術はない。ならば、私はこれに賭けるしかない。調査している時間なんて、もう残されていない」

「そのために、この回路があるんだよ。皆の手を渡ってやってきた、これ!」

 

 はたてが得意気にそれを掲げてみせる。

 

「……それは、少し形が違うけど、八卦炉?」

「似てるけど、全然違うよ。これは携帯回路。このぐるぐるがとても大事なんだよ。話だけでも、聞いてくれないかな。こ、ここにいる、全員の協力が必要だと思うんだ」

 

 はたてが噛みながら、なんとか話を終えた。酷く疲れているように見える。

 アリスは目を瞑って暫く考えた後、小さく頷いた。

 

 はたての考えたという案を聞き、アリスとパチュリーは何度も質問を行った後、最後には頷いた。魔理沙には正直良く分からなかったが、何かを見落としているあの感覚はもうない。喉のつかえが取れたようで、非常に気分が良い。

 

 はたては、「また後で」と言うと、慌ただしく出て行ってしまった。全然引き篭もりに見えないのだが、なんとなく無理をしているような顔にも見えた。額に脂汗が浮かんでいたし、たまに言葉が途切れたり、顔が引き攣っていたから。

 それを我慢してでも、なんとかしたかったのだろう。その本気がアリスにも伝わったのかもしれない。でなければ、アリスがこんなに計画を変更するはずもない。

 ……もしくは、あの写真に相当衝撃的なものが写っていたか。もう確認はできないが。

 

 

「直ぐに術式を変更するわ。パチュリー、魔理沙、時間がない。貴方たちも手伝って」

「分かったわ。これを人形に組み込むのね」

「なんだか、妙な気分だぜ。見た目は八卦炉だしなぁ」

「ただ模様が一緒なだけでしょうに」

「ああ、実にセンスがいいよな。私のお気に入りになりそうだぜ」

「軽口を叩いてないで。さっさとやるわよ」

 

 アリスは花梨人形を作業台に乗せた。埋め込むのはこの携帯回路。大事なのは、ぐるぐる。――つまりは、循環だ。

 

 

 

 

 

 

 風見幽香は、太陽の畑から少し離れた荒地で、博麗霊夢と対峙していた。

 

 霊夢はいきなり因縁をつけてきたかと思うと、問答無用で攻撃をしかけてきたのだ。形式は弾幕勝負だが、殺し合いかと思うほど容赦がない。当然応戦するが、ひどく分が悪かった。重傷を負ったばかりの身体であり、本気の霊夢を相手にできるほど体力と妖力が回復していない。

 

「はあっ、はあっ。糞ッ」

 

 幽香は、乱れた呼吸を隠すことができない。紫あたりが見れば、無様だとほくそ笑むことだろう。だが、もうどうでもいい。このまま退治されるのも、自分に相応しい結末なのかもしれない。

 

「おい。何勝手に諦めたツラしてんのよ。ほら、いつもみたいに傲慢に笑いなさいよ。いつも最強とかほざいてたでしょうが」

「……そうだったかしらね。じゃあ、今日限りで返上するわ。……人外巫女のお前なら、最後の相手に不足はないでしょう」

「――こんの馬鹿妖怪がッ!!」

 

 大地を蹴って霊夢が高速で接近してくる。両腕で防御。その上から霊力を纏った打撃がたたきつけられる。衝撃が顔面を貫く。さらに、腹部に御札が散弾のようにたたきつけられる。一発一発が死ぬ程重い。巫女の癖に、肉弾戦闘が得意とは如何なものなのだろうか。

 

「――くッ!!」

「私が強くなってるんじゃない。アンタが弱くなってんのよ。妖怪は自分の精神に強く影響を受ける。確かにアンタは強い妖怪よ。それは認める。でも、今のアンタはそこらの雑魚妖怪以下。ねぇ、なんでか分かる?」

「さぁ。知るわけないでしょう」

「アンタが諦めたからよ」

 

 霊夢が幽香の胸倉を掴みあげてくる。強い視線が突き刺さる。

 

「最初に聞いたと思うけど、もう一度聞く。いや、何度でも聞いてやるわ。お前が是と言うまで、私は何度でも何度でも聞き続けるから、そのつもりでいなさい」

「ふ、ふふ。酷い質問の仕方ね。それが、博麗式なの?」

「違う、私式よ。私は私のやりたいようにやってるの。で、アンタ、本当にこのまま諦める気なの?」

 

 顔を限界まで近づけてくる。その目には、鋼の如く強い意志が宿っている。幽香はそれを受けきれず、思わず目を逸らした。

 

「こっちを見ろ。目を逸らすな」

「最初に言ったけれど。私は、無駄なことはしない主義――」

 

 横っ面を叩かれた。霊力分、威力が増しているので、もろに脳天を揺らされる。世界が揺らぐ。返す刀で、更にもう一発。本当に容赦がない。

 

「今は主義主張なんてどうでもいいのよ。姫海棠はたてとかいう天狗がね、燐香を助ける手段を考え付いたらしいの。それには、アンタの協力がいるってわけ。だから、お前を引っ張っていくと私が決めた。――で、協力する気になった?」

「ふふ、段々脅迫に変わってるじゃない。さっきも言ったけど、私は死んでもここを動く気はない。もう、何をしても無駄だから」

「どうしてそう思うわけ?」

「今更何ができると言うの。私が、この六十年間、こうならないために、どれだけ努力してきたと思うの。それを、知りもしないで――」

 

 頭突きが炸裂する。顎にもろにはいってしまった。口内が傷つき、血反吐が飛び散る。

 

「ぐっ!」

「アンタが何年、何十年、何百年頑張ってきたとかどうでもいいのよ。大事なのは今、この時でしょうが。で、協力する気になった?」

「……全くならないわね」

「あ、そう」

 

 足を払われ、体勢を崩される。御祓い棒の一撃が、無防備の背部に襲い掛かる。受身が取れない。激痛で地面でのた打ち回る。まるで芋虫みたいだと、思わず自嘲する。

 

「……わ、分からない、わね。貴方には、何の関係も、ないことなのに。放っておけば、あれは勝手に死ぬわよ。そして、異変は、無事に解決する。博麗の巫女が、どうして、こんな手間を」

「いいじゃない。ちょっと手間を掛けるだけで、全部スッキリ終わるなら、私はそっちを選ぶ。異変が起こったら黒幕の妖怪を叩きのめす。これは当たり前よ。だけど、どういう手段を取るかは私が決める。私は幻想郷の歯車じゃない。誰かの指示で動くなんてまっぴらごめんよ。だから、どうするかは、この私が決める!」

 

 霊夢が強く言い切った。幽香はよろよろと立ち上がり、苦笑を浮かべる。

 

「く、くくっ。あの、妖怪を倒すだけしか考えてなかった紫の玩具が、随分と感情を持つようになったわね。能面みたいな顔だった昔が、嘘のようじゃない」

 

 紫がどこからか用意してきた巫女。それが博麗霊夢。妖怪を倒し、幻想郷の安定を維持するためだけに存在する歯車。そのように紫の式神に教育されてきたはず。それが、随分と人間らしくなったものだ。それが、紫の計画通りなのかは知ったことではない。

 

「馬鹿共とかかわりすぎたからね。まぁ、そのおかげで、色々な考え方や動き方、そして、生き方を学んだわ。全部が今の私の糧となってる。無駄なんて一つもない」

 

 霊夢が強く言い切った。

 

「…………」

「でさ、アンタの馬鹿娘。まだまだ面白そうな動きをしそうでしょう。だから、今回は助ける事に決めた。全部私のためにね」

「く、あははははっ。そ、それだけのために、首を突っ込もうとしているの?」

「十分でしょ」

「ふざけるなよ。糞餓鬼が」

 

 幽香は大地を踏みきり、霊夢の顔面を木っ端微塵にするべく、全身全霊をかけた一撃をぶっ放す。手加減なしだ。

 

「――ッ」

「だからさ。今のアンタは雑魚妖怪と一緒なのよ。そんな見え見えの攻撃に当たるわけないでしょ」

 

 繰り出した右手を絡め取られ、そのまま当て身投げを食らわされる。右手がイカれた。治癒が追いつかない。腹部に蹴りを入れられる。

 

「で。いよいよ協力する気になった?」

「……殺しなさい。今の私では、お前には勝てないみたいだし。本当に、不愉快だけど、仕方がない」

「駄目よ。アンタが行くと言うまで――」

「殺せ! 私は、あの子の苦しむ姿を見たくない。私が出向けば、きっと、私が手を下すことになる。そういう予感がする。だから、私はここを動かない。誰が何を言おうと、絶対に――」

「ああ、なるほど。それが、駄々を捏ねてた理由か」

「…………」

 

 霊夢が腕を組んで、一人で納得した様子を見せる。

 

「……こんの馬鹿親がッ!!」

 

 霊夢が歯を剥き出しにして怒りを露わにしてくる。

 

「お前に、何が分かるというの」

「私に分かるわけないじゃない」

「ならば、余計な口を挟むなッ!!」

 

 こいつには分からないのだ。あの子はもう駄目だと分かっている。だから、先に楽になろうとした。黒の憎悪が少しでも残っているうちに。それが、自分にとって救いになるような気がしたから。だが、紫のお節介のせいで、死に場所を奪われてしまった。

 

 燐香はいよいよ暴走を始めようとしている。もう間に合わない。止められない。行きたいという気持ちはある。だが、行けば、きっと自分が手を下すことになる。そんなことになったら、とてもじゃないが耐えられない。だから、ここにいる。ここにいれば、嫌なことを見ずに済む。聞かなくて済む。ずっと記憶に浸りながら、目を閉じ、耳を塞いで穏やかに暮らしていく。自分という存在が、いつか消えてなくなるその日まで。それでいいと思った。

 

 だが、この闖入者がそんなことを理解するはずが無い。こいつは、妖怪退治の専門家の博麗霊夢なのだから。

 

「私は親になんてなったことないから、偉そうなことを言う気はないわよ。でも、だからって、逃げてるんじゃないわよ。そういうのが一番腹立たしいのよね。悪あがきでもいいから、最後まで動けッ!!」

「…………」

「いい? 燐香は白と黒だけじゃない。もう一つ、何かあるんだとか。だけど、その最後の何かを見つけ出せるのはアンタだけなのよ。だから、協力しなさい。別に、失敗したって良いじゃない。予定通りに死ぬだけでしょ」

「――博麗霊夢ッ!!」

 

 幽香は殺すつもりで霊夢に拳を振りかざした。今なら隙だらけで、絶対に当たる。そう思ったからだ。だが、霊夢の顔を見て、左拳は止まってしまった。ひどく、穏やかな顔をしていたから。先ほどの鬼の形相とは違っていた。

 

「やる事全部やって、それでも駄目だったら、ちゃんと最期を看取ってやりなさいよ。アンタ、親なんでしょうが。……でも、上手くいくと思うわよ。ま、アンタがその気になればだけど」

 

 霊夢の手が離され、幽香は解放された。そして、こちらの答えを待っている。否と言えば、また一方的な戦闘が開始されるのだろう。

 ということは、既に結果は決まっているんじゃないか。こいつは、最終的に両手両脚を圧し折ってでも自分を連れて行くのだろう。

 

「本当に、容赦が無い巫女。紫に、そう教育されたのかしら」

 

 幽香は溜息を吐き、その場に膝をつく。ダメージが酷い。

 

「ふん。アイツに何かを教わった覚えなんてないわ。私は私の道を行くだけよ」

「……そう」

「で、行く気になった? 次、否と言ったら、そのイカれた右手を更に圧し折るけど。次は左手ね。最後は両脚圧し折って、強引に連れて行く」

「……先に、何をするのかを教えなさい。それを聞いてから――」

「私は、行くか、行かないかを聞いてるのよ」

 

 博麗霊夢が強い口調で迫ってくる。本当に、腹立たしい巫女だ。だが、今の自分にはそれを咎める資格はない。諦めた以上、下級妖怪と言われても仕方が無い。実にみっともない話だ。いつもの自分なら、とても耐えられない恥辱。

 ならば。これだけみっともない醜態を晒したのだ。天敵であるこの博麗の巫女に。そして、八雲紫に。ならば、最後まで醜く足掻いてみても、いいのかもしれない。

 

「……行くわ」

「最初からそう言え、この馬鹿妖怪! 本当に無駄な時間と戦闘だった。ま、あの七色馬鹿が作業を完了するには丁度いい時間だったかもね」

「何を、する気でいるの。アリスの計画には、私の力は必要なかったはずでしょう」

「だから、はたてが何か考え付いたらしいのよ。なんだっけ。一度ばらばらに散らして、それから見つけて、循環させるとかなんとか。実は私も良く分からないんだけどさ。ま、詳しくはあいつに聞きなさいよ」

 

 霊夢が顎で、さっさと立てと促してくる。ああ、本当に情けないザマだ。幽香は服をはたいて、よろけを見せないように立ち上がる。ダメージは甚大だ。だが、今日一日くらいは意識を保てるだろう。

 

 はたての計画がどういうものかは知らない。アリスがなにを変えようとしているのかも知らない。もしも駄目なら、霊夢の言う通り、看取ってやろう。その時、自分は最大の後悔に襲われるであろうが、仕方がない。博麗の巫女いわく、それが、この世界に生み出した『親』の責任というものらしいから。

 

 

 

 

 

 

 準備を終えた魔理沙たちは、幽香と霊夢と合流して、紅魔館へと向かった。体力を回復してからでも良いのではとパチュリーが言っていたが、時間は早いほど良いと、はたてが強引に押し切ったからだ。

 アリスは魔力の消耗が激しく、幽香はどこぞの巫女のせいでボロボロだ。その霊夢も幾らか疲れているように見える。人外巫女のくせに珍しいことだ。明日はきっと雹が降る。

 

「……随分、素敵な色に変わってるのね」

 

 紅魔館上空に到着した幽香は、率直な感想を述べた。

 

「……わ、わ、私の家が。私の愛すべき紅魔館がまっくろくろすけに!! なぜぇ!!」

「お嬢様、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか! なにあのブラックな館! 名付けてブラックハウス! 不夜城ブラック!?」

 

 意味不明なことを絶叫し続けるレミリア。館の外では、フランドール、ルーミア、妖夢たちが蕾を操作して、館に黒い彼岸花を咲かせて黒く塗りつぶしていた。その身体には濃密な黒が纏わりついている。目は正気を維持しているとはとても思えない。瘴気に操られているようにも見える。

 

「外があれってことは、中は真っ黒よね」

「な、なんでなの。だって、こんなに早く、黒が膨張するはずがないのに」

「貴方が沢山動いたから、色々とズレが発生したんじゃないかしら。知らないけれど」

 

 呆然としているはたてに、パチュリーが他人事のように呟いた。

 

「とにかく、ここまで来たら話は簡単だろう。外の連中を片付けて、中に入って燐香を助ければいいんだろう? さっさとやろうぜ」

「そんなに簡単に言わないで。あの黒に囚われたら、どうなるか分からないわよ。下手をすると廃人になりかねない」

 

 パチュリーが懸念を示す。

 

「見てたって何も変わらないさ。そうだろう?」

 

 魔理沙は、幽香に確認する。幽香は、軽く頷いた。

 

「なんだか分からないけど、魔理沙、アンタは残りなさい。あと、咲夜もね」

「おい、ふざけんなよ。私はいくぞ」

 

 魔理沙は思わず霊夢を睨みつける。

 

「あいつら、暴走してるからしつこいわよ。だから、二手に分けた方が良いわ。中には必要最低限で突っ込む。他は外で露払い。私は結界を張れるから、中に行っても問題なし」

 

 霊夢が言い切る。魔理沙は悔しさを押し殺しながら、冷静に考える。確かに、外の連中の相手役も必要だろう。無意味に中に突っ込んだところで、邪魔にしかならない。

 

「……じゃあ、中に突入するのは、幽香、霊夢、アリス、はたてってとこか。後は、外の連中の相手だ!」

 

 魔理沙が言い切ると、霊夢がちょっと驚いた表情をする。

 

「へぇ。素直に譲るなんて、アンタらしくないじゃない。どういう風の吹き回し?」

「一々うるさい奴だな。私は空気が読めるのさ。ここは、私が出る幕じゃない」

「随分と殊勝になったのね」

 

 本当に腹の立つ巫女だ。魔理沙は殴りかかりたくなる気持ちを押さえ、手をしっしっと振る。

 

「うるさいな! なんとなくそんな気がするだけさ。それに、私は広いところじゃないと真価を発揮できないんでね。露払いはしてやるから、そうしたら突っ込めよ」

 

 魔理沙はミニ八卦炉を全力で握り締める。本当は自分が率先して中に向かいたい。どうなってるか確認したい。だが、なぜか脳裏に失敗した未来が浮かぶのだ。だから、譲る。次は絶対に譲らない。それだけのこと。

 悔しいなら、もっと力を磨かなくてはいけない。

 

「勝手に決まってしまったか。まぁ良い。私は馬鹿妹を折檻しなければな!! 不夜城ブラックの恨みは大きいぞ!」

「私はいつでもいいわ。というか、さっさと宜しく」

 

 偉そうな霊夢の声。本当に腹立たしい奴だと思いながら、魔理沙は頷く。

 

「じゃあいくぜ? ――恋符、マスタースパークッッ!!!!」

 

 紅魔館の正門に向かって全力のマスタースパークをぶっ放す。黒い靄がその勢いで押しのけられ、道が作られた。姫海棠はたてが風を纏って飛び出し、霊夢、幽香、アリスが続いて行く。

 抜け駆けして射命丸文も続こうとしたが、その前に黒を纏った魂魄妖夢に妨害されてしまった。

 

「ちょ、ちょっと。何をするんですか! 私も中に行きたいんですよ。あの中には特ダネが山ほど! 私が安全な最後尾にいたからって、ねらい打ちするのはいけません!」

「…………」

「あのぉ、聞いてます妖夢さん? 私は中で、この特大ネタの取材活動を――」

「アアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 黒を纏っていた魂魄妖夢の顔に、血管が浮かび上がる。目は焦点が合っていない。半霊はほとんど真っ黒。これは、完全に暴走状態だ。バーサーカー魂魄妖夢である。

 妖夢が剣を抜き放ち、風刃を文目掛けて繰り出し始める。あれに当たったら、多分やばい。着弾した地面が、凄まじい勢いで抉れている。肥大化した力が迸っている。

 

「あ、あやや。こ、これはまずいのでは。というか、なんで私ばっかり狙われて!?」

「お前、恨まれるようなことしたんじゃないのか」

「ま、まさか、前にからかったのを根に持ってるんですか!? なんてねちっこい!」

 

 文が叫ぶと、更に妖夢の攻撃が苛烈になる。どうやら正解らしい。腹の底に溜まってた憤怒が全力で溢れているのだろう。

 

「とにかく、お前が怒らせたんだから、お前が相手しろよな!」

「魔理沙さん、なんてことを! 私は何も関係ないんですよ! ただの報道関係者です!」

「うるせー! 全く関係ないくせに、しゃしゃりでてくるからそうなるんだ。というか普段の行いのせいだな、うん」

「ですから、あれはただの取材の一環で! ぎゃー!!」

「私が知るか! 言い訳なら妖夢にしろ!」

 

 魔理沙は涙目で回避行動をとり続ける文を放置して、レミリアの方へと視線を向ける。こっちはこっちで、凄い事になっていた。

 

「うらあああッ!! お前も真っ黒にしてやる!!」

「死ね!! この馬鹿妹が! 私の館の怒り、思い知れ!!」

「死ねって言ったほうが死ね! 黒の方がセンス良いし!」

「どこがよ!」

「全部!!」

「とにかく赤く塗りなおせ!! 赤は私の象徴だ!」

「じゃあ絶対に嫌だね!! というか、495年分の恨み思い知らせてやる!!」

 

 レミリアとフランドールが、大地に足をつけて、ひたすら殴り合っていた。フランドールも黒い瘴気を纏っており、いつもより力が底上げされている。咲夜はドン引きして、それを見守っている。姉妹喧嘩に手を出す勇気はないのだろう。

 

「いつもいつもいつもいつも、自分ばっかり楽しい思いしやがって! くたばりやがれッ!」

「お前がいつもいつもいつも台無しにするからだろうが!! たまには頭を冷やす事を覚えろ!」

「嫌!」

 

 魔理沙は放っておくことにした。あそこは最後までひたすら殴り合いを続ける事だろう。ちなみに、一撃一撃は岩をも砕くであろう破壊力なのは言うまでもない。

 

「で、私たちの相手は、お前か」

「ま、そうなるのかなー」

 

 魔理沙が警戒しながら、最後の妖怪と対峙する。黒の瘴気を楽しそうに手で弄んでいる。いつものリボンは真っ黒に染まっている。何か、一番ヤバそうな臭いがするのは気のせいか。

 

「やっぱり私も含まれるのかしら?」

「当たり前だろ。そもそも、お前の家を奪還するための戦いでもあるわけだし」

「そう言われればそうだったわ。図書館が無事だからすっかり忘れていた」

 

 パチュリーが感情を篭めずにそう呟くと、目の前で嗤っている妖怪に視線を向ける。宵闇の妖怪、ルーミアだ。

 リボンを見せ付けるように何回か触った後、どうするかなーと楽しそうに独り言を言っている。

 

「うーん」

「よし。やるならとっととやろうぜ。ほかは派手にドンパチやってるし」

「うーん」

「おい」

「うーん」

「おーい。聞いてるかー」

 

 魔理沙が催促すると、ルーミアは、手をポンと打ち鳴らす。

 

「――よし、決めた!」

 

 そう言い切ると、ルーミアはこちらにふよふよと近づいてくる。あまりに自然体すぎて、つい接近を許してしまった。慌てて戦闘態勢を取る魔理沙を尻目に。

 

「私はそっちにつこうかなー。黒幕側を裏切ることにした」

「は、はぁ?」

「その方が面白くなりそうだし。やっぱり、いつも通り私は裏切らないとね。こういうのって、お約束らしいよ」

 

 そう言うと、連撃を繰り出し続ける妖夢に接近し、いきなりレーザー光線をぶっ放した。不意を衝かれた妖夢は直撃を食らって、紅魔館の壁に打ち付けられる。また紅魔館が壊れた。

 

「――ッッ!! ル、ルーミアアアアアアアアアアアッ!!」

「あはははは、怒ったの妖夢? うん、なんだかもっと楽しくなってきた!!」

 

 妖夢とルーミア、更に射命丸文を交えての大混戦が開始。魔理沙とパチュリーはそれを呆然と見やる。何がなんだか分からない。

 

「……で、私たちはどうすればいいんだ?」

「さっさと混ざってくれば?」

「お前は」

「私はここで見物してるわ。暇つぶしにはなりそうだし。図書館だけは死守するけど」

「そうかよ!」

 

 魔理沙もカオスの坩堝へと飛び込む事にした。多分だが、魔力が尽きて地面に墜落したころには全て終わっている事だろう。それが、良い結果に終わっていればいう事は何も無い。

 

(頑張れよ。大丈夫、今度はきっと上手くいくさ!)

 

 

 

 

 黒い靄から絶え間なく生じてくる蔦を強引に引きちぎりながら、幽香たちは奥へと走り続ける。目的地は主の間だ。黒蔦以外は特に妨害もなく、目的地に到着し、部屋の扉を全力で蹴り破る。――そこには。

 

 ただ、黒い空間が広がっていた。月の光すら遮断する黒、黒、黒。それが、部屋の中を完全に塗りつぶしている。これでは中の様子を窺いようも無い。ただ、黒なのだ。

 

「……これはまた、びっくりするほど真っ黒ね」

「負の瘴気、それが更に凝縮されたもの。これに触れれば、恐らく肉体を侵食される。注意して」

 

 霊夢が呆れると、アリスが冷静に意見を述べる。

 

「で、でも、なんとかしないと」

「とは言ってもね。これをどうしろってのよ」

「…………」

 

 立ち止っている時間はない。幽香は、既にイカれている右手を試しに黒い空間に入れてみる。

 ジュッという不快な感触の後に、激痛が走る。顔には出さないように堪える。手を引き抜くと、右手は黒く変色し、醜く爛れていた。人間が入れば、黒化人間の出来上がりだろう。

 

「なるほど。そうなるわけね」

「う、ううっ。い、痛そう」

 

 泣きそうになっているはたて。足がガクガクと震えている。

 

「いっそ霊力弾で吹っ飛ばすのはどう?」

「だ、駄目。それだと、止めになっちゃうかも」

「人形ならどうかしら」

「多分無駄よ。アンタの糸が侵食されて、黒の手先にされるのがオチでしょ」

 

 アリスの意見に、霊夢が首を横に振る。考えている時間はない。だが、良案がない。幽香は、いっそ突っ込むかと考える。

 

「ぐ、ぐるぐるしかない」

「はぁ?」

「だ、だから、ぐるぐる。それで部屋を全力で掻き乱すの。その間に、中に入って、白と黒じゃない、『燐香』を見つければ――」

「それって、どうやるのよ」

「だ、だからぐるぐるで」

「だからさ、それをどうやんのかって聞いてんのよ! 何か案があるならさっさと言え!!」

 

 はたての胸倉を霊夢が掴みあげる。涙目のはたてがぼそぼそと小声で喋る。何を言っているかは聞こえないが、霊夢はふーんと頷いている。

 

「……なるほどね。だから、ぐるぐるってわけか。だけど、あの技って、人間が使うと死ぬんじゃなかったかしら」

「だ、大丈夫。原理を使うだけで、本当に封印するわけじゃないし。」

「よし。じゃあ、アンタと私でやるわけね」

「う、うん。そうしたら――」

 

 はたてと霊夢が、こちらに視線をむけてくる。

 

「幽香が見つけて、アリスが繋げる。それで、きっと」

「……分かったわ」

「それしか、手はなさそうね」

 

 全員が頷く。霊夢が両手で印を結び始める。はたては、周囲に風を巻き起こし、両手に風の渦を纏い始めた。射命丸ほどではないが、風を発生させることはできるようだ。だが、ひどく弱々しい。

 

「行くわよ。失敗したらぶちのめすわ」

「だ、だいじょぶ。わ、私、風を操るのは苦手だけど。というか、ほとんどやったことないけど」

「本当に平気なの?」

「だ、大事なのは、風の属性を、つけること。文を真似すれば、少しは出せるはず。た、多分」

「ちょっと。本当に大丈夫なんでしょうね」

「う、うん。平気。少し緊張しただけだから。……も、もう大丈夫。できるできるできる」

 

 何度も繰り返し、やがてはたてが強く頷くのを見ると、霊夢は両手を黒へと向けた。そして。

 

「――波ッ!!」

 

 燐香が使っていた魔封波もどきだったか。それを模した技を、霊夢が使用する。

 

「えいっ!!」

 

 はたてがその霊力波に風を纏わせる事により、あの技と同じ性質を持たせる。妖力を霧散させる渦。だが、それは掻き消すのではない。掻き乱し、取り込んで、対象へと封じ込める技。間違っても燐香を消し飛ばすことはない。

 

 黒の闇の中を、光が渦を巻き旋回していく。黒たちがおどろおどろおしい怨嗟と悲鳴が交わったものを上げ始める。黒の残滓が苦しんでいるのか。逃げ出そうとするが、引き込まれるように渦に巻き込まれていく。珈琲に、ミルクを垂らしたときのようだ。

 中の様子が徐々に分かり始めてくる。床に横たわっているのは、燐香。だが、それは白の燐香。今すぐ助け出してやりたいが、そのままでは何も変わらない。黒はどこまでもついてくるのだ。そして、黒がなければ燐香は生存できない。白もまた同様。

 

「アリス」

「ええ、大丈夫。準備はできてるわ」

 

 アリスが花梨人形を抱えている。これが鍵を握る。

 

「先に行くわ。後は宜しく」

 

 幽香は、部屋の中へ一歩足を踏み入れる。掻き乱されている黒が身体に当たり、全身に衝撃が走る。だが、堪える。渦の勢いが身体を揺るがす。それも堪える。黒の憎悪が精神を乱そうと働きかけてくる。それを耐える。

 倒れている白の燐香へ、ゆっくりと近づく。……意識はもうない。目は虚ろであり、その身体には黒い蔦が纏わりついている。顔色は灰色だ。生命活動を営んでいるようには全く見えない。だが、まだ呼吸をしている。

 部屋の中心から、黒い渦を注意深く見渡す。だが、もぞもぞと蠢くそれらは、どれも怨嗟の声をあげるばかりで、違いが全く分からない。本当に、この中に、三つ目の燐香が存在するのだろうか。

 

「…………」

「幽香ッ!! まだ分からないの? こっちも長くは続けられないわよ!!」

 

 霊夢の怒鳴り声が響く。元々霊夢の技ではない。霊力の消耗が激しいのだろう。はたては顔が既に真っ赤だ。そろそろ血管が切れてもおかしくない。

 周囲を見渡した後、幽香は静かに呟く。

 

「分からない」

「ああっ!?」

「分からないの。どれも同じ黒に見える。私には、違いが分からない」

「アンタ、母親でしょうが!!」

 

 霊夢の叫び声。自分は生み出しただけで、母親らしいことなどしてきたであろうか。していないだろう。消えてしまうことを恐れるあまり、辛くあたることしかしなかった。憎まれなければならなかった。そうしなければ、消えてしまうから。でも、結局はこういう事態に陥ってしまった。ならば、短い間になったとしても、親子として暮らしていくべきだったのではないか。

 

「…………どうしても、分からないのよ」

 

 幽香の身体に、周囲から黒が纏わり付いてくる。負の臭いを嗅ぎ取ったのか。侵食し、身体を乗っ取ろうとしているのか。その結末も悪くない、そんな風に思えてしまった。

 

「幽香ッ! そのままだと取り込まれるわよ! 心を強く保ちなさい!」

「…………」

 

 アリスの悲鳴のような声。なんだか遠い世界のように聞こえる。――と、幽香の頭に、何かがふわりと覆いかぶさる。何か、とても柔らかいもの。一瞬、何か、リボンが見えたような。

 頭にかぶさったそれを、手に取り、じっと見る。

 

「これは、マフラー?」

 

 幽香が、燐香に作ってやった赤いマフラーだった。何故ここにあるのか。どこから落ちてきたのか。分からない。だが、その温かい感触に、思わず手に力が入る。

 

「……あ」

 

 黒の渦の中。違和感のある箇所が、目に入った。何か、困惑したように、そこだけ動きがない。拠り所を求めるかのように、そこだけゆらゆらと渦の流れに逆らっている。

 

「――!!」

 

 幽香はその渦に手を入れ、腕が侵食されるのも気にせず、一気に引っ張り出した。今にも消えてしまいそうなほどの光。それが、おどおどとするように、揺れていた。

 

「つ、掴めた」

 

 これだ。これが、白と黒以外の、もう一つ。きっと、かつて、幽香と一緒に、笑って暮らしていたころの、燐香。白と黒が一緒になっても、彼女はそこにずっと存在していたのだ。彼女こそが、白と黒のバランスを保つための、核。白はその防殻を果たし、黒は存在するためのエネルギー。不要なものはない。全部、必要なのだ。

 幽香は、その薄く光っている彼女に、赤いマフラーを巻いてやった。そして。

 

「アリス!!」

「分かってるわ!! もう少しだけ堪えて!!」

 

 アリスは既に駆け込んできていた。そして、花梨人形を浮かべ、透明な“燐香”との間に素早く魔力糸を接続。花梨人形に装着された携帯回路が動き出す。その白と黒の陰陽印が、激しく回転を始める――。

 

「霊夢、はたて! 私が術式を発動するから、そうしたら技を解除して!」

 

 絶叫するアリス。霊夢が頷き、はたてに声をかける。

 

「分かったわ! はたて、気張りなさい!!」

「う、ううっ。も、もうきつい。私、駄目かも。あはは、お花畑が見える。死神も」

「ここで気絶したら本当に殺すわよ!!」

「や、やめて。が、がんばるから。こ、ここまで来たんだから」

「幽香は、最後まで彼女の存在を維持させて! 絶対に離さないようにッ!!」

 

 アリスが呪文の詠唱を始める。部屋の渦の回転が遅くなり始める。同時に、部屋を緑の光が照らし始める。それは球体のように広がり、そして、花梨人形を目指すように収縮していく。回路の回転はまだまだ速くなっていく。

 

 透明の燐香が、震えている。幽香は、その頭であろう部分を撫でてやり、力強く抱きしめた。

 

「大丈夫よ」

「…………」

「帰りましょう」

 

 燐香が小さく頷いた。

 

 拡散させ、見つけ出し、そして、彼女を核として循環させる。後は、全てを元に戻すだけ。

 

 ――アリスが展開した球体が閉じられていき、花梨人形に吸い込まれていく。最後に、強い光が弾けた。


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