射命丸文は、自宅で自分の新聞の出来栄えを確認していた。先日の伊吹萃香が暴れた一件をまとめた記事。独占スクープなので、さぞかし天狗たちの嫉妬を浴びていることだろう。代償として全治一週間の怪我を負わされたが、それぐらいは必要経費である。怪我の原因は、最後の最後、フィニッシュに喰らった風見幽香の日傘の一撃のせいである。あの女は洒落が通用しないから危険なのだ。
「酷い目にはあったけど、その分素晴らしい出来に仕上がったもの。くくっ、あれなら初の販売部数一位も夢じゃないはず。よし、早速確認に向かうとしますか! 一位ならあの馬鹿に自慢してやらないとね」
最近妙に達観した様子の姫海棠はたて。いわゆる腐れ縁である。友人では断じてない。
念写という能力を持った故に引き篭もってばかりいる軟弱者だ。作る新聞も、新鮮味のない退屈なものばかり。同胞からは『天狗の落ちこぼれ』と呼ばれている大馬鹿者だ。しかも、最近は新聞作成まで怠けている。前に出したのはいつだったかは定かではない。何をしているか覗きに行くと、念写した写真を纏めたり、資料を整理したりはしているのだ。だが、肝心の記事を書くことはない。
「と、馬鹿のことを考えている場合じゃなかった。早く寄り合い所に向かうとしましょう」
文は全力で飛ばして、天狗たちが集まる寄り合い所へと向かう。ここには、発行された新聞が資料として展示されている。新聞を作成した天狗は、一部ここへ寄付するのが義務となっている。当然、天狗でごったがえしているので、ゆっくり読みたければ買う必要がある。買いたくなる新聞など最近はお目にかかったことはないが。
だが、皆が集まる理由は別にある。一週間の販売部数がでかでかと掲示されるのだ。順位つきで。天狗の性格の悪さが滲み出ているシステムだとつくづく思う。上位の天狗は鼻高々に勝ち誇り、下位の天狗は見なかった事にして早々と立ち去っていく。
普段の文は下位の常連である。人間たちにはそこそこ売れていると思うのだが、妖怪への受けがイマイチなのだ。どちらかというとゴシップネタが多いので、気難しい連中やら偉ぶった連中には見向きもしてもらえない。だが、方針を変えれば今の読者を失ってしまう。匙加減が難しいところであった。というわけで、ひとまず現状維持を選んだ文は、下位常連に甘んじるしかなかったのだが――。
「しかし、今日の一位は私で間違いなしねって。……な、なんでえええええええええええええええッッ!!」
文は順位が記されたそれを見て、思わず絶叫してしまった。自分が一位じゃなかったという驚きがまず一つ。だが、それはまぁ納得できないが納得しても良い。二位は立派。二位は立派なんだ。そう言い聞かせられる。
だが、一位の新聞名を見たら平常心ではいられないのも当たり前。その名も『花果子念報』、怠けることに定評がある姫海棠はたてが作成している新聞。『文々。新聞』より更に販売部数が悪い下位の常連である。そもそもはたての新聞が出ること事態が稀だ。
「それはともかく! なんであいつの新聞が一位なの!! そんな馬鹿なこと、世界が終わってもありえるはずがないのに!」
「うるさいわよ、射命丸。少し静かにしなさい」
「どうして花果子念報が一位なんです!? こ、これは集計ミスではないですか?」
同僚天狗に窘められたので、一息ついて質問する。その天狗は肩を竦めて苦笑する。
「ミスじゃないわよ。私だって、あんな子の新聞は認めたくないけど仕方ないでしょう。あれだけ見事な写真とネタでまとめられたらねぇ。射命丸、貴方もついてないわね、まさかのネタ被りなんて」
「ネ、ネタ被り? そんな馬鹿な。あの引き篭もりと私が同じネタ? あ、ありえない」
「説明するのも面倒だから、自分の目で確認しなさい。そうそう、“二位”おめでとう」
同僚天狗は厭らしく笑うと、そのまま行ってしまった。当然皮肉交じりだろう。自分が負けた悔しさを、一位がとれなかった文へとぶつけただけ。当たり前だが全然嬉しくない。二位は立派だが、花果子念報以下なんて冗談じゃない。
「……ううっ。は、はたてに負けるなんて」
「あ、二位の射命丸だ」
「二位おめでとう!」
「うるさいわね! 嬉しくない!」
心の篭ってない祝福の嵐。どいつもこいつもはたてに負けて内心歯噛みしているくせに。異端扱いしているはたてに負けた悔しさを、二位に甘んじた文をからかうことで苛々を抑えているのだ。ああ、同じ種族だから余計に腹が立つ!
「邪魔邪魔! ほら、二位のお通りよ、畜生!」
人混みを掻き分け、掲示されている花果子念報の場所まで押し入る。そこには、風見燐香が伊吹萃香を封じる場面がデカデカと掲載されていた。文の撮った大鏡越しの写真とは迫力が全く違う。アングルも完璧だ。文句のつけようがない。
(あ、あの引き篭もりにこんな写真が取れるなんて)
文も手を抜いたわけじゃなく、あの時はアレが最善だったのだ。
しかも、他にも風見燐香の写真が掲載されている。どんな妖怪なのか、普段は何をしているのか、交友関係、今まで使用したスペルカードなどなど。これは思わず興味を惹かれても仕方がない。
伊吹萃香の騒動のネタだけでも注目を惹くというのに。その上、あの風見幽香に娘がいたとくれば思わず手を伸ばしてしまうだろう。まだそれほど知れ渡っている訳じゃない。文も記事にしたいところだったが、肝心の写真がなかったので、温存していたネタだった。
非常に興味をそそられる。落ち着いて読んでみたい。周囲の声が煩わしい。写真の迫力も抜群だし思わず欲しくなる。というか、買いにいくとしよう。徹底的に読み込んだ後は、あの引き篭もりがどうやってこんな情報を手に入れたか吐かせてやる。
◆
花果子念報を即行で読み終えると、文は姫海棠はたての家を目指して飛び立った。引き篭もりに相応しく、天狗の住居の中でも端っこのほうにちんまりと建っている。日光もほとんどあたらないジメジメした場所だ。外見もかび臭い。
家の前には粗末な止まり木があり、はたてが飼い慣らしているカラスがたむろっている。引き篭もりは、いかにして外に出なくするかを考えた結果、面倒なことをカラスにやらせるようになったのだ。自分の手足のように飼い慣らすその技量にはちょっとだけ感心するが、やらせることは買出しやら書類提出やらである。才能の無駄遣いもここまでくれば大したものだ。
「おい引き篭もり! なんで私とネタが被ってるんですか! とっとと出て来い!」
と怒鳴りながら扉を乱暴に開ける。鍵が掛かっていることはほとんどない。とことん無精者なのだ。カラスたちが非難するように鳴声をあげるが、文がにらみ付けると大人しくなる。カラスに舐められては烏天狗は務まらない。
そのはたてはちゃぶ台の上に写真を広げて、アルバムの整理をしていた。
「一体誰よ。あー、もしかして文? いきなりうるさいなー。さっさと死ねばいいのに」
「お前が死ね!」
「うん、今死んだ。はい、それじゃあさようなら。来世でも仲良くしてねー」
「ええ、生まれ変わってもまた友達になりましょうね! ――って違うわボケが! 誰が友達になるか!」
ノリでそのまま帰ろうとしてしまった自分を恥じる。ついノッてしまうのは悪い癖だ。はたては天然だろうが。
文は下駄を脱いで、はたての隣へ座る。そして、花果子念報を突きつける。
「これはなによ。なんで引き篭もりのお前が私と同じネタになるわけ? というか、どうして鬼が暴れていたことをアンタが知ってるのよ。又聞きしたとしても早すぎるでしょうが」
「だって全部見てたから」
「はぁ? お前の念写は、既に起きた事象を映し出すだけの欠陥能力でしょ。タイムラグがあるから、私と同時に新聞を出せるわけがない。どんな小細工をつかったの!」
欠陥能力とこき下ろしたが、有用な使い方もできそうな能力だとは思っている。だが、使い方と本人の頭が致命的に悪い。だから読者が増えないのだ。どこかで見たような光景に、つまらない文章がだらだらとくっついている。そんな新聞に魅力などない。
だから、文は今回の件が納得いかない。思わず惹きつけられる写真に、活き活きとした文章。本当に興味がある題材だというのがそこからは見てとれた。この引き篭もりにそんな物が書けるなど不可解極まりない。ゴーストライターがいるのかと疑うところだが、こいつに限ってそれはない。友達どころか、知り合いすらほとんどいない。今ぽっくり死んだとしても、葬式には誰もこないだろう。流石にかわいそうなので、喪主はやってやるつもりではいるが。
「ふふん。いつまでも停滞しているような私じゃないのよ。私の能力は、リアルタイムで追いかけられるまで進化したの。興味のある対象限定だけどねー。本当に動く必要がなくなっちゃった」
そこまでして引き篭もりたいのかと、文は呆れる。折角の能力だが、宝の持ち腐れのような気がしてならない。
「……ほ、本当に根暗に相応しい能力ね。で、いつ掴んだの、これ」
「だから言ってるじゃない。ずっと見てたのよ」
「だから、何をよ」
「風見燐香よ。正確には風見家かな? 一日中見てたから、当然鬼との勝負も見てたよ。いやー、手に汗握る勝負だったよね。応援に力入れすぎて、苦情がはいったけど。その後気が向いたから新聞書いてみただけ」
引き篭もりの家からいきなり奇声があがったら、誰でも恐怖に感じるだろう。それよりも、聞き捨てならないことがあった。
「アンタ、今ずっとって言った?」
「うん、言った。まぁ、24時間じゃないけどね。本を読んだりする感覚で、私はあの子を見ているの。いつからかは覚えてないけど、大体数十年前だっけ。こんなに見るようになったのはここ数年だけど。うーん、正確な時間は忘れちゃった。家に篭ってると時の流れって分からなくなるじゃない?」
「ならないわ」
「えー。じゃあ60年前の今日、文は何してたの?」
「知るか!」
「私はここにいたわよ。間違いなくね! うん、断言できる!」
自信満々に言ってのける、仙人もどきのはたて。はっきり言って、気持ち悪い。それに数十年前? 風見燐香は確か10才だったはず。どうやら、はたては引き篭もりすぎて脳が腐りはじめているようだ。ボケ老人一歩手前だ。こうはなりたくないものだと文は思った。
というわけで、それらを一言にまとめることにした。
「どうしようもない。それに、まさかアンタが気色悪い覗き魔だったとはね。あーやだやだ」
「言い方がひどいわね。あと、隠し撮りしてる文に言われたくないし。趣味悪いのはそっちよ。このストーカー!」
「私は一日中付き纏ったりしないわよ!」
「ああ、別にトイレとかお風呂とか着替えまで覗くわけじゃないよ。別に性的な興味はないし。ほら、私って一応女じゃん。それは知ってた?」
「知ってるわボケ天狗! そこまでいったらただの変態よ、変態。流石の私も引くわ。もう十分引いてるけど」
「でさぁ、あの親子、本当に目が離せないんだ。次にどうなるかワクワクしちゃって。だから、最近の私は元気一杯夢一杯ってわけ。もっと見たいなぁとか思ってたら、能力がどんどん進化していったんだ。ふふん、凄いでしょう」
「あっそ。というか滅茶苦茶すぎて、ついていけないわ」
本当に滅茶苦茶な動機である。なんか凄そうな能力なのに、やってることは覗き見。取材して新聞に活かせよと怒鳴りたくなる。が、言っても無駄なので止めておく。
「なによ。自分から聞いてきたくせに。本当に勝手だね文は。でもそこが文の良いところなんだけど」
「鳥肌が立つから、気持ち悪いことを言わないで」
「いいじゃん」
「却下」
ニコニコしながら褒めてきたので、一蹴しておく。こんなに素直な奴じゃなかったのに、最近はストレートに感情を伝えるようになっている。気恥ずかしいのでやめてもらいたい。
「これだけ、褒めたんだから私の良いところも認めてくれてもいいんじゃない? ほら、遠慮なくどうぞ」
「うるさい、この引き篭もりが」
「ひどっ!」
「……ああ、そうそう。販売部数一位おめでとう。お前のせいで、私は見事に二位だったわ。ああ、腹立たしいし憎らしい!」
「ん? なんのこと?」
「とぼけちゃって。アンタが一位なんて、初めてでしょう。ほら、我慢しなくていいから馬鹿みたいに喜べよ。ついでに死ね」
「死ねって言った方が死ね!……って、販売部数? ああ、あの新聞のことか。んー、そんなのどうでもいいよ。ここを追放されたくないから書いただけだし。ただのおまけおまけ」
はたては興味をなくしたように、再び写真の整理を始めだす。
「はぁ? 適当に書いたとでも言いたいの? 柄にもなく謙遜しやがって。本当にムカつくわぁこいつ」
「それは違うよ。真面目に手を抜いただけ。真剣に書いたら、持ってるもの全部出さなくちゃいけないでしょ? やだよそんなの。だからいずれ知られちゃうことだけ先に出したんだ」
返答次第では蹴飛ばしてやろうと思ったが、顔を見るに本当に順位には興味がなかったらしい。昔のはたては、文に追いつき、追い抜こうと必死だったので、見れば分かる。何故かは知らないが、常に自分をライバル視してきたからだ。
だが今のはたては、なんというか落ち着きが見て取れる。まさか成長したとでもいうのだろうか。引き篭もりのくせに。
「全部? どういうことよ」
「ふふん。あれは表向きの情報しか出してないからねー。余計な手出しをされない程度の情報だけ。私の楽しみは誰にも邪魔されたくないの」
「……もしかして、まだ何かネタがあるっていうの?」
「うふふ、それはもちろん。でも、ごめんね。文にも教えて上げられないんだ。私の楽しみが減っちゃうじゃん?」
はたてがまた笑う。今度は本当に申し訳ないという感じが出ている。天狗のくせに妙に素直なところがこいつはある。馬鹿のくせに。しかも最近はそれが顕著なのだ。
文はそれがムカつくし、だからこそ放っておけなくなる。先ほどの追放云々もあまり冗談とは言えなくなっている。何の仕事もせず、新聞も碌に作らない。呼び出しには応じるが組織のために意見を言う事はない。実際、姫海棠はたてを苦々しく思っている上役は多い。
天狗の社会においては、はたては異端であると同時に隠者と見做されている。生きていても死んでいてもどうでも良い存在。同胞ということで見逃されてはいるが、秩序を乱すと判断されたら粛清される可能性が高い。
今回の記事により、その心配は多少は和らぐだろう。少なくとも、上司の命令とルールは守る、そして働く意欲は多少あるということを示せたのだから。
「まったく。もうちょっとやる気出してみたらどうなのよ。周りからどう見られてるかくらい、気付いてるでしょう?」
「まぁね。もう見逃せないって言われたら、とっととここからおさらばするよ。住み心地は良いけど、五月蝿いのも多いし。私は自由な方が好きだなぁ」
文は少しだけ驚いた。ここまで自分を出してくるというのは本当に珍しい。
「アンタさ。最近性格変わったんじゃない?」
「そうでもないよ。ただ、素直に意志を伝えられることが、どんなに素晴らしいか知っただけ」
「全然意味が分からん。……はぁ、こんな怠惰で適当な奴に負けるなんて。なんだか泣きたくなってきた」
「らしくないね。ほら、元気だしなよ。そうだ、後で文の新聞一部頂戴。私の知らないことが載ってるかもしれないし」
「なによそれ。嫌味?」
「違うよ。私は写真を連続させることで、映像にできるようになった。でも、音がないの。文の新聞で、それを補強したいのよ」
「……音がないって。じゃあ、映像とやらを見ても、会話が分からないってわけ? それのどこが面白いのよ」
「でも大体は分かるよ。読唇術勉強したから」
「だから無駄なことに才能を使うんじゃないわよ!」
文が怒鳴るが、はたては素知らぬ顔だ。
「いいじゃん、私が楽しいんだし。あ、お金はちゃんと払うよ。使ってないから一杯あるしね。見て見て、大金持ちよ!」
はたては古びた財布を取り出すと、じゃらじゃらと小銭をばらまく。どこが一杯あるのかと問いたかったが、はたてにはこれで十分なのだろう。仕方がないので、手持ちの文々。新聞をはたてに投げつける。はたては嬉しそうにそれを掴む。
「それは小銭持ちって言うのよ。もっと働きなさい」
「ありがとう。流石は文。持つべきものは友達だね。文しか友達いないけど。他の天狗は私に構ってくれないし」
「そりゃそうでしょうねぇ、って別に友達じゃないし。それに、犬走椛はたまに来てるみたいじゃない」
文がたまに使いっぱしりにしている白狼天狗たち。その中でも椛は目つきが生意気なので、苛々したときは徹底的にこき使ってやるとストレス解消になる。
当然、向こうはこちらのことを蛇蝎のごとく嫌っているだろう。だがその方が面白いので問題ない。どうせ逆らえないのだから、どんどんこき使ってやるだけだ。上役には逆らえないのが天狗。悲しいかな、これが縦社会の宿命である。
「椛は律儀だからね。一回、念写で仕事を手伝ってあげたんだけど。そうしたら、たまにお土産持ってきてくれるの」
「ふーん。あの犬っころ、気を遣うことなんてできたのね。どうでもいいけど」
「でも、椛は友達とはちょっと違う気がするなぁ。こんな話ししないし。文みたいにノリツッコミしてくれないし。……そもそも友達ってなんだろう。ねぇ、友達の定義って何だと思う?」
「知らないわよ。馬鹿は余計なことを考えなくていいのよ。主に私が疲れるから」
「ひどっ」
「はぁ。アンタと話してたら本当に疲弊してきたわ」
文は溜息を吐く。なんだかムカついたので、勝手にお茶を飲んでやる事にした。湯呑を用意し、いつ買ったのか不明の茶葉でお茶を淹れる。驚くほど不味かった。
嫌がらせではたてにそれを出してやると、喜んで飲みだす。「文が淹れたお茶は美味しい」と上機嫌で笑っている。やっぱり馬鹿だった。
「ね、私も一つ聞いてもいいかな」
「嫌よ。私は聞くのは好きだけど聞かれるのは大嫌いなの」
「えー。でも、そこをなんとか!」
はたてが拝んでくる。本当に馬鹿なやつだ。
「勝手に喋る分には止めないから好きにしたら」
「うん。えっとさー。外のことをこの前ちらりと聞いたんだけど」
「……外?」
「うん。外」
外とはどこのことだろう。家の外、山の外。まさか、幻想郷の外か?
「外の世界の『大鷲と少女の話』ってやつ。文は知らない?」
「知らないわよ」
「ふふん。じゃあ一から教えてあげましょう」
偉そうに鼻を鳴らすと、はたては語りだす。理解するのは大変だったが、要は、大鷲に狙われている少女を、カメラマンが撮影した。その写真は大いに評価されたが、異論を唱える者もでた。写真を撮っている暇があるなら、どうして少女を助けなかったのかと。――外ではそんなことで議論が起こっていたらしい。
「というわけなんだけど。ベテラン記者の文はどう思う?」
「馬鹿馬鹿しい。誰が何を言おうと、撮り続けるに決まってるでしょ。幻想郷じゃそんなもの記事になりゃしないだろうけど」
「ま、そうだよねぇ。文はそう言うと思った」
「当たり前でしょう。そもそも、何故見知らぬガキを助けなくちゃいけないの。助けたとして私に何か利益があるの? 善行をするためにカメラを持ってる訳じゃないっていうのよ」
「うん。最初は私もそう思ったんだけど」
「――けど?」
「うん。ずっと見てるとさ。意外と情ってやつが湧くもんだなーって。彼女の行動に一喜一憂して、この前なんて思わず泣いちゃったし。あの二人、本当に見てられなくてさー。あ、思い出し泣きしちゃいそう! 今の私なら手を出しちゃうね!」
ちーんと、はたてが鼻をすする。しかも本当に涙目になっている。
文は心底呆れた。取材対象を見て泣くなんて、記者失格である。記者どころか、天狗失格だ。馬鹿もここまでいけば立派ではあるが、特に褒め称えたいとは思わない。
「……本当に馬鹿でしょ、アンタ」
「失礼ね。文には言われたくないよ」
「その言葉のほうが失礼よ。アンタの奇行には慣れたつもりだったけど、ここまで悪化していたとは。一度薬もらったほうがいいわよ」
「届けてくれるなら飲んであげてもいいけど」
「てめぇで取りに行け。この怠け者が!」
文が吐き捨てると、はたてはそれもそうだねと笑う。
「で、外の世界のカメラマンは結局どうなったのよ」
「そこまでは知らないわよ。でも、写真を撮った後、その人は少女を助けてあげたんだって。外の世界の人は優しいんだね。薄情な天狗とは違うのよ!」
「ふーん」
お前も天狗だろうとツッコミたいが、文は我慢した。
「ま、そんな訳でさ、少しずつ介入してるんだよねー」
「介入?」
聞き捨てならないことを言い出す。一体何をしているのやら。引き篭もりが外にでることはほとんどないので、何かできるはずもないのだが。
「本当にちょっとずつね。私さ、バッドエンドも結構好きなんだけど。ハッピーエンドの方が性にあってるみたいでさー。家にある本も全部そういう終わりのやつばかり。後味悪いのはポイしちゃうし。習性って面白いね」
「毎日がハッピーで能天気なアンタにはピッタリね」
「文は人の不幸が大好きなんでしょ? ほら性格が腐ってるから。良心の消費期限が切れてるもんね」
「ぶち殺すぞ」
笑いながら毒を吐く引き篭もり天狗。天然そうに見えるが、実は毒を大量に抱えているのがコイツだ。だから友達は一人もいない。家族も様子を一切見に来ない。上司からは見捨てられている。ちなみに、文は友人ではなく腐れ縁である。
「ごめん。本当のこと言っちゃった。凄く反省してる」
「謝罪の仕方をもう一度勉強しろ。というかお前は性格じゃなくて、生活が腐ってるでしょうが」
「流石に文は鋭いね」
「そこは否定しなさいよ」
「否定出来ないわ!」
「威張るな馬鹿。……ま、何をするかは知らないけど、これからは私がネタを頂くわよ。アンタが家に引き篭もっている間に、私ががんがん介入するから」
「……は?」
はたてが目を丸くして驚く。全身がピタッと止まって驚愕してますとアピールしている。
「は、じゃないわよ。あのチビ妖怪のネタが受けるなら、徹底的に付き纏うのは当然でしょ。読者に飽きられるまで記事にした後はポイよ。ポイ」
「だ、駄目っ! そんなことしちゃ駄目よ! 文が手出したら何もかも台無しじゃない! あの二人は私の」
「アンタの何なのよ。別になんでもないでしょうが」
「ううっ。そ、それはそうだけど、それは非常にまずいのよ。今が一番大事な時なのに。……くうっ、文が邪魔するというなら、いよいよ私が出張るしか。でも動くのって超面倒だし。花粉症とか毛虫とか怖いし。でも、行かないと文にしっちゃっかめっちゃかにされる! ああ、どうしよう! 動くべきか篭るべきか、それだけが問題よ!」
どこかで聞いたようなセリフを真面目な顔で吐くと、頭を抱えて悩みだす馬鹿。いい気味だ。一位を逃した意趣返しが出来たという事で満足する。本気で付き纏う気もない。風見幽香が目を光らせているし、アリス・マーガトロイドも人形で厳重な警戒をしている。手を出すのは容易ではない。リターンが少なすぎる。
「……よし、文がその気なら、私も本気を出すしかないわね。姫海棠はたて、やりますっ!」
はたてがキリッとした表情を作る。こんな顔は久々に見た。前見たのは、当分篭るからよろしく! とかほざいたときか。
「やるって、何を」
「もちろん取材よ。私、一応新聞記者だし。後天狗だった」
天狗であることを忘れる馬鹿。そのうち羽が取れるんじゃないだろうか。
「無理すんな。貧血で死ぬわよ」
「大丈夫。私保険入ってるから」
何の保険だと咄嗟に突っ込みたくなったが、泥沼に嵌りそうなのでなんとか堪えた。そもそも受取人は誰なんだという。はたてワールドに嵌ると、半日は謎空間に連れて行かれるので注意が必要だ。保険の話から始まり、最後は毛虫の生態についてで終わるだろう。
「そういう問題じゃないと思うわ」
「というかさ。子供ってどういう態度で接すればいいのか分からないんだけど。どうしたら良いと思う?」
「私に聴くな。私はアンタの商売敵でしょうが。一応」
「でも友達だからいいじゃん。フレンドリーに馴れ馴れしいのがいいのか、それとも格好良くさりげなさをアピールしたほうがいいのか。ほら、私常識って良く知らないし。文って性格死ぬ程悪いけど常識人じゃない? だから教えて」
貶しながら褒めてくる器用な女。
「知るか馬鹿」
「そこをなんとか!」
「あーうるさい。ガキには適当に偉そうにしとけばいいのよ。アンタ、一応天狗でしょうが。絶対に舐められるんじゃないわよ?」
「あ、そうだった。なら安心ね! よーし、私はやるよー。やっちゃうよー」
姫海棠はたてが拳を作り、天井に向かって伸ばす。途端、ゴキッと嫌な音。くの字で固まるはたて。いきなり動いたから腰を痛めたらしい。やっぱり馬鹿だった。
「こ、腰が。いたた」
文は付き合いきれなくなったので、お暇する事にした。次の新聞のネタを捜しに行かなくては。
「はぁ。じゃあそろそろ行くわ。アンタみたいに暇じゃないし」
「う、うん。また来てねー。次はお土産よろしく。お饅頭がいいな」
「たまにはお前が来い。もちろん、土産の酒を持ってね」
「うん、分かった」
……なんで誘ってしまったのかは良く分からないが、気にしない事にした。どうせ来ないから問題ない。
と、あまり使われた様子のない台所の流しに、洒落た花瓶が飾ってあるのを見つける。こいつは花を飾る趣味などなかったはず。しかも――。
「これ、紫のバラ? アンタ、花なんて飾る趣味あったっけ」
「流石に目聡いわねー。それ私の服とお揃いなの。へへ、綺麗でしょう」
「はぁ。アンタの奇行は意味が分からないし分かりたくもないわ。説明しなくて良いわよ」
「一本いる? 在庫は一杯あるよ。河童にお願いして作ってもらったんだ」
「いらないわよ。そんなことばかりしてないで、少しは真面目に働け。今回のを良い切っ掛けとしてね」
何度目か分からない忠告。もしかしたら、もう聞く気はないのかもしれない。本人は面倒になったら山を抜けるとまで言っていたし。そんな簡単に抜けられるとも思えないが。常識を知らないと言うだけあって、やはり考えが足りない。いざとなったらぶん殴って分からせるとしよう。
「うん、前向きに検討するね。返答は発送を以てお知らせするから。気長に待ってて」
「碌でもない言い回しばっかり覚えやがって。先に常識を勉強しろ、この馬鹿」
文はお手上げポーズを作ると、姫海棠家を後にした。