ゆうかりんか   作:かしこみ巫女

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第五話 優しい世界

 凄まじいまでの敵意と突き刺すような圧力を感じ、アリス・マーガトロイドは素早く目を覚ました。この状況で寝ていられるような者は、魔法使いを名乗る資格はない。今すぐにでも攻撃を受けてもおかしくない。アリスは素早く戦闘準備を整え、紅霧漂う上空へと飛び出した。

 

 

(まさか、吸血鬼? でも、私を狙う理由はないはず。一体なにが目的で)

 

 

 強烈な圧力の正体は、悠然とアリスの住居の真上で佇んでいた。名乗りあいを行なう必要などない。相手はすでに敵対行動を取っているのだ。こちらにも気付いているだろう。望むところとばかりに背後を取り、先制攻撃を仕掛けようとした瞬間、それはこちらを振り向いた。

 

 

「――ッ!?」

 

 こちらを試すような表情で、見下ろしてくるその表情。見覚えがある。人里で何度かあったことがある花の妖怪、風見幽香と瓜二つだ。違うところは、鮮やかな緑髪が艶かしい鮮血色に変化しているところか。そして幼くなっている。まさか、この霧の影響で変わったとでもいうのか。そして何が目的なのか。

 

 

「……風見幽香?」

「いいえ、違います」

 

 即座に否定されてしまった。何度か会話を行い、相手の目的、素性を問い質すがいまいち要領を得ない。

 というよりも、だんだんとその顔が歪み、涙を浮かべ始めている。常に余裕綽綽の風見幽香の容姿で、情けない顔をされると違和感が凄まじい。

 このままでは時間の無駄と判断し、とりあえず家へと移動することにする。紅霧が邪魔くさいのもある。もちろん警戒は続けたままだ。これだけの妖力の持ち主に、不意を衝かれたら、ダメージは避けられない。

 

 

「……はじめまして、でいいのよね。私はアリス・マーガトロイド。貴方、一体何者なの?」

「風見燐香。風見幽香の妖力から生み出された妖怪です」

「なるほど。それで容姿がにていると」

「2Pカラーとも言います」

「どういうこと?」

「似て非なる紛い物です」

「なるほど」

 

 一応納得はいった。それならば容姿が瓜二つなことも理解できる。しかし、未だに発せられているこの圧力はなんなのだ。発言とは異なり、戦闘を行なう意志があるということか。

 

 

「ゆっくり話をする前にお願いなんだけど。私に敵意、或いはそれに該当するものを向けるのをやめてくれる?」

「えっ」

「え?」

 

 目を丸く見開いたまま固まる燐香。私も意味が分からず首を傾げる。

 

「…………」

「……ねぇ。私の話を聞いてた? 敵意を向けるなと言っているのよ」

 

 

 少し口調を刺々しくして警告を与えると、心外だったらしく頭を何回も下げてきた。

 

 

「この状態を常に維持していろと、死ぬ程叩き込まれたんです。だから、止め方がよく分かりません」

「…………」

 

 軽く溜息を吐いた後、心を落ち着かせて深呼吸を数回行えと指導する。そして、穏やかな水面を思い浮かべ、それを維持しろと告げる。単純だが効果はあるはずだ。

 妖術や魔術の中には、強烈な威圧を生じさせ、持続させるものがある。敵にプレッシャーをかけるためや、実力のない雑魚共を近づけさせないためである。同格の相手にたいしては当たり前だが挑発行為になる。

 

 

「一体どういう教育を受けてきたのよ。こんな状態でいたら、まともに話なんてできないでしょうに」

「……二人目です」

「はい?」

「アリスさんで、二人目」

「何が」

「会話をしたのが」

「……意味が分からない」

「ずっと一人ボッチだったので、お母様以外では、部屋の壁が話し相手でした」

 

 

 先程より大きな溜息を吐く。非常に面倒なことに関わってしまった気がする。

 ぽつりぽつりと、燐香が事情を話し始める。誕生してから10年間、徹底した戦闘教育のみを受け続け、まともな会話をしたことがないと。我慢できなくなり、この紅霧異変に乗じて家出したと。その途中で、たまたまここに来てしまったらしい。アリスは威圧感に誘い出されてしまったというわけだ。見逃しておけば面倒なことには巻き込まれなかった。後悔先に立たず。

 

 

「――と、いうわけです」

「なるほど。……それは、大変だったわね」

「同情してくれて、ありがとうございます」

 

 歪な教育を叩き込み、環境を用意したのはなんのためか。徹底的なまでに自分以外の者を近づけないため。何故か。自分だけのものと強調するため。世界には二人だけがいれば良い。実に歪んでいる。

 そして、最悪なことに、アリスはこの少女が話した二人目となってしまった。非常にまずい。小熊を攫われた母熊は、一体どういう行動を取るだろうか。今頃、血眼になって探しているか、それとも――。

 背筋に寒気が走る。思わず天井を見上げる。一瞬だが、妙な気配がしたような。勘違いとは思えない。

 

 

「……貴方は、これからどうするの?」

「とりあえず、自由に世界を見て回りたいです。この世界に興味津々なので」

 

 

 意外と前向きなようだ。目に力が戻っている。多分、あと数時間で陰ることになるだろうなと、アリスは同情してやった。

 

 

「そう。……ちなみに、これからの予定は? といっても深夜だけど」

「あの、よければ今晩だけ泊めていただくわけには。勿論お礼はします」

「別にお礼はいらない。今日だけなら、好きにしなさい。流石に子供を追い出すような真似はしないわ」

 

 もうどうにでもなれと諦めて、アリスは力なく頷いた。予感だが、すでにこちらの状況は把握されている。今更追い出したところで何の解決にもならない。むしろ、それが最悪の選択に成る可能性すらある。

 アリスは何度目か分からない溜息を吐くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――アリスはいい人だった! 

 世界はこんなにも優しいんだなぁとしみじみと実感する。いきなり現れた不審人物を家に招待してくれただけでなく、力の使い方を教えてくれた上に、ご飯まで用意してくれて、お風呂に寝床まで提供してくれた。なんて優しい人なんだろうと思わず土下座してしまうところだった。

 驚愕したアリスに慌てて止められてしまったが、今は平伏してもしたりない。

 というか、嬉しさのあまり忘れていたが、あの悪魔の教育はやはりとんでもないものであった。常に威圧感を発しているとか、可愛い妖精たちが逃げ出して当たり前だ。有名呪文トヘロスの上に、聖水を常にばら撒きながら歩いているようなもの。会話相手が幽香だけになるのも必然だ。ボッチロードを人知れず邁進していたのだから。

 

「もっと呪いのメッセージを残しておくべきだった。いや、機会はまだある。不幸の手紙を一万通書いてやる」

「落ち着きなさい」

「落ち着いていられません。あの悪魔め。いつかニフラムで消し去ってやります」

 

 意味が分からないとアリスが苦笑している。

 私はといえば怒りのあまり顔が引き攣っていると思うが、その表情はやめなさいとアリスに窘められたので中断する。全力全開の魔界煉獄をあの悪魔の家に叩き込んでやりたい。だが殺されるのでやめておく。今は至福、いや雌伏のとき。あの悪魔が衰弱するまで待ち続けよう。

 

 

「……?」

「どうしたんです?」

「錯覚かしら。髪の色が」

 

 

 私の髪に注目してくるアリス。呪われた色をしているので、それも仕方がない。この赤毛でいいことといえば、血塗れになっても大丈夫なことである。洗わなくても平気!

 

 

「目に悪いので、あまり見ないほうがいいですよ」

「そんなことはないわ。綺麗な色だと思うけど」

「血のように艶かしいと、悪魔に褒められたことがあります」

「そ、そう。良かったわね」

「全く嬉しくありませんでした」

 

 

 

 今までの鬱憤を晴らすが如く私の舌は回り続ける。一日中でも喋り続けられるだろう。何しろ、あのアリスと友好的にトークできているのだから。こんなに嬉しい事はない。やっぱり人類(妖怪)は一部を除いて分かり合えるんだなぁ。

 ちなみに今はパジャマトーク中だ。布団に潜り込んでいる私に、アリスが椅子に座りながら付き合ってくれている。憧れの状況がいまここにあった。なんだか絵本とか読んでくれそうなシチュエーションである。

 もうここの子供になってしまってもいいんじゃないかな! 燐香・マーガトロイドではいまいちだが、リンカ・マーガトロイドならばいい感じだ。

 

「それにしても、本当に10年間、誰とも喋らなかったの?」

「はい。花畑の妖精は逃げ出すし、幽香――あー、お母様の領域からは逃げ出せなかったので。しかも悪魔的な勘の良さなので、隙がないんです」

 

 

 心が元気だったとき、何度かぶっ殺してやろうと罠をはったり、背後から闇討ちしたり、麻痺毒を混ぜた水を飲ませようとしたが全部回避された。というか、逆にやられてしまった。あいつの守護霊はたぶん毘沙門天か何かである。

 

 

「でも、ご飯は食べさせてくれたのね。生活の面倒は見てくれていたみたいだし」

「はい。でも多分ついでです。この10年間、常に沈黙の食事でした。お葬式みたいで凍えるほどクールでしたよ。さっきみたいな穏やかな食卓は、はじめてでした」

「そ、それは大変だったわね」

 

 

 またアリスが同情してくれる。鍛錬の外道さなどは既に説明済み。やはり幻想郷でも幽香のやり方は常識ハズレだったということだ。私が常識人の証明ができたということでもある。

 

 

「とにかく! 悪夢はとっとと忘れて、今はこの異変について調べたいです。スペルカードルールにも興味があるので」

 

 心からの笑みを浮かべると、アリスが自然に頭を撫でてくれた。ほっこり。

 

「へぇ。なら、明日にでも行ってみたらどう? ……行けたらだけど」

 

 後半は何故か小声だった。一応問い返しておく。

 

 

「どこにです?」

「もちろん元凶に会いによ。犯人は吸血鬼っていう噂だし。幻想郷の吸血鬼は紅魔館しか存在しない。そのまま異変を解決してきたらいいんじゃない」

「無理言わないでください。め、目立つようなことをしたら、悪魔に見つかってしまいます」

 

 背筋が寒くなったので、布団を深めに被る。ふと視線を感じたので、小窓へ顔を向ける。暗闇だけがそこにはあった。

 それに、スカーレット姉妹が修羅道をいっていないという保証はない。遠目から眺めて調査しなければ危ない。

 

 

「……多分だけど。このまま逃げ切るのは無理だと思うわよ。少ししたら大人しく戻ったほうがいいと思う」

 

 不吉な言葉で追い討ちがかけられる。

 

 

「それは何故です?」

「私が幽香の立場だったならば、草の根分けてでも貴方を探し出すわ。だって、どうでもいいと思っているなら、10年も時間を無駄にしないもの」

 

 アリスが視線をちらちらと小窓へ向けている。なんとなく緊張しているような気がするのは、きっと気のせいだろう。今日はなんだか肌寒いし。

 

 

「死ぬほど帰りたくないんですけど。というか、帰ったら殺されると思います」

「一度、腹を割って話し合ってみるというのはどうかしら。逃げ続ける人生なんて、疲れるだけよ」

「…………」

 

 腹を割る、いわゆる割腹というやつである。介錯はアリスにお願いできるだろうか。既に魔の手は伸びているのかもしれない。後悔のないようにするには、やはり紅霧異変を見なければなるまい。博麗霊夢に霧雨魔理沙。紅魔館の魅力的な人々。その弾幕ごっこを見た後ならば、少しは納得して逝ける気もする。

 ――よし、明日は東方紅魔郷に参戦決定だ! 冥土の土産に丁度良いし。

 

 

「そんなに思いつめないで。もし貴方にその気があるなら、私が橋渡しをしてあげる。いきなり戦闘にならないように約束したあとでね」

「……本当に、ありがとうございます。私の骨は、彼岸花の畑にまいてくれると嬉しいです。良い肥料になると思うので」

「縁起でもないことを言わないように。さ、子供はもう寝なさい」

 

 心の底から感謝する。介錯はやはりアリスにお願いするとしよう。私は小粋な辞世の句を考えなくちゃ。


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