ゆうかりんか   作:かしこみ巫女

36 / 89
第三十六話 花葬

 風呂に入った後、燐香は着替えに部屋に戻って行った。戻ってくるのが少し遅かったので、アリスは様子を見に行くことにする。何もないとは思うが、あれだけの勝負のあとだ。怪我でもしていては大変である。

 この部屋は、元々来客用に用意していたものだが、現在は燐香の部屋となっている。最近は魔法の森で迷う人間も少なくなっているし、特に問題はないだろう。人里では、気の触れた吸血鬼がうろついているので、森は以前より危険な場所だと言う噂が広がっているとか。上白沢慧音が親切に注意を促してきたが、それがこの家だというのは夢にも思うまい。別にこちらも人間をもてなす義務もないので、特に否定するつもりもない。迷い人が減るならそれで問題ない。

 

「燐香。入るわよ?」

 

 部屋の中の明かりは消えていた。ベッドの布団は膨らんでおり、燐香が休んでいるのが確認できる。起こすべきなのかもしれないが、先ほどの戦いの後だ。少しぐらいは構わないか。そう判断したアリスは苦笑してから、静かにドアを閉める。

 

(甘くしているつもりはないのだけどね)

 

 『甘やかしすぎ』、ルーミアの言葉を思い出す。確かに、自分に妹がいたら、今のような生活を送っていたのかもしれない。故郷を思い出す。あの人はいま何をしているだろう。相も変わらず皆と元気にやっているのだろうか。一応は家族と分類に入るのかもしれないが、あまりそういう思いを抱いたことはない。それも仕方ないだろう。あの人は皆にとってそういう存在なのだから。

 

「馬鹿馬鹿しい。子供じゃないのだから」

 

 らしくない感情に浸りながら、アリスは淹れたばかりの紅茶を口に含んだ。いつもよりも、少し渋かった。

 

 

 その一時間後。アップルパイの用意はできた。中々美味しくできていると思う。といっても、温めなおしただけのことだ。とはいえ味は保証できる。

 温かい内に食べてもらいたいところだが、このまま寝たいのならそれでも構わない。一声かけて、いらないというのであれば、お土産にしてしまえば良い。

 寝たままの燐香を、幽香のもとへ送り届けるぐらい大したことではない。きっと、遅れたことへの文句を相当ネチネチと言われるだろうが。あいつは燐香に冷たく当たっているくせに、本人がいないところでは相当な過保護ぶりを見せ付ける。

 燐香に対しての態度に、何か理由があるのは嫌でも分かる。相当に複雑な事情があるだろうことも。アリスは、時期を見ていずれそれを聞き出そうと思っている。自分に協力できることがあればしても良い。

 幽香との仲が改善できれば、燐香の精神的苦痛は確実に解放される。それは、今後の成長にも大きな影響を与えるはず。幽香に嫌われ、憎まれていると思っている事が、燐香にとって最大の重しなのだ。なんとかして取り払ってやりたい。

 

「燐香。紅茶とお菓子の用意ができたわ。もし、眠いのなら、このままでも構わないけれど。……どうする?」

 

 月明かりが差し込む燐香の部屋。やはり燐香はまだ寝ているようだ。

 アリスはベッドに静かに近寄る。先ほどとは異なり、ベッドから右手がだらりと飛び出ていた。その下に、なにやら紙が落ちている。一度起きてまた眠ってしまったのだろうか。

 

「本当に、疲れていたのね。このまま、ウチに泊めてあげられれば一番良いのだけど」

 

 初の弾幕勝負で、霊夢とあれだけの戦闘を繰り広げたのだ。心身共に疲れるのは当然のこと。しかも、霊夢は殆ど本気といっても良い戦いぶりだった。どれだけの重圧を受けたことだろうか。

 一度だけとはいえ、当てて見せたのは立派だ。アリスは後で手放しで褒めるつもりでいる。いつも冷静を心がける自分にはらしくないと思うが、気にしない。褒めるときは褒め、叱るときは叱る。当たり前の事。

 ……本音を言えば、霊夢に一撃当てたときなどは、自分のことのように嬉しかった。飛び上がりたいくらいに。そして、負けたときは自分が敗北したときより悔しかった。思わず地団太を踏みたいくらいに。それは確かである。別に否定する必要もない。何も悪いことではないのだから。

 

「ふふっ。今日はこのまま寝ていた方が良さそうね。冷めてしまうけど、明日の朝に食べなさい」

 

 アリスは軽く微笑んだ後、燐香の右手を取る。触った瞬間に、激しい違和感がアリスを襲う。

 

「――え?」

 

 アリスの身体が突如として硬直する。一瞬、思考が完全に止まった。まるで理解できない。こんなことはありえない。どういうことだ。

 

「り、燐香?」

 

 呼びかけても反応はない。それはそうだろう。こんなに冷たいのだから。いや、それがそもそもおかしいのだ。どうして、この小さな右手はこんなに冷たいのだ。震える手で、窓側を向いている燐香の顔を、こちらへ向ける。

 燐香の目は開いていた。焦点の定まらない目は、アリスを映すことはない。瞬きをしないその目は、ひたすら宙を見つめている。その凍りついた表情は何の感情すら表わさない。いつもの悪戯娘の面影は掻き消えている。

 確認しなければ。アリスは震える指先に魔法で光を灯し、燐香の顔に近づける。やめておけという思考を、そんなことはありえないという思いで無理矢理に塗りつぶす。

 だが、どれだけ光を近づけても、燐香の瞳孔に変化は見られない。妖怪といえども人間の形状をしているのだ。頑丈さに違いはあれど、器官自体にそれほどの差異はない。つまり、今の燐香の状態は、完全に死亡しているということだ。

 そう、死んでいる。これはただの死体。だから冷たい。

 

「ど、どうして? 強力な霊力の直撃を受けたせい? わ、私が弾幕勝負をやらせたから?」

 

 思考がぐるぐると渦を巻く。何かを考えようとするが、上手くまとまらない。呼吸が荒くなる。動悸が激しくなる。

 今すぐに何かをしなくてはならないが、何をすれば良いかが分からない。だが、時間は刻々と経過していく。どうすれば良い。直ちに何かしなければならない。乱暴に布団を払いのけ、パジャマ姿の燐香の身体を抱きしめる。

 とても冷たい。体温を全く感じられない。まるで血の通わない人形のようだ。でも、まだ硬直は始まっていない。だから大丈夫。きっとこれからも始まらない。そうに決まっている。だって、死ぬことなどありえないのだから。

 アリスは、燐香の身体を抱いたまま、床へと力なく座り込む。こんなはずはない。見ている限り、致命傷になりうる攻撃を霊夢は放っていなかった。それは間違いない。ならば、何故燐香は死んでいるのだ。――分からない。分からない。分からない!

 

「だ、大丈夫。す、少し休めば、直ぐに良くなるから。私に、任せておきなさい。絶対に大丈夫よ」

 

 ――どこからか、何かを叩く音が聞こえる。それは、段々と強くなる。一体何の音だろうか。しかし、今の自分にはそれに構っている余裕はない。冷たくなっているのならば、暖かくしなければならない。そうに違いない。自分は何も間違っていない。

 アリスはひたすら、燐香の亡骸を抱え、その小さな背中を擦り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスの家を飛び出した私は、『幻想郷お楽しみ帳』を片手に、粉雪が舞う夜空を飛んでいる。紅いマフラーをなびかせながら。多分、かなり格好良い姿だと思うが、浸っている余裕は全くない。焦らずに急がなければ。

 

 アリスが私の身代わりに気付いたとしても、特に大事にはなるまい。問題は、私の帰りが遅いことを、幽香が察知してからである。そこからが勝負。

 殴りやすいサンドバッグが勝手に逃げ出したと知れば、悪魔の如き形相で追撃してくるに違いない。私の予想としては、後二時間程度か。それまでに冥界の結界を抜け、白玉楼へ到達しなければならない。そして、西行寺幽々子に、この『亡命届け』を渡すというのがミッションの成功条件である。結構厳しいが、やる価値は十分にある。

 

「亡霊のお姫様なら、大魔王も簡単には手を出せないはず! 冥界プリンセスパワーでいちころというわけ」

 

 悪魔も冥界ならば大暴れはできまい。幽々子より強いかは分からないが、冥界はあいつの領域ではない。私の予測だと、西行寺幽々子が勝つはずだ。多分。いざとなったら彼岸花に擬態して、冥界のどこかに隠れてしまおうと思っている。それぐらいは容易い事である。

 

「さて、霊夢たちはもう結界を抜けたかな?」

 

 アリスステージの後は、たしかプリズムリバー三姉妹との対戦だったはず。さぞかし賑やかなバトルを繰り広げたことだろう。メルランの演奏でも景気付けに聴いておきたかった。勇気100倍になれそうだし。

 

 色々と寄り道したい気持ちを堪え、さらに30分程度全速力で飛んだところ、なんだか違和感を覚えた。独特な感覚とでもいうのだろうか。それを肌で感じ取ることができたのだ。どうやら、飛んできたルートは間違っていなかったらしい。

 その感覚が強くなっていく方向へ向かうと、いきなり結界を発見してしまった。もっとてこずるかと思っていたが、拍子抜けの気分だ。しかし、時間短縮できるのならば喜ぶべきこと。私は結界をよく観察することにした。急がば回れである。

 ――生きとし生ける者全てを遮るような、光輝く巨大な壁。その中央にはこれまた誰が使うんだというような奇妙な扉。その横に強引にこじ開けたような穴が開いている。恐らく、霊夢たちが突入した痕跡だろう。やることが相変わらず乱暴だった。

 

「……ということは?」

 

 下を見おろすと、目を回して気絶しているプリズムリバー三姉妹がいた。なんだか砲撃の痕のようなものまで残っているし。どんな激しい戦いだったのやら。想像すると結構恐ろしい。弾幕ごっこといえども舐めてはいけない。事故で死ぬことは許容されているのだから。

 本当は声を掛けてみたいところだが、目的地を目前にして幽香に掴まるなど愚の骨頂。油断大敵である。ここは涙を飲んで進んでいこう。

 でもそのまま行くのは薄情な気がしたので、風邪を引かないように彼岸花を彼女を包むように咲かせて、雪からガードしてあげることにした。こういった積み重ねが友好度を稼ぐポイントだ。さりげなさが大事である。

 

「現世と冥界の境目か。なんだか不思議な感じがする」

 

 結界に開いた穴が、奈落への入り口に見えてくる。先ほどから感じている奇妙な感覚は、全身に突き刺さるぐらいまで強くなっている。ただ不快ではない。なんだか、懐かしい感じさえする。全身を包み込まれるというか、そんな感じ。皮の薄い餃子みたいな? これは何か違う気もする。

 

「……うーん」

 

 なんだか、この先に進んではいけない様な気分が湧いてくる。このまま行って本当に良いのだろうか。でも、もう飛び出してしまったし後戻りはできないし。既に退路は断っている。このまま戻るなど有り得ない。

 

「よーし、悩んでいても仕方ない。行こう!」

 

 ごくりと唾を飲み込むと、私は覚悟を決める。「トラップカード発動、現世と冥界の逆転!」と適当に唱えながら。こうやってふざけていないと、なんだか自我を保てないような。そんな嫌な予感さえしてくるし。冥界って結構やばい!

 

 冥界は、現世とは空気が全然違うのだ。綺麗だけど、なんだか冷たい。冬の寒さではなく、魂が冷えるというか凍えるというか。そんな感じ。生きてる人が長居すると、多分悪い影響を受けると思う。亡霊も、あちらこちらにいるし。ああ、ここは違うんだなぁと実感できる。生きている者が気軽に来て良い場所じゃない。だが私は覚悟を決めているので問題なし。住めば都である。

 

「途中で何か、宝物でも落ちてないかなぁっと。冥界の石とか、なんか高く売れそう。呪われそうだけど」

 

 周囲の様子を細かく観察しながら、私は冥界を進んでいく。ここはもう春が充満しきっている。桜が各所に咲いていて、実に見ごたえがある。このままのんびりとお花見でもしたいなぁなどと思っていたら、凄まじい衝撃音が風にのって聞こえてきた。

 反射的にそちらを振り向くと、ミニ八卦炉を構える魔理沙の姿が遠くに確認できた。マスタースパークが炸裂した音だったらしい。抉り取られた地面には、魂魄妖夢が倒れている。勝負は既についているようだ。

 私はバレないように隠形術を使用し、近くの桜の木へ隠れる。見つかったら面倒なことになる。

 

 しばらくの押し問答後、霊夢達3人はなんだか妙に長い階段をつたって飛んでいってしまった。ということは、この先は白玉楼か。いよいよ黒幕の西行寺幽々子と勝負になるのだ。これはなんとしても見てみたい。二度と見れないかもしれない好カード。多分霊夢が戦うのだろうが。今後の弾幕勝負の参考にしたい。あるかは知らないけど。

 

「くうっ。……やっぱり私はまだまだ半人前か。あれだけ修行したのに。はぁ、幽々子様に会わせる顔がないよ」

 

 魂魄妖夢が二本の刀を鞘に納め、悔しそうに溜息を吐いている。これは絶好のチャンスである。

 私は妖夢のもとへと近づき、声を掛ける事にした。

 

「はぁ。博麗の巫女ならともかく、あんな人間の魔法使いに負けるなんて。修行が足りない証拠だなぁ。一生懸命やってきたつもりなのに。何が足りないんだろう」

「こんばんは」

「ぎゃああああああああああああああッ!!」

 

 ポンと肩を叩き、フレンドリーに挨拶したら、ム○クの叫びみたいな表情で絶叫する妖夢。その声の大きさは、もうジャイアンもびっくりなほど。私も少しだけ驚いた。大魔王幽香でもいたのかと思ったから。でも、周囲を見回しても誰もいなかった。私はほっと一安心。

 と、私は隠形術を掛けっぱなしだったことに気付く。解除して、あらためてニコっと笑って挨拶する。

 

「あのー」

「じ、じ、実体化した子供のおばけッ!? なんだか意味深に嗤ってるし! まさか水子の祟り!? な、なんで私が! まだ結婚すらしてないのに!」

「あの」

「ち、違うの。わ、私も半分はお化けなんですよ!? だからどうかご勘弁を! ほら、な、仲間みたいなものですよ! ワ、ワタシタチ、トモダチ!」

 

 最後はカタコトだった。凄い取り乱している妖夢。既に半泣き状態だ。ちょっと面白いけど、話が全然進まない。

 

「あの」

「こ、来ないで! それ以上近づいたら、き、斬るよ! 斬りますよ! 斬っちゃうよ! 白楼剣で斬られた幽霊は成仏しちゃうんだから! だから、こ、こないでッ!!」

 

 亡霊がうろうろしている冥界なのに、お化けが怖いというのはどういうことだろう。実体化した幽霊が怖いという事か。それなら、プリズムリバー三姉妹とか、そもそも幽々子も駄目だと思うんだけど。うーん。あれか、実体化して、意思疎通ができないお化けがこわいということか。なるほど、納得した!

 

「それ、本当に凄い剣なんですね。でも、私には効かないと思うんですけど」

「なんで!? まさか耐性のある幽霊!? そんな、じゃあ私はどうしたら!? ……お、おしまいだぁ。今日は厄日だったんだ」

 

 がっくりと膝を突く妖夢。意気消沈したベジータみたいだった。本当にリアクションが面白い人だ。なんとなく私と似た臭いを感じる。そう、いわゆるヘタレ臭。勝手に感じているだけなので、本人には伝えない方が良いだろう。ショック死してしまうかも。

 

「すいません。私、まだ生きているんですけど」

「ご、後生ですからせめて痛くないように――って、ええ?」

「初めまして。私は風見燐香といいます。あ、お怪我をしてるみたいですね。ちょっと待ってください」

 

 リュックから塗り薬を取り出す。これは太陽の畑で取れた薬草をもとに勝手に作った軟膏だ。毎日傷だらけの私には必須である。臭いは、うん。諦めてもらおう。

 

「し、染みる! ま、まさか毒薬!?」

「これは傷薬ですよ。治りが早くなります」

「そ、そうなの? ――って、生きてるってことは、貴方、お化けじゃないの?」

「はい。全然違いますよ」

 

 私がそう言いきると、妖夢は一度咳払いして、身なりを正す。いまさら取り繕っても無駄だと思うけど、まだ突っ込まない。後でのお楽しみに残しておこう。

 

「そ、それはごご丁寧にありがとうございます。見知らぬ人にここまでしていただいて。いきなりお化け扱いしてしまったのに」

「いえいえ。困ったときはお互い様です」

 

 これは作戦のうち。妖夢が敗北することは分かっていた。そうしないと物語がすすまないし。あわよくば恩を売り、幽々子に取りついでもらいたいなぁという浅ましい考えである。でも、怪我している妖夢を助けたいという気持ちもある。うん。だから良いのだ。過程ではなく、大事なのは結果!

 

「私は白玉楼の庭師、魂魄妖夢と申します。あの、貴方は本当に生きているんですよね?」

 

 まだ疑わしそうな表情の妖夢。私は生きているとアピールする。足もあるし!

 

「はい。絶好調に生きてますよ」

「ど、どうやってここへ?」

「結界に穴が開いていましたから」

「あ、穴!? ……ああ、なるほど。あいつらのせいで」

 

 妖夢は納得したようにうなずいた。そして、大きく息を吐き、私を見つめてくる。

 

「見たところ子供の妖怪のようですし、うっかり迷ってしまったんですよね? お礼といってはなんですが、あちらまでお送りしますよ。それで、さっきのことはなかったことに」

 

 口止めを忘れない妖夢。意外とセコかった。

 

「それなんですが! 実はお願いが」

「お願い? まさか、口止め料を払えとかですか!? お、脅しには屈しませんよ! 私にも意地があります!」

 

 思考が飛躍する妖夢。何の意地なのかと、凄い突っ込みたい。でもまだまだ我慢。それにしても、ノリとリアクションが完璧すぎる。幽々子はさぞかしからかい甲斐があることだろう。

 

「違いますよ。そんな非道なことはしません」

「で、では、なんでしょうか?」

 

 戸惑う妖夢に、私は白い封筒を差し出すのだった。

 

「これを受け取ってください」

「……封筒? なになにって、ぼ、亡命届け!?」

「どうぞよしなに!」

 

 ついでに即効で土下座。額を地面につけ、誠意を見せる。焼き土下座でも今なら3秒くらいは我慢しちゃう。誠意とはそれほど重いものなのだ!

 

「いきなり何をしてるんですか! いいからまずは立って下さい! こ、子供にそんなことさせてるのを見られたら、私の立場が――」

「何卒よしなに! どうか、この通りです!」

 

 私は額を地面に何度もつける。ご隠居に印籠を見せられた悪徳商人のように。

 なんだか周りが騒がしくなってきた。亡霊達が妖夢と私を円でとりかこみ、ひそひそと話し出す。何を言っているかはさっぱり分からない。人間の言葉ではなく、雑音にしか聞こえない言語で話しているから。だが、なんとなく妖夢に視線が集中しているのは分かる。

 

「わ、分かったから。と、とにかくここを離れましょう。負けた腹いせに、子供を虐めているようにしか見えないんですよ! さぁ、お願いだから立って!」

 

 私の手を掴みあげると、妖夢は亡霊たちに「違いますから! 私はなにもしてません!」と良く分からない言い訳をし、大地を勢い良く蹴った。何故か私はお姫様だっこをされている。緑の勇者は魂魄妖夢。なんだか凄い格好いい。顔はなんだか汚れているし、目はぐるぐると大混乱状態だけど。

 

 

 

 

 

 

 白玉楼に向かっている間に、私は大体の事情を妖夢に説明していた。お姫様だっこはすでに終了している。あれはこちらも恥ずかしい。双方にダメージが残ることは控えるべきである。

 

「……なるほど。親の凄絶な虐めから逃れる為に、わざわざ冥界に。それで、ここに住み込みで働きたいと」

「そうなんです」

「うーん。決めるのは幽々子様だけど、多分、難しいんじゃないかなぁ」

「な、何故です?」

「だって、ここは死者しかいませんから。私も半分は幽霊ですし」

「幽霊なのに、お化けは怖いんですか?」

 

 私のツッコミに、ぐぬっと顔を歪める妖夢。

 

「さ、さっきのは何かの間違いです。姿を消した相手に声を掛けられたら誰でも驚くし。べ、別にお化けなんてこわくねーし!」

 

 なんだか最後は子供みたいな口調になっていた。やばい。妖夢はとても面白い。弄り甲斐がありすぎる。でもやりすぎると怒らせてしまうのでここはグッと我慢だ。でもそろそろ突っ込みたい!

 

「とりあえず、ものは試しといいますし。なんとか西行寺幽々子様にお取次ぎを。あれでしたら、また土下座してもいいです。何度でもやります!」

「それはもういいから! 勘違いされちゃうので止めて! ほら、また集まってきた! 貴方達、なんで今日はそんなについてくるのよ! いつもはフラフラ浮いてるだけなのにッ!」

 

 空中で土下座しようとすると、妖夢がまた慌てふためく。そして、あっと言う間に集まってくる亡霊たち。先ほどからつけてきていたのだろうか。もしそうならば、死んでいるのにツッコミ能力に長けている。来世では是非笑いの道を究めてもらいたい。

 私がうんうんと頷いていると、亡霊達がなんだかくねくねと静かに動いている。なんだか、悲しんでいるような印象を受ける。亡霊語は分からないので、私には全く理解できなかった。『OOoOOoo』みたいな意味不明語。理解するにはスキルが全然足りない。

 

「幽々子様に取り次いであげますから、もうやめてくださいね? なんだか亡霊たちも騒がしいし。あ、というか早く戻らないと! あいつら幽々子様に失礼な事するに決まってる!」

 

 妖夢は私の手を握ると「全力で行きます」と言って猛烈な速度で飛び始めた。私は風圧に押されて口をパクパクさせることしかできない。春の生暖かい風を浴びながら目を開くと、巨大な庭園のある大きな建物、白玉楼が見えてきた。

 ここは他よりも桜の木々が密集しており、そのどれもが見事なまでに満開だ。これは凄い。

 

 ――そして、一際異様さを放つ桜の木がある。多くの人間の精気を吸ってきたいわくつきの桜、西行妖だ。

 

 その木の上で、霊夢と幽々子が弾幕ごっこを繰り広げていた。ここまで来たということは、異変解決はもう目前である。それを物語るかのように、両者の弾幕は苛烈さを極めている。霊夢の御札が幽々子に殺到すれば、それを相殺すべく蝶型弾幕が華麗に羽ばたき霊力弾を掻き消していく。

 白玉楼の庭で座り込む魔理沙に咲夜も、それに見とれるかのように空を見上げていた。

 

「あー、遅かったか!」

 

 妖夢が顔を顰めている。だが、その目は弾幕勝負にすでに惹かれているというのが見てとれる。

 本当は私もそれに混ざり、勝負の行方を眺めていたい。目的の一つ、冥界への到達を成し遂げたのだから、幽々子にお願いするまでは弾幕勝負を眺めていても良いはずだ。二度とないこの名勝負を、脳裏に刻み込みたい。

 

「…………」

 

 だが、私は彼女たちではなく、西行妖が気になって仕方がなかった。あれは、今何分咲きなのだろう。満開になれば、幽々子は復活し、そして死ぬ。だから、満開ではない。だが、どうみても八分咲きとは思えない。もう、完全な姿になる直前ではないのか? 分からない。だが、本当に危なかったら八雲紫がでてくるはず。いや、それとも冬眠しているのか? 監視を任せられているだろう八雲藍たちで、この危険を察知できるのか? 分からない。

 

「……やっぱり博麗の巫女は強いな。だけど、幽々子様が最後は勝つ。だって、今年こそは満開が見たいって言っておられたし。絶対に幽々子様が勝つ!」

 

 妖夢が何かを言っているが、私の耳には届かない。西行妖の様子がやっぱりおかしい。なんだか、黒い靄がでているし。禍々しい何かが意志をもって、“その時”に備えて力を凝縮しているような気がする。妖夢には、あれが見えないのだろうか。

 

「……妖夢さん。あの大きな桜、なんだかおかしくありません?」

「ええ、もう少しで満開になりそうでしょう? そのために幽々子様は春を集めておられたの。良く分からない封印がされているみたいで、一度も満開になった姿を見た事がないって。満開にすると何かが起こるって仰ってたわ」

「……えっと、そうじゃなくて。木の周りに、何か、黒い靄みたいなのが見えませんか?」

「も、靄? いや、私には何も見えないけど。それより、幽々子様を応援した方が良いですよ。満開になって機嫌がよくなれば、きっと貴方のお願いも聞いてくれます。さぁ、私と一緒に全力で応援しましょう!」

 

 そういうと、妖夢は幽々子の応援をするために少し前に出て、大声を張り上げ始めた。意外と熱血系らしい。

 

 私は、再び西行妖へ視線を向ける。黒い靄はいよいよもって濃さを増している。その靄は徐々に形を作り始める。あれは、黒い蝶だ。靄は数え切れないほどの黒い蝶に変化している。そして、その殺意は、霊夢、あるいは幽々子へと向けられている。その両者を飲み込む為に、ひたすらに力を蓄えている。――なんなのだ、あれは。

 

 どうする? こんな場面、東方妖々夢にはなかったじゃないか。幽々子が撃破され、反魂の術は失敗して異変は終わるはず。そして花見で一杯が定番の流れだろう。でも、あの西行妖の状態は明らかにおかしい。放っておけば、確実にあの黒き蝶は放たれる。するとどうなるんだろう。簡単なことだ。物語が崩壊する。

 

「…………!」

 

 そうか。そういうことか。なんだか分かった気がする。私はそのためにここにいるんだ。アレは私と似た属性のはず。いくら妖力があっても所詮は桜の木。ということは、草属性だ。私と同じ存在。ならば、私への効果はいまいちだろう。少なくとも、人間よりかはダメージは少ない。

 

「よし」

「ちょっと燐香! さっきからなにを黙っているんです。亡命したいなら幽々子様に聞こえるくらいに応援して!」

「ごめんなさい妖夢さん。私、ちょっといってきますね」

「い、行くって、どこに? ――って、ちょっと! どこに行くの!?」

 

 止めようとする妖夢の手を強く払いのけ、私は西行妖へ一直線に飛び込んでいく。下で見ていた魔理沙と咲夜が気付いたらしく、空気を読まない乱入者を止めようと大声を張り上げる。

 霊夢と幽々子も、一瞬だけこちらへと視線を向けてくる。幽々子は怪訝そうに、霊夢は怒気を露わにしている。だが、私の目的はそこじゃない。その下方、西行妖と霊夢たちとの間に入り込むことだ。どうだ、間に合うか。

 

「――糞チビがッ! リベンジは受けるっていったけど、勝負の邪魔は許さないわよ! ひっこんでなさいッ!」

「あの子、貴方の知り合いかしら?」

「五月蝿いわ! 今すぐに追い払うから――」

 

 本当にうるさい人間だ。そのまま死ねばいいのに。むしろこの手で殺してやりたい。

西行妖の異変にも気付かないくせに。いや、人間だから気付かないのか。あの黒い靄は妖力じゃない。霊力でも魔力でも神力でもない。私たちに似た存在。だからだ。人間は、気付く事が出来ない。気付こうともしない。畜生ッ!

 

 私たちを構成する何かが、警告通りに足を止めてしまえと誘いをかけてくる。だが駄目だ。逆に考えようよ。私は霊夢を助けるわけじゃない。私は私のためにそこに行くだけ。庇うことによって、博麗の巫女は私への敵視を和らげ、幽々子は少し興味をもってくれるかもしれない。そしてこの異変は無事解決し、幻想郷には春が訪れる。私はここにいることができる。

 そう、全ては計算どおり。私の計画は何から何まで完璧だ。全くもって問題なし。

 

「――ッ!!」

 

 ――西行妖が黒死蝶の弾幕を放った。だが蝶の華麗な印象は全くない。これはまるで黒い蝗の群れだ。美しいとはとても思えない。飛翔する死の弾幕が一直線で飛び立っていく。ようやく異常を察知したのか、霊夢は目を見開く。幽々子もだ。もう回避には間に合うまい。多少は逃げられたところで、この蝗は明確な意志を持っている。無駄なことだ。

 

「なんなのよこれはッ! 西行寺幽々子、アンタ一体何をしたの!?」

「これは、この力は――」

 

 私は余裕を持って射線上に立ちはだかると、両手を広げて妖結界を構築する。正直疲れているが、出し惜しみしている場合ではない。全力全開でいく。そうしなければ、絶対に無理だ。

 

「ぐッ!! ぐあああああああッ!!」

 

 黒死蝶の群れは、私の結界に当り派手に音を立てて飛散していく。何匹も何匹も何匹も何匹も千切れ飛んでいく。同時に結界にもひびが入り始める。一筋の罅は徐々に隙間を広げていく。私の軟弱な結界では当然受け止められない。それも想定済みだ。私の計画は完璧なのだ。

 

「贄符『彼岸花』」

 

 とっておきな切り札こそ、シンプルな名前が良い。そう思う。

 黒蝶弾幕が私の腹部を貫いた。服に穴が開いてしまった。赤い血飛沫が周囲に舞い広がる。それを能力を用いて彼岸花に全て変化。黒死蝶の群れを遮るように一斉に展開した。これで私の先へいくことはできない。お前達はここで行き止まりだ。

 

 しかし、霊夢たちを庇う事には成功したが、私の方は散々である。蝶の群れが私の体を喰らっていく。こいつらは私と同じだから、喰らい尽くすことはできない。人間や妖怪は殺せるだろうが、私たちは殺せない。だが物理的なダメージがひどい。

 腹に開いた穴は凄く痛いし、血がでるし、なんだか目は霞むし、私たちを構成する何かが曖昧になっているし。とてもじゃないが再生が追いつかない。ああ、内臓もやられている。これは多分致命傷だ。畜生が。

 

 それもこれも全てアイツのせい。……あれ、誰のせいだっけか。なんだか良く分からなくなってきた。まぁもうどうでもいいか。自分が自分でなくなれば、もう何も考えなくても済む。それでいい。私は楽になれる。そう思い込まないと、あんまりであろう。

 そもそも、霊夢を庇ったことは、私としてはありえないこと。あってはならないこと。だが、その先を考えろと言うのだ。予期せぬ霊夢の死は幻想郷に危機をもたらす。アリスやルーミアやフランを助けたと考えれば良い。それならば納得できる。私達も納得してくれるだろう。最後の我が儘ぐらい聞いてほしい。

 

「これは、おまけ」

 

 痛みで叫びたくなる気持ちを必死に堪え、私は最後の妖力を振り絞り、紅い彼岸花を空中に大量に満開にしてやった。夜空に咲いた花火みたいでとても綺麗だった。なんだか自分たちの価値を示せたようで嬉しかった。ならばこれでよしとしよう。後は、全てを抱えたまま落ちるのみ。

 

「――これで、私は。私達は」

 

 ようやく黒死蝶が途切れた。九分九厘咲きかな? ざまぁみろ。お前の暴走も私たちの悪夢もこれでおしまい。物語は全て正常にもどる。全てが完璧だ。イレギュラーは、イレギュラー同士相殺されなければならない。私もこれで終わりになる。もう疲れなくて済む。楽になれる。早く楽になりたい。

 私はニヤリと笑ってやった後、大きく息を吐いてから目を閉じた。もう欠片も力は残っていない。私の意識と身体は、下へ下へと落ちて行った。

 

 

『――燐香ッ!!』

 

 

 誰の声だろう。聞き覚えのある人達の声が微かに聞こえた気がする。目をちょっとだけ開けたが、舞い散る花びらしか見えない。世界が滲んで歪んでいく。今まで関わった人妖たちの顔が次々に浮かんでは消える。辛い思い出ばかりだけど、最後の方は楽しい思い出ばかり。一番最後がアリスの顔だったら、私は気分良くいけると思った。だが、最後に浮かんだのは、よりにもよって、憎むべきあの女の顔であった。

 ――ああ、畜生。私は本当についてない。

 





……ターンエンド。
あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

私は歪んだ人や、へこんでる人を書くのが大好きです。シリアスが得意です。
でも本当はほのぼのやギャグコメディも好きです。書くのは苦手だけど。


幻想人形演舞ユメノカケラが届いたので、プレイしちゃいます。
私の相棒は幽香さんです。当たり前だった。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。