――博麗神社。魔理沙は今日も霊夢相手にだらだらとだべっていた。特に何かをするわけではない。適当な感じでいられるこの時間が魔理沙は好きなのだ。
霊夢も特に文句を言わないので、遠慮なく遊びに来てはお茶を頂いている。今日は何故か妖夢もいるし。なんでいるかは知らないが、妖夢もここの雰囲気が気に入ったのかもしれない。
最近は伊吹萃香という鬼が住み着くようになったが、特に雰囲気は変わらない。侘び寂びを理解する鬼だったのは幸いだ。酒を飲んではぐだぐだしているので、鬼というよりは風流人っぽい。その萃香が、霊夢にじゃれついている。
「なぁなぁ霊夢。そろそろちょっとぐらい力を解放しておくれよ。そうしたら、もっと沢山手伝えるんだぞ。百人力だ」
「断るわ。今はそんなに手伝ってもらいたいこともないし。毎日庭掃除してくれていれば別にいいわよ」
「はぁ、またそれだよ。お前は鬼の力を得たんだぞ。もっとこう、ぱーっとやろうとか思わないかなぁ。まだまだ若いのに、もっと志を高く持とうよ」
「全然思わないわね。むしろ、今が一番ベストだと思ってるし。平和が一番よ」
「ちぇっ、達観しやがって。本当に年寄りかっての。もういい、自棄酒するから。ふんだ」
萃香は縁側に座り、瓢箪を口につけたあおり始めた。毎日一度は駄々をこねているが、大抵は流される。この前ようやく一割力を解放してやったそうなので、残り七割か。まだまだ先は長そうだ。萃香も本気で不満を漏らしているわけではなく、じゃれあいみたいなものだろう。なんだかんだで楽しそうだ。
「はは、鬼にまでモテるとは。本当に妬けるなぁ。羨ましいぜ、この色女」
「どこがモテてるのよ。だいたい、封じたのは燐香なのに、なんでウチで管理しなくちゃいけないの。おかしくない?」
嫌そうな顔の霊夢。妖怪がやけに寄って来るという自覚はあるらしい。それが何故かは分からないのが霊夢が霊夢たる所以である。
「そりゃお前が巫女様だからだろ。妖怪が鬼を見張るってのも変な話じゃないか」
「それはそうだけどさ。なんだか仕事が増えた気がするのよね」
「嘘つけ! 雑用は萃香に押し付けてばかりじゃないか」
「さぁてね。なんのことかしら」
魔理沙がジト目で睨むと、霊夢は口笛を吹いて視線を逸らす。だらけ巫女のだらけ度がさらに悪化したようだ。だが、最近は修行もするようになってきている。隠れてやっているようだが、魔理沙はそれをちゃんと知っている。いつからかといえば、春雪異変以来、それが顕著だ。
燐香に庇われてから、こいつは自分の力量不足を自覚し、霊力増強を図ることにしたらしい。生まれ持った天賦の才に、努力も加わってしまってはまさに鬼に金棒。それを知ったとき、魔理沙は心底背筋が冷える思いがしたものだ。
(本当に、恐ろしい女だぜ。私はこいつに、本当に勝てるのか?)
認めたくはないが、魔理沙は霊夢に嫉妬している。その天に愛された才能と、世界に守られている貴種としての立場に。こいつは生まれながらに何もかもが特別なのだ。自分とは全く違う。だからこそ倒し甲斐がある。潰し甲斐がある。いつか、絶対に上回ってみせると、魔理沙は更に決意を固くする。だが、それを表面に出す事はない。自分が惨めすぎるから。負の感情は、自分を燃え立たせるための燃料であるべきだ。
「やれやれ、妖夢もなんか言ってやれよ。ビシッと」
「……私としては、恐ろしい鬼と普通に話していることが疑問なんだけど。なんでこうなってるの?」
「お、私に喧嘩売ってるのか?」
「ち、違いますけど。私としては、なんとなく、含むところがあるようなないような」
煮え切らない妖夢。本気を出した鬼の強さを知っているから、油断できないという考えだろう。魔理沙も油断している訳じゃない。ただ、萃香は不意打ちをしてくることはないという確信がある。これは勘だけども。
「相変わらず固いなぁ妖夢は。そんなんだから白髪になるんだ」
「ち、違うわっ! これは白髪じゃなくて銀色! ほら、よく見て!」
「ああ、今日も良い天気だぜ。太陽が眩しいな」
「ぶっ殺すぞ!」
妖夢が刀に手を掛けたので、魔理沙がミニ八卦炉で応じる。萃香が楽しそうにゴロゴロと転がってくる。
「わはは。今日もお前らは元気だなぁ。どうだ、いっちょ弾幕勝負でもやるか?」
「いっちょやるかというかさ。妖夢に言うべき大事なことを思い出したぜ」
「なんだなんだ?」
「なぁ、萃香も霊夢も聞いてくれよ。こいつ、本当にひどいんだぜ? 私の邪魔ばっかりするんだ」
魔理沙がジト目で睨むと、妖夢が首を傾げる。
「ひどいって、人聞きの悪いことを言わないでよ。私はただ――」
「鬼相手に啖呵を切ったお前が泣き言とはねぇ。よし、何でも私に言ってみなよ!」
萃香が薄い胸をドンと叩いた。私がいれば百人力とでも言いたげだ。一方の妖夢は、当たり前の事だとそっぽを向く。
「ほら、お前を封印した風見燐香。覚えてるだろ?」
「ああ、この前ちゃんと挨拶にいってきたからな。ははは、私を封じるとは本当に大した奴だ。けど死ぬ程ムカつくよ! あー、やっぱり納得いかねぇ! 鬼を釜に封じるなんてありえねぇだろ! 本当に立派だが、腹が立つ!」
喜びと怒りが合わさった奇妙な態度の萃香。含むところが結構あるのだろう。
「……というかさ。何でお前は普通に会えてるんだよ。この前燐香をボロボロにしたお前が会えて、私はいつも門前払いなんだけど。色々とおかしくないか?」
「そう言われても知らないさ。お前、なんかやったんじゃないのか。私は普通にご馳走になって、酒飲んで、弾幕勝負やって帰ってきたけど。いやぁ、あいつらとの勝負は楽しかった!」
「だからなんでだよ! 私が行くといつもいつもいつもいつも、あのいけ好かない魔法使いが邪魔してくるんだ。しかも、最近は妖夢まで加わってくるし。私に何の恨みがあるんだっての」
萃香の言葉を聞き、魔理沙は憤慨する。いくらなんでもこの扱いはひどい。鬼の萃香が燐香と会うのは問題なし。なのになぜ自分は駄目なのだ。何かしただろうか。特に人妖で差別するような奴には見えなかった。
別に燐香に会って叩きのめしたいとかそういうことじゃない。ただ、話したいだけ。燐香は自分に敵意をもっているようには全く見えなかった。むしろ関係は良好と言って良いはず。邪魔をしてくるのは、アリス・マーガトロイドだ。
「あー、分かった。そうかそうか、考えてみれば簡単な話だ。お前が人間だからだよ」
「なんだよそれ。そんなの当たり前だろ。私は立派な人間だぜ。で、何か問題があるのか?」
「うん、大いにある。以上」
萃香は全部言い切ったとばかりに、縁側で寝転んでしまった。
「ちょーっと待て! おい、まだ寝るな、そこまで言ったなら答えを全部教えろよ! 起きろ、この酔っ払い!」
「霊夢ー、こいつの相手を代わってくれよ。私は面倒くさいのが嫌いなんだ。お前、友達なんだから、もっとかまってやれよ」
「私だって嫌よ。面倒くさい」
「おい。私を厄介者扱いするな! 犬や猫じゃないぞ!」
「なんにでも首を突っ込む奴だし、結構当たってるじゃない」
「確かに」
妖夢まで頷いている。魔理沙は立ち上がって憤慨する。
「当たってない!」
あんまりな連中である。こいつらを問い質すのは後回しにして、まずは妖夢からだ。なぜ邪魔をするのか問い質す。弾幕勝負前だと、『問答無用!』しか返答しないからである。こいつは、本来は刃物を持たせてはいけない人種である。
「とにかく妖夢、今日こそ聞かせてもらおうか。なぜ私の邪魔をするのか。さぁさぁ、言ってみろ」
「別に良いけど。……燐香は私の友であり、幽々子様から護衛するように命じられている。そして、貴方とアリスさんを天秤にかけた場合、アリスさんの方が信頼できる。だから、妨害に協力することにした」
妖夢が真面目な表情で答える。
「なんだよそれは。自分の意志じゃないのか?」
「選んだのは私の意志。アリスさんは本当に燐香を大切に思っている。近くで見ているから良く分かる。だから、魔理沙の邪魔をするのにも必ず理由があると思う。理由もなしに理不尽なことをする人じゃないよ」
それはなんとなく分かる。だから理由を聞かせろというのだ。そうしたら、お前に話すことはないといつも一蹴される。それが頭にくる。別にそこまで執着する理由はないといえばない。だけど、隠されると気になるものだ。好奇心と探究心を力に変えて魔理沙は生きている。自分の存在価値そのものだ。だから絶対に諦められない。
「だから、私はその理由を知りたいんだよ」
「いつか聞いておくよ。それまで待ってれば?」
駄目だ。こいつは真面目すぎて話にならない。
「はぁ。この頭でっかち! 半人前の白髪頭!」
「な、なにおう! もう頭に来た! お前は絶対に通さないからな! 次に会ったら無事に帰れると思うなよ!」
「まったく、やかましいわね。子供の喧嘩か!」
魔理沙と妖夢がにらみ合っていると、霊夢が御幣でそれぞれの頭を小突いてくる。痛みはないが、なんとなく屈辱的だ。
「……魔理沙。アンタの気持ちも分からないでもないけど、あの子には、あまり関わらない方が良いわよ。特にアンタは」
「なんだよ霊夢。お前までそんなことを言うのか」
パチュリーからも宴会のときに警告を受けた。取り返しのつかない失敗をしても知らないと。冗談じゃない。ただ会うだけなのに、何が悪い。それに、燐香と自分の境遇はあまりにも似ていた。鳥篭の中で蹲っていた自分、外に出て行く切っ掛けを作ってくれたのは、ひたすらに胡散臭い悪霊だった。そのバトンを受け渡すのは私だ。そう、自由を渇望する後輩を手助けしてやるのは、先達の仕事である。
「アイツは妖怪で、アンタは人間。そこには越えられない種族の壁と言うものがある。アイツの暴力性は西行妖のときに見たでしょう。悪い奴とは言わないけれど、触らぬ神になんとやらよ。一つ間違えば、碌な目に合わないわよ」
「あれは西行妖の邪気に当てられただけだろ。現に快復したじゃないか。鬼と闘えるぐらいまでに元気一杯にな。もしかして、庇われたのが未だに納得いかないのか?」
「……ま、それもないとはいわないけど。悪い奴じゃないのは私も分かってる。ただ――」
霊夢が視線を宙に浮かす。言葉にできないこと、しにくいことがあるとき、こいつはこの仕草をとる。中々見る事ができないレアなものだ。基本的に、ずけずけと物をいうやさぐれ巫女である。
「……魔理沙。アンタの行動力は長所でもあり、短所でもある。自分の信じた道を闇雲に進んだ結果、アンタは地獄を見るハメになるかもしれない。それを自覚した上で動くなら、もう何も言わない。アンタの好きにしなさい」
これもまたパチュリーと似たような言葉だ。だからなんだというのだ。それを教えろと言っているのだ。どいつもこいつもと、魔理沙の苛々が募っていく。だがこれをぶつけても八つ当たりに過ぎない。だから挑発の言葉に変えてやろう。これでいつも通りだ。
「だらけ巫女が偉そうに」
「ふん。柄にもないことを言ってるのは自覚してるわよ」
霊夢はそう言うと、お茶を飲み始めた。もう冷めているだろうに。魔理沙もそれに習って、お茶を飲む事にした。冷たくて、とても渋かった。
◆
そしてアリス・マーガトロイド邸上空。妨害されるのはこれで何度目だったか。10は軽く超えている気がする。魔理沙もしつこいが、アリスも十分にしつこい。軽く喋らせて終わりにすれば良いだけなのに。大人しそうな顔のくせに、かなりの頑固者である。
「あー、邪魔だ邪魔だ! お前らの攻撃は全部お見通しだ!」
魔理沙は、行く手を遮る人形たちを弾幕で蹴散らしていく。もうパターンは大体覚えた。身体でだ。本体であるアリスがでてこないのなら、目を瞑っていても勝てる。人間をあまり舐めない方が良い。
「……貴方、また来たの?」
「ああ。何度でもくるぞ。邪魔されればされるほど魔理沙様は燃えるのさ」
「なら交渉しましょうか」
アリスが表情を変えずに交渉を持ちかけてくる。今までになかったことなので、少し興味を覚えた。
「交渉と来たか。面白い、聞かせてくれよ」
「私の持つ貴重な魔道書を貸してあげても良い。魔法使いの貴方には、他にも有用な品もある。叶えられる望みなら、私は受け入れる。だから、ここには近寄らないで欲しいの。簡単でしょう?」
アリスが譲歩案を提示してきた。はっきりいって、これは通常ならありえないことだ。魔法使い同士のやりとりは、等価交換が基本。魔理沙は何も出せないのに、自らの研究成果ともいえる魔道書を貸し与えるなどありえない。魔理沙には利益しかない。
それほどまでに、アリスは自分を会わせたくないらしい。それ自体が交換条件に挙がるほどにだ。
「折角の話だが、断る。私は燐香ともっと話がしたいのさ。お前の持つ魔道書はとても魅力的だが諦める」
「……そう。それで、話とは、一体何を話すつもりなの?」
「私が師匠からされた話を伝えるだけさ。夢は自らの力で掴み取るものってね。危険を犯さなくちゃ、それは手に入らない。だから、絶対に諦めるなって伝える。私とアイツは、似ているから」
「……良い話ね。本当に、良い話。それが実現できるなら、とても素晴らしいと思う」
アリスが目を瞑る。敵意は感じない。まさか説得できたのか?
「そうだろう。私の自慢の師匠だぜ。私もそのおかげで魔法使いになれたんだ。あれなら、独り立ちする準備を私がしても良い。ここなら家も建て放題だし、食糧も十分だ。何か会ったら私が暫くは面倒を見てやれるしな」
「今ので確信できたわ。貴方は絶対に燐香に会わせない。近づけさせてはならないと」
アリスの目に激しい敵意が渦巻く。その激情は燃え盛る業火のようだ。手には封印された奇妙な魔道書が出現。周囲には武装した人形たちが一斉に展開される。
そして――。
「――魂魄妖夢、見参!」
「またお前か! ったく、どこに隠れてやがった!?」
「ふん、普通に家の中だけど。とにかく、誤魔化して出てきたから直ぐに決着をつける!!」
「ふざけやがって。二人ぐらい、まとめて蹴散らしてやるぜ! 私は不屈の女の異名を取る霧雨魔理沙さんだからな!」
魔理沙が啖呵を切ると、アリスがニヤリと笑う。美人のくせに威圧感が凄まじい。年頃は同じぐらいの外見なのに。
「悪いけど、今日はもう一人いるのよ。ああ、不屈の異名をとる貴方には、むしろご褒美になってしまうかしら」
「……なんのことだ?」
魔理沙が怪訝な顔をした瞬間、アリスの横に暗闇が展開する。それが晴れていくと、リボンをつけた妖怪、ルーミアがいた。相変わらず何を考えているか分からない表情だ。弾幕勝負の腕は大したこともなく、そこらへんの木っ端妖怪程度といった認識。いつもは適当に撃つだけで、勝手に退散していく。
「久しぶり、白黒の魔法使いさん」
「なんだ。誰かと思えばお前かよ」
「うん。私」
「へへっ、お前ごときが増えたところで、今更どうにかなるとは思わないぜ。むしろ、的が増えるだけじゃないのか?」
「あはは。まぁ、そうかもねー。でも、今日はそうじゃないかもしれない。あまり妖怪を舐めちゃ駄目だよ? あまり舐めてると、その首筋、噛み千切っちゃうかも」
ルーミアが鋭い歯をむき出しにすると、闇の球体を作り始める。更に回転する。回転速度を上げていく。
「な、なんだそりゃ。暗闇の、塊か? ど、どうするつもりだ――」
「じゃあ、いくよ。上手くよけないと、亜空間にばら撒いちゃうかも。闇は何でも食べちゃうよ」
ギュルギュルと回転するそれは、凄まじい速度で魔理沙に接近してきた。明らかに当たったらマズい類のもの。暗闇に囚われて、目が見えなくなるくらいなら良いが、下手をすると脱出できなくなるかもしれない。流石に亜空間とやらにぶち込まれることはないだろうが。
慌てて回避すると、そこには人形。爆発。衝撃を受けた魔理沙は弾き飛ばされる。更に魂魄妖夢の剣撃が追い撃ち。息をする暇もない。
「お、おい! まだ始まってないだろ!」
「これは弾幕勝負じゃないの。侵入者を排除するための戦いよ。この場のルールを決めるのは私」
「ふざけんな!」
「ふざけているのは貴方よ。今まで、私はスペルカードルールで相手をしてあげた。貴方は敗北したのに、何度もしつこくやってくる。いい加減、私だって堪忍袋の尾が切れるというものよ」
「弾幕勝負は再戦は認められてるんだ、文句は言わせないぜ!」
「そうね。だから、私は自分のルールで相手をすることにしただけのこと。それが嫌なら帰りなさい。弾幕勝負を望むなら、来年相手をしてあげる」
「この屁理屈大好きの偏屈女め! ――これでも喰らえっ!」
恋符「マスタースパーク」。ミニ八卦炉から超極大のマスタースパークが放たれる。三人いようが関係ない。全員これでしとめてしまえばよい。
光がアリス、ルーミア、妖夢を飲み込んでいく。特に反応しないことを微かに疑問に思ったが、当たれば勝ちだ。これで文句は言わせない。
「どんなもんだ! 弾幕はパワーだぜ!」
「自分の力を誇る前に、まずは視力検査に行くことをオススメするわ」
「――なっ!」
背後から聞こえるアリスの声。隣には魂魄妖夢。ルーミアの姿がない。いや、見えないだけだ。こいつは、暗闇を纏ったまま、周囲を旋回している。旋回し続けている。その周囲には、鏡を持ったアリスの人形たち。なんだこれは。なにか、不味い気がする。恐ろしい罠に掛かっているような。そんな気がする。
「貴方には私達の姿を捉える事ができない。絶対にね」
「な、何をしたんだ?」
「教える必要はない」
幻術か。鏡を持った人形達を使って、いつの間にか幻の世界に引きずりこんだのか。先ほどの妖夢とルーミアの会話は、このための時間稼ぎだったのかもしれない。魔法使い相手に、気を逸らすのは自殺行為である。魔理沙はまんまと罠に引っ掛かってしまった。
「――くそっ、どうしたら」
「さて、時間がもったいないし、次は私の番ね。忠告するけど、全力でガードを固めておきなさい」
アリスが何らかの魔術を詠唱しはじめた。ヤバイ。絶対に逃げなければいけないが、周囲にはルーミアがうろついていて、下手をすれば被弾する。先ほどから狙っているという気配を感じる。隙を見せれば、確実に喰らい付いてくる。紅霧異変のときとは雰囲気が違う。遊びではないとでも言いたげな表情だ。
そちらを攻撃すれば、アリスと妖夢が仕掛けてくる。なんという不利な戦い。
「あ、アリスさん。流石に殺すのはどうかと」
「心配しないで妖夢。面倒事を増やすつもりは私もない。パチュリーにもやりすぎるなと釘を刺されているし。……今回は全治二週間といったところにするわ」
「もう勝利者気分かよ! 舐めやがって!」
魔理沙は、結局行動することを選んだ。溜めていた魔力を解放し、箒を駆る。
「キャンディーみたいに甘いね。本当に食べちゃいたくなるよ。我慢するけどさ」
「――ぐっ!!」
と、死角からルーミアの体当たりが直撃。完全に狙い打たれた。いつもならこんなことにはならない。だが、精神的に追い詰められた。そこへ動くように仕向けられたのだ。肩を痛打しバランスを崩したところに、アリスの魔力弾が炸裂。地上へ叩き落された上に、更に魔力弾連射。連射連射連射。なるほど。この魔法使いは有言実行らしい。捻挫やら打ち身の被害を考えると、全治二週間というのは間違いではなさそうだった。
「ち、畜生。ま、また負けかよ。……この家に来ると、私の勝敗成績がひどいことになる」
「ならもう来ないで頂戴」
「へへ、それは断る」
「……妖夢。貴方の友達なんでしょう? お願いだから、どこかに縛り付けておいてくれないかしら」
「む、無理を言わないでください。こいつは本当に聞き分けがないんです」
妖夢がぶんぶんと首を横にふっている。出会ってから付き合いは短いが、魔理沙のことが良く分かっている。魔理沙はほくそ笑んでやった。アリスはそれを冷たい視線で見下ろしてくる。
「……霧雨魔理沙。人間の身でありながら、それをものともしない貴方の成長力には目を見張るものがある。それは私も認める。同じ魔法使いとして、貴方は尊敬に値する」
「へ、へへ。負けたのに褒められるとは、驚きだぜ。……だが褒め殺しならやめろ。死ぬ程不愉快だからな」
魔理沙が獰猛に笑う。反骨精神は誰よりも強い。脆い人間だからこそ、それをバネにして強くなろうとしてきたのだ。そんな褒め方をされても何も嬉しくない。対等の立場でなければ意味がない。
「嘘をついても仕方がないでしょう。今はまだ良いのよ。余裕をもって貴方を抑え込めているから。でも、常にこの態勢で迎え撃てるわけじゃない。貴方も私の闘い方に慣れてきているみたいだしね。貴方は、これからも強くなるのでしょう」
「当然、そのつもりだ。私は誰よりも強く、そして速くなりたいのさ」
「素敵な目標ね、魔法使い」
「ありがとうよ、魔法使い」
「……貴方がこれから成長しつづけ、私がこれ以上防ぐのは難しいと判断したら、その時は」
「その時はどうするんだ、魔法使い」
「容赦なく殺すわ。だから、先に謝っておくことにする。本当に、ごめんなさい。私がもっと力をもっていれば良かったのに」
「な、なんだよそれは」
魔理沙は思わず目を疑った。アリスは本当に頭を下げていた。だが、目は相変わらずの敵意。これは、やるときはやるということだ。魔理沙の実力が自分に差し迫ったその時は、問答無用で殺すという脅迫。
魔理沙にはさっぱり分からない。どうしてそこまで妨害するのか。なぜなのか。そして、自分はこのまま意地を貫いてよいのだろうか。それが少しだけ分からなくなってきていた。
もしかして自分は、開けてはならないパンドラの箱を、無理矢理こじ開けようとしているのではないのか。魔理沙の思考に、初めて迷いが生じる。だが、答えは誰も教えてはくれない。目の前の相手は、魔理沙に何も教えてはくれない。
アリスはそれを感じ取ったのか、深い溜息を吐き、疲れた様子で呟いた。
「さようなら、霧雨魔理沙。早く帰って怪我の治療をしなさい」
「じゃあねー。キャンディーみたいな魔法使いさん」
アリス、ルーミアは家へと戻っていく。妖夢は魔理沙に一礼すると、駆け足で戻って行った。
「……なんなんだよ。本当に訳が分からない」
◆
再び博麗神社。今は魔理沙と霊夢、そして難しい顔をした妖夢がいる。
「それで、まーたあの魔法使いに負けたわけ。……ねぇ、アンタには学習能力ってものがないの?」
「うるさいな。あいつ本当に強いんだよ! しかも今度は妖夢だけじゃなくて、ルーミアまで手出してくるし!」
「はぁ、ルーミア? あの自分の闇すらまともに操れない妖怪がなんだっていうの? 馬鹿馬鹿しい」
「いやいや、私もそう思ってたんだけどさ。アイツ、滅茶苦茶厄介な奴になってるぞ。超大マジで!」
「……へぇ。それは楽しみね。なら、次は全力の全力で潰さないとね」
全然脅威に感じていない霊夢。誰が相手でも、こいつはそういう態度だ。スペルカードルールを守っている間ならば、誰相手でもこういう態度なのだろう。
だが、相手がそれを守らず、更に脅威と認定した場合は危ない。全力で殺しに掛かるからだ。この前の萃香戦も、一歩間違えば凄惨な殺し合いになっていただろう。それが博麗霊夢だから。
一方の妖夢はお茶を啜っている。
「で、なんでお前はここにいるんだ? まさか私を馬鹿にしに来たのか?」
「そんな意味のない事しないよ。霊夢に勝負の結果を報告に来たんだよ」
「……勝負の結果? 私とアリスのか?」
「全然違う。幽香と燐香の勝負だよ。燐香いわく、全てにケリをつける戦いだったんだけどね」
「はあ?」
「その様子だと、結果はお察しかしら。まぁいいわ。これからそれを肴に酒を飲むから、アンタも付き合いなさい」
という感じで、妖夢の語る幽香VS燐香戦の様子を聞く事になった。どうやら、燐香は自由を勝ち取る為に、何度も幽香と戦っているらしい。そして、今回は鬼を封じたあの技を切り札として用意、妖夢を補佐役として挑んだようだ。あの技には、釜に張る御札が必要になる。その代金代わりとして、霊夢は土産話を要求したということ。実に性格の悪い奴である。ただであげれば良い物を。
で、結果としては燐香の負け。鬼を封じた技は見事に返され、燐香が釜に封じられてしまったとのこと。情けない妖夢は、幽香に脅されて御札を手渡してしまったらしい。偉そうにしているくせに使えない奴だ。
「な、なにその目? なんだか凄く軽蔑されている気がする!」
「用心棒とか言ってたくせに、簡単に御札を渡すんだなあって。そこは助ける為に戦ってやれよ」
「だ、だって。なんだか幽香さん凄く怖かったし。渡さなかったら半霊が潰されそうで……。私の剣でも斬れそうになかったからつい」
やっぱりこいつは半人前だった。戦う前から戦意喪失するようではまだまだである。その点燐香は素晴らしい。魔理沙が注目するだけはある。風見幽香は恐ろしい。それに潰されても潰されても挑み続ける燐香は是非とも応援してやりたい。
「やっぱり駄目だったか。ま、そうなるだろうと思ってたけど」
「なんでだ?」
「だって、この前の戦いって幽香も見ていたじゃない。あの技は厄介だけど、初撃を凌げばなんとかなるし。ネタが分かってしまえば、対策は幾らでも執れるわよ。警戒してる相手に通用する訳がないでしょ」
霊夢が特に何でもないようなことのように呟く。ついでに酒を一気飲み。本当に燐香の負けを酒の肴にしている。顔はそんなに嬉しくなさそうだけど。意外と勝ってほしかったのかもしれない。なぜならば。
「……おい。だったら教えてやれば良かったのに。御札を渡すときにさ」
「一体なんて言うのよ。技の性質は既に見抜かれてるけど、精々気合で頑張れとか?」
「いや、そうじゃないけどさぁ」
「ふん。妖怪同士潰しあうなら別にどうでもいいのよ。私の知った事じゃないし」
「その割には、上手くいった時のために御札を沢山あげたんだろ。しかも、死ぬ程けち臭いお前がタダで。それはどういう訳だ」
「……うるさいわね。ただ、気が向いたからよ」
霊夢がそっぽを向いた。素直じゃない奴だ。どうでもいい奴なら、妖怪に博麗の札をあげる訳がない。
よしと魔理沙は覚悟を決める。あいつの自由を勝ち取るために、出来る限りの協力をしてやろうと決めた。正面突破は当分は難しいだろう。ならば抜け道を使うまで。頭を使えば色々と見えてくるものだ。
「アンタさ、また何か悪いことを考えているでしょう」
「何の事だか分からないね。それより、妖夢。他に何か情報はないのか。さぁ、さっさと吐け」
「は、吐けって言われても。一体何を吐けと」
「なんでも良いんだよ。教えてくれたら、当分はアリスの家には近づかないよ。うん、約束する」
いつまで守るとは言っていないのがポイントだ。近づくときは、約束の期限は切れたということにすれば良い。
約束など気が向いたら守るという程度で十分だ。何かに縛られるという生き方は魔理沙は大嫌いなのだ。だから仕方がない。妖夢には悪いが諦めてもらおう。
「そ、そう? それなら教えるよ。魔理沙が来ると、アリスさんの顔が怖くて怖くて。お願いだから近づかないでよ」
「納得いかないが、とりあえず分かったよ。全く、なんだってんだよ」
一体どれだけ嫌われているのかと、魔理沙は暗澹とした気分になる。何かしたというならば納得がいくのだが、全く身に覚えがない。
妖夢の話によると、最近の燐香は人形の操作を勉強しているらしい。能力制御の一環らしいが、本人が望んだのが一番の理由だとか。アリスは懇切丁寧に教えてやっていると。
こういう話を聞いていると、とても魔理沙相手に冷徹な対応をしている女と同一人物とは信じられなくなる。女というのは色々な顔があるんだなぁと思った。自分も女だが、まだ少女である。
「でね。燐香のアリスさんの物まねが傑作で。アリスさんは認めないけど、表情と雰囲気がそっくりなんだ。いや、あれはすごいよ。セリフは支離滅裂だけど」
「へぇ、人形の操作の勉強か。本当に色々やってるんだなぁ」
「妖怪のくせに人形操作ねぇ。面倒な厄をためこまないといいけど」
「ちょっと。アリスさんに失礼だよ。あの人形はあんなに可愛いのに」
「可愛いとかそういう問題じゃないんだけどね。なんとなく、嫌な予感もするし」
霊夢が呆れるが、妖夢は特に気にしていない。
だが、先ほどの会話から魔理沙は一つヒントを見出していた。
「なるほど、アリスの真似か。……なるほどなるほど。そいつは今後の参考になるかもしれないな」
「何が?」
「いや、こっちの話さ」
「これだけ話したんだから、アリスさんの家には来ないでよ?」
「分かったよ。妖夢は本当にしつこいなぁ。そんなことじゃ、今より白髪が増えるぞ」
「だからこれは銀髪だ! この白黒!」
「うん、確かに私は白黒だけど。で、それが何か問題があるのか?」
魔理沙はニヤリと笑ってやる。白黒呼ばわりは別に嫌いじゃない。魔理沙が望んでこの装束を選んでいるのだから。
「むぐぐ! こ、こいつむかつくんだけど! あー本当に腹立つ!!」
「うるさいわね! 静かにしろ、この馬鹿庭師!」
「痛ッ!」
激昂する妖夢の頭を、霊夢が小突く。あれは痛そうだ。実際妖夢は蹲っているし。
「そんなことより妖夢。来週、また宴会やるとか紫が言ってたから、幽々子に伝えておいて。あと一応燐香にもね。来るかどうかは幽香次第だろうけど」
「え、そんなこと私は聞いてないよ。いつ決まったの?」
「私もさっき聞いたのよ。夏は飲まなきゃ始まらないとか馬鹿なこと言ってたから、まーた何かやるつもりかもね」
「……そうなんだ。うん、そういうことなら分かった。幽々子様にはちゃんと伝えておくよ。後、幽香さんにも」
「魔理沙。アンタは、ちょっかい出さずに大人しくしてなさい。境内で暴れたら全員しばくわよ」
「おう。今は大人しくしているさ。今はな」
魔理沙は素直に頷いた。まだその時じゃない。もう少し、待つ。できれば、異変か何かを通じてもう少し関係を深めたい。いきなりでしゃばって、お前を手伝いたいとか言っても説得力がない。そんなのについていくのは、無鉄砲な自分くらいである。鬼退治を成し遂げたことだし、後もう一つくらい何かで協力できれば十分だと思う。その時は、約束通りに誘いに行くとしよう。